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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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61.  動物、動物たち
博物館の建て替えの記録。剥製が補修され、新たに陳列し直される。それだけのドキュメントなんだけど、あらためて剥製というものを理科の学習とは違った視点で眺められるのが面白い。剥製の“動かなさ”を描くには、写真じゃ駄目で映画でなければ捉えられないんだな。写真だとそれが生きてる動物なのか剥製なのかが分からない、動く映像で初めてその動かなさが分かるという逆説。生き物たちのその停止させられた表情の不自然さが、もの悲しいようなユーモラスなような味を出す。剥製師の趣味によってか、変に擬人化された表情を持たされてるものもあったりして。剥製師にきちんと折り畳まれる皮も不気味。補修という化粧を施され、ビニールに包まれ、新しい展示場に並べられてるシーンが壮観。別々に生き、別々の場所で死んでいった彼らが、集合し隊列を組まされ行進をさせられる。動物園で死んだり、交通事故で死んだりと、たぶん動物としては不自然な死を死んだものたち。カンガルーの子どももおそらくその親ではない腹に納められているのだろう。ちょっぴりグロテスクな味が添う。博物館好きにとっては、舞台裏が見られるという意味でも楽しい映画。
[DVD(字幕)] 7点(2009-04-17 12:03:37)
62.  時をかける少女(2006)
木洩れ日や室内の陰りなど、光と影の“照明”が丁寧になされていて、平板な人物たちがそれで救われた。リセット願望というか、やり直し願望というか、なかったことにしたい願望、そういうものは若者よりも中年以上の世代のほうが強くあるんだけど、年とると深刻になっちゃうから、さわやかな話にならない。こういうテーマでさわやかにキュンとなれる主人公も、若者の特権なのか。タイムリープするにも、かなり体力が要りそうで、若くなければできそうもない。悔しい。停められない時間・魔の時の始まりを告げる商店街の自動人形時計の凶々しさなんかよかった。アニメとは動く画のはずだが、停止した時間も描けたのだ。停止した世界をゆっくり移動で捉えるシーンが美しい。それがあって走り続けるヒロインの場も生きてくる。映画ならではの反復の楽しみもいっぱい。それにしても、「遅刻しちゃ~う」と階段を駆け降り、朝食もそこそこに飛び出していく女の子で始まるドラマを、人はいったい一生のうちに何十本目にするのだろうか。
[DVD(邦画)] 6点(2009-03-06 12:15:07)(笑:1票) (良:1票)
63.  トゥヤーの結婚 《ネタバレ》 
なじみのない風土の物語のとき、どこまでがリアリズムでどこからが寓話なのか迷わされる。これ、別れた旦那を連れて再婚しようとするヒロインの話で、裁判所の人も驚いていたから異常な話は異常なんだろうけど、家族が労働力として第一に考えられるところでは、ある程度そういう異常の話も起こり得るという下地があるのか、それともまったく民話として考えればいいのか、迷わされた。登場する男がすべてヒロインを愛するあたり寓話性が強いようだけども、旦那が怪我で性的不能者になってることが話に複雑さを与えていて、一筋縄の民話では片づけられなくしてある。生活するとはこういうことか、というしみじみした納得が見ている間に訪れた。どこで立ち小便していいのか困るような広々としたところに道が長~く続いている色のない世界に、カラフルな衣裳と夜具で精一杯存在を主張している一家、ああここには確かに生活がある、と思う。なぜかやたらに人が負傷する映画であった。
[DVD(字幕)] 6点(2009-01-22 12:12:27)
64.  トゥルーマン・ショー 《ネタバレ》 
現実のリアリティの喪失という社会的な気分から、世界は実在するかってな大きな哲学的なテーマまでカバーできる設定で、こういう豊かな寓話を生み出せるのはハリウッドの強みだ。そしてハリウッドの伝統である自由への脱出ものにもなっている。実際現代社会のあれこれって何かセットみたいに薄っぺらになってるし。途中に入るCMがおかしい。待機しているエキストラたち。急に作られ解消される渋滞。群衆シーンのおかしさ。かなり笑えた。エレベーターのセットぐらいちゃんと作っておいてもらいたい。月が大きかったのはイメージじゃなかったのね。妻のローラ・リニーに変に不気味な味が出ていた、追い詰められつつココアのCMをしたり。この設定が怖いのは、有名になりたい、という我々の潜在願望も突つかれてるところがあるからで、あるいは、自分が主役であることを知り晴れがましさを感じて島にとどまり続ける、というさらにグロテスクなエンディングも有り得たな。
[映画館(字幕)] 8点(2009-01-18 12:13:28)
65.  東海道四谷怪談
なぜ直助殺しの場はあんなに感動的なのだろう。不意に隠亡堀にすべてが変わってしまうわけではない。屋内の構えはそのままで、そこに血の池ができ、葦が生え、戸板が流れ着いている。そしてそこにスローモーションで直助が倒れていく。屋内のままで外界の水が導かれている。廃墟という感じでもないのだ。タルコフスキーが好んだ設定、屋内の自然、雨が降ったりとか、あれに近いのだろうか。あと近いので思いつくのは、宮崎駿の『ラピュタ』にも、メカニックな世界の中央に草の原がしまわれているイメージがあった。なんかこういうの、外界が唐突に建物の中に呼び込まれることの驚きって、単に驚きだけでなく、もっと深い感動に通じているようなのだが、どうも私には分析しきれない。きちんとあるべきはずの屋根の下に、有機物が魔のように跋扈しつつある、ってことか。それだとやっぱり廃墟のイメージだな、それとは違うように思うんだが。とにかく私はなぜかそういうシーンになると、もうおののきながらめちゃくちゃ感動しきってしまうのだ。
[映画館(邦画)] 9点(2009-01-01 12:17:48)
66.  ドン・キホーテ(1933)
ドンキホーテって、周囲の迷惑を受ける側から見ると、サイコ・ホラーになるな。『タクシー・ドライバー』は、かなりはっきりドンキホーテ物語だった。でもこの映画は、彼を怪物視しているわけではない、全員が騎士道時代の風俗に扮するあたりのシーンはワクワクし、それは何から来るのかというと、周囲は狂った老人を騙しているつもりでも、しかし老人の妄想の世界が伝播してしまっているようにも見え、そういう妄想力にこの映画の観客も少なからず共感しているからだろう。ラストでは焚書された本が逆回しで蘇ってくる、妄想する自由を封じ込めるなんて、できっこないという表明だ。
[映画館(字幕)] 7点(2008-12-15 12:06:40)
67.  とんかつ大将 《ネタバレ》 
タイトルが活字でサッパリと出て、無音のままキャスティングも過ぎ、唐突にブレーキの音が轟く、というニクい導入。でも話の軸は、病院の悪徳弁護士と町医者との対立で、善悪が恥ずかしいぐらいにきれいに割り切れている。なにしろ病院を増築してキャバレーにするっていうんだから。そしてグレてた高橋貞二は佐野周二の説得ですぐ警察に自首し、徳大寺伸も子どもを手術で救われていい人に戻り、岡惚れしてる飲み屋の女将は津島恵子のために身をひく。実は財界の御曹司だった、ってあたりはもうついていけなかった。迫り来る火事の中での手術がポイントで、これで浄化され、悪徳弁護士は退散、盲目少女の目は見え、不良高橋は真人間になって戻ってくる、という大団円である。御都合主義もここまで来ると、いっそいさぎよく爽快である。
[映画館(邦画)] 6点(2008-12-07 12:13:20)
68.  富江VS富江
このシリーズでは、とても大変な世を揺るがすような事態が、小さな狭い世界で展開してそのまま小さく狭く終わるってのが多く、たとえば学校の一クラス、たとえば一つの家庭内。そして今回はと言うと、マネキンリサイクル工場という中小企業内で、赤い富江と黒い富江とが争っている。世界にばらまかれた富江の血が起こした結果にしては、話が小さい。いや、それがいけないって言うんじゃなくて、それにもっとこだわれば面白くなれたんじゃないかと思うの。赤と黒それぞれに心服し服従している男どもがいて、いわば二つの女王国が中小企業の中で戦争しているようなもの。その戦争を描けばこのシリーズに新展開をもたらしたかも知れない。歌舞伎でよく、市井の世話物的な暮らしが実は源氏と平家の武将のせめぎあいだった、っていうのあるでしょ、ああいうのが至って好きなんだけど、ああいったスケールの意図的な混乱によるめまいのような味(普段のものと超絶したものとが簡単に入れ替わり得る世界)が、もしかすると生まれたかも知れないのに、二派の対立ってのは膨らまないで終わっちゃって、いつものドロドロした再生シーンになってしまった。惜しい。パッケージの表記を信じるなら、これでシリーズは終了って言うんだけど、どーだか。
[DVD(邦画)] 4点(2008-11-25 12:13:56)
69.  富江REVENGE 《ネタバレ》 
ラストに至って「そうか、オリジナルの富江は誰なのかという謎でドキドキさせる仕掛けの映画だったのか」とやっと気がついた。そもそも最近、若い娘の顔を識別する能力が劇的に衰えてるもんで、途中でちょっと誰が誰か混乱しちゃってたんで、そんな方面にまで気が回らなかった。行方不明の所長の娘の顔と、高笑いしている富江の顔とがすぐにつながらず、そしたら内臓食ってる富江も出てきて、所長が娘見て富江ーって叫ぶでしょ、男がいなければ戦争やテロはなくなる、って御立派な演説も始めちゃうし、もう頭んなか渾沌の渦巻き状態。終わってからもう一度要所を再見し、ああこれはどうもあれらしいぞ、と遅まきに理解し、なんとか話の輪郭は認識できた。一苦労であった。ビデオをフィルムに起こしたぼんやりした画調が、記録ビデオのシーン前後になるとビデオそのものの画質になり、また戻ったりと落ち着かない。とにかくこれでやっと全シリーズ見終えたとホッとしてたら、いつのまにかもう1作増殖している。
[DVD(邦画)] 4点(2008-11-14 11:18:37)
70.  虎の尾を踏む男達
腹のすわった立派なサムライと卑屈な庶民の関係って、師弟関係とは別に、黒澤が好んだ設定で、たとえば後年の『隠し砦…』にも通じていく。その最初の登場が本作だ。また「平家物語」の映画化を生涯の夢にしていた監督が、けっきょくその時代近辺を描くことができたのは、この短い一編だけだったわけで、その点でも貴重な作品。富樫がになう役割りを、富樫と梶原の使者との二人に善悪で分割しすっきりさせている。善悪というより、人情的と官僚的か。勧進帳読み上げのシーンは、梶原の使者に登場させ、カットを畳み込んでサスペンスを盛り上げる。ここらへんはホントうまい。富樫の山伏問答ではロングで引き、セリフと音楽で盛り上げる。同じ手を続けない。後段、エノケンは酔って踊り、これまでずっとビクビクしていた庶民の彼が、ここで初めて「立派なサムライたち」に溶け込む。しかし目覚めてみれば独りぼっちで置き去りにされていた。立派なサムライたちの仲間には入れてもらえなかった。サムライたちの末路を暗示しているような、また庶民にとってああいう立派さがそもそも一場の夢であるような、そんなエンディング。以後も黒澤作品ではこの断絶がしばしば描かれ、なにかと引っかかるところではある。大きな夕景のなかに一人でたたずむってのも、これから何度か目にするモチーフ。
[映画館(邦画)] 7点(2008-11-13 12:17:57)
71.  富江BEGINNING 《ネタバレ》 
このシリーズからは4作目でキッパリ足を洗ったつもりだったが、ここの皆さんの悪口を読んだら、なんか“三度笠”とか“居合い抜き”とか面白そうなのでつい見てしまった。皆さんが、これはとってもつまらないよ、と口を揃えて警告して下さっていたのに見てしまった。私が愚かであった。いままで青春ものとかホームドラマ調とかいろいろな趣向でやってきたシリーズだが、今回は学園もの。それが一クラス、生徒と先生だけしか描かれない。というかこのクラスの外部は存在してないみたい。警察も病院も(耳がちぎれても富江が病院には連れて行かないでって言うと自宅治療ですます)親も存在していない。クラス全員で死体をばらばらにしても、みんな黙ってようぜ、で済んじゃうと思っている。富江の学費の払いはどうなってたんだろう、転入の書類の保護者欄はどうなってたんだろう。分からない。富江は何であんなに不必要に凄むんだろう、凄まないほうがまだ怖いのに。分からない。このシリーズは、3作目で妻夫木聡4作目で宮崎あおいと、大河ドラマの主役を輩出しているが、5作目からも出るのだろうか。分からない。それにしてもあの三度笠はいったい…。分からない、分からない…。
[DVD(邦画)] 3点(2008-10-24 10:34:51)
72.  独立少年合唱団
香川照之っていいな、と思い出したのはいつからだったか、『犬、走る』のシャブ中の刑事は印象深かったが、これの香川も良かった。断念を秘めた情熱家、あるいは情熱を残した断念者。内側が複雑になっちゃってる人をやると、あのボーッとした表情がすごく生きてくる。これは過去の点検の話で、現在から見た70年代の点検、あの革命の気運は何だったのか、という問いかけ。世の中を良く変えていきたいという欲求は、なぜ空回りしてしまったのか。「骨まで愛して」を求めていた人々へ、ロシア民謡を歌いかけていたそのズレ。それが死のモチーフとどう絡み合っていくのかが、もひとつ不鮮明だったけど。歌が生まれる前の沈黙に耳を澄ますこと、しかし沈黙の後で必ず歌が生まれるとは限らない。歌は無意味だから美しいんだよ、だったかな。
[映画館(邦画)] 7点(2008-10-15 12:10:57)
73.  どこまでもいこう 《ネタバレ》 
画面ではまだ何も起こっていないが、何かを待っている時間の緊張がしばしば描かれる。たとえば冒頭のヤクルト奪取のとことか、公園での逃走。悪い報告をする前の先生のためらいも含めていい。こういう待機の時間の緊張がいい映画だ。これがあって走るシーンが生きてくる。花火も似たようなものだな、点火からしゅるしゅるまでの間。爆弾紙飛行機も。女の子たちがときどき一輪車で軽やかに通過するのが、緊張して待機したり走ったりしている男の子たちといい対照。拾った金を川岸で山分けしている写真が、マスコミによって「ミズスマシがいた」というホノボノ記事になるのがおかしかった。
[映画館(邦画)] 7点(2008-10-04 12:15:52)(良:2票)
74.  どら平太
30年前だっら誰が演じることになったんだろう、と考え、しかし考えつかず、役所の貴重さを改めて思った。柔剛あわせ持つキャラクター。でもやはりこの監督は女性映画の人で、たとえ浅野ゆう子でも、彼女が出てくると崑らしさがパーッと出る。遊びみたいなシーンだけど、岸田今日子の女博徒もおかしかった。活劇映画としては、も一つ駄目押しの見せ場がほしいところだなあ。ま、どら平太のサワヤカさの方に主眼が置かれているのだろう。宇崎竜童と片岡鶴太郎は、配役をちょいとひっくり返しているような面白味。
[映画館(邦画)] 6点(2008-09-29 10:45:20)
75.  鳥(1963)
ヒッチコックの映画が何度も繰り返し鑑賞できるのは、演出の名人芸を音楽のように味わえるからだと思うんだけど、ただこれだけはちょっと違うんだな。見るごとに、物語としても常に新しい読み取りかたに気が向くというか、味わうより考えちゃう。メラニーに「あなたは何なの」って問いつめる食堂の子連れのおばさんが気になったこともあるし、メラニーのいたずら好きってのが隠れたポイントじゃないかと思ったこともある(この事態は鳥がメラニーに替わっていたずらを始めたんじゃないか、でメラニーはラストでかつての鳥のような、目をパチパチするだけのか弱い存在になってしまったんじゃないか)。この異色作ばかりは悠然と鑑賞できず、いつも前向きに突っ込むように見てしまう。やっぱり原因不明のまま、話が開いたまま、エンドマークも出ないで終わっちゃうってとこが、謎として挑発してくるんだろう。鳥とは何か。たとえばある国なら少数民族のことを思い浮かべるかも知れないし、ある社会なら子どもを思い浮かべるかも知れない。人間には気がつかない些細なきっかけで大きな変化が起こり得るってとこに(非線形的変化っていうの?)、一番の恐怖があるのかも知れない。あなどっていたもの、気軽に石を投げつけていたものすべてが(生物に限らず)、この無表情で感情移入を拒む鳥の群れに重ねられ、見るごとに新しい恐怖を掻き立てている気がする。
[DVD(字幕)] 10点(2008-09-02 10:55:20)
76.  富江 最終章~禁断の果実~ 《ネタバレ》 
前作は青春ドラマだったが、とうとうホームドラマにまで作品の世界は縮まった。その分密度が増したかというと、そうはいかなくて、なんかパサパサ。富江に俗世を超越したものが感じられないのが致命的だ。キャビア食べたがってるただの性格の悪い女。父親の初恋の女性を娘が飼育するって三角関係の趣向が、神話を組み立てそうでいて、でもよく考えてもあんまり意味を見出せない。今までの富江は男を迷妄に導いて自分を殺させるのだったが、今回は、バケモノめ、と罵られて殺される。正体を見破られて殺される。新機軸というより、凡庸化であろう。それにしても副題の「禁断の果実」は恥ずかしいなあ。
[ビデオ(邦画)] 5点(2008-08-07 12:14:05)
77.  富江 re-birth 《ネタバレ》 
一作目ではともかくも警察が動いた。二作目では病院が一つ潰れた。富江の活動がそういう社会的反映をもたらしたが、今回は狭~い友達関係の中だけで話が閉じている。富江にしてもやりがいがなかったのではないか、と思われるが、青春ドラマの線は出た。富江がヒトミに憑依していくとこが本作のポイントで、「富江は分裂増殖する」って謳い文句がやっと意味を持った。恋人が・自分がしだいに富江化していく切なさの、妻夫木聡・遠藤久美子による記憶喪失恋愛ドラマ味が、ホラー味と重なってくるラスト近くの3人の場で楽しめた。実はもう一ヶ所、風呂場で富江を解体する場もけっこう気に入ってて、奥の洗面器に酒井美紀の生首が斜めに突っ込まれてる前で、母と子が「夏休みの工作を思い出すわ」なんて言いながらノコギリ引いてるあたり、劇場では笑いが起こったかもしれないが、なんかこういうとこ好きなの。「シュンちゃん、起こしちゃった?」とか「男の子はやっぱり力があるわね」とか、淡々とした会話と血みどろの同居。
[ビデオ(邦画)] 6点(2008-08-02 11:05:57)
78.  富江 replay
SFにホラー味が加わったのは『エイリアン』からだろうか。昨今はホラーにもSF味が必要になる。富江がのりうつるのに、臓器移植が必要になる。科学的背景で説得力を増させようとしているのか、逆に、ホラー話の不合理を際立たせようとしているのか、とにかく病院の陰気さはホラーに似合う。私たちがもともと持っている死生観と医学との噛み合わないところに、恐怖が入り込みやすいからだろう。前半の病院シーンはけっこう悪くなかったと思う。シンメトリーの多用も冷たさを生んでいた。でも肝心の宝生舞がただの性格の悪い女って感じなんだよなあ。この世ならぬものの気配に欠けて、ナマすぎる。まあ彼女の問題というよりシナリオの罪だと思うけど。ヒロインとの絡みぐあいが前作より弱いので、たたる必然性も弱くなっちゃう。窪塚君が弱いからかなあ。富江から呼び出し受けてヒロインが車椅子で廃病院へ乗り込み、血の足跡がついている階にどんどん進んでいくのを納得させるほどには、窪塚君に魅力がなかったからなあ。
[ビデオ(邦画)] 5点(2008-07-30 11:09:15)
79.  富江 tomie
永遠の被害者ってのがちょっとユニークかと思うが、もともと日本のお化けは被害者の恨みが凝り固まって生まれるもので正統中の正統。あどけなさがそのまま怖さになるってのも珍しくはない。やっぱこれ菅野美穂の顔の怖さに尽きるなあ。前半伏せといて、後半満を持して特殊メイクなしで素顔を出し、それでも怖い。顔の造作の各パーツはいたって単純(目など単純すぎてそれも不気味ではあるが)、その各パーツの釣り合いが微妙にアンバランスで、下半分が膨らみ気味になるのを、ともかくも一つの顔に収拾しているところに、何とも知れん緊張がある。顔自体が膨張したがっているのを、無理に押さえ込んでいるような。各パーツの単純さを裏切る魅力的な複雑さが生まれている。「永遠にかわいいまんまなんて、かわいそうでしょ」なんて、その顔で言われると、なんかこう、複雑な気持ちだが、ホラー的気分にはなる。ただし凄味をきかせると怖くなくなります。
[DVD(邦画)] 6点(2008-07-25 10:27:30)
80.  ドラキュリア
「おい、様子を見てこい」って言われると、みんなで一緒に行けばいいのに、一人ずつ順番に行って一人ずつ順番に血をツーッと吸い上げられてしまう。みんなで行けば怖くない、ってのは真実だなと思った。処女の生き血は現代では入手困難なので、吸血鬼も大変なのだった。アメリカを舞台にすると南部のカトリック地帯でなければならないのだった。
[映画館(字幕)] 5点(2008-07-20 12:07:54)(笑:1票)
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