Menu
 > レビュワー
 > すかあふえいす さんの口コミ一覧
すかあふえいすさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1047
性別 男性
年齢 30歳
自己紹介 とにかくアクションものが一番

感想はその時の気分で一行~何十行もダラダラと書いてしまいます

備忘録としての利用なのでどんなに嫌いな作品でも8点以下にはしません
10点…大傑作・特に好き
9点…好き・傑作
8点…あまり好きじゃないものの言いたいことがあるので書く

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234
投稿日付順1234
変更日付順1234
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  アルジェの戦い 《ネタバレ》 
ジッロ・ポンテコルヴォによるドキュメンタリー・タッチの皮を被った戦争映画の傑作。 ロベルト・ロッセリーニ「戦火のかなた」といったネオ・レアリズモの流れを組むリアリティ、スリリングなやり取りの連続で飽きさせない。  密室で裸にされ、火傷のようなものを胸に負い、震える男を囲む軍人らしき男たち。隣に置かれているのは水桶だろうか。 恐怖で怯え、涙目になった男に軍服を着せ、弱々しく「叫び」ながら窓から出ようとする男を押し止め、扉の向こうへ連れ去っていく。抵抗する力を奪い尽くして。  お次は機銃を装備した軍隊がアパートに雪崩れ込み、壁の向こうで“耐え続ける”者たちに最後の警告を発する。抑圧され、抵抗し続けた者たちに与えられる最後の選択。 そこから物語は「なぜそうなったのか」を解き明かすために過去へと遡る。  刑務所、窓・穴という穴から目撃される“断頭台”による処刑。アルジェリアという場所で育ってきた習慣、宗教、支配者であるフランスとの文化の違い。  隠され増幅されていく復讐の念。街中に武器を隠し、ベールの下から手渡し、拳銃・マシンガンによって一人一人確実にブッ殺していく暗殺。 やがて負の連鎖は運び込まれる“起爆剤”によって文字通り爆発的にエスカレートしていく。哀しみは怒号となって群衆を津波の如く突き進める!  女たちが髪をとかし、切り落とし、染め上げ覚悟を決める“荷運び”。地毛を染める必要の無かった愛する者との結婚、染める必要のある憎むべき敵の抹殺。  ザル警備を挑発する様に多発する爆破テロ。同じような音楽が流されるのは「お互い同じ気持ちだった」と言いたいのか、それとも「どっちもどっちだ」と言いたいのか。 市街地で繰り広げられる銃撃戦、車上からの機銃掃射。無差別にされたら無差別に殺り返す憎悪のぶつけ合い。  老人だろうが子供だろうが容赦なく襲い掛かる“人種差別”という名の暴力。物売りをしていただけの子供でさえ、同じ人種というだけで「やり場のない怒り」を向ける捌け口にされる。仕事とはいえ身を挺して子供を庇い連れ去っていく警官たちの姿には思わず震えた。  井戸、壁の中はアルジェリア人にとっては命を繋ぐ安全地帯。フランス人には敵が何処に潜んでいるのかという恐怖。  後半は民衆と軍隊の激突が本格化していく。  整然と行進する軍隊の頼もしさ、恐ろしさ。 ヘリが飛び交い、武装した軍隊が建物の上まで睨みを利かす。機銃を突き付け、窓ガラスをブチ破り、シャッターを引きはがし、ドアを蹴破り押し入るガサ入れ。籠城野郎やアマどもは建物ごとダイナマイトで吹き飛ばす!  叫び続け“断念”することを選ぶ者もいれば、沈黙を貫く者もいる。同胞たちは、何も出来ない・してやれない悔しさ哀しさに黙って涙を流しながら耐えるしかなかった。  それが国の、自分たちのアイデンティティが刻まれた“旗”を掲げ、叫んで叫んで叫びまくりながら市街地を埋め尽くす瞬間!殺したきゃ殺せ!殺しきれるものならしてみろと言わんばかりに人々の行進は止まらない。  もうもうと白い煙がたちこめる路上。煙の向こうから咆哮を束にして旗を振り回しながら押し寄せる人、人、民衆の群!もはや彼等・彼女等のエネルギーは誰にも止められないのだ。 男たちの“沈黙”によって幕を開けた物語が、女たちの“叫び”とともに締めくくられる。いや、アルジェリアの人々にとっては新しい時代の“始まり”を告げる歓喜なのかも知れない。
[DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2017-04-25 07:52:49)
2.  頭山 《ネタバレ》 
題材が題材なだけに仕方のないことなのかも知れないが、山村浩二の作品にしては語りが多すぎてちょっと辟易する。  三味線の旋律、男のハゲた頭部、不毛の地に育つもの、ナレーションの語り。  頭部にポコッと生え、芽が出る。地面に落ちた大量の木の実、種、種までがっつく。 芽は取っても取っても生え、少しずつ大きくなる。  冬を超え、春には桜が咲き誇る。男も女も花を見に咲いていく。 人々は小人になって頭の上で酒を飲み、ションベンやゴミをぶちまけ踊り明かす。放り投げられた靴は元のサイズに戻ってカップメンを台無しにする。  穴は夏の遊び場に、無限ループって怖くね?
[DVD(邦画)] 8点(2016-08-29 22:14:04)
3.  アラビアのロレンス 《ネタバレ》 
再見。 個人的にリーンは「逢びき」といった女性映画の方が面白いが、本作も再見したことで見どころの多い作品だったことに気付いた。本作を見直そうと思ったのはデヴィッド・リーンがジョン・フォードの傑作「捜索者」を参考に本作を撮ったというエピソードを知ったからだ。  確かに砂漠の情景の壮大さ、夕陽といった自然の美しさ、奇襲を受ける瞬間の緊張と騎馬が雪崩れ込む馬のスピードと戦闘描写、銃を撃ちまくる異常性、人種差別問題、復讐の狂気に身を染めていってしまう孤独な旅人といった要素。リーンが実在したロレンスを描くのにここまでフォードの西部劇を手本にしていたということに驚く。  冒頭、男がバイクのエンジンをかけ、それにまたがり田舎道の向こうへ消えていく。 乗り手の視点でバイクは細い道を延々と走り続け、豊かな自然に包まれたのどかさ、そこを抜けた瞬間に拡がる開けた視界が一気に緊張をたかめ、上り続けるバイクのスピード、道の向こうから接近する対向車…! 木の枝に突っ込むもの、枝にひっかかるゴーグルが静かに語る「突然」の死。  そこから彼を知る者が群衆となって詰めかけ、口々に彼について語り「突然」ロレンスの過去へと飛ぶのである。  ラクダが闊歩する蒸し暑そうな外、それを余所に室内で地図作りに励む優男。 男は退屈な仕事に飽き、欲求を抑えられずにいた。ビリヤードの玉を「突然」弾き飛ばすような、地図を見るのではなくそこを自分の脚で突き進みたい、狭い室内から無限に拡がるかのように存在する砂の海原へ飛び出したい!観客も速くロレンスが砂漠に飛び出し暴れまわる姿を今か今かと待ちわびて。  マッチの火が消えた瞬間に「突然」その待ちに待った光景に切り替わる。  夜が明ける瞬間、砂、砂、砂が風に舞い絶えず動き続ける。それを幼気な処女のごとくキラキラした瞳で見つめるロレンス。ロレンスは劇中で度々顔を曇らせ独り葛藤をエスカレートさせていく。 実在のロレンスがそうだったように、ロレンスの中の異性が徐々に穢れていく様子を淡々とフィルムに刻んでいく。処女がSEXの快感に目覚めたように好戦的な戦士になっていく様を。 どんなに無精髭が生えようが、婦人が化粧をするようにそれを剃り、ドレスをプレゼントされた少女のようにはしゃぐ。短剣をアクセサリーのように掲げ、布を掴み笑みを浮かべながら楽しそうに走り、嫌らしい手つきで肌に触れる男に見せる拒否反応。  ラクダにまたがり、夜を超え、延々と進み続けた先で井戸をくみ上げるバケツが落ち「突然」やってくる地平線の彼方の黒い点。その不気味なゆらめきが徐々に近づき空気を一変させ、不意に抜き放つ銃撃!  岩の間から「突然」現れる複葉機、戦場を飛び交う機銃掃射と爆撃、成す術もなく蟻のように蹂躙される騎兵。  力を求める漢たちと夢を見つけたい旅人の出会い。利害の一致が固い絆に変わっていく。 漆黒の民アリとの憎悪を超えた友情、アラブを駆け抜ける荒くれ者アウダ、喰えない王子ファイサル、アレンビー将軍を始めとする曲者揃いの軍人たち。  ピクニック気分の行進がやがて隊列を整え、咆哮し、駱駝も馬も大地を駆け抜ける大軍団にまで成長していく! 指揮棒は挨拶代わりにコンパスを取り上げ、眠りそうな者を叩き起こし、床を叩き客人を歓迎し、振り下ろされ騎馬の大群を雪崩れ込ませる! 駱駝の群が寝そべる静寂、太陽が照り付け、砂塵が舞う砂漠を裸足で歩み続け荷物を一つずつ捨て、吹き出す汗とこびりついた砂が語る絶望。  軍服からまっさらな衣装に身を包むことで「同胞」として受け入れられ、そしてロレンスもそれを受け入れる。 盛大な歓迎、岩をよじ登り遠くの敵陣を眺めるワクワクするような瞬間、突然の殺人と処刑、哀しき対面と銃撃。投げ捨てたものに群がる仲間に向けられる複雑な視線。  基地を制圧される瞬間を上から見下ろす視点で捉え続け、基地を奪われた無力さ・砂浜でたたずむ姿によって描かれる達成はロレンスのもの。 「女狙撃兵マリュートカ」を彷彿とさせる砂漠から本物の海原にたどり着く光景。  後半はとにかく流血が強調される。 記者が探し求める人間は線路を爆破し汽車を横転させる!砂上からの一斉射撃、斜面を駆け降りる人の群れが車両を蹂躙する。 生き残りに一撃を浴びせカメラを打ち砕く頼もしさと野蛮さ、横転した列車の上を歩き回り歓声を浴び、馬の大群が一斉に飛び出し砂漠を駆け抜ける。  破壊の跡に残された瓦礫、遺体の山、疲れ果てた一団。そこに追い打ちをかける瞬間に高揚感は消え失せ、暴力と狂気が強調される。 追撃と野戦病院の惨状、ビンタを喰らい力なく崩れ去り、別れを惜しむように車上で立ち上がってしまう姿。
[DVD(字幕)] 8点(2016-08-26 08:05:46)
4.  明日に向って撃て! 《ネタバレ》 
ファーストシーン、ガンファイト、人間ドラマ。全部揃っているのに西部劇らしくない西部劇。だが実に映画らしい映画だ。ジョージ・ロイ・ヒルは「スティング」も面白かったけど、俺はコッチの方が好きだ(女の子もこの映画の方が可愛くて魅力的だ)。   冒頭からエドウィン・S・ポーターの「大列車強盗」を彷彿とさせる列車の襲撃→駆けつけた騎馬隊から逃げ去るスタートダッシュ。 酒場でのポーカーから振り向き様のガンファイア、見ず知らずの美女を強姦するゲス野郎なのかと思いきや、実は馴染みの女性に対するちょっとした挨拶(イタズラ)だったという。「やーね脅かさないでよ」と笑って済ませてくれる仲の良さ。ちょっとした三角関係も“さわり”で終わるぐらい絆が深いともいえる。 仲良く逃避行、断崖ダイブ、強盗、銃を持った者が避けられぬ殺し合いの連鎖。  犯罪に生き急いでしまった者たちの束の間の安らぎ、叶わぬ願い、結局は元の殺し合いの世界に戻ってしまう虚しさ・・・それを独特の静寂が包み込む。その何とも言えない雰囲気を好きになってしまった。  サイレント映画の「アクション」で魅せる事にこだわった造り込みと呼吸、音のない静けさの中からいかに“音が聞こえてくる”ような映像を撮るか。  まるで古いアルバムをめくるような・・・。そういう心意気に溢れた映画だ。アメリカン・ニューシネマ特有のアクの強さは余り無いけども、抜き撃ちや幻想的とも言える映像は見応えがある。   機関砲といった武器ではなく、自転車で時代の波に追われるガンマンたちを表現するのが良い。 殺伐した世界の中で、一瞬の平和なひと時に流れる「雨にぬれても」は印象的。   サム・ペキンパーが“動”のワイルドバンチなら、この映画は“静”のワイルドバンチ。 ラストの「奴らは死んだのか生き残ったのか!?」というテンションが上がったまま終わるクライマックスも最高。
[DVD(字幕)] 10点(2015-10-21 22:55:49)(良:2票)
5.  青ひげ 《ネタバレ》 
宮殿らしき場所に集まる人々、大金持ちで豊かな髭をたくわえた「青ひげ」が熱弁を奮っている。青ひげは書類を蹴り上げたりとやりたい放題。 調理場の人々に御挨拶、運ばれていく料理(ハリボテ)たち、みんなが宴会を楽しむ中で一人静かに本を読んで過ごす新妻。  5分が経った頃、本の中から突然悪魔が飛び出してくる。地下室で見てしまったおぞましい光景、そこに先ほどの悪魔も現れる。彼女は8人目の犠牲者として連れてこられたのである。 大きくなる鍵、謎の女性の精?が現れそれに祈ると鍵は小さくなり精も消える。 彼女の寝室に現れる7人の亡霊と悪魔、悪魔を振り払う銃士の姿、亡霊たちは8つの鍵に変わり彼女を苦しめるが、そこに先ほどの精が現れ鍵と悪魔を消し去る。 露わになる青ひげの本性、凶刃が迫るその瞬間、ハリボテを突き破って現れる救いの銃士たち。 ぶっ刺されても頑丈な青髭、またも現れる精と七人の亡霊たち・・・って全員生き返っているし!御丁寧に挨拶までしてお持ち帰り。  すべてを失った青ひげは絶望のうちにくたばり、周囲の建物は取っ払われ、そこには青ひげの財産をすべて手に入れたヒロインたちの姿があった。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2015-07-30 15:41:02)
6.  悪魔の下宿人 《ネタバレ》 
今回はカラーフィルム版を鑑賞。  男がいる部屋に入ってきた老紳士、紳士は部屋にいた男に案内される。 何やら話し合い、男が出ていった瞬間、黒衣の紳士は部屋で作業していた別の男に掴み掛り窓の外へ放り投げてしまう。 梯子をなぎ倒し、鞄を開き白い布を取り出す。布をバサッと広げた瞬間、下にテーブルが出てそのまま布を支え、鞄を机の上において様々なものを出しはじめる。まるで四次元ポケットだ。  折りたたまれたハリボテは瞬時に実物に変わる。重そうな宝の箱を開け、タンス 扇子を時計に変え、ソファ、暖炉、人形、燭台を二つ、複数の絵を放り投げながら飾る。さらには先ほどの宝箱の中からピアノや大小複数の鏡、食器類、複数の椅子 とうとう人間の子供や妻といった人々まで出現させて引っ越し祝いの食事。 そこに冒頭で男を案内してくれた男が差し入れにかジュースらしきものを持って現れ、目の前に広がる光景を見て仰天する。黒衣の男たちはその様をゲラゲラと笑う。部屋中の家具が一人で動き回り、男をさらなる混乱が襲う。  黒衣の男はまた引っ越すのか、せっかく並べた家具を大慌てで例の宝箱に一つずつしまっていく。宝箱はブラックホールのように次々と荷物を吸い込んでいく。 駆け付けた警官まで担ぎ上げてピアノの中に押し込んでしまい、逃走用の梯子&最悪の“置き土産”まで残す用意周到振り。正に悪魔のような下宿人だった。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2015-07-28 17:12:04)
7.  アッシャー家の末裔 《ネタバレ》 
60分版を鑑賞。 ジャン・エプスタン(ジャン・エプスタイン)監督、ルイス・ブニュエルも参加したホラー映画。ブニュエルが同監督の助監督を務めるのは「モープラ(Mauprat)」以来。 悪夢めいたイメージが多様されながらも、エドガー・アラン・ポーの原作に忠実な展開となっている。  不気味な木々、落ち葉が敷き詰められ湿っている不安定な足場、そこを荷物を持って歩いてくる男。 男は家らしきところを見つけるとドアを開け、住人に手紙を見せて「アッシャー家」を尋ねる。   「アッシャー」の名前を聞いて男たちは驚き、窓から馬車を覗く女も微妙な表情を見せる。 湿地を駆ける馬車、一方のアッシャー家。広い居間、椅子を挟んで見つめ合う男女、男は絵の具のプレートを取ると絵を一心不乱に描きはじめる。  愛した筈の妹への愛は絵に移ってしまったらしい。絵の中の精気に満ちた彼女、現実の今にも倒れそうな彼女。  馬車の行く手を阻むように立ち込める霧、霧が晴れるシーンは後に黒澤明が「蜘蛛巣城」でオマージュを捧げていた。 室内に流れる風、ワイングラス、女の肖像画、室内でコートを厚くはおる人々。寒いならなぜ窓を閉めないのだろうか。   風で燃え盛る蝋燭の火、本棚から落ちる本、舞い散る絵や木の葉、ゴミ。 響き渡るであろうギターの音色。海、霧がかった森の映像が交互に重ねられる。この霧や海、雲のイメージは幾度も繰り返し現れる。  屋敷の不気味なオブジェたち。甲冑の鎧、古時計、地べたを歩く猫、壁に描かれた別の女の顔。   男は憑り付かれたように絵を見つめ描き続ける。女はモデルとして同じ場所に束縛され、夥しい蝋燭の熱にうなされる。女は徐々に衰弱していく。女を襲う「めまい」。   疲れ果て椅子に座り込む女、男は立ってくれと懇願するように両手の手を掴む。女の顔を見て休ませようとか、そんな考えは毛頭ないのだろう。 無理な作業を続行させられ、とうとう両の手をひろげて倒れこむ妹、そこに居合わせてしまった来客。   いつまでも眼を見開いて見つめ続ける絵の中の妹、後ずさりをして脚にあたる倒れた現実の妹。絶望に満ちた表情で抱きかかえる。殺してしまった事への罪悪感か、あるいわモデルを失ってしまったショックか。  ベッドに横たわり沈黙する者、階段を降りた先で白い棺を抱える男たち、不気味なオブジェが並ぶ地下。 ゆっくりゆっくりと階段を上っていく、医者にすがりつき死を受け入れられない様子。「まだ彼女は死んでいない!!」とでも言いたげ。いや、男は女が再び自分の目の前に現れると信じきっているらしい。終始キラキラした眼をしているのはそのためなのだろうか。神経症の影響だけではないのだろう。  白いベールの彼女、黒衣をまとう絵の中の彼女。棺から溢れ出るベール。棺の釘を打とうとするハンマーを見て飛びかかろうとする男の狂気。「私の妹を閉じ込めるきか?」とでも言いたげな。   蝋燭が高い木のようにそびえる幻、棺を運ぶ男たちの黒い影がそこをゆっくりゆっくりと進んでいく。   死者を乗せる船、ベールは森の風になびき水面になびく、収められるベール、うらめしそうに葬儀屋たちを見つめる男の顔、棺桶に釘を打ちつけるショットを何度も繰り返す。   岩場の蛙の親子?夫婦?と現れ始める白い“幻”。 打ち捨てられたギター、弾ける弦、時計の振り子や歯車、不気味に揺れ続けるカーテンと光、光、光。暗闇を彷徨いはじめる男、それを見守る男。男は彷徨いそうになる男を落ち着かせようと朗読を始める。    風と共に迫りくる「何か」、白い幻、ひとりでに開く扉、闇の向こうに落ちる雷。雷はやがて館の木も焼き尽くす。 ひとりでに動きはじめる棺、手を組んで祈るように何かを待つ表情。待っていた者が来たのか、今までに見せた事のないような無邪気な笑顔を見せる。  炎のようになびく白いベール、扉の影から徐々に現れる白い幻想。ゆっくりゆっくりと近づいてくる。風によって吹き飛ばされる本、倒される甲冑。  気がつけば巨大な火が部屋を包み込もうとしていた。目の前に現れる白い幻、屋敷を包んでいく炎。絵の中の“幻”も燃え尽きる。   原作の世にも恐ろしい凄惨な結末とは大分違うが、これはこれで脱出した二人がまた絵のモデルと書き手になる狂気の作業を繰り返すのかと思うと怖くなる。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2015-07-14 17:40:54)(良:2票)
8.  愛のむきだし 《ネタバレ》 
園子温による最高傑作だと言われる作品。または最も平和でエロもほとんどない「気球クラブ、その後」、あるいわヤりたい放題やった「冷たい熱帯魚」か。 性欲をむきだしにしたという意味では「冷たい熱帯魚」は風呂場で乳繰り合いとかぶっ飛ばしていた。 それに比べると、この映画がむきだす“愛”とは言葉を叫んで叫んで叫びまくるというもの。 屹立する男の勲章も、女の蕾も布で徹底的に隠されている。乳首すら映らない。パンツ見ただけで勃起する人間なんてこの時代、滅多にいないだろう。主人公だって中々ビルドアップしなかった事だし。  前半1時間46分は3人の男女が出会うまで、後半2時間11分は出会った3人が破滅していく様を描いていく。  まず「ユウ」の章。 ユウの青春は祈る毎日だった。マリア像の前で祈る母、食前の、死にゆく者への祈り。 マリア像に見る母の面影、父親を狂わせる女への嫌悪。10分を過ぎた辺りからこの映画は、ユウたちは狂いはじめる。父親は愛する女性を失う恐怖から逃れるために仕事に打ち込む。打ち込みすぎて少年は罪探しから罪作りな子供になっていく。父親に愛して欲しかったから。 同級生の消しゴムを引きちぎり、ボールをあらぬ方向に蹴飛ばし、蟻を踏み潰し、不良たちと自販機をブッ倒して破壊したり。いつしか父親の愛は遠のき、不良たちが本物の友達になっていた。 神父の洗礼、不良たちの洗礼。戦闘訓練、喧嘩。父を狂わせたあの女と同じような言葉を吐くようになってしまう。  ここまでの39分は大いに“真面目”だった。だがこれ以降はシリアスな笑いに嬲られるような展開が待ち受ける。  「すべて股間につまっている」という無駄に洗練された無駄のない無駄な動き。すげえ(馬鹿だ)!  これでハードな殺し屋家業を歩むとか、そういうのなら解るんだけどさ。運命の出会いとか、今まで犯してきた大罪を暴かれて絶望に暮れるシーンとかさ。 でも全部コレ盗撮だからっ!どうあがいてもっ!どんな音楽流そうと!どうしてこうなった。 「四十二番街」を思わせる脚のアーチ!この映画は最高に頭がおかしいぞ(褒め言葉)。  奇跡へのカウントダウン、集まる男たちと女たち、運命の“罰ゲーム”! 女番長(池玲子)とサソリ(梶芽衣子)が合体した黒衣の存在、それと対照的な白いカラーで固めた女たち。 戦いに生きるサソリという仮面、エロに生きるユウという真実。奴らが彼女に白い布を被せたのは意味図的か無意識か。観客のたまった鬱憤を爆発させるような殴り合い、ステゴロ、長い得物でブチのめす。段ボールの山はヤクザのダメージを吸収するため。  やっと「コイケ」の章が語られる。ここから親の愛に飢えた子どもたちの話になってくる。どいつもこいつもろくでもない親ばかり。 家庭内暴力、殺すことよりも恐ろしい“へし折り”。鳥公の仇だ!こんなん見て勃つどころかますます萎縮するわっ。こんな女のアレを見せられてもだから何だよと。そもそもあれだけ見せられたら誰だって飽きるわ。  続く「ヨーコ」の章。 彼女が見る飛び交う弾丸は、ユウのハートを撃ち抜いてしまったようだ。トラックには中指で返事、ノートには男たちへの呪詛、路上の男たちには八つ当たり。 恋は盲目・難聴のようでサソリの“声”も聞き分けられないほどらしい。 ヨーコが慕う女性の正体にもビックリ。愛の暴走が車を海の中にブチ落とす。この暴走はユウにも伝染してしまったらしい。  残る「サソリ」の章はでっちあげられた偶像をめぐって男女たちの争いが繰り広げられる。 偽りの家族、偽りのヒーロー、本音をむきだせない葛藤。そこに割り込む悪魔、NTR、倒される十字架、崩壊する人生。悲しい音楽でごまかそうとしてもダメだ。俺の腹筋は逝っちまった。  すべてを失った者を包み込む不良たちの優しさ、洗脳を解くための根競べ、拉致、精神的な“去勢”。監視が緩くなるまで耐えて耐えて耐えまくり本音をビルの中でぶちまけるクライマックス!すべてはもう一度家族に愛されたかったから。 像が砕かれる瞬間に膨張する狂気、叫び叫び叫ぶ。直接斬ったのは数人だけだが、精神的にブッた斬られた人間はかなりいるだろう・・・という解釈が出来た方には最高のエンターテインメントなんだと思う。でもこれだけ時間かけてあれだけしか殺らないなんて物足りないにもほどがあるわ。別の映画みたいに無双できないというのがユウという人間の限界だったのだろう。何百人も盗撮するのとワケが違うからね。  ところでコイツは何で死刑にならねえんだ?精神障害で精神病院送り程度になるわけ?おお恐ろしい世の中だ。 胸元にしまわれるナイフ、叫び、鏡に映る屹立する男の勲章、走り去る愛のごりおし野郎、手・・・。  何 だ コ レ
[DVD(邦画)] 8点(2015-06-18 12:11:14)
9.  或る夜の出来事 《ネタバレ》 
スクリュー・ボール・コメディの皮を被った素敵な恋愛映画。 後の「ローマの休日」を思わせる場面の数々。 冒頭から監禁状態の領域から逃げ出すヒロイン、ジャーナリストとの出会い、喧嘩を通して徐々に接近する二人、しかし運命は・・・という流れ。 決定的な違いは身分の“壁”の有無・ラストシーンにおけるヒロインの疾走!キートンの「恋愛三代記」もマイク・ニコルズの「卒業」もビックリなクライマックスだろうねー。  海を思わせる“水”のイメージのオープニング、船、会話をする船員たち、父親と口論を交える令嬢。初っ端から言葉で殴り合うような面白さ。男も女も互いに振り回し合う。 令嬢がプッツンして机をひっくり返せば父親がビンタし、その次は令嬢がドアをブチ開け船の上から脱走!父親は船を出して追おうとするがまんまと逃げられてしまう。どんだけ速いスピードで泳いだんだよ・・・w 一方、町の公衆電話では受話器の向うの仕事場の上司と揉めるジャーナリスト。そのジャーナリストが邪魔な新聞紙を窓から投げ捨てるし、そんでドライバーと喋っている内に冒頭の女性が新聞をどけた場所に座っちゃう。ここまでまだ7分も経っていないんだから驚き。  綺麗な脚を使った粋なヒッチハイクにも爆笑。  バスの中では座席を隔てて、ホテルでは一枚のカーテンが隔てるだけ。  愛していた筈の男との接吻はどこか迷いを見せる。式場での思わぬ再会、好きだからこそ別の男に“譲ってしまう”男心、車、カーテンと灯りの落ちた家が静かに物語る結末・・・。  この後にロードムービー・恋愛・コメディの要素を持った作品は「サリヴァンの旅」といった作品が撮られる。後続の名作たちと見比べるのもとっても楽しい映画です。
[DVD(字幕)] 9点(2015-06-18 10:39:25)(良:1票)
10.  悪魔のいけにえ 《ネタバレ》 
この傑作はどのジャンルに当て嵌まるのだろうか。基本はホラー映画だけど、殺人鬼に襲われる犯罪映画でもあるし、ところどころシュールな破壊力を味わえるギャグ映画でもあるし。  いずれにせよありきたりの材料をあそこまで上手く利用して1本の映画に仕上げる・・・その恐ろしい手腕が光る映画だ。  本編の内容も凄いぜ。 行って→襲われ→叫んで→逃げて→叫んで→逃げる。  大量の流血も、余計なスプラッタも一切無い。  あるのは血にまみれたチェーンソーの唸りと、無機質な扉の中に消えていく「いけにえ」たちの叫びだけ。  それが「テキサス・チェーンソー」という映画であり、実際に起きた猟奇殺人事件を下敷きにしているそうだ。 冒頭の不気味な“オブジェ”もまた、実際の猟奇事件の一部を“再現”したものらしい。  それだけに現実味もあるが、話が余りにぶっ飛んでいるのでそれも忘れてしまいそう。  不用意に近づいた者をあっと言う間に捕縛し、処刑台に連れ去りドアを閉じる。金切り声を挙げる悲痛な叫びを聴く者は誰もいない。今まで感じた退屈な空気を一気に吹き払う衝撃。 芸術的とも言えるこのシーンだが、その後のかなり突飛な展開や全力疾走で叫び続けるヒロインを見た後では、腹筋崩壊を禁じえない人も多い筈。もはやギャグ映画の領域。  それだけ俺が恐怖に慄いたからなのか、逆にギャグとして楽しむ方向に心境が変化してしまったのか。  俺がおかしいのか、世の中がおかしいのか。そんな事すら考え出してしまいそうになる。 ラストシーンのアレを見たのなら・・・もはや何も言うまい。  トラックの運転手とのやり取りで笑うなという方が無理だ。
[DVD(字幕)] 9点(2015-06-12 11:16:21)
11.  歩いても 歩いても 《ネタバレ》 
「誰も知らない」と比べると、その穏やかすぎる雰囲気に驚く。YOUも毒が抜けて浄化されてしまった感じ。毒のない人物ばかりでちょっと退屈だった。 「花よりもなほ」も最後の“笑顔”を見るまで我慢するような映画だったが、この映画もあの海辺のシーンを見るまで我慢するような感じ。 夏場に田舎の祖父のところまで行く過程、過ごす雰囲気とかは好きなんだけどさ。 小津安二郎の映画にも通じる雰囲気。その雰囲気に共感を覚える者は多いのだろうが、俺はあまり共感できなかった。 のぼったり、おりたり、とにかくゆっくりと歩く映画だ。電車、バス、階段。  荷物を持ってもらう事よりも、父親を名前で呼ぶことをお願いする母。 でも「どっちか持とうよー(怒)」  歯磨きの場面は「誰も知らない」といい、是枝裕和の作品で幾度も挿入されてきた。 野菜を切る音、てんぷら、風呂場の割れたタイル。  子供たちの会話、夏休み、食事。割ったスイカは見えない。じいさんを動かすのは“音”。 写真に作文。ぼやける絵、遠目の写真。当の本人とって、自分の思い出はそれほどぼやけてしまっているという事なのだろうか。  窓ガラスに映る顔、遺影、ドアから出て遊ぶ子供たち、孤独でいたい爺さん、祖母の声をさえぎる子供の声、手で孫を誘う祖父、祖父を睨む父親(息子)。 家族の甘さに対する苛立ち、本業なのに相手にしてもらえなかった苛立ち。取り残されていく苛立ちと哀しさ。 それに対し妻は「ブルーライトヨコハマ」を懐かしみ、蝶を追って呑気ささえ感じさせる。   成長した息子と卒塔婆の数。大体それだけで事情は察する。ナレーションはいらない。 寂しいエンディング、そして天国でも暗示するかのような階段。 バスが去り、静かに坂を上り始める夫婦。  初めてハッキリ映る“絵”、意識する幼い頃の記憶の断片。  蝶、船、影、終盤やっと出てくる海・・・。
[DVD(邦画)] 8点(2015-06-08 20:17:51)
12.  荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻 《ネタバレ》 
あんなにも疲労感を味わう決闘場面は中々御目にかかれない。 あの疲労感は伊藤大輔の「下郎の首」や小林正樹の「切腹」とは違う。 前者がストーリー面における疲労感だとすると、この映画は戦闘描写を徹底的に“みじめたらしく”見応えのあるものにしている。  冒頭に描かれるド派手な仇討劇場の“虚像”。あまりに白すぎるメイクと勇ましすぎる男たち、バッタバッタと何十人も斬り、二刀流、槍・・・その後に語られる“忠実な”記録。  まるで黒澤の「羅生門」における多襄丸の件を思い出す。多襄丸も役人の前では戦闘経験豊富な強者を“装って”いた。  この映画は現在の伊賀は上野を映し、舞台は寛永十一年に遡る。 決闘までの1時間をリアルタイムに描く。薄暗い空、旅の休みに茶屋に入る精悍な表情の武士たち。落ち着いた演技の三船。 桶からこぼれた水が、さらに過去の血痕に繋がる。語られるそれぞれの過去。桜を見ながらの三船と志村の会話の雰囲気。弓を引くだけで撃つ場面は映されない。それは決闘間近で三船が銭を数える時も手が映されなかった。 戦いが曝け出されるのは、クライマックスを待たなければならない。 リアルタイム進行は確かに緊張感があるが、それまで何も起らないと解ると恐ろしく退屈なものになる。同様の理由で「真昼の決闘」も俺はダメなのだ。 観客「待つのは辛いのう」  だが、この映画はそのラスト20分で今までの緊張が弾ける様子に圧倒される。着飾った男たちの“化けの皮”が剥がれていく瞬間のな。  左ト全の舞が面白い。この卜全と三船が「七人の侍」の二人とは思えない(良い意味で)。  上着を亭主に投げ渡して死の覚悟を伝え、決闘の準備を進める。  橋の上で見張る男の回想・掲げられる“槍”を黙って見送る。水の中の小石、森の中の木。 ロングショットで偵察、ハッキリ一人一人映される敵の姿、地図。 伝えに行こうとするが、恐怖と脚が動揺してなかなか前に行けない。それを勇気を奮って“歌”によって敵の接近を伝える。  ラスト20分の緊張、手ぬぐいで隠される防具、物見に出される箒を持った亭主、寒さ、敵の動静を見守る。 「七人の侍」は人を斬るのに慣れたプロフェッショナル同士の戦闘(百姓ですら落ち武者狩りで殺人を経験済み)だったが、この映画は人を初めて斬る人間が味わう恐怖がたっぷり描かれている。 怖がって逃げる人々、震える手で鞘から刀を抜く人々、睨みにビクッとして手を覆って引っ込む者、騒ぎで集まる群衆、血の匂いで吐き気を起こす者、初めての殺人で震える者、殺してしまった後に来る後悔の震え、痛みで狂ったように叫ぶ者、一瞬の光り、折れる刀。  この映画の真逆・・・即ち従来の荒木又右衛門が池田富保による「伊賀の水月」なのだ。竹をしならせて崖下に飛び降りるとか、この映画を見た後だと色んな意味でビックリすると思います。  黒澤はこの作品の後に「七人の侍」でより戦闘描写を追及していく。 三船敏郎、志村喬、加東大介、千秋実、左ト全、高堂國典、堺佐千夫、小川虎之助といった面々が共通している。
[ビデオ(邦画)] 8点(2015-06-04 20:54:40)
13.  ある戦慄 《ネタバレ》 
アメリカ社会の縮図を電車の中に詰め込んだサスペンス。こんな変な電車ジャック見たことねえよ。  ファーストシーンの長回しが面白い。DQNの男二人が路上で犯罪を犯す場面。 そしてオープニングの電車。  電車に乗り込む人々はそれぞれに虚栄を身にまとった男女ばかり。 家族、夫婦、バカップル、若者を嘆く老人、独身サラリーマン、軍人、黒人差別・・・アメリカ社会の光と闇が1本のレールに集う。  そこに乗り込んでくる冒頭のDQNコンビ。電車の中でDQNコンビはやりたい放題だ。  ただ、この二人は掴みかかりはするが直接的な暴力はほとんどしていない。代わりに「言葉の暴力」で電車に乗り込んだ虚栄たちを挑発し、引き剥がしていく。 現代社会にもありふれた生々しい人間模様。密室、力による抑圧が人々の本心を暴き立てる。 「俺たちが何した?言葉の暴力だけで手はまだ出してないぜ?」ホームレス?のオッサンへの放火未遂はあるがな。  二人のDQNコンビの目的はよく解らないが、とにかく「楽しめれば」何でもよいのだろう。罵られる彼らが黙って耐える姿を嘲るだけでいいし、耐えかねて“殺すか殺されに来る”ことも期待している。まるで子供にように幼い、純粋な発想。だがシンプルが故に人の心をえぐりやすい。 我々観客はナイフを突き立てられる乗客と一緒に恐怖に怯え、怒りを覚える。あるいわ、DQNの立場にたって人々を嘲笑う快楽に浸るか。貴方はどっちでしたか?  次々と化けの皮が剥がれていく人々だが、俺が唯一感動したのが黒人夫婦の時だ。 「誰が傷つけられようが知らんね」とほざいていたオッサンが、妻のために握り拳を抑える場面。腐っても夫婦だねー。悔しくて泣きじゃくるオッサンの顔がたまらん。  それを嘲笑うのではなく、黙り込んだDQNコンビには驚いた。嘲る・・・というよりは本音が聞きたかっただけなのか。それは解らない。  終点に向う間に行われる“決闘”。若き軍人は「先に手を出したら負けだ」と解っていた。いや脳味噌は解っていても、肉体と魂はDQNどもをブチのめしたくてしょうがない。怪我をした友人を侮辱されたから?違うね、本当にそう思うなら侮辱された時点で彼はDQNたちに殴りかかっていた筈だ。ナイフなど恐れずに。死ぬのが怖かったのか。逆に殺してしまうのではないかという恐れからか。とにかく、二人の男は覚悟を決める。向かい合い、ナイフをバチッと出す瞬間に奔る“ある戦慄”・・・。 電車から解放された人々の表情が何とも言えない幕引きだった。
[DVD(字幕)] 9点(2015-04-28 19:19:27)
14.  暗黒街の顔役(1932) 《ネタバレ》 
ハワード・ホークス最高傑作の一つ。一体このハワード・ホークスという男は何処まで人を楽しませてくれるのだろう。 純粋な娯楽の中に現代にも通じるテーマをねじ込むその心意気。劇中で粉々になる夥しい窓ガラスの雨。 この一枚一枚が現代社会の「ルール」なのかも知れない。それを破壊していったある男の生き様を描く! 女性陣のメイクはサイレント時代の名残か少々濃いが、この妖艶なアイシャドウは暗黒街を照ら“瞳”となり、は本作を彩る最高の華となる。 無駄な音楽と血の描写を徹底的に廃したこだわり。 “滅びの美学”を血の雨で語らないのがこの時代の映画だ。 冒頭の“暗殺”までの張り詰めた5分間、“星”で火をつけるマフィアと警察の対立、抗争の裏で回転する“コイン”の一時の安息・・・最初25分の丁寧な展開はまったく飽きない。 だが「早く何か起こらないかな」と否応なしにワクワクしてしまうのも確かだ。 溢れかえるビールは女の初潮か、流される血の噴水を現すのか・・・。嵐の前の静かな25分間。そして次々と銃声が飛び交う凄まじい抗争の幕開けだ。 マシンガンのようにめくれるカレンダー、凄まじい銃撃戦、ぐしゃぐしゃになる車、疑心暗鬼、騙し合いと殺し合い・・・たった1時間30分の中でこれほどの密度、これほどの余裕。 終始撃ちまくっている映画なのだが、その合間合間で光る人間ドラマの魅力もこの映画を更に盛り上げてくれる。 組織社会での成り上がり、コインのような日常と犯罪の表裏一体の生活、生と死、光と闇。 際限の無い復讐戦は何も産まない。 あるのは果てしない「暴力の愚かさ」がこの映画の根底には存在している。 権力、裏切り、妹にまで欲情する色欲・・・あらゆる欲望に染まっていったトニー。 「THE WORLD IS ROURS!」 「世界は俺の物だ!全ては俺の物だ!!!」 ラスト6分の最後の銃撃まで息を抜けない、ギャング映画の傑作。
[DVD(字幕)] 10点(2015-04-27 20:31:14)(良:1票)
15.  アンタッチャブル 《ネタバレ》 
ハワード・ホークスの「暗黒街の顔役(SCAR FACE)」の復活を予感させたパルマの傑作。同時にショーン・コネリーにとっても「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」や「王になろうとした男」に並ぶ最高傑作! 豪華なキャスト、オープニングから血が騒ぐエンニオ・モリコーネの神BGM、うごめく影と「The Untouchables(触れられざる者)」の文字。 アル・カポネがふんぞり返り髭剃りをするシーンから映画は始まる。記者の質問に対して「暴力はいけない」などとほざき、裏で部下に“見せしめ”として酒場に置き土産させて吹き飛ばすような男だ。 禁酒法時代、法権力を弄び警察すらギャングに手を出さずグルになる奴まで出て腐敗しきっていた時代。 そんな時代にある男たちが立ち上がり、巨悪へと挑む。エリオット・ネスの孤独な奮闘と空回り、それに応えるジム・マローンの男気と頭脳、凄腕の新人ジョージ・ストーン、殺る時は殺る簿記係のオスカー・ウォーレスも加わり4人、いや騎兵隊さながらのレンジャーたちの協力などもあり徐々にアル・カポネに迫る。彼等を突き動かすのはカポネに殺された少女の、酒場の、人々の声なき哀しみ、そして怒り。 そんな警察とギャングの死闘の巻き添えを喰らって死ぬ市民はもっと不幸です。 「戦艦ポチョムキン」をオマージュした駅での銃撃戦は正にそんな場面。 ネスとマローンが橋の上で出会うシーンからしてカッコ良い。素早く警棒をポケットに突きつけ腕を押さえるシーン。もしマローンがギャングの仲間だったら、ネスは懐に手を入れた瞬間に殺されていた。 「新鮮なリンゴ」を収穫する仲間集め、罵り合いの面接、マローンの殴り込み、西部劇を思わせる橋の上でのガンファイトと“死体蹴り”尋問、法廷と建物内における最終闘争・・・マッチで気付く仇、ネスが文字通り“落とし前”を付けるシーンはスッとする。その直前まで指で迷い、眼が泳ぎ葛藤を表す。撃鉄を戻す瞬間に伝わる悔しさ、殺し屋がネスに殺意を戻させる“一言”。裁判長が折れ弁護士すら裏切る瞬間は何度見ても最高。 警察側に暗殺者が迫る瞬間の戦慄。カポネからマローンへの“鎮魂歌(レクイエム)”。 駅での死闘は誰も母親を助けない、助けに入ったネスが犯人に気を取られ危うく赤子を殺しかける緊張。 ネスとカポネが正面から罵りあう姿は何処か憎めない。だってデ・ニーロのブチ切れ振りが凄いんだもん。
[DVD(字幕)] 9点(2015-04-26 06:58:59)(良:1票)
16.  赤い風船 《ネタバレ》 
アルベール・ラモリスによる最高に可愛らしいファンタジー映画。 セリフがほとんどないのにこんなに面白い映画を撮れる。無粋なセリフはいらないのだ。冒頭に出て来た犬のように、少年の目の前に現れる風船はペットのように、人間のように感情豊かな姿を見せる。 ガス灯から風船を“救い出す”シークエンスから始まり、風船は意思があるように自ら浮いたり降りたりする。 乗船拒否されれば、勝手に少年を追うだけだ。 濡れたレンガの路地の上を飛んでいく風船、 尻尾のようになびく紐、 白と赤のコントラスト、 傘から傘へ移って行く少年。 赤い風船は青い風船に惚れ、青い風船も赤い風船に反応する。これが伏線になろうとは・・・。  他の子供達は、赤い風船と少年に“嫉妬”して彼らを追い回す。 階段や路地における追走劇のスリル! 通りすがりの婆さんのオフェンス。 ちょっとしたファンタジーとか短編とか子供向けの映画とナメてかかっていたらコレだ! まさかここまで面白いとは思わなんだ。  子供達は赤い風船を“さらう”。男の子たちに混じって女の子がいない事も不思議だった。まるで一人の女を取り合うように。 綱引きや柵のやり取り、訪れる“死”。 少年の悲しみが起こす風船、風船、風船の奇跡。 空の向こうに消えていく美しいシーンだが、本当に死んだのは果たして・・・。 この映画の後に「白い馬」を見るのが最高なんです。
[DVD(字幕)] 9点(2015-04-26 06:38:12)(良:1票)
17.  アパートの鍵貸します 《ネタバレ》 
本作は「深夜の告白」と共にビリー・ワイルダーが苦手という人にもオススメな最高傑作の一つ。 窓の明りで始まる物語、保険会社に務めるさえない平社員のバド(バクスター)は回想形式で自己紹介を済ませると、毎晩“ラブホテル”と化した窓の明りが消えるまで会社で暇を潰したり家の外で待たなければならない様子を観客に見せる。 嫌な上司と鉢合わせするよりもレジスタとにらめっこしていた方がまだマシ、社員がバカなら他人の家で情事にふけるクソ上司。オマケに隣の医者に変な勘違いまでされる始末。残った酒で孤独な自分に乾杯。それを雨に濡れた冷たそうな舗道で孤独に耐えながら待ったり、キング・ヴィダーの「群衆」を思い出すオフィスと天井が拡がる空間で黙々と仕事をする姿が余計に寂しさを感じさせる。 ワイルダーの映画が面白いのは、こういう会話だけでなく細部まで造り込まれた空間が我々の眼を楽しませてくれるからであろう。 バドは不幸続きで何かと苦労を重ね、お人好しの面があり何時の間にかホテル代わりに自分の住むアパートの鍵を貸し放題。家に帰れば何時も「宿泊人」の後始末。友達への助け舟が何時の間にか上司(情事)の密会場だもんなあ。 そんなバドにも好意を寄せる女性。その彼女もまた秘密を隠している。 バドもまた生来のポジティブで前向きな性格で何時までもクヨクヨしない、殴られても殴り返さない、しかし汚名は全部返上する男に成長・・・いや戻ったのかもな。 紆余曲折を経て二人の男女の距離は縮まる。縮まったりまた離れたり。そして束の間のトランプ、ラケットで茹でたパスタをキョトンとしながらも美味しそうに食べる彼女の笑顔。 職は失ってもかけがえのない隣人を得たバド、成功は収めても大切な隣人を次々と失っていくシェルドレイクの対比。悲惨な奴だ。あ、トイレの鍵はゲットしたか。 どんなに良い仕事でも、惚れた女には敵わない。シェルドレイクの仕事を蹴りイキイキと去っていくバドの姿は何度見ても良い。 「彼女を待たせているんだ」の場面で終わっても良かったが、その後に素敵な“奇跡”を用意するワイルダーの二段構え、お見事。愛のないキスに表情は変わらず、愛のこもったトランプで微笑む彼女。 勘違いとはいえ、二人とも気付いた瞬間に全力疾走で相手の元に駆け寄るお似合い振り。 ラストなんかキャプラの「或る夜の出来事」を思い出した。
[DVD(字幕)] 9点(2015-04-24 09:33:27)(良:1票)
18.  悪魔のような女(1955) 《ネタバレ》 
「恐怖の報酬」「情婦マノン」と傑作が多いクルーゾーだが、中でも強烈な“どんでん返し”を味わえるのが今作「悪魔のような女」。俺はこの作品が一番好き。  澱んだ水面が拡がるプールの不気味さ。  男を男の愛人とその妻が共謀して殺してしまうのだから恐ろしい。 「恐怖の報酬」が一種ホモセクシャルな部分があるとすれば、本作はレズビアンの匂いがしてくる。どちらも願い下げだ。 しかし「恐怖の報酬」は野郎共の競争と友情という物語で、ホモの匂いなんて微塵も感じなかった。淀川長治さんに言わせれば「太陽がいっぱい」もホモ的な何かがあるらしい。 俺は願い下げだ。  一方、「悪魔のような女」は男の暴力で妻は心が離れ、皮肉にも男の愛人と心が通う。 本来憎み合う筈の女二人がだ。  さて、そんなウフフン状態の二人だが待ち受ける結末が何とも・・・ネタバレと書いたが、ネタバレするのが嫌になる、忘れてしまいたくなるような怖すぎるラスト。  ヒッチコックはクルーゾーのこの作品に嫉妬したらしく、ホラー映画「シェラ・デ・コブレの幽霊」を手掛けたジョセフ・ステファノの協力を得て「サイコ」を撮ったらしい。  ヒッチコックの一瞬背筋が寒くなる巧みさ、そしてクルーゾーのねっとりとした恐怖を徐々に肌に塗られていくような戦慄。 見比べて見るのも面白い。  シャロン・ストーンには悪いが、ジェレマイア・チェチェックの「悪魔のような女」もポール・バーホーベンの「氷の微笑」も、クルーゾー映画の怖い女性たちを知ってしまうと霞んで見えてしまう。
[DVD(字幕)] 9点(2015-04-22 09:32:23)(良:1票)
19.  アメリカン・スナイパー 《ネタバレ》 
この作品にはあらゆる“一瞬”が積み重ねられていく。 TVに映る同時多発テロの様子、戦争で腕を失った少女、義足の青年、棺に刻まれた気休めの勲章。 その一瞬だけ映る筈だったものが、戦友たちにとって一生消えない傷として刻まれていく。隣で体を失った仲間が楽しげに喋っている痛々しさ。五体満足でいる自分が申し訳なく思ってしまう辛さ。 それに幾度も響くドリルの音。日常では工具のドリルが、戦場では風穴を開けて人を殺す武器に使われる。ドリルの音を聞く度にそれを思い出さなきゃならない。 そういった拭いきれない傷跡が幾重にも心に刻まれ、戦場から帰った後もクリスの心を蝕む。 狩りや射的、訓練とは違う。疑わしきは女子供だろうが殺らなきゃ殺られるのだから。 でもそれ以上にゾッとしたものがある。 いつ死ぬか解らないのに、肝心のアメリカは兵士を何度も日常と戦場を行き来させる遠征という名のピクニック気分。兵士にしてもいつ敵に出くわすか解らない戦場で家族に電話をかけるような腑抜けっぷり。アメリカの怠慢がここに描かれ...ってそれをクリスあんたがやんのかよっ! 気持ちは解るよ。でもまさか二度も嫁に電話かけるとは思わねえよ。しかも二度目は戦闘中にだぜ?爆音や悲鳴を生で聞かされる嫁の気持ちにもなってみろよこの野郎。 軍服の前と後ろにドクロのマーク付けた男がそんな事してんだもん。こりゃ敵もクリスの事を悪魔呼ばわりしたくもなるわ。 夕飯振舞ってくれた人たちが床下にとんでもないものを隠していたり、 黒頭巾の狙撃手との撃ち合い(携帯を使って無言で黒頭巾の男に情報を入れる黒服の女性もイカす)、 死んだ男から子供が武器を拝借して撃とうとするのを見て「頼むからやめてくれっ!」と言ってクリスが吐きそうになるシーンよりも戦慄したよ。 それでも狙撃者同士の戦いはやっぱ燃えますよ。見えざる敵をどちらが先に見つけるか、ソイツを“見つけた”瞬間の緊張と高揚!大将首ぶん奪っても終わらない壮絶な銃撃戦、砂埃で視界が利かない中での死闘。 クリスは戦場から帰っても、消えない心の傷が元でいつ犯罪を起こしてしまうか、その矛先を家族に向けてしまうのではないのかという恐怖にも苛まれる。 そんなクリスが子供たちと西部劇ごっこという命を奪う真似事で遊んでいる姿は微笑ましくもあるし、とても悲しい姿に見えた。クリスは死ぬまで銃を片手に過ごしていたのだろうか。
[映画館(字幕)] 9点(2015-02-26 14:17:15)(良:1票)
20.  アマデウス ディレクターズカット 《ネタバレ》 
前見た時は退屈だったけど、今回は「未完成交響曲」を見てこの作品を思い出し再見。こんな良い映画だったのか・・・フォアマンに謝りたい。 ミロシュ・フォアマンと言えばチェコ時代に「ブロンドの恋」や「火事だよ!カワイ子ちゃん」といった傑作コメディを撮った事でも知られている。 アメリカ時代なら「ラグ・タイム」の方が好きだけど、この作品もとても素晴らしい映画だった。 とにかくファースト・シーンが強烈かつ完璧。 冒頭からいきなり血まみれになった場面から始まり「『カッコーの巣の上』よりも危険な映画なのか?」という警戒はそこまででOK。 オープニングが終わり、老いた音楽家がある男と自分自身の顛末を語り始めればもう安心だ。二人の人間を中心に繰り広げられる音楽と人の心の狂気をたっぷりと見せてくれるのだから。 天才ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの波乱に満ちた生涯を、努力の音楽家アントニオ・サリエリの視点を通して描く。 元々はブロードウェイ用の劇だったが、舞台をウィーン(撮影場所はプラハ)に写したことで映画さながらの奥行を感じられる。 才能に溢れた奇人として描かれるモーツァルトは、後世に残した「凄まじい」曲の内容を知っていればあまり違和感は無いだろう(「俺の尻を舐めろ」とか)。 音楽の神様、神童として異常に持ち上げられた表の面の裏には、ただ純粋に音楽を追い求めた子供のようにはしゃぐモーツァルトがいたのかも知れない。 色恋沙汰、酒をガブ呑み、即興演奏と遊び放題。音楽が奏でる喜怒哀楽の感情を豊かに堪能させてくれる。その自由な生き方、外に飛び出していくパワーが逆にモーツァルトの想像力を豊かにしたとも言える。 その対極の位置にあるのがサリエリ。 ヴォルフィ(モーツァルトの奥さんが彼を呼ぶ時の愛称)の無垢な純心に知らず知らず傷ついていくサリエリ。 努力によって困難な壁を登ってきた彼にとっては、才能だけで宙を飛ぶように上に行くヴォルフィが許せなかった。 神への信仰を捨て、うら若き乙女を諜報に使わせ、あわよくば宿敵を陥れてやろうと心が歪んでいく。 そんな彼の心を、モーツァルトの曲が度々洗い流してサリエリは良心の呵責に悩み続けた。 最期まで罠に落とそうとするサリエリ、ひたすら音楽に没頭したモーツァルト。 まったく違う性質の人間同士だったからこそ、互いを理解するのに時間がかかりすぎてしまったのだろう。
[DVD(字幕)] 8点(2015-02-24 23:02:30)
000.00%
100.00%
200.00%
300.00%
400.00%
500.00%
600.00%
700.00%
829828.46%
971868.58%
10312.96%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS