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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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41.  マスク(1994) 《ネタバレ》 
あくまでマンガをフィルムにする、という点でのSFX。あごがガクンとなったり、目が飛び出したり、といったマンガ的表現を実写にする楽しみ。突然哀訴したりする「断絶変化」がジム・キャリーの持ち味なんだろうが、ちょっと笑いとして荒々しいというか、躁病的な過剰さが感じられ、やや不気味なタッチ。たぶん意識的に薄っぺらな笑いを狙った最初の男優というところに、彼の映画史的意義があるんだろう。このころから「意図的な薄さ」ってのをしばしば映画で感じるようになる。警官隊を前にルンバをやりだすあたりは笑えたが。悪女風と善玉女風とでヒネリが一応シナリオに用意してある。犬の使い方も、鍵を取ってこさせたり、フリスビージャンプで仮面をさらうなど定型だがソツがない。犬自身が変身してしまうのも悪くない。爆弾の処理で飲み込んじゃうってのも、馬鹿にしてていいなあ。なんだ、けっこう楽しんでたな。ハイ、すみません、薄っぺらな笑いって本質的に好きなようです。
[映画館(字幕)] 6点(2010-06-03 11:56:12)(笑:1票)
42.  マックス、モン・アムール 《ネタバレ》 
愛とは拘束なのか、いう問題を大島はずっと追い続けていて、夫は妻を拘束したい、妻はマックスを事実上拘束している、って図式。面白くなってくるのは誕生パーティのシーンからかな。カリエール好みの状況。犬の鳴き声で種類を当てているところにマックスの鳴き声が。上流社会とチンパンジーの取り合わせがカリエール的。シークエンスの終わりをアッサリさせてすぐ次につなげてうまさを出しているところが多かった。『戦場のメリークリスマス』ではフェイドアウトを多用していたと思うけど、今回はなかったんじゃないか。演出スタイルがどんどん変わっていくのが、まあこの監督のスタイルで、長回しの『日本の夜と霧』があれば、短いカットの『白昼の通り魔』もやってみる、といった感じ。探偵の二度目の登場「相手はサルでしたよ」がおかしい。鍵穴から覗けばいいのよ、と言われた夫も含めてすべて鍵穴に消えていくラスト、何かずるいって気もしましたけどね。
[映画館(字幕)] 6点(2010-05-10 11:57:42)
43.  マークスの山
長編推理ものは映画には向かないんではないか、とつねづね思う。清張ものでもいいのは『張込み』とか『影の車』とか、すべて短編の映画化で、長編原作のは緩いでしょ。連続テレビドラマ向きなんだな、長編は。推理ものには「説明」の部分が必要で、でもそれを徹底するには言葉に頼らざるを得なくなり映画が死んでしまう、それを抜くと、観客は「…ということなんでしょうなあ」という曖昧な気分のまま映画館を出ていくことになる。これは後者で、現在と過去とが同時進行で描かれる暴力シーンで映画的に何となく説明したことになっているが、曖昧。でもベストセラーの映画化ってこうなるの多い、読んだ人だけを対象にしてるのかなあ。映画ならではの緊張は、終盤の事情聴取に対して、前を向いたまま微動だにしない小林稔侍のカット。萩原聖人が無垢の気味悪さをよく出していた。彼が山に行くまでを、列車の切符を買うとこから丹念に追っても良かったなあ。
[映画館(邦画)] 6点(2010-04-06 11:56:06)
44.  幻の光
自転車から自転車へ。人が消えていく周囲を自転車のモチーフがめぐって統一感を出している。話のポイントは、イクちゃんの死を驚かせ、しかし後半で、そういうこともある、と納得させていくところだと思うんだ、そういう意味では成功している。謎が現実の中で解かれるというんじゃなくて、現実が謎と溶け合ってしまう、というふうに。映画のスタイルがそういう方向なの。ただ実感を欠くんだよね。とっても美しく詩的なんだけど、その分、散文の持つ実感からは離れていく。そういう映画なんだから文句をつけるのは間違ってるんだろうが、この実感のなさは映画の手応えとして少々物足りなくはあった。締めが葬列ってのもちょっとつまんない。美しくはあるんだけど、死と離れたもので、死につながる何かがあればいいと思った。子どもらが遊ぶシーンも美しかったなあ、水を張った田の脇を駆け抜け、廃船に立ち。
[映画館(邦画)] 6点(2009-11-28 11:52:44)
45.  マディソン郡の橋
メロドラマで好きなのは、まだ二人が親しくないころ、丁寧な言葉づかいをしながら意識しあってく出会いのあたりと、別れのとこで、愛が成就してるあたりはつまんないの。これもそう。出会い、車中でのくどいほどの切り返しの後に橋の場になって、歩き回るカメラ(ステディカム?)がイキた。キンケイドが出ていく場も、カメラがねっとりと追いかけていく。外は闇。明け方のほうが美しいけれどそれじゃ人に見られてしまう。映画としての山場は雨の町。カッパのように頭髪を張り付かせたイーストウッド。信号待ちで二台の車がつながる。バックミラーにかけられたペンダント。ドアノブにかかるフランチェスカの手。追いすがるように追い求めるようにカメラがキンケイドの車を捉え続けようとする。ホロリ。不倫の噂で村八分になっている女を置いて「世間」というものがより濃密になった。この人の映画はいつもちょいと長い気がする。現代の子どもらを入れる必要があったかなあ。
[映画館(字幕)] 6点(2009-11-17 11:59:21)(良:1票)
46.  マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶
あたりさわりのない賛辞の合い間に、いくつかの発言が耳に残った。『甘い生活』でフェリーニは、平均的な人間を探していて彼に行き当たったのだそうだ。そういう反スター的なスタートでフェリーニと組んで、なんと非凡な役柄を演じてきたことか。マストロヤンニは“途方に暮れる”演技で最も光ったと思うんだけど、「気弱さを魅力に変えた男」と誰かが言っていた。本当にそう思う。それまでスターってのは、自分を突出させる場面で魅力を出していたのを、彼は逆に引いた場面で見せた。ヴィスコンティの発言「怠けものとか不精とか言われるが、彼はそれで自分の繊細さを守っていたんだ」ってのも分かる気がする。あと電話魔だったそうで、撮影の間にすぐいなくなって電話を掛けていたって。ヴィスコンティは彼の唯一の欠点と言ったし、フェリーニはセットに公衆電話を置こうかと思った、と言う。アンゲロプロスのマストロヤンニ観を聞きたかったが、インタビューはなかった。舞台人としてのマストロヤンニを外国の我々は知らないわけで、さらにもっと多面的な魅力を見せていたのだろう。私の大好きな映画『最後の晩餐』の数カットとテーマの断片を、随分久しぶりに見て聞けたのが嬉しい。クラウディア・カルディナーレは知らないおばあさんになっていた。
[DVD(字幕)] 6点(2009-09-21 12:03:03)
47.  マイケル・コリンズ
殺人と戦争との境目はどこにあるのか、とか、テロリストと政治家とを区別する線は引けるのか、とか現代に生きる以上、気になるところを突いている。大きな敵を前にしての、穏健派と過激派との摩擦は、解消できないのだろうか、とか。つまり政治あるところ常に存在するテーマを扱ってて、さらにリーアム・ニーソンという謎めいたキャラクターを手に入れたのだから、もっと現場を離れた視点・歴史そのものをマナ板に乗せるような視点は持てなかっただろうか。もちろんアイルランド史にはまったく同情するけれども、愛国心ってものを腑分けしていくと、案外「英国帝国主義の横暴」に通じていくものもあったりし、英国だって英国なりの愛国心を対アイルランド政策で発揮しているわけだ。たしかに強大な敵に対して愛国心は抵抗の力として有効だが、愛国心というシステムそのものに潜む“それだけで止まらない”魔性を、冷静に分析する映画を期待したのだが。ジュリア・ロバーツは邪魔だった。
[映画館(字幕)] 6点(2009-04-30 12:04:39)
48.  幕間 《ネタバレ》 
ここらへん、シュールレアリズムとコメディとは根が一つだったんだなあ、と思わせる。戦争が深刻になると、シュールレアリズムも陰鬱になってしまうが、もともとは“おかしみ”の新発見でもあったんだ。技術的にはスローモーションの発見。大砲のまわりでジャンプする紳士たちのスローモーション、噴水の上のラグビーボール(?)を射つ男が屋上より転落し、棺のあとを紳士淑女がやはりスローモーションで飛び跳ねながら行進する。棺が疾走し人々も走って追いかける。ジャンプするバレリーナを下から撮ったスロー。とにかくスローモーションの新鮮さが嬉しかったみたい。街を映しただけでも何か違って見えてくる。ふだん熟知していたはずのものが違って見えてくるって、この発見はシュールレアリズムの思想そのままだし。
[映画館(字幕)] 6点(2009-01-02 11:14:27)(良:1票)
49.  マラノーチェ 《ネタバレ》 
題は「最悪の夜」ってことで、どこでその言葉が出てくるかっていうと、激しいホモのセックスシーンがあって、翌朝「うーん、ケツが痛い」って言いながら主人公が街を歩いているときに「最悪の夜だった」って出てくるの。変な映画見始めちゃったなあ、と半ば後悔しながら見続けていると、今度はラスト近くに本当の最悪の夜がやってくる。アメリカに不法入国したメキシコ人が、別の捜査で来た警官に過敏に反応してしまい、逃げ回り射殺される展開。白黒画面に緊張したサスペンスが走る見事なカットの連続であった。そう言えばこの監督『サイコ』をそのままのカット割りでリメイクしたこともあったっけ。サスペンスへの興味はデビュー作からあったんだ。それと異郷の地で言葉の通じない男同士の出会いって設定は、『パリ・ジュテーム』でそのまままた使ってた。ホモの愛の世界の微妙な味わいはよく分からないけど、優越した立場になってしまう白人の、不法移民に対する疚しさみたいなものも描かれていたような。
[DVD(字幕)] 6点(2008-08-06 09:21:56)
50.  (秘)色情めす市場 《ネタバレ》 
手持ちカメラで自然光の多用と、ドキュメンタリータッチのザラザラした感触。逆光で捉えた宿など、そのまま監獄を思わせる。全編にたちこめる大阪の匂い。とにかく、あいりん地区にカメラを持ち込んだことだけでも評価されるべきでしょう。この手の映画の需要は、すけべな気分になりたいなあ、ってのが圧倒的多数なのに、あいりん地区のドキュメントタッチでは、それに応えてくれない。こういうわがままが出来るほど、まだこのころの日本映画は作家性が許されていたのだ。せめて女の柔肌の肌色だけでも拝ませてくれ、という客の願いもむなしく、画面は白黒。ラスト近くで突如カラーになるが、それがニワトリのトサカの赤のアップ。これの驚きの効果は絶大だった。鬼才と言われた田中監督だったが、以後の日本映画界はこの異能の発揮場所を十全には与えてくれず、06年に亡くなった。合掌。
[映画館(邦画)] 6点(2008-04-15 12:18:42)(良:1票)
51.  マダム・スザーツカ
とりわけこのころのシャーリー・マクレーンは、雰囲気が江利チエミを思わせるんだよなあ。この人そう嫌いじゃないんだけど、熱演されるとちょっともたれる。まあ、そういう人物の役なんだけどね。代替わりの話で、終盤の哀感はたしかにいい。コンサートの裏で老いを自覚していくとことか、パーティをすっぽかされてるとことか。“時代”に入っていく少年ピアニストもいれば“時代”から出ていく老ピアノ教師もいる、ってこと。普遍化すれば“母親”の哀しみ。おかしかったのはエージェントの会話で、「彼はチャイコフスキーよりドビュッシーでは?」「日本ではそんなの関係ないんだよ」って。日本で異常なブーニン人気が起こってたころの映画だったか。
[映画館(字幕)] 6点(2008-04-10 12:17:35)
52.  松ヶ根乱射事件 《ネタバレ》 
見ながら思い出していたのは「ゆれる」の兄。どちらも、地方で暮らすことの息苦しさに、ゆっくりと追い込まれていっていた。田舎といっても小さな限界集落ではなく、いちおう鉄道は通っておりゲームセンターもある。限界集落ならもう助け合わなければやっていけないわけで、隣人を鬱陶しがる余裕もないだろうけど、この中途半端な規模の町では、他人のなかに埋没する自由がもうちょっとで得られそうなのに、顔見知りの隣人たちに取り囲まれて生きていかなければならない。これはなかなかきつい。父親がどこぞの娘を身籠もらせると「もう恥ずかしくって外を歩けない」ということになる。このうんざり感が、ボソボソとした語り口でじっとりと描かれた。ちょっと離れて眺めれば、うんざりも笑いになる。変なよそ者二人が触媒となって、それぞれのうんざりを危険に化学変化させていった物語ということか。どのシーンも自然な演技が楽しいが、金の延べ棒を持ち込まれた銀行員の対応の場、とりわけ二人が去ったあと周囲に対して力なく笑うところが実にうまかった。
[DVD(邦画)] 6点(2007-12-22 12:17:11)
53.  マイ・プライベート・アイダホ
いろんな要素がまぜこぜになってて、私の中でまとまってくれなかった。「ヘンリー四世」がベースになってるらしいんだけど、シェイクスピアを下敷きにすれば、あっちでは格が出るんでしょうな。あたしは木下の『太陽とバラ』をちょいと思い出してた。それと「母恋い」いうか「家庭を求めて」って感じもある。実家の電灯のピースマークがラストでアイダホの空に描かれるんだけど、あれは家庭のイメージなんでしょうか。ナルコレプシー(だったっけ? 嗜眠症)のモチーフも中途半端に見えたが、ストーリーを中断させる面白さはあった。あの眠りが、安堵・安らぎってことで「母」につながり、「家庭」に向くとだいたいまとまるんだけど、そうやって無理にまとめてみてもつまらない。ロードムービーとして雲が飛び続ける風景を眺める楽しさのほうが大事だったな、きっと。
[映画館(字幕)] 5点(2013-04-24 09:33:29)
54.  マルタの鷹(1941) 《ネタバレ》 
ハードボイルド映画では、事件をクリアに理解できたことがない。ボーッと見てるわけでもないつもりだが、途中で理解困難になる。なんでだろう。本格推理ものよりは映画に向いてると思うんだけど、せりふの洪水に溺れてしまう。謎の女性の依頼によって始まる探偵の捜査、って導入は大丈夫だった。その後の展開もしばらくはキビキビと快調、P・ローレの怪しさも申し分なく、今回は大丈夫そうだと思えてたんだけど、「太った男」の登場あたりからかなあ、また不必要に膨張してきて、ラ・パロマ号の火災シーンでは、ああいつもの「渾沌」に突入してる、と肩を落とした。船長が鷹の像を持って瀕死でやってくると、もう寂しく笑うしかなかった。ただ終盤の「全員悪人」的な室内の緊張は分かる。若造がいるんで状況が立体的に膨らむ。自分を犯人に仕立てる相談の脇でじっと佇立している彼、おそらく内心ではカッカしてるその無表情ぶりがなかなかハードボイルドである。その若造とサムのクールぶり(「まったく度胸のいい男だ」)が呼応し合っているようで、サムのクールも、同僚を殺した奴は許すことが出来ない、という内心の熱を最後の最後に感じさせる趣向があり、ここらへん一番ハードボイルドの芯に触れた気がした。中の熱をくるむ外のクール。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2013-02-19 09:33:41)
55.  卍(1983)
作者の狙いどころが分からない。ユーモアと滑稽がまぜこぜになっている。原田芳雄を三枚目にしてユーモアを出すのはいいけど、女二人のやりとりはときに滑稽で、ありゃユーモアじゃないよ。切実さが今ひとつ分からないんだ。ラストの査問ごっこを見ると、理解しあえない、ってところが中心テーマのようだが、だとするとその前の女二人の関係がもっと納得できるようであってほしかった。滑稽に見えてしまうところがあるってのは、嘘っぽいってことで、つまり映画としての切実さに欠けてるってこと。海に向かって広角レンズで砂を投げるとこなんか図としてはいいんだけど、流れのなかで見ると薄っぺらく感じられる。難しいね、映画における充実って。
[映画館(邦画)] 5点(2012-08-18 09:20:11)
56.  マイ・スイートファミリー
朝日新聞社提供の映画って、なにか似たトーンがあり、この邦題もそれを示唆していてこわごわ観に行った。学者小僧なんてキャラクターにもオロオロさせられ、都会との対比の湖畔なんてのも、やんなっちゃうんだけど、でもこの湖畔に舞台が移ってからは、まあ映画に一応リズムを合わせることはできた。ヒロインがカメラに語りかける趣向。物語には人間関係をややこしくすることの愉しみってのがあり、「やれやれ」って気分がおかしみに移っていく。複数の父と複数の母たち。こういうふうにして家庭ってものが輪郭をぼやかして世間へ溶け込んでいくっての、これからの理想的な個人と社会の関係になっていくかも知れないなあ、なんて思った。ヒロインは2000年までに地球の3分の1が家族になるって言ってた。そうなっているようには思えないが、そういう義理の家族集団としての人類を想像できた20世紀末。
[映画館(字幕)] 5点(2012-04-27 09:45:18)
57.  舞姫(1951)
多くの登場人物に奥行きが感じられず、とくに肝心のヒロインが戦前松竹メロドラマの延長線上の演技で、まあ失敗作の部類に入るだろうが、ただひとりウジウジした山村聡の旦那のみ印象的である。この人はテレビではホームドラマのしっかり父さんという印象が強かったけど、映画ではけっこう暗いの専門。『宗方姉妹』はこの前年か。監督した映画も暗い。被害者意識が強くて鬱陶しさを周囲に振りまいてしまうという人、戦中は神がかったことを言ってて、今はぼんやり腑抜けという設定。家父長が身の置きどころを失ってしまった時代のお父さんを代表した俳優なのだろう。木村功がタイツ姿になるが、踊ってはくれない。岡田茉莉子は棒読み状態。チラチラと銀座が映るけど、時代を味わえるというほどではなかった。
[映画館(邦画)] 5点(2009-01-23 12:11:47)
58.  真夜中の恋愛論
何かを突き詰めようとしてるな、というのは感じるが、その仕掛けのほうに主題が移ってしまった気がする。男女の一夜だけで映画を作ってみよう、ってのは、あくまで仕掛けであって主題にはならないんじゃないか。心理的な探り合いが続いて、これエスプリってやつでリアリズムじゃないんでしょうね、それともフランス人ってのは「ああいう状況下」でも喋ってばかりなのか。主題が仕掛けに吸収されちゃってる。男が帰るのかどうか、ってのもサスペンスにするわけではない。あくまで言葉で世界を構築していく。市民社会は写真の中の教師生活のみ、完全にプライベートな時間だけ。たぶん他人を理解する・理解しようとする時間が始まる、それが恋の誕生というラストなんでしょうなあ。意外とよかったのはサン=サーンスの弦楽四重奏で、オーケストラ曲だけ聴いて馬鹿にしてはいけなかった。
[映画館(字幕)] 4点(2013-01-09 10:20:52)
59.  幻の湖
これを見た試写会は、私にとって忘れられない思い出。キネ旬の試写会に応募したら当たって、うわっラッキー、と期待いっぱいでイイノホールで見た。満員。だって橋本忍が、誰にも遠慮なく自分が最も書きたいものを書いて映画化したわけでしょ、期待するなってほうが無理。だいたい日本映画は冒険をしなさ過ぎると常々思ってて、作者が本当に作りたいものより、平均的な観客が60パーセント楽しめる企画ばかりが通っちゃう。これでは未来はないよ、と考えてたからすごく期待した。しかしすべてが裏目に出たようだ。こういう結果を見ると、臆病な企画しか出来ない企業の気持ちも、理解できなくはないなと思った。最初のうちは満員の観客も?となりつつも、なんとかついていこうと黙って鑑賞していた。なにしろまだマッサラな状態で、ただ橋本氏の名声だけを信じて見ているのである。まったく独自の因果律で登場人物が動く超前衛の作品なのだろうか、と皮肉でなくかなりマジに考えたところもあったんだけど、シロの幻が主人公を励ます目を覆いたくなるような陳腐な場面があったりすると、これはただ単純にひどい映画なのではないかという判断に近づき、また満員の観客も、おそらく同じような経過をたどって同じような結論に至ったらしく、中盤からはあちこちでプッという笑いが起こり、次第に遠慮がなくなり、後半の追っかけから宇宙に飛ぶあたりはもう爆笑の渦。こうなったらもう笑って楽しみましょうや、という気分が客席を一体感で包み込む。どよもす、というのはこういう状態を言うんだろうなあ、などとしみじみ思いつつ、私も涙を流して笑った。あんなに盛り上がった試写会というのは、後にも先にも経験がない。私が座った席の前のほうに関係者席があり、見間違ったのでなければ、藤村志保と江波杏子が招待されていて、藤村さんはじっと端正なお姿のまま鑑賞を続け、江波さんは豪快に笑い転げていた。それ以来ずっと江波杏子のファンである。映画が終わって退場していく人々の顔は、つまらなかったにもかかわらず、みな晴れ晴れと輝いていた。いま見直すと評価はいくぶん変わるかも知れないが、あの日の思い出を大切に取っておきたい。思えばこう時間が前後に跳ぶ話法は『羅生門』や『生きる』や『切腹』と同じで、やはり橋本忍の刻印は押されていたのだ。
[試写会(邦画)] 4点(2009-08-20 12:12:03)(笑:2票)
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