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やましんの巻さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 731
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自己紹介 奥さんと長男との3人家族。ただの映画好きオヤジです。

好きな映画はジョン・フォードのすべての映画です。

どうぞよろしくお願いします。


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人生いろいろ、映画もいろいろ。みんなちがって、みんないい。


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1.  SPACE BATTLESHIP ヤマト 《ネタバレ》 
(ラストシーンについて、激しくネタバレしています。未見の方はご注意ください)  どこまでも広がる大地にうがたれた、幾つもの巨大クレーター。その上を緑の草原が覆っている。そして、そこに立っているひとりの女と、まだ幼い男の子・・・。  この場面に、ぼくという観客は心から感動する。それは単に絵としてキレイだとか、地球の再生というドラマの大団円にふさわしいものとしてだけのものじゃない。その“緑のクレーター群”の映像は、端的にSF映画の「画(=イメージ)」として実に実に魅力的なものだったからだ。大げさに断定してしまうなら、これは今までのアメリカや他のどこの国のSF大作にもなかった、美しい、そしてSF的な「イメージ」なのだった。  正直なところ、自己犠牲だの何だのと騒ぎ立て、安っぽい悲壮感をあおるばかりの展開や演技に、同じテレビ局が製作したリメイク版『日本沈没』そのまんまじゃないか・・・と本作に少なからず失望していたことは確かだ。そもそも地球規模の危機に対し、日本人だけしか搭乗(というか、登場)しない宇宙船で立ち向かうといった不自然さからして、ここにはエメリッヒ作品程度(!)のSF的「リアリティ」もありはしない(・・・原作アニメもそうだった?)。さらに、すべてにどこかで見たことのあるような場面や設定が連続するのは、これまでの山崎作品の常だが、少なくともこれまでは、監督自身がそれらの“再創造”を嬉々として楽しんでいることの高揚感が伝わってきたものだ。しかし、今回ばかりはどうにも乗っていけない・・・   だが、【鉄腕麗人】さんの《一つでも「印象」に残る要素があれば、その映画の価値は揺るがない》というテーゼに心から賛同しつつ述べるなら、作品としての『ヤマト』は、すべてこのラストシーンによって、最後の最後にSF映画として、何より一編の美しい「映画」としてぼくを魅了したのである。そう、それでじゅうぶんじゃないか。
[映画館(邦画)] 8点(2010-12-06 20:48:17)(良:5票)
2.  スパイシー・ラブスープ
10代から50代までの各世代ごとに繰り広げられる、いずれも恋愛や結婚生活をめぐる5つの物語。とにかく、各世代ごとの女優はすべて超がつくべっぴんさん揃いだし、男優だってイヤんなるくらい男前ばかりです。そんな彼らが、別にトーキョーやニューヨーク、パリであってもまったく違和感がないような、まるでアーウィン・ショーの短編集みたく「都会的センス」のなか、ささやかな人生の機微を、その喜怒哀楽を、さらりと演じていく。…な~んだ、ひと頃の日本の「トレンディ・ドラマ(死語)」みたいなものじゃん。だって? うん、まあその通り。確かにこれは、「現代的」な、あまりに「現代的」な映画なんだから。  ただこれまでの中国映画が、どんなにこの現代の世相を描こうとも結局「国家」や「歴史」という“大きな〈物語〉”を語っているののに対して、この作品はあくまで現代(いま)を生きる「小市民」という“小さな〈現実〉”をスケッチしていく。それは、あらゆる意味でこれまでの中国映画のイメージを覆すものじゃないか。つまり、ただ「現代的センス」だけで何ひとつ〈メッセージ〉を発しないというだけで、これは中国映画として逆説的な「ラディカルさ」を獲得しているんじゃあるまいか。徹底して非ー政治的だからこそ、逆説的に極めて「政治的」なフィルムと言うか…  第1話の、同級生の少女の「声」に恋をした高校生のせつない初恋物語から、偶然出会った男女のすれ違う愛のゆくえを、ふたりのナレーションだけで綴ったマルグリット・デュラス(!)風の第5話まで、そこにはパーソナルな「個人」の内面だけが語られている。もはや「国家」も「歴史」も介入できない、「私だけの物語」を語ろうとするのだ。それも、ビックリするほど洗練されたタッチ(と美男美女のキャスト)で。 だから、10歳の男の子が流す涙のせつなさも、まもなく老境を迎えようとする婦人の慎ましやかな幸福も、彼ら彼女らのあくまで「個人的」なドラマであるからこそ、それらはヴィヴィッドにぼくたちの胸を打つ。「これは“ぼく”の物語だ」「あれは“わたし”自身よ」と、見る者ひとりひとりがそこに自分自身のドラマを見いだすのだ。  そう、これはささやかだけれど、人生そのもののように美しい映画だ。
9点(2004-08-24 14:19:28)(良:3票)
3.  スミス都へ行く
先日の参議院選挙を含めて、ぼくは選挙権がありながら選挙で投票したことがありません(世の良識ある方々、スミマセン…)。一票を投じたい政党や人物がいない…というより、どこに、誰に投票するにしろ、それは現体制を「肯定」することになってしまうと考えているからです。一票の格差などの、まずはあまりにも公正を欠いた選挙制度そのものを是正することもなく、そのくせ「投票に行こう」と、膨大な税金をつかってタレントを起用し、PRする国側の“欺瞞”もウンザリですし。  そんなぼくも、この映画のジェームズ・スチュアート扮するスミス氏になら喜んで投票するかもしれない。するかな。するよな。うん、きっとする!(笑)  この、リンカーンを崇拝する田舎の州出の青年が、周囲のあまりにも汚い権謀術数にうちひしがれ、リンカーンの像の前で泣く時、まるで「アメリカン・デモクラシー」そのものが泣いているかのようだ。そんな彼が議会で延々と演説を繰り広げ、その孤軍奮闘を議長(ハリー・ケリー…涙が出るほど素晴らしい!)が秘かに共感の笑みを浮かべて見守る姿に、少なくともぼくは「アメリカ(人)の良心」を見る思いがする。たぶん、公開当時も今も、この映画を見るアメリカ人はみんなあの議長のように主人公スミス氏のことを見守り、微笑んでいるんだろう…  それを、「ただのおとぎ話だ」とか「いかにもアメリカらしい偽善じゃん」とせせら笑うのは簡単だ。ぼくらは、あの国のイヤな面をこれまでも(そして、今も)さんざん見せられてきているのだから。 けれど、ぼくは、自身が移民だった監督のフランク・キャプラ自身もとっくにそんなことなど承知していたのだと思っている。彼がこの映画を撮った1939年は、世界中が戦争の危機に直面していた。そうした時に、「アメリカ(人)の理想主義と良心」をひとりの純朴な青年に託したキャプラは、「この世の中はマヌケといわれてきた人たちの賜物なのよ」とジーン・アーサー(これまた素晴らしい!)に言わせた通り、最後には人間の〈善〉が勝つという「夢物語」こそがアメリカの理想主義じゃないか。それは「夢」だからこそ「理想」なんじゃないか…と静かに、だが毅然と述べているのだ。  ぼくも、国家としてではない、アメリカ(人)の夢見る「理想主義」には、心からの“一票”を投じよう。それが、どれだけの失望を招こうとも。 
10点(2004-07-21 16:13:47)
4.  スチームボーイ STEAM BOY
[1]思うに、ジェ-ムズ・キャメロン監督の『タイタニック』でぼくが最も印象的だったのは、主演の2人が手を広げる例の「名場面」でも、沈没の大スペクタクルシーンでもない。それは、タイタニック号の機関室で巨大な歯車とピストンが蒸汽によって動く、ほんの短いシーンなのだった。あの、すべてに壮大だがどこか空虚(だと、ぼくには思えた…ファンの方々すみません)な映画の中で、ほとんど唯一と言って良い「リアル」な映像の手ざわり。…今回、大友克洋の最新作を見ながら、何よりも連想したのが、そんなキャメロンがかろうじてなし得た巨大メカの質感であり、その質感から実感させる「リアルさ」だ。何も、精巧に創り上げたからリアルさが産まれるのではない。それが「映像(=イメージ)」として強度がある・見る者の感性を揺るがす・“生きている”からこその「リアル」だ。そして、それこそが映画の《本質》だと信じる者にとって、コノ『スチームボーイ』は、まぎれもなく「映画」」そのものとして、例えば『タイタニック』を遥かに凌駕していると、ぼくは思っている。  [2]確かにこの作品の、物語や、その語り口の“欠点”をあげつらい、批判するのは易しいかもしれない。そもそも、何故『AKIRA』を撮った大友がこんな映画を撮らねばならないんだ、と。 それについては、ぼくなりに、“これは手塚治虫『アストロ・ボーイ』への「返歌」であり、大友なりのオマージュなのだ”と思いたい。手塚的ヒューマニズムと世界観への、批判的継承を果たそうとしたものとして見た時、あの父子3代の葛藤の物語ひとつとっても、『スチームボーイ』は、感動的な、あまりに感動的な映画として屹立する。  [3]ぼくの「満点」評価は、あくまで以上の「極私的大友克洋観」の所以であることを(というか、ぼくの場合そんなのばっかですが…)ご承知おきください。
10点(2004-07-21 13:11:20)(良:3票)
5.  スパイダーマン2
ドクター・オクトパスの金属製アームに、『死霊のはらわた2』から『キャプテン・スーパーマーケット(死霊のはらわた3)』以来の、サム・ライミ監督らしい“腕(アーム)”へのこだわり(?)がうかがえる(あの手術室でのチェーンソーなど、間違いなくセルフ・パロディだ)。 そして、1作目に引き続いて、デビュー前からの盟友ブルース・キャンベルに“おいしい”出演シーンを用意するなど、これほどまでの大作でありながら、この男のオタクごころというか、由緒正しき(?)マニアぶりにはつくづく心和ませられるものがあるってもんだ。  (それにしても、このブルース・キャンベルという男、フランク・ダラボン監督の『マジェスティック』にもやっぱり“おいしい”役で顔を出していたっけ。すっかり「カメオ役者」になっちゃったなぁ…というより、日本じゃ“感動大作系”の巨匠扱いのダラボンが、実は「単なるマニアな人」だったことを自ら表明しているって感じで、痛快だ。いいぞ、ダラボン!)。  そんな一方、『ダークマン』では“オペラ座の怪人”をB級アメリカン・コミック風に映画化してみせたライミが、『スパイダーマン』シリーズにおいて、正調アメコミの世界を現代における“ビルドゥングスロマン(教養小説)”へと昇華してみせたことを、ここで指摘しておきたい。 他のアメコミのヒーローたちが、結局のところ単なる「幼児退行」したオメデタイ野郎か、ほとんどサイコパスな「神経症」病みであるのに、『スパイダーマン』は、「強大な“力(パワー)”を持ったがゆえの苦悩と孤独」を生きざるを得ない青年を描く。それは、ゲーテの『ヴイルヘルム・マイスター』やトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』などの「才能(パワー)があるゆえに孤独と苦悩を生きる若き芸術家の肖像」と、同じ物語なのである…  『スパイダーマン』シリーズが、他のアメコミの映画化作品と決定的に異なるのは、そうしたマニアックなB級センスと、古典的かつ普遍的なテーマを共存させた“世界観”の違いだとぼくは思う。…とにかく、素晴らしいッ!
9点(2004-07-16 13:30:39)
6.  STAY GOLD ステイ・ゴールド
このタイトルに、今は引退した競走馬の勇姿を思い浮かべる向きもありましょうが(笑)、なかなかどうして忘れ難い青春映画の佳編です。自殺した友人の後を追うかのように、「死」と「生」のはざまで揺れる女子中学生たち。…小生のようなオジサン(とは言え、見た時はまだ若かったですが)を赤面させるだけの“ナイーブさ”と同時に、失踪した彼女たちを追う教師の視点が導入されることで、映画は一種の“少女から大人への通過儀礼”を描いた成長物語として成功しています。クドイことで有名(?)な野沢尚の脚本だけど、あえてニュートラルな距離感をもって映像化した監督の手腕にこそ、拍手。深津絵里チャンも、この頃から可愛かったです。
8点(2004-03-03 14:13:59)
7.  姿なき殺人(1967)
サーカス内で繰り広げられる、残虐な連続殺人! …いや~、この設定にソソられるのは、やはり『怪物團/フリークス』の頃からのホラーとサーカスという組み合わせの“相性の良さ”ゆえでしょうか。ジョーン・クロフォードが女団長で、その娘がジュディ・ギーソン。わき役でマイケル・ガフやダイアナ・ドースというあたりの面々が出演しているのも、ポイント高し。殺人場面も今日的には「牧歌的(?)」ですらあるけど、それなりにサディスティックな興奮に満ちているのは↓サイケデリコンさんのご指摘通りです。最後の「意外」な犯人出現も、確かに唐突だけど、観客に「えっ!」と思わせたとたんにエンドというのは、それなりに悪くないんじゃないでしょうか。…しかし、万事に四角四面なお国柄の英国で、一方じゃどうしてこんな「悪趣味」が好まれてきたんでしょうね? そのへんの「文化論」を、どなたか説いていただけませんかねぇ。
6点(2004-02-16 16:54:56)
8.  スターゲイト
う~ん、確かに語り口の古臭さは認めるけど、逆にそれが魅力だってことないですか? CGだらけでスラッシュメタル風(?)めまぐるしいカット割りのジェットコースターみたいな映像ばかり見せられると、もうこんな愚直なまでにオーソドックスなテンポにゃ、退屈しか感じないんでせうか…。子供を亡くしたカート・ラッセルの軍人が、異世界の子供たちと心通わすあたりの展開は、定石ならではの良さがあったな。嫌味なヤッピー専門(?)役者ジェームズ・スペイダーをトッポい“善人”にしてみせたあのキャラも、ほんと好ましかったな。クライマックスの砂漠での戦闘シーンで、『アラビアのロレンス』など往年のスペクタクル映画への愛着を感じさせるエキストラの数もうれしかったな。…「トンデモ映画」の“迷”匠扱いされようと、俺だけは愛してるぜ、エメリッヒ!
10点(2004-01-30 11:46:05)(良:1票)
9.  スーパーマン(1978)
幼いスーパーマンが、中西部の田舎町で育つ場面の何という美しさ! ほとんどアンドリュー・ワイエスの絵画的風景とノスタルジックな情感豊かさに、思わずナミダが出そうになってしまった…(この部分が劇場版より長いヴァージョンがあるそうだけど、ぜひ見たい!)。そして、空を飛ぶ、というイメージを、この映画ほど優雅に、ポエティックに見せてくれる映画もないんじゃないかな。日本じゃ(本国アメリカでも?)大味なアクション監督と思われているリチャ-ド・ドナ-監督だけど、彼の映画には、どんな失敗作(『リーサル・ウェポン2』『ラジオ・フライヤー』…)にも不思議なセンシティビティーとロマンチシズムがあって、もっとその部分に光が当てられてもいいのになあ。とまれ、この『スーパーマン』は、ドナーの最もロマンチックな映画であります。
10点(2004-01-30 11:39:50)(良:2票)
10.  すべての美しい馬
イノセントな青年が、想像を絶する過酷な旅を経て、ふたたび故郷へと還ってくる。その帰還の途中で判事と出会い、静かに語り合うシーンで、全身が震えるくらいの感動をおぼえている自分がいた…。そう、たしかに欠点をあげつらうのは簡単な、そういう意味では決して「傑作」とかじゃないのかもしれない。けれど、マット・デイモンの主人公が、無慈悲な「現実」の中で文字通り心も肉体もボロボロになっていく姿は、まさに”人生”そのもののメタファーとして力強く見る者を揺さぶるんじゃないだろうか。そして判事に自分の犯した「罪」を告白し、それを判事が静かに赦すシーンが、あれほど胸を打つのでは? …このあたり、監督としてのビリー・ボブ・ソーントンの真骨頂があると思う。彼は、間違いなく「現代の神話的語り手」としての才能がある。聞けばこの映画、製作者によって大幅にカットされたものだとか。ぜひ、《完全版》を見たいものだ。
8点(2003-12-05 16:41:27)(良:1票)
11.  ストーカー(1979)
本当に、思わずひれ伏したくなる圧倒的素晴らしさ。わけぁりな男たちが、奇妙な森と廃虚を延々と彷徨うだけの展開のなかに、当時の社会主義政権下では御法度だった「超越者=神」をめぐる神学的主題を繰り広げる。それも、土・水・火・風という四元素による豊かなイメージとともに。…タルコフスキー、なんでアイツやアイツやアイツらよりも早死にしちまったんだ!
10点(2003-08-27 15:55:30)
12.  スター・トレック(1979) 《ネタバレ》 
確か、ダグラス・トランブルとジョン・ダイクストラの2大SFX マンが関わってたんだよねえ。公開前にそれを知った時、どんなにスゴイ画面を見せてくれるのかと思っていたら…。何だ、フツーじゃん。と、まず失望。ストーリー的にも、これは1時間のテレビシリーズでやった方がかえって生きたのではと。でも、はるばる地球に、自分が何者かをしりたくて戻ってきたボイジャーが、どこか『ウルトラマン』のジャミラを彷佛させて、SF怪獣少年だった者には捨てきれないものがありましたです。
6点(2003-08-27 15:40:35)
13.  スーパーマンIII/電子の要塞
噂じゃ、予算の節約のために2作目と3作目はほとんど同時進行で撮影されていたらしいけれど、なるほど圧倒的好評の2作目に比べて、別にそれほどこちらが悪い出来とは思えんがなあ。ただ言えるのは、こちらは完全にリチャード・プライヤーがメインにフィーチャーされていたってのが、ネックだったかな。日本じゃ人気なかったものね、このヒト。それより、1作目がリチャード・ドナーで、2作目がリチャード・レスターと、ここまで「リチャード」つながりできたんなら、3作目はぜひリチャード・フライシャーに撮ってほしかったなあ。だって、プロデューサーのサルキンドは『王子と乞食』でフライシャーを起用していたし、アニメ版のスーパーマンはこの監督の父君が製作していたんだしさっ!
5点(2003-08-27 15:15:39)
14.  スーパーマンII/冒険篇
アポロの月面着陸場面で、宇宙飛行士がクリプトンの3悪人と出会うシーンのおかしさなど、随所にリチャード・レスターらしさが炸裂! …なのはいいんだけど、本来のアメコミ調に戻った2作目には、1作目のような”アメリカン・ヒーロー神話”的な崇高さや感動がまるっきりなくなっていた。それがいいんだよ! って皆さんの方が多数派のようですが、やはり小生には不満です。それと、ロイス・レーン役のマーゴット・キダーが評判よろしからぬようなのも、心外。だって原作コミックや、アニメ版スーパーマンのロイスを見てみなよ!
6点(2003-08-27 15:02:24)
15.  ZOO(1985)
近年ますますスノビズムとシニシズムの色合いを深めて、ほとんど鼻持ちならないイヤミさに達しつつあるグリーナウェイさん。まだこの映画の頃は、青臭い’野心”がムンムンと感じられて、なかなか微苦笑を誘われます。こむずかしい理屈はいくらでもこねられるだろうけど、むしろルイス・キャロル風ナンセンスのダークな寓話くらいに考えて、奇態な映像の連続とこれまたかっちょいい音楽に身をゆだねるべき。10人中2人はハマれます(か?)
9点(2003-08-27 14:51:30)
16.  推定無罪
う~ん、やっぱグレタ・スカッキでしょ! 美しくて有能で、おまけに色情狂、法廷関係者(何と判事まで!)の男どもと片っ端からやっちゃってましたなんて、オレだけのつもりだったハリソン・フォード扮する主人公の心情たるや…。映画としちゃ、パッとしない出来映えであることは確かなんだけど、大人の男と女のトホホな機微を突いた教訓劇(?)として、まあ楽しめなくもない。
6点(2003-08-27 14:39:46)
17.  スパイ・ゾルゲ
篠田監督に言いたい、本当にこの映画で引退していいのか! と。最初から最後まで昭和史の絵解きに終始して、ほとんど紙芝居状態。監督は「映像による歴史の再現」をめざしたのでしょうが、確かにCGを駆使した昭和の風景は時に感心もさせられるけれど、それが何ら登場人物の、ドラマの背景たり得ていないとすれば、空疎なだけじゃないですか…。ラスト、「イマジン」のインストゥメンタルが、歌詞の字幕とともに出てきてこれが締めくくりとは、一体何が言いたいのか、その真意すら了解不能です。『少年時代』を愛する者として、篠田監督には猛省を促し、本当に「映画」らしい映画を撮っていただきたい。
3点(2003-07-22 16:06:35)
18.  スペース・カウボーイ
アホでマヌケなSF大作が横行するアメリカ映画に、イーストウッドが余裕でかました痛快ビンタ! もう、何ちゅう幸福感なんじゃ!! 見ている間じゅう、頬がゆるみっぱなし。『アルマゲドン』あたりに本気で感動出来る向きには、まあ、おすすめしませんが…。映画の「自由」があるとすれば、もはやどんな題材を撮ろうが完全無欠の「イ-ストウッド映画」になってしまう、この映画人こそ、真の自由人なのでしょう。尊敬あるのみです。
9点(2003-05-26 17:16:35)
19.  スピード2
『スピード』の続編として見たなら、確かにバツ。でも、要はキートンのスラプスティック喜劇を、今日において大掛かりに再現したかった…という無謀な、しかしその時代錯誤が感動的でもあるヤン・デ・ボンのチャレンジ精神には、やっぱり敬意を表したい。すみません、小生、実は1作目よりもこちらの方が好みなんです。
6点(2003-05-26 17:02:30)
20.  素肌の涙
映画の出来ウンヌンを言う前に、なぜティム・ロスがこんな題材を初監督作品に選んだのか…という根本的なところで疑問をもってしまった。家族の崩壊劇が、どんな救済にもより深い絶望にも向かうことなく、ただ「父親殺し」というエディプス的カタルシスをもって終わるあたり、やるせないまま観客を放り出すだけで最後までケツを拭っていない。その不徹底さゆえ、ぼくはこの作品に対して断固”否!”を突き付けたい。ただモンダイ作を作って、自分のステイタスに箔(!)をつけたかっただけじゃないか…とは言い過ぎにしても…。
2点(2003-05-26 16:50:22)
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140.55%
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3202.74%
4253.42%
5598.07%
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79212.59%
817123.39%
98411.49%
1018525.31%

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