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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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141.  上海異人娼館/チャイナ・ドール
技法的にはそれまでのおさらいといった感じで、残る影・たたずんだりうずくまったりしている少年像・色付きの画面・ドアの外の海・川の中から浮かび上がるピアノ、など印象深い。テーマとしては、「依存と解放」ってなことを思った。「今のままの中国のほうがいいのではないか」とステファンが革命家たちに言う場面があって、もちろん圧政を肯定するわけじゃないんだけども、そういうレベルとは違ったマゾヒスティックな依存による安逸ってものもこの世には確かに存在する。Oの自立を通して、解放に向かう精神的な心構えのようなものを描きたかったのではないか。その困難さとともに。
[映画館(字幕)] 6点(2009-12-26 11:57:58)
142.  七変化狸御殿
狸御殿ものだけど、御殿が出るのはアタマの化けくらべ歌合戦のとこだけで、どちらかというと七変化道中ものがメイン。鬼ヶ峠を越えるワンシーンだけ桃太郎になったり、フランキー堺とのドラム・腹づつみ合戦では蝶の衣装になったりと、それぞれの場面に合わせて、コスプレしていく(もっとも蝶の衣装で歌ってたのは羊の歌だったが)。歌では、道中おてもやんメイクで“カラコロカラコロ…”と歌う「お祭りマンボ」調の軽快な曲がよかった(追記:あとで調べたら、米山正夫作詞・作曲「日和下駄」という歌だった。「美空ひばりゴールデンベスト」ってCDにも収録されてるぐらいだから有名なんだろう)。高田浩吉が、ひばりのヒット曲の替え歌で天の声を聞かせるって趣向もある。54年は『ゴジラ』の年で、こっちでも放射能雨が絡んでくるが、敵方のコウモリ集団が雨を避けようとコウモリ傘をあわててさす、ってギャグに使われるレベル。ひばりの相棒はポン吉の堺駿二で、ひばり相手のときはあまり弾まないが、舞台が長崎になって悪漢外人の伴淳とやりとり場になると生き生きする。やってることはほんとアチャラカなんだけど、舞台の喜劇人の呼吸が場面を活気づかせる。登場する喜劇人では敵役の有島一郎がコンスタントに良かった。でも一番笑わせてくれたのは高田浩吉の森の精で、頭に手拭いのせた粋な姿の似合う人が、ターバンみたいの巻いてマント着て出てくるの。ひばり七変化の最後は当然お姫様姿、笑って手を振る高田浩吉にこちらも円満に笑えた。有島やフランキーが出て、やたら群舞もあって、すごく東宝的なんだけど、これがなぜか松竹映画なんだな。
[DVD(邦画)] 6点(2009-10-18 10:46:23)
143.  新・仁義なき戦い 組長の首
シリーズは退化していく。菅原文太がかっこよくなってしまった。みっともないしぶとさが魅力だったのに、どんどん作っていくとみっともなさがスタイルになってある種のかっこよさになってしまい、それだけでなく、この作品など昔風のニヒルなかっこよさにまで退歩していると感じられる部分もあった。ケライに殴り込ませて死なせておいて、ただ眉しかめてるだけなんて、昔の文太はやらなかった。本作の新機軸としては、跡目を狙って次々と男を渡り歩くひし美ゆり子(アンヌ隊員)がユニークなところだけど、決してこれはしたたかさとして感服するようなことではなく悲惨な状況であろう。しかしどうも作者は、ここに女の強さみたいなものを表現したつもりでいるみたいだったのに違和感。このシリーズにカーチェイスは似合わず、成田三樹夫もあんまり良くなく、梶芽衣子も中途半端。でもそれなりに楽しんでしまうのは監督の力量か。
[映画館(邦画)] 6点(2009-10-11 12:01:19)
144.  女工哀歌(エレジー) 《ネタバレ》 
駅の場面なんか、日本の集団就職列車(「ああ上野駅」)を思い出させ、いま中国はあの昭和のころにあたるのか、と思っていると、さらに苛酷な徹夜続きの睡魔との戦いがあって、こうなると大正時代の「女工哀史」だなあ、となり、つまり急速に近代化が進むってことは、こう現代も昭和も大正も一緒くたにドッと来ちゃってるってことなんだなあ。たしかにひどい。劣悪。労働者の中国共産党が勝利した国で行なわれている搾取。この映画がその告発をしているのは確かだが、でもけっこう映画見終わった印象としては、彼女たちの明るさが残る。女子校の寮のような賑わい。寝る前のひととき、ダンスありファッションショーごっこあり。その対比が映画の面白さになっていて、彼女たちのしぶとさを応援したくなる(14歳の女の子が、これ以上給料遅配だとストすると主張するんだ)。だからこの邦題は鑑賞の方向を決めすぎてしまっていて良くない。もちろん問題なのは中国の企業だけではなく、さらにその周りで買いたたいている我々を含む国々があるわけで、異様に安すぎるセールス品を見たときは、彼女たちのことを思い出さなければならないだろう。主人公ジャスミンが出荷前のジーンズに買い手へのメッセージを忍び込ませようとしたときに思ったんだけど、あの冷凍ギョウザ事件って、劣悪な環境で働かされている工場の労働者が、さらに過激な方法で買い手に送ったメッセージだった、とも思えるんじゃないか。
[DVD(字幕)] 6点(2009-09-13 12:01:40)(良:1票)
145.  ジャーマン+雨 《ネタバレ》 
考えてみれば、これ、かなり暗い話なんだ。変に過去の重圧を背負い込んでしまった女の子が押し潰されていく、って。もちろんいま“家系の存続”なんて自然主義文学のテーマみたいなものがマジで出てくるわけもなく、映画はユーモア系で押していくが、でもそれがパロディってのでもないようで、つまり作中のよっちゃんが人のトラウマを歌にしていったように、なにか「自然主義文学になってしまいかねない剣呑なもの」を「歌のようなもの」に変換していった映画なのだろう。違うかな。ドキュメントタッチのところが、ドッジボールの場など良く、そしておそらく本作最良の場、笛教室の子どもたちが勝手に遊んでいるシーンが素晴らしい。羽仁進の『教室の子供たち』のようなカメラを意識しない自由さで、マンガ本に色塗りをしている子、壁の落書き、風船遊び、国語の教科書を淡々と読み上げていく声、などが交響し盛り上げていく。ドキュメント調でありながら、未来の復興し得た林家の幻想のようでもあり、そしてこのシーンは白い光で閉じられる(この映画のほかのシーンは黒みで終わって次に続くようになっている)。田舎の風景の適度な広さが味わいで、家の玄関前とつながる隣りの畑の見通しの良さが心地よい。滋賀県だそうだ。ならラストで走ってたのは琵琶湖の岸か。
[DVD(邦画)] 6点(2009-08-24 12:02:59)(良:1票)
146.  上海ルージュ
老人が勝ち、若者が滅んでいく、それはもう、一つの時代が末期を迎えている症状なのだ、ってことか。実に通俗的な設定を、黄金色に閉じた前半と、蕭条とした風景の中に拡散していく後半、の二段構えで描く。後半が前半の繁華を批判している、という感じではなく、どっちもそれぞれに、はかない。囚われの女は周囲に不幸を撒き散らしてしまう、そのことの悲しみ。どこからともなく聞こえてくる歌声の効果など、いつもながら音には鋭敏で、呼び鈴とか、軒下の風鈴、繰り返される子守唄のメロディは、硬質の木琴の音、オーボエ、月琴(?)、女声などによって変奏されていく。美しさという点ではいつも見事なのだが、映画のドラマとして切実さがも一つ感じられないというところも、いつも。
[映画館(字幕)] 6点(2009-08-16 11:59:32)
147.  小便小僧の恋物語 《ネタバレ》 
電車に家族を奪われた男(人に見られてると小便できない)が、市電の女運転手に恋する回復もの。と思ってたら、回復ものにしてはラストが陰気くさくなってしまった。ハッピーエンドじゃ軽くなってしまうので、悲劇に仕立ててみました、って感じの作品、けっこうヨーロッパ映画に多く、安易にハッピーエンドにするハリウッドと足して二で割りたい。死で片づけちゃいけないこと・片づけられないことの方が、この世には多いはずです。主人公が仕事に就くあたりの手際のいい省略なんか良かったし、公園のベンチで星空を見上げる夢が、ベッドから吊るした星を見る場になったりと、演出は手堅い。
[映画館(字幕)] 6点(2009-08-14 11:53:17)
148.  シクロ
最初はリンタクに靴みがきでデ・シーカの世界に近いのかと思っていたら、何かギラギラしたものが出てきて、どちらかと言うと初期の大島渚か。俯瞰。この世間を離れた裏稼業のやくざの目で、あくせく働く表の庶民を俯瞰している。近代的なビルが建ち並ぶ下を、健全なシクロ一家が抜けていくラスト。おそらくそれに嫉妬する無垢な少年時代の「詩人」が見下ろしているという感じ。構造自体はグレかけたけどグレなかったのと、グレたのを恥じつつ死んでいくのと、というオーソドックスなものだけど、その彼らのまわりで「現代」がぐんぐん広がっていく圧迫感が描かれていた。タイヤの空気入れの仕事してるじいさんのとこに、まちがって体重計が届き、ならこれで商売してみようか、なんてエピソードがいい。あと、ベトナムにだって変態はいるんだ、ってこと。ああいうのはとかく高度資本主義社会のひずみとかで片づけられるけど、人の社会があるところ変態はちゃんといるんです。女親方の顔もよかった。それと色に意味づけがあったみたいで、黄色、赤、青などが象徴的に画面を彩る。熱気がこもってて表面はひんやりしている怖さ、みたいのがある。
[映画館(字幕)] 6点(2009-08-01 11:57:32)
149.  ジェリーフィッシュ(2007) 《ネタバレ》 
漂う者たちの物語。それを象徴するのが浮き輪の少女で、両生類のような水圧に強そうな目をしている。ヒロイン1は職を失い漂いだす。ヒロイン2は結婚式のトイレで挫いて文字通り「地に脚がつかない」状態、新婚の亭主も上の階の女性に漂いかけている。ヒロイン3は遠くフィリピンから漂い流れてきた、船のおもちゃを子どもに買って帰るために。この三者が交錯するという展開は最近では珍しくなく、なあにラストはチャリティの場か何かで皆が一堂に揃うんだろう、と思ってたら、なんか話が深刻になってしまった。漂わないビンの中の船の模型が不吉だなあとは思ってたんだ。ドラマ作りの作法としては最後に三者が揃って締めるほうが正しいだろうが、きれいに終わらせるよりドラマを開いて終わらせるほうを作者は選び、若い監督ならこっちを選んだことを褒めたい。うまく語るより、まず語りたいことを語ることだ。
[DVD(字幕)] 6点(2009-06-17 11:59:16)
150.  ジングル・オール・ザ・ウェイ 《ネタバレ》 
おそらく誰も積極的な期待を持たないで見る映画だろうし、作るほうもその線に沿った作品なのだが、オモチャを求めて四苦八苦という中心モチーフはコメディの基本に忠実でよろしい。ブニュエルに脚本書かせれば、もっとコッテリと欲望にたどり着けないドラマを展開して面白かっただろう、などと勝手に想像する楽しみもある。ラスト近く、主人公がターボマンになって飛び回り出すあたりは、このまま変な方向へ弾ければ怪作になれるぞ、と手に汗握ったが、家族愛に収斂してしまうところが、ハリウッドがブニュエルになれない限界なのだった。敵役が、隣家の色男、一緒に人形をさがす郵便屋、いつも邪魔に入る警官と、三段階になってて、それがラストのパレードで全部出尽くすわけだ。ここらへんはキチンとやっている。クリスマス映画というものは、赤・緑それにパレードの黄色など、フィルムに色が着いたことをとても有効に享受している。
[映画館(字幕)] 6点(2009-05-13 12:07:02)
151.  縞の背広の親分衆
おそらく同時代に見ていれば、3日たてば記憶からきれいに消える映画だろうが、今見ると東宝系コメディの懐かしさが匂いたって、へんに嬉しい。スリー・バブルズでしたか、ああいうのの存在とか、だいたい団令子が出るとそれだけで懐かしい。あそこまで丸々としたスターってのは、この時代以外にいただろうか(次点で京マチ子と薬師丸ひろ子)。フランキーと西村晃が小金治の店の入り口でにらみ合うとこ、若き愛川欽也(なぜか出ているのだ)以下チンピラ三名を鍛える東京タワー下・愛宕山の階段界隈の場とか、森繁が苦情係(象屋デパート)で各家庭を回るとことかに、はずみがある。ジェリー藤尾ら一党が出入りに出ていこうとして行進になるあたりも、実に東宝的。べサメムーチョから浪花節になるテーマ曲、森繁は当たり役森の石松の子孫という設定なのだ。
[映画館(邦画)] 6点(2009-02-25 12:17:10)
152.  シークレット/嵐の夜に 《ネタバレ》 
古典文学の偉大さは応用が利くということで、「リア王」の脇にスポットを当てればまた違うドラマが生まれ、しかし王の大きさはそのまま裏返されて残っているのが面白い。アメリカの農場を舞台にどう当てはめていくか、という、単純に見立ての面白さもある。ただ近親相姦話を持ち込んだために善悪がクッキリし過ぎてしまい、どちらが善でどちらが悪と割り切れない心理的な“合わなさ”を詰めたほうが面白かったようにも思う。また個人的な好みからすると、村の隣人たちとの交渉をもっとネチネチ見たかった。村人たちがふりかざす“正義”や“良識”の残酷さ、そういったものが“非人間的”なものを擁護してしまうシステムをあぶり出せたのではないか。追放とは、裏を返せば解放でもあるのだ。
[映画館(字幕)] 6点(2009-01-26 12:14:50)
153.  小説家を見つけたら
勉強に興味があることを友人に隠さなければならないってとこに現代の若者の難しさがある。あたりは変に静まったブロンクス。この静まりが60年代に通じていく。パソコンでなくタイプライター、車やバイクでなく自転車、いかにも伝説の人物がひっそりと住んでいそうな静まりがある。ちょっと最近の日本の昭和ブームと似た感覚があるのかも知れない。昭和は勉強好きを隠さなくてもよかった勤勉の時代だったし。ラストの朗読の場はいかにもハリウッド映画っぽく、この監督も平気でこういう場面を撮るのか、と思ったり、嫌々撮ったのかな、と思ったり。
[映画館(字幕)] 6点(2008-08-18 10:15:11)
154.  忍びの者
山本薩夫って社会派にしてはウマイ人という印象があり(なにしろ座頭市も一本撮ってるくらいで)、本作も評判良かったんで期待して見たら、あるいは期待しすぎちゃったのか、スカッとはいかなかった。やっぱり社会派、下忍だって人間なんだ、という人間賛歌の話なので、雷蔵のクールな魅力があんまり生きない。いいのは二つの忍者集団の頭領を交互につとめる伊藤雄之助の怪優ぶりで、モッタリしてたのがひとたび変装すると、小道をササササと小走りに行くなんてあたり。あと役目をちゃんとやってるか見守る加藤嘉の気味悪さも印象に残る。日本映画黄金期にはこういった脇役が豊富にいたなあ、とあらためて思う。これを見る前に同じ62年の篠田正浩作品『涙を、獅子のたて髪に』を見てたんだけど、それで主人公を誘惑してた岸田今日子が、これでもまた主人公を誘惑していた。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-08 10:19:49)
155.  シッピング・ニュース
この監督は北へ帰りたがる。『サイダーハウス・ルール』のメイン州よりさらに北のニューファンドランド。淡々としていながら暴力の影がつきまとっている映画。娘に対する母の、兄の妹への暴力から、夫の首を切った妻、さらに遠く海賊の暴力までが潜んでいる。先祖の悪行をドロドロと引きずっていると感じる主人公は、下手すると横溝正史の世界になってしまうところだが、その過去からの解放として家の消滅が描かれるのか。この村、船を壊して若者を出させないなど、なんか「砂の女」的な不気味さもある。“人情の村”の癒やしと拘束。そこらへんあまり焦点を定めずに描いたところが、中途半端なような、作品としての膨らみのような。主人公が出来事を「見出し」にして呟くところがおかしい。
[映画館(字幕)] 6点(2008-07-03 12:16:04)
156.  昭和歌謡大全集
古田新太の歌う「錆びたナイフ」の下手さは見事であった。役者が音痴を演じるときって、いつも突拍子もない音程に飛ばしたりして大袈裟になってしまうもの。無意識のうちに「本当は私は音痴じゃないんだけど、演技でやってるんだよ」ということをアピールしたくて、ついついオーバーにしてしまうと思われる。女優がブスを演じるときのメイクが、ことさら大袈裟になるのと同じ理由だ。なのにこの古田新太の音程のずれ具合は、実にリアリティあふれる味わいのあるもので、役者としての喉の鍛錬が行き届いていることが分かる。それとももしかして単に…。
[映画館(邦画)] 6点(2008-05-13 12:12:52)
157.  深呼吸の必要
日本では珍しい労働映画かと期待していたが、それは背景であって、挫折からの回復とか、リフレッシュとか、癒やしとかの、ご存知の話になってしまっていて惜しい。せめてラストは10分くらい徹底的に刈り込み作業だけで見せるべきじゃなかったか。キャッチボールによる立ち直りよりも、作業そのもの、作業の中で思いつく工夫とか、そういう労働そのものの面白さの発見で立ち直った方がこの作品にふさわしかったのじゃないか。予定調和を裏切るドキュメント精神が期待できる設定だったのに。音楽が4拍子の16拍を5+5+6という変わったシンコペーションで分割していた。
[映画館(邦画)] 6点(2008-05-03 12:18:09)
158.  親鸞 白い道
面白い映画かと問われたら、そうではないと答える。なら芸術性が高い映画か、と問われると、そうでもないんじゃないかなあ、と濁す。分かりやすい映画か、と聞かれたら、きっぱり、NO、と答える。すると最後に、じゃあしょうもない映画ではないか、と来るだろうが、そしてらなんかすごく弁護したくなる。言いたいことがいっぱいあるみたいな映画なんです。70年代以降かなあ、日本の映画は、何を語るかよりも、いかに語るかのほうに重点が置かれてきて、それは大事なことなんですが、でもたまには言いたいことが詰まってる映画も見たい。これはもう不器用なぐらい詰めちゃってて、登場人物の関係もよくわかんなくなっちゃって、不親切きわまりないんですが、でもこの渾沌に身をひたすのは、ああ、まだ言いたいことがいっぱいあって映画作ってる人がいるんだ、って分かって、けっこう気持ちよかったんです。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-10 12:21:26)(良:1票)
159.  少年義勇兵 《ネタバレ》 
1941年12月8日って聞くと、もう真珠湾しか出てこなくなってるけど、マレー半島上陸ってのもあるんだよな(マレー沖海戦は10日)。歴史の記憶って、どうしても太字で記されることしか残っていかなくなっちゃう。でも細字の歴史もやっぱり歴史なんだ。タイはすんなり日本軍に道をあけてくれたわけでなく、半日の戦闘があった。他国の軍隊が通過するにはそれなりの屈辱があったわけだ。別に反戦映画ではないので、そこにのみ焦点が当たってるわけではないが、このけっきょく無意味だった戦闘の徒労感が重く残る映画。弟の学資のために日本人と結婚している姉という設定など、微妙に現在にまで通じているモチーフなのかもしれない。中盤にあるのどかな軍事演習シーンが、後半の手持ちカメラ多用のドキュメンタリー的な戦闘シーンに向けて、対比の効果を挙げていた。
[DVD(字幕)] 6点(2008-02-09 12:21:58)
160.  少年期
ニワトリがいなくなった朝、探しに畑に出ると兵隊たちがシルエットで暁の行軍をするところ、少年が純粋に感動の涙にむせんで悲壮なタッチのテーマ曲がかぶさってくる。ここだけとればもう完全に戦時下の国策映画だ。「陸軍」のラストを思い出す。「陸軍」は、軍からお叱りがきたので、今では反戦映画ということになってるが、あの行軍は、母を振り切ってまでお国のために出征していくのだ、という雄々しさとして当時は捉えられていたはず。図式としては、戦後作られた本作のこの場面も似てる。こちらの母は、ちょっとうるさい。スケート場に迎えに来たり教師にお願いに行ったりして、子どもにすれば、たまんねえなあ、という感じがある。その子どもが、母のいない朝、軍の行進を憧れて見ている。この図式、遠くへ出発する息子・遠くへ出発したがる息子と置いていかれる母、という図式が持つ感覚のレベルでの痛みのようなものを、とにかくこの監督は描きたかったのではないか。それは肯定するとか否定するとかいうイデオロギーのレベルよりも深い地盤に根を下ろしているので、戦時下の作品でも戦後の作品でもかまわなく現われてくる。本物の映画作家とはこういうものだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-08 12:22:13)
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