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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  未知への飛行 《ネタバレ》 
核兵器の悲惨を描くのではなく、その「恐怖の均衡」という発想の狂気を描く。この均衡が崩れかけたとき、全面核戦争を回避するためにはどういう「最少の犠牲」が必要になるのか。丹念に不信の構造を見せつけられると、ラストの大統領の決断が突飛でなく、いやメチャクチャ突飛なんだけどこうする以外証明できないんじゃないか、と思わせられる、そこのところが怖い。大局的な世界にひたっていると、ニューヨークという大都会でも、全体を救うための「小さな犠牲」になってしまう。この恐ろしさ。その「最少の犠牲」の大きさに、核の均衡という発想の狂気、そもそもの核兵器を所持しないと不安でいられないところまで来てしまった軍事力に頼る人類の病理、がはっきり感じられた。戦争が終わると国家はいつも「犠牲者は平和への尊い礎です」と黙祷するだけで、その「礎」は戦争が繰り返されるたびに大きくなっていった。そしてこの映画ではニューヨークという都市がそうなる。なんかツインタワービル跡地のモニュメントを皮肉に予言したような映画でもあるな。冒頭にW・マッソーの教授がちらっと見せた黒い心、利益とか権力とかを別にして純粋に核戦争を望む心が存在するということのリアリティ、これはあまり突っ込まれてはいなかったけど大事なテーマで、これを観たときはまだ存在しいていなかったが、オウム真理教なんかを予告してたんじゃないか。
[映画館(字幕)] 8点(2012-05-01 09:50:32)(良:1票)
22.  ミルク(トルコ映画) 《ネタバレ》 
「旅立ち」ものの青春映画でしょ。インドのオプー三部作は時代順に進んでいったが、こちらトルコは一作目『卵』の成人からさかのぼって、本作の青春、さらに『蜂蜜』で少年にまで戻る逆向き。あるいは本作は「母の思い出」、『蜂蜜』は「父の思い出」、ってことでもある。冒頭、奥行きのある構図で長回しってのは三作共通。これが一番ショッキングよ。沸き立つミルクの上での逆さ吊りで口から蛇、ってんだからほとんどオカルト映画。たぶん悪霊退治のまじないかなんかなんだな。台所に蛇が隠れたときも、まじない師みたいなジイサンがやはり護符みたいの浮かべたミルクを沸かしてた。あの蛇は、たとえば詩を書かずにいられない、というような心の中に鬱勃とする青春の衝動の象徴なのではないか。投稿した詩が雑誌に掲載されて嬉しがるあたりも青春です。採石場で働く詩仲間にさりげなく自慢したく見せに行く。その彼の労働で汚れた姿を靴まで見下ろしていく。ここ大事なシーン。彼はこうまで汚れて疲れて詩を書いている。自分は母の野菜販売の手伝いをし、ときどきさぼりながら詩を書いている。高揚に水を差されるような自省が描かれていたよう。そのあとで徴兵検査か。「持病のある人は残りなさい」と“バイクからの転落”で、どうもてんかん持ちで不合格になったらしい(前作で不意に倒れたのもそれだったのか)。失意の日々(ここらへんで母の客が描かれるんだが、あれ空気ポンプ貸してくれた人?との再婚話ってことか)。ここで湖の鳥撃ち男が出る。これが一番分からないエピソードなんだけど、こう解釈した。母鳥撃たれて残された雛を見、カッとなって背後から懲らしめてやろうとしたが出来ず、大ナマズを抱える。撃たれた母鳥から鳥を料理する母のイメージにつながり(ブニュエルにもあったな)被害者でも加害者でもある「働いて暮らす」という現実を生きている母を意識する。そしてラストの旅立ちとしての労働者姿の主人公に至る、って。映画はクイズではないんだから、一つだけの正解があるわけじゃない。そう解釈したらそれでよく、解釈したもん勝ちだ。監督と映画と観客の関係って、作曲家と楽譜と演奏者みたいなもんだろ。勝手に解釈を誘う豊かさが本作にはある。
[DVD(字幕)] 7点(2012-04-14 10:10:08)
23.  ミストレス 《ネタバレ》 
トリュフォーの『アメリカの夜』に至るまでの物語、というか。一本の作品が生まれるまでに、幾多のドラマがあることか、いう話。自分の女を使わせようとする出資者たちのために、ストーリーがどんどん変わっていくおかしさ。妻とのやりとりのあたりは、しみじみしちゃったな。「もう夢を追うほど若くはないのよ」。現実と夢、そろそろ自分を社会と妥協させなくちゃならないころ。実力はあるらしい黒人女優も、自分を安く売りたくはないと思っている。「モンローも最初は端役だったのよ」と自分を納得させようとしているのもいる。散々な目にあった主人公が、それでも懲りずに次の電話に応えてしまうところが、微笑ましいしょうがなさ。ダニー・アイエロは、どってことない役だったけど、やっぱりいい人って感じが出ている。クリストファー・ウォーケンも、やっぱりいかにも自殺しそうな役。
[映画館(字幕)] 6点(2012-03-23 10:14:25)
24.  道(1954)
ジェルソミナのテーマが有名だが、中の音楽はすべていい。フェリーニ映画はロータの音楽とコミで評価したい。中盤のカトリック祭の音楽が、私は好き。ザンパノのもとを逃げたジェルソミナが出会う三人の音楽隊、楽隊と言うほどではなく、祭へ向かう音楽愛好家仲間なのか、管楽合奏で、ミーミー、ミードラファーラド、ミーーファソファ、ミー、と短調だけど陽気に行進していく。ついつられてゆくジェルソミナ。やがて祭の場へ至るとその音楽が、ひなびた味わいを残しながらも重々しく響き渡る。ジェルソミナが綱渡りの男に出会う場だ。この男は背中に天使の羽根のような飾りをつけており、ザンパノの獣性と対照される神がらみのキャラクターのようだが、どちらかと言うとトリックスター的で、ザンパノを裁く役割りでなく同列の扱い。フェリーニにとってはカトリックの神も単純に救いをもたらさないってことだろうか。カトリックってものが、あの音楽によって表わされてた気もするのだ。庶民的にひなびながらもやはり重苦しい面もある、ってところ(フェリーニとカトリックでは『ローマ』の教会ファッションショーの場でも音楽が雄弁だった。ミーレシーレ、ミードラード、ミーシソーシ、ミー、ってやつ。あのシークエンスは映像と音楽のコラボの傑作だった)。フェリーニは『甘い生活』の前と後で世界が変わったようにも見えるけど、たとえばこれのラスト、「一人でたくさんだ」と叫ぶザンパノの孤独は『カサノバ』のラストの孤独で反復されたようにも見え、ちゃんとつながっているんだな。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-02-11 10:15:52)
25.  水俣 患者さんとその世界
胎児性の患者さんがこちらを振り向くところからラストまでは、とりわけ凄い。私たちはいままで水俣病を知っているつもりになっていたけど、それはたとえば支援団体の膜越しだったりした。その膜を破って、じかに水俣病に触れ得たという実感がある。このドキュメンタリーだって「支援団体」とさして違わないはずなのに、距離感が違うのだろうか。患者にこちらの眼=カメラをいじるに任せているカット、やっと患者と触れ得たという感動がたしかにあった。漁民の生活を丹念に描いたことも大きい。味噌とバターでの餌づくり、蛸採りの美しい水中撮影。自然と一体となった生活があったのだ。それをずっと続けていけたと言うのは理想論すぎるけど、そういった生活への懐かしさや憧れは、やはり暮らしの方向を考える上で大事なのではないか。あるいは患者のためにオルガンやステレオなど家に似合わないハイカラな物が置かれている光景もジーンとさせる。親の贖罪の気持ちがそこに凝縮している。水銀を食べさせたのは親の責任ではないのに、その申し訳なさはこういう形でしか表せないのだ。スピーカーの振動を手で感じている耳の聞こえない弟。けっきょく優れたドキュメンタリーとは、当事者との距離を正確に知っているということだろう。患者とその家族との苦痛に触れられないということで、観客もチッソと同じ側についている。その認識が安易な同情や哀れみを禁じていて、知らず知らず観客はより積極的に患者の側に身を乗り出さざるを得なくなる。限りなく近づこうと想像力を使役させなければならなくなる。だからたとえば総会で支援団体の人が壇上に上がってきた行為などは浮わついて見えてきてしまうのだ。患者たちの御詠歌の迫力には、薄っぺらな行為は吹き飛んでしまう。伝染病かもしれないと思われて子どもを引き離されたエピソードや、町の発展を妨げるものとして排斥された動きなど、これまでに描かれてきた細かい棘の数々がここで裏返され、あの御詠歌になってごうごうと唸り立てているのだ。
[映画館(邦画)] 9点(2012-01-28 12:40:09)(良:1票)
26.  未来の想い出 Last Christmas
登場人物の生活に実感がない、というのは別に現代を描く場合悪口とは限らないが、ふわふわしながら繰り返される「生」も実感がないとなると、とらえどころがなくなり過ぎて。ついに現代は「死」まで実感を失ったということなのか。生も退屈な繰り返しでしかない、とか。この映画を材料にして現代を語ることは出来るかもしれないが、この映画そのものは何も語っていなかった。時代は音楽で表現するのが一番だけど、かつて無音楽映画の傑作を作った人と思って見ると、うるさい。けっきょくこの人の映画のうつろさは、意識的なものじゃなくて、単に作家の反映だった面が強いのかもしれない。恋人役のデビット伊東ってのが、ちょっといい横顔をしている。
[映画館(邦画)] 5点(2012-01-24 09:54:16)
27.  ミツバチのささやき 《ネタバレ》 
最初のうちは「少女の世界をのぞく」映画かと思って観ていたのに、観終わってみると「少女で世界をのぞい」ていたことに気がつく。前半での「なぜ殺したの?」という映画の怪物へのアナの疑問が、後半では小屋の男を殺した世界へ向けて放たれる。死んだふりをするイサベラのアナへのいたずらは(大好きなエピソード)、後半ではベッドに横たわるアナの様子をこわごわのぞくイサベラの姿に反転し、そのときかつて小声でささやきあっていた少女たちの閉じられた世界は、窓の外の世界へと広がりだす。イサベラは猫に引っかかれた傷の血を口紅とするが、アナは世界で起こっていることの血を小屋で目にしてしまう。映画という「嘘っこ」の世界が、内戦という無惨なまでの現実と照らし合わされていく。スクリーンの前に横たえられる死体。柔らかくデリケートな少女の世界でもっと溺れていたっていいのに、と心をとろかしながら観ていると、いつのまにか外界の風が吹き込んできていた、そんな映画だ。けっしてショックで目覚めさせるのではなく「いつのまにか」少女を通して世界を眺め直している、ってところがポイント。童話の舞台のようだった野の風景が、「いつのまにか」そのままで荒涼さを剥き出していた。それにしてもささやき声に満ちた映画ってのは、まず傑作だなあ。この姉妹、アナはもちろんかわいいけど、イサベラもいいのよ。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-12-01 10:08:10)(良:2票)
28.  水の旅人 侍KIDS
この監督は破綻するときは、いつも同じ傾向の破綻の仕方をする。ある種の大袈裟さ、テーマを扱う手つきに異様に力がはいってしまう(ダムに捨てられる空き缶)、コミカルを狙うのがハシャギになって、制御が利かなくなってしまう、パトカーを盗むあたりの演出。どこか「しっとり」とか「しんみり」があって、うまく釣り合いが取れるといいんだけど。合成も昔と比べりゃいいのかもしれないけど、なんせ『ジュラシック・パーク』観た後だと、金も時間もヒトケタ違う仕事って感じ。カラスの動きなんかもうちょっと何とかならなんだか。家庭の日常シーンは細かいカット割りでせかせかさせる(これを徹底させたのが次の『女ざかり』なんだろう)。この人のテーマとしての「時間」がやはり絡んできて、流水に「年をとること」や「若返ること」が重なる。カメラ・レコード・講談社の絵本、などの古物趣味を展開されると、何も昔ばかりがいいわけではない、とも思いたくなる。そして「水」は人間が保護するばかりのヒヨワなものではないことを、日本は最近また痛いほど知らされたわけで。
[映画館(邦画)] 5点(2011-06-03 10:08:46)
29.  乱れ雲 《ネタバレ》 
終盤、司葉子の心が乱れてからが凄い。それまで明晰な展開で持ってきてて、ここで画面を混乱の酩酊に一気に導く。加東大介の居どころを尋ね続ける森光子の電話、司の廊下の往復、じゃれ合っている新婚客のカットが飛び込み、時計のチクタク音が持続し、割れる茶碗、広い風景に変わって心中捜索の人々。危機感がスーッと滲みてくる。階段の上下で見つめ合い、車中の人となる。バックミラーから見つめてくる運転手の顔(雨のときの雨宿りの二人の男を思い出す)、長い長い通過貨車、そしてゆっくりくねっていくと現われる事故車、さらにくねって旅館に到着し、救急車も到着、担架の怪我人と泣く妻、ここで初めて司が「ごめんなさい」とセリフを吐く。なんかメロドラマの核心を満喫しましたなあ。世間が無表情に周囲を取り囲んでいくなかで、二人がおずおずと、時に緊張し時に馴れ馴れしさを装いながら、近づいていく。新婚旅行の回想では間に合わなかったバスが、この二人の雨のときは意識して去らせていく。そして武満の音楽が入り込んでくる的確さ。もっとこのコンビに作品を作っておいてもらいたかったなあ。
[映画館(邦画)] 8点(2011-04-30 12:20:47)
30.  水のないプール
この人が出てくると、監督の映画じゃなくて、内田裕也の映画になっちゃうとこがある。それだけ強烈な魅力があるっていうこと。たとえばこの役を、石橋蓮司がやってるとこを想像してみた。このころこういう役なら彼でも達者にやったはず(大ファンでした、いや今でも)。でも風呂掃除しているおかしさは、内田以上には出せなかったんじゃないかと思った。石橋だと意識してスネて社会に背を向けてるってなっただろうけど、内田はもう根本のところから曲がっちゃってて、本人はまっすぐに生きてるつもりで、こうなっちゃうんだよね。ひねくれてないの。社会なんかに関係なく、ただ風呂を綺麗にすることだけで頭がいっぱいになってる。その純情・真面目がたまらなくおかしい。テーブルにすわらせてパーティごっこをしたり。無理に政治に絡めようとした部分は邪魔だった。最初の侵入の長い長いセリフなしの緊張。
[映画館(邦画)] 7点(2011-03-29 09:55:06)
31.  みどりの壁 《ネタバレ》 
ジャングル開拓におもむいた元都会暮らしの一家の悲劇。詳しくは言えないけど、ラスト近く、川を行く舟がしだいに増えてくるシーンから後、ほとんど字幕なしで描かれる部分が凄く、子どもが作ったおもちゃの水車のチーンチーンと鳴る仕掛けが澄んで響き、じっと黙って食事の支度をしていた母がワッと泣き崩れ、そこでストップモーション、バッハのコラールがギターで聞こえてくる。おそらく映画の締めとして、ほとんど完璧と言っていい。このラストまでは、ややキザな演出でかえって軽めの印象をもたらしていたのが、ラストは正攻法でちゃんと手応えのある重さを持った(アルマンド・ロブレス・ゴドイってこの監督の、もう一つ日本で公開された作品『砂のミラージュ』は、キザのほうに傾きすぎてしまった)。ただ涙だけでなく、政治への怒りが裏打ちされているところがいかにも南米。家族の不幸を描きつつ、それを強いた開拓事業・さらに大統領へと怒りの方向を定めている。その構造だけを見ると、涙と怒りが釣り合って単純になってしまいそうなんだけど、ジャングルでの生活の描写が丁寧なので、映画が豊かになっている。涙と怒りが別々の天秤で釣り合うというより、それが混じり合って迫ってくる。
[映画館(字幕)] 8点(2011-01-23 10:04:56)
32.  ミセス・ダウト
監督がC・コロンバスで、R・ウィリアムズにS・フィールドだろ。やや苦手な面子がそろって、まして冒頭、主人公がタバコの吹き替えを嫌がってクビになるって「良心的」なとこを見せられ、さらに子どもの人気者やってりゃ、アンタンとした気分になりかける。でもアメリカ映画の「型」の強み、話が一人二役になって展開していけば、それなりに見られてしまった。一つの趣向に集中してアレコレすると、アメリカ映画は手を抜かずにアレコレやる。サービスシーンとしていろんな声を聞かせたりいろんな女装を見せたり、R・Wのちょっと躁病的な個人芸を展開してくれる。邪気のないクラスの人気者といった無難なキャラクターなんでしょうなあ。これをひねってサイコ的な役をやってみれば面白いと思うんだけど、「いい人」の線からは出ないの(とこれは公開時に記したノート。その後そういうサイコな役もやったが思ったほど面白くはなかった)。音楽に合わせてダウトがホウキなどで笑っているカットは、つらい。この監督こういうのが好きなんだよな。お面が外に落ちて絶体絶命になったときの対処と、レストランの場は楽しめた。しかし最後にテレビで、家族とはどうあるべきかの演説が流れる。
[映画館(字幕)] 6点(2011-01-17 10:27:39)
33.  水で書かれた物語
世の中に奇妙な組み合わせは多々あるが、吉田喜重と石坂洋次郎ってのはかなりのものだ。たってこの原作読んだわけじゃなく、「青い山脈」とか「石中先生行状記」とかで作られた印象で言ってるんだけど、陰気と明朗、水と油。どんな監督が撮っても明朗な石坂調になるのに、この監督はならなかった。もしかして原作そのものがこう非石坂調の特殊なものなのかも知れないが、それにしてもイメージとあまりにも違いすぎる。あるいは40年代と60年代の違いか。弱いものの意地と反逆、いうとこに焦点を当てて、自分の世界に完全にしている。その世界はあんまり好きじゃないけど、この監督の作家魂は立派です。光と陰のコントラスト、俯瞰で人を押しつぶすような構図、日傘への偏愛。シャッターが降りてくる、ってのも好きみたい。ただ2時間観てるとキザに見えちゃう気がしないでもない。夢のシーンなんかよかった。看護婦たちが舞うように動くスローモーション。
[映画館(邦画)] 6点(2010-09-19 10:02:56)
34.  未来は今
時代はフラフープの58年ということになっているが、空気は20~30年代。アールデコ調の美術、それとキャプラタッチのせいだろう。冒頭のリズムなんかなかなかよろしく、運命の求人広告につくカップのワッカが後のフラフープを予告したり。でもストーリーは美術的興味へ奉仕するだけに提供されていて、いやそれでもいいんだけど、やっぱりなにかキャプラの伝統に対する批評もほしいところ。伝統を継ぐってのは、批評精神を持って生かせるものを生かしていく、ってなかにあるんじゃないか。落ちた主人公が助かる展開などパロディとしての批評なのかも知れないが。実際に存在したフラフープを使って、ここまで話を作っちゃうってのは、素直にすごいと思う。でもやっぱりポール・ニューマンの副社長室の秒針の影など、美術のほうがこの映画の命。
[映画館(字幕)] 7点(2010-07-28 10:02:25)
35.  未来世紀ブラジル 《ネタバレ》 
たとえば、拷問の記録をタイプにとっているところ。担当のオバサンが打ってるタイプを主人公がちらっとのぞくと「HELP!」と悲鳴が並んでいる。話しかけてオバサンがイヤホン外すとじかに悲鳴がもれてくる。あるいは食事の場でのテロ爆弾の炸裂、それでもせっせと食事を続ける人たち。ドンパチやってる脇で掃除を続けるオバサン。デ・ニーロが情報用紙に絡みつかれていく脇をゆく通行人。なにか切迫した大音声の世界と、静寂の事務的な世界がつながっている。事務の静まりのほうが大音声を圧倒し包み込んでいく。これは単にギャグと言うだけでなく、現代社会そのものといった納得を感じた。そういった大音声への無関心を導く社会の果てに、ラストの「ブラジル」を口ずさむ呆けた夢の世界が待っているのだろう。そしてこれはスクリーンを観ている私たちを皮肉っているのか、という気にもなってくる。カフカ的な暗い未来社会もの、って映画はほかにもあるが、とりわけこれは笑いと戦慄の振幅が大きくて好き。オタフクの笑顔もそうとう気味悪い。この後に観たフランス映画の『デリカテッセン』てのでもラテン音楽が暗い未来社会に流れていた。一番「自由」を感じさせる音楽なので皮肉に響くのか、あるいは世界が北方的に陰鬱になってしまったので皮肉に響くのか。ラテン音楽が皮肉に響くようになったら、その社会は要注意ってことだ。
[映画館(字幕)] 9点(2010-07-19 10:57:20)(良:2票)
36.  水玉の幻想
おっとこんな映画も登録されていたのか。これ『盗まれた飛行船』の併映で公開された短編。ガラス製のアニメーション。すごく面倒なことやってるんじゃないか。油絵のアニメってのもあったけど、こっちのほうがさらに手間がかかってるだろう。タンポポの男がパッとガラス=氷の壁にさえぎられるとこ、それが割れて流氷のように流れ出す、なんてのがよかった。一滴の水玉の中にも小宇宙、という発想。いまはCGの全盛、たしかにどんどん進歩していて、布の質感や肌の質感もかなりきめ細かく表わせるようになった。しかしそれはいいことなんだろうか。CGは、そのノッペリした質感が必要とされるときに一番生きている。変わった素材を十分生かしてそれぞれに合った新たな作品を作るという試みが、CG万能になるとすたれてしまいそう。シンセサイザーが生まれても、オーケストラはなくならなかった。こういう「ガラスでアニメ」なんていう無茶な試みをする人も、アニメ全体の表現を維持確保するためには、必要なんだと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2010-07-13 11:58:56)
37.  ミッション 《ネタバレ》 
音楽がエンニオ・モリコーネ。『1900年』的なオーボエの歌から始まって、スタッカートのコーラスで盛り上げていく。歴史や政治など硬めの題材を背景にした映画ではとりわけこの人の曲が似合う。『死刑台のメロディ』の歌も好き。『ソドムの市』の、あたかも上品なサロンで流れているような音楽も大好きなんだけど、これは硬めの歴史ものってのとはちょっと違うか。またこの映画では音楽ってのが、そもそも一つのモチーフになっている。宣教師の布教の手段としての音楽が、けっきょく歴史を見ると、布教が音楽文化を伝播するための手段になってしまった、っていう皮肉のようなこと。「慈しみあふれる愛」がどうのこうのと言われると反発を持ってしまうが、異文化の接触という点に重点をおけば、歴史の普遍を描いている。異文化がぶつかりあうことによって、たしかに一方では今までサーベルなど持ったことのなかった楽園に悲惨がもたらされたが、また一方ではヴァイオリンが伝わった(なにもインディオの音楽と西洋音楽との間に優劣をつけてるわけじゃなく、あくまでこうして文化は多様化していくってことで)。もっともその後にはキリスト教文化由来の和声が世界を覆い尽くしていったわけだが、ともかく宗教より芸術が上位、って考えは嬉しい。
[映画館(字幕)] 7点(2010-06-23 12:02:22)
38.  ミラノの奇蹟 《ネタバレ》 
大風が吹くあたりまでは文句のつけようがない。日向ぼっこのシーンなんかはイタリア映画の真骨頂。『終着駅』もそうだが、この監督は大勢の人を細かくスケッチしていくのがうまい。占いでヨボヨボのおじいさんに、あんたは将来大物になれると約束したり、風船売りが飛ばされそうになると仲間があわててパンを食べさせてやるとか。ネオ・リアリズムから寓話へと踏み出している。面白いのはイタリアの映画監督って、リアリズムから出発して、みなリアリズム離れのそれぞれの個性に踏み出していっちゃうこと。デ・シーカはメロドラマ作家として洗練し、まだリアリズムの精神を残しているほうだが、フェリーニはああなっちゃうし、ロッセリーニは神がかる、ヴィスコンティはかえって後で初期の作品を観て「この人ネオ・リアリズムやってたんだ」と驚かされたくち。で本作だが、後半は鳩の魔法のいろいろ。ラストを寓話として逃げたと取るか、現実に対する壮烈な批判と見るのか。カトリックの国であることも関係しているのか。ネオ・リアリズムだけでは映画として狭くなっていってしまうという気持ちもあったかも知れない。この飛躍はイタリア映画史にとっても重要なものだっただろう。
[映画館(字幕)] 8点(2010-05-18 11:59:01)
39.  湖のほとりで 《ネタバレ》 
ゆっくりとズームしていくカメラ、たとえば女の子を乗せた車とか、湖畔の刑事たちの捜査風景とか、ドキドキさせる。これぞ推理ドラマのノリ。またイタリアっていうと、青い地中海や麦畑を縫っていくポー川など、明るい世界が多かったが、ここはアルプスの近くなのか、道路の果てにはいつも衝立のように岩の塊の山がそびえていて暗い。ますます推理ドラマの背景としてピタリ。そこで繰り広げられる人間ドラマ、これで話がよく分かると文句ないんだけど、すんません、話のツボが分かりませんでした。私が理解できた範囲でまとめると(以下本当にネタバレよ)、どうも「回復しない病」ってなモチーフの周りを巡ってるようなんだ。発達障害(?)の幼児がいて、好転しそうもなくて、親が放置による死に至らしめる、それを窓から目撃したアンナが電話などで親を追いつめる、しかし彼女も診断の結果回復しない病で、半分自殺のように甘んじて殺される、刑事の妻も回復しない病、湖畔に暮らす偏屈ものオメロ・アントヌッティ(久しぶりに会えて嬉しかった)の知恵遅れのせがれも、回復しない病に入れていいかも知れない。そんな構造の話と理解したんだけど、どうも自信が持てない。アンナの行動、幼児に殉じたいってだけでは説得力に乏しく、なんか読み損なったとこがある気がする(違ってたらどなたか正解を記してね)。犯人がバッグをボーイフレンドの庭に埋めるってのも無理がないか。「推理ものは、けっきょく言葉による説明になっちゃうから映画としては弱い」とつねづね思ってたもので、文句を付けづらいんだけど、すんません、もうちょっこし説明してくれると嬉しいなあ。刑事さんが断崖の端に犯人を追いつめて、お前だ、って指さしたり、じっくり解説の長ゼリフをしゃべったりするのを、もう馬鹿にはしません。ヴァレリア・ゴリノはまだ幼児の母親役やってんのか、いくつになったんだ?
[DVD(字幕)] 6点(2010-04-04 12:15:06)
40.  ミンボーの女
伊丹監督の情報映画というか、手口紹介映画というか、“現場主義”がよく表われた作品。こう複雑になった社会では、背景を分析していってはキリがなくなってしまう。そこで何事かが起こっている現場だけに好奇心を絞り込んでいく。現場のレベルでナマなものだけが、現代では確実な手応えを与えてくれるもので、そこに固執しよう、と割り切った姿勢が感じられる。暴力団と警察と企業、それらの関係を構造として見、解剖していくのではなく、それらが接触する面だけを剥がしてスクリーンに広げていく。暴力団と警察の背後にある政界での癒着などには思いを馳せず、このホテルのロビーだけの限られた中での正義を描く。もちろんこれは大きな弱点で、社会を捉える映画として最も重要である批評性を捨ててしまう訳である。でも、この世の中を大局的に分かったように扱うよりは、まず確実な部分だけでつかんでみたい、という作者の姿勢も尊重してみたいのだ。大局的な論は、突き詰めると抽象性の幕によって時代との間に境が作られてしまっているような感覚が残る。この幕に対するいらだちを監督は強く意識していたのではないか。日本の社会派映画の、とかく大局の論に走りがちな欠点を、もしかすると乗り越える役割りを担うのではないか、とこのころの伊丹監督には期待してたんです。手口の陳列として面白かったし、いつもながらの過剰なサービス精神にはゲンナリさせられるところもあるが、「暴力団は他人に屈辱を与えるから嫌だ」ということはあまり日本の映画ではちゃんと描かれてこなかったことで、そこを買います。仁侠映画好きな私が(フィクションと割り切って楽しんでるんですが)時々思う後ろめたさを贖罪する意も込めて。
[映画館(邦画)] 7点(2009-12-23 12:08:42)(良:1票)
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