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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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21.  心霊写真部 リブート〈web〉 《ネタバレ》 
2010年代にニコニコ動画で人気の出ていたホラーシリーズの最終作に当たる。前回の「劇場版」で「続編があれば見てもいい」と書いておきながら見ていなかったので気になっていた。今回は主人公役と屋上の少女役がまた交代したが他の人物役は共通で、ほかに新キャラクターとして映画研究部の2人を入れたのはPOVの雰囲気を出すためか。二話構成のためオムニバスとしては貧弱だが「劇場版」と同じではある。  【第一話 廃墟】 「心霊写真部 壱限目」の第1話「廃墟できもだめし」のリメイクらしいが、上っ面をなぞっただけのようで一見客には意味不明ではないか。前回より時間は長いようだが中身は薄まって気の抜けた感じにできている。 【第二話 消えない顔】 新作だが話として面白くない。高校生の素人映画を見せられている部長の表情をちゃんと笑えるように見せてもらいたかった。 なお撮影場所が茨城県水戸市の中心街というのは珍しい。心霊写真部のある高校は本来「都立緑が丘高校」だったはずだが、今回は映画研究部の撮影場所も水戸市内の千波湖だったりして、実は最初から水戸の高校がモデルにされていたかのような意外感を出している。3階の窓から水戸駅北口周辺の街が見えている建物で、すぐ外に車や人が通行しているだろうと思われるのに、閉じ込められた人々が危機に陥るというシチュエーションは単純に面白かった。この前見た「シークレット・マツシタ」(2014)と似たようなものかも知れないが開放感が違っている。  全体的には前回の「劇場版」よりさらにレベルダウンした印象がある。今回もまた主人公の入部段階から繰り返しているが、その他シリーズ共通の各種設定がまともな説明もなく形だけ出ているようで実質的にファン限定映画になっている。これで「リブート」とは意味不明だが、とりあえず題名で何となく今後の期待を残しながら、実はそれとなくフェイドアウトしていくようなつもりだったと思うしかない。 ほか出演者として、今回主演の松永有紗という人は他のところでも見たことがあったようだが、レギュラー?の上野優華さんも安定的に可愛いので和まされた(もう7年も前の顔だが)。屋上の少女役の小宮有紗さんは文句なしの美少女で感動した。
[インターネット(邦画)] 3点(2023-07-29 08:18:10)
22.  ラ・ヨローナ ~泣く女~ 《ネタバレ》 
似た名前のグアテマラ映画「ラ・ヨローナ ~彷徨う女~」(2018)とは全く別物である。製作年ではグアテマラが先だが公開はこの映画の方が早かったらしい。 個人的にはホラーとして特筆したくなる点はなかったが、グアテマラの方と違って基本が娯楽映画のため、気合いを入れて見なくていいのは楽だった。ちなみに水の霊であるのに腕を握られると火傷したようになるのは、触れた箇所の水分を一気に吸収してしまう能力があるからかと思った。  ドラマの面では、一度は主人公を恨んでその子どもらを破滅させようとした人物が、後に自らの行いを悔いて主人公を助ける側に回っていたが、終幕時に今度は主人公の姿が水たまりに映っていたのは、全ての母性にラ・ヨローナ的な二面性が潜んでいると言いたいのか。よくわからないが児相職員必見の映画だったようでもある。 また主人公の行動様式がかなり苛立たしいところがあり、現に自分が超常現象に脅かされて神父の紹介で呪術医に頼んでおきながら、それでもなお呪法を小馬鹿にしてみせなければ済まないのは頭の働きが合理的でない。これは古い時代に西洋社会を支配していた教会の代わりに、1970年代頃は科学万能主義の支配で人々の思考が抑圧されていたとの表現か。シリーズのもとになった心霊研究家夫妻のように、この頃もオカルトとかスピリチュアルの類は盛んだったろうが、科学を信仰する人々との間では分断が進んでいたということかも知れない(適当な解釈だが)。シリーズの他の映画を見ていないのでこの映画だけの話なのかわからない。 なおラ・ヨローナの伝承は、単なる怖がらせの怪談というだけでなく社会的な意味づけもされているようで、例えばスペインの征服者に服従させられた先住民やその女性の象徴のように思われている面もあるらしい。しかしそれをこの映画では、結局は征服者のもたらした神の力で難なく撃破してしまっていたのが空しさを感じさせるともいえる。
[インターネット(字幕)] 4点(2023-07-23 09:28:20)(良:1票)
23.  ラ・ヨローナ ~彷徨う女~ 《ネタバレ》 
ジャンルに「ホラー」が入っているがホラー映画だともいえない。中盤でやっとホラーらしい場面になったと思ったら、その後の展開が微妙にユーモラスなので笑ってしまった(好色ジジイが浴室を覗いたことがバレて家族に呆れられる)。また不気味なカエルが多数出現した場面でも、本当にこれだけカエルを集めたのかと思って笑った。 ただ細かい点は別として全体の流れはわかりやすいので、超自然的要素を含んだ復讐譚として見れば問題ないと思われる。抗議のデモンストレーションの声や音がずっと背景で聞こえていたのがこの映画ならではの雰囲気を出していた。  実態としてはホラーというより中米グアテマラの社会批判の映画であって、監督インタビューによれば「差別」をテーマに撮ってきた三連作の最後とのことである。今回は先住民と女性に対する差別とともに「共産主義者」というレッテル貼りのようなもの?も差別の一環として捉えたようで、前に見た「火の山のマリア」(2015)よりも敵を絞った形になっている。 題材としては1980年代にあった先住民の大虐殺(Guatemalan genocide)を取り上げているが、その責任者という設定の劇中将軍には明らかなモデルの人物がいたらしい。実際にその人物は2013年に裁判で有罪になったが憲法裁判所により判決が無効にされ、その後2018年になって死去したそうで、制作時点からみてごく最近の話だったことになる。 監督インタビューによれば(大意)いまのグアテマラでは過去を忘れて楽観的になりたがる風潮があり、さらに虐殺の存在まで否定する声も出てきていて、これに危惧を覚えたのが制作の動機になったというような話だった。それ自体はわかるとしても、しかし最近死去したばかりの人物をネタにして呪いの映画を作るのでは生々しすぎて、現地事情に通じていない他国民としては引いてしまうというしかない。 なお現実の大虐殺の背景にはCIAがいたとかいう話はこの映画では出なかったが、そういう巨悪にまでは呪いが及ばないのは空しさを感じさせるともいえる。  ほか題名のヨローナは、エンディングテーマの歌ではジョローナと発音していたようだった。これは一般的には「泣き虫」「やたらに泣いてみせる人」という単語の女性形らしいが、定冠詞つきで「ラ・ヨローナ」といえばこの映画のように、中米から南米北部にかけて広く語られる伝承のキャラクターということになる。ちなみに実際に虐殺が行われた村の名前でLa Lloronaというのもあったようだが、この映画でそういうことまで意識していたかはわからない。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-07-22 10:18:40)
24.  火の山のマリア 《ネタバレ》 
動物を殺す場面があるので要注意である。火山の雄大な風景などはそれほど期待できない。 中米グアテマラの映画とのことで、そんな国はどこにあるのかという感じだが、最近は台湾との関係で日本国内の報道でも名前が出ることがある。かつてマヤ文明の担い手だった民族が先住民として暮らす国であり、この映画も主要人物はマヤ人、台詞もほとんどマヤ語族の言語が使われている。 単純に見た限りでは、先住民の現況を淡々と描写した映画なのかと思った。先住民の社会的地位は低いようだが、その先住民自体もまだこんな生活習慣を維持しているのかということもあり、今後もっと暮らしを向上していける余地が大きいとは見える(まずは義務教育から)。失われた子がアメリカで生きているという発想は、現実の不法移民でも子どもだけ送り出す例が多くなっていることを思い出した。 主人公個人の物語としては、火山の向こうの楽園に憧れていたが裏切られ、できてしまった子を楽園(いわば天国)に送り出したところで観念して、仕方なく現実世界に回帰したという印象だった。妊娠によって火山の力を体内に宿したと思ったエピソードはどういう意味だったのか不明だが、またそのうち妊娠すれば再度火山の力を得られるはずということで、とりあえず父親が誰かは関係なく、要は母のたどった道を行くということかも知れない。 最後はエスニック調のエンディングテーマ(BOLERO DE IXCANULという曲らしい)が意外にのどかな雰囲気で、貧しく苦しいが淡々と次代に生命をつなぐ人々という印象を出していた。  ところで終盤の展開はよくわからなかったが、外部情報によれば実は子どもの人身売買を扱った映画だったとのことで、自分としてはそこまで考えていなかったのでかなり意外だった。日本では前の戦争で骨壺に石が入っていたという話があるので、棺に煉瓦が入っていても何か事情があるのだろう程度にしか思わなかった。騙し打ちをくらったようで気分が悪い。 確かに歴史的には養子縁組の形で児童の人身売買が盛んに行われてきた国ではあったようだが、この映画のように出産前の胎児を奪うのは全く別物としか思えない。これはもしかするとアメリカで2015年に問題化した中絶胎児組織の売買のようなことを、グアテマラでは本人の同意なく行っているとの問題提起ということか。そうだとすれば、序盤で動物を殺す(切り裂く)場面も胎児の処置を思わせるといえなくはなく、かなり嫌なイメージを残す映画ということになってしまった。 ちなみに各種の社会悪を告発しようとする映画という前提で見れば、要は「先住民の」「女性」以外は全部悪と思っておけばいいようではあった。そういう点を評価したい人々には素材を提供している。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-07-22 10:18:38)
25.  とっくんでカンペキ 《ネタバレ》 
過度な期待はしていなかったが最後はちゃんと感動的だった(笑った)。固定的な目標に向けて単線的に修練すればいいのでなく、極限までの試行を重ねることで可能性の全体像をつかみ、その上で適切な選択をすることが最善の結果を生むということかと思った。大変よい映画でした。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-07-15 10:58:41)
26.  聖ゾンビ女学院 《ネタバレ》 
アイドルグループ「虹のコンキスタドール」出演のアイドルホラーである。最近少しラテンアメリカの映画を見た流れで見たが、女子グループならコンキスタドーラス(feminine plural: conquistadoras)が正しいわけで、ラテンアメリカの民が聞けば変に思うだろうが個人的にはどうでもいい。  内容としては、要は「がっこうぐらし!」のようなものかと思ったら違っていたのはいいとして、知っている範囲でいえば「京城学校:消えた少女たち」(2015韓)と似たような話だったが上っ面が似ているだけである。 物語としては、基本的にはテーマ曲の歌詞にも出るように素朴な革命志向が背景にあったように見える。しかし最後はなぜかトーキョーグールの世界の方へ行ってしまったようで、これの続編を作るとすれば、とりあえず最初に役名「ナギ」の人が頭を飛ばされて死ぬ展開が予想される。こんなのをアイドル映画でやっていいのかと呆れるが、社会への反逆でもなく単純に征服者になろうとしていたのであればグループのコンセプトにも合うことになるか。ラテンアメリカ先住民の悲劇を日本で繰り返すつもりらしい。 その他アクション面ではどうなのかわからない。ちなみに笑うところもない。当時はこれでファンが盛り上がったのなら存在意義はあったとして、ファン以外でも気楽なアイドル物としてそれなりに面白がって出演者にも好感を持てればよかっただろうがそういうものにはなっていなかった。  キャストに関しては当然ながら知らない人ばかりである。そもそも公開から6年も経って卒業した人もいるようなので今さらということもあるが、特に委員長役の人はこういう扱いでよかったのかと思った(主にメイクによる外見的印象の点で)。しかし主人公の親友役が長身で美形で、いわば佐々木希なみの印象を出しているのは目立っていた。「真・鮫島事件」(2020)にも出ていたようだがリモートでの登場のため申し訳ないが忘れていた。今後の活躍を期待したいと一応書いておく。
[インターネット(邦画)] 2点(2023-07-01 14:21:01)
27.  シークレット・マツシタ/怨霊屋敷 《ネタバレ》 
「戦慄の日系ペルー・ホラー」などと書かれると見ないわけにはいかなくなる。「おぞましき日本の呪い」(笑)にもそそられる。配給は一部で有名なオカルトメディアTOCANAとのことで、松下さんは鑑賞無料にしたという適当なノリも悪くない。内容としてはペルーの著名な心霊スポットを扱っていて、ホラー映画というより怪談話や都市伝説の愛好者に受けそうな映画になっている。 所在地は、首都リマの歴史地区から少し外れているが都心部の目立つ場所にあり、Googleマップでみると「Casa Matusita/お化け屋敷/24時間営業」と表示されてクチコミが書き込まれている。当時の外観は映像に出ていた通りとして、内部の撮影はどこでしたのかわからないが、2階の窓から旧アメリカ大使館を映した場面は、実際に現地からならこう見えるだろうという映像になっていた。 外部情報によれば、この場所にあった日系人の会社は1950年代から2005年まで1階を借りていただけらしく、2016年には老朽化のため2階を取り壊した上で全体の改修工事をしたとのことである。現地報道によれば、本当の所有者としてはこの映画などの公開のせいで、根拠のない噂話がますます勢いづくことに嫌気がさしていたようだった。 ちなみに序盤で出ていた精神病院は都心部から南西5kmくらいの海際にある国立病院で、松下邸とは直接関係ない。ここに関わる有名な都市伝説というのはラルコ・エレーラの幽霊の女性(La mujer fantasma del Larco Herrera)というものと思われる。  物語に関して、予告編では「これは実話です。」とされているが、劇中の具体的な出来事に関してはウソに決まっている。ただし導入部のインタビューでは実際の都市伝説を結構まともに解説していて、細部はともかくこういう都市伝説が存在することは事実である。ここに出ていた人々のうち、Percy Taira(ジャーナリスト・ライター・詩人、YouTubeチャンネルあり)とFernando Vivas(ジャーナリスト・政治アナリスト)は実在のペルー人だというのが現実感を出している。 劇中人物が撮っていたのは卒業制作とのことだが、性質としては日本にもあった心霊番組の特集で、霊能者とともに現地取材して適当に騒いで帰るようなものを想定したと思われる。ホラーとして見れば取ってつけたような和風要素はあるにしても、基本は洋モノ風の物理的なドタバタが多く独創性もあまり感じない。しかし全体的な企画としての面白味は感じられたので、結果的にそれほど悪くは思わなかった。正直嫌いでない。  [参考]エンディングの曲が気になったので本気になって調べると、和楽器の音楽ユニット「びかむ(ビカム)」が2004年に出した「今は昔、~竹取物語~」というアルバムの曲であり、「果てしなき我が問いは…」は「月白み」、「屋根に千人、築地に千人…」は「その日、月輝き」から採っている。かぐや姫と帝の恋を中心に描いた作品とのことで、こんな迷惑系突撃ホラーにはもったいないまともな音楽なので紹介しておく。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-06-24 11:30:01)
28.  リアルお医者さまごっこ<OV> 《ネタバレ》 
今の若い人はわからないかも知れないので念のため書いておくと、西暦2015年に「リアル鬼ごっこ」という映画が公開され(原作:山田悠介、監督・脚本:園子温)、その時点ではそれなりに注目されていたように思ったが、このOVはそれと同年に、題名とポスタービジュアルをパロディにして製作されたものらしい。こんなものがいまだに残って公開されているのは驚くべきことのようだが、しかし見る人間がいるからこそ存在が認知される=存在していることになるのであって、こんなものをわざわざ作品登録までしてコメントを書く自分もまた延命に加担していることは自覚しなければならない。 内容的にはパロディ元の映画と全く違うのはいいとして、これを見て何かを語ろうという気には全くならない。全く何も書かないのもあれなので特徴点として血が出る/主人公のスカートが短い/変態/バカ/人体模型がわずかに独創的(往年の「人造人間キカイダー」を思わせる)といったくらいは書いておく。笑うところは全くないので70分(実際はアマプラで66分)が非常に長く感じるが、ただしエンディングテーマだけは笑わされた(失笑)。  以下どうでもいいことだが気づいた点として、劇中で映る雑誌では次の文章を何回も繰り返して記事を埋めている。 『記事には「鬼畜医師・女性患者100人超にわいせつ行為。逮捕/山田勝二(40歳独身)医師歴15年のベテランが起こした鬼畜の数々。」とある。』 これに関して考えられることは、 ・脚本か何かで上の文章のような指定があったので、その他の記事を適宜に作り込むようなことはせず、とにかく指定された文章をコピペして手抜きした。 ・指定されていたのは上記の「」内だけのはずだが、実際に誌面を作る際になぜか『』内を全部書いたので、制作の内幕が映像に少しはみ出た形になっている。これで笑いを取ろうとしたとも思えないので意図が不明というしかない。 以上、だから何だということもないが、そういう感じで作ったという雰囲気は出している。
[インターネット(邦画)] 2点(2023-06-17 10:47:54)
29.  白く濁る家 《ネタバレ》 
登場人物が3人の低予算映画である。前年公開の米ホラー映画に似ているという噂のようで、確かに屋根裏部屋とか窓に何かがぶつかるとか唐突な顔写真といった個別の要素が共通するところはある(ゲゲゲハウスは出ない)。それより題名が「黒く濁る村」(2010韓)の真似だとすれば、それと同様の雰囲気で小スケールという意味になる(見たことがないので不明)。 ホラーとしては発想の独自性があまり感じられない。怖がらせの仕掛けとしては主に背景音楽での脅しだったように思われる。  話の本筋について無理に考えると、男は母親に一生懸命歩み寄ろうとしていたが結局裏切られ、またその婚約者が「完璧な家庭」を優先して、理不尽な結末を受け入れたことでも裏切られた形になり、踏んだり蹴ったりで存在を抹消されて悲劇に終わったということか。ほかに兄弟は腹違いではなかったのかとか、父親が死んだ時の経過についてなど、想像が広がる可能性もあるだろうが特に立ち入る気にはならなかった。 いろいろ考えがあるようで緩いようでもあり、中途半端な感覚で終わる映画だったが、構想段階ではもっと長かったのを短縮したというような事情でもあったのか。とりあえず最後の覚悟の表情が大事だと思っておけばいいだろうとは思った。  出演者に関して、藤本泉という人は「通学シリーズ 通学電車」「同 通学途中」(2015)の高校生役(ユカちゃん)しか見たことがなかったが(「鬼談百景」にも出ていたが映像が暗い)、今回見ると目に迫力があって華もあり、この人の存在が映画全体の価値を高めていた気がする。その相手役も「人狼ゲーム」シリーズで見た時の印象は残っていた。今後一層の活躍を期待する。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-06-10 10:00:09)
30.  ヘレディタリー 継承 《ネタバレ》 
撮影場所はユタ州だそうである。ゲゲゲハウスのようなのが目を引くが、こういうのを好んで作る人々も実際にいるらしい。 ホラーとしての見た目でいえば、大して怖くないが雰囲気は悪くない。序盤では、まずは祖母の遺影が生きているかのような気色悪さを出していた。またその後に部屋に出て来た姿が二次元的に見えたのは、いわゆる霊感のある人々の話でもそのように表現したものがあるので現実味があった。背景音や音楽でも凄味を出している。 個別の場面では、兄が「大丈夫だ」(字幕)と言ったので、大丈夫でないだろうがと思ったがなぜかそのまま帰って来てしまい、朝になってから母親がギャーと叫んだのがなかなか衝撃的だった。頭部をおいて来たのはさすがにまずい。  ドラマとしてはあまり印象に残るものがない。家族関係ではこれまでいろいろ確執があったようだが、そもそも特殊な家庭のようなのであまり突っ込む気にならない。家族のうち本当の重要人物は誰かをめぐるサスペンスという面もあったかも知れないが、別にどうでもいいので勝手にしろと思って終わりだった。 また家系に関わる心霊物かと思っていたら、結局最後はカルト教団の話になっていたのは残念感がある。古代からの由緒正しい悪魔らしいが西洋世界限定のものにしか思われず、また教団も地方のマイナーな集まりのようで、ここから世界支配を企むといった大がかりな展開になりそうもない。現に自分のいる世界との接点がないので身辺に迫る怖さを感じない。 これでアメリカ人がどう思ったかわからないが、少なくとも自分としては人類普遍のものが表現されているとは見えなかった。  なお母親の作っていたミニチュアは少し興味深いところがある。建築模型でなくドールハウスという言い方になるようだが、ギャラリーで個展をするくらいなのでアート作品として作者の精神世界を表現し、見る人を引き込む力があるものだったらしい。制作の動機としては、自分にとって好ましいとも限らない周囲の世界をミニチュアにして受け入れて、自分のものにしたい(支配したい?)という欲求があったというようなことか。よくわからないがその心理は知りたいと思った。 この家系はこれまで精神面でいろいろ問題が生じていたようだが、その精神性を芸術性に転化して社会生活に生かすことができていたと思えば、今回の件でそれが断たれてしまったのは残念ということにはなる。娘にも素質はあったらしい。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-06-10 10:00:07)
31.  海へ行くつもりじゃなかった 《ネタバレ》 
海へ行くつもりはなかったが行ったらそれなりだったという話らしい。生活圏内に海があるのはいいことだが、大阪の都心(多分)から一体どこの海に行ったのかは不明だった。 行っても大したことは起きないがそれなりに変なこともあり、逃げられて追われて盗んだバイクで走り出す(放置自転車?)とかもしていたが、途中の凧には驚きと感動があった。写真に撮りたくなるだけのものはある。 結果的によくわからない話だったが、最近は政治的・社会的な背景のある面倒くさい外国映画ばかり見ていたので、久しぶりに心安らぐものを見たと思わせる短編だった。いい雰囲気だ。  ところで映画と関係ないが仕事上、会話時に読唇を使う人が身近にいたので、この3年間マスクを強要されていたのは困った。自分がしゃべる時に外せばいいだけだがわざとらしくもあり、ちょっとした何気ないコミュニケーションが取りづらい。自分の配慮不足もあったかと思うと後悔が残る。 劇中で金髪娘が声を出す場面はなかったが、とりあえず今回は声を出さなくても気持ちが通った体験ということか。また男の方も自分の考えをわからせる/相手のこともわかろうとする点で一歩踏み出す機会になったかも知れない。パントマイムを社会生活で使うわけではないにしても、身振りがコミュニケーションに役立つこともあるとはいえる。 最後に渡された黒髪の写真はいわば生来の姿であって、そのうちこの状態に戻るので、この顔で憶えていてもらいたいとの意味かと思った。それなりの未来を感じさせるものはある。
[インターネット(邦画)] 6点(2023-06-03 15:09:26)
32.  チャンシルさんには福が多いね 《ネタバレ》 
いわゆる何も起こらない映画である。これまで監督が映画制作に携わった経験が主人公の人物像にも反映しているとのことで、この映画自体も映画愛を感じさせるものになっている。 序盤で主人公が男を飲みに誘った場面では、行ったのがなぜか日本語の表示しかない居酒屋で、韓国映画に日本が出るとろくなことがないので警戒感が一瞬高まった。しかしそこで主人公が小津安二郎の名前を出したのでなるほどそうだったのかと思って、変に疑ってしまってすいませんでしたという気分だった。その後の「東京物語」の話の中では、主人公が日本人戦死者の存在に触れた(※)のがかなり意外に感じられた。 また同じ場面で「何も起こらない」(※)という言葉を、観客が言うならともかく映画関係者のはずの人物が言ったのは、映画関係者でない立場からしてもかなり心外に思われた。まさにそのような映画に関わってきた主人公からすれば、まるで異次元人とか不倶戴天の敵に見えたのではないかと思ったが、しかしそれで別に対立関係になるわけでもなく、それはそれとして他に共感できる部分を探そうとする展開だったらしい。 一般に、内部をまとめるために外部に敵を作るのはよくあることとして、内部でもわざわざ対立軸を作って誰かを攻撃したり争ったりするのでは生きづらい社会になるだろうが、この映画はそういう世界からは距離を置き、人々が何となく穏やかに協調して生きる社会を志向しているように見える。はっきりしないがそのように感じさせるものはあり、実際にそう思っていたとすればその点で非常に好感の持てる映画だった。 ※字幕の翻訳が正確だという前提で。  物語としては、人生の中間点を迎えた主人公の再出発の話ということらしい。いろいろ言葉が出て来るのでまとめにくいが、話全体としてはないことを嘆くのではなく、あるものに目を向けた上で前に進めということかと思った。また捨てることは大事だが、全部捨てればいいわけでもないとも言っていたかも知れない。人生の転機にふさわしい提言にも思われる。 ちなみにエンディングテーマは祝詞の詠唱のようなものを現代風にアレンジした感じの曲だったが、これが映画の内容を端的に表現していたようで最後の締めにふさわしい。歌詞は "チャンシルは福も多い" という意味の文章を起・承・結の3回繰り返して、そのうち一行目が原題と同じ、その後は文末を少しずつ変えて変化を出している。字幕も原文を生かした邦訳になっているが、歌の最後だけ前にはない「福まみれ」にしたのは翻訳段階での悪ノリのようで、ユーモラスな人間ドラマの印象を強調していたのは悪くなかった。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-05-27 10:50:16)
33.  英雄都市 《ネタバレ》 
原題は「ロング リブ ト(タ) キング:木浦 英雄」で、英語の部分をカタカナ表記のように書いているがvとthの子音がないのは日本語と同じである。英語のLong Live the Kingは、従来の支配者に取って代わった者を讃えるニュアンスがあるようだった。 場所は全羅南道木浦市なので、前に見た「木浦は港だ」(2004)のリメイクかと思ったが別の話になっている。ただ主人公がヤクザでヒロインが法律家だとか、タコの丸のみとか郷土愛といった点で微妙に通じるところもなくはない。監督はこの前に「犯罪都市」(2017)で評価された人物のようで、その映画の主役も特別出演している(光州ヒグマ役、短時間)。  内容としてはヤクザ映画のようだが暴力沙汰は多くなく、それより政治の素人が選挙に出るドラマをメインにしてラブストーリーを兼ねている。気楽な娯楽映画という点では前記「木浦は港だ」と同様だが、15年も経っているのでかなり上品に見える(洗練されたというべきか)。性的に下品な場面はなく、排泄物関係もわずかに便所掃除の場面がそれらしいだけで現代日本人にも見やすい映画といえる。 社会的な面では、政治家が悪という設定は普通のこととして、検事が政治や悪事にまで関わって来るのはよろしくない感じだが、しかし現実にも韓国では検察が政治に多大の影響力を及ぼしている実態があるらしい。そのことへの反発としてこの映画では、検事に政治をやらせるよりもヤクザにやらせた方がまだましだ、という皮肉を込めたのかも知れない。2023年現在の大統領も元検事総長なので、現在の政治情勢にも関わる問題を扱っていたことになるか。なお全羅南道は実際に投票率の高い地域らしく、その点でも選挙映画にふさわしい舞台設定といえる。 主人公に関しては、通常の政治権力とは別次元の強さに誠実さを兼ねた人物造形にしたと取れる。警察官の支持も得ていたようで、これは日頃から最前線で接していたため「ロビン・フッド」的な義侠心も理解されていたということと思われる。現実味のある話でもないが娯楽としては悪くなかった。  ほかの登場人物に関しては、劇中の国会議員と顔の似た地方議員をたまたま知っていたので変な気分だったが映画と関係ない。また弁護士役(ウォン・ジナ/원진아 元真兒)は小柄で可愛い感じの人だったが、こんな般若のような顔をしなくても、と思う場面が多かったのは残念だ。お国柄だろうから仕方ないか。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-05-27 10:50:14)
34.  哭声/コクソン 《ネタバレ》 
ソウルなどの大都会ではない地方の町や集落、森林や山の風景が美的に映像化されている。場所は実在の全羅南道谷城郡とのことで、郡内に「谷城邑」という町があり、その町の中に谷城警察署(中央路161)や谷城愛病院(谷城路761)というのもある(派出所は不明)。 ホラーとして終始不穏な雰囲気は出ているが、特に前半では娯楽映画に不可欠な?コメディ要素がちゃんとくるめてあるのが可笑しい。登場人物では「目撃者」がなかなかいい感じで、石を投げて来る場面は好きだ。また祈祷師の儀式はダイナミックで迫力があったが、その後のゾンビは出ない方がよかった。  物語としては何が起きていたのかわからない。世評によるとキリスト教の知識がなければ気づかないことが多いようで、基本は間口の狭い映画ということになるか。自分としては手の穴くらいはわかったが、「ヨブ記」についてはアメリカのホラー映画で出ていたにもかかわらず、そこまで頭が回らなかった。 宗教関係には突っ込まないとして、一つ思ったのは一連の事件が登場人物のうちの誰かのせいだと思い込んでいていいのかということだった。王朝時代の宮廷で呪いのかけ合いをしている状況ならともかく、現代の祈祷師でも病気平癒などの祈願をする際に、近隣の誰かが絶対呪いをかけているとまでは思わないのではないか。表面的な事象だけでなく、背景に何らかの動きがあるとすればそれも含めた全体像を捉えなければまともな答えは出ない気がする。 しかし一般論としてはそのように思っても結局何もわからないので、邦画によくあった独りよがりな難解ホラーのようなものと思って投げてしまいたくなる。監督はこの映画が「混沌、混乱、疑惑」を描写していると言ったらしいがそれでわかった気になるわけでもなく、残念ながら個人的には見えないものの多い世界が映されていたと思うしかない。全体的な印象は決して悪くなかったが、結果として好意的な評価はできない映画だった。残念だ。 なお一連の事件を全部キノコのせいだったことにしてしまうと映画にならないわけだが、これが現実世界の話ならそれだけで全部説明がつく(つけられてしまう)とはいえる。この映画に関して、自分は報道だけ見てキノコは危ないと思っていた現実世界の人間の立場だったと思っておく。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-20 10:57:06)
35.  紅い服の少女 第二章 真実 《ネタバレ》 
前回は「魔神仔」を扱った妖怪映画のようだったが、今回は都市伝説としての「紅い服の少女」の正体を本格的に解明する話を作っている。この映画では都市伝説の解釈のうち、山の魔物というより身代わりを探す幽霊という説を採ったようで、邪悪なコダマのようなのがもとから山にいた連中、少女とガは90年代に発生したものとして整理したように見える。場所も台北から台中に移し、都市伝説の発祥地や実際にある「卡多里遊樂園」などの廃墟も使ったご当地映画ができている。 目新しいものとしては「俯身葬」というのが出ていたが、これはどうも考古学上の概念を適当に使っただけらしい。また新登場の道教寺院や「虎爺」は次の第3作にもつながっていくものだが、今回あまり決定的な役割を果たすことなく終わったようで、この段階でこの要素を盛り込んだ意味が不明な気もした。 ドラマに関しては、主要人物の数が多いので混乱させられるが最後はちゃんと決着がつく。今回はラストで笑わせる場面もあり、脅威はまだ残るといいながらも一応さっぱり終わる形になっていた。少なくとも当面は、新生児は若い男に守られていくことになる。 具体的な場面では、若い男のトラ歩きやCGのトラ造形がちょっとどうかと思うのはまあいいとして、勅令女と少女の対決場面はなかなか迫力があった。額に御札を貼ればいいのかと思ったらそれほど簡単ではないらしい。また前回主人公は眉毛が抜けるほど壮絶な体験をしたと思わせるのが恐ろしい。  ところで可愛く見える主人公と、中学生くらいに見える高校生(高中生)が親子だったというのは序盤でいきなりのサプライズだが、その事情に関しては終盤で説明がある。当然ながら産む/産まないの選択はありうるわけだが、産む選択をしたのであればその結果は尊重されなければならない。また自らこの親を選んで生まれてきたとあえて信じることで、親を含めた自分の生を全肯定するというのも、人が前向きに生きるためにはありうることと思われる。 結果的には人の生命を次代に引き継いで、またその引き継がれた生命をさらに次代に引き継ぐことで、人が未来に生命をつないでいくことを肯定した映画に思われた。自分としては若干感動的だと思ったが、しかし2023年現在の感覚では、これがすでに古き良き時代の価値観でしかないと感じられるほど社会情勢が変化している気はする(少子化は止まらない)。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-06 14:29:19)
36.  人面魚 THE DEVIL FISH 《ネタバレ》 
今どき人面魚とは、日本の配給会社も適当な題名を付けるものだと思ったら原題からして人面魚だった。副題の「紅衣小女孩外傳」は「紅い服の少女」というホラーシリーズの「外伝」の意味らしい。この映画でシリーズ3作目のようだが、「紅い服の少女」自体は関係ないのでスピンオフと表現した記事もあった。なお「紅い服の少女」も「人面魚」も現地に実際にある話のようで、うち人面魚に関しては、この映画で見た限り「おいてけ堀」を思わせるものがあったが、ただし焼魚になってから怪をなすのは日本と違う。 基本的な筋立てとしては、かつて善なる神の「虎爺」が封印した大魔神が現代に蘇ったため、主人公の道士が虎爺の力で退治する話になっている。封印の時期を1669年と特定した意味は不明だが、これは鄭成功が台湾最初の漢人政権を建てた時期に、いわば鎮定の一環として土着の魔物を排除したということかも知れない。ちなみに虎爺は「フーイエ」と振り仮名がついているが、日本人としては「とらじい」としか読めない。  ホラー映画としては伝統的怪談、心霊、エクソシズム、アクション、CGでのモンスターバトルといった多彩な要素が含まれている。ストーリーも二本立てのようで、複雑というかまとまりのない印象もあるが、いろいろ盛りだくさんな豪華娯楽大作といえなくはない。 ドラマの面では、家族関係の描写でやや感動的なところがある。特に子が親を思う心情が強調されており、単なる男女の愛でもなく、家族の愛が最後に勝つというのは日本人としては新鮮に感じた。 キャストに関しては、小学生の母親役(徐若瑄/Vivian Hsu)はもうそれなりの年齢だろうが、どんな顔をしていても可愛さが隠せないようでもある。また道士の妻も、超絶美形でもないが個人的に惹かれるものがあり、ラストで美男美女夫婦が揃った場面は何とも眩しく見えた(羨望)。その息子を演じた幼い子役が、感情を懸命に抑えようとしていた演技は泣かせるものがあった。   [2023/5/6追記] シリーズの1・2を見たので補足。2から10年遡った前日談で、内容的には当然つながった形で作ってある。字幕で「魔神」と書かれていたのは1・2の「魔神仔」のことだったらしい。 初見時には全体構造がわかりにくかったが、今回のビビアン・スーは2のシングルマザーに当たる主人公、地下室の少年が「紅い服の少女」に相当し、人面魚は人面蛾に対応するものとして整理できる。また2と同様、主人公のドラマと並行する形で道教寺院の関係者が出るが、今回は魔神と戦う道士一家のドラマに重点が移ったようで、それで主人公のドラマと二本立てに見えたらしい。家族がテーマというのはシリーズ共通のようだった。また主人公に関わる屋内のホラー描写も1・2より手が込んでいる。 日本では3が最初に公開されたので仕方ないが、やはり本来は1・2・3の順に見るべきものだったらしい。結果的にはシリーズ中でこれが最も充実して見えたが、登場人物としても個人的には道士の妻が3作中で最も好きだ。メイリン(美玲)という名前も可愛い。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-05-06 14:14:08)
37.  紅い服の少女 第一章 神隠し 《ネタバレ》 
題名は1998年のTV番組から生まれた都市伝説の名前だが、内容としては冒頭に説明が出ていた「魔神仔」に関する妖怪談のようなものになっている。これは台湾や福建などに昔からいたサルとか子どもの姿の精霊または幽霊で、山中に入った人を迷子にさせるものらしい。映像中に見えたweb百科事典には日本の伝説でいう「神隠し」に類似すると書いてあるが(要は中文Wikipediaからの転用)、現実に2013年に日本人観光客(当時78歳)が行方不明になり、数日後に無傷で発見された件に関しても、現地では魔神仔の仕業ではないかと噂になったとのことだった。 実際は人が死ぬほどのことはあまりないようだが、食事と思っていたら昆虫や糞便を食わされていたというような、日本でいえば狐狸の類に化かされたような話もある。対策としては爆竹が効果的とのことで、劇中では発煙筒も代用できることになっていたが、本来は光より騒音の方を嫌うものらしい。爆竹の本来の用途が賑やかしというより邪気払いだったことが知れる。  映画では、山中にいるはずのものが台北市内にも出現して、都市部を舞台にした心霊ホラー的な雰囲気も出している。「山が開発され居場所を失った魔神仔が山を下りて来た」という発言があったが、台北は山地に接しているからそういう発想にもなるわけで、日本なら札幌市内(南区など)にクマが出るようなものかと思った。 やたらに出ていたガに関しては、字幕の「クロメンガタスズメ」だとすると特に珍しくない実在の種ということになる。「羊たちの沈黙」に合わせたのかも知れないが、映像に出ていた名前は「紅翼鬼臉天蛾」だったので、架空の種と解して「アカメンガタスズメ」とでもした方がよかったのではないか。メンガタスズメ属は背中に人の顔の模様があって「人面天蛾」(=人面スズメガ)とも言われていて、ここからシリーズ第3作の「人面魚」につながったらしい。 終盤は山中に出向いての決戦となるが、ほかに家族に関わる人間ドラマもできていて、一応各種の趣向を盛り込んだ娯楽映画にはなっている。なお現実と夢が突然交代するのは少し嫌な感じだった。  ところで最近は世界的に昆虫食が注目されているが、映画のラストでは家族で夕食をとる場面があり、もしかしてこれは知らない間に昆虫を食わされているのではないかとの不安感があった(食い物がみな昆虫に見える)。その不安感を次の第2作につなぐ形になっている。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-05-06 14:14:03)
38.  戦争と女の顔 《ネタバレ》 
第二次世界大戦に参加したソビエト連邦の従軍女性の証言集を「原案」としているが、具体的に誰かの証言を題材にしたわけではなく独自の話を作っている。もとの証言集は主に戦争中の話であり、まだ検閲のある時代に発表されたこともあって悪いことばかりが書かれているわけでもないが、この映画では戦後を対象にして負の側面に集中した形になっている。  映画全体としての主張はよくわからない。もとの証言集の題名と映画の邦題の印象からすれば、要は戦争が悪い、戦争を起こす男が悪いと言いたそうではあるが、確かに戦争が原因で多くの人々が苦しんでいるのはわかるとして、少なくとも加害者と被害者を性別で分けているようには見えない。 しかし、両性一組を中心とするのが本来の家族という保守的な考え方を前提にすれば、劇中女性が戦争のせいで本来の家族を実現できなくなったのが不幸だったとはいえる。さらに死んだ負傷兵のように多くの家庭が破壊されたことに関して、要は全部戦争が悪いのだ、という言い方をするなら比較的納得しやすい解釈にはなる。そのように考えれば戦争と女性というより戦争と家族の映画なのかとは思った。爺さん連中も家族を欲していたらしい。  一方で、主人公と戦友の間に同性愛的な関係が見えるのは理解が難しい。主人公の名前が「スミレ」の意味だというのは、現実にスミレが同性愛の女性をイメージさせる花として扱われてきたことが背景にあると思われる。もう一人の主人公である戦友に関しては、もともと上昇志向や支配欲が強く、自ら戦って勝ち取るタイプの人物だったのではないか。いわば主人公が娘役、戦友が男役であって、女性性と男性性の違いを身体的な性別とは別物として描写していたように見える。色ではこれを緑と赤で表現していたのかも知れないが、ただ終盤では逆転していたようでもあって固定的なものではなかったらしい。 最終的な2人の状態は、現代でいえば同性愛カップルが子を迎えて家族を作ろうとする姿のようで、現代の西欧リベラル的な価値観からすればこれ自体は悪いとはいえない。例えば主人公が提案していたように、孤児を養子にすれば家族が作れる希望はあるわけで、その上で身体的な性別にこだわらず、家族内で女性性と男性性の役割分担をすればいい、と提案している映画なのかも知れないが、ラストの場面でそういうことまで見通していたかどうかは何ともいえない。いろいろ難しいことが多いので、自分としてはここまでだということにしておく。  その他雑記として、共同浴場の場面は日本でいえば「夕凪の街 桜の国」の銭湯を思わせた。 また、もとの証言集ではネコがいてこそ「本物の家」だという話があった(岩波現代文庫P435)ので、この映画の2人もまずはネコと同居することから考えればいいのではないか。レニングラードでは犬だけでなくネコも食われていなくなっていたかも知れないが。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-04-29 13:50:25)
39.  リパブリック Z 《ネタバレ》 
シベリアにある「サハ共和国」(旧・ヤクート自治共和国)を舞台にした映画である。監督・脚本家と劇中人物はほとんどヤクート人で、台詞もほとんどヤクート語らしい。言語の系統としてはトルコ語に近いのだそうだが、人種としてはまるきり「平たい顔族」であって、兵隊姿の女性などは場面によって上戸彩を思わせるといえなくもないが、男連中は渥美清か阿部サダヲかとも見える。邦画というよりは、どちらかというとモンゴルの映画とか昔の韓国映画の風情だった。 ロードムービーとのことで、いかにも人がいなさそうな平地や川や森林や町村が見えている。どこからどこへ行ったのかは不明瞭だったが、南部にある第二の都市ネリュングリへ行こうとして、レナ川を渡って首都ヤクーツクを通りすぎて森林に入って終わったようなので、どちらかというと北から南へ移動してきたのかも知れない。ちなみに冒頭で旅客機が墜落していた場所は、ヤクーツク市街地南部にあるサイサリ湖Озеро Сайсарыだった。市街地の北にある空港を離陸してすぐ落ちたらしい。  映画の分類としてはゾンビ映画だろうが特に怖いところはない。設定上は「先史時代の人間の腕」の発掘が発端になってゾンビが蔓延したとされていたが、現実世界でも2016年にシベリアの別の場所で土中から出た炭疽菌に感染した事例があり、また最近は永久凍土層から新種のウイルスが続々と発見されたりしていて、温暖化による永久凍土層の融解は「感染症の時限爆弾」だとの指摘も出ている。それは今風にいえば脱炭素向けのネタなわけだが、この映画ではよりオーソドックスに、現地で行われてきた鉱物資源の採掘が自然破壊につながったのだと主張していた。ちなみに映画と関係ないが、現在のサハ共和国では永久凍土が融けてきたことでマンモスの発掘が産業化しているとのことで(ハンコ用の象牙)、これも危ない感じを出しているといえる。 原因はともかくとして、土中から出た病原体により冬は休眠して春~秋に活動するゾンビが発生したというのは、この場所の特性を生かしたユニークな発想と思われる。劇中人物はアメリカに難癖つけていたが実はここが真の発生地であって、その解決策もセットで提供した形のご当地ゾンビ映画になっていた。  ドラマの面では、終末世界ながらそれほどの悲壮感もなく、どことなく抜けた感じの緩さがある。青春ロードムービーのようでもあり、また最終的には英雄物語でもあったらしい。個別の場面としては、遊牧民の長老のような顔をした爺の「…誰でもが希望を持つべきだ…」という素朴で率直な発言が心に染みた。こういうことを言って死にたいものだ。 残念だったのは終盤の展開がかなりいい加減で、唐突に最後を切り上げたようで何だこれはと思わされることである。何か事情か考えがあったのか、あるいは単に制作側の姿勢がいい加減だったのも知れないが、珍しいヤクート映画なのでまあいいことにしておく。監督には今後も頑張ってヤクート映画を作ってもらいたい。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-04-22 13:01:03)
40.  ワールドエンド 《ネタバレ》 
152分はさすがに長いが、もとは50分×6話のTVシリーズだったそうで、これで半分くらいに落としていることになる。短縮版のせいか、説明がつかないままで終わってしまったところもあった気がした(クマも宇宙人に操られていたのか?など)。なお原題のAvanpostとは劇中にも出た「前哨基地」のことである。 宇宙人の侵略目的として、故郷の星の喪失による移住というのはわりと古風な発想のようで、また都合よく地域を限定してしまっているので全地球的なスケール感も出ていないが、映像面はそれなりに現代的で悪くない。各種ドローンの普及とか、四足歩行の軍用犬?ロボットが部隊に同行したりする(勝手に歩いて来る)などは近未来感を出している。 また軍隊が主役なので戦闘場面はけっこう迫力がある。近年のゲームの広告映像で見るような、ゾンビの大群を軍隊がなぎ倒す感じの映像もあってなかなか壮絶だった。  物語に関して、宇宙人Idは人類の本質をいわば悪とみなしていたようだが、別にそれが客観的で公正な判断とも思えない。顔が濃い方の男は典型例だとしても、それ以外で劇中に見えていた反例や、個々の事情や動機や心情などと関係なく、一面的に悪と断じて洗脳しようとしただけのようでもある。また映像的な欺瞞による敵味方のすり替えは、現実世界でいえば各種メディアによる大衆の意識操作のようで現代的ともいえる。一方の宇宙人Raは宗教で大衆を統御する昔ながらの手法ということだったらしいが(古代エジプト時代から?)、近年ではそれがかえって波乱要因になっていたということか。 別に宇宙人2人のどちらに正義があるわけでもなかったようだが、人類側にしても宇宙人の指摘を含めた善悪様々な性質が実際にあるわけで、それを初期条件としてうまくやっていくにはどうするか、という問いを投げかけた映画なのかと思った。顔が濃い方の男の遺伝子はその後の人類にも受け継がれることになるが、そこは母方の資質によって牽制される形になる。またラストの出来事は、人類がなぜか子どもを慈しむという習性(人だけでなく他の動物に対しても同様)を挙げ、これも人類の美点と捉えようと提案しているようでもあった。 結果的には人類の本質をテーマにした映画のようだが、続編(TV)もあったとのことで、この映画限りであまり考えても仕方ないか。とりあえず娯楽としては悪くない映画だった。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-04-15 16:48:03)
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