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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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2021.  化石
渋味だなあ。長い長い映画を見ながら、ときに「生きる」を思い起こし(おもに仕事について考えるとき)、ときに「野いちご」を思い起こし(おもに孤独について考えるとき)、ときに「ベニスに死す」を思い起こす(おもに夫人について考えるとき)。佐分利信の芝居は、その芝居くささが重厚さを生むのに、栗原小巻・滝田裕介・神山繁の芝居くささは、ただ芝居くさいだけなのはどういう違いなのだろう。枯れるってことの利点か、新劇俳優の宿命か。フランスでの想念と日本での結末との間にちょっとズレを感じる、日本に帰ってきて少し観念性が強まったような。でもおそらくそういうことを考える映画ではなく、老年の心象風景にひたることが眼目の作品なのだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-25 12:22:32)
2022.  ピンチクリフ・グランプリ
とにかく人形の動きが丁寧で驚かされる。楽団の演奏のところなど、ピアノやベースの指つかいまでが、たぶんかなり正確で、現実の演奏を記録してそれを参考にしたのかもしれない。動きが実になめらか。もっともここまでなめらかだと、着ぐるみの人間が芝居する実写と違わなくなってしまう。アニメは、本来動かないはずのものが動いてる! って驚きが基本だと思うんだけど、動きをリアルにすればするほど、その驚きが薄れてしまうというパラドックスがある。つらいところだ。CGの普及で、毎日のように奇抜なコマーシャル映像に浸かっている我々の目が、刺激に麻痺してしまっているということもあるだろう。その目で見ると、ストーリーの展開もいささか素朴すぎて感じられる。でもだからこそ、この丁寧な仕事は見ていて気持ちいい。すがすがしい。崖の上の自転車修理工という孤高の主人公の栄光を、この作品にも捧げたい。
[DVD(吹替)] 6点(2008-01-23 12:20:01)
2023.  鳳城の花嫁 《ネタバレ》 
日本初のワイド画面映画に、こういうユーモラスな時代劇を選んだということが嬉しい。あんまりカメラを動かさないですむからなのかもしれないけど。日本の時代小説には、中里介山・大菩薩峠系の暗いニヒルな主人公の流れと、白井喬二・富士に立つ影系の明朗な主人公の流れがあり、時代劇映画もそれを踏襲した。でも大きな流れとしてはニヒルなほうがやや優勢で評価も高め。はぐれものや股旅もの、さらにやくざものと、主流はニヒルになった。明朗派の傑作といわれる山中貞雄の「盤嶽の一生」はフィルムが失われてしまった。こうなれば明朗派を応援したくなる。大友柳太朗の若殿さまが江戸へ出て花嫁探しする、ってだけでもう明朗でしょ。主人公の天真爛漫さが常に映画を明るいほうへと運び、ラストでいいもんも悪もんも走る走る。爽快感がワイドのスクリーンに満ちてくる。横長の画面は、向かい合う二人をその距離ごと横から捉えられる、ってことで生き、それは後の仁侠映画で最も効果をあげることになるわけだ。仁侠映画といえば、田崎潤の役どころ、まず主人公と出会い・次に敵味方に分かれ・でも最後には一緒に悪を倒す、ってのは、やがて昭和残侠伝シリーズでの池部良につながっていく型。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-22 12:29:00)
2024.  越後つついし親不知
みんなでクヨクヨする映画。貧しい風土をなんとか変えていこう、ってよりは、みんなでクヨクヨしてるんだなあ、という感慨にひたることで満ち足りてしまう国民性。菜の花畑、子守りをしているときの立ち木、など回想シーンが美しいのも邦画の特徴。今しか知らない人は信じられないかもしれないけど、佐久間良子ってすごくかわいかったの、昔。石橋蓮司がセーター着た青年で登場してきたときに、場内にざわめきが起こったことを記憶している。資料によるとこれが石橋の映画デビューらしい。同じ今井監督の「にごりえ」で子役で登場し、やはり場内にざわめきを生じさせたような記憶もうっすらとあるのだが、これはあまり自信がない。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-21 12:11:02)
2025.  プロビデンス
死ぬ方法を選ぶ権利がある、という文句がキーか。それがひとつは政治的圧殺のイメージに向かい、もうひとつは主人公の病身の苦痛にもぐりこむ。この設定がどういう効果をあげているのかだが、よくわかんない。家族肉親を駒にしてストーリーを組んでいる孤独な老作家、それが「プロビデンス=神の摂理」とダブらせられているらしいんだけど、よくわかんない。狼男のエピソードは面白そうだったんだが、あれとブルジョワ論と関係があるのか、よくわかんない。ダーク・ボガードが車運転してるときの、どんよりとした家々の重さは、ヨーロッパだなあ、としみじみ思った。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-18 12:13:08)
2026.  無理心中 日本の夏
この映画の大島モチーフとしては「通り魔」がひとつあるけど、もひとつ「西洋人に対する日本人」てのもある。大島作品に登場する西洋人は、しばしば弱者の形をとって現われる。「飼育」と「戦場のメリークリスマス」では、捕虜だった。黒船以来、西洋に対してコンプレックスを抱き続けてきた日本人の前に、西洋人が弱者として置かれたときの日本人のとまどい、みたいなものが描かれた。遠巻きに眺めたり、かえって居丈高になったり、どうも普通にコミュニケーションがとれない。まあそれは西洋人に限らず、大島にとってのもう一つの重要な外国、朝鮮半島の人々に対してもそうなのだけど。で、この映画のアメリカ人通り魔をどう捉えればいいのか。社会からあぶれていた日本人連中が、日本人を殺してきた通り魔にすり寄っていく心理、どうもこのすり寄りは強者の殺人鬼に対してというより、警察に追いつめられた弱者ゆえのようなのだ。ここらへんの屈折がうまく生きて、強者と弱者が立場を入れ替えながら作る輪がもっと大きく広げられたら、この映画、重要な作品になったかもしれない。暑い夏の夜の熱気に包まれた戸田重昌のセットが重厚、田村正和が美少年で笑える。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-17 12:23:54)
2027.  ツォツィ 《ネタバレ》 
映画に登場する不良にはパターンがあって、1ふてくされている、2世間に対してたかをくくった態度をとる、3馬鹿にしたうすら笑いを浮かべる、といったところ。なのにこの主人公はそのどれもしてくれない。常に硬い表情を張りつめ崩さない。世間に対してどちらかというと怯えているようでもあり、それを無理に鼓舞して向かってる感じ。車椅子の男に「なんで生きているのか?」と尋ねるあたり、からかいも皮肉もなく、僧に疑問をぶつける求道者の真剣さすら感じられる。彼の表情がこの映画のすべてだ。話の段取りは、母の記憶や女性のたしなめなど、陳腐に落ちかねないぎりぎりのところで進むが、射殺されるドラマチックなラストを採用しなかったことは成功だった。彼の被害者であるブラザーの声に励まされ、みっともなく手を上げる姿で切り上げる。おそらく求道者が道を見いだしたときの姿というのは、そのみっともなさが神々しいこんな姿なのじゃないか、という気にもなってくるのだ。
[DVD(字幕)] 6点(2008-01-16 12:20:25)(良:1票)
2028.  戦争は終った
スペインとフランスの距離、現場の視点と現場から離れたところでの視点のずれ、みたいなこと。反フランコ闘争の現場であるスペインでは、ゼネストが不発に終わるだろうことは見えている。しかし現場から離れたフランスの亡命者たちには、理想が先行しちゃっているのでそれが分からない。現場との距離に抽象化が正比例してしまう。このギャップは仕方のないことなのか、克服する手はあるのか、いう問いかけを感じた。それは学生たちの過激主義にも通じていく問題。取るべき行動を封じられると、ただ理想を純化していくしかないのか。これは60年代の熱い問いだったが、たとえばいま現在のイスラム世界で生々しく立ち上がっている問いでもあろう。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-15 12:18:14)
2029.  新宿泥棒日記
いま大島作品で一番再見したい気分が高まっている映画。60年代後半の新宿の風俗をドキュメンタリー的に見なおしたいって気持ちも多分にある。時代を離れて批評するのではなく、時代とともに一度流されてみようとした映画だから、こう時がたってこそ、タイムカプセルを開けて見るような意義が生まれてくるフィルムかもしれない。一番記憶に残っているのは、夜の紀伊国屋のシーン、本を買えない女店員(?)の抑えられていた望みなのか、読みたい本の多数の「声」たちが、じわじわと滲み出し重なってきて、夜の書店のなかにこだましていくところ。この監督、ムッツリと俺は硬派だって顔していながら、けっこうリリシズムを不意に溢れさせるところがあって、そこが私は好きだ。唐十郎がかわいい。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-13 12:22:44)
2030.  メロ
流れるような移動撮影が売りの監督が、舞台劇をできるだけ舞台のまま映画化するとどうなるか、ってとこが興味の作品で、ほんとに舞台調で押し切るの。最後ヒロインの道行きだけ外に出る。ヒロインはただただ不幸を引き受け、男は女を信じそこなったことを後悔し、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ3楽章と1楽章がそれぞれに流れて、まことにメロドラマ(メロドラマって言葉はもともとメロディドラマから来てるそうで)。メロドラマとは何ぞや、という皮肉な分析でもするのかと思っていたが、そうでもない。この監督、晩年になってミュージカルに興味を見せ始めたのも、ここらへんからつながっていることなのか。ドラマのストーリーよりも、その閉じた舞台空間の窮屈さがヒロインを追いつめていったようにも見えるが、この映画の設定に何らかの意味を見つけようとして無理にそう感じたような気もする。
[地上波(字幕)] 6点(2008-01-12 12:13:33)
2031.  いのち・ぼうにふろう 《ネタバレ》 
これを見た日の日記には、こんなことが書かれている。『あれだけ、罠かもしれない、と主人公たち風来坊グループが言っていながら、何も対策たてないでノコノコ行くってのはトンマすぎないか。ぼうにふろうったって、自殺しようってんじゃないでしょ。それにまた山本圭(彼らが救おうとしてる若者)が、わざわざ一肌脱いで助けてやろうって気になれそうもない、とんだグズでなあ。なにかと迷惑掛け続けて、それで、逃げろ逃げろって言ってんのに、目ぇ剥いてぐずぐずしてて、ほんとイライラさせる。』なんとなく「用心棒」の土屋嘉男をいま連想した。太っ腹を描くときに、対照的に実直な小者を置くってのが邦画の段取りか。『小林正樹、あきらかにピークを過ぎた71年の作品だが、昨今の邦画のレベルから見れば秀作と呼べるだろう、スタッフの力か。武満徹の音の塊りがロングのカットでドローンと入ると、とたんに画面が締まるから恐ろしい。』
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-11 12:27:57)
2032.  苺とチョコレート
男二人、反発から友情へという定型の話だけど、二人だけの話で閉じず、だんだん社会に開いていくところがいい。「ぼくがいなければ、この国は何かを失う」という主人公の言葉に、すべてが凝縮している。見ようによってはずいぶん割り切りすぎてもいる。共産主義者のダビドに対してディエゴは性的異端、宗教や芸術サイドの証言者にもなっている。もっと討論でダビドに主張してほしいところもあるが、大事なのはいろいろな立場や考え方が複数存在することを認めあうことであって、そこへ話が絞り込まれていくので後味はいい。どんな社会体制であろうと、女の仕種をする男というものは笑いの種になり、これを単に偏見として切り捨てるのではなく、なぜ男の仕種をする女は笑いの対象にならないのかを含め、仕種の社会学として研究する価値があるのではないか。冷蔵庫にロッコという名前をつけてペットがわりにしている。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-10 12:23:04)
2033.  異母兄弟
硬と軟がきれいに分かれている設定で、長男次男は陸軍、家父長の権化のような三国連太郎の精神的直系。いっぽう女中に生ませた子は海軍で、女中とヨサコイ節を歌ったりして軟弱。男性性と女性性の対比の物語でもある。一種「人形の家」のノラめいた話になっていくが、家を出ないで居座るところが日本的か。ただ父親の“横暴”も、それである程度家政の役を果たしていたところがあるので、それのみに罪を負わせる女もずるい、って気もした。慰安婦として南方に送られていく女中こそ、ひたすら哀れ。芥川也寸志の音楽は荘重にパイプオルガンが響き、ラストにはパッサカリアふうの曲もある。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-08 12:21:35)
2034.  天草四郎時貞
佐藤慶は、横からの光で陰影が出てこそ生きる顔。白黒映画向き。いっぽう大川橋蔵は、こうこうとしたライトの下でこそ映える顔。カラー映画向き。この白黒映画は、主演俳優にとっても監督にとってもつらい組み合わせだったんじゃないか。でもまったくつまらないかというと、そうでもなく、革命論としてああだこうだ思考している部分は濃い。ラストで「日本の夜と霧」を小さくしたようなディスカッションシーンがある。みんなの心が一つの意志で固まり同じ目的に進むというような、革命の機が熟するとき、ってのは永遠に来ないのではないか、という問題が提示される。分裂と離反を繰り返してこそ革新的であり続けられるのだとしたら、革新的であることが革命を向こうへ向こうへと押しやっているのではないか、というパラドックスがある。急進派と慎重派を両極とした幅広い団結は可能か、そのような団結に意義はあるのか、といった問題にもなってくる。そういう面倒くさいことは映画でなく本でやってくれ、という意見もあろうが(おそらく大川橋蔵もそう思っただろうが)、60年代とはこういう時代だったのだ。「日本の夜と霧」から「白昼の通り魔」へとつながる革命崩壊三部作とでも呼ぼうか。
[映画館(邦画)] 6点(2008-01-05 12:23:39)
2035.  雨の午後の降霊祭 《ネタバレ》 
強い妻と弱い夫の話と思わせておいて、ここからがネタバレの核心ですが、実は妻の弱点を包み込んでいる夫の愛がラストで明らかになる、ってところがポイントの話だったと思う。大昔に見た映画で、白黒ならではのしっとりした質感は思い出せるのだが、あとは不確か。いま日記の記述をひもといてみると、「妻への一途な愛・献身」とか「絶望的な企てに加担していく悲劇」とか「愚行ゆえの神々しさ」などと記されている。「妻の死を願うまでに思いつめているのにズルズル犯行を続けていくあたりのアッテンボローの演技が見もの」だそうだ。「アーサーのイメージがも一つ弱いのが、スリラーとしてみたときに弱点になる」そうだけど、このアーサーってのが何なのか思い出せない。死んだせがれの霊だったか。無責任な書き込みで申し訳ない。レビューなしの作品で見たことある映画だと、つい埋めたくなってしまうもので。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-04 12:21:34)
2036.  コワイ女 《ネタバレ》 
1話と3話はすでにある定型ホラーをモデルとした習作、といった出来だが、2話の「鋼」はオリジナルな世界を作ることに成功している。箱入り娘ならぬ袋入り娘とデートする話。しかもこの袋は彼女を大事に保護するためではなく、どうも彼女が周囲に危害を加えないようにくるんであるらしいのだ。その奇妙なデートを通して、娘ハガネちゃんの顔は見えず声も聞こえない。なのにしだいに彼女がかわいくすら思えてくるのは、けっこう「少女」の普遍を描けているからだろう。ドテッと転んだり、ちょっと目を離すと川に浮かんでたりするトラブルメイカーぶり、気分しだいで親しみと攻撃が目まぐるしく交錯する移り気、少女はこういう鋼を隠し持っているもの。彼女サイドから見れば、女シザーハンズの物語としてこの映画を捉えることもできる。黙々とミシン(マシンでもある)を踏むシーンが彼女の孤独をチラリと浮かばせた。また青年の側から見ると、純情とはいえ思春期の男、カラダさえあればあとはどうだっていい、という気持ちがなかったとは言えず、本当にそうかな、という脅しを含んだ問い返しの映画にもなっている。妹思いの優しさがそのまま不気味さにもなる兄、というヘンテコな役をリアリティたっぷりに演じるとなると、今や香川照之以外考えられなくなった。
[DVD(邦画)] 6点(2007-12-31 12:28:39)
2037.  松ヶ根乱射事件 《ネタバレ》 
見ながら思い出していたのは「ゆれる」の兄。どちらも、地方で暮らすことの息苦しさに、ゆっくりと追い込まれていっていた。田舎といっても小さな限界集落ではなく、いちおう鉄道は通っておりゲームセンターもある。限界集落ならもう助け合わなければやっていけないわけで、隣人を鬱陶しがる余裕もないだろうけど、この中途半端な規模の町では、他人のなかに埋没する自由がもうちょっとで得られそうなのに、顔見知りの隣人たちに取り囲まれて生きていかなければならない。これはなかなかきつい。父親がどこぞの娘を身籠もらせると「もう恥ずかしくって外を歩けない」ということになる。このうんざり感が、ボソボソとした語り口でじっとりと描かれた。ちょっと離れて眺めれば、うんざりも笑いになる。変なよそ者二人が触媒となって、それぞれのうんざりを危険に化学変化させていった物語ということか。どのシーンも自然な演技が楽しいが、金の延べ棒を持ち込まれた銀行員の対応の場、とりわけ二人が去ったあと周囲に対して力なく笑うところが実にうまかった。
[DVD(邦画)] 6点(2007-12-22 12:17:11)
2038.  ラッキーナンバー7 《ネタバレ》 
(カタカナ部分はとりわけネタバレ)この後味の悪さは、東野圭吾「容疑者Xの献身」の読後感を思い出させる。最盛期のアメリカ映画は出来不出来はあっても、少なくとも見終わってさっぱりした感じは残ったものだが、そういう最低のラインさえなくなってしまったのか。出だしはいいの。テンポよく次々と引っ掛かりを発生させながら引っ張っていって、これですっきり解決したら傑作だぞ、と期待してたら、ぜんぜんすっきりしない話になってしまった。クビノホネヲオラレルムカンケイノシャッキンマミレオトコハ、アンタノトウサントドコガチガウトイウンダ。映画をゲーム感覚で押していくならゲームに徹し、変な復讐の正義なんか出さなきゃいい。そりゃ無関係の者に平気で迷惑かける正義はアメリカの特技だけど。
[DVD(字幕)] 6点(2007-12-20 12:20:04)
2039.   《ネタバレ》 
水の上の閉鎖空間ということで「春夏秋冬そして春」の浮き堂を思い出すが、こちらで閉じ込められているのは姫。(「魚と寝る女」とも類似性がありそうだけど未見)。王子に助け出されるまでの本当に骨格だけの寓話で、よくぞここまで削ぎ落としたと褒めてもいいが、痩せすぎてるとけなしたい気持ちもある。じいさんが単なるエロおやじでなく、精神性を感じさせる人物なのが大事だ。言葉というものがいらないまでの一体感で暮らしていた船、弓は外へ向けては武器になり、内に向けては愛の調べを奏でる楽器になる。その弓のように張りつめていた精神性。とにかくこの監督が描く愛は、ひとつとして市民社会に受け入れられるようなものはない。そういう愛の世界が船上に築かれていた。そこに外の音楽が入り込んでくる。別に張りつめてなく精神性も感じられないけれど、その凡庸さが心を穏やかにするような音楽が、ヘッドホンから聞こえてくる。それが外部。市民社会の音楽だ。姫の救出がひとつの高貴な王国の崩壊となるのも、寓話の宿命であろう。
[DVD(字幕)] 6点(2007-12-18 12:30:06)(良:1票)
2040.  処刑の部屋 《ネタバレ》 
大映の男優って、なんか神経質の感じが強い。川口浩や川崎敬三、本作には出ないけど雷蔵にやがて自殺する田宮二郎、まあ船越英二や勝新太郎といった例外もありますが。とりわけ本作の川口浩のキャラクターは、太陽族の流れなんだろうけど、甘えた感じ・すねた感じ・ポーズとしての不機嫌などが、屈折しイビツに出てて印象深い。レイプされた若尾文子が逆にホレてくるって設定は、いい気なもんだが、このころとしては女のほうから誘いをかけていくあたりに「いまどき」が感じられたのだろう。崑の女性映画は、めそめそした女があんまり出てこないところがいいのに、これではラストでめそめそする古い女になってしまって残念。唐突に「俺は生きるんだ! 反抗するんだ!」なんて叫ぶ男も男だが。かえってひたすら現状維持を望む母親(岸輝子)が、父子が喧嘩してるときに新聞のフクちゃん読んでくすっと笑ってたりするカットに、演出のサエを感じた。これが崑の大映第一作。
[映画館(邦画)] 6点(2007-12-17 12:19:08)
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