61. 時をかける少女(1997)
《ネタバレ》 昭和40年が舞台で全編モノクロだが、初めから古いものを使えばかえって映画が古びないというのが監督の考えらしい。ただしそれは前半だけのようで、後半は時間を超越した異空間のような場所で話が展開しており、さらに終盤で未来と当時の警察が協力関係にあるらしいのを見ていると、アメリカ政府が宇宙人とのコンタクトを隠蔽していたような陰謀論的超現実感まで生じるので、もう年代など関係なくなってしまう。 またこの映画では深町と和子が再会できたので、これで一応はハッピーエンドのつもりなのだろう。しかし30過ぎるまで待たされた和子が、これで本当に幸せになれるのかどうかは怪しい気がする。深町は一生逃げ回るようなことを言っていたし、和子の方にも15年の間にいろいろあっただろうと勘ぐってしまい、どうも素直に喜んでやる気になれない(すでに浅倉のものにされてしまっていて、ここで再度「助けて、連れ出して」と深町に懇願したなど)。加えてこの場面は映像的にも、登場人物が演歌の世界に移行したような中高年風味が感じられ、切ない青春物語を期待していると裏切られた気になる。こんな風にこねくり回されるくらいなら、21世紀の時かけは世代交替して正解だったと思う。 ところでヒロインは外見的にはカワイイ系の人ではなく、特に前半では高校生らしさは出ているものの全く愛嬌が感じられない。ここだけ見れば史上最も可愛げのない時かけヒロインということになるが、しかし後半になると表情が変わって俄然魅力的になり、深町と話すときの幸せそうな顔は普通に可愛らしかったし、尋問されている時の顔は毅然として美しかった。どうやらわざと差をつけていたらしい。個人的には「さよなら!」という場面がけっこう気に入っていたりする。 ほか登場人物の中で無条件に好感が持てるのは英語の先生で、演者はこのとき×十歳くらいのようだが、生徒にも美人とほめられていたのは同感である。映画を見たあと、思い出したようにアイドル時代のCDを購入してしまった。 [DVD(邦画)] 3点(2013-10-26 11:46:29) |
62. 東海道お化け道中
《ネタバレ》 いま思えば「ガメラ対大悪獣ギロン」と併映で見たのがこの映画だった。話の筋は忘れていたが、赤く染まる杯、刃物を捨てた場面と枯木の怪は憶えており、子どもにとっては十分怖い映画だった。個人的にはこれが妖怪映画の原点である。 この映画でも妖怪は集団化してしまっているが、場所にまつわる個別の怪異として現われる場面もあり、本来の妖怪談としての味わいが出ていたように思う。また今作でも妖怪は別に人間の味方をしていたわけではなかったようで(そう見えるのはたまたま)、妖怪は怖いものという前提を基本的には崩さない姿勢が感じられた。 それで、ストーリーの方は第一作の雰囲気に戻ってまるきりの時代劇である。画面で見る限り、登場人物は東海道を藤川宿(江戸から37番目)-浜松宿(29)-由比宿(16)-蒲原宿(15)と移動していたが、子役の台詞では掛川(26)の名前も出ており、またDVDの資料によると「八ツ墓山」は岡部(21)にあったらしい。ほか「蛇骨婆」の出身地は袋井(27)とのことだが、出たのは浜松の前なので出張していたと思うしかない。浜松から富士が大きく見えるとか、最初の藤川宿を「駿州」と言うといった考証的な問題もあるが、まあそういうのは大目にみるものだろう。 また古風な人情劇でもあり、特に子役の女の子が健気で、DVDの「索引の巻」十三の題名が「古城門昌美ちゃん名泣き芝居」とか書いてあるのは笑った。主人公の博徒としては、おれも堅気で所帯を持っていたらこんな娘がいたかもな、と思って世話していたのだろうが、最後は惚れて尽くした女にあっさり裏切られたように見えていたのが可笑しい。一時の夢に終わった悲哀感もあるが、まあ親の情をしっかり見せた方の勝ちに終わったのは仕方ないだろう。もう一人の少年もけっこう誠意をもって頑張ったのに報いがない感じで、あとは残った二人だけで親交を深めてもらえればと思う。 ところで「蛇骨婆」の話では東海道の宿場ごとに妖怪の一族がいるということだったが、天地開闢以来そうだったわけはないので、これはもともと全国各地に一定密度で分布していたのが、江戸幕府の五街道整備によって人の流れが活発になり、そっちの世界でも東海道沿いに横の連絡がついたと解釈すればいいのではないか。このへんな生きものは、まだ日本にいるのだろうかと思うが、いるわけないなどと言うと、いる、と言って出てくるかも知れない。 [DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:03:36) |
63. となり町戦争
《ネタバレ》 原作既読だが、主演女優が目的で映画を見た。この映画には出てほしくなかったという思いが残るものの、とりあえずこの人のために2点つけておく。 内容については、最後が真面目な感じで終わったことから、基本的には真面目なことを語ろうとした映画だと想像するが、実態としてはドタバタばかり見せられて呆れ返る。役場が原作でいう“バカドモ”扱いなのは世間の常識通りとしても、ヒロインにまでコントの役を振るのでは真面目に見る気が早々に失せる。 もともと原作も完璧とは思えないが、それでもこの社会のありように対する作者の思いは確かに感じられた。しかし映画ではそれが全部抜け落ちて、その跡を空々しいセリフと取ってつけたようなBGMで埋めてあり、登場人物が真面目な顔で語るほど鼻で笑いたくなる。大変残念な映画化と思う。 [2012-09-02変更] 配点を変更し、主演女優のために2点、それ以外を-2点とする。 [DVD(邦画)] 0点(2012-09-02 19:55:00)(良:1票) |
64. 時をかける少女(2010)
《ネタバレ》 とにかくヒロインの芳山あかりが陽性で表情豊かで楽しい。タイトルを生かすため冒頭で無意味に元気よく走ってみたり、タイムリープの場面でも走りまくっていたのはご愛嬌。深町の本名を聞いた時の微妙なリアクションは可笑しかった。他の登場人物もみな魅力的だったが、変にナイスガイになった深町が、冷徹なようでいても情に負けて目こぼししてしまうのは少し見直した。彼も心に痛みを感じていたのかも知れない。 今回のヒロインが行くのは1974年で、その年代自体には特に必然性が感じられないが、劇中に出ていたような“窮鳥懐に入らば”的な律儀さが生きていた時代とすればわかるような気もする。現代人が体験する70年代の青春というのも、時間モノとしては面白い趣向かも知れない。また、この時代から見た21世紀のイメージは劇中に出たとおりの未来都市が典型だったのだが(ちょっと古臭いか)、その後実際に起きたのは、あかりが誇らしげに示した携帯電話に象徴される情報通信ネットワークの急速な発達だったわけで、この辺の現実認識は適切だと思う。 ところで劇中では、中学生の和子が「記憶は消えても…心で憶えてる」と言っていたが、それよりも現実に誰にでも起こりうるのは、劇中の涼太が危惧したように“記憶はあるが思いは失われる”ことだろう。そこで涼太が、いわばタイムカプセルに封入するような形で思いを残そうとしたのは自然なことであり、あかりの側でも記憶がないことで、かえってその思いだけを前向きに受け取れたようだった。また和子も実際には記憶を取り戻して、双方が相手をちゃんと認識した上で再会を果たしており、1983年版のシビアな印象がかなり緩和されていた。これは映画全体の雰囲気からすれば妥当と思える。 ただ、ストーリー作りのために死人が出たことだけは理不尽だ。能代の母はこの先どうすればいいのか。 なお余談だが、完全版DVDの特典ディスクには劇中映画の完成版が入っており、何となくその後の新たな展開を予想させる内容になっているが、これは完璧なハッピーエンドを期待する特別なファンの思いに応えようとするものかも知れない。 [DVD(邦画)] 7点(2012-02-11 22:49:09)(良:1票) |
65. 時をかける少女(1983)
《ネタバレ》 冒頭の場面で原作のオチを軽く蹴飛ばしてしまい、この映画は違うんだと宣言しているかのようだ。違っている点は、原作の登場人物が中学生のため思春期の一時的な心の揺れで済ませられるのに対し、この映画では年齢が高校生まで上がっているので、劇中の出来事がその後の人生を直接左右する恐れがあるということである。果たしてこの映画ではヒロインと、その幼馴染みがとばっちりで人生を狂わされてしまった。こんな理不尽な映画に誰がした、と怒りを覚える。どこが理想の愛だ。だいたい深町が憎たらしい。 しかし、本編終了後のプロモーション映像のような場面になると一転、ヒロインがにこにこしてとにかく可愛いので、見ている方も顔が緩み、テーマ曲に合わせて身体を左右に揺らしてしまう。周囲の登場人物もヒロインを盛り立てようとしているのが嬉しい。この幸福感で本編のいろんなことは全部許してしまい、あーよかったという気分になって映画の評価が確定。終わりよければ全てよしという結末。 ところで、舞台の街が超レトロであり、また一部の特殊効果が超安手なのは、映画自体が古いせいだと思う人がもしかするといるかも知れないが、これはリアルタイムで見てもそのように感じられたと証言しておく。 [DVD(邦画)] 7点(2011-12-31 23:49:07)(良:3票) |