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まぶぜたろうさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 178
性別 男性
ホームページ http://ameblo.jp/mabuse-tarou/
自己紹介 人にはそれぞれ言い分があるのです 。

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21.  クライモリ(2003)
ありきたりな物語という枠組みをあえて設け、いかに見せていくかに焦点を絞った傑作。その意気、志しや良し。■特にロングショットの使い方が上手く、例えば、一人車に残された女性を捉えるローアングルからのロングショットや、モンスターのいる小屋から脱出した後、主役の見た目による俯瞰ショットなど、アクションではなくホラーを撮るという気迫に満ちている。夜のシーンでブルーライティングなどにより満遍なく光を当てるのではない、まさに「クライ」照明もよい。■できればアクションシーンなどないまま、陰気で絶望的な脱出行に終始してほしかったのだけど、ま、しかたがないだろう。大木の上でのアクションというのも気が利いているし、爽快感のかけらもない陰惨なアクションに徹しているのも好感が持てる。いや、ほんとにがんばってるのだ。■うむうむやってるぜ、という感じ、これっすよ観たかったのは、というワクワク感。映画館で見逃したことを心底、後悔した一作でした。
[DVD(字幕)] 10点(2005-07-17 02:18:16)
22.  宇宙戦争(2005) 《ネタバレ》 
駄目男だけど、そんなにすごく駄目でもないパパ、であるとか、離婚の顛末だとかなんとか、息子とパパの関係であるとかを何気に描写し、さらに戸口でのトム・クルーズと元妻との切り返しに感動し、スピルバーグが「離婚」をこんなにちゃんと描いたのは初めてだったんじゃないかなと思い、しかも続く物語は「続・激突カージャック」の裏返し。■ところがトム・クルーズとダコタ・ファニングは次から次へと酷い目にあわされ苛められ、結果、特に駄目親父が復権したわけでもなく、なんとなく宇宙人が死んだように、なんとなく映画は終わるのだ。そのくせティム・ロビンズの地下室のシーンはやけに長く、おいおい商品ならこのシーン切るでしょ。つまりスピルバーグの妙な資質。■一方で、スピルバーグの技は冴えにさえ、クルーズ親子に視点を固定した演出、ロングショットのこれぞ!ってな挿入(街の上に立つ三本足ポッドのロングショット!!)、絶対に美しい画面にはせぬ、という心意気、スピルバーグ印の横移動、さらに斜面での戦争はアルドリッチの「攻撃」やらヒューストンの「勇者の赤いバッジ」を思わせる、なんとも真っ当な戦争映画ぶり。つまり上手い、上手いと連発したくなるスピルバーグの確かな演出技量。■さらに、地下に100万年眠っていたとは思えぬリアルなポッドの造形、SONYとNASAが共同開発したみたいなライト付きカメラ触手、全然怖くない宇宙人。つまりスピルバーグの幼児的な欲望。■これらのスピルバーグ印が渾然一体となり、全然怖くないホラー、妙に怖い戦争映画、楽しい楽しいSF、全然感動しない人間ドラマができあがりました。やっぱスピルバーグは面白いわ、と実感した一作。がんばれスピルバーグ、あと10年もしたら、イーストウッドになれるかもしれん。それとも自主映画を撮ってくんないか。
[映画館(字幕)] 10点(2005-07-02 00:57:30)(良:4票)
23.  グラスハウス
義父が悪い人なのかそうでないのか?それとも懐かしのブルース・ダーンは悪いのか?とかラスト近くの自動車の鍵(だったと思う)を巡る攻防とか、押さえるところはちゃんと押さえていると思う。しかもCGばりばり、カットわれわれの今のハリウッドで、見つかるか見つからないか、なんて地味なサスペンスを展開しているあたり、私にはえらく好感の持てる一作であった。■要するに「青髭」や「断崖」の少女虐待バージョンなわけだが、このサイトでのどえらい低い点数、リーリーを観るだけの映画といった評を読んでると、この手のサスペンス映画は西部劇やミュージカル映画同様に、やがて死滅するね、と思う。アクション映画やスペクタクルフルなホラーやサイコパスものにとってかわられんだろうな、と。■サスペンス映画ってこんなもんすよ、というわけで義憤を感じて10点。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-20 21:01:44)
24.  ミリオンダラー・ベイビー
■「モ・クシュラ」という謎の言葉、レモンパイを出す店、スクラップ、それらの配置はいかにもハリウッドの文脈にのっていて、そこからはずれることはない。この映画のラストを、ハリウッド映画一流のさげ、と評してもおかしい話ではないし、「ウェルメイド」な物語が現実と程良く折り合っている、と批判したって構わないとさえ思える。演出は完璧だし、フォード的、ホークス的な疑似家族は私たちを心地よく映画の世界に引き込んでくれる。■しかし、そう言いきれない居心地の悪さ。妙なズレ。■それは例えばマギーの口にねじ込まれるボールペンであり、片足の無いシーツのふくらみであり、がらんとした部屋で詰られるマギーの姿である。それは「残酷な現実をクールに描く」というものでもない。また「多様な現実を並列に配置している」わけでもない。■「現実」ではなく「映画」が要請しているから描いただけ、イーストウッドにとって「現実」とは「映画」なのだ、と思う。「映画」が世界の有り様をねじ曲げていくのだ。現実ではなく「映画の倫理」の中でしか、イーストウッドは生きていない。■だから、「マギーの選択の是非」「イーストウッドの決断の是非」を問う言葉、あるいは、「感動した」「マギーの家族がステレオタイプ」「後味が悪い」などの評に、賛否を問わずことごとく違和感を感じるのは、それらの言葉が常に現実を参照しているからだ。現実との距離を計測し、自分と映画の立つ位置を定める言葉。それらはこの異様なる傑作を前にして、すべて無効となる。■しかし、それらの言葉は当然と言えば当然ではある。映画は常に現実の模倣であり、あるいは現実との不断の闘争の場である。ところがイーストウッドはそれをすんなり乗り越える。軽いフットワークで現実を凌駕する。「映画」が世界の有り様をねじ曲げていくのだ。しかもハリウッドの文脈の中で。凄すぎ。■でもね、クリント、そんなのよくわかんないすよ。だから私はただ途方にくれ、ただ泣くしかない。その完璧なスタイルの中で繰り広げられる異様な事態を見続け、これが「映画」だと、ああ私は今まさに「映画」を観ている、凄い何か、異様な何かが目の前で進行している、と思う以外にない。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-06 11:37:16)(良:4票)
25.  クローサー(2004) 《ネタバレ》 
人はそう論理的に生きているわけではない。特別のきっかけがなくても考えを真逆に変えてみたり、誰かの言動にふらふら左右され行動したり、まいっか、とか、何となく、ってのが人間の多くなのであって、だから、好きな女性が誰かとやった、なんてことは別に何の証拠もなく頭に浮かぶのだし、悪いと思ってても何となくやっちゃうわけだし、で、嫌々やっちゃったら好きになったりもするわけだ。やるやらないの話ばかりで恐縮だが、そういう映画だから仕方がない。■ところが、そんな人間の曖昧さを映画に描くのはとっても難しく、観客にふむふむと言わせるのは至難の業で、だからこそ映画は様々な手練手管を使ってきた。例えばこの作品でも、そんな曖昧さの意識的な演出や、「え、この二人結婚したの?」という疑問を抱かせないまま進行する時制のすっ飛び、禁煙したのかどうかとかナタリー・ポートマンの本名とか出自とかやけに小粋な台詞とか、いろんなことで人間のもつ曖昧さ、あるいは恋愛の不安定さを、なんとか映画にしようとしている。■しかし悪く言えば、人間に小器用に対している、映画が人間に程良く折り合おうとしている。それじゃ駄目っす。小手先じゃん、もっと正面からぶつかってけよ、と思うし、カサヴェテスや小津らが燦然と輝いている以上、正直、この程度では困るのだ。■でも、やっぱこの映画、それら手練手管がとっても上手くて実に楽しめる。さっすがマイク・ニコルズ、そつなし。全く何を考えているか分からないジュリア・ロバーツの無表情がなにげに良いし、ナタリー・ポートマンの「恋は消えた」の台詞や、空港で去っていく彼女の後ろ姿はとても切なく、どうでもいい恋愛話、痴話喧嘩と片づけるのはあんまりだと思う。というわけで10点。■それはともかく、この役柄で乳首すらみせないナタリー・ポートマンは90年代初期の武田久美子なのか。ナタリー・ポートマン、すごくいいんだが、その点はとても気になった。
[映画館(字幕)] 10点(2005-05-22 23:34:00)
26.  “アイデンティティー” 《ネタバレ》 
この映画が面白いのは「多重人格者の頭の中」で起こる殺人事件、という設定を途中でバラしていること。この設定がもし結末でバラされていたら「ふざけんなよ」である。頭ん中ならなんだってOKじゃん、って話だ。■しかしこの映画の眼目は「多重人格者の頭の中」で、連続殺人事件の形をとりながら、「多重人格を矯正する」「一つの人格にする」こと。だから途中でネタをばらし、ジョン・キューザックは真犯人を捜す=多重人格を矯正するために、探偵としてモーテルに再登場する。つまり、「多重人格者の頭の中」という新たなルール設定のもとで犯人探しが行われる、いわばSFミステリーの形式をとること。■また、途中までの連続殺人事件もなかなか堂にいっていて、シャツに血が付きジャケットには血の付いていないレイ・リオッタとか、交通事故死した人物のナンバーキーを発見する段取りとか、インディアンの呪いを暗示するとか、ミステリーファンには嬉しい趣向も多く、これはなかなかの佳作、実にワクワクするいい映画だと思う。(記憶が結構薄れているのでディティールに間違いあるかもしれませんが)しかし、あのデブ禿げがキューザックつうのはちょっと厚かましいよな。
[映画館(字幕)] 10点(2005-05-11 00:54:55)
27.  ドッジボール 《ネタバレ》 
ドッジボール決勝戦を前に、悪役に買収されてしまう主人公。試合を放棄しようとするが…。もちろんそれで話が終わるはずもなく、何かのきっかけで主人公は翻意するはず。そのきっかけをどうするか、それこそ脚本家の腕の見せどころ、あるいは演出のがんばりどこ。■ところが有名人(誰か知らないけど)が唐突に登場し、彼の言葉で主人公は翻意するのだ。なんだそれ。シナリオ教室ならまず赤がつく、アルドリッチなら「映画道、地に堕ちたり」と嘆くはず。■この映画が素晴らしいのは、しかし、ま、いいじゃんという感じなとこ。ま、何でもありかな、と。しかもその「何でもあり」加減が、あきらめ、とか「バカ映画だし」といったマイナスポイントによるものではなく、なんというか、映画では何でも起こる、という確固たる信念に基づいているのが素晴らしいのだ。おバカ映画などではなく、実に真っ当な映画、えらく盛り上がるスポーツ映画だと思う。チアリーダー「アンバー」役の娘も気に入った、可愛い。がんばってほしい。
[映画館(字幕)] 10点(2005-05-10 22:51:05)
28.  デイ・アフター・トゥモロー
ルールなんて存在しないようなことにも、とにかくルールを設定すること。この作品のルールは「火を絶やさないで室内にいれば氷河期は生き残れる」というもの。■はっきりいって滅茶苦茶なルールなのだが、それに応じて、寒波がぴきぴきぴきと迫る中、高校生グループは必死で部屋の中に戻ろうとする。観客はわけがわからないまま、とにかくそういうルールなんだからと半信半疑で納得し、どきどきはらはらするのだ。寒波と例えばジェイソンやフレディ・クルーガーなどの殺人鬼を同格に扱うかのようなルールの設定。■あるいは、父親は氷河の中を息子の元に歩いていくのだが、歩いていってどーする?とか、他の子供たちの親御さんは何してるのか?とか、当然まきおこる疑問を強引にねじふせ、とにかく父親は子供を助けに行動する。そーゆーことだから、そーゆーことなんだな、きっと。驚くのは、そんな強引をなんとなく受け入れてしまうことなんだけど、よくわからんな、なんでだ。■というわけで、結構面白かったです。映画館で見るべきだった。
10点(2005-03-29 22:31:40)(良:1票)
29.  セルラー
ラリー・コーエン久々一般公開の快挙に見に行った「フォーンブース」にがっかりし、ラリー・コーエン堕ちたりと見に行った「セルラー」がこれほどラリー・コーエンであるとは。■アイデアで勝負する、頭脳ゲームを基本ルールとする、アイデアをあの手この手で転がせる、映画としての見せ方・構成を整える、で、できあがったシナリオを奇をてらわずしっかりと絵に移し替える。■シナリオを妙に作家的にいじくりまわす演出家もいない、自分の見せ場しか考えていないスター俳優もいない。そして出来上がったのは、なんてことのない、でも映画史的にはけっこー希少価値のあるサスペンス映画。■「サスペンス」なんて言葉は「ノンストップアクション」と「CGスペクタクル」とセブン的「映像」の中で死語になったかと思ったぜ。命の洗濯をした。この手は一見ビデオでもよさげなんだけど、ビデオで観ると後悔するよ、と自信を持って薦めたい。
10点(2005-03-07 23:23:56)
30.  パッチギ!
様々な問題を無造作に投げ出し、並べること。それらにメロドラマ的なり、叙情的なり、とりあえずの解決などは決して与えないまま、もちろん空々しい現実的な解決や思想を導くわけでもなく、井筒はそれを「映画的」に解決してしまうのだ。それは天才・松本でも計り知れない、映画に生きる者だけの選択(私はそれをマキノ的と言いたい)なのだと思う。■例えば、包茎手術後のペニスを養母に見せるシーンの混沌。包茎男の生い立ちが明確になる感動と、パンツを下ろす唐突なアクションと、クライマックスを形作る出産と、ユーモアと、下ネタがぐっちゃぐっちゃになる、そのエネルギー。あるいは、朝鮮突っ張り少女が四条大宮駅でふと見せる生活と、あの感動的な跳び蹴り。■まさにこれは「映画」なのであって、映画でしかどうにもならないことをやり、ハリウッド産エンターテインメントと小洒落たミニシアター系(実は出来損ないのハリウッド映画でしかない)の狭間にごんごーんと屹立する、これぞ娯楽映画なのだ。くたばれ今のハリウッド(とミニシアター)。これが映画だ。
10点(2005-03-07 23:05:49)(良:5票)
31.  17才 旅立ちのふたり
澤井信一郎が尾行シーンを撮る。わくわくする人は私の友達です。追う者の視線は追われる者に固定され、一方、追われる者はその視線をやりすごし、あるいは知らないまま歩き続ける。■さらに焚き火の煙がくすぶる小さな浜で、ハーモニカを交換し、なんということもなく、ふと心が通じ合っていく瞬間。■あるいは、藤本美貴の住む飲屋街の、夜ではない、昼間の風情。どこを切っても、「映画」。一体、これは何なのだろう?■石川梨花の衣装がいかにも専属スタイリストが用意した、といった非映画的なものであっても、物語の設定が一昔前のアイドルものであっても、澤井は絶対に手を抜かず、なんとか「映画」として成立させようとする。前記した尾行シーンも、もともとの脚本にはなかったものではないだろうか。これぞマキノの直系、プロの仕事。映画とはこれだと思う。
10点(2005-02-12 23:49:46)(良:2票)
32.  マイ・ボディガード(2004) 《ネタバレ》 
カッティングもめまぐるしく、タイムワープやら、アレはなんて言うんだ昔はダブルエクスポージャーつったんだが、やら今どき技法満載は確かにうざい。しかし、トニー・スコットはそんな今どきの意匠をまといながら、確実に大人の活劇を創る男だ。■例えば、かのハスミ先生に言われずとも、クライマックスの人質交換シーンは素晴らしい。敵方の車がやってくるのを大木越しに捉えたロングショット、さらに男たちが車から降りる望遠のフルショット、勾配のある橋を生かす演出。■さらに誘拐シーンではカーテンが揺れる窓、ピアノの音を用いたサスペンス。ダコタ・ファニングの部屋で、母親と会うシーンのフルショット。トニー・スコットは、やる時にはやる。ちゃんとしてるのだ、とにかく。いい加減、意匠だけの兄貴と比べるのは止めないか。「レオン」?ふざけないでいただきたい。■そしてトニー・スコットは役者たちをコントロールする術を知っている。デンゼル・ワシントンとクリストファー・ウォーケンの語らいの楽しさ、ヒーローに対する恋愛感情といった通俗ではなく、単に好意だけを表現するに止まるラダ・ミッチェル、レイチェル・ティコティンの妙な年増の色気、みるからに胡散臭いミッキー・ローク、「駄目兄貴」、ロケット砲を打つ部屋に住む老夫婦の顔。そして何よりジャンカルロ・ジャンニーニ!!記者会見に不意に現れ、軽口をたたく、その登場シーンにワクワクしない人間は映画を観ない方がよい。■今どきの意匠を目くらましに使いながら、スピルバーグ以降キャメロン経由の、いわゆるノンストップアクションなる退屈なメインストリームと一線を画す「映画」を創ること。ハリウッドで生き残る術をトニー・スコットに学ぼう。
10点(2005-01-21 20:19:13)
33.  コラテラル
「仕事に対しプライドを持っている」と判断した殺し屋は、タクシーの運転手をパートナーに選ぶ。しかし運転手はただの夢想家であり、殺し屋は「人間としての何かが根本的に欠けている」。この二人が単なる善悪におさまらない倒錯的な関係を結んでいく。支配する者、される者の関係が微妙に崩れ、互いが互いを教育しあい、時には支配される者が支配する者を演じることとなる。そして、運転席と後部座席に離れていた二人は、「これが仕事だ」と叫びながら、まるで鏡を挟んだかのように対峙する。■シリアルキラーと刑事、ギャングのボスと刑事、そして殺し屋とタクシーの運転手。対立する人間同士が鏡を挟んで向き合うこと。■プロの殺し屋のくせにミスが多い、というシナリオの弱点などどうでもよい。そのスリリングな関係だけを見つめていればいいのだ、と思う。■それよりなにより、運転手の生活を冒頭数分で描ききる演出や、女検事との車中での会話や、赤外線をチェックする刑事の小さな芝居や、ぼろアパートの一室から見える室内の風情や、どちらの地下鉄に乗ったのかを迷う数分の間や、停車駅での見事なカッティングや、「裏窓」的サスペンスや、銃の安全装置をはずす芝居やらなんやらを見つめ、魅了されれば、シナリオのミスや(ていうか、プロの殺し屋ならレンタカーを使わないか?んなことハリウッドの百戦錬磨たちがとうに気づいてるだろ)、つまらない現実との齟齬なんぞ、どーでもいい。だってこれはファンタジーなんだもん。■タクシーの運転手は、都会に住むコヨーテの姿にはじめて気づいたのだ、きっと。
10点(2004-12-02 00:51:06)(良:4票)
34.  キリング・ミー・ソフトリー
あまりの点数の低さに義憤を感じての投稿。■犯人はすぐわかる、突っ込みどこも多い、確かに物語やシナリオはつまらない。せっかくハリウッドにやってきて、こんなシナリオ渡されちゃったよぉ、それじゃ、演出に気合い入れてみっか、とチェン・カイコーはきっと考えたはず。■シースルーの階段を室内中央に設け中二階につなげた大胆な美術、それを効果的に生かした演出、光源を画面内に配置した照明、など野心的かつ古典的な画面の連続に、うむ、その意気や良し、といった感じ。■つまり、職人に徹しながら、作家性を垣間見せること。■お話がどってことない分、画面に集中できる、演出が際だつ、監督の才能がみえる。あんまり「お話」が面白いってのも、映画には困りもの。映画は「お話」じゃないんですね。
10点(2004-10-20 08:27:32)(笑:1票) (良:1票)
35.  LOVERS 《ネタバレ》 
美しい風景と衣装を用意したスペクタクルな空間をロングショットで捉え、あとはアップの切り返し、その連続という演出には、「HERO」もそうであったが、相当辟易する。■ただ「HERO」のように肩に力が入っていないせいか、例えば竹藪のアクションシーンなど、結構、面白く、CGと実写がなじんでいない安っぽさも含めて、いい意味でBアクションの面白さは堪能できる。ただ、やはりチャン・イーモウはメロドラマの撮れない人なのだとつくづく思う。■とりわけ、クライマックスに至るチャン・ツィイーの逡巡を、美しい風景の中に佇むツィイーのロングショット、というフォトジェニックな瞬間にしか切り取れず、さらに金城武のもとに駆け出す姿を、ジャンプカットによってでしか演出できなかったのは、まさに致命的。■さらに、金城の単調な演技にもよるのだろうが、彼がツィイーに恋しているのかどうかよくわからない、わからせないのも、どうなの?■と、はっきり駄目な映画、美しい風景だけの絵はがき映画、なのだけれど、ただ、ただ、チャン・ツィイーが素晴らしい。■彼女がこの映画の中で唯一ドラマを演じる。憎む、恋する、迷う、喜ぶ、…様々な複雑な想いが、その美しい表情に交錯し、宙を舞い、そして雪の上にすっくと立ち上がる。それだけで充分。彼女だけで充分「映画」。もう何もいらぬ、オッケー。
10点(2004-09-06 15:41:45)
36.  赤目四十八瀧心中未遂
主人公の青年はただの負け犬で、自分では「死ぬ為に生きてる」などと呟いてはいるが、実はなんとか生きることの口実をつけようとしてるだけのように見える。もちろん映画はこの男をヒーロー然と描こうとはしない。その事務的な毎日を綴るだけだ。そして彼の前に現れる奇妙な人々もまた、なんら象徴的な意味を帯びてはいず、ただ彼のつまらない日常を通り過ぎていく。この前半は、何というか、臓物を串に刺すそのリズムが妙に心地よいように、ただただ面白い。■そして後半、登場する女は、何というか、まとわりつく「死」を一生懸命振り払って、一生懸命生きていこうとする女だ。なにしろ、彼女と「くりそつ」な兄貴は暴力と死に満ちているし、愛人は「刺しちがえる覚悟」で仕事をしているのだから。■このような男と女の「死」への道行きがはじまる。その齟齬から生じる可笑しさと幻想、対比がうみだす「生」の素晴らしさ。■しかし彼女は悟る。「あんたはあかんな」と呟くとき、彼女はすべてを悟ったのだ。この男が「死」に憧れつつも常に「生」の側におり、自分は常に「死」の側にいるのだということを。いくら懸命に振り払っても「死」は自分につきまとっているのだと。自らの存在が「死」をよびこんでいるのだと。それでも生きていこうとする寺島が素晴らしい。■そして男もまた気づく。自分は死ぬことも生きることもできない負け犬であることを。「死の中だからこその悦楽」も「生」もまたただの幻想に過ぎなかったことを。女が生の証として与えたパンティーはなく、自分が社会不適応者だと告知してある明解さんだけが手元に残る。実は少年時代に知っていたはずなのに。彼は美しい蝶をつかまえることはできない。それは悲しく、そして実に可笑しい。合掌。
10点(2004-08-22 10:16:54)(良:4票)
37.  アメリカン・パイ3:ウェディング大作戦
主役が落ち着いちゃったためドラマが構成しにくくなり、脇であったスティフラーが主役となった、そのための違和感はある。しかし、ドラマをかき回すだけの存在であった傍役を見事に主役に据え、結婚式に向かって盛り上げ、細かいネタを積み重ねる力量は、前二作以上ではないかと思う。「チョコレート」「変態バチェラパーティー」なんぞ、ああ、これぞスクリューボールコメディ、よくできたシナリオを見事に演出すること、それを観る幸せ。さらに高校時代から結婚まで、ノスタルジックな感慨に耽るというアメ・パイならではの感動も健在。個人的には、アリソン・ハニガンの天然ぼけをもっと強調して欲しかったのだけど、ひとまず、ほんとに良かった良かった。こいつら成長したなぁ、って思わせてくれるシリーズなんて、そうないすよ。涙涙。 ……でも、映画館で観たかった…。
10点(2004-06-27 00:23:12)(良:1票)
38.  ヒューマン・キャッチャー/JEEPERS CREEPERS 2
殺すか殺されるか、のみに絞ったシナリオがよい。一本の道路とバス、野原だけで勝負しようという志がよい。前作で弱点だった、モンスターがあんまり強くない、ってことを逆にネタとしているのがよい。フィックス主体の古典的な演出も悪くない。ラストもいい、こうでないとな、という気がする。■もちろん、今のアメリカ映画だから、このカットはもっとロングでないと位置関係わかんないじゃん、とか、そこは視点を固定しないと…、とか、不満はいろいろあるが、そんな不満もひっくるめて実に楽しい楽しい映画でした。頭の悪い「トレマーズ」といった感じだが、その頭の悪さも見事なバランス。ああ、ほんと命の洗濯をした。あんまり人が入ってなさそーなのと、点数が良くないんで、満点をつけちゃいます。
10点(2004-05-24 22:21:35)(良:1票)
39.  殺人の追憶
この映画が描く当時、韓国は軍政下にあり、夜間は灯火管制が敷かれている。ある時間がくると村内放送が流れ、家々は戸口を閉ざし灯りを消しはじめる。映画の冒頭近くにおかれたこのシーンが、半ば過ぎに再び繰り返される。犯人が女性を襲うとき、この放送が流れるのだ。助けを呼ぶ声はスピーカーからの放送にかき消され、人々は家の中に入り、次々と明かりが消えていく。 ■時代背景の説明として登場した記号がサスペンスへと変容し、さらに、このような猟奇的な事件を招いた時代への批判としても機能しはじめる。ある物事の意味が変容し、重層的な視点、「歴史」という巨大な視点を獲得することの素晴らしさ。その緻密なる構成。■しかも驚くのは、この作品の犯人像である。未解決の事件だから、当然、その犯人がわかるわけがなく、またサイコサンスペンスにありがちなプロファイリングなる手段が犯人像を類推するわけでもない。何しろ未解決なのだ。犯人はまったくわからない未知の存在、ただその異常性だけが次々に暴かれていく。この犯人は人間ではなく、超常的な存在、悪意に満ちた幽霊なのではないか。「羊たちの沈黙」の「蛾」がまるで怖くなく、「桃」が滅茶苦茶に怖いのはそのためだ。「こんな事件、ソウルにもあったか?」という台詞は素晴らしく恐ろしい。■未解決事件の犯人は怖い、これはサイコサスペンスものの新たな発明だと思う。■そしてラスト。主人公の刑事が、20年という時を経て、映画の冒頭と同じ仕草を演じる。それは刑事が歩んだ歴史の重さを感じさせると共に、改めて、事件の神秘性、不可思議性をさらに高める。私たち観客は宙づりにされたまま、新たな謎と恐怖に陥れられる。■さらに私たちはファーストカットに登場した「少年」の意味に気づかされる。少年のアップからクレーンアップして展開される広い世界。そこは謎と狂気に満ちており、混沌とした世界と歴史の中を、犯人を捕らえることの出来なかった刑事とバッタを捕まえることのできたこの少年が、共に生きてきたことに気づくのだ。単なる猟奇殺人事件が、韓国が背負ってきた歴史と現在という重厚な意味を持つのはこの時だ。私たち日本人は、ただ息をのみ、ただ圧倒されるばかりである。この作品は韓国で大ヒットをしたという。日本からの答えが「踊る大捜査線」と「チルソクの夏」ではあまりに情けなくはないか。
10点(2004-05-07 13:16:44)(良:6票)
40.  サイン
シャマランの映画は一つのネタと一つの崇高なテーマで出来ている。「死んだ人を見ることが出来る」「アメコミのヒーローは実在する」というのがネタ。一方、家族の再生、神から与えられた使命、というのが共通するテーマ。「サイン」のネタは「宇宙人による地球侵略を一つの家族に限定して描く」というもの。これは元来、「ミステリーゾーン」や「50年代チープSF」が得意としたネタなのだが、シャマランは、このネタと崇高なテーマを強引に結びつける。「シックス・センス」の場合、テーマとネタは上手く融合していたのだが、しだいにテーマとネタは乖離し「サイン」に至っては無茶苦茶である。B級SFネタと「神の存在」との融合。エドワード・D・ウッド・Jrがベルイマンと共作するようなもんだが、それにシャマランは気づいていない。それがいかに変なことであるかに気づかないまま、真面目に、真剣に取り組む。ちょっとおかしい奴。ただし、この男、「アンブレイカブル」の冒頭の1シーン1カット、「シックスセンス」のラングへの傾倒ぶりなどをみると、なかなか才能がある、と思う。「サイン」でも、そのサスペンス演出は見事だ。才能のある変な奴。ねじのゆるんだ奴。それがシャマランだ。私は断固支持する。新作では、もっと観客を「なんじゃこれ?」の嵐にたたき込んでほしいと切に願う。
10点(2004-03-12 11:27:49)(良:3票)
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