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もっつぁれらさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 542
性別 男性

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1.  華麗なる大泥棒 《ネタバレ》 
中盤辺りでのカーチェイスはもちろん凄いのだけど、自分が引き込まれたのは、追い込まれたベルモンドに迫り寄るオマー・シャリフ警察の足元のみを映すカメラ。 「地下室のメロディー」同様、アンリ・ヴェルヌイユ監督は緩急の“緩”の部分を魅せることに関して右に出る者はいないのでは。 その“緩”の極みともいえるのがこの映画最大のハイライト、冒頭の強盗シークエンスでしょう。 金庫の前で淡々と仕事をこなすベルモンド扮するアザドの鮮やかな所作には安心感すら感じさせるにもかかわらず、ドキドキして見入ってしまうのは何故なんだろう。 パトカーが行ってしまったと見せかけといて戻ってきたり、立ち去ろうとした瞬間に金魚鉢の割れる音で再び屋敷に戻ってくる“一度落として上げる”テクニックは、ヴェルヌイユならお手のものといったところでしょうか。 また、この映画のテーマ曲を口笛で吹きながら登場させるユーモラスな演出も大好きです。 おもちゃ倉庫や埠頭での再三にわたる警察との駆け引きも見ごたえがありますし、ベルモンドの体を張ったアクションも必見ですが、ラストが玉にキズ。 犯罪は成功せず、警察も殺さずで、道義的には悪くはない結末ですが、鶏のアップで締めくくるラストショットはちょっとビミョーかと。 しかし、前半の見ごたえのある映像はやはりインパクト大ですし、レストランのシーンではギリシャ料理の説明がさりげなくなされていたり、アテネの観光名所のアナウンスなども挿入されていたりと、異国情緒溢れる雰囲気も感じられ楽しく観ることができたと思います。
[映画館(字幕)] 8点(2022-09-22 14:59:05)
2.  勝手に逃げろ/人生 《ネタバレ》 
「お尻の割れ目が気持ちいい」や「ゴダールさん、後ろから犯して下さい」とかはまだ序の口。 DVD上映でしたけども、映画のスクリーンで修正のかかっていない性器を見たのは初めてですし、放送禁止用語は勿論、表現の内容まで結構ヤバい映画。 突然F1のマシンが出てきたり、「名前は?」「マリリン」「馬鹿にするな」で、改めてちゃんと自分の名前を言うシーンは地味に面白いです。 全編に渡ってスローモーションが至る所に出ていましたが、特に意味があってやっているようには見えませんでしたし、スローになった所に共通する何かというものも分からなかったです。 新鋭の監督じゃあないんだから、実験作みたいなのを作るのはいかがなものかという気がします。
[映画館(字幕)] 5点(2013-01-26 19:20:41)
3.  狩人 《ネタバレ》 
雪原を歩く狩人たちが発見したもの。それは20年以上も前に起きた民主化運動の市民兵の死体。と言うよりは、彼らが“生み出した”といった方が正しいかもしれません。 何故、あんな所に死体が・・・?ズバリそれは彼らに過去を悔いる気持ちが残っていたからと言えるでしょう。 彼らは死体を持ち帰り、皆それぞれが過去を回想することで忌まわしい過去を清算する。清算という言葉が的確な表現かはわかりませんが、何かしらの気持ちの整理をつけたと解釈しました。 回顧シーンの驚くべき手際の良さ、時の流れを巧みに操るスムーズさにしばしば目を奪われます。皆で囲んで食事をしていた長卓がスッと画面から消え、全く同じ長卓が今度は死体を横たえた出で立ちで瞬く間に姿を現すシーンにゾクゾクさせられます。 極めつけは、パーティー会場の中に市民兵が乱入し、動かないはずの死体も起き上がり彼らを外に出し一列に並ばせるシーン。銃声と同時に倒れる狩人たち。これが彼らが生み出した悔悟の念の最たる部分であったのでは。 そして、懺悔を済ませた彼らは再び雪原に戻り死体を埋める。新年を迎えるべく栄光館に戻る後ろ姿。 何故、アンゲロプロスはこの映画をブルジョア側の視点で撮ったのだろう? 彼自身も狩人たち同様、悔悟の念を抱いていたのかも・・・。読み間違いをしているかもしれませんが。
[映画館(字幕)] 6点(2012-07-01 22:07:44)
4.  過去と現在 昔の恋、今の恋 《ネタバレ》 
今から約40年前の映画ですが、オリヴェイラ監督の2000年以降のここ数年に作られた作品と似たような作風で、特に室内の映像での派手さを抑えた重厚な雰囲気(上手く説明できない)や、登場人物の息遣いまで伝わってくるかのような撮り方(本当に説明下手でスミマセン)が出ていて、映像を見ているだけでも満足してしまいそうです。 一つ一つのシーンを見るとカットを割る回数が少なく、ワンシーンワンショットまではいかないにしても3~5くらいのカット数で一つの場面を作っているため、非常にゆったりとしたテンポで進行していたのがいかにもオリヴェイラらしいといった感じで、映画全体のこのスローな雰囲気が自分は好きです。 問題はストーリーなのですが、最初の方で主人公のヴァルダが前夫リカルド(交通事故以前)と結婚していた時もそれ以前に亡くした夫のことを崇拝していた、ということが語られるシーンがあったため、映画後半でリカルドと“再婚”した後も同じことが繰り返されるだろうという事は容易に想像できてしまうので、その過去の事実を明かす会話さえなければ良かったのにと思いましたが、再婚するたびに亡くなった前夫を愛することを繰り返すというアイディア自体は悪くないと思います。 また、この頃のオリヴェイラは人の死を茶化すのが好きだったのでしょうか? 夫が飛び降り自殺を図る際、庭師に飛び降りるのを見られてしまい窓の上淵を触ってごまかすシーンの直後に本当に飛び降りてしまうというシーンがあり、笑いと死が隣り合わさってしまったこの有り得なさに、驚きと笑いの両方が同時に込み上げてくるという何か異様な感情が自分の中に出てきてしまいました。 他にも「もう死んだ?」「いや、まだ。」といった会話が廊下ですれ違いざまにサラッと交わされていたり、生きてるうちに棺桶を用意して、しかもそれをビリヤード台に斜めに立て掛けて置いておくという非常にアブノーマルなシーンがあったりと、脚本から映像からあらゆる方法でブラックな笑いを仕掛けてきて、いろんな意味で面白い映画でした。
[映画館(字幕)] 7点(2010-09-26 23:22:19)
5.  家庭 《ネタバレ》 
アントワーヌ・ドワネルもの第4作目。この時代のフランス映画の色調はかなり好き。ストーリーも、大きな起伏がなく平凡で、これはこれでまたいい。 二人の結婚生活はとても幸せそうで、近所付き合いも良好。しかし、すべてが上手くいっているにもかかわらず、アントワーヌの気持ちは何故か横道にそれてしまう。 アントワーヌが他の女性に気移りする理由が描かれていないようだが、もちろんそれは意図的なものによるもので、それは、駅のホームの赤ちゃんの看板を見て子供を作るのを思い立ったりといった行き当たりばったり的なドワネルの生き方みたいな感じ。 一方のクリスティーヌの方は、ドワネルの浮気が発覚した時は涙を流すほどに怒ったけど、しばらく経てば落ち着いて対処していてドワネルを手玉に取っているよう。実に良く出来た奥さんである。和服を着て化けてでてきた時はゾッとしたけど、世の中の旦那に浮気された女性の気持ちというのは、まさにあのような気持ちなんだろうなぁ~。 若干、無駄な脇役が多かったのと、オープニングのテーマ曲がミスマッチだったのを除けばさらにいい。ハッピーエンドで上手く締めくくったけど、次作は・・・“逃げ去”っちゃうの??  [追記]解釈を間違えてました。看板を見て子供を作ったのではなく、あれは、クリスティーヌが「服飾デザイナー・婦人科医・公訟人」のビルにそれとなく入り、ドワネルが看板を見て初めて子供ができたことに気づくという尺だそうです。DVDの特典にて発見。
[DVD(字幕)] 8点(2007-12-22 18:41:35)
6.  哀しみのトリスターナ 《ネタバレ》 
どのように撮ったのか全くわからない。ドン・ロペの生首、片足のドヌーヴの撮影トリックには舌を巻くしかありません。本当に想像もつかない。その映像テクニックにドヌーヴのリアルな演技がかみ合って実にリアルな映画に仕上がっています。 話の前半は、養父である筈のドン・ロペが「私はおまえの養父であり夫である」などと言ってトリスターナを束縛し、都合よく体を求めてきたりと息苦しさが伝わってくるような毎日。画家と結ばれて好転すると思いきや、病気を患い再び元の家に戻ってきてしまい、後半に入るとトリスターナの人生はますます転落していくのですが、圧巻なのは、ドン・ロペがホットチョコレートを飲んでいる間のトリスターナの廊下の往復シーン。ドヌーヴの表情を執拗なまでに何回も見せているところがとにかく気味が悪い! この表情も不気味で不気味で仕方ないのですが、街中で車椅子に乗っているときにその隣を乳母車が通り過ぎると、自分自身も乳母車の中の赤子のような気分になり、見せる屈辱の表情。そして、口の利けない若者に自身の裸体を晒したときの表情には思わず息を呑みます。 タイトルは“哀しみのトリスターナ”なのですが、実は哀しむべきはもう一人の登場人物ドン・ロペではないかという見方もできると思うのであります。というのは、この映画が作られたのがブニュエルが70歳の時。しかも、彼自身も無神論者とのこと。と言うことは、この映画のドン・ロペはまさにブニュエルそのものである、という解釈も可能なわけです。私は、彼は原作の中のドン・ロペに自らと共通する何かを見出し、映画の人物設定にも自分自身の姿を組み込むことにより自らの苦悩を描き出したのではないかと思いました。この映画にとても自虐的でマゾヒスティックな一面をブニュエルのプロフィールを見てから感じました。
[映画館(字幕)] 7点(2005-03-29 23:06:51)(良:1票)
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