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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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261.  いつも月夜に米の飯 《ネタバレ》 
監督の名前は「おんなのこきらい」(2014)で憶えていたが、それが理由で見たわけではなく、竹富聖花(現・春花)という人が脇役で出ているので何をしているか見ようとしただけである。デレっとした感じで食い物をうまそうに食う美女モデルで、主人公の行動に大きな影響を及ぼしてから去ったらしいがいい影響だったかは何ともいえない。 ちなみにどこがPG12なのかが気になっていたが、未成年が飲酒するからという単純な理由か、あるいはカラオケでの婦女暴行が出るからか。その辺のチャラい男とラブホに行っていたあたりはそれほど問題ではないかも知れないが、とにかく地元民でも小学生(だけで)は見てはなりませんということになる。  宣伝によれば「ごはん映画」とのことで、料理または食材を題名にした5章を立て、それらしい食物を映像化しているので料理映画といえなくはないが、それよりはこれから長く続いていく人生の一場面を描いた映画という印象が強い。人が飯を食うという行為が人生そのものを象徴し、誰かと生活をともにする、一生添い遂げるといったことの表現にもつながっていたのでまとまりはなくもない。 最後はハッピーエンド風なのでこれで万事うまくいったと取れるのかも知れないが、しかしエンドロールの後の場面が題名そのままなのは「実際はそうはいかない」(公式ページの解説より)という意味であり、19歳女子(中卒)が40男と一生添い遂げるはずがないという常識そのままのことを示唆していると思うしかない。要は母親似の娘が、母親への対抗心で男を奪い取った一場面の話だったとすればかなり皮肉な映画ということになる。 決して中身のない映画とも思わないが、しかし自分として最大の問題点は共感できる要素が全くないことである。もうどうでもいいから勝手にしてくれという気分で、時間的には104分しかないが非常に長く感じた。  以下雑談として、撮影地は新潟県五泉市とのことだったが、アーケード商店街を見る限り、もとの五泉の中心街ではなく2006年に合併した旧村松町の中心街を映していたらしい。ここは村松藩堀家3万石の城下で、相応の由緒ある町ではあるが、映像的にはそれほど行ってみたくなるように見えてはいなかった。ほかに目立つところでは日本海に面した寺泊(旧寺泊町、2006年以降は長岡市の一部)の店が出ていたようである。
[インターネット(邦画)] 4点(2019-05-03 08:21:03)(良:1票)
262.  俺物語!! 《ネタバレ》 
原作・アニメとも見ていない。題名とポスターの顔からして視野狭窄の自己中男による一途というより手前勝手な恋物語といったものかと思って敬遠していたが、実際見るとそうでもない。序盤でいきなり主人公の人物像が強力に印象付けられてしまい、以降は男の立場としても躊躇なく完全に主人公の味方になる。 人格的に自己中の対極なのは非常に共感できるものがあり、また屋上に放置していた握り飯をその後に全部食ったところなどは素直に出来た男だと褒めたくなる(食器をどうしたか不明だが)。こんな奴は実際あまりいないだろうが、男子の理想形の一つとして正直憧れるところはある。その親友も悪い奴ではなかったようだが少し都合のいい人格設定に見えた。  前半はとにかく主人公の顔を見ているだけで大笑い続きで、見当違いのことを言っているのにわけ知り顔の場面などは爆笑した。 事前に映画紹介の文章をまともに読んでいなかったため、この男が愚かにも女子に惚れられたと勘違いして恥ずかしいことをやりまくるのかと思っていたら、実は違っていたというのは非常に意外な展開だった。それ自体は大変いいことだが、しかし最終的に相互片思いの状態が解消されるまでがかなり迷走状態で、なんでそうなるのか???という極端なすれ違いの繰り返しには少し呆れた。原作の最初の方だけで映画1本としてまとめたということだろうが後半どうも間延びした感がある。 終盤の種明かしが慌しいのはいいとして、最後の野外パーティーなどはいかにもマンガっぽいので少し引いたが、そこは少女マンガ原作映画だから仕方ないか。こういう終わり方自体を悪くはいえないのでよかったということにしておく。  ちなみに撮影は仙台市が中心(一部は柴田町)だったようで、あまり仙台ならではの風景というのはなかったが、丘陵地に広がる住宅地というのはそれらしいといえなくもない(丘陵地に囲まれる形で伊達家が城下町を造ったため、近代以降の都市の拡大により隣接の丘陵地が市街化したということ)。背景には太白山も見えていたようである。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-05-03 08:21:01)
263.  脱脱脱脱17 《ネタバレ》 
現在は女子大生監督になっている松本花奈という人が17歳の時に撮った映画とのことである。 ジャンルに「音楽」が入っているのは、映画と音楽のコラボレーションによる映画祭「MOOSIC LAB」に出品されたからで、コラボの相手であるガールズバンド「the peggies」の北澤ゆうほ(ボーカル+ギター)という人が実質主演もやっている。MOOSIC LABでの上映時には78分だったそうだが、アマゾンPrime Videoで見られるのは108分バージョンである。ちなみに「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2016」で受賞もしている。  内容としては17歳の高校生女子と、17年間高校に在籍していた男の2人がそれぞれ「脱」をやりとげる話と思われる。女子高生がストリップ劇場の舞台に立つという刺激的な場面もあるが4回脱ぐわけではない。 2人のうち女子に関しては、話が複雑でどうも簡単にまとめられない。自分が自分でいるためには自分をしっかり持つ必要がある、しかし他人との交流を遮断してしまっては得られないものもあり、それも一方通行ではなく互いに本当の姿を受け入れ合うこと、また心から自分を思ってくれる相手や、心から相手を思うことも大事だ、というような感じのことが連なっている印象がある。それで自分として何か刺さるものがあったかというとないわけだが(主に年代の関係で)、しかし一定の内容をそれなりのインパクトをもってぶつけて来ようとしているとは感じられる。母子関係がどうなったのかよくわからなかったが、要は自立した個人として向き合う準備ができたということか。 一方で男については、見た目からしてこんな奴に肩入れしてやる義理はないと突き放したくなるところだが、しかし自分としても男子であるから、夜の海岸で主人公女子にかけた言葉は素直に心に響いた。否定的に言われる場面もあったが、単なるバカということでもなく基本は誠実な男だったらしい(キスは許せない)。 ほかちょっとした場面だが、夜空に星が2つ飛んで来たところは若干泣かせるものがあった。マリアという人がその後どうしたのか不明瞭なのは残念だ。  なお実質主演の人は、歌は本業なので当然できるとして、外見的にも童顔ながら大人っぽいカワイさがあって目が離せない。チャップリンからのやりとりなどは自然にうまい感じに聞こえる。また教育実習生の人物造形も結構好きだ(かなり可笑しい)。ちなみに監督本人もセーラー服姿で一瞬出ていたようだった。 [追記]見てから少し時間が経つと何だか愛しい映画に思えてきた。年齢的には対象外だろうが。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-04-27 10:23:56)
264.  未来のミライ 《ネタバレ》 
公開時から悪評ばかりで全く見る気がしなかったが、米アカデミー賞ノミネートということで試しに見た。見ればそれほど真に最悪な映画でもなく、主人公の声も変だが慣れた(上白石萌歌さんの今後に期待する)。登場人物がやかましいとか気に障るとか言動が4歳児でないとか顔のデフォルメが極端なのは嫌いだとかいろいろあるが、どんな映画でも(特にアニメは)我慢を強いられる場面というのはあるものだ。主人公の家はそのうち高齢者用にエスカレーターでも設置しなければならなくなるだろうがそれは後の話だ。 物語に関しては、それまで主人公にとって自分が世界の中心だった状態から、周囲の空間的・時間的な広がりの中で自分の位置を捉えるに至った最初の体験という、いわば世界認識の転換(コペルニクス的転回のようなもの)が描かれているのかと思ったが、最後の庭の木の話からすると生命の連鎖のようなものがテーマだったということか。しかしどういう意味にしても、それを誰に見せようとしているのかはわからない。幼児が当事者意識をもってこれを見るはずはないので、要は親も子に育てられる面がある、といったようなことなどを含めて子育て世代そのほか思い当たる人々の共感を得たいという話なのか。何にせよ自分としては対象層から外れているので特に愛着を覚えるようなものではなかった。  なお主人公の行き先で少し注目したのは戦後すぐの横浜市磯子区(※)で、考証的にはどうかわからないがこういう景観だったのだろうなとは思った。世間の評判通り曽祖父は格好よすぎだ(「おら」というのが微妙な方言だ)。ちなみに復員輸送艦になっていた第九号輸送艦と航空母艦鳳翔が映っており、その鳳翔の解体が始まった昭和21年8月末までの間のことだったと思われる。 また未来の東京駅は結構好きだ。外国語表示の言語数が増えている(北東アジアばかりでない)のは好ましいことだが、ただし繁体字が見えなかったのは不穏なものを感じる。遺失物係は劇団イヌカレーかと思った。ケモノ新幹線に関しては、外皮の手触りを確かめてみる場面がなかったのが残念だ(モフモフかゴワゴワか)。 ※東京駅のアナウンスでは「いそいそ区」とか言っていた。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-04-20 14:58:41)(良:1票)
265.  夜明け告げるルーのうた 《ネタバレ》 
似ていると言われているジブリアニメは昔TVで1回見ただけなので内容を忘れているが、全体の印象としては確かに似ている。別に似ているからどうとも思わないが、ほかにトトロ(大)の件などもあり、ここはあえてオリジナリティにこだわってもらいたかったという気は確かにする。 この映画を見て好きだと思うのはやはり映像面での面白さで、色彩感とかユーモラスな生物とか羊羹状の塊とか変なパースの取り方など楽しめるものが多い。キャラクターに関しても、友人男女が気のいい連中で安心できるほか、人魚の屈託なさと顔つきにはかなり和まされた。  物語としては正直に“好き”と言えるかどうかが問題だったようだが、そういうのは主要人物の年齢からすると中学生向けメッセージか。 それより自分としては、最後に様変わりした町の風景で「陽の当たる町になった」ことが表現され、内湾と外洋の区別もなくなって閉塞感が取り払われていたのが印象的だった。人の心が解放されればかえって人口流出が加速するかも知れないが、それは主人公のように自分の意思で帰って来る者がいればいい。また古来伝承されてきた人魚だけでなく、これまでの古い習慣や住民意識や行動様式や生活感覚といった文化的要素も次第に失われていくのだろうが、新しい時代に何を創っていくかが大事ということと思われる。 ただ爺婆は最後にいわゆる“お迎えが来た”ような感じで、確かにある程度の年齢になるともう変化を受け入れられなくなることはあるわけだが(人にもよるだろうが)、まるでこれからの世界にいらない者を厄介払いしたようなのは喜んでいいのかどうか微妙だった。まあ本人らは幸せだったろうからそれでいいということか。もう死なないとすれば極楽浄土に行ったようなものということで。  そのほか個別事項としては、爺さんが気配を感じて動きを止めると世界の時間が止まったかのように見えたのは面白かった。また「活き〆ワークショップ」のエピソードは何ともいえず微妙に可笑しい。この映画の主な対象層は知っているかわからないが、活き締めというのは魚の鮮度を保つために漁師がやることで、その方法の普及のために講習会をやっていたのだろうが、習いに来た漁師は結局覚えられずに終わっていた。ここは吸血鬼が噛んだ相手も吸血鬼同様の不死者になるという意味と思われる。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-04-20 14:58:38)
266.  ギョ<OV> 《ネタバレ》 
伊藤潤二の同名のホラーマンガを原作としたアニメで、腐敗臭のする無数の歩行魚が沖縄に上陸、次いで東京にも襲来して大混乱に陥り、やがて世界全体が滅亡に向かうという話である。怖いというより気色悪さを前面に出しており(反則気味)、全体的にはパニック物という印象がある。 ストーリーはわりと原作に忠実で、主要エピソードは何らかの形で拾っており、原作で脱線に見えたところも入れてある。大きく違うのは登場人物で、原作の中心人物だった男女の役割を交換して女の方を主人公にし、原作に出ない男とともに最後まで生き残る形にしたのはアニメ向きの趣向かも知れない。なお膨れてガスを噴出する女は別のキャラクターを用意してある。またラストは原作と変えてあり、悲壮感と同時に強さも感じさせる終幕になっている。  アニメーションに関しては特に目を見張るようなものはないが、そこら中に漂う臭気を映像化しようとしてゴッホの絵のようになっているのが目につくところはある。 一方でどうも登場人物の設定とか言動とか安易な展開など安手のアニメ臭が鼻につく。特に主人公が公的に禁止されたことをやろうとして制止されると、止めた側を悪人にして駄々をこねて同情を誘うといったことをいつまでやっているつもりかと思う。また“世界全体”ということを表現するために、香港?の街はまだしも凱旋門・タージマハール寺院・赤の広場・エンパイアステートビルを次々見せるというのはわざと昭和ステレオタイプにしたのか何も考えていないだけか。 アニメ独自のテーマとしては、「目で見たものだけが真実」ということかも知れないがあまり納得しない。自分の目で見なければ信じないと言い張るのは、自分周辺の狭い世界でしか生きて来なかったアナログ時代の高齢者かと思ったが、膨大な情報が流通する現代ではかえって原点回帰が必要だと言いたいのか。それにしても事実関係はどうでも信じ込みさえすればそれが真実だというのでは情報源がどうかは関係ないではないか。ほかにも最後に何か微妙に言いたいことがあったようだがはっきり言わないので無視する。 そういうことで気に入らないところもあって特に褒める気にはならないが、原作マンガのアニメ化ということでは悪くない。若干の独創性を評価するかどうかは人による。
[ブルーレイ(邦画)] 5点(2019-04-13 13:32:37)
267.  アイズ(2015) 《ネタバレ》 
鈴木光司の短編集「アイズ」のうち「しるし」を映画化したものである。ちなみに映画化されていないエピソードのうち6つはTVドラマ「鈴木光司・リアルホラー」として、2015年3月にBSフジで放送されている。 原作を読んで比較すると、もとの構成要素を使いながらかなり膨らませて深みも出しており、最終的には原作のイメージとかなり違ったものになっている(貞子も出る)。また同じ短編集の「夜光虫」というエピソードを思わせるところもあった。  内容としては、まずは原題のもとになった「マーキング」が気味悪い。最初のF(とM)は本物だったかも知れないが、あとは何だったのか正直わからない(幻視もあったか)。意味についてさまざまな解釈が出る一方、実際に関係ありそうな出来事も起きていたようだが決定的なものはなく、単に登場人物の心理を反映して後付けしていただけのようでもある。 主人公は母親似とのことなので、劇中の情報サイトの記事に出ていた症状名がオチなのかと思ったが、これで幻覚とか被害妄想まで説明がつくのかわからない。基本的に全てが主人公の目から見た主観的な映像とすれば事実関係が不明瞭なのは仕方ないが、少なくとも同級生の男と精神科医の判断は外部の客観的な視点からのものである。また今回、主人公が記憶の底から引っ張り出した情景もいわば原資料として信用するとすれば(一部に混乱があったが)一応の全体像は見えなくもない。  それにしても困るのが父親で、娘に長々と語っていた内容は、順を追った説明のようでいてどうも納得できないことが多い。例えば株で大当たりした理由を同級生の男は一応推測していたが、父親の話では超自然的なお告げのせいにしていたのと、また胎児が誰の子だったかも結局わからないで終わってしまった。ほか主人公が思い出したところによれば、どうもかなり重大な隠し事をしていたらしいのが信頼感を損ねる。 最後に帰宅した父親を、主人公がどう迎えようとするのか自分としてはわからなかったが、題名にこじつけて考えれば、これまでのように都合のいい妄想を自分の目に映そうとするのか、あるいは真相を自分の目で直視するのかが問われているということか。わかりにくいところは多いが真面目に見なければと思わされる映画で、予算に関わらないところでかなりの力作に思われる。  個別事項としては、死んだ友人宅を訪ねた場面でのいたたまれなさが心に残った。またFAT男の性格の歪み具合がいかにもな感じで、もう一人の男が人格者なのがかえって際立っている。終盤で、弟が姉を呼び続けて姉が泣き続ける場面は何ともいえず圧巻風の印象だった。 なお主演はアイドルとのことだが(伊藤万理華/まりっか、当時は乃木坂46)、この映画で見る限り悪くない(鼻水も垂れていた)。また自分が見たところでは精神科医が無駄にかわいく見えたが、無駄なようでいて無駄でない意味が何か隠されていると考えるべきか。ちなみに演者が秋山依里(もと秋山奈々)という人だということまでは調べた。
[DVD(邦画)] 7点(2019-04-06 09:59:37)(良:1票)
268.  サリュート7 《ネタバレ》 
ソビエト連邦時代の偉業を語る映画である。ただし1985年だともう終わりの始まりくらいにはなっていたのではという気もする(同年にゴルバチョフが書記長に就任している)。 事故で機能を失った宇宙ステーションを2人の宇宙飛行士が献身的な働きで回復させる話だが、それほど人類史的な意義があるわけではなく、関係者には申し訳ないが映画の題材としては地味目というしかない。またアメリカの策謀とか爆発とか天使までこの話に詰め込むのは作り過ぎのようでもあり、サリュート7号の実録映画というよりも、事実に取材してまとめた娯楽映画と受け取っておくのがいいのではという気がする。ちなみに人名も仮名にしてあるらしい。  宇宙空間の映像は、基本的には地球を周回するだけなのであまり変化は出ないが、周回軌道上に昼夜があることは物語的にも生かされている。当然ながら地上が見える場面が多く、冒頭でフィリピンのスールー海上空にいたのはわかったが、それは北がほぼ上だったので気づきやすかっただけかも知れない。その後はフロリダの発射場を除き、都市部の灯りなどは場所がわからなかったが、全部実在のどこかを想定して映像化していたものか。 アメリカ人並みのおふざけなど本当にあったことなのかは知らないが、水玉映像や昆虫との友情など飽きないようには作ってあり、無重力下のアクションも若干ある。また飛行士それぞれに美人の奥さんがいて(若妻は可愛いタイプ)家族愛を見せるとか、男2人が並んで夜景を眺めてしみじみ語るといったドラマっぽい場面もある。スペースシャトルが挨拶(salute)してから翼を翻して去るのはやりすぎだろうが、生真面目なロシア映画「ガガーリン 世界を変えた108分」(2013)に比べれば、かなり娯楽性を意識した映画に見えた。  なお当時を語るものとして、1980年モスクワオリンピックのマスコット「こぐまのミーシャ」が出てきたのは懐かしい。閉会式で泣いていたのは日本人としても記憶に残るが、映画の時点ではもう5年後であり、主人公の娘などこれが何なのかわかっていなかったのではないか。またスペースシャトルの名前は「チャレンジャー」だったが、これは翌年1月に爆発事故を起こして乗員全員が死亡した機体のはずである。劇中では、それまでに死亡したソビエト側の飛行士を悼む場面があったが、このチャレンジャーの悲惨な事故に対し、この映画がどういう立場だったのかはわからなかった。
[DVD(字幕)] 6点(2019-03-30 10:12:38)
269.  アトラクション 制圧 《ネタバレ》 
ロシアに宇宙人が来た、という映画である。 最初に大気圏外から来た宇宙船をロシア軍の戦闘機(Su-27?)がいきなり撃墜し、宇宙船はモスクワ南部の住宅地に墜落したが、そこでいろいろあってからまた飛び立って空に消えていく展開になる。終盤ではパワードスーツのアクションもあって派手な映像はそこそこあるが、それは最初と最後だけで、中間部のほとんどは主人公周辺の人間ドラマになっている。 なお原題のПритяжениеは英語のattractionそのままの意味、あるいはgravityのことらしい。よくわからないが例えば、接触を禁じられていたにもかかわらず、地上にあった何か(永遠の生命よりも大切なもの)に引っぱられて落ちて来たということかも知れない。  ドラマ部分は、主人公が厳格な父親に反発して不良の彼氏と付き合っていたが、そこへ星の王子様が現れて彼女の心を奪っていったという話である。あるいは社会的な見方をすると、権力側にいる父親と、反抗的な彼氏がそれぞれロシア国内の社会階層を代表していて、主人公がそれとは全く違う第三のあり方を見出したというように取れる。 ロシアの立場では、首都上空に侵入する飛行物体は問答無用で撃墜して当然のようで気の荒い国だが、国民の方も、現に政府が救援活動をしているのにやたら食ってかかる連中がいて、さらにそういう不満分子を煽動する者もいたりして革命でも起こすのかという雰囲気があり、これではロシア国家が抑圧体質になるのも仕方ないのではと思わせる。また「祖国」という言葉が出ていたあたりは、立場に関わりなく国粋主義に煽られがちな国民性を示したようでもあり、それがまた排外主義を助長したりもするということか。 「墜落したのがほかの国ならよかったのに」という台詞もあったが、宇宙人を前にしてもこの有様では、いつまで経ってもロシア人など“地球人”にはなれそうもない。しかし今回の件で少なくとも主人公の心は確実に変わったとのことで、そういう微細な変化の蓄積がいずれ社会を変えていくはずだと期待する映画なのかも知れない。悪役の男が最後まで死ななかったのは、こういう連中をただ排除すれば済むのではなく、一緒に生きていこうとするのが現実社会という意味だと解釈した。  ちなみに見ている側としても、どうしても劇中人物が地球人というよりまずはロシア人だと思ってしまうところはあった。例えば、復讐したい気持ちがあっても戦争を起こすのは駄目だ、と登場人物がいえば、粗暴で残虐なロシア軍が攻めて来て何をされても泣き寝入りしろということか、と皮肉を言いたくなる。また「地球はわれわれのものだ」などと言われると、ロシア人は地球を征服する気でもあるのかと疑ってしまう。本当なら恐ろしいことだ(おそロシア)が中国人には負けそうだ。
[インターネット(吹替)] 6点(2019-03-30 09:59:11)(良:2票)
270.  バルト・キングダム 《ネタバレ》 
脚本・監督と場所・主人公など基本的にはラトビアの映画だが、イギリスの資金が入っているからか台詞が全部英語なのは面白くない。 まず邦題はどうでもいいとして、英題のThe Pagan Kingは「異教の王」で、これは当時まだ現在のバルト三国から旧プロイセンにかけての地域がキリスト教化されていなかったことを背景にしている。また原題のNameja gredzensは、日本では「ナメイスの指輪」または「ナメイス・リング」と呼ばれている銀の指輪である。現地の伝統的な装身具で、字幕の説明によれば身につけた人の「誠意と勇気、自由」を示すものとのことである。 映画の主人公は、指輪の名前に入っているナメイス(Namejs、劇中ではナメイ)という13世紀の人物で、年代記などに名前が出ているが伝説的なところもあるらしい。ゼムガレZemgaleの王ということになっているが、そのゼムガレとは現在のラトビア全土を4または5の地方に区分したうちの1つに相当する(ちなみに以前に車で横断したことがあるが降りなかった)。当然それなりの面積と人口があったはずだが、国内向けの映画紹介で「村レベルの小国」と書いてあるのは、制作上の都合でそのようにしか見えなくなっているのをあらかじめ言い訳したと思われる。なおこれ以外にも、国内向けの映画紹介をそのまま信じると馬鹿を見る。  映画の内容は、現地を支配するため侵攻してきたドイツ人の騎士団(十字軍)と、主人公が率いる地元勢力との戦いが主軸になっており、何気なく現在のエストニア(サーレマー島)やリトアニア人(大公トライデニス)も登場している。史実としては、現在のラトビアと隣のエストニアはやがて騎士団に完全に支配されることがわかっているので、この映画も悲劇的な終わり方になると後味が悪いだろうと思っていたら、そこはうまくかわした感じで安心した。 映画紹介に書かれたような戦闘場面もなくはなく、特に最初の集団戦闘は映画「300」(2007米)を1/10くらいに縮小したようで、小さいながら死人の山もできていた。敵の殺し方がけっこう小気味よく、キリスト教自体は否定しないにせよ、当時の十字軍に対する強烈な反感は映像に出ていたように思われる。ほか恐らく現地での撮影だろうが風景が美しいところが多かった。 問題点を書くと、まず外国人にとってはとにかくわかりにくい映画で、とりあえず何を期待してどこまで我慢すればいいのかわからないのもつらいものがある。また最大の難点はスケールが著しく小さく見えることで、主人公の側がそれこそ村レベルな一方、敵の十字軍も船一艘に乗れる程度の兵員しか見えず、この辺は批判的な観客に叩かれる最大の要因になると思われる。ちなみにこれでもラトビア史上2番目に金のかかった映画らしい。  物語としては、戦記物というより前記「ナメイスの指輪」が一般に普及した由来を語る昔話のようなものかと思われる(信憑性は度外視として)。さらにいえば、これをもとにして現代のラトビア人にメッセージを伝えることが主目的にも見える。 劇中では当初、この指輪は権力の象徴として「王」が持つものとされていたが、戦いに際して主人公がこの指輪を全員に配ったことで、君主の権力を皆に分け与えた形になっていた。これにより国は民の力で運営するものだという、いわば現代の国民主権に通じる考え方が表現されており、同じ監督(アイガルス・グラウバ Aigars Grauba)の「バトル・オブ・リガ」(2007)にも通じるものがある。 この監督のラトビア・ナショナリズム映画第二弾といった印象だが、ナショナリズムといっても別に偏狭な思想で凝り固まっているわけでもない。戦いを前にした衆議では、殺されたくなければ戦うしかない、という主張のほかに、貢税を納めれば殺されずに済むだろうとか、子どもらを守って生き延びるのが第一だといったことを、空虚な観念論ではなく当事者の現実的な判断として主張する人々もいて、これが国民主権のあるべき姿を示していたようである。ちなみに男女共同参画っぽいところも出ていた。 そのほか物語中で、主人公に従うべき族長連中が、侵略者の危険性を認識していながら「誰かに戦いを任せて交易を続けたいだけだ」というのは現代にそのまま通じる話のようで、これはかなり手厳しい皮肉に聞こえた。  以上、映画としては絶賛するようなものでもないが、見るべきものもあって結果的には悪くなかった。ただしよほど関心がある人にしか勧められない。
[インターネット(字幕)] 6点(2019-03-23 10:27:25)
271.  バトル・キングダム 宿命の戦士たち 《ネタバレ》 
邦題は完全無視するとして、原題のЯрослав. Тысячу лет назадは「ヤロスラフ。千年前」の意味である。現在のロシア国家(及びウクライナ)の起源とされるキエフ大公国の時代、後に大公になったヤロスラフ(賢公)という人物がまだ最前線の地方に派遣されていた頃のエピソードで、大スペクタクルも何もなく、いわば下積み時代の苦労話のようなものに見える。 物語は、主人公のほか「ヴァリャーグ傭兵隊」「熊族」「盗賊」を加えた計4つの勢力が対立・連携しながら事態を動かしていく形で、基本的には先が見えないまま、裏切者は誰か、黒幕は誰なのかといったことを想像しながら見るミステリー調の展開になっている。一応の恋愛要素も入っており(2組)、スケールが小さいのでTVドラマレベルのようでもある。  主人公の本拠地だったロストフは、DVDの解説では「盗賊がはびこり 無法地帯と化した」とされているが、これはそもそもが無法地帯だったので盗賊がはびこっていた、という順序で考えるのが妥当と思われる。隅々まで社会秩序が行き渡っている現代日本では常識外れかも知れないが、この映画を見る上では、社会秩序は初めからあるものではなく、なかったところに作るものだと思っておく必要がある。 劇中のロストフ周辺では村スケールを越えた社会秩序が存在しておらず、略奪や誘拐・人身売買が横行している状態だった。そこをより広域的な大公国の版図に組み入れることで社会秩序を確立し、住民の基礎的な安全安心を確保しようとしたのが主人公ということになる。当時の現実がどうだったかは知らないが、少なくとも劇中の主人公はそのような感じのことを口にしていた。 これはDVDの解説にある単純な「正義感」の問題でもなく、国がその領土を治めることの基本的な意義を語っていたように思われる。主人公がこの時代からそのような役目を自任していたことが、後にキエフ大公として法典「ルースカヤ・プラウダ」を編纂することにつながった、というのがこの映画の考え方だと想像される。  主人公は、DVDの宣伝文で「英雄」と書いてある割に情けない君主で、熊族の村に捕われて公衆の面前で侮辱されて笑われたりもしていたが、これは最初に武力行使から入るのでなく、まず対話を求める姿勢を断固として取り続けたという意味らしい。終盤では一応の盛り上がりとして、絶対に妥協できない相手との戦闘場面もあり、英雄とまでいうかは別として勇敢な武人であることも表現されている。 ラストでは、この時代に築いた砦が後に主人公の名を取ったヤロスラヴリという都市に発展したことが語られていた。この都市とロストフは、いずれも現在はロシアの古都として扱われており、現在のロシアの中核部に当たる場所で昔こんな苦労話があったのだと、見たロシア人がしみじみ思う終幕だったと思われる…日本人なのでよくわからないが悪くないとは思った。  ちなみに「熊族」という言葉が最初に出てから、それは一体何なのか???ということがずっと気になっていた。ロシア語の聞き取りはできないのでテロップで見た限り、「族」もなく単に「熊」(複数)と書かれていたようだが、熊のような毛深い連中といった蔑称でもなく自称であるから、要は熊の神(ヴェレス)を信奉する部族ということだったのか。ロシア語の台詞を普通に話していたのでロストフの民と同様のスラブ人で、まだロストフ公の支配に属していないだけだったらしく、こういうのも当時の現地事情の表現につながっている。ちなみに前記ヤロスラヴリの市章には熊が描かれているとのことである。 もう一つ、長くなったついでに日本語字幕に対する苦情を書くと、まずロシアの「公」を「王子」と誤訳するのは他の映画でも見たことがあるが(英語からの重訳?)、別の台詞で「ロストフ公」と書いてなお「王子」とするのはどういう方針なのか、さらに「王子」の子をまた「王子」と書いてはさすがに変だと思わないかと言いたい。またテロップの訳で、лагерь разбойниковを「ロストフの野営地」とし、лагерь ростовцевを「盗賊の野営地」としているのは訳文を取り違えたのではないかと思うが、原語を知らなくても変に思うような低レベルの間違いはさすがに恥ずかしいというしかない。
[DVD(字幕)] 6点(2019-03-23 10:27:22)
272.  VIKING バイキング 誇り高き戦士たち 《ネタバレ》 
邦題が信用できないのは当然として、原題(Viking)までが諸国民の誤解を招きそうな名前になっている。 実際の内容は、現在のロシア国家(及びウクライナ)の起源とされるキエフ大公国(「ルーシ」)のウラジーミル1世の伝記のようなもので、予告編に出るような戦闘場面もあるが基本的には歴史物である。「2016年ロシア映画興行収入第1位」とのことで、実際かなりの力作に見える。 題名のバイキングは、そもそも上記「ルーシ」を建国したのが北欧のバイキング(スラブ人のいうヴァリャーグ)だったこと、及び主人公が最初の戦いに先立って北欧に赴き、新たにバイキングを戦力に加えたことに由来すると思われる。映像で目に見えるところでは、長距離の移動には川で船を使っていたのが明らかにバイキング風である。また序盤でロシア語の字幕が出ていたのは、主人公の軍勢に加わったばかりのバイキングがゲルマン系の言語を話していた場面と思われる。ちなみにベルセルクというのがただの狂人ではないことを見せている場面もあった。  粗筋を全部書いてしまうと、まずキエフ大公だった長兄ヤロポルクが不仲の次兄オレーグを殺し、次に弟のウラジーミル(主人公)がバイキングの軍勢を率いてキエフに侵攻、ヤロポルクを殺してキエフ大公の地位を継承した(980年とされる)。その後は遊牧民のペチェネグ人の攻撃を防ぐため東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と提携し、そのビザンツからの要請に従って現在のクリミアにあった港湾都市ケルソン(もとは古代ギリシャの植民都市ケルソネソス)を攻略した。首尾よく降伏させてからは、それまでの悪行を悔いてキリスト教(正教)に帰依し(988年)、キエフにもキリスト教を広めたという話である。大まかに史実に沿った形と思われる。 その間、兄殺しのほかにも、ポロツク公国の公女を無理やり嫁にした件など結構非道なことをやっており、見る側として素直に共感できる主人公でもない。しかしそういう悪行があってこそ最後の改宗につながったという筋立てができており、主人公が次第にキリスト教を必要としていく過程も表現されている。宗教がストーリーの根幹になっているのは宗教嫌いの日本人なら気に入らないかも知れないが、このウラジーミルの時代に正教を受容したことが後にロシアの国家アイデンティティの重要な部分につながるので、ロシア側としてこの点は外せないと思われる。  そのほか視覚的にはあか抜けた印象で美しく動的な映像を見せている。町の作りなどはこれが正しいのか不明だが(あまりに粗末)、ポロツクやキエフの木造の城郭はそれらしく見えており、またケルソンがものすごい大都会という雰囲気も出していた。景観面でも主人公の立場の変化に応じて、ポロツクの森と雪、キエフの温暖な草原、黒海に面したケルソンの陽光といった差を見せていた。 登場人物としては主人公の妻(若手)と兄の妻(年増)が注目される。主人公の妻はツンデレで可愛いタイプだったが、途中で退場させられてしまったのは可哀想だった。
[インターネット(字幕)] 7点(2019-03-16 09:59:27)
273.  草原の実験 《ネタバレ》 
中央アジアに実験場があったことは前から知っていたので、ロシア映画でこの題名なら「衝撃のラスト」がどういうものか想像がつくところはある。そういう先入観をもって社会派映画的に見ていたために、終わってみれば日本のアニメ「ピカドン」(1979)が10分程度でやっていることに1時間半もかけたという印象だった。そもそも「衝撃のラスト」自体があまりにもベタでそのまんまの出来事で、これはこういう映像を作ってみたかっただけではないのかという気もした。 またこの「実験」を社会問題として扱う場合、人が直接巻き込まれる危険性よりむしろ、日本でいえば「黒い雨」のような周辺地域への悪影響が長年にわたって生じたことが問題視されるのではと思われる(※図書紹介「核実験地に住む カザフスタン・セミパラチンスクの現在」)。しかしこの映画はそういうところにつながりそうな気配もなく、単に少女の恋物語を破滅的な幕引きにするためのイベントとして使っただけにも見える。この題材で日本人なら予想する類の社会批判を、ここから普通に読み取っていいのかどうか個人的には迷う状態だった。 ただし主演女優が日本の観客に向けたメッセージというのを聞くと、“現在の状態がいつまでも続いていく保証はないので、どうか今この時を大切にしてください”(大意)といった穏当な内容で、そういうことでいいのなら、個人的にはそれをそのままこの映画の解釈として採用してしまっていい気がした。やはり先入観を排して見ることが望まれる映画らしい。  ところで主人公は確かに鄙には稀な美少女だが(女優はモスクワ出身とのことで大都会の人だが)、自分としてはそんなところに目を奪われてしまうのは不謹慎だと思って自制しながら見ていた(社会派映画だと思ったので)。また全体的に映像が美的で、グラスに浮いた何かの実を口で吹いているなど細々とした描写も嫌いではない。台詞がないのは不自然なところもあったが、かえって何が起きているかを映像から読み取らなければならないので目が離せなくなる。結果としてよくわからない点もあったが、何度か見るとわかることも増えて来るタイプの物語かとは思った。 そのほかたまたま思いついたことを書くと、青春物語の三角関係で幼馴染が必ず泣く運命にあるのは日本だけのことではないらしい。恐らく無難・安定・停滞といった性質を幼馴染が負わされるからという構造的な問題だろうが。
[DVD(字幕)] 6点(2019-02-16 08:29:43)
274.  ヤクザガール 二代目は10歳 《ネタバレ》 
日本のヤクザが出るロシア映画である。原題の ”Дочь якудзы” は単に「ヤクザの娘」だが、日本向けにはかなりインパクトのある邦題がついており、これは見ずにはいられないという気にさせられる。 内容としては、ヤクザの組長の孫娘(娘ではない)がなぜかロシア(ウクライナ?)で対立組織に追われて逃避行し、そこに懸賞金目当ての現地勢力も加わってドタバタコメディをやらかす話である。それほど大爆笑でもないが結構感動的なところもあり、特に劇中出ていたロシアの諺?は心に訴えるものがある。またこの映画が好きだと思わせるのは何といっても孫娘の存在で、素直で心優しい少女でありながら横柄なクソガキなどは相手にせず、また金はなくてもシノギの心得はあるというあたりはすでに一人で生きていく素養を備えている(なぜかロシア語もうまい)が、何かと見せる人懐こい笑顔は愛らしい。  ところで劇中の日本文化の取扱いに関して、監督は一応日本に理解のある人物らしいが、ヤクザ文化とサムライ文化は基本的に別系統のものではないかとか、サムライが空中浮遊できるなら忍者の存在意義がなくなるだろうと言いたくなるところはある(ちなみに某新興宗教の影響でロシアにも空中浮遊できる人物は多いはずだ)。物語のキーワードは「義理」だったが、この言葉は現代日本では理不尽に課せられるものというイメージが強いので、ここは厳密にいえば「恩義」だろうと思われる。 一つ感心したのは登場人物の「先生」が汚職官僚に切腹を迫ったという話で、これはロシアというより当の日本でも、不始末があれば腹を切る(物理的に腹を切るかまたは他の方法により自決する)覚悟のない者が公職に就くなどあってはならない、くらいのことは言ってやっていい。なおその「先生」は千島列島を返すようロシア政府を説得したとのことで、これは日本側からすれば良心的ロシア人ということになるだろうが、そういうのは精神異常者というのが向こうの公式見解かも知れない。  ほかキャストについて、孫娘役の荒川ちかという人は、以前にホラーマンガ原作映画「富江」シリーズの「富江VS富江」(2007)で“ちび富江”をやっていたのを見たことがあるが、この映画では少し年齢が上がって、撮影時点では邦題のとおり満10歳だったらしい。今はもう大学生になっているようで、これからどういう道に進むのかわからないがとりあえず頑張ってもらいたい。 [追記]この映画に日本側から出演した俳優が2019/2/1に逮捕されたが、この映画自体はいまさら封印されるとかいうほどのものでもないだろうとは思う。舞台挨拶(2011/10/22)の様子など見ていると人物像が窺われるところがある。
[DVD(字幕)] 7点(2019-02-16 08:29:41)
275.  ヴァンパイア ナイト 《ネタバレ》 
キングレコードの製作である。こういう映画も恐らくそれなりに経営上の合理的判断に基づいて作られているのだと思われる。 まず、一応の映像作品として見せようとしている部分もあるようだが特に語りたくなるものはなく、それより冒頭いきなりキモ男から始まるのでは見るなと言っているのに等しい。またストーリー的には、人が鶏を食うなら吸血鬼が人を犠牲にして何が悪い、といったトーキョーグール風アピールも見えていたが半端に終わり、その後は必然性不明の子連れ狼とか入れ込んだりするので統一感もない。加えて明らかにおちゃらけた部分が多く、話の意味を真面目に読み取ってやろうという気分に全くさせないところがある。 あるいは話の意味など考える必要もなく、観客はただ映像を消費することだけが求められるというなら話がわかるが、それにしてもとにかくかったるい展開で、何だかわからない前振りを延々と見せられてストレスがたまった状態で半分くらい過ぎてしまい、後半に入ると動きが出るがスピード感もなくスリリングなところも爽快感も何もないまま終わってしまう。エンディング後の場面は続編でも作るつもりだったのか。 ちなみに全体的に撃つ/射る動作を始めてから何もできずに過ぎる時間が長いのが苛立たしい。  以上により要は、この人が出ているからおれは見るのだ、という確固たる意志がなければ耐えられない映画になっている。上野優華さんは最近悪役が多い気がするが、こういう役をやっていると本当に可愛い人だ。また自分としてはこれまで柳ゆり菜という人の印象があまりなかったが、この映画で改めてどういう感じの人だったか(主に顔と体型)を確認できた気がした。この2人に関して、個人的には特に湯上りの浴衣姿が好きだ(入浴場面はない)。 そういった類の理由で、例えば2点/10点くらいの評価をする観客が一定数いるだけで製作目的が達せられる映画なのかと思ったりした。それにしても協力したアーチェリーの競技団体や神奈川県の旅館にとっては不名誉な結果になったのではと心配になる。
[インターネット(邦画)] 2点(2019-02-08 23:21:49)
276.  誘拐少女<OV> 《ネタバレ》 
まず、見るからに低予算な上に娯楽性が全くなく、またDV男(妹尾青洸という役者)の顔を見たくないにもかかわらず最後まで出て来るのが不快なので、そういうのに耐えられない人は見ない方がいい。  内容としては極めて真面目な物語で、「大誘拐」のような痛快要素も全くない。要は父親のDVのせいで離婚した母親の娘2人(中高生)が、現状を打破するためにとんでもない行動を起こしたが、結果的には何とかなったという話である。 そもそもの動機は妹の復讐だったようだが、これはこの面で一歩先んじていた姉が収めたらしい。また学費は母親も納得の上で父親に出させることにしたと想像される。妹が自分は父親似ではないかと気にしていたらしいのは気の毒だが、しかしそこは姉が言ったように、自分で何とかしていくしかないという現実的な対処が見通されていたようである。少し困ったのはラストの一瞬で、姉妹の前面(カメラ位置)に誰かがいたかのような表情に見えたのが意味不明だったが、しかし適宜に解釈すれば、朝に意を決して出て行った姉妹が夜になって凱旋し、その時点ではもう父親からも母親からも距離をおいた一人の人間としての顔を見せていたと思えばいいか。 一方で、当のDV男も本来悪い人でないことが一応アピールされてはいたようだが、しかし本性の善悪がどうあれ威圧的・暴力的な言動が許されないのは当然のことである。こういう人間は一生治らないだろうから最後は孤独に寂しく死んでいくのが正しい結末だろうが、その前に学費を出させる必要があるので今すぐ死んでもらっても困るわけである。  ところで姉妹2人とその幼少時の2人がスターダストプロモーションの所属で、製作がSDPなので自社タレントのPR映画と思うが、その割に主演2人を可愛く見せることが優先されていないのはドラマ重視ということらしい。姉役の高橋春織という人は困ったような情けない表情が多く、美少女ともいいにくいが愛嬌があるとはいえる。また妹役の浅見姫香という人はとにかくきつい顔で、可愛いともいいにくいが美少女といえなくもない。とりあえずこの2人は印象に残ったので若手女優紹介の役目は果たしていたかも知れない。 ちなみにこの後に同じ監督の「恐喝少女」(2015)、「強盗少女」(2015)というのが制作されていて、「少女犯罪シリーズ」といわれているようだが特に見る予定はない(今回のがあまりに地味)。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-02-08 23:21:46)
277.  わたしに××しなさい! 《ネタバレ》 
少女マンガ原作映画で、基本的にはラブコメらしい。 まずは題名に目を引かれるが、英題のMISSIONS OF LOVEというのが内容の端的な表現になっている。簡易なものから1、2と順に任務が課せられるが、3がこれだと最後はどこまで行くのかと思っていたら完遂しないまま放置され、その後は終盤で出た99が究極のミッションかと思えばそうでもなく、最後にまた3が復活していたのはお約束だろうが一件落着の印象を強めている。その後さらに99から桁がランクアップして一段上のステージに上ったようで、原作がどうだったのかわからないが(かなり省略があるようだが)これはこれでまとまった構成になっている。  物語としては、まず前半はテンポよくユーモラスに展開する。女子中高生向けに刺激的な要素を小出しにしてはぐらかして焦らして面白がる感じのようで、ポスタービジュアルもそういう趣向の一環と思われる。マンガっぽい映像表現も違和感がなく、主人公の部屋で机上に出現する少女(小説の主人公らしい)も楽しい。 後半になると男の暗い過去が明らかにされたりしてまたこういうやつかと思わされるが、終盤を珍しい感じのイベントで盛り上げて、ここで主人公の正体を皆に見せつける展開になるのが気分を高揚させる。続くラストのハッピーエンド感にもかなり嬉しくさせられてしまい、年齢性別としては明らかに対象外ながら、意外にも見てよかったと思わされる映画になっていた。 ちなみにweb小説原作の映画など素人レビュアーにクソミソに書かれそうだが、主人公にはくじけないで頑張ってもらいたい。  ところで主演女優はこれまであまり何度も見たことはなかったが、今回は洋風の顔立ちを生かした人間離れした美少女で、その上に冷徹な策士と恋に揺れる乙女とコメディエンヌの諸相を見せつけるので、結果的に玉城ティナという名前がかなり強烈に印象づけられた気がする。主人公はいつもこんな格好で外出しているのかという服装ばかりだったが、着ている本人の体型も含めて見栄えのする人物になっていた。 また「可憐なライバル」役の山田杏奈さんは、もっと内に秘めた黒いものがしみ出してくる感じかと予想したがそうでもなく、結局は素直で純粋な人物だったらしいと思わされたので大変結構である。「バッカみたい」のあたりは可愛らしい。 ちなみに高田里穂さん(編集者・川渕エリカ役)も長身で美形の人なのでもっと目立ってもらいたい。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-02-02 09:37:44)(良:1票)
278.  貞子vs伽椰子 《ネタバレ》 
題名からすると真面目な映画にはとても思えないが、既成キャラクターをネタにした悪ふざけに終わるわけでもなく、それなりにまともな邦画ホラーになっている。ストーリー自体が旧2作のハイブリッドだが、この2系列を最終的に統合するため白石監督オリジナルの「カルト」(2013)の要素を加えており、全体としては既存のホラー映画3つを組み合わせた形に見える。今回登場のハイパー霊能者は「カルト」の登場人物そのままでもよかったのではと思うが、そうすると真面目なホラーに見えないのでまずかったのかも知れない。 最後のぶった切り方は唐突かも知れないが、「カルト」からの連想でいえばこれも予想の範囲内とはいえる(どうせこんな感じだろうとは思った)。それにしてもこういう終わり方とすれば本体部分がよほど面白くないと困るわけだが、その本体部分が他からの借り物で独自性が感じられないことが自分としては不満足につながった。ちなみに問題のビデオがあまり凝った作りでなかったのは残念である。  ところで、この映画で両者の混合物ができてしまったのは個人的に喜ぶような話ではないが、VHSの衰退によって消滅の危機にさらされていた貞子が勢いを盛り返すためには、やはり今回のようなデジタルメディア化が必要だろうとはいえる。 ただ、これは伽椰子に関しても同じだが、これまでは呪われる条件を極めて限定的にしていたことで、その条件に合致してしまえば絶対逃げられない、という過酷さが成り立ち得ていた面がある。この映画のように野放図に動画が流れてしまうと人類が滅ぶとは言わないまでも、世間の反響が大きすぎてかえって拡散が妨げられる事態に至るのではないか。細く長く続けることが大事だろうと思うが、別に続編など期待しているわけではない。  [2019/2/2追記] 伽椰子編の主人公役は玉城ティナという人だが、どうもあまり可愛く見えるところがない。少なくとも「呪怨」シリーズは出演女優を魅力的に見せるというのが特徴の一つだったはずだが、この映画がその伝統を受け継いでいるように見えないのも不満足感につながっている。貞子編の方も、主演の山本美月という人はともかく佐津川愛美さんなどひどい顔ばかりである(本人がこれでよければ構わないが)。
[DVD(邦画)] 4点(2019-02-02 09:29:47)
279.  青夏 きみに恋した30日 《ネタバレ》 
少女マンガ原作映画だが、このポスターデザインでは写る方も見る方も恥ずかしくなる。 夏休みの話なので青空と雲・緑の山・渓流・海・ヒマワリといったそれらしい映像が満載で、主な撮影場所は山村とリアス式海岸が近接する三重県度会郡から志摩にかけてだったらしい。「ハートの入江」(度会郡南伊勢町)に近い山頂で主人公を捉えたカメラが引いて、後に隠れていた友人や周辺の山河が視野に入って来るところは映像的な見所だったかも知れない。  物語としては、序盤からいきなり感情問題で角を立てるので気分が引いてしまう。田舎の純朴な少年にしてもまるで本物のガキのようなのは呆れたが、よくある完全無欠のイケメンよりはリアリティがあるといえなくもない。少し感心したのは期間限定なのでキスしないという真面目な態度で、これはこの男の純朴さがいい方向に出たということか。2週間程度のラブラブ期間中もそれほどベタつかず、ラストで決着がついて初めてキスを一回だけというのがいわゆる爽やかな青春ラブストーリーの雰囲気を出している。 また最初に「運命」という言葉が出ていながら自分で未来を作る方に重点があり、特に主人公が自分だけでなく、相手の男まで引っ張って2人の未来を作ってしまう展開はなかなかいい。こうなるともう運命という言葉自体が意味を失う気もするが、そもそも若い連中にとっての運命など不確定な未来に対する不安の表れでしかないところを、この物語では未来への意思を固める補強材として使ったということかも知れない。 若手女優に引かれてまたしょうもない少女マンガを見てしまったかと思っていたら、けっこう正統派の青春物語だったようで悪くなかった。  キャストについては、葵わかなさんはさすがに少し大人っぽいが16歳の印象も出しており、制服姿は可愛らしいがすっきり整った顔の美しさが見えるところもある。またライバル役の古畑星夏さんは、最近見たのは制服女子高生ばかりだったが今回は本来の年齢に近い役で、くっきりめのメイクが大人っぽく、夏ということもあって露出の多い服装だった(胸とか脚とか)のが刺激的で新鮮に見えた。ちなみに古畑星夏さんのお母さんがこの映画を見て、あんたいつも可哀想ね、と語っていたというネット上の記事には笑った。
[インターネット(邦画)] 6点(2019-02-02 09:29:44)
280.  TOKYO CITY GIRL-2016- 《ネタバレ》 
若い女性を主人公にして4人の監督が撮ったオムニバスである。前作「TOKYO CITY GIRL」(2015)は6話だったが、今回は話数が減って平均時間も長くなっている。  【LOCAL→TOKYO】 よくわからないが勝手に解釈すると、田舎には何もないと思って東京に出てもやはり何もないわけだが、田舎でもいいこと、やれることがたくさんあるとわかってから東京に出ればもっといいこと、もっとやれることがあるという意味か。 それにしても武田玲奈さんはいつでもどこでも可愛い人だ。友人(ともこ)役は見たことがあると思ったら芋生悠という人だったらしい。 【あなたの記憶(こえ)を、私はまだ知らない。】 心の欠落部分を埋めるために2人が過去の記憶を共有し、それが結果的に2人の心を結びつけたと思えばいいか。最後は特に言ってなかったが、主人公はあの店の常連になっていたと思われる。 主演は高見こころという人で、少し前に見た「ねこにみかん」(2013)から一転して地味系女子になっている。一方でケバめの後輩を演じていたのは意外にも入来茉里さんだったようで、役柄としては間違ったことを考えていても正しいアドバイスをする聡明な(適当な?)人物だった。 【幸せのつじつま】 かなり笑わされた(泣かされた)。当然ながらちゃんと辻褄を合わせるお話である。相手の男も真直ぐな感じでいい奴だ。 主演の飯田祐真という人はそれほど何度も見たことはないが、かなりの個性派女優かと思っていたら、今回は極端に可愛い方に振れている(それを期待して見たわけだが)。ちなみに他のエピソードでも特別出演として顔出ししているらしい。 【ひらり、いま。】 父親がイタい人物(相当上の世代に見える)かつ気色悪いオヤジなのでかなり引くが、娘と仲が悪いわけでもなかったらしい。引越先まで送って来た身内が去るときの心細い思いは遠い昔に経験している。 主演の増田有華という人はAKB48所属だったとのことで有名人らしい。この映画では少し素朴な可愛らしさを出している。  とにかく若い女性を元気にしようとする企画のようで、前作に比べてもハッピーエンドの印象が強くなっている。寓話的でリアリティに欠ける面もあるが問題にはならない。また男にとっては出演女優を見て和まされるという意義もある。物語的にも厳密な対象限定ではなく人間一般が共感できる内容で、東京のシティガールの話だからと田舎者が敬遠しなくていい映画だった。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-01-27 08:28:09)
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