Menu
 > レビュワー
 > やましんの巻 さんの口コミ一覧
やましんの巻さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 731
性別
自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


…………………………………………………


人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


…………………………………………………

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234
投稿日付順1234
変更日付順1234
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  アメリカン・スナイパー 《ネタバレ》 
この映画の謳い文句によると、主人公クリス・カイルは「アメリカ軍史上最多160人以上を射殺した伝説のスナイパー」とある。が、「狙撃兵(スナイパー)」ではないものの、ひとりの兵士として敵兵を最も多く射殺した者といえば間違いなくオーディ・マーフィーだろう。そしてかつてドン・シーゲル監督は、この第二次世界大戦の英雄で後に西部劇スターとなったマーフィーを、『ダーティハリー』の連続殺人鬼である「狙撃犯(スナイパー)」“サソリ”役に起用しようとしたらしい。「なぜなら、彼は本物の大量殺人者だから」と。  この『アメリカン・スナイパー』におけるクリス・カイルは、中東で紛争が起こるたびに志願して戦場へと出かける。それは義務や使命感という以上に、“仲間を助けるために敵を殺す”という、単純にして彼にとっては絶対的な「倫理観」ゆえだ。しかし、ミサイル砲を手にした少年に照準越しに「それを捨てろクソッタレ!」と毒づく時、彼は自分が少年を「殺したがっている」ことに気づいたのだ。「殺すこと」そのものが、自分のなかで目的化(!)したことに気づき、だから愕然としたのだ。だからその後、家族のもとに帰還したクリスがどこか“不穏”なあやうさを漂わせ、これが実話であることを忘れてぼくたち観客は、彼による決定的な「カタストロフィ(悲劇)」の予感(予兆?)におののきながら固唾をのんで見守ることになるのである。  もちろん、実際は帰還後のクリスが「殺人鬼」になることはない。むしろ彼は、同じ帰還兵の手によって不慮の死をとげる。だが、この映画を見てきた僕たちは、彼を殺すその帰還兵とはもはやクリス自身のアルターエゴ(別人格)というか“もうひとりの自分”に他ならないことを確信する。そしてその時、これがドン・シーゲル監督が『ダーティハリー』でひそかにもくろんでいた〈主題〉を、そこで主演俳優だったイーストウッドが今度は監督として継承し完成させたものであることを、ある感動とともに深く納得するのである。ーー狙撃犯の“サソリ”と、狙撃兵のクリス。つまり彼らは、ともに「アメリカン・スナイパー」に他ならなかった・・・。  こうしてぼくたちは、底知れない“闇(=病み)”を抱えたイーストウッド的主人公像を前に、またも震撼させられることになるのだ。
[映画館(字幕)] 10点(2016-03-29 13:38:19)(良:2票)
2.  アフロ田中
いや~、笑った笑った。フィルムとDVDでもう10回以上は見たけれど、そのたびにナミダを流しながら笑わせていただいた。そしてそのナミダには、笑いすぎてと同時に“感動の涙(!)”すら交じっているのだった。劇中の田中ではないが、ソレッテ、凄イコトナンダヨォ~と、声を大にして申し上げたい。この映画は単なる童貞男子のドタバタ悲喜劇でありながら、それ以上に【ザ・チャンバラ】さんがおっしゃる通り極めて「知的」な批評性と、何より男たちへの“友愛(!!)”に満ちあふれたものなのである・・・   この映画が描くのは、徹頭徹尾「男子」というものの“恥ずかしさ”であり“生きにくさ”であるだろう。高校中退のブルーカラーで生まれてこのかた女性にモテたことのない、すべてにおいて“負け組”な主人公・田中。だが、それゆえに彼の意識内は、無意味な虚栄心と自己卑下、焦燥とあきらめ、期待と疑心暗鬼・・・その他もろもろの両義的な感情に常に引き裂かれている。本人にとっては切実なこのアンビバレントな感情の“ずれ”を、そのつど田中のモノローグ(というか、独りごと)で語らせる時、第三者にとってそれが実に滑稽であること。そのことに作り手たちは、ハッキリと自覚的だ。しかもその笑いは、世の男たちにとって大なり小なり自嘲をともなった苦さと“共感”とともにあるんである。そして、そうしてとった行動が、結局ことごとく裏目に出てしまう・・・そんな主人公を、同じ男子たるもの誰が愛さずにいられようか!   主人公の内面をコトバにして語らせる。一見それは、単なるコントめいた安易な手法と受け取られかねない。けれどこの映画は、その葛藤や“ずれ”を具体化することによって、そこに「笑い」を生み出すことに成功している。下手な「アクション映画」なんぞよりもっとスリリングな“(感情の)めまぐるしい動き”によって、見る者を笑い(と、共感)の渦へと巻き込んでいくのだ。そして、その脚本や演出意図をくみ取った主演・松田翔太の快(怪?)演や、彼のいかにもな友人たちを演じた共演者たちの素晴らしさ・・・   以上、特に前半に見せた過去と現在を自在につなぎ合わせる語り口の才気も含め、この映画は2012年の大きな収穫だとぼくはかたく信じるものであります!
[映画館(邦画)] 10点(2012-12-26 14:48:33)(良:2票)
3.  明日への遺言
連日、厳しく罪状を追及してくるアメリカ人検事に、主人公はある朝、こんな風に声をかける。  「おはよう、検事殿」  あくまで何気なく、何のふくみもない平凡な朝の挨拶。それに対して検事は、思わずニッコリと微笑むのだ。  時間にして1秒にも満たないかのような、検事の微笑。そこから、全編が裁判所内というこの映画のなかの「空気」は、少しずつ“軽さ”をーーあるいは“すがすがしさ”へと変わっていく。それは、「裁く/裁かれる」という対立の構図ではなく、かつては(あるいはその時も)敵同士だった者たちのあいだに、連帯が、むしろ〈友愛〉そのものがうまれたからである。  そう、藤田まこと演じる主人公の岡田中将は、何も部下たちを救ったからだとか、日本人としての「品格」とやらを示したから称賛されるのではない。この映画はそんな程度のもの(と、言ってしまおう)を描こうとしているのではあるまい。ここには、戦争犯罪人という立場でありながら、日本人とアメリカ人、原告と被告、敗戦国と戦勝国、正義と悪といった対立軸を超えて、この法廷をただ正々堂々と戦い抜こうとする岡田中将と、同じく正々堂々と戦うアメリカ側という〈構図〉があるばかりだ。その〈構図〉を、フェアネスな“空気”を実現してみせたことにこそ、岡田中将という人の真の偉大さがあった。  映画は冒頭で、醜悪で悲惨な戦争の非人間性を記録フィルムで観客に示す。そのことで、岡田中将の“もうひとつの「戦争」”が、むしろ「人間性」をあらためて信じ、取り戻すためのものであったことを、この映画は見る者の心に鮮明に焼きつける。そう、この映画は人を(あるいは国家を、歴史を)裁くのでも、告発するのでもない。日本側・連合国側を問わずこの法廷にいる者たちは、人間というものの持つ真の「崇高さ」のために、共に共闘しているのだ。そういった姿を通して、人間というものの「美しさ」を、ただそれだけを映し出そうとしたものだったと、今ぼくは確信している。   確かに、一見すると地味で派手さのかけらもない、「映画的」ですらないと思われもするかもしれない。しかし、映画がここまで「人間」の美しさ、その精神の「崇高さ」を見つめようとしたことにおいて、本作は、ぼくにとってたとえばジャン・ルノワールの作品に比するものだ。  ・・・最後に。小泉堯史監督、貴方の映画と同時代の観客でいられて、ぼくは本当に幸福です。
[映画館(邦画)] 10点(2009-02-03 19:23:13)(良:1票)
4.  ALI アリ
マイケル・マン監督の映画に出てくる「男たち」は、常に寡黙でありながら雄弁で、饒舌でありながら静謐だ。何ものかに挑む時、彼らは黙々と行動する。ただ黙って闘い、殺し、愛し、勝利し、敗北し、死んでいくのだ。命を賭けるものがあるなら、「男たち」は迷うことなく“死”へと突き進む。安っぽいヒロイズムや、無鉄砲さとはあくまで無縁の、「運命に挑み、その結果を受け入れる者」としての孤高と諦観を漂わせて。  アリもまた、そんな“マイケル・マン的「男たち」”のひとりとして、マンの世界(マン・ダム!)に召還された。この、蝶のように舞い蜂のように刺す天才ボクサーは、一方で「ほら吹きクレイ」と呼ばれるほど挑発的な言動を繰り返す。試合前のインタビューで、試合中も相手ボクサーに対して、“暴言”を吐き続けるアリ。そこに、黒人である彼の、アメリカの白人社会へのレジスタンスが込められていることは、間違いない(そんなアリの最大の理解者が、白人のスポーツキャスターであったこと。それもまた、アメリカの一面であることを示すあたりの心憎さ!)。が、この映画は、そんな「社会派」風の、あるいは「ヒューマン・ドラマ」風の側面以上に、アリというひたすら饒舌な男のなかにある“寡黙さ”を、ほとんどそれだけを映し出そうとした。ボクシングと言葉によって「アメリカ」に闘いを挑み続けた男の、内なるストイシズム。そこにこそ彼の、真の偉大さがあったのだと。  だからこの映画が、ボクシングを描きながらどこまでも「静か」なのは当然だろう。これはボクサーたちの闘いを通じて、さらには、ひとりの黒人青年によるアメリカへの闘いを通じて、自らの「運命」と対峙し続けた偉大な魂の記録なのだから。そして、偉大な魂とは、常に孤独で、寡黙で、静謐なものなのだ。  繰り返そう。マイケル・マンの映画の「男たち」は、たとえどんなに“反社会的(アウトサイダー)”であろうとも、孤高を生きる者たちだ。本作もまた、そんなマンならではの世界観が昇華された、偉大な映画だとぼくは信じて疑わない。…皆さんの評価があまりにも低いこともあるので、あえて満点を献上する次第です。
10点(2004-09-15 13:27:53)(良:1票)
5.  足ながおじさん
相変わらず優雅な、あまりにも優雅なフレッド・アステアの踊りと、『リリー』に続いて“孤児”を演じるレスリー・キャロン、うぶで、でもはつらつと舞うレスリー・キャロンのバレエとが、画面のなかでひとつになる時、ぼくたちは間違いなく「この世で最も高貴なもの」を目撃することになる。あの抽象画めいたシンプルなセット(思えば、20世紀フォックス社のミュージカル映画は、常にミュージカルナンバーのセットが奇妙に「モダン」で、それが面白かったり、物足りなくあったりするんだけど…)をふたりが踊る、舞う、ひとつになる。もう、それだけで、ぼくにとってこの映画は永遠です。傑作であるとか、駄作であるとか、もうそんなことを超越したところで、ぼくはこの映画を愛する。アステアとレスリー・キャロンの存在ゆえに、この先何度でも見て、陶然としたいと思う。…そりゃ、確かに2時間以上あるってのは長過ぎるかもしれない。ドラマ部分が、今や淡白すぎてタイクツする向きもあるだろう(けれど、ニューヨークのホテルのペントハウスにおける朝食のシーンなど、『プリティウーマン』に引用されていたことをぼくはうれしく思い出す)。しかし、ぼくが映画において本当に見たいのは、もはや作り手の才能や思惑を超えたところに、何かの間違いのように時として実現してしまう「奇蹟的瞬間」なんです。そして、この映画の場合(もちろん全編すべてに、とは言わないけれど…)ふたりの偉大なダンサーがそういった「奇蹟」をぼくたちに見せてくれる。当然の満点です。
10点(2004-03-09 12:42:05)(良:1票)
6.  アイアン・ジャイアント
何の予備知識もなく、「どうせアメリカのおたくが日本のアニメの影響を受けて作った、巨大ロボットものなんだろ」とタカをくくっていたものだから、作品の冒頭、人類初の人工衛星スプートニクが登場するところで思わず虚を突かれる。ああ、これって米ソの「冷戦」を背景にした、1950年代SF映画へのオマージュであり、ノスタルジーなんだ。つまり、まさに“アメリカン・オリジナル”なんだと。だから、あの執拗に巨大ロボットを追う捜査官にも、当時の狂信的な「赤狩り」的風潮を読み取れるし、主人公の父親がおそらく朝鮮戦争で戦死したことをさり気なく写真一枚で語らせるあたりの見事な演出も、1957年という時代設定だからこその巧みさ。そしてそれゆえ、宇宙から飛来した巨大ロボットに《ハート》があり、地球の少年と心通わせるという『E.T』あたりのスピルバ-グ風展開にも、よりいっそう豊かな陰影を与え得たというべきだろう。これは、真に「知的」な映画、本物の映画です。間違っても“アニメ”だからと馬鹿にしてはいけない。これだけ豊かな映画的センスと、それ以上に「歴史意識」をもった作品など、ただアドレナリン湧出の量だけを競うかのような、今の幼児化した「痴的」なほとんどのアメリカ映画において、きわめて稀れなのだから。…ウチの息子にとっても、本作のDVDはまたとない「財産」になってくれそうです。
10点(2004-02-16 16:10:40)(良:5票)
7.  赤い河 《ネタバレ》 
フランスのインテリどもに神格化され、今や映画史上の偉大な巨匠に祭り上げられたハワード・ホークスだけど、そんな者どもの小賢しい贅言など、この映画の問答無用の痛快さ・面白さ・素晴らしさの前にどーでもいいやい! クライマックスのジョン・ウェインとモンゴメリー・クリフトの殴り合い直前、ウェインがカウボーイのどてっ腹にいきなりズドンとぶちかますのにも(あれってジョン・アイアランドだっけ?)ビックリ。それが、あんな小娘の一喝で急に仲直りするいきなりな展開に、「映画はこうでなくっちゃ!」と、これまた理由もなく感激したぼくなのだった。
10点(2003-09-30 11:12:40)
8.  アウトロー(1976)
家族を殺された主人公が、いつしかはぐれ者たちによる「疑似家族」を作って一緒に旅をしていく。このあたりにイーストウッドらしい屈折した家父長制としてのヒロイズムを見る思い…なんちゃって。とにかく、カッコイイ、深い、面白い、の三拍子揃った大傑作!! ソンドラ・ロックも(この映画の時は)メチャ可愛いぞ!
10点(2003-07-16 16:33:03)
9.  アバウト・シュミット
今年(2003年)公開された映画の中でも、今のところ1、2を争う秀作。生きることの切なさ、やるせなさ、愛しさが、実にひょうひょうと描かれていて、まだ若い監督のくせにもはや名人芸のごとき巧さ。ジャック・ニコルソンはこれまでのキャリアでも最高の名演です。まだまだ脂ぎった彼が、ほとんど笠智衆(!)のように見えてくるなんざ、ビックラこいちまっただ。作品自体も、ほとんど日本映画のような撮り方で、この監督は今後とも要チェックと断言しておこう。 《追記》やはり2003年度公作品では、ぼくのベスト作品になりました。冒頭、主人公シュミット氏の会社がある高層ビルを映すカット割りは、まさしく小津安二郎作品そのもの。それも、単なるモノマネや青臭いオマージュなんかじゃなく、はっきりと自分の「スタイル」にしているところがスゴイです。一見地味だけど、これは本物の“滋味”あふれる秀作だ。
10点(2003-07-16 16:03:15)(良:1票)
10.  愛すれど心さびしく
カーソン・マッカラーズというアメリカ南部出身の女性作家による長篇小説『心は孤独な狩人』を映画化したもの。聾唖の男が小さな町にやって来て、周囲の人々は彼の優しさや温かさに心を癒されていく。が、聾唖の男は唯一の友人が死んだことでことで自殺。その時、彼に救われた人々は、ようやく誰も彼の孤独を理解してあげようとしなかったことに気づく…。という、救いのないストーリーではあるんだけど、映画は全編ナイーブな叙情と感傷に包まれていて、全編涙なくしては見られない。原作に比べて甘過ぎるという感じは否めないけれど、こんなにも繊細で美しい語り口の映画も、そうはないでしょう。主演のアラン・アーキンが素晴らしく、本作でデビューしたソンドラ・ロックも、ボーイッシュで傷つき易い美少女を好演しています。
10点(2003-06-30 18:28:29)(良:1票)
11.  アデルの恋の物語
これより完成度の高いトリュフォ-作品もあるだろうし、もっと「面白い」ものもあるかもしれない。けれど、ぼくにとってこれが最高のトリュフォ-映画。イザベル・アジャーニの鬼気迫るヒロインぶりを、突き放すんじゃなく、そっといたわるような眼差しで包み込む演出のデリカシー。しかしそれでもどんどんと堕ちていくアデル・ユゴーの愛の凄まじさに圧倒されてしまう。ここまでくると、その盲目的な狂気の愛は、一種崇高ですらある。それを「ストーカー」みたいな一語で斬られちゃ、困りますよ!
10点(2003-06-30 14:59:43)(良:1票)
12.  穴(1960)
こういう作品を見せられると、映画って実はなんの進歩もないばかりか、退歩してんじゃないか…と思わざるを得ない。いかにもジョゼ・ジョバンニらしい男の意気と意地に貫かれた”やくざもの”のドラマを、ベッケル監督が、まるでブレッソンの『抵抗』への対抗意識でもあるかのごとくストイックかつシンプルな大胆さで、圧倒的な「脱獄もの」に仕立てあげている。囚人たちが壁をガンガンと大きな音を建てて掘るシークェンスなんぞ、こっちが「聞こえるんじゃないの…」と心臓が縮みあがった。ラストの裏切り者に対する圧倒的な軽蔑の眼差しも、あんな眼で見られるような男にだけはなるまい、と妙に感じいったり。完全無欠な傑作であります。
10点(2003-06-30 14:49:18)
13.  アフター・ダーク 《ネタバレ》 
小生にとって傑作中の傑作。どこまでも卑小な犯罪ドラマでありながら、ここまで崇高な「悲劇」的カタルシスを与えてくれる作品が、この現代にあって可能だなんて…。過去の偉大な犯罪ノワール、『深夜の告白』や『郵便配達は二度ベルを鳴らす』なんかとも比肩する密度の濃さです。素晴らしい!《追記》先日ふと思い立って、この映画を見たくてたまらなくなったものの、行きつけの弱小レンタル店に在庫なし・・・。元ボクサーである主人公の、パンチドランカーゆえにろれつの回らない独白(モノローグ)と、演じるジェイソン・パトリックの素晴らしさ。「悪女」というには人間的でありすぎることが、かえって後半の悲劇性を高めるレイチェル・ウォードの、まるで往年のジーン・ティアニーのような美しさ。ざらりとした質感(それは、↑の【なるせたろう】さんがおっしゃる通りアメリカン・ニューシネマ的な、むしろ「1970年代映画」的な)で、白昼の砂漠をもノワールな色調に染め上げる、独特の映像感覚。・・・その他、このささやかな「B級」犯罪ドラマには、何て言うのか「これだ、これこそが『映画』なんだ…」と思わずにはいられない瞬間が満ち満ちている。今こうして書きながらも、この映画の中の男たち・・・悲しいくらい卑屈な小悪党ブルース・ダーンの、『サイコ』の映画的記憶が遠く反響したかのようなマーチン・バルサムの、何より、「負け犬」が最後に意地を見せたかのようなジェイソン・パトリックの、それぞれの死に様がフラッシュバックされてくる。・・・。もう一度言おう。ささやかなジャンル映画として埋もれてしまったかのような本作だけれど、誰がなんと言おうと、これこそが「映画の中の映画」だ。
[映画館(字幕)] 10点(2003-05-26 13:12:26)(良:1票)
14.  あの夏、いちばん静かな海。
北野武監督作品でも、最も美しい映画。冒頭近く、真木蔵人のボードをさりげなく持っていっしょに大島かおりのガールフレンドが歩くシーンで、早くもナミダが溢れてしまった…。日本映画史上に残る恋愛映画の永遠の名作だと、本気で信じています。
10点(2003-05-26 13:02:54)
15.  暗殺者
この映画は小生にとって、あくまで監督リチャード・ドナーと脚本ブライアン・ヘルゲランドの初コラボレーション作品という意味で、特別な存在なのです。ウォシャウスキー兄弟? 彼らのオリジナル・シナリオがあまりに(オタク的に?)つまらない代物だったんで、ヘルゲランドがリライト役に引っ張りだされたんでしょ。ついでにいうとこの兄弟の作品は『バウンド』にしろ『マトリックス』シリーズにしろ、内輪受け狙いがミエミエでどうも好きになれない(まあ、人類総オタク化の現在じゃ、それでいいんだろうけど…)。ほとんど鈴木清順の『殺しの烙印』(!)と同じプロットのなかに、ひねったユーモアとロマンチシズムを盛り込んだ内容は、昨今のテーマパークのアトラクションじみた映画の隆盛にあって突出して「映画」そのものの味わいをかもしだしている。あの消音器付きの銃での撃ち合いシーンなんて、たまらなくシュールだったじゃないですか。ああいう奇妙な味わいこそを評価してあげなくっちゃ。皆さんがどうおっしゃろうと、小生はこの映画を断固支持しますっ!
10点(2003-05-26 11:41:21)(良:1票)
16.  愛のコリーダ
日本による中国侵略という時代背景が、なぜこの映画の中で強調されるのか。あるいは大島渚は、男(=吉蔵)を大日本帝国の、女(=阿部定)を中国のメタファー(!)として見ていたんじゃあるまいか。男=日本は、女=中国を侵略(強姦!)し、植民地とする。だが、支配していく中で、男は女の果てしない性欲の前に疲弊し(中国の長征だ…)遂には敗北していく…。そういった性=政治的な視点が、この映画を極めてラディカルかつ崇高な”女性賛歌”に仕立て上げたのだと、小生は信じとります。…にしても、藤竜也、真冬の場面であの真っ黒に日焼けした肌にビキニパンツの跡は、アカンやろ…(苦笑)。
10点(2003-05-20 11:41:59)(笑:1票)
17.  愛に関する短いフィルム
思うに、この監督さんの最も美しい映画。後年の『トリコロ-ル』シリーズや『ふたりのベロニカ』は、やはりあまりにも作為と批評家受け狙いが透けて見え過ぎだったのでは。その点、『アマチュア』や『デカローグ』の頃は、純粋に対象や主題と向きあっている緊張感がみなぎっていて、そんな1本であるこの映画は、主人公の青年の孤独がもう痛いほど伝わって来る。ナイーブさと残酷さ、そして叙情がこれ以上ないシンプルな(しかし、実は相当計算された)画面からただよって来る、ぼくにとって永遠の名作です。
10点(2003-05-20 11:13:45)
18.  愛の世紀
前半の美しいモノクロで撮られた恋愛(について)の考察は、メランコリックで本当にうっとりするくらい素晴らしい。一転してデジタル映像で撮られた後半の、色彩の洪水の中で演じられるノーテンキなアメリカ(映画)批判にゃ大笑い。ますます「映画」そのものから自由になっていくゴダールに、ただ羨望と憧憬あるのみです。
9点(2003-06-30 11:59:58)
19.  I love ペッカー
社会のアウトサイダーに対する愛情の豊かさに関して、ジョン・ウォーターズの右に出る者はいない。そんな男が、芸術と変人に捧げた最高の賛歌。あまりのハッピーさに、後半はほとんどナミダがとまらなかった…。彼を単なる「ヘンタイ映画の奇人監督」としか考えていないアンタ! この映画と『ヘアスプレー』を見て反省しなさいっ!
9点(2003-06-11 17:24:01)
20.  愛を弾く女
この映画は、あくまでダニエル・オートィユのものです。あの、すべてにストイックな男のなかの男といったキャラクターは、映画史上に残すべきシブさとカッコよさだったと。それに対して、エマニュアル・ベアールのヒロインは、女の高慢さと愚かさをこれまたコワイぐらい適確に表現していて、こちらも絶品。すべては監督クロード・ソーテの手腕ではあるんだろうけれど、ここまで冷徹に人間を見据えた作品を見せられると、最近売り出しているフランソワ・オゾンの映画なんてコケおどかしに過ぎなく思えちゃいます。
9点(2003-05-26 11:11:30)
081.09%
140.55%
250.68%
3202.74%
4253.42%
5598.07%
67810.67%
79212.59%
817123.39%
98411.49%
1018525.31%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS