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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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2001.  殺し(1962) 《ネタバレ》 
原作はパゾリーニで、たしかにチンピラやごろつき、兵士たちなど社会の底辺の鬱屈が次々と描かれていくあたりに、その気配がある。でも空間の捉えかたに、アントニオーニを一番感じた。広場や造成中の土地のガラーンとしているウツロな広がりの感覚。映っているものよりも、それが抱えている空虚のほうが印象に残る風景。いやいや、これはアントニオーニの影響というより、ベルトルッチの個性かもしれないぞ。後年、紫禁城にあれだけ人を詰めても、広場のウツロさが際立っていたもの。間違いなく彼の個性なのは、ダンス好き。女二人のダンスシーンがもうあり、ラストもダンス会場での逮捕となる。共同脚本のうち、ダンスのある部分は監督本人だろうと勝手に推測する。
[地上波(字幕)] 6点(2008-03-02 12:20:53)
2002.  鉄路の白薔薇
グリフィスのメロドラマは、現在の目でも充分面白く感じるのに、フランスのこれは、ちとつらかった。だいたいサイレント映画の芝居ってのはどこでも大袈裟になるものだけど、本作の臭さはヨーロッパの深刻趣味も加わるんで、我慢の限度を越える。アメリカのヒューマニズムに対して、こちらには、苦悩によって人間は成長していくものだ、っていう精神主義があるからなんだろうか。前半の特殊な愛が後半で普遍に至る、ってあたりも、なんかすごくヨーロッパっぽい。でもやはりカットのリズムというものを洗練させた映画史上の業績は尊重したいし、アメリカとヨーロッパの違いをあれこれ考えるきっかけになっただけでもありがたい映画ではある。
[映画館(字幕)] 6点(2008-03-01 12:16:09)
2003.  D.I.
監督主演のエリア・スレイマンは、なんでもパレスチナのキートンと呼ばれている人だそうだけど、全体のトーンはフランス映画ふうで、いろいろ屈折していてやや分かりづらい。もちろんこちらの不勉強のせいが大きいのだが。前半の隣人のいざこざに、イスラエルという隣人の影を見せると同時に、パレスチナだって一枚岩ではないってことも含んでいるのかもしれない。とかくニュースでは常に集団で見られる存在だけど、当たり前のことだが、ときに反目したりするこういう個人個人で成り立っているわけだ。そんなところがけっこう新鮮。町のたたずまいにも、普通の暮らしをしている場としての生活感がある。集団で怒りの波となっているニュース映像の裏に、こういう“普段”があってこそ、その怒りの実質が分かってくるというものだ。忍者になったりと破天荒な展開の部分よりも、こういった記録映像的な部分でよかった。風船に検問所をなくしたい願いが託され、圧力鍋に沸騰寸前の気持ちが託される。
[映画館(字幕)] 6点(2008-02-29 12:19:33)
2004.  約束の土地
主人公が田舎へ帰ったときの朝の場面、ふたつの窓とその間に置かれた椅子に、朝日が射し込んでくるところが美しい。思えばこの監督、「地下水道」の暗さや「灰とダイヤモンド」のポロネーズの場など光に敏感なところがあって、社会派のわりにはちゃんと画面づくりに気を配ってくれるところが嬉しい。ただ本作の場合、お話はかなり図式的。主人公たちだって、なんとか没落を食い止めたい、というあがきがあり、それなりの止むに止まれぬ立場ってのがあったと思うんだけど、それが出てなくてただの金の亡者みたいになってしまっている。ユダヤ人の描き方が悪いせいもあるだろう。いいところとしては、工場主が袋の山に埋もれて死んでいるところをちらっと見る女性労働者の表情、ああいうふうに過不足なく描いたときに、一番効果が上がるんだ。
[映画館(字幕)] 6点(2008-02-27 12:26:38)
2005.  バベル
バベルの塔の話は、砕いて言えば「兄弟は他人の始まり」ってことでしょ。悲観的な世界観だなあ、と思ってたが、でも逆に考えれば「すべての他人は元兄弟」ってすごく楽観的な世界観でもあったんだ。たしかに一本のライフルから広がる波紋は暗い事態を引き起こしていく。3つの国の警察が動き、3つの国の子どもたちが救助を求める悲鳴をあげる、声にならないものも含めて。でもこの悲鳴は、もしかするとそれぞれが孤立しないでこだまし合っているのかもしれない。だとしたら、かつて兄弟だった先祖たちのつながりを回復する手立てが、まだあるってことでもあるんじゃないか。日本のディスコのざわめきをどうかしてメキシコの結婚式のざわめきにつなげられないか、ヘリコプターが行くモロッコの夜を(崩壊する前のバベルの塔を思わせる)日本の高層マンションの夜につなげられないか。楽観的すぎるだろうか。でもいま世界は、無理にでも楽観的にならなければならないところまで、追い詰められているような気がするんだ。
[DVD(字幕)] 6点(2008-02-22 12:19:32)
2006.  幽閉者 テロリスト
わあー、60年代のATG低予算映画的気合いプンプンの作品。ノスタルジーと一番離れたような作風だが、なんかとても懐かしかったのは確か。こういったとんがった「ひとりよがり」が日本映画から消えてしまって久しい。でも、映画史って「ひとりよがり」が普遍を獲得していく歴史でもあったわけで。あの政治の時代を内側から体験した監督がどう総括するのか、と思って見ていたが、総括なんかしない。地下の革命家まで呼び出して、さらなる討論と試行錯誤(思考錯誤と表記したいところ)を繰り広げる。もうトリックはいらない、と叫ぶ主人公。現在の眼からはあの政治の季節は、ついに思考が地に足をつけられなかった観念の時代と見えるが、あの時代の眼でこっちを眺めれば、その無思想ぶりは、誰かがわざと仮装させているなんらかのトリックにしか見えないのだろう。
[DVD(邦画)] 6点(2008-02-19 12:23:35)
2007.  にっぽん戦後史・マダムおんぼろの生活
横須賀のバーのマダムへのインタビューで綴った映画なんだけど、印象に残る二つの証言。60年安保のデモで樺美智子さんも1000円で雇われたんだと信じ込んでいるところ。もう一つはベトナムのソンミ虐殺事件について、アメリカ人は紳士的だからそんなことするわけがない、報道写真は病死した子どもを集めてきて写したんだろう、と思っているところ。想像力が欠如しているのではなく、自分の信念に合わせて想像力をフル回転させている。ここらへん今村さんがカメラのこっち側で、いいぞいいぞと面白がってるのはよく分かるんですが、う~ん、これからの打算的な人生設計の証言といい、今村のフィクション映画に向いたアクの強すぎる人で、もっと別の素材として生かしたほうがよかったのではないか、という気も少々。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-17 12:26:23)
2008.  女衒 ZEGEN
この主人公伊平治、お国から大義を示されると、すぐそのとおりだ、と納得してしまう。女郎のほうが、何やこのおっさん、って感じで醒めて見てるのに、本人は自分の正義に酔っている。ああ、これぞ近代日本人の素顔です。国立娼館という究極の夢、天皇の立派な赤子として認められたいという希望が一方にあり、明治天皇の写真をいただきながら子孫づくりに励むあたりの滑稽と哀切は、もう本人が天皇になっちゃって小日本を作ってしまっている。作者は、馬鹿なことやってんの、という醒めた目を採りつつ、そのエネルギーには敬服してしまう。愚行の狂熱への批判と感嘆。今村昌平の基本姿勢ってこれだと思う。本作の場合、それが近代日本史そのものに重なった。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-15 12:19:19)
2009.  親鸞 白い道
面白い映画かと問われたら、そうではないと答える。なら芸術性が高い映画か、と問われると、そうでもないんじゃないかなあ、と濁す。分かりやすい映画か、と聞かれたら、きっぱり、NO、と答える。すると最後に、じゃあしょうもない映画ではないか、と来るだろうが、そしてらなんかすごく弁護したくなる。言いたいことがいっぱいあるみたいな映画なんです。70年代以降かなあ、日本の映画は、何を語るかよりも、いかに語るかのほうに重点が置かれてきて、それは大事なことなんですが、でもたまには言いたいことが詰まってる映画も見たい。これはもう不器用なぐらい詰めちゃってて、登場人物の関係もよくわかんなくなっちゃって、不親切きわまりないんですが、でもこの渾沌に身をひたすのは、ああ、まだ言いたいことがいっぱいあって映画作ってる人がいるんだ、って分かって、けっこう気持ちよかったんです。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-10 12:21:26)(良:1票)
2010.  少年義勇兵 《ネタバレ》 
1941年12月8日って聞くと、もう真珠湾しか出てこなくなってるけど、マレー半島上陸ってのもあるんだよな(マレー沖海戦は10日)。歴史の記憶って、どうしても太字で記されることしか残っていかなくなっちゃう。でも細字の歴史もやっぱり歴史なんだ。タイはすんなり日本軍に道をあけてくれたわけでなく、半日の戦闘があった。他国の軍隊が通過するにはそれなりの屈辱があったわけだ。別に反戦映画ではないので、そこにのみ焦点が当たってるわけではないが、このけっきょく無意味だった戦闘の徒労感が重く残る映画。弟の学資のために日本人と結婚している姉という設定など、微妙に現在にまで通じているモチーフなのかもしれない。中盤にあるのどかな軍事演習シーンが、後半の手持ちカメラ多用のドキュメンタリー的な戦闘シーンに向けて、対比の効果を挙げていた。
[DVD(字幕)] 6点(2008-02-09 12:21:58)
2011.  少年期
ニワトリがいなくなった朝、探しに畑に出ると兵隊たちがシルエットで暁の行軍をするところ、少年が純粋に感動の涙にむせんで悲壮なタッチのテーマ曲がかぶさってくる。ここだけとればもう完全に戦時下の国策映画だ。「陸軍」のラストを思い出す。「陸軍」は、軍からお叱りがきたので、今では反戦映画ということになってるが、あの行軍は、母を振り切ってまでお国のために出征していくのだ、という雄々しさとして当時は捉えられていたはず。図式としては、戦後作られた本作のこの場面も似てる。こちらの母は、ちょっとうるさい。スケート場に迎えに来たり教師にお願いに行ったりして、子どもにすれば、たまんねえなあ、という感じがある。その子どもが、母のいない朝、軍の行進を憧れて見ている。この図式、遠くへ出発する息子・遠くへ出発したがる息子と置いていかれる母、という図式が持つ感覚のレベルでの痛みのようなものを、とにかくこの監督は描きたかったのではないか。それは肯定するとか否定するとかいうイデオロギーのレベルよりも深い地盤に根を下ろしているので、戦時下の作品でも戦後の作品でもかまわなく現われてくる。本物の映画作家とはこういうものだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-08 12:22:13)
2012.  香華
木下恵介における母は、親としての母よりも、家族の軸としての母としてより重要だった。「二十四の瞳」の生徒と女先生もそのヴァリエーションだったわけ。でも本作では、あくまで娘と母との関係が中心。家なしでやっていこうとした娘(岡田茉莉子)と母(乙羽信子)との葛藤の話。家族の軸になろうなんてこれっぽっちも思っていない母をめぐって、家という枠から脱した一代記ものドラマがドロドロと展開するところが、木下としてはかなり異色作である。家から浮いてしまった女性だから、あれまで墓に固執したということで、家のモチーフは底に潜んではいるのだけれど。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-06 12:16:44)
2013.  ゾディアック(2007) 《ネタバレ》 
主人公の漫画家ギレンホールの言う「とにかく犯人の目を見てこいつだと確信したい」っていう気持ちに、こちらも同化する。最初の事件のなんともいやらしい車の動きぶり、あれだって覆面しているようなもので、それ以来ずっと、こういうことする奴はどういう顔してるんだろう、いう興味がつのっていく。容疑者リー・アレンに警察が会うシーンが、この映画で一番ドキドキした。やってることはどうってことないんだけど、こいつかもしれない、こいつでないかもしれない、そういう宙ぶらりんの気持ちのまま、こいつかもしれない容疑者の顔を見つめることの緊迫。こういうシーンで映画としての充実を覚えたのは珍しい。この映画、犯人の分析や事件の社会へ与えた影響などにはあまり関心を示さず、犯人に関心を示した人たちへの関心を持ち続ける。ラストに主人公が犯人(というか濃厚な容疑者)の目を見つめるシーンが置かれるのも、その流れだろう。首尾一貫してはいるが、これだけの長尺を持ちこたえるには、ちょっと物足りなくもあった。
[DVD(字幕)] 6点(2008-02-05 12:23:35)(良:2票)
2014.  ここに泉あり 《ネタバレ》 
納得半分、反発半分。納得は、岡田英次の脇に小林桂樹を置いたことで、これが適度に批判者の役を持ち、いやらしさを緩和させている。一つの文化に接触させる機会を地方に与えるというのは、悪いことではない。ただそこに中央から周辺への啓蒙という意識が加わると、どうしても反発を感じざるを得ない。山奥の子どもたちに「彼らもあのまま木こりで終わってしまうんだなあ」などと上から憐れむような態度を見せられると、それは違うでしょ、と思う。楽団員たちが聞けない美しい音(たとえば小川紳介の「ニッポン国古屋敷村」で出来たての炭がたてた澄んだ響きのようなもの)が確固としてあるわけだ。地方で生まれ地方だけで充足している文化というものがあるわけだ。中央的なものを地方に広めることが文化活動のすべてであってはならない。中央の山田耕筰を連れてきて「オーケストラの少女」をやらないと映画が終わらないところに、都会人の作る良心的社会派映画の弱さがある。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-03 12:22:34)
2015.  パリ、ジュテーム 《ネタバレ》 
18もあると、短編集というより俳句集で、なんだかよくわかんないうちに、え、これだけ? で次に移ってしまうのもある。何だったんだろう、と考えてる暇はない。ということで、けこう疲れる。私は途中で休み、二度に分けて見た。記憶に残っていることを列挙すると、1移民の話が多かった、今現在の切実な問題なのだろう。2チュイルリーを描くのに、ずっと地下鉄の駅構内ですますコーエン兄弟の皮肉。3ムラカミの小説は、ああいったニュアンスで受容されているのか(ムラカミの小説だったら、男が内心で「やれやれ」と言うところ)。4パントマイムのやつで「一緒にしないでくれ」と叫ぶ同囚に笑った。5イライジャ・ウッドは「シン・シティ」といい、暗いイメージがけっこう合う。6豪華配役陣ではジーナ・ローランズの貫禄が一つ抜けている。7ラストのおまけで、全体がオムニバスからアルトマン的群像劇にも見える仕掛け。8これを複数人で見た場合、見終わってから一つずつ思い出していくゲームができると思った。最後の方まで出てこないのは、あれかあれか。
[DVD(字幕)] 6点(2008-02-02 12:23:57)(良:1票)
2016.  ことの次第
フィルムを待っているそのけだるい時間そのものを楽しめばいいのかもしれないし(映画撮影チームの話なの)、不意に飛び込んでくる松の根っこや、夜の荒れた海なんかとてもいいんだけど、でもとうとう映画の中の時間に溶け込めないで終わってしまった。物語を語ると生命がなくなってしまう種類の映画なんだろうが、でもそれなら物語の代わりになるものがあるのかってこと。はたして後半は映画で表現することだったのだろうか。言葉の「意味」と音楽の「無意味」の間にある、映画という芸術の難しいところだ。パンする画面と一緒に左へ去っていくタイトルと、びっくりするぐらい低空で下りてくる飛行機が、印象に残った。
[映画館(字幕)] 6点(2008-02-01 12:12:45)
2017.  ガートルード
昔、日本語字幕なし・あらすじの配布なし、という厳しい条件下で鑑賞した。この人の映画はいつもそうだけど、照明がまだらで、室内なのに木洩れ日の下にいるような奇妙な世界になる。人物は闇の中から立ち現われ、闇の中へ消えていく。幽明の世界とでも言うんでしょうか。そのなかで登場人物たちはなかなか目を合わせない。向かい合ったときは切り返しになって、同一画面の中では向かい合わない。一人が一人を見てると、見られているほうは正面を向いていることが多い。なんか小津みたいだが、ぜんぜん質感が違い、環太平洋の温帯と北欧の空気の差か、こちらははるかに冷たい。終わりのほう、実際は向かい合っていても、女のほうが鏡に映っているために、画面では二人が並んでいる格好になる。それぞれが相手を背景にしてしまい、孤立してる感じ。なにせ言葉が分からないので、そんなことばかり見てましたっけ。
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2008-01-30 12:17:56)
2018.  魂萌え! 《ネタバレ》 
シニア料金にとうてい見えない風吹ジュンをあえて使った、って意図は分かる。寂しい笑顔をやらせると右に出るものがない人で(次点が樋口可南子かな)、林隆三の目に映る「自信なげな慎ましい奥さん」像にピタリなわけ。で、そういう彼女の内側から徐々に胎動してくるものを描けたら、そりゃ成功だったんだけど、どうもそうは思えなかった。内側からというより、付け焼き刃で張り切ってしまってるって印象なの。中央線での窓外への凝視なども、私には段取りが弱いように感じられた。空回りした果てにどうかなっちゃう第二幕が来るのかな、と思ってしまう。風吹ジュンはテレビドラマ黄金期に、倉本聡・向田邦子・山田太一の三大ライターに重宝され、しばしばドロドロから一歩引いたところで生きる女性を好演してきた、その記憶が強すぎるのかもしれない。役者が芸域を広げようとするのは大事なことだが、どうしてもその人のニンという限界はあるもので、加藤治子・三田佳子が出番は少なくても強烈な印象を残すのに対し、これは風吹ジュンの役どころではなかったのではないか。そう思うこと自体が、ホラ林隆三の目になってる、って言われると返せないんだけど。この世代の女性を主人公にした映画が作られたことには大賛成。
[DVD(邦画)] 6点(2008-01-29 12:24:43)
2019.  インド行きの船 《ネタバレ》 
原作ものでベルイマンは脚色だけなんだけど、登場人物たちが恐れに支配されている、すっかりあの人の世界。自分の生に忠実であろうとすることからくる他者への過酷さ。愛人と外国に行こうと思っていることを妻に淡々と告げる船長も船長なら、妻は妻で、旦那の失明が決定的になって自分の保護下に置かれる時を待っている。せがれは父親の圧倒的な支配を恐れ、また自分の背骨の曲がり具合が他人の目にどう映るかを恐れている。せがれと船長の愛人が舟遊びをするシーンの、水のきらめき、空の雲、風車、清潔だけどなにか希薄な世界の美しさが、唯一ホッとする場面。でクライマックス、せがれが潜水しているとき、父親の船長が潜水服へ空気を送っていたポンプを止めてしまうところが怖い。ポンプを押す手が次第にゆっくりになっていく、あたりを見回すと誰もいない、ドライヤーの「吸血鬼」を思わせるシルエットがついに動きを止める。人が魔になる瞬間を、圧倒的な静けさの中で説得力を持って描ききった。
[ビデオ(字幕)] 6点(2008-01-28 12:15:01)(良:1票)
2020.  カンバセーションズ
青春時代から微妙な距離にある30代後半。やり直せそうな、もう遅すぎそうな。青春時代はもっと大胆で、行動にためらいがなかった。だけど30代後半の男女は、行動の代わりにカンバセーションで探り合わなければならない、なにしろ二人の間には縦にざっくりと画面を分割する境が生まれているから。男は太り、女の脚には知らない怪我の傷が残り、それぞれが互いに知らないヒストリーを刻んでいる。二つに切られた画面の片方に二人がうまく納まると、今度はもう一方に青春時代の記憶が入り込んできて、現在と過去との境を際立たせようとする。その記憶も、セーターの色が変わったりと不確かなのだが。分割画面という趣向、それがすべてで成功しているかどうかはおいても、目一杯使い切ろうとしたその姿勢を褒めたい。おそらくDVDで見た人は必ず、ラストシーンをもう一度目を皿のようにして見直したと思う。
[DVD(字幕)] 6点(2008-01-26 12:19:59)(良:1票)
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