Menu
 > レビュワー
 > onomichi さんの口コミ一覧
onomichiさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 404
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 55歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作年 : 1980年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  ハンナとその姉妹 《ネタバレ》 
『ハンナとその姉妹』は、ウディ・アレンの集大成的な映画だと思う。彼の哲学が詰まった作品。これまでのウディ中心の恋愛劇から群像的な方向が打ち出され、以後のスタイルの原型ともなった作品。各人の会話と心理描写が錯綜し、演者の表情や背景/風景が物語に奥行きを与えている。話は、ウディ特有の惚れたの腫れたのという単純な恋愛劇なのだけど、それと並行して、彼自身の生来の問題意識でもある「SEXと死」というテーマが扱われている。ウディ演じるテレビのディレクターが「死」という観念に囚われ、仕事を辞め、宗教に嵌り、最後にそれを乗り越えていく様子とマイケル・ケイン達のプリミティブな恋愛ゲームとの対比の中で、何故ウディ・アレンが映画の中でそこまで恋愛に拘るのかがじんわりと分かってくるのである。  ウディ・アレンは、恋愛をその出会いから成就までという従来のサイクルでは考えない。彼はその終わりと終わりからの始まりを描くことで恋愛の本質、「今、この瞬間の思いを大切にすること」を表現する。「今、現在」は過去の思い出や未来の不安の断片を常に含む、思いがけず、また思い込むことで連続していく様々な瞬間の蓄積としてある。他人同士が分かりあい、そしてすれ違い、我慢し合い、深く知り合う。恋愛がそういう蓄積としてあるならば、それは常に波のように揺れ動くものであり、ある振幅で瞬間的に壊れる可能性もある。あらゆる瞬間の可能性の中で人生という喜悲劇があり、恋愛というものがある。人生という波を微分的に捉え、そこに本質を見出し、それを味わうこと。そういう意志を自然のものとして感じる。  ウディ・アレン映画は、その総体、ひとつのシリーズとして評価することができる。こんな作家は今では他にいないだろう。『アニー・ホール』があり、『マンハッタン』があり、『ハンナとその姉妹』があり、『夫たち妻たち』があり、『重罪と軽罪』があり、『世界中がアイ・ラブ・ユー』があり、、、ウディ・アレンは年をとる毎に彼の「今、現在」を撮り続けることによって人生を表現していると言えよう。
[映画館(邦画)] 10点(2010-06-13 21:06:30)
2.  ハンバーガー・ヒル
当時、「プラトーン」「ハンバーガーヒル」「フルメタルジャケット」とベトナムものが立て続けに上映され、僕らは仲間内でどれが一番気に入ったかを言い合ったものである。ちなみに僕はハンバーガー派であった。 ベトナム戦争は、アメリカの国家的戦争であり、アメリカ軍の戦争従事者にとっての敵はアメリカの敵である。つまり、彼らが自らの死を意識した時、それは「国家に対する死」ということになる。僕らは単純にそれをこう言いかえることができる。僕は国の為に死ぬことができるのだろうか、殺すことができるのだろうか、と。 僕が当時、「ハンバーガーヒル」を最も評価したのは、この単純な問いこそが作品のテーマであった点である。 日本が国を賭して戦い、国民が国民として国の為の死というものを初めて意識し始めたのは日露戦争の頃からだろう。ハンバーガーヒルの激戦は、僕にあの二百三高地を思い出させた。ただ国の利害の為に、戦略的高地を奪う為に、命令されるがままに、自らの狂気と引き替えにして命を落とした多くの若者達の煩悶が僕には聞こえてきたのだ。 昨今、日本にも微温的なナショナリズムが叫ばれているように感じるが、僕らにとって、そのナショナリズムの基盤とは一体何だろうか? 日本とは? 国家とは? 自由とは?  日常とは? これらの原理を理解した上で国民国家というものを考えた時、僕らは「国の為に死ぬことができるか?」という問いに出会わざるを得ない。<日本が軍隊を持つことはこういうことだろう。> ハンバーガーヒルも二百三高地も単なる歴史絵巻ではないと考えたい。
8点(2004-09-04 00:36:11)(良:1票)
3.  パリ、テキサス
茫漠と広がる砂漠のような虚無感。彼が旅したのは自らの心象風景の中だったか。しかし、失われたものを快復するために彼は目指す。自意識に根ざす心象風景は常に止め処ないが、そこに一筋の光を見出すことは不可能ではない。砂漠にも静かな雨が降ることがあるだろう。優しさという名の愛情が彼に希望をもたらすが、それはもう遅すぎたか? でも終わりは始まりともいう。大切なのは彼の心の在り様であり、快復であろう。柔らかに降り注ぐ雨は静かに地下へと水を湛え、やがて彼の人の水脈にも連なっていくだろう。彼に必要なのはその為の時間だけである。それが自然というものだろう。
9点(2004-08-13 13:30:36)(良:1票)
4.  バック・トゥ・ザ・フューチャー
映画館で観たのは高校生の頃かな。スリルがあって面白い映画だとは思うけど、それだけじゃん。。。なんて書くと、映画は娯楽でしょ!楽しければいいじゃん!って声が聞こえてきそうだ。でも、なんというか、映画の見方は人それぞれっていうけど、「不朽の名作」だとか「最高のSF映画」だとか、こんなに高い評価が並ぶのには本当にびっくり。そんなものなのかな。<まぁ「普及の名作」だとは思うけど、これがサイエンスフィクションかと言われると首をひねっちゃうな> 
7点(2003-10-25 12:54:04)(良:1票)
5.  遥かなる山の呼び声 《ネタバレ》 
『幸福の黄色いハンカチ』へ繋がる前章という位置づけもできるが、倍賞千恵子を中心として見れば、民子3部作の最終章であり、『家族』から10年目の続編という見方が妥当だろう。  この物語は、民子の物語である。 民子(倍賞千恵子)と武志(吉岡秀隆)親子の元に現れる一人の男。高倉健。彼は、70年代を貫く山田洋次作品の中のゲストであり、主役はあくまで民子である。民子は、これまで家族の中の妻と母という立場であり、女ではなかった。今回、『遥かなる山の呼び声』で、高倉健という適役を得て、彼女は初めて女になった。この物語はそういう物語としてある。そこにこそ心動かされる。  高倉健は当時、40代後半。個人的には、この頃(70年代後半から80年代前半)の作品が高倉健の最も「健さん」らしい味わいに溢れていると思う。傑作も多い。男も惚れる。子供も女も皆健さんに惚れてしまう。本作でも寡黙だが実直、男気に溢れ、喧嘩も強い。逃亡犯という陰を持つが頼れる男、「健さん」がそこにいる。  高倉健が別れを告げた夜、「どこにも行かないで、私寂しい」と彼にすがりつく民子。そのシーンの切実さを想うと涙が出る。そして、別れの朝のシーン。列車内でのハナ肇とハンカチ。僕らは2度の号泣を覚悟しなければならない。この映画は山田洋次監督の70年代の作品群の最後に結実した大きな結晶のような作品である。『家族』から始まった民子の受難はここでもまた続くことになるけれど、それは愛という結晶を得ることによって、希望へと結実したのである。  とにかく素晴らしい映画。何度でも繰り返し観られる。実際、昔はテレビで何度も観た。今はDVDで何度も観る。北海道の大自然、時に厳しい自然の姿があり、それを含めた美しさに圧倒される。 本作は、山田洋次作品の金字塔であり、日本映画、不朽の名作である。
[DVD(邦画)] 10点(2003-09-08 00:34:46)(良:2票)
6.  背信の日々
とても恐い映画。ラストシーンには胸がつぶれます。
9点(2002-06-10 01:09:29)
7.  初体験/リッジモント・ハイ
80年代がダサい時代であったのは全くもって正しい。映画も音楽もどうしようもないものが多かったのは確か。僕が青春時代を過ごした当時でさえそう思ってましたよ。でもダサさを排除した90年以降は、そのダサさが内包していた空虚さ自体をも排除してしまい、ある意味で洗練されすぎてしまったという感覚があるのはどう評価したらいいのかな? そこで失われてしまったのは「喪失」の感覚そのものだと思うんだけど、まぁこれはこの映画の話とは全く関係ないか。さて、僕はジェニファージェイソンリーの大ファンなのでこの映画にはとても満足しました。ストーリーは殆ど覚えてないけど、いまだに彼女の白い裸体が目に付いて離れないんだな。。。
7点(2002-06-02 01:00:13)(良:1票)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS