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onomichiさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 404
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 55歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

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21.  プラトーン
「プラトーン」も戦場映画なら、「ワイルドバンチ」も戦場映画だ。僕が思うに戦場映画とは、戦場という状況そのものを描くものではなく、戦場という<不条理な>状況の中で人がどう生き死んでいったかを描くべきものだ。そこに描かれるリアリティとは、状況のリアリティというよりも、人間のリアリティ、もっと言えば狂気のリアリティではないのか。なぜなら、戦場という状況下で人を生かしめるのは、狂気において他ないからだ。人はそれを正義というのだろうか?信念というのだろうか?残念ながら、そういう時代は遠い昔に終わった。さて、「プラトーン」において、そういったリアリティを最も体現した人物は、バーンズということになるだろう。しかし、僕の印象からすると、彼の発する狂気のリアリティというのはちょっと弱い。それは、僕が戦場映画の名作「地獄の黙示録」を念頭に置いているからかもしれないが、真に狂気を描こうとするならば、そこには、それなりのセルフストーリーがなくてはならないのだ。今やテレビゲームでも戦場が体験できる時代。映画という媒体で殺し合いを描くのはとても簡単なことだ。そこにほんとうの生死の意味を描こうとするならば、狂気の本質をもっと追求すべきなのだと思う。そうでなければ、人を殺すことをなんとも思わない一部の現代少年たちの格好の教材でしかならなくなる。それで良いわけはないだろう。
[映画館(字幕)] 8点(2003-10-15 01:45:20)(良:1票)
22.  フォロー・ミー
ミア・フォローが子供っぽくって、本当に可愛らしいですね。見詰められ、保護されているという安心感は、まさに子供が無意識に感じる親に対する感情でしょう。それは一見うっとうしいのですが、裏を返せば、実に心地いいものなのです。しかし、オトナになると。。。人は常に孤独だけれど、やっぱり一人じゃ生きられない<生きる意味がない>ものなのですね。
8点(2003-10-13 15:35:52)
23.  プライベート・ライアン
戦闘シーンのリアルさが訴える戦争の悲惨さ。それを素直に感じてしまう心情。それはある意味で無邪気な屈託のように僕には感じられる。この映画は戦闘シーンのリアルさと戦闘従事者のある種のヒューマニティという二つの側面を持っているが、その二つの事柄がうまく整合しない、妙な座りの悪さを強く感じるのだ。作者の切実さが僕らを捉える焦点のようなものを欠いている、その硬質性、その薄っぺらさがこの時代の精神なのだろうか。そう思うと妙に納得してしまうのも事実ではあるが。<補足>映画を単なる娯楽としてのみ観る立場から言えば、どうでもいいことかもしれない。娯楽として観れば、この映画はとても面白い。しかし、それが僕らの生きる「ほんとう」を指し示していない限り、娯楽以上の価値がないということも確かなのだ。そう思ってはいけないのかな?でも、そうでなかったら、僕がここで言うことなど何もない。世の中は既に汚れちまった哀しみに満ちている。既にイノセントな立場から言えることなど何もないはずなのだ。本来的な意味でリアルとは一体何だろう?僕らはもう一度、その意味について考えるべき時期に来ているのだと思う。イラクでのアメリカ人虐殺シーンの映像がネットで公開されたそうだが、その虐殺シーンとこの映画の冒頭に描かれる兵士達の殺戮シーンとの違いは何だろうか。また、戦闘ゲームやその手のマンガに描かれる殺戮シーンとの違いは何だろうか?それは、そこに投げかけられる問題の切実さによる。そしてそれを僕らがどのように捉えられるかにもよるのだ。
8点(2001-12-19 00:18:22)(良:1票)
24.  ブルーバレンタイン 《ネタバレ》 
厚生労働省が毎年発表している「人口動態統計の年間推計」によれば、2011年時点で、日本では3組の結婚に対して、1組の離婚が発生している。(ちなみに35年前までは10組の結婚に1組の離婚だった) この数値は10年前から変わっていないので、今さら驚くに値しない。離婚原因の1位は性格の不一致。所詮他人同士が一つ屋根の下で暮らすのだから、いろんな不一致はある。そんな不一致への不満が同居人としての気安さから我慢できないものとなり、衝突を生む。その繰り返しが2人の溝を深める。結婚の理想と現実、それは常にリアルなものとしてあるだろう。しかし、あるカップルで破局の原因となったことでも、あるカップルでは我慢できることもある。心理学的に言えば、「好き」は「嫌い」に容易に反転する。「好き」が「無関心」へとゆっくり移行すれば、家庭は平和になるのかもしれない。  『ブルーバレンタイン』が描くカップルの諍いは何を表現しているのだろう?お互いのプライドが共存の可能性を閉ざし、また学歴や職種の格差そのものが人生観/生活観の衝突を避けがたいものにする。恋愛のコツは相手を甘く見ること。そう言った女性作家もいたっけ。ある種の格差が共依存の関係を生み出し、まるで鋳型のようにぴったりとした相性となることもある。まぁそれはそれとして、僕は『ブルーバレンタイン』の描き出す夫婦の光景(ある意味で凡庸な出会いと諍いと別れのリアルな光景)にどのような意図があるのかがよく理解できなかったし、意図を超えた感動も覚えなかった。  旧来、ラブストーリーは、人々に恋愛という可能性を与え、家族を巡る物語(例えば小津映画)は、生活という類型を支えた。この映画のリアルが幻想や類型を否定してみせたとして、そのこころは? 一体何なのだろう? それもまた類型でしかない。  結局のところ、僕はこの作品に映画として心に響くものを感じることができなかった。
[DVD(字幕)] 7点(2012-01-18 00:51:53)
25.  フランスの思い出
都会の少年が片田舎で過ごす夏休み。少年は迷える大人の世界を垣間見、そして初めての喪失を経験する。子供の通過儀礼的な物語はわりとありふれている。この手のストーリーって結構あるからね。子供を主人公とした素朴すぎる展開も今では古めかしい手だという感じもする。ただ、この作品の見所は案外、大人たちの世界の方にあるのかもしれない。  見た目はイカツいが実は心優しい男、リシャール・ボーランジェ。<彼の得意な役どころである> 心に傷を持ちながらも田舎の日常を必死で生きる女、アネモーヌ。彼女の「はすっぱなねーちゃん」って感じも悪くない。  これは、ある事件をきっかけにして心を通わすことができなくなった夫婦が、一時的に預かることになった少年の無邪気さに触れて、お互いを思いやる素直な気持ちを取り戻す、という物語でもある。しかし、これもまた十分に素朴すぎる展開だ。あからさまな素朴さが僕らに無邪気なノスタルジーを感じさせる、それだけの映画。昔だったらそう思って終わりだったかもしれない。でも、今では違った感じ方もできるようになった。ささやかだけど確かな日常という、その手触りが感じられる、そういう映画として素直に観ることができたのだ。今の世の中で「ささやかな日常」ほど僕たちの拠り所となるものはないだろうから。
[DVD(字幕)] 7点(2004-05-15 22:08:08)
26.  フットルース
ちなみに僕の中ではケビン・ベーコンといえば、いまだに「フットルース」です。それで「フットルース」といえば、やっぱりケニー・ロギンスになる。ちなみにケニー・ロギンスといえばジム・メッシーナ。ジム・メッシーナといえばバッファロー・スプリングフィールド。バッファロー・スプリングフィールドといえばニール・ヤング。ニール・ヤングといえば「ヘルプレス」。「ヘルプレス」といえば「いちご白書」。「いちご白書」といえばバンバン。バンバンといえばスズキのバイク。スズキのバイクといえば仮面ライダー。仮面ライダーといえば藤岡弘。藤岡弘といえばアメリカのサムライ映画。アメリカのサムライ映画といえば「ラストサムライ」。「ラストサムライ」といえばトム・クルーズ。トム・クルーズといえば「トップガン」。「トップガン」といえば「デンジャーゾーン」。「デンジャーゾーン」といえばケニー・ロギンス!ケニー・ロギンスといえば「フットルース」!!「フットルース」といえば、やっぱりケビン・ベーコンだぁ!!! 
7点(2003-10-19 15:04:23)(良:1票)
27.  ブラザー・サン シスター・ムーン
今ではこんな作品を創る人はいないだろうな。70年代前半になぜこのような映画が創られたのか?宗教というのは一つの生き方だとは思うが、あの挫折の時代(70年代)において、敢えて神の名のもとに、確信的に所有を否定する考えは、やはり一種の逃避としか思えない。この作品に見られるフランチェスコのような聖者像や彼に従って若い青春を抑圧する信者には、いまでは多くの人が共感し得ないだろう。若さ故の自意識の表出というのは、とても自然なことだ。そこでの挫折を僕らは「青春」と呼ぶが、生き難さの抑圧の中でも僕らは真っ当に生きることを目指して、社会における様々なエロスと抑圧を引き合わねばならないのだ。僕らは21世紀の高度資本主義社会に生きる者として、自明の抑圧に耐え、その中でささやかな生きていく欲望を見出だすのみである。青春を抑圧するところに哲学はない。。。と今では思うが、この映画を観た10数年前には、違和を感じながらもその清清しさに心を動かされたような気もする。実のところ。
7点(2003-10-18 14:14:33)(良:1票)
28.  ブレイクダンス
この映画の続編である「ブレイクダンス2」に比べて、その印象はかなり薄い。殆んどストーリーも覚えてないのが実情だ。本当は「ブレイクダンス2」をレビューするのにいきなり続編だけというのも何なので、ついでに登録したが、あまり書くこともないかなぁ。「ブレイクダンス2」の併映で観たんだけどね。あの当時、「フラッシュダンス」とか「フットルース」とか流行ったけど、僕らにとっては、あのブレイクダンスというダンススタイルがかなり強烈だったんだよね。よく部屋で練習したなぁ。学校の体育館でクルクル回ったりしたよ。このパート1でもターボの踊りが冴えてたような記憶がある、、、まぁそのくらいかな。
6点(2004-10-16 01:37:40)
29.  15ミニッツ
TVで流れていたので何気なく観ていて、もしや?まさか?と思っていたけど、最後のクレジットで確認したら、本当にそうだった。オレッグ・タクタロフ! いやー、こんなところにいたとはー;最近見ないと思ったら、いつの間に役者になったんだ? それだけが気になる。
6点(2004-01-30 23:27:06)
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