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1.  GODZILLA 怪獣惑星 《ネタバレ》 
実写&特撮と差別化するために、未來世界を構築し、アクションとガジェットを充実させる。 かえってその為に多くの説明を要することにもなった。 見知った建造物が無いために、背景によってゴジラの巨大感を演出する術もなく そこも結局は数値を台詞で提示する形になってしまっているが、 作戦のプロセスを膨大な台詞のディティールで牽引していく戦略は『シン・ゴジラ』にも通じる。  その上でアニメーションならではのパース表現、レイアウト力を駆使してよくスケール感を出している。 後半はひたすらアクションに徹したのもいい。
[映画館(邦画)] 5点(2017-11-23 09:04:01)
2.  恋と嘘 《ネタバレ》 
東京とか京都とか既存の地名を用いながら、ほどよく背景を加工し、あるいはユニークな美術を施して異世界を演出している。 アイドル三人のアップに偏ることなく、引きのショットもふんだんに採り入れて世界観の提示を崩さない姿勢がいい。 佐藤寛太が森川葵をバス停まで送るシーンでは、二人の間の距離を絶妙なバランスでフレームに収めつつ 横移動で緩やかにフォローしていく。その会話の要所要所でカッティングインアクションでアップに繋ぐ。 二人の距離の変化や動き、バスが上り坂からやってくるタイミングに合わせて滑らかに回り込んだり、寄ったり。 そうした人物の感情に寄り添った堅実なカッティングとカメラワークが素晴らしい。 結婚式の列席者そっちのけで、式場から空港へと駆ける。 良識的には☓でも、映画的には〇。ということで、古澤健は今回も安定している。
[映画館(邦画)] 6点(2017-10-18 22:12:50)
3.  心が叫びたがってるんだ。(2017) 《ネタバレ》 
つながりの場所である旧秩父橋、親睦感と郷土感あふれる商店街、解放されていく心を象徴する武甲山の遠望。 それらロケーションの効果的な選択と、ミュージカルシーンの本格的な描写が実写版の強味だろう。  アニメ版ではライティングによって明部と暗部を対比させて人間関係の断絶を示唆したり 雨や雪に沈む心、冷え行く心情を仮託するような演出が採られていたが、 こちらはその点が弱いか。  思いをなかなか口に出来ないヒロインが利用する携帯電話の文字を画面に並べる手法も 結局はそれしかないのか、という感じだ。確かに難しいのは解るのだが。
[映画館(邦画)] 4点(2017-09-10 06:06:23)
4.  ゴースト・イン・ザ・シェル 《ネタバレ》 
ガラス面や水面への反射、ダイブのアクションなどメタファーのイメージが充実している、といってもそれは押井版の功績だから こちらには加点出来ない。広角レンズの画角の歪みが特長的な押井流のレイアウトシステムがそもそも実写的感覚を強く志向していたわけで、 背景などは3DCGに近いとはいえリアリズムを意識しながら撮るとなると必然的に押井版のコピーに近い構図とイメージとなってしまうという事だろう。  象徴的イメージである高層階からのダイブや、乱立するホログラム、水飛沫、割れて飛び散るガラス破片などの3D効果も、やはり元の押井版のスタッフが 優れて立体的なレイアウトを達成していたということである。  射殺されるジュリエット・ビノシュを映し出す、割れるガラス。雨の中で刺客に止めの銃弾を撃ち込む北野武のハードボイルドスタイル。 押井版では夕刻だった潜水シーンの、ナイトシーンへの変更。 そうした本作独特の細部は『ブレードランナー』風味とも相まって、フィルム・ノワールの趣をより強く印象づける。  『アヴァロン』のヒロインも草薙素子のイメージに近いと言われたが、それよりも断然華があるスカーレット・ヨハンソンのヒロインの凛々しさもいい。
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2017-04-13 23:02:35)
5.  恋妻家宮本 《ネタバレ》 
アップの表情とモノローグの氾濫と劇伴で一から十まで説明しつくすテレビドラマ仕様。 息子の転居であるとか、妻が語るボランティアの話とかロウソクの小道具であるとか、 震災後の福島が絡むエピソード(原作では宮城)なども取ってつけたように持ち出されるのだが、これも見事にただ台詞として語られるだけで 具体的な画面として提示されるわけでもドラマの大筋に係わってくるわけでもない。善良で優しいストーリーのダシに利用されている印象すら受ける。  主要な要素の一つである料理の映像も下手(そもそも調理を描写しない)だし、富司純子の扱いも酷い。  この程度のものをよく海外に出せると思う。『道程』とかのつまらない日本語エピソードなどの翻訳をどうするとかの意味ではなく、 単純に観客を舐めた言語偏重の全面介護方式という意味で。
[映画館(邦画)] 3点(2017-03-17 23:51:01)
6.  この世界の片隅に(2016) 《ネタバレ》 
キャラクターの描線の淡い色調が背景画とよくマッチして、柔らかなトーンで統一されている。 一時期のスタジオジブリのような極端な細密さではなく、ほどよい加減で省略を採り入れた美術も大らかでよい。 それでいて、道端の草なども当時の植生を細やかに再現しており、道行くエキストラの服装に至るまで妥協がないのが 画面作りに対する仕事ぶりから察知できる。  廃墟となった家の入口付近に重石をされた書置きがある。通りの端で子供ら二人がままごと遊びをしている。 背景に配置されたそんな細部から主人公家族以外の人々のドラマまでが立ち昇ってくる。 風に揺れる松の木の葉、米一粒一粒の白さ、風に舞うタンポポの白い綿毛一つ一つの動きの細やかさが タイトルと共に主題を浮かび上がらせる。
[映画館(邦画)] 9点(2016-11-13 19:36:06)
7.  ゴーストバスターズ(2016) 《ネタバレ》 
清々しいくらいの「女尊男卑」映画で、学部長だか市長だかを始め、まとも(?)な男性はほとんど登場しない。  クライマックスで、あわや三人のメンバーが押しつぶされそうなところでクリステン・ウィグの登場によって勢ぞろいとなるのだが、 彼女は単なる遅刻でしかない訳だから、そこには再結束のケレンというものがない。 普通は事前にメンバー間の確執だとかを配置しておくのが定石なのだけれど。  メリッサ・マッカーシーとの過去のわだかまりもいま一つ判然としないので、ラストの救出もエモーショナルな起伏に欠けてしまう。  というわけで、ドラマの抑揚のつけ方がまるで拙いのである。  政治的に配慮されたキャスティングバランスと、先端のVFXでありながら陳腐なバカ騒ぎ。それだけでは戦略的に厳しいのは当然である。
[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2016-08-21 07:16:18)
8.  殺されたミンジュ 《ネタバレ》 
明快すぎる邦題からして、思想内容先行型で言語的である。初期作品の寡黙さが嘘のように、登場人物が饒舌だ。 そんな事まで、と思うくらいよく喋る。  メッセージの比重の高まりは幾度となく指摘されてきているけれど、これはやはりかなりの退行だろう。  拉致や窃視や尾行、盗撮といった要素がさして映画的に機能しないのも宜なるかな、である。
[DVD(字幕)] 4点(2016-07-08 11:47:19)
9.  恋人たち(2015) 《ネタバレ》 
地に足をつけ、ペットボトルを踏みつぶし、自転車を漕ぎ、高台で放尿する成嶋瞳子が身体性をフルに発揮して素晴らしい。 橋梁を叩き、冷たいパンを貪り、鬱憤を溜め込んでいく篠原篤の佇まいも口舌も、見事に映画の芝居である。 闇と光と水、接触と不具。それらの主題によって、単なる観念映画とは一線を画す。  黒田大輔に思いを吐き出す篠原の叫びの痛ましさ。その表情に、劇中でただ一度カメラが一気にズームする。 それが正しいのかどうかは判らぬが、カメラも思わず自制を失い図らずも寄ってしまったという感じの画面の動揺と合わさり、心を揺さぶられる。  ラスト、青い空を背にボートに乗る男たちの、前を見つめる凛とした表情が心に残る。 カーテンの開かれたアパートの窓から陽光が美しく差し込み、黄色いチューリップ瑞々しく照らし出す。 部屋の佇まいもまた、人物の感情を見事に表象している。
[映画館(邦画)] 8点(2016-03-16 01:47:26)
10.  GONIN サーガ 《ネタバレ》 
福島リラを土屋アンナが冷蔵庫のドアで滅多打ちする、桐谷健太や東出昌大の身体に銃弾が突き刺さる、その行為自体はバイオレントなのだが画面を通した痛覚はどうも希薄だ。映画のせいなのか、こちらが不感症なのか。  離れた場所にある拳銃を何とか手繰り寄せて反撃を、という状況も幾度か作っているが、これらも位置関係の提示が不徹底でサスペンスにならない。 監視カメラやなりすまし携帯メールを巡る駆け引きも、竹中直人の凄味で何とかスリリングに仕上がっている感じだ。  クライマックスも何やら物足りないと思っていたところで、抜かりなくスプリンクラーの雨が炸裂して一安心。『イコライザー』の後では分が悪いが。  エンディングの空撮夜景と濃紺の海が何より艶かしい、というのも少し寂しい。
[映画館(邦画)] 6点(2015-09-28 23:27:04)
11.  黒衣の刺客 《ネタバレ》 
何処其処のシーンがどれそれの映画を想起させ、、といった紋切り型はあまり相応しくないだろうが、 監督本人もパンフレットで「黒澤明などの侍映画」の影響について言及しているのだから、あの霧とか突き刺さる弓矢とか山中の騎馬の撮り方は 『蜘蛛巣城』あたりの淡い影響なのかもしれない。忽那汐里は『羅生門』?呪術を使った水の流れは何やら『雨月物語』のような。  その緩やかなカメラワークと大気の流れと人物の動きは、数々の美しいロケーションそれ自体による画面の固定化(審美化)、観念化を阻んでいる。 そしてスタンダード(一部ビスタ)のフレームゆえに意識が向く画面の深度と重層性。  襲い来る剣先を紙一重のスウェイで冷静にかわし、受け流していくスー・チーの優雅な動きと寡黙な表情にも惚れ惚れする。
[映画館(字幕)] 8点(2015-09-27 22:26:06)
12.  心が叫びたがってるんだ。(2015) 《ネタバレ》 
背景の中で動くものといえば、3DCGのバス、電車、まばらな車。そんなところだろう。 宮崎駿をスタンダードとして見てしまう身からすれば、そんなものはただの手抜きアニメだ。 交流会でのその他多勢の観客はただの静止画に過ぎず、街には雑踏がない、風も吹かず、雨もロクに降らず、雲もまともに動かない。 画面によってではなく「風が冷たくなってきた」とかいう台詞でかろうじて季節が示唆されるという情けなさ。 あのような情けない雪なら降らせる必要がない。足跡もまともに活用出来ないのだから。  ミュージカルとしても、仲間との練習の中で心を通わせ、歌唱の練度を上げていく描写はその要ではないのか。 そこを手抜きしてはドラマの起伏も無いだろうに。要はとことん面倒臭がりで横着なのである。 社会も世界もなく、カワイイ女の子を中心に、ただ描きたいものだけを動かすのだから、アニメーターも楽しいだろう。  その女の子が何やらチマチマと指先で携帯いじりをして、画面にその文字情報が大写しで並んでいく、、。 はっきり云って、アニメーションとして自堕落である。   一般的にはこういうアニメーションが主流なのだろうから、如何に宮崎駿が異端であったか、という事だ。 アニメゆえの台詞過剰をあの媚態混じりのアニメ声音でやられるのも苦痛でしかない。  そういう意味で、これなら実写のほうが余程マシである。  公演中に小津をやったりしてるのだが、どちらかといえば単に山下敦弘の『リンダリンダリンダ』をやりたかっただけかも知れない。
[映画館(邦画)] 2点(2015-09-24 23:53:10)
13.  この国の空 《ネタバレ》 
まずは雨音の響きから始まる。 その低く静かな響きは、映画がSEに対しても丁寧に演出を施していることを直感させる。 物々交換に出た母娘が食事を摂る河原のせせらぎ、境内に響く蝉の鳴き声とそれに照応するラジオのノイズ、 ラスト近くで再び降り出す小雨の音など、印象的なシーンは ことごとくそれらの環境音が場面の官能性を一段と高めている。  映画は冒頭から家屋セットでの芝居が中心で、予算の制約も確かにあるのだろうが、 神社の坂道や子供達が川遊びをしている川にかかる橋など、見栄えのあるロケーション も様々に取り込んでいて作り手の意欲はよく伝わる。決して貧相ではない。 解説で確認しなくともはっきりフィルム撮影とわかる画面の肌理も昭和の味がある。  空の題名を持ちながら全体を通しても空のショットは非常に少なく、前半は Bの編隊が飛ぶ赤黒い空くらいのものだが、それだけに青空が大写しとなる工藤夕貴と 二階堂ふみの川原のシーンはやはり特別なのだ。  食事の映画でもあるが、それは時代背景描写にとどまらずそれぞれの関係性や心情を 慎ましやかに炙り出す描写としてあるところが素晴らしい。  二階堂ふみのラストのストップモーションも絶品だ。
[映画館(邦画)] 8点(2015-08-31 22:35:44)
14.  ゴーン・ガール 《ネタバレ》 
カメラに正対した第一ショットのロザムンド・パイクの妖しい瞳の表情から 一気に引き込まれるのだが、ラストで反復されるその黒い瞳の力は145分の ドラマを経て一層の凄味を増して迫る。 映画を牽引していく彼女のキャラクターが圧巻だ。  携帯カメラで撮られた表情によって印象操作される、 テレビショー出演の反響と印象度を即座にネットでチェックするなどといった、 メディア批評も随所で光る。 スクリーン内スクリーンの中で夫を演じるベン・アフレックの表情に交差する 虚と実が何ともスリリングだ。  そして本作でも、ズリ上げを始めとする音使いの妙が映画のテンポを上げている。 有り金を奪われたロザムンド・パイクが公衆電話で話す声をかき消す トラックの騒音、ドアのロック音・ノック音など、さりげない音を サスペンスにしてしまう演出に唸る。  妻の帰宅シーンにあえて安堵感に満ちたBGMを被せるシニカルな選曲なども堪らない。   
[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2014-12-11 23:43:37)
15.  GODZILLA ゴジラ(2014)
人間ドラマ部分は、冒頭の家族のシーンをはじめとして顔面アップのくどい、 相変わらずの平坦な主流ハリウッド式画面が続く上に、怪獣映画の宿命的な理屈付け に費やされるのだが、ひとたび特撮シーンになると画面は俄然、密度と奥行きを増す。  退避区域に打ち捨てられた車両のドアミラーに、対岸の風景 つまりカメラの背後の画を映り込ませたショット。 または、バスの窓に映るゴジラの背鰭と、それをバスの中から見上げる子供たちと を重層化させたショット。etc. 反射物を利用して一つの画面空間に奥行きを生む工夫だ。  対峙する怪獣2体を、間に挟まれた人間が交互に振り返りながら仰ぎ見るショット。 津波に埋もれる街路から、次々と停電していくビルの窓を追いながら上昇し、 屋上から発射された照明弾を追っていくと、 左手に巨大生物の皮膚が黒光りしながら浮かび上がってくるショット。  これらはカットを割らずにカメラを持続的に移動させて空間を広げることで、 立体感と巨大感を生む工夫だ。 その持続的なカメラは、ゴジラの見得切りのタメと外連でもある。  ビル群や粉塵の演出は勿論のこと、海鳥をその周囲に飛ばせること、 チャイナタウンの瓦屋根や 赤い提灯を画面手前に配置しての構図取りなど3Dを意識した芸も細やかだ。  東宝特撮映画には必須の、火薬大爆破シーンも取り入れて抜かりない。  ドラマにかかわるわけでもない、退避地区の野犬や線虫。津波に追われる犬。 東海岸のコヨーテや海鳥など。役割がなくとも何気なく画面に現れる動物たちも 映画を単調にさせないアクセントとして気が利いている。
[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2014-08-02 14:09:43)
16.  言の葉の庭
雨滴の一粒一粒、枝葉の一枚一枚まで疎かにしない、 眼を奪う細密の画面は大スクリーンにこそふさわしい。  鮮烈なグリーンのグラデーション、潤いを湛えた水面の光の揺れと滲みは、 リアルを超える。  そしてキーライトの当たる逆側に薄緑の淡い影を配したキャラクター像の斬新さ。 トレスラインを含め、約4色を使った立体的な色使いが独特の味わいであり、画期的だ。 その自然光への意欲的なこだわりは天晴れの一語。  朝陽が差し込むベッド上に漂う羽毛の粒子の表現など、そこまで拘るかと恐れ入る。  時に静かに、時に激しく、男女の感情の揺れを様々な雨の情景が代弁する。  雷光の一閃から激しい夕立へ。そして晴れやかな夕陽へ。 その時間の推移描写とエモーションの昂ぶりが素晴らしい。    
[映画館(邦画)] 9点(2013-06-01 22:54:26)
17.  この空の花 長岡花火物語
いわゆるナチュラルさを装った小芝居を潔しとせず、あえて棒読みさせてまでも俳優に 「日本語」を的確に発音させる事を重視してきた監督である。  ここではさらに徹底し、台詞は元より新聞記事から擬音語・字幕まで動員して 画面に活字を展開させ、言葉へのこだわりを見せつける。 映画と演劇とアニメーションが合成され、渾然となる炎のクライマックス。 フィクションとドキュメンタリー。言語と身体。過去と現在。花火と爆弾。 そして現実とファンタジー。 それらがパワフルに一体化し、エモーションを形成する。  花火もよく撮れているが、やはり一輪車に乗った少女の 中空で揺れるようなモーションとイメージがなかなか秀逸だ。 
[映画館(邦画)] 7点(2013-04-21 04:46:36)
18.  婚前特急
「感情移入」なんてものを受け付けないスクリューボール(=常軌を逸した変人)的主人公を演じる浜野謙太の風貌とズレた台詞がいい。  一般性と特殊性が綯い交ぜとなったユニークなキャラクター造形だ。  拘置室の「壁」を挟んだ男女間の闘争は、スクリューボールコメディ(SC)第一号『或る夜の出来事』の「エリコの壁」の変奏とも云えよう。 それも最終的には恋愛の成就(女性の勝利)に帰着する点や、具体的恋愛表現をほとんど短いキスだけに留めている自主検閲的側面なども伝統的SCの王道を踏襲している。  四人が囲む会食シーンや、浜野のアパートでの取っ組み合いシーンを始めとする然るべき長廻しは、場の空気の変容を捉えるための然るべき個所で的確な構図とともに用いられており、巧みだ。  どこかアドリブ感も感じさせる吉高由里子の豊かな芝居も楽しい。 忍び込んだ浜野のアパートで大慌てする様などは最高だ。 
[DVD(邦画)] 7点(2012-02-11 18:02:37)
19.  コクリコ坂から 《ネタバレ》 
非映画的な「説明のための説明」など無い方が良いのは、言うまでもない。 主流シネコン映画の「全面介護式」に慣らされ、1から10まで手取り足取り映画に説明してもらわねば何も「ワカラナイ」観客、あるいは「見ていても気づけない」観客、(ついでに言うと「メッセージ依存者」)には不向きな映画であることは間違いない。  エスケープから戻った路面電車乗り場の告白シーン。カメラ正面に向いた少女の後景に次第にヘッドライトが入射し、今度は切り返された少年の正面へ順光が入射する。続いて横からのショットとなり、少女のいる画面右手から少年の立つ左手へと光は伝わり、彼らの後方でドアが開く。 古典的で寓意性豊かなシーン作りが絶品だ。 あるいは、『天空の城ラピュタ』的な垂直線上の出会いの鮮やかさ。 マッチを摺る、キャベツを千切りする、あじフライをフライ鍋の中で箸で裏返すという細やかな調理動作の見事さ。 そして金槌打ち、ハタキ掛け、壁塗り、箒掛け、雑巾掛け、荷物運びといった清掃の動作のアニメーションも過去作の群を抜いて多彩だ。  何故、宮崎駿は「労働」のシーンを重視するか。それは、アニメーター自らが徹底した観察と実演を通さねば描き得ないアニメーションの基本だからだろう。 だから彼は何よりもまず労働の場としてカルチェラタンを設定・脚本化し、スタッフに作画を課す。 彼は、人間の細部の動作を写実する地味で困難な作画を通してアニメーション文化の継承と若い人材育成に専心しているように見える。そしてスタッフはそれに見事に応えている。  宮崎駿を不遇時代から理解し、支え続けた故・徳間康快氏もあからさまに登場するが、それはこの作品が、宮崎から亡き恩人への直截な返礼と手向けであることを示す。  助力してくれる旧世代への信頼と肯定。そこから新世代の進歩が生まれるというメッセージ。それは討論会のシーンでも少年の演説の形を借りて直裁なまでに謳われている。子供達の未熟を映画は否定しない。 宮崎吾朗組は、先達の信念を肯定し尊重しつつ、それを継承することから、新しきを模索してゆこうとする。  少年と少女は、オート三輪やタグボートを駆る大人達の助けを素直に借りて協働しながら坂道を下り、海を渡る。 前半の「上を向いて歩こう」に呼応する武部聡志のサントラナンバー「明日に向かって走れ」に乗って二人が坂道を並び駆け下りて行く横移動シーンの高揚感、ロマンティシズムが素晴しい。 
[映画館(邦画)] 9点(2011-07-19 23:41:36)
20.  これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫
時代風俗描写は控えめで、髪型・コスチュームにそれを匂わす程度。 前半はセット中心だが、後半はロケーションの投入によって映画に自由で開放的な空気が入り込んでくる。 信頼の置ける山根貞男氏も褒める夜の疾走シーンなどは断然引き込まれる。 セーラー服の浅野忠信と学生服の掘北真希が夜のゴールデン街を走りぬける、その二人の屈託ない笑顔と、画面の躍動感が素晴らしい。  浅野は、演じる役柄の幅広さを存分に見せつけ、また掘北も酒乱を懸命に演じるほど、逆に彼女本人の素直で健気なキャラクターイメージがより強調される点も首尾がいい。  屋台のチャーシューメンをすする。洋酒を一気飲みする。そうしたちょっとした食事シーンの魅力がいかにヒロインに対する好感度を高めるかも、よく心得てられている。  赤塚不二夫作品の特長が、戦略的な無意味・無目的・出鱈目・脈絡の無さなら、この映画の、特に後半の空想劇のナンセンスな諧謔こそ、赤塚に対する敬意であると云える。  大騒ぎの後、静かな夕焼けの屋上で見合う二人。西新宿開発の槌音が小さく響いてくる。シンプルなセットが不思議とノスタルジックな風情と一抹の切なさを醸す。 
[映画館(邦画)] 6点(2011-07-02 15:44:57)
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