Menu
 > レビュワー
 > なんのかんの さんの口コミ一覧。7ページ目
なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2336
性別

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順12345678
投稿日付順12345678
変更日付順12345678
>> カレンダー表示
>> 通常表示
121.  愛なき女 《ネタバレ》 
よくまとまった小品というところ。特別ブニュエルならではってとこは感じられなかったけど、憎悪を描くと微妙に過剰になる感じはある。けっこうブニュエルってうじうじした男を描くのが好きで、これもそう。弟や母へのうじうじした不完全燃焼の思いが、これでもかこれでもかと続く。だからラストの和解がちょいとアッケなさすぎる気もしたが、とってつけたような八ッピーエンドはこの監督でよく見かけ(『スサーナ』とか)、なんか陰でブニュエルが大笑いしているような感じもあって安心できない。窓越しにうじうじ見るって場面がブニュエルはことのほか好きらしく、『嵐が丘』や『エル』にもあった、ここでも弟と婚約者を窓越しにうじうじ。あと老人と若い妻って組み合わせもよくこの人の映画で見かける、しかしブニュエルだけのモチーフと決めつけるのは早計かも知れない。映画とは関係ないけど、モーパッサン嫌いだった夏目漱石がこの「ピエールとジャン」だけは気に入っていた、ってのは、なんか「行人」につながるものがあるからだろうか。
[映画館(字幕)] 6点(2010-03-26 12:00:09)
122.  網走番外地 北海篇 《ネタバレ》 
東映のヤクザ映画はだいたい新宿昭和館という名画座で観てて、ここは本物のヤーサンと並んでヤクザ映画を鑑賞できるという貴重な体験ができるとこだった。トイレで二人きりになったりすると緊張したものだ。ほかにも「一般市民」とはとうてい言えないいろんな異形の観客が平然とあたりにいて(ヘルメットかぶって頭との隙間にぐるりとチラシをたくさん差し込んでいるおじいさんとか)、思い出すと懐かしい。休憩時間には川中美幸の演歌が流れたりしてた。でこれ、アクション映画という前に、トラックに乗り合わせた人々の人間模様ドラマいう面がある。経営者の娘、ワケアリッぽい杉浦直樹、骨折した娘とその母、自殺未遂の女、それに若造と安部徹とくる。こういった面子なら安部徹がどうしたって目立つ。彼以外は善の方向を向く結末になるわけ。重厚な健さんの新作が次々作られていたころ観たので、チンピラ役は若干痛々しかった。男がムショに入っている間、嫁はしっかり姑に仕えてうんぬん、というのはちょっと無茶だな。
[映画館(邦画)] 6点(2010-02-01 12:06:42)
123.  赤い砂漠
まあいつもながらの活気のない映画で。ピントの外れた風景を長く捉え残しているので、非常に不安定な感じがかき立てられる。色彩は工場の原色を基本にしているようで、赤や緑が不健康さを強調している。対照的に南の海の健康な輝きがあった。定住する心と移動する意志との関係がテーマらしいんだけど。愛する人で壁を作りたいというようなことを言っていた、それで何を防ごうとしているのか、あるいはその壁のもろさを言いたいのか。子どもの仮病は自らの意志で移動することを拒絶した、ということかな…。などと散発的な感想は生まれるんだけど、どうもまとまらない。あくまで感覚的に捉えればいい作品なのだろうか。霧の中にたたずむ他人たち、などはかなりコワイ図だった。とにかくヒロインが、もうここにはいられないと思いながら、身動きが取れなくなっているのはよく分かるんだ。それをもっと突っ放してもいいんじゃないかなあ。風景はどれもこれもやたら寂しい。
[映画館(字幕)] 6点(2009-12-01 12:00:42)
124.  暗殺者 《ネタバレ》 
追っかけて撃って、っていう何ら新工夫のない活劇だけど、バンデラスの狂気がいいので許せる。憧れのあまりクレイジーになってる男。ヒロインはコンピューターおたくハッカーで下の階を覗いている。非日常を楽しむ映画ってことで割り切ればいいんだろうけど、日常を生きている人たちが無造作に殺されていくだけってのは、「そういうもんじゃないだろが」とも思う。てめえの巻き添えで死んだ階下の若夫婦のことを忘れて、ハッカーで得た大金抱えてハッピーエンドじゃ後味悪いぜ。それとこういうのの主人公ってよく「泰然自若」としてるけど、あとで考えるとかなり危ないってとこあるんだよな。おまえに俺は撃てねえぜ、っていう自信がどこから来るのかが分からない場面がある。結局こいつはシナリオに頼ってるから自信満々なんだ、ってことになって、すると、まあ馬鹿馬鹿しくなっちゃうんだな。
[映画館(字幕)] 6点(2009-11-04 11:57:49)(良:1票)
125.  愛に迷った時
ラッセ・ハルストレムって名前にまだ貫禄があったころの作品で、両親役がロバート・デュヴァルにジーナ・ローランズと固めてあり、これでヒロインを無名の新人がやってたら、もしかすると小味なホームドラマの輪郭がはっきりしたかも知れない。なのに、ジュリア・ロバーツが入ることで、こっちの気構えが不安定になってしまった。スターが出ることでヘンになってしまう映画というものもある。父親の物語なんかもっと展開してもいいのに、それぞれの登場人物に平均的にドラマを配分して、けっきょく定型どまりになってしまった。かえって独自の物語を持たなかった妹が一番印象に残るというのも皮肉。
[映画館(字幕)] 6点(2009-10-07 11:58:48)(良:1票)
126.  アメリカン・プレジデント
キャプラを意識してることは、中でその名が触れられてることでも確か。公と私の折り合いというのは、キャプラに限らず常にアメリカ映画のテーマだったわけで、「公」に浸されそうになる「私」を擁護する、けっして「滅私奉公」が出てこない健全さがいい。こういうの見ると、あちらの大統領ってのは日本の首相とは違うな、と感じる。半分「象徴」が入ってるみたい。話の中心点の置き所は間違っていないけど、展開がややギクシャク。やはりすぐに大統領が彼女をパーティに連れ出すってのは無理がある。どうしたって政治的判断の葛藤があるはずで、まあそこは設定としてクリアするとしても、彼女に夫なり恋人なりがいるかも知れないと一度も考えないのは傲慢に見える。冒頭の大統領がてきぱきと指示していくところは、長回しのワンカットで見たかった。アネット・ベニングって一見清楚で、でもよく見ると危なそう、ってとこがけっこう好きなの。マーチン・シーン、マイケル・J・フォックス、リチャード・ドレイファスと、代表作後パッとしなかった男優を集めて脇を固めてる。
[映画館(字幕)] 6点(2009-09-10 11:56:28)
127.  明日天気になあれ 《ネタバレ》 
別にこれ島津の代表作というほどのものではない教育映画なのだが、小桜葉子の少女時代が見られたということだけで忘れ難い作品。拾った二匹の子犬を二つの家庭の子どもが競って育てる話。一方は飯田蝶子が母親の庶民派。職人肌のオヤジが「うまそうな犬だなあ」などと子どもをからかう、そんな雰囲気。それと中流家庭で育てたのとで、体格やら知能やらをツケヒゲの審判官が、丘の上で風に吹かれながら判定していく。それは引き分けとなり後日最終試験として競争させたときに、犬が上流階級の親犬と出会ってめでたしめでたし。上流階級の家でご馳走になる、という結末。この結末の付け方に時代を感じた以外は、素直に流れを楽しめるよい映画であった。丘のある風景が児童映画に似合う。で上流階級の女の子が小桜葉子なのだ。子犬を捨てられて寂しくブランコに揺られてるところなんかすごくかわいいの、あの時代にしては現代風のかわいさ。私なんかは、テレビで美容体操してたオバサンといううっすらとした記憶しかなかったので驚いた。当時の少女役の一番人気は高尾光子なんだけど、これが現代から見ると、ちょっと古めの日本調少女、やがて人気は高峰秀子に移るが、この小桜の、時代に早すぎたモダンな美少女ぶりも記憶にとどめてやりたいと思った。ただこのあと十年もしないうちに加山雄三の母になってるわけで、上原謙許すまじ、という思いもフツフツとよぎった(上原葉子としての彼女は小津の『お茶漬の味』でちょっと見られます)。
[映画館(邦画)] 6点(2009-07-14 12:10:55)
128.  新しき土 《ネタバレ》 
桜のタヲヤメぶりと、活火山のマスラヲぶりを順に見せて、これぞ日本。そういうアイテムの一つとして「侍の娘」ってのもあるわけだ。日本とヨーロッパの分かりやすい混淆。ジャズが流れる酒場に、新内流しのような女を立たせて三味線を響かせる。洋酒と日本酒。この分かりやすさがちょっと気持ち悪いけど、一番気持ち悪いのが話の本筋。小杉勇はヨーロッパの自由主義を捨て、妹のような娘と結婚し、満洲の開拓民になる、という展開に、作者が意図してなくても、時代のグロテスクがハッキリと記録されていたのではないか。国粋ということを煮詰めていけば、外部への絶対的な拒否になり、それはついには近親相姦的な歪みを抱えることになる。妹のような娘と結婚するのは、国粋の必然なのだ。もっとも山岳映画人の興味をひいたのは、同盟国としてよりも火山国としての日本だった。地震のある国。心理的背景はどうであれ、原節子と小杉勇の山のシーンは充実しており、「侍の娘の矜持」なんていう取ってつけたような解釈を越えた力が、画面にみなぎっていたように思う。
[映画館(邦画)] 6点(2009-07-05 12:02:32)
129.  ある貴婦人の肖像 《ネタバレ》 
登場するほとんどの男性に愛されながら、唯一愛のない男と結婚するヒロイン、イザベル。求婚を断わっても、そのかわりに何かしたいことがあったわけでなく、ただ結婚という拘束から自由でありたかった、という女性だから、マルコヴィッチの、非生活者・趣味人といったタイプが魅力的に見えたのだろう。そもそも19世紀の女性に「何かしたいこと」なんて有り得なかっただろうし。彼に惹かれたということは彼女の自由願望もそう健全なものではなく、どこか現実の人間関係のわずらわしさから逃走する手段めいたものがあったのだろう。愛がなかったからこそ安心して結婚できた。ここに陽光を巡るモチーフが映画としては絡んできて、光を遮断する日傘、日に当たらないようにさせられる娘、といった展開になる。ヨーロッパの闇とアメリカの光の結婚。ヨーロッパの闇に逃げ込んだ光が、それでも愛に向かい合おうとするエンディングと思えばいいのかな。なぜかこのころH・ジェイムズの代表作が3つほど続けて映画化されたけど、「ねじの回転」を映画化した昔の『回転』を越えられなかった。光と影は美しいが、へんにカメラを斜めにしたりするのはいただけない。シェリー・ウィンタースは懐かしく、シェリー・デュヴァルはすっかりおばさんになってた、というのが見た当時の印象。
[映画館(字幕)] 6点(2009-05-12 12:13:09)
130.  アフター・ウェディング 《ネタバレ》 
日本映画が好みそうな話で、それをカラッとヨーロッパ風に演出してるかって言うとそうでもなく、やっぱりジメッとしている。ドキュメンタリータッチのドグマ風演出だけど音楽付きで、涙涙の場面が多い。いっそオーソドックスな演出のほうがこの話には合ったのじゃないかとも思うが、並べて比べられないので確証はない。夫が、妻と妻の昔の男との再会をプロデュースしている意図は何か、という謎で引っ張っている前半はけっこう興味深く見られた。視線の演出がスリリング。ヤコブのちょっと頼りない理想家肌と、ヨルゲンの酔いどれたしたたかぶり、欠点が傷つけ合っているような両者の絡み具合が面白い。ネタがばれた後は、どうしてもヨルゲンの話になってしまい、それはそれで感動的でなくもないんだけど、絡みの面白さは薄れてしまった。金持ちの婿に納まった男が自宅で浮気するかなあ。
[DVD(字幕)] 6点(2009-03-24 12:05:57)
131.  暗黒街の美女
これが清順初のワイド画面作品だそうだ。題名の“美女”というのは、ほかに出ないところをみると白木マリのことらしい。ときどき人物が奇妙な姿勢をとるのが、この監督らしさ。うずくまるとか、木にしがみつくとか。部屋の中央に張られた幕をペーパーナイフで切り裂き、そのまましゃがむ。こういった部屋の分割ってのも好みらしく、ラストのほうでは二部屋を見渡すカットあり。一方で芦田伸介、一方で高品格と白木マリ。あの幕は風呂場のガラスにも通じていくか。腕に“クラブ”や“スペード”のいれずみをして“ダイヤ”を奪い合うという洒落。
[映画館(邦画)] 6点(2008-11-06 12:09:23)
132.  あの娘と自転車に乗って
東洋風の顔立ちで西洋風の髪の少女、それがごく自然に風景に溶け込んでいるキルギスタンの物語。じゅうたんや水に浮かぶお守り(?)や鳥などが、パッとカラーになる。この効果がいい。なにか土地の霊のようなものを刻印しているものに色が着いているような。まあ、カラーフィルム代の節約ってこともあるかもしれないけど。じゅうたんを巻いて何かしている、中に詰めて何かを作ってるのか洗ってるのか、そういう何かよく分からないとこが多いのだけど、分からなくっても、ただ風俗を見てるだけでけっこう楽しい。野の川での魚の追い出しとか、生活が自然と無理なく融合している。清水宏の世界みたい。ラストはカラーのあやとり、これは万国共通。
[映画館(字幕)] 6点(2008-10-23 12:10:03)
133.  あんにょんキムチ
21歳にして韓国の血に目覚めた監督、「だからそれが何なのよ」と言う妹、「ま、韓国って、暗いやな」とつぶやく父親、この三者のズレのおかしさ。ナレーションを妹にさせたのが正解で、自身を対象化し、映画をキチキチに息苦しくさせなかった。一世の祖父像が、伯母などへのインタビューを通して、複雑になっていくところがドキュメンタリーとしての面白さ。墓には日本名前を刻まさせ、正月の儀式は断固韓国風、とその複雑さが一世が生きてきたナマナマしさのあかしなのだろう。死に目に眠くて会いに行かなかった監督に「哲明のバカヤロー」と言って死んでいった祖父、その記憶が映画の原点。おそらくかつての差別がひどかった頃だったらもっと輪郭のキリリとした社会に向けたドキュメンタリーになっただろうが、現代では自分の心の違和感に向かっていく。その分、ドキュメンタリーとしての切実さは薄れた。なんで旅行の時もうちの一族はわざわざキムチを持参するんだ? というような、内向きのボンヤリした違和感を軸にした新しいドキュメンタリー。「あんたキムチ撮ってんの?」と親戚のオバサンに呆れられても、カメラをキムチに向けていく。
[映画館(邦画)] 6点(2008-10-21 12:12:04)
134.  アカシアの道
母と娘の激しい物語というと、ベルイマンの『秋のソナタ』などいろいろ思い浮かぶが、どうも和解に至るというより、どうやって感情に折り合いをつけたか、って物語になっているような。女同士って難しいらしい。主人公の子ども時代、トイピアノで遊んでいると、隣の部屋で習字の添削をしていた教師の母(渡辺美佐子・好演)が、ちょっと来なさい、と呼んで、襖の向こうからパチンという平手打ちの音が聞こえてくる、なんて、見せないことでかえって迫ってくる演出。ボケの症状がある種のサスペンスとなって描かれる。掃除機をかけている母の姿、しかし動いていくと、コードが入っていないのが見えてくる、なんてあたり。子どものとき、母に手をつないでほしかった娘(夏川結衣)が、今ボケた母の手をつなぐラストでホロッとした。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-13 10:10:23)
135.  愛のエチュード
『アイズ・ワイド・シャット』と同じ、ショスタコーヴィチのヒナびたワルツに乗って、ナボコフの物語が展開。真っ赤なドレスが映えるイタリアの風景が美しい。ルージンが置き去りにされる街にも奇妙な味わい。そういう半分非現実に呑み込まれているような世界に、黒シャツ隊が登場し、20世紀前半の空気が張りつめる。チェスの世界はそういう時代から超然としているようでいて、でもやはり無関係ではいられない。完全に超然とするためには、独りぼっちにならなければならない。一人で、チェスの完全なディフェンスの手を考えるという、孤独の極みに耐えなければならない。悪い時代に遭遇したとき、その中で暮らすのも地獄だが、その世界の外にも、また身がキュッと引き締まるような孤独の地獄が広がっている、ってことか。
[映画館(字幕)] 6点(2008-07-26 12:15:19)
136.  赤い橋の下のぬるい水
もう今村昌平が好むようなドロドロの土俗なんてなくて、過疎化が進む死んだような地方しかない。しかしそれでも、隅田川と対比すれば、まだ「ぬるい」程度の希望はあるってことか。東京の哲学書に対して、こちらには神のお告げのおみくじがある。海と立山が見える。ぬるい水は、川から海へと流れ出て、魚が群れる。まだ何かとつながっている。ここが隅田川と違うとこ。波消しブロックには虹も掛かる。エネルギッシュだった監督も、晩年になると(比較的)淡々とした世界を描くようになるのは、そういう世界が見えてくるのか、単に気力の問題なのか。高齢になると、監督ってロングの画面が多くなる気がする。
[映画館(邦画)] 6点(2008-07-17 10:59:11)
137.  OUT(2002)
じっと働く賃仕事の主婦と、バカラで遊ぶ亭主。ケとハレの対比で始まり、しかしバラバラ殺人という最も非日常的なものが主婦の世界の方に入り込んでくるおかしさ。そこにはちょっとした爽快感もある。女たちの“したたか・しっかり”と“おろおろ”が交替し続けるのもユーモアを生んでいた。でも考えてみればこういう世界は日本映画の得意としたところで、市川崑は女たちの悪だくみを好んで描いたし、今村昌平の重喜劇だってこういうのだった。だからこれ、すごく日本映画の本道をいっているんだ。
[映画館(邦画)] 6点(2008-06-04 12:18:09)
138.  天草四郎時貞
佐藤慶は、横からの光で陰影が出てこそ生きる顔。白黒映画向き。いっぽう大川橋蔵は、こうこうとしたライトの下でこそ映える顔。カラー映画向き。この白黒映画は、主演俳優にとっても監督にとってもつらい組み合わせだったんじゃないか。でもまったくつまらないかというと、そうでもなく、革命論としてああだこうだ思考している部分は濃い。ラストで「日本の夜と霧」を小さくしたようなディスカッションシーンがある。みんなの心が一つの意志で固まり同じ目的に進むというような、革命の機が熟するとき、ってのは永遠に来ないのではないか、という問題が提示される。分裂と離反を繰り返してこそ革新的であり続けられるのだとしたら、革新的であることが革命を向こうへ向こうへと押しやっているのではないか、というパラドックスがある。急進派と慎重派を両極とした幅広い団結は可能か、そのような団結に意義はあるのか、といった問題にもなってくる。そういう面倒くさいことは映画でなく本でやってくれ、という意見もあろうが(おそらく大川橋蔵もそう思っただろうが)、60年代とはこういう時代だったのだ。「日本の夜と霧」から「白昼の通り魔」へとつながる革命崩壊三部作とでも呼ぼうか。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-05 12:23:39)
139.  雨の午後の降霊祭 《ネタバレ》 
強い妻と弱い夫の話と思わせておいて、ここからがネタバレの核心ですが、実は妻の弱点を包み込んでいる夫の愛がラストで明らかになる、ってところがポイントの話だったと思う。大昔に見た映画で、白黒ならではのしっとりした質感は思い出せるのだが、あとは不確か。いま日記の記述をひもといてみると、「妻への一途な愛・献身」とか「絶望的な企てに加担していく悲劇」とか「愚行ゆえの神々しさ」などと記されている。「妻の死を願うまでに思いつめているのにズルズル犯行を続けていくあたりのアッテンボローの演技が見もの」だそうだ。「アーサーのイメージがも一つ弱いのが、スリラーとしてみたときに弱点になる」そうだけど、このアーサーってのが何なのか思い出せない。死んだせがれの霊だったか。無責任な書き込みで申し訳ない。レビューなしの作品で見たことある映画だと、つい埋めたくなってしまうもので。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-04 12:21:34)
140.  あるいは裏切りという名の犬
ミレーヌ・ドモンジョが、人生の辛酸なめ尽くした老娼婦役で出てきたのには驚いた。あの国の女優さんはシモーヌ・シニョレやジャンヌ・モローのように、おばさんになってもう一度貫禄で勝負できるのがいい。もっともシモーヌやジャンヌは、若いころからタダモンではないという気配が漂っていたが、この人はかわいいだけのタダモンだった人でしょ。人生の年輪は馬鹿にできぬ。で男の方の友情と裏切りの話はというと、ラストの仕掛けがしゃれてるくらいで可もなく不可もなくといったところ。鳴りっぱなしの音楽には閉口した。
[DVD(字幕)] 6点(2007-10-05 12:16:37)
000.00%
100.00%
200.00%
320.09%
4331.41%
52279.72%
691439.13%
773931.64%
834314.68%
9682.91%
10100.43%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS