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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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101.  愛という名の疑惑 《ネタバレ》 
偏執狂っていう存在のおかげで、スリラー映画はずいぶん面倒くさい計画を立てる犯人を創造することが出来るようになった。ありがたいことだ。こんな面倒なこと普通しないよ、と言われたら、そこが偏執狂なんです、と答えられる。ただ後味がちょっと悪い。男は恋する女に潜在的にそうとうな不安を持ってるんでしょうな。逆も言えるか。だからこの手の映画は何度でも作られる。映画としては、小僧が電話で連絡してるときに、後ろの倉庫の大型エレベーターが下りてくるあたり。灯台のらせん階段、女性の落下、ってことになると、映画史の導きによって舞台は当然サンフランシスコになるわな。
[映画館(字幕)] 6点(2012-03-13 10:13:11)
102.  悪人 《ネタバレ》 
『告白』もそうだったけど、最近「へらへら生きる者」と「本気の者」の対比の映画が多いな。「本気」に生きる難しさ、って言うか(この二作に岡田将生はどちらにもトホホな役で出演していて偉い)。デートの後で金を渡され傷ついた深津絵里が車で送られたとき、「本気やったと、ダサかやろ」と呟く。「呟き」だけれどほとんど「叫び」であり、つい観ながら「そんなことない、そんなことない」と呼びかけてしまう。そのあと妻夫木君も洋服店を訪れ「本気やった」と告げる。「そうそう、それでいい」とこちらもうなずく。岡田将生一人がへらへら役を任されててちょっと気の毒なんだけど(あと松尾スズキの催眠商法男も、社会にタカを括っている点でへらへらに分類されるか)、彼に関する柄本明の「大切な人はおるか」のモノローグが流れ、それぞれの大切な人が描かれていくあたりはキュンとした。言ってみれば道徳演説で普段なら抵抗を感じるところだが、前に「ダサかやろ」で深津絵里に釘を刺されているので、ダサく感じることを許されない。全体、いろいろ引っかかりかけるところで、あのおずおずとした「ダサかやろ」が蘇ってきて、観ててへらへら小馬鹿に出来ないのだ。ずるい。映画としていいなと思ったとこは、妻夫木君が食事中に母親から警察が来たことを知らされるあたりの演出。ビクッとしたりオドオドしたりがなく、黙々と食ってていきなり吐くのがいい。あと深津絵里の店員としての客への応対。日常の倦怠感をことさら出さず、熟練さを見せて長くこの仕事をやってきた心の裏を感じさせる。この事件に外側から巻き込まれていく深津と柄本の仕事場に、どちらも鏡という世界を裏返しに見返す装置があるのは偶然か。
[DVD(邦画)] 6点(2011-12-14 10:26:29)(良:1票)
103.  赤い航路
私がそういうことに詳しいんじゃなくて河野多恵子の小説から得た知識で言うんですが、SMってのはぶったりぶたれたりの肉体的嗜虐被虐だけじゃなくて、どこか演じる要素が入ってくるんだそうですな。騙し合いつつ、その底で共演している悦びを得る。ここまで裏切り合えるんだ、という信頼が一本強く張りつめていく。屈折と言えば屈折だけど、愛の本質を突いている気もする。ついに旦那が不能になって完成する性愛、ってのも屈折の極致。この女優さん、うまいんだか下手なんだか、美人なんだかブスなんだか分からなくなるんだけど、なんか「そういう世界っぽさ」は感じられた。愛の倦怠を怖れるの、拡大再生産していかないと不安になる、そしてもう愛だか憎しみだか分からないところまで、社会や友人たちへの憧れを残しつつ二人だけで閉じていく。こういう話の舞台となるともうパリだ。さらにタイ料理・アジア行きの船・インド人、と非キリスト教的装置で飾り付けると、キリスト教徒は安心して乱れることが出来る。でもこの監督、こういうドロリとしたのはあんまり得意でないのではないか。空気がも一つ淀まない。
[映画館(字幕)] 6点(2011-12-04 09:43:25)
104.  IP5/愛を探す旅人たち
ちょっと離れたとこからだと好意的な感想をいくらでも書けそうなんだけど、もひとつ心の中心点に刺さってくれない。手応えが茫漠と広がってて、つまり物足りない。小人の人形なんか、もう一回出てくるのかと思ったが、おとぎ話への導入の役割りだけだったのね。老人の妖精に出会うおとぎ話。少年、青年、老人と社会の中心にいない者たちの、つまり社会と切り結ばない旅。解放としての森でなく、閉じていく森になってしまった。立ち聞きで心が伝わるってのも、テレビドラマ的。ミケランジェロといたずら描き画家との違いは、天井に描いたか壁に描いたかだ。実際イヴ・モンタンが死んでしまうとなると、年寄りの冷や水なんて茶化せなくなってしまった。
[映画館(字幕)] 6点(2011-12-03 10:12:28)
105.  アラジン(1992)
小さな猿と巨人の吊り合わせなぞ、いかにもディズニーの好み。ただこのエノケン似の猿は後半象になってキャラクターを生かしきってはいない。巨人ジーニーの変身ギャグはあまり好きではない傾向のものだが、そのヘンにはしゃぐ「朴直な大男」ぶりは悪くない。陽気にはしゃいだ後、でも自由じゃない、とショボンと変化するとこは笑えた。ランプの住まいは窮屈だ、って。洞窟で登場する「魔法のじゅうたん」の擬人化のうまさはディズニーのお得意のとこ。飛行シーンは宮崎のほうがうまいけど。世界中を飛び回り、スフィンクスの顔が欠ける。エジプトも中国も「オリエント一般」でひとくくり。西洋には飛ばないのだ(おそらく魔法圏外の文明地ということなのだろう)。ランプが悪玉ジャファーの手に渡って次々と力を得ていくあたりの畳み込みぶりがいい。心ならずも命令をきくジーニーの打ちひしがれぶり。ダンボやピノキオなど旧作へのオマージュもある。「世界一の魔法使いになっても自由を奪われたらおしまい」という教訓付き。私にはちと目まぐるしすぎた。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-21 09:58:58)
106.  嵐が丘(1992)
なんでもドキュメンタリー出身の監督ということで期待したのだったが、いやそれゆえか、情緒過多の弊。それにヒースクリフ君がいい男でツルッとしてて魅力に欠ける。全部の話を105分に納めているので、ダイジェスト版的。ブニュエルはエッセンスだけをまとめて90分以内で描いたぞ、などとブツブツ言いながら観てたが、観終わって昂ぶってしまうのは、やはり原作の強みか。もう愛と憎しみの二つしかない世界、みな恨みつつ憎みつつ死んでいくの。狂ったヒースクリフが少女時代のキャシーを目にする一瞬(その後の手のアップ以降はダメ)は感動した。宿命の愛だなあ。こういう一代目のストーリーに二代目のストーリーが続いて因果が巡るって、思えば我が国の「源氏物語」と似た構造で、女流作家の得意技かとちょっと思ったが、そんなの男のでもあるだろうな。川も花もない荒涼として風景は、数ある映画化のなかでも一番原作に近そう。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-01 12:51:40)(良:1票)
107.  アメリカ交響楽
終戦の年の映画で「アメリカの声」いうところに力点が置かれていたよう。なぜか演奏時間にこだわり続けるお父さんが面白い。いっぽうコンサートシーンで涙ぐむお母さんはクサい。伝記ものってのは、当人が死んである程度時間が経ってから作ったほうがいいよな(これガーシュインの伝記映画。彼は1937年に死んでる)。どうも生き残ってる関係者に遠慮が出来て、あたりさわりのない人物像しか生れない。キャスティングでもヒムセルフってのが多かった。まあ死者を顕彰するって意味の作品なら仕方がないし、死んであまり時がたってないから、あの大観衆になっちゃうんだろうなあ。ラストで「ラプソディ・イン・ブルー」を繰り返すのは芸がない。小佳曲を置きたいところ。伝記映画は面白く作らないと、映画見てる観客が主人公の早い死を願いだすから、当人に悪いぜ。
[映画館(字幕)] 6点(2011-09-20 09:15:01)
108.  アサシン(1993)
『ニキータ』のシナリオ上の不満が、アメリカ映画の合理主義によっていくらか解消されるかと思っていたが、ほとんどそのままであった。恋人を隣室において、プロポーズされつつの暗殺シーンは、やはり滑稽。歌舞伎の、世話ものふうの中に「実は」で時代ものが見えてくる、みたいな感じで観賞すればいいのかな。組織ってこんなに甘くないと思うよ。主人公の設定は面白いものを生み出せそうなのに、けっきょく「組織」を描けてないので、個人のほうもヘンテコリンになってしまう。こんな個人を組織が泳がせるとは思えない。女のほうだって、レストランのあと、本部へノコノコ帰ってくるのがヘン。それでも役者はおおむね良く、ガブリエル・バーンはアホな役なのに、いい味。掃除人のハーベイ・カイテルも不気味に殺伐としている。アン・バンクロフトは、アメリカのジャンヌ・モローであった。
[映画館(字幕)] 6点(2011-09-17 10:01:57)
109.  アリス・イン・ワンダーランド 《ネタバレ》 
ファンタジーに登場する小人とか巨人てのは、だいたい何倍もの差があったのに、ここでのアリスと帽子屋や白の女王の場なんかは二倍に至らない一点何倍かの差。これが面白い。この中途半端な「縮尺」が新鮮。完全なファンタジー的造形物より、そういった微妙に異常なものが、こちらを刺激してくる。だから一番印象に残るのは赤の女王の頭で、この映画に価値があるとするなら、彼女によってだ。あと、彼女に処刑されることになる蛙の番兵の表情なんかもよかったな。それも完全な作り物ではなく、リアルな蛙だから映えた。そういった半リアル造形物だけで「アリス」を作ったら楽しかっただろうに、ハリウッドではファンタジーは冒険物語にしないといけないらしく、ラストではアリスがジャンヌ・ダルクよろしく活劇を展開するのには予想されたとは言え、がっかりした。何でも善と悪の争いにしないと気がすまないらしい。そこで目覚めたアリスが、リアルな世界に戻って東洋への経済侵略の尖兵となっていくという結末は、どう見ればいいのだろう。ブラック・ジョークとしては優れているが、どうもそれほどひねっているようでなく、歴史への無知・無恥ゆえの無邪気さのよう。あのなんでも「善と悪」にしないとすまない性向と、どこかでつながっているような。年表で確認したが、「アリス」が書かれたのは阿片戦争が終わって二十数年後だった。20世紀文学を予告した小説ではあるが、それを生んだのが19世紀帝国主義の暴風の中だったことを、この映画のラストは思い返させてはくれた。
[DVD(字幕)] 6点(2011-02-27 12:21:38)
110.  愛と精霊の家
長編の映画化は本当に難しい。総集編になってしまう。弟たちをカットして女系の線でまとめたのは仕方あるまい。それでもエステバンという人物の複雑さは出せなかった。いっそエステバンだけに絞るという手もあっただろう、「『愛と精霊の家』より」、として。メリル・ストリープは、まったくの死に役、グレン・クローズに負けた。風土は南米でも監督の北欧の気配がところどころある。空気の濃密さが感じられないとか、少女たちは北欧っぽいとか。大河ものってのは忘れたころに人物が再登場するところにドキドキがあるんだけど、この時間だとそのタメが足りなくて、ドキドキにまで至らない。私生児はまだしも、あの娼婦なんかオッという感じがまったく出ない。まあ豪華配役陣を眺め回す楽しみはあった。
[映画館(字幕)] 6点(2010-12-03 10:27:10)
111.  アリゾナ・ドリーム
何となく『ガープの世界』を思い出した。ああいう「半ファンタジー」系の作品。亀が犬の世界と魚の世界をつなぐ。ニューヨークの現実からアリゾナの田舎に戻ると幻想味が増してくるの。幻想としての故郷。自動車の墓場にドアを持って立つ人なんか、寺山修司的だし。笑いはややヒステリカルで、なにかというとアコーディオンを持ち出してきて、ラシドーシーラー、ラシドミシドラー、とやる娘の胆汁気質がおかしい(全体の音楽はゴラン・ブレゴヴィッチ、冒頭の11拍子からいい)。けっきょく青年の成長もの、ってジャンルになるのか。どこか南米寄りのファンタジーの気配があり(椅子がフワフワと浮き出したり)、東欧と南米って、どこかでつながってるのかな、と思った。全体のとりとめのなさを、許せるかどうか、観たときの気分で評価が変わる映画だろう。
[映画館(字幕)] 6点(2010-11-02 10:45:20)
112.  アンドロメダ・・・ 《ネタバレ》 
SFはもっぱら宇宙基地とか古代恐竜とか、巨大なものを相手にしてきた。『ミクロの決死圏』だって、映像的には巨大な人体の胎内めぐりのようなものだった。しかしこれでは微小な方に向かったのが特徴。そのスケールの小さなものが、大きなスケールに増殖していくかもしれないことの不安。人間の日常のスケールを越えた世界を対象としていく。SFの王道であり狙いはいいのだが、それはやはり理屈の面白さであって、小説では楽しめそうだけど映像としては難しかった。小さな緑の結晶が生きている、ってあたりがドキドキさせるべきところなのだが、顕微鏡映像を通してなので、もひとつ手応えが弱い。これ作られたころは、まだアポロ計画の最中だったかな。人々の興味は急速に薄れていたとは言え、科学の現場をドキュメンタリー的にたっぷり描いたのも、そういう背景があったからだろう。かえって今見ると、その70年ごろの近未来図の野暮ったさが味わい。ジャバラつきの感染防止服なんかいい。あんまりドキュメント調では観客に悪いと、ラストに冒険がサービスとして入るが、文字通り取って付けたようだった。映画としては、最初の死滅した町の探検の部分が一番。宇宙服みたいの着て日常の町を歩き回る凶々しさ。この増殖する生命体、ちょっと「ウルトラQ」の「バルンガ」を思い出す。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2010-10-21 09:57:10)(良:1票)
113.  あなたに降る夢
キャプラタッチかもしれんが、どうも流れが澄み切ってくれない。主人公がチップの約束を守る、いうとこにいかにリアリティを与えられるかが勝負どころだろうが、成功してるとは言いづらい。妻の反応も、すぐ悲鳴を上げるのではなく、最初は笑い飛ばしてて、しだいに、本気なの、と変わっていくべきでは。ウェイトレスのほうにしたって、もっともっとからかわれてると心配すべきで、アイスクリームを振舞うのは早すぎる。その最初の仕掛けの部分の説得力が弱いので、しっかりと話が根付いてくれなかった。後も、もっと善意の行為に絞るべきであって、地下鉄をタダにするのはイヤミでしかない。この手の映画は好きなんだけど、ピタリと決めるのは難しいんだなあ。
[映画館(字幕)] 6点(2010-08-07 09:50:27)
114.  あんにょん由美香
ほとんどの証言者は男であり、彼らが口を揃えて言うのは、由美香の男性性についてだった。ゴーケツだった、とか。男のスタッフに囲まれて女性性を売り物にする仕事をしていた彼女は、オヤジ化して対さざるを得なかったのか。女性関係者では銚子でひとり登場しただけで、彼女はいたって影が薄く、男性の陰に隠れるように「女性的」にふるまっていた(この銚子の寂れたシーンはいい)。たしかにこういうエロ業界では、女優はうたかたのように通り過ぎる者であって、過去の証言者を探すのは難しいだろうし、探し当ててもインタビューに応じない可能性も高い。だから非常に男性に偏った証言になってしまう。そのなかで、今はもういない由美香だけが、どんどんオヤジ化されてイメージされていく。そこらへんが面白かった。男たちのイメージの中で、彼女はある種の祭司に祭り上げられていくが、それでいいのだろうか。彼女はほかのうたかたのような女優とは違った、っていうことが強調されていくが、小遣い稼ぎでチョコチョコっと業界を通過していった女性群たちのエネルギーこそ、もしかするともっと注目すべきものだったのかも知れず、うっかり業界に残ってしまいオヤジとなって死んでいった由美香さんは、こう祭り上げられるよりも、別の視点で見るべき犠牲だったのではないか、という気持ちもちょっとする。この映画が男のみの視点になってしまったことからくる単純さを感じた。もっとも男にもドラマはあり、子どもの出産の日が撮影日だった、という男優の話など面白かった。子どものためにも仕事に精を出さねば、とセックスシーンに励む。セックスと出産と子育てという本来哺乳類として密接に繋がっているものが、ずいぶんややこしい遠回りな関係になってしまっているおかしさ。そして「ラストシーン」。以上のような理由で、これは男だけの身勝手な祝祭でしかないと醒めて思う一方、関係者一同が揃ってくるとそれだけで、映画ならではの「たむけ」として心動かされてもしまうのだった。
[DVD(邦画)] 6点(2010-07-27 10:49:29)(良:1票)
115.  アブラハム渓谷
ナレーションに語らせる、つまりこれ弁士付き映画として徹底された世界。ま、ポルトガルに弁士付き無声映画はなかっただろうが。そこで登場人物すべてが何者かによって見透かされている感じになる。真正面から捉えるが、実体のない影のような人々。音楽も徹底して流す。一楽章まるまるとか。徹底すると言えば、みながエマに惹かれていくってのも徹底していて、下男や執事さえも。なんか『テオレマ』をちょっと思った。ヒロインの持っている軽蔑、男社会へ対してなのか、もっと広く現実すべてに対してなのか。ただそれを深い謎として展開するには、彼女若すぎた。表情も一本調子で、長い作品を持たせるには弱かったと思う。
[映画館(字幕)] 6点(2010-07-25 09:46:47)
116.  アバター(2009) 《ネタバレ》 
水面や波のCGなんか随分うまくなってるなあと感心したけど、ナヴィの世界が人間世界に切り替わるときの質感の違いは、やはり気になる。同一地平で起こっている出来事という共通感が得られなかった。CGの進化は、どうしてもアナログ的な実写からは遠ざかる方向にあるようだ。だからそれを生かす筋立てならいいのだろうが、この話の場合どうだっただろうか。その質感の違いは、車椅子の人間が元気に動き回れる夢としてのナヴィの世界として一番感じられ、自然保護テーマの物語としては、加害者側と被害者側がうまく噛み合ってくれなかった。そしてアメリカ映画の原型のような話の展開、無邪気なのは分かるけど、悪意がないからといってすんなり受け入れるわけにもいかない。インディアンが蜂起するとしても、その中心にWASPを置かないと落ち着けない大前提がある。それでラストでは主人公は敗北の側からスルリと抜け出してしまう。また、竹槍で近代兵器に対抗しようとし最後は神頼みで敗れていった歴史を持つ国の住民としては、あの展開はかなり鼻白む。エイワの神が助けに来た! って言われても、なかなか神風は簡単に吹いてくれないことを、あなたの国にいやというほど教え込まれたもので、理想を描いたオハナシだよとは思っても「なんだかなあ」である。住民たちの祈りのシーンは東宝にやらせてほしかった。ああやってただ祈ることに関しては、ハリウッドより年季が入っている。宙に浮く岩山って、すでにパン兄弟の『リサイクル』で目にしてるけど、あっちはただ浮いてただけで登ってはいなかったな。
[DVD(吹替)] 6点(2010-07-20 11:04:48)(良:1票)
117.  愛・アマチュア 《ネタバレ》 
ゴタゴタを全部切り捨てて一からやり直せたら、っていう再生への夢は、記憶喪失願望になっていく。酷薄だった男もイノセントになれる。イザべルのほうも「修道院ではどうも違う」と15年間思い続けポルノを書いてるってのも、なにか一種の記憶喪失的断絶を経た再生を待っているようなもの。この二人がやや受け身の転身願望なら、ソフィアは自分で男を突き落としてるんだから積極的。金を騙し取ろうとするのも、転身への準備ということか。それらの邪魔をするのが、悪の組織・あるいは警察ってところが物足りない。それは本来「世間」そのものであるべきで、それを相手とするのが大変なので、悪として処理しやすいものを引き出してきた、って感じ。つまり、はっきりした悪を相手とすることで、三人の連帯がたやすくなっちゃう。そこでドラマが弱まる。ラストは『ラストタンゴ・イン・パリ』の裏返しのような感じで、あちらは究極無名同士の関係を見事に語ったのに対して、こちらは認知する。「名前はトーマスよ」なんてセリフでもよかった。
[映画館(字幕)] 6点(2010-07-12 12:03:26)
118.  アイ・ラブ・トラブル 《ネタバレ》 
20世紀末、アメリカ映画は一本の作品を一つのジャンルだけで統一できないようになってきつつあり、ブン屋の取材合戦もの、というアメリカ得意のジャンルが、後半ドンパチに移る。そこにどうしても断層を感じてしまう。前半はいいのよ、だまし合いの楽しみ、リフレッシュとフレッシュと。でも観客ももうこういうのだけでは物足りなく思うようになっているんだろうなあ。サービス精神と思って納得しよう。この手の映画は後から考えると犯人の側の行動にヘンなところ・つまりもっと簡単にやれそうなのに大袈裟にしてしまってる、ってのがいっぱい見えてくるもんで、なにもわざわざ列車を転覆するまでも、とか、わざわざエレベーターを停めたり面倒なことしなくても、とか思ってしまうもんだけど、これもみんな親切なサービス精神と思って感謝しつつ観よう。
[映画館(字幕)] 6点(2010-07-07 11:55:43)(笑:1票)
119.  愛を読むひと 《ネタバレ》 
彼女の秘密とドイツの歴史との絡み具合がよくわかんなかった。どうも私のなかでピントがピタリと合わない。時代の罪と個人の罪の関係、とか、本当の意味で違う時代を裁けるのか、といった話だけなら、日本にも引き寄せてよく分かるテーマなんだけど、そこに彼女の秘密が入ってくると、かえってぼやけて感じられた。法廷のシーンはいいんだよ。最初にハンナの声が入ってきて、次に遠景の彼女が見えて、という段取りもいいし、裁判長もそう権威的でなく、いかにも戦後の「ナチズムを反省した市民」の代表って感じで、彼の正義感もよく理解できるようになっている。そこで時代の溝が、映画として生きている。個人にとって歴史というものの冷酷さが感じられた(ただほかの元女看守たちはやや造形が雑だった気がする)。法廷のシーンは緊迫していた。でもあの「秘密」によって、話のポイントがずれて縮む印象。なんか重要な点を理解し損なったのかなあ。住まいを定めるときとか、仕事に就くときとか、どうしたってそれを世間に隠し通せない場面が今までにもたくさんあっただろうし、そもそもこの法廷に至るまでの裁判の過程で、告発する側も弁護する側も、それに気がつかないってのは不自然なんじゃないか、やたら書類にサインさせる社会で。それほどいいかげんな裁判だったのかも知れないけど。いや、そういう女性の物語としてそれだけで完結してるのなら作品の設定枠として受け入れられるんだけど、歴史の悲惨に絡んでくるとなると、疑問。
[DVD(吹替)] 6点(2010-05-23 12:05:33)(良:1票)
120.  嵐が丘(1953) 《ネタバレ》 
この映画、個々の文章は文法間違っていないのだが、全体を読み通すと異様な文体、って感じ。エキセントリックな登場人物たちが、なんのフィルターも掛けられずに、そのまま動き回る。普通だったら、もうちょっとドラマとして整えようと、理解しやすい面も取り入れるのに、愛と憎しみの感情以外はすべてシャットアウトし、煮詰めてしまう。ラテンの血か。だから登場人物たちは、ボヤーッとしている時間は許されず、いつもパンパンに感情が詰まっている。そういう人物が存在することを観客に説得させようなんて気はなく、もう既定の事実として画面にある。こんな夫婦ありえないだろ、なんて疑問をはさむ余地を与えない。ここにあるんだ、と突きつけてくる。そうして観客はブンブン振り回されて、ラスト、ワーグナーが渦巻く中、銃を持った憎しみの男と、愛する女性の花嫁姿が重なる瞬間、なるほど、感情というものの原質はこれか、とそれに立ち会った気にさせられるのだ。ここの高揚感はすごい。数ある『嵐が丘』のなかでも私が知る限り一番不親切な映画化であるが、作品の核心だけを描いているからだろう。冒頭が『スサーナ』とまったく同じで(魔は窓からやってくる)、中盤の結婚が『エル』と同じ(式を挙げたら変な男)。ブニュエルの世界はつながりあっている。怯える子どもってのも、ブニュエルの好むモチーフか。怯えながらも、豚を屠殺する木の串を一心に削っているのが不気味。
[映画館(字幕)] 6点(2010-04-08 12:00:18)
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