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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  チャイナタウン 《ネタバレ》 
アメリカンニューシネマの看板俳優二人が共演して、アメリカ映画の大事な柱であるハードボイルドものをやったってところに、伝統の伝承と言うか、当時の意義があったんでしょうな。ラストのクラクションへ向けてゆっくりゆっくりネジを巻いていくようなテンポが心地よく、そうなんだよな、今のハリウッドではアレグロの映画しか作られないが、もっといろんなテンポの映画があったはずなんだ。ビデオやDVDや映写時間を見る側が操作できる時代になって、ゆったりやってると飛ばされちゃうという心配に製作者は突き動かされ、どんどんテンポが上がってしまったんじゃないか。あと70年代の映画らしいところは、主人公が中盤でずっと鼻にバンソーコーをつけてること。私たちの時代はもうボギーのころとは違うんです、と自己批評しているように感じたが、違うかな。J・ニコルソンはリンチまがいの仕打ちを受け、F・ダナウェイは車で銃撃を受ける、とそれぞれの代表作を回顧しているようなところがあるのは、まあ偶然でしょう。私はどうもハードボイルドものの展開を理解するのが苦手らしく、『三つ数えろ』もけっきょくどういう話だったのかを説明することが出来ないくらいで、本作も事件の全容を理解できたのか心もとない。社会的悪の背後からヒロインが受けた別種の悪が浮かび上がってくるところを味わえればいい、と勝手に思ってるけど、やっぱり何か味わい残した気分。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2011-09-23 10:24:12)
22.  チャーリー
伝記ものってのは、すでに巷間に流布しているイメージから、いかにナマなものを削り出してくるかってとこが勝負。といってただ裏返しただけの偶像破壊もつまらない。けっこう難しい。これだけ大きな人物を対象にすると、やはりビビってしまうのか、けっきょく当たりさわりのないものになってしまった。「愛されるチャーリー」「センチなチャーリー」はある一方、初期の作品に見られる「単なるからかいを越えた悪意を感じさせるチャーリー」「凶暴で殺伐としてさえ感じられるチャーリー」は割愛されてしまった。この両者の兼ね合いにチャップリンの魅力はあったのに。おもだった作品に触れていく中で『殺人狂時代』には言及しない。あれはチャップリンの女性遍歴(少女遍歴)のネガとして興味深い作品だろうになあ。はじめてセネットのとこを訪ねて、編集というものの面白さと怖さを知るエピソードはなかなかよかった。ヒットラーとの対比なんかもっと執着しても面白かったのでは。20世紀の二人の独裁者として。チャーリーの名場面集で幕にするってとこに、偶像に寄りかかってる情けなさが現われている。大部の「チャップリン自伝」を2時間半で読めたと思えばオトク。
[映画館(字幕)] 6点(2011-09-02 10:04:19)
23.  チベットの女 イシの生涯
純粋な映画的興味というより、中国映画がチベットをどう描いたか、ってな不純な動機で観た。そもそもこの作品が作られた来歴が分からないので難しいんだけど、かつてダライ・ラマがノーベル賞とったときに中国が作った自分たちの主張用の映画(私は未見)みたいなもんかと思っていたが、そうではない。59年のラサ暴動もちょっと扱われ、ダライ・ラマらしき人物もヒロインが若旦那の家で望見することになるが、暴動そのものへの意見は述べられない。ヒロインの個人的な悲しみ、子どもが若旦那に引き取られるって方の話を軸に描く。ダライ・ラマと通じて描かれたその若旦那も、別に極悪人というわけではない。わざわざ暴動とダライ・ラマに触れたのには、各方面へ顔を立てた結果のギリギリの表現であったのか、異邦の者が類推しきれない事情が裏でひしめいているのだろう。気になった。監督は漢民族だが、スタッフ・キャストには漢字四文字の名が見られ、あれはチベット族であろうか。推測に推測を重ねるようなもんだけど、撮影所という場所のアナーキーな自由さを想像した。かつて満州では、日本の興した満映がもっぱら国策映画を作っていたが、そこは中国人が映画製作を学べる場所にもなっていて、戦後の中国映画発展の基礎にもなったと聞く。そんなことがチベットでも起こっているのではないか、という希望のようなものをちょっと感じた。映画そのものは、語る手順があまりうまくなく、半世紀前の登場人物が「太古の伝説の快男児」みたいで現在とうまくつながらず、その断絶感が一番言いたいところなのかも知れないが、幼なじみの僧侶とのエピソードなど、挟む場所が違うんじゃないか、などと思わされたりもし、もう少し流れを整理してほしかった。もっともその僧侶とヒロインが放浪するシーンでの風景の美しさは見事で、チベットの民族主義を高揚させたかどうかは分からないものの、そのだだっ広さはとにかく気持ちいい。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2011-07-02 10:13:51)
24.  地下室のメロディー 《ネタバレ》 
初老のギャングは、最後に一発当てたいと思っている。青年は、現在の惨めな境遇から抜け出したいと思っている。それぞれに鬱屈があって、しかし一人では現金強奪はできない。冒険には若さが必要よ、と妻にたしなめられている。若さのある青年には、計画がない。補い合って立てられた計画。それが危うくなっていくのは、青年の方が豪奢な世界に浮き足立ってしまうから。義兄が自分のこととして心配していた事後の不安が、計画の最中に浮かんできてしまう。シャルルにとっては金に目的が集中していたが、フランシスにとっては、こういう暮らしをしてみたい、だもんだから、真剣味が弱かったんだろうなあ。フランス映画は、途中いささかモッサリしてたり「よく考えるとヘン」があっても、ラストをピタリと決めてくるので印象に残るのが多い、これなんかその典型。刑事たちの話し声とゆっくり歩き回る足だけで、キリキリと縛り上げるように緊張を高めていく。犯罪映画のラストなのに、主人公たちは走らない・どならない・しゃべりさえしない・もちろん銃も撃たない。ボーイの驚きの声が聞こえてくるだけ。二人は、あと鞄を渡すだけの距離であったプールをはさんで向かい合い、自分が手にできなかった大金をただ見守っている。ゆっくりと花が開くような札束の動きのなまめかしさ。手の届かない高慢な女のような花が次々と開き、二人の間の隔たりを花畑に変えていく。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-12-20 10:25:25)
25.  チャップリンの独裁者
あんなにもトーキーに抵抗しパントマイム芸の優位を説いていたチャップリンが、ただ顔のアップだけでしゃべり続けること。そのことの衝撃も、広い意味での「芸」であろう。おどおどしたものが勇気を出す、という、キートンやロイドとも共通したアメリカ理想の型を使って、演説に持っていった。なにより感心するのは、このときアメリカはまだドイツと戦争していないのだ。そしてドイツは一番威勢のいいときなのだ。もしこのままドイツがヨーロッパを圧伏したら、アメリカはドイツと外交交渉によってその後の世界を探っていく可能性もあった。そのときこんな映画を作っていた作家は、困難な立場に追い込まれたことだろう。それでも発言した勇気、これは開戦後に「安心」して量産された反ナチ映画と一緒にしてはならない。この勇気の前には、作品としてどうこう言うのもはばかられ、とにかく映画史が持った偉大なフィルムであることは間違いない。ただ映画芸術史の流れで捉えると、なんか、音楽史におけるベートーヴェンの「第九」に相当するんじゃないかと思うことがある。純粋な律動を楽しむ芸術であった西洋の器楽曲、しかし第九のラストに演説のように登場する合唱で、不純な言葉=意味が入り込んできた。そしてバロック・古典派という、天上の世界を写し取って頂点に達していた音楽史は、ロマン派という作曲家個人の心の内面を歌う地上の世界に下降してくる。映画史も、このラストの演説を切り替えどきにしたように、天上のパントマイム芸から地上のセリフ芝居へと移ろっていく。もちろんそれでいいのだ、歴史とはそういう変化を受け入れ展開していくものなのだから、それでいいのだけれど、あの無垢な無声の時代がやたら懐かしくなるときも当然あるわけで。
[映画館(字幕)] 8点(2010-12-16 10:03:43)(良:1票)
26.  沈黙の要塞 《ネタバレ》 
ワルが政治絡みでも犯罪組織でもなく、ただただ利潤を追及する経済活動のゆえに裁かれる、というのは娯楽系の映画としては珍しいか。もちろんエスキモーを殺したり派生的に悪いことはしてるんだけど。今までだと別に悪の根源があって、企業のふりを装ってるって展開になるんじゃないかな。これは社会派映画の一歩手前、企業活動そのものを悪としている。話は粗い。悪人が家捜ししても見つからなかったフロッピーがひょっこり鞄の底から出てくる、というギャグ映画の一歩手前。自然を守ろうとしているこの主人公も、かなり自然に悪いことしてるみたいだったし(アメリカの「正義」のパロディのつもりだったら立派なんだけど)。悪い企業に勤めてたからって従業員を危険にさらしてもいいのか。発電所のガード撃ち殺しちゃった。またこういうのの悪役って、主人公にトドメを刺さないで引っ繰り返されちゃうんだ、必ず。ラストの演説は、その通りだとは思うんですけど、圧倒的にシラける(やっぱりパロディなのかな)。
[映画館(字幕)] 5点(2010-10-16 10:08:05)
27.  痴呆性老人の世界
干し固まっていたような痴呆性老人、その豊かな内面が突然広がりだすところに感動がある。タオルの畳み方を皆に教える。あるいは餅つきで、アンコを包んでキュッと絞り切るあたりの手際のよさ。いつもムッツリしてたお婆さんが、孫の面会で別人のように穏やかな顔になる。自分の名前もよく言えなく、旦那が生きているのか死んでいるのかも分からないサダ子さんが、百人一首を上の句の五文字を与えられただけですらすら後を言えるとこ、彼女が百人一首に熱中していた少女時代までが急に匂い立ってきて、ズーンと奥行きが出てくる。子どもに会いにと風の中を歩いていくお婆さんだって、自分の子どもが幼かったころの壮年期が湧き返っているわけだ。彼女たちが生きてきた時間が「過去」から解放されて溢れ出す。時代の氾濫とでも言いましょうか。もう「痴呆性老人の宇宙」。この豊かな何層にもなった時間の渦を肯定的に捉えている。もう「痴呆性」という部分はさして関係なくなってきて、老人一般のドラマになっている(お爺さんはどうなんだろう、という疑問は湧くが)。たまたまこういう症状が出たおかげで、その宇宙が外に表われた、そこのところを作者は手際よくキャッチした。クリスマスプレゼントでチャンチャンコを一番喜んでいるところに女を見る作者も、女性であります。お正月が終わって送りにきた付き添いが、お婆さんがほかのことに熱中している間にこっそりと去っていくシーン、去った戸口からパンしてお婆さんを捉えるのが切ない。さらにもっと切ない二年後が続くんだなあ。
[映画館(邦画)] 8点(2010-10-11 10:06:36)(良:1票)
28.  地下鉄のザジ
なんか育ちのいい子が、無理にイタズラッ子ぶってる、っていうような感じ。フランス映画って、戦前の人情喜劇の伝統がドンとあるわけで、でもなぜかアメリカ的なスラプスティックにも憧れを持っている(ルネ・クレールはうまくスラプスティックを使えたが)。ああいうのやってみたいなあ、と憧れ続け、しかし残念ながら「育ち」の違いはなかなか乗り越えられない。出だしのタクシーにぎゅうぎゅう詰めになってるあたりは、なかなかいいかなとも思ったんだけど、だんだん醸されてくるフランス風軽妙さと、トムとジェリー的アメリカマンガのタッチとのズレが気になり出す。はしゃぎっぷりに神経質なものが加わってしまう気がする。自作のパロディふうにブラームスを流したりするのも、なんかちょっとこの映画のトーンとは違うんじゃないの、というか、本来そっちの洒落っ気のほうが地なんじゃないか、とか。でもフランス風人情喜劇を(当時の)現代に再現するとなると、こうならざるを得なかったのか、という時代の苦さでもあるのかも知れない。
[映画館(字幕)] 6点(2010-07-17 10:06:36)
29.  忠臣蔵外伝 四谷怪談
風に吹き散る桜で始まる。はらはらと散る情緒に対抗するように。また琵琶の響きを入れたことで、話に一歩退いた地点を作れた。少し離れることが出来た。とにかく一つの解釈にはなっている。忠臣蔵と女の争いを対比し、後者のほうにマットウなものを見ようとしている。ドラマを動かすのはお梅、彼女がここまで重要に扱われた四谷怪談はほかにないだろう。荻野目慶子の痴呆ぶり、ちょっとやりすぎかとも思うが、まあ見てて楽しい。この一家をほとんど魔物として描いたわけだけど、ラストで、でも彼らのほうが浪士らよりはマシと見えてくる。本当なら岩は武士のすべて、赤穂がたにも悪さをするべきなのだが、そこまでの裁き手にするとカレンさがなくなってしまうか。前半の伊右衛門のケダモノぶりは、ふと『仁義の墓場』などを思い出させた。決起の宴と結婚の宴とをヤマに持ってきたのは正しい、男の狂乱と女の狂乱、琵琶の響きが二つをつなげる。ラスト、実像となった伊右衛門と岩が、透き通る虚像の浪士たちを眺める場になるのではないか、とちょっと想像してしまった。忠義の世界のウツロさを映像で駄目押ししてもらいたかった。
[映画館(邦画)] 7点(2010-07-14 12:03:58)
30.  チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ 《ネタバレ》 
インドと中国って、同じアジアの古代文明発生地でありながら、文化の質感がまるで違う。石の文化と竹の文化、その合わなさが強引に引っ付けられている面白さ。カレーラーメンの味。映画そのものは変拍子のインドの感触。トーンの唐突な切り替えが特徴で、たとえば敵地から脱出のサスペンスからパッとザッピングしたように、傘で浮遊するロマンチックな歌のシーンに切り替わる。活劇とミュージカルが同居するってのは映画として正しいし、サスペンスの後にラブシーンが来るのも定型なんだけど、心構えする数拍の余裕なく接続され、観ていてつまずく感覚。でも、このぎくしゃくした変拍子こそがインド映画の味わいなのだろう。けっきょくこちらが慣れてないってことなのか。ただし純粋なミュージカルシーンとしては、中国到着のとこぐらいで物足りなかった(あそこでかなり期待してしまったので)。悪役が懐かしい007の某作品を思い出させてくれる。北条ってのは中国人の名前じゃないよな。アジアの悪役東条の影はいまだにあるのか。
[DVD(字幕)] 5点(2010-02-27 12:00:27)
31.  チェイサー (2008) 《ネタバレ》 
前半は夜のドラマ、夜の街よりも夜の住宅地のほうが怖いのだった。街はとりあえず公共の顔をして門を開いているが、住宅地にあるのは閉じたドアと壁、中には家族の笑顔もあるだろうが、おぞましい世界も潜んでいる。そのおぞましいものがときおり路地に抜け出し、追跡が始まる。閉じた家から開いた都市へつなげている路地が、迷路のように延びている。追うのが走るのに似合わない太り気味の中年男、ってところに迫力があり、それがこの映画のすべて。配下のちらし配り男(リアリティあり)も走る。主人公は女を危地に至らしめた贖罪で執念を燃やすのだが、さらに子どもに母親を取戻すという要件も加わる。それで説得力は膨らんだかも知れないが、ドラマの輪郭はやや緩くなってしまったような。この手の犯人の気味悪さもちょっと型が出来つつあって、新鮮味を出すのが難しくなってきている(という社会も困ったものですが)。警察の対応が無能すぎないか。
[DVD(字幕)] 6点(2010-02-06 12:01:45)(良:1票)
32.  チョコレート・ファイター 《ネタバレ》 
組んで揉み合う柔道が草書体の格闘技だとすると、カンフーは楷書体。カドカドがきっちり決まってるキビキビ感がいい。この映画、女の子が一生懸命楷書で手本通りに習ってるようなところにジーンとさせられた。彼女のエイッエイッという声もかわいい。前半の起動は遅く、今回はダメかなと思い始めたあたりでヒロインの「ママのお金返して」の集金修行が始まり、ノッてくる。氷屋の青、倉庫のオレンジ、肉屋の赤とトーンを変えていくが、倉庫が上下の動きが生きる分、とりわけ楽しめた。積み上げた段ボールの天辺から向かいへ開脚で飛び移るのが気に入った。一番ワクワクしたのは、『キル・ビル』を思わせる日本料理店の場でトレーナー姿のメガネ男が登場したとき。手をクイックイッと痙攣させたり首をピクピクさせたりして出てくる、するとヒロインもその動きに同期させて向かい合う。アクション映画とミュージカル映画はけっこう脳の近い部位で鑑賞してるんじゃないかと常々思っているのだが、ここなんか、アステアロジャースの動作がシンクロしてきて踊り出す瞬間の興奮に近いものを感じた。限りなくダンスに接近した格闘。両者が空中で互いを巻き込むように旋回し最後の蹴りがはいる。そして飲み屋街(ガードとネオン付き)での壁面の戦い、ここでも上下がたっぷり生かされた。立ち上がりの物足りなさをおぎなう満腹感。
[DVD(吹替)] 7点(2009-12-09 12:07:11)
33.  誓い
オーストラリア映画ってのが珍しかったころの作品。映画館がガラガラだったことを覚えている。なるほど、こんな風にして若者は戦場に出てくるんだなあ、というところがよく分かった。悲壮な決意で兵士になるわけでなく、日常となだらかにつながって戦争に向かう。当時の風俗描写(第一次世界大戦時の古風な感じ)がいい。仲間も学者がいたりカタブツがいたり。海岸の場面もいいね、ボンボン砲弾が飛んでくる中の日常といったタッチ。こんなものだったんだろう、というところがある。ラスト、冷酷な司令官と人情ある上官との対比が、やや型にはまってしまい、遠くから批評的に眺めている視線になってしまったが、でもジーンとくるところではある。アルビノーニは、船が上陸する場でひときわ美しい。
[映画館(字幕)] 7点(2009-11-19 11:55:38)
34.  散り行く花
映画はまず現実の記録として始まったが、逆に現実にない幻想世界を築く方向へも進んでいった。本作なんか素材として東洋趣味を盛り込み、まさに幻想としての物語で、お話の無理をぼかしている。帽子のリリアン・ギッシュなんて半分幻想の存在としか思えない。極端な骨組みだけの設定が、サイレントだと豊かに膨らんでくる。半ば観客の想像に頼る仕組みがいいのだろう。暴虐な父と可憐な娘という陳腐でさえある設定が、いわば神話的な原型として観客に働きかけてくるんだ。野蛮なアングロ・サクソンに仏教を伝道しようとやってくる主人公の設定がちょっと面白い。遠藤周作の宣教師の裏返しで、彼もロンドンという沼の中にぶくぶくと沈んでいってしまう訳だ。東洋に旅立つ宣教師も登場させてちゃんと釣り合いを取る。といっても、何も自分たちの膨張主義を批評・批判してるわけではなく、ちょっと気取ってるだけ。東洋人の猫背男の純情が話の芯、でもあんなに猫背かなあ、我々は。それともあれはただ身長に低さを表現してたのだろうか。
[映画館(字幕)] 8点(2009-11-14 11:52:39)
35.  注文の多い料理店
まず静かな林の夕方の気配が美しい。葉がきらめいているのか、チカチカしている感じや風の肌触りがよく出ている。しかし見事なのは「山猫軒」だ。あの原作からこんな広大な建造物を想像した人はいなかっただろう。外観ではない、複雑な構造が内側に組み込んでいく迷宮としての山猫軒。迷宮がもともと持つ、地図を失った心細さが、ここでは裏返された探検への期待として展開していく。薄暗さと静けさ。狭い廊下から鏡の間に抜け、蝶が乱舞したかと思うと、さらに地下深くの運河を越えたりもする。観客も耳を澄まし、足音を忍ばせて猟人の彼らに従っているような気分。イメージの展開は奔放だが少しもはしゃいだ気分はなく、一つ一つの場面の底には、必ず美しい寂しさが横たわっている。原作にあった恐怖感は薄められ、この作品では山猫軒で最後に出会うものへの期待が、この寂しさの中でしだいに高められているような感じすらある。それはもう単においしい料理への期待などを越えた、何やら分からないが荘厳で偉大なものの気配、孤独を通り抜けて初めて見上げることのできる巨大な何かである。二人の猟人はその最後に待っているものがもしかすると死かも知れないとうすうす気づきながらも、自分自身に調味料を振りかけながら、魅入られるようにしてこの迷宮の奥深く、山猫たちの舞踏の場まで来てしまうのではないだろうか。遺作となる作品にしばしば見られる澄明感が、ここにも満ちている。漠然と遠くに感じられていたゴール、その死がごく身近な自分だけの終着点として感じられたとき、いま生きている現実の世界はもしかすると、その死を包み込んだ寂しく美しい迷宮となって見えてくる。若い健康な者にとっては抽象性のカバーをかけられてしまう死が、その迷宮を通過することによって具体的な手触りを帯び、親しみさえ感じられてくるような気分。この映画はその気分を、すぐれた原作を得て、まれに見る凝集度で提示した。原作の中心に置かれていた、食べる=食べられるで組み立てられた世界観は、さらに死の要素を加えて、畏れる=魅せられるのベクトルをも持つようになり、奥行きの深まった限りなく美しい小宇宙を構成したのであろう。
[映画館(邦画)] 8点(2009-11-10 12:13:32)
36.  チェンジリング(2008) 《ネタバレ》 
おびえる子どもたちが、おびえながらも何らかの勇気ある行動を取るところがいい。たとえば犯人の側の少年が、荒れ果てた牧場で遺体を埋めた場所を掘るところ。刑事がもういいと言っても掘り続け、泣き崩れる。あるいは被害者のほうの少年が、黙っていたことに自責を感じ、名乗り出る不安におびえて何年も耐えてたと分かるところ。(ふてくされていた犯人も、絞首台の上でおびえ、子どものように「きよしこの夜」をふるえ声で歌い出す。)子どもたちは恐怖と自責に取り巻かれ、しかしそれを何とか乗り越えていく。彼らの世代はやがて『父親たちの星条旗』や『硫黄島からの手紙』の兵士になって、さらなるおびえと戦わなければならなくなる訳だ。この陰惨な世界の中で、どこかでおびえ続けている子どもを探し通す母が映画の芯になる。バスから最後に息子を見送った窓辺の位置が何度も反復され、刑務所の犯人と対決するのも窓辺、ラストの取調室を覗くシーンでは、子どもではなく反射する自分の顔と向かい合っているのが痛ましい。ただ映画としては、サスペンス・社会派・法廷もの・犯罪者の心理ものと間口を広げすぎて焦点が拡散してしまった。精神病院のエピソードなんか、もっとあっさりしてても良かったんじゃないか。マルコヴィッチが意外と面白くない。
[DVD(字幕)] 7点(2009-10-30 12:00:08)(良:1票)
37.  父/パードレ・パドローネ
良かったところを書きあげていくときりがない。フェリーニ風の戯画的誇張とリアリズムが同居していて、イタリア映画ならではの世界を作り上げている。好きなシーンを一つだけ挙げると、手に入れたアコーディオンを持て余して困っているところ、初めて父を離れた意志を持った疚しさがあり、また家から足を一歩踏み出した瞬間の戸惑いでもあるわけ。全体として音への感度が良く、木のそよぎや小川のせせらぎ、子どもや町の人たちのささやきなどが効果を挙げている。そしてシュトラウス。ウィンナワルツってのは、『2001年』もそうだし、『ベニスに死す』では「メリー・ウィドウ」とか、けっこう大事なポイントで効果を挙げる音楽、馬鹿にできない音楽だ。寅さんでも初期のころ「春の声」を効果的に使ってたなあ。音楽として表現されるのは単純な華やかさなんだけど、それが映像と重ねられると途端に味わいを深めてしまう。で、この話、大筋だけみると、素朴な世代交代ものなわけだけど、安易な感情シーンを入れず、最後まで父に拳を握らせるとこなど、いい。退かねばならぬことを知ってはいるのだが、退く姿勢を見せてはいけないということも知っている。最後まで「父」の役割りをまっとうしようとするとこが、この人物の魅力なのだ。
[映画館(字幕)] 8点(2009-10-16 12:03:55)
38.  チョコレートと兵隊 《ネタバレ》 
これは戦時中、日本研究のために米軍がいくつか取り寄せた日本映画の中の一つで、これは反戦映画なんじゃないか、と疑問に思われたといういわく付きの作品。藤原釜足演じるいいお父さんが、戦争に行って死んでしまう話だから、向こうの人から見たらそう思えるかも知れないし、戦後の反戦映画のプロットにもなりうる設定だ。でも当時の日本人は、こんないいお父さんを死なせた敵を許すまじ、ってふうになったのだろう。これを逆に考えれば、戦後作られた反戦映画も、視点を変えれば戦中の国策映画になってしまうわけで、怒る対象の不在ってところが日本の反戦映画の問題点なんだと思う。そういうメッセージ以外のところは丁寧な生活描写で、藤原釜足もよく、いい出来の映画だと思った。実はこの映画で一番ハッとしたのは、夫に赤紙が来て妻の沢村貞子が「しかたがないや」なんてセリフを言うところ。戦前の映画見てて一番不自然なのは、召集令状が来ると内輪の場面でも家族が「おめでとう」とか「やっとこれでお国のためにたてます」とか、建て前の反応しか見せないところで、そこらへんに対しては特に検閲が厳しかったんだなあ、と思ってたんだけど、この作品では消極的ながらも、肩を落とし溜め息をつく気分が描かれていた。昭和13年というまだ比較的ゆとりがあった時期のゆえか、それともけっこうこの程度の表現はほかにもあって私が目にしてないだけなのか、「しかたがない」のを乗り越えるところに検閲官は意義を見いだしたのか、分からない。しかしそういうシーンが戦前にもあったことを知って、ちょっとホッとした気持ちになれた。
[映画館(邦画)] 7点(2009-05-02 11:59:29)
39.  厨房で逢いましょう 《ネタバレ》 
タッチは完全にフランス映画、EU統合で各国の個性がなくなりつつあるのかという不安はあるが、でも面白かったです、このドイツ映画。床に落ちたチョコレートをこっそり食べた女がその味が忘れられず、深夜ベッドから抜け出し、雨でびしょ濡れになりながら自転車を飛ばし、厨房に押しかけて料理をむりやり食べさせてもらうなんて、欲望に駆動されるブニュエル映画の登場人物に久しぶりに会えたような喜び。全体としては、昔の騎士物語みたいな骨格がある。残酷なほど鈍感でわがままな女王に、ひたすら仕える悦楽に身悶えする騎士のような料理人の物語。想いを溜めこんで太った彼の体重が思わぬ働きをするラスト近くの展開は読めなかった、まああの展開を予想できる人はまずいなかっただろうけど。オツな小噺を聴かせてもらった気分。
[DVD(字幕)] 7点(2008-09-07 12:13:45)
40.  長江哀歌 《ネタバレ》 
せっせと作られていく廃墟の街のその荒廃ぶりが、フィルムに記録されていく。外からの暴力にあって廃墟となったわけではない。強制立ち退きという、いわば内なる病魔によって、秩序正しく蝕まれていったその荒廃は、より痛ましい。消毒液を撒く人たちの姿も凶々しく、破壊するための労働に従事している男たちの肉体のみ、テカテカと光っている。近代化とはどこの国でも結局こういうことになっちゃうんだなあ、という深い諦めのようなもの。街をなくしてダムにたたえられることになるだろう膨大な量の水に圧倒されながら、その街をさすらう女の飲むペットボトルの水がより貴重に見えてくる。いくつかはさまれる驚きのカット、京劇役者が部屋に座っているのは、消えていく伝統ってことかな、と考えられないこともなかったが、飛んでっちゃった建物は、私にはまったく理解不能だった。それが何を意味するのかも、そのカットが入ることでこの映画にどういう効果をもたらそうとしたのかも。
[DVD(字幕)] 6点(2008-07-11 12:12:48)
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