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せんべいさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 115
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから8年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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21.  シン・ゴジラ 《ネタバレ》 
 ゴジラ (1984年)に続き「原点回帰を目指し、現在にゴジラが現れたらどうなるか」というコンセプトのもと、ゴジラが単体で登場する作品としては32年ぶりとなった第3段。なお、GODZILLA(1998年)も単体での登場作品ですが、製作側が「原子怪獣現わる(1953年)のリメイクを作りたかったが、資金集めのため、ゴジラのネームバリューを借りました」と言っているので除外します。  私は1984年版を「コンセプトは良いのに表現力が伴わず、非常に残念」と思っているので、以下、主に【1984年版との比較】という観点でお伝えします。  まず一つ目。1984年版に比べ、危機的状況の臨場感がはるかに上回っていると思いました。他の皆さんがおっしゃる通り、東日本大震災-2011年-の記憶がまだ遠いものでないからでしょう。ゴジラ1作目(1954年)も、太平洋戦争終結時-1945年-から9年しか(人によっては“9年も”のようですが…)経っていませんでした。その点、1984年版は、こうした生々しい記憶・体験の空白期での製作だったので、どうしても【頭の中でのシミュレーション】に留まっていたように思います。ある意味、当時は、幸せな時代だったのかもしれません。  次に二つ目。1984年版に比べ、シミュレーションとしての情報処理が洗練されていると思いました。1984年版は、膨大な情報量を消化しきれず、説明で一杯一杯で平板な展開になっていました。一方、シン・ゴジラは、前半に【会議や手続きなど諸々の理屈っぽい情報】を集約して【もたつき・まどろっこしさ】として表現し、後半になるに従い【対策実行のシミュレーション】に絞って【シャープ・スピーディー】な展開になっていたと思います。  三つ目として【本筋に影響しない恋愛ドラマ】を挿入しなかったことも気持ち良かったです。1984年版で一生懸命に演じていた田中健さんと沢口靖子さんには申し訳ないですが、登場シーンのたびに映画の流れがもたつきました。一方、シン・ゴジラの、長谷川博己さんと石原さとみさんとのやりとりは【対立から協働へ】とまとまり、恋愛感情も芽生えず、清々しさを感じました。  四つ目として、1984年版の【スーパーX】のような架空のメカを使わなかったことも嬉しく思いました。あれから32年経ちますが、スーパーXと思しきものは未だ自衛隊に存在していません。シン・ゴジラの【血液凝固剤】も架空ですが、スーパーXほど突飛な印象は受けず“あり得る”と思えました。  さらに五つ目。音楽も、1984年版はドキュメンタリータッチにしたかったのか?一部を除いて使い方が控えめで、音楽と共にその都度、映画の流れが途切れてしまう印象を受ける箇所が多々ありました。その点、シン・ゴジラの音楽は【普通】に劇的効果を上げていると思いました。この【普通】が1984年版では【普通】ではなく「音楽を下手に使うと却って展開を邪魔する悪い手本」のように感じていただけに、シン・ゴジラでは安堵しました。  最後に六つ目。これは比較ではなく私の推測ですが…1984年版は製作発表時こそ「現在にゴジラが現れたら…」というコンセプトで出発したものの、途中から「華が無いから、東宝シンデレラ(1984年に発足したオーディション。第1回グランプリが沢口靖子さん)が出演する場面を入れよ」「火山に誘導する対策だけでは地味だから、スーパーメカを出せ」といった会社からの営業上の注文が出てコンセプトがぼやけ、現場は混乱し、映像と音楽を十分にリンクさせる時間もなく…といった事情で、上記のような残念な仕上がりになってしまったのでは…と思ったりしています。そして樋口真嗣氏は当時19歳で、特殊造形助手として1984年版の製作に携わっていました。そうした製作現場の実情(あくまで私の推測ですが…)を痛感した樋口氏は「いつか、会社からの注文に振り回されない、本来めざした現代版ゴジラを作ってやる」と思ったかもしれません。だとしたら、今回、庵野秀明氏という最強のパートナーを得てその宿願を果たした…きっと、今は亡き橋本幸治監督をはじめ1984年版の作り手さん達も「樋口よくやったぞ!」と褒め称えているのではないか…そんな【32年越しのインサイドストーリー】を想像するぐらい、シン・ゴジラには感激しました。  さて、採点ですが…物心ついたときからCG特撮が当たり前の若い人達にはショボいと感じる部分があるにせよ、1984年版をタイムリーに知っている私としては、↓の【どっぐすさん】と同様に「これがずっと望んでいたゴジラだ!1984年版だってこのように作れば傑作になり得たはずなんだ!」と庵野・樋口両監督への感謝の思いで一杯です。私が勝手に想像するインサイドストーリーも加味し10点を献上させていただきます。
[映画館(邦画)] 10点(2016-08-17 21:20:19)(良:3票)
22.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》 
 シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。  当作品を観たのは、GODZILLA(1998年)が公開されるずっと以前。原子怪獣現わる(1953年)を観た後でした。『太古の巨獣が核実験で目覚める→都市で暴れる→新兵器で倒される…』というストーリーラインこそ、前年発表の米映画『原子怪獣現わる』をなぞったものだとは思ったものの、「反戦/核の脅威への警鐘」といった真摯なメッセージを組み込んで見事にオリジナリティーを獲得していると思いました。  ただし、その後に、私はビデオで怪獣王ゴジラ(1956年)という作品も観ました。これは【来日したアメリカ人記者が、ゴジラに遭遇する】という海外向けの再編集版であり、1作目のメッセージ性を見事に削ぎ落としていました。後年、ある本で海外の書評を読みましたが…「都市の破壊シーンは迫力があるが『原子怪獣現わる』のように、何故、怪獣が現れたのかの説明がない。しょせんは二番煎じであり『原子怪獣現わる』には遠く及ばない」という趣旨の文面に複雑な気持ちになったものです。GODZILLA(1998年)が公開された当時も「1作目と比べてどうか」という評論はたくさんありましたが【日本人が語る1作目】と【アメリカの人々が語る1作目】では、かなりの温度差があると言っていいのではないかと思いました。  さて、採点ですが…当作品の優れた点は、他のレビュアーさん達がおっしゃっているので、私がここで繰り返すまでもないかと思います。日本が生み出した傑作として文句なく10点を献上します。
[ビデオ(邦画)] 10点(2016-08-06 15:13:14)(良:1票)
23.  ある日どこかで 《ネタバレ》 
 公開当時、私は中学生でした。某ラジオ番組でテーマ曲が紹介され「作曲者ジョン・バリーらしい美しい音楽だな」と思いましたが、映画館に足を運び損ねているうちに、某SF誌の書評で「観客の入りが悪く、短期間で打ち切られた」と知りました。さらに「タイムトラベルものだが、タイムマシンも出ないし派手な特撮も無いため、日本の配給会社は宣伝に困ったらしい。しかし恋愛映画として良く出来ている」と書いてありました。その後、高校性になり、クラスメート(男です)が、某名画座でローマの休日(1953年)を観に行ったときに同時上映されていたそうです。「ローマの休日はもちろん良かったけど、こちらも素晴らしかったよ!今まで全然知らなかったけど、何で有名じゃないのか不思議だよ!」と感激ぶりを熱く語ってくれました。   それから数年後…ようやくTVの深夜放送で、当時、買ったばかりのビデオデッキに録画して観ました。展開はクラスメートの説明通りだったので、もし【ストーリーだけで見せる映画】なら退屈したはずです。しかし他のレビュアーさん達と同様、ジェーン・シーモアの美しさは勿論、音楽と一体になった端正な映像が醸し出す【雰囲気】に魅了されました。また、主演のクリストファー・リーヴは、スーパーマンシリーズで有名ですが、けっして【マッチョ俳優】ではありません。役作りのために体格づくりをしたのであって、もともと演技力には定評がありました。この作品ではその実力を如何なく発揮していると思いました。お年頃だった妹にも観せると、最初は「なんだ、スーパーマンの人じゃない」と苦笑交じりでしたが、すぐ引き込まれていきました。   あれから約30年後…巷でスターウォーズ・フォースの覚醒(2015年)が公開中に、妹一家と会いました。そのとき妹が「子供の頃、スターウォーズと共にスーパーマンもヒットしたけど、スーパーマン役のクリストファー・リーヴさんと言えば【ある日どこかで】も良かったね」と言ったのです。妹は映画を熱心に観るタイプではありませんが、この作品は心に深く刻まれていたのです。「あの写真を撮るシーンが…/あのコインさえ無ければ…」と次々と名場面に話が弾みました。私たち兄妹にとっても【時を越えた作品】と言えるかもしれません。また、この30年間で、世間では、ゴースト/ニューヨークの幻(1990年)がヒットするなど、ファンタジーの要素を含む恋愛映画はポピュラーなものとなり、当作品も受け入れられやすくなったように思います。私にとって、今観ても全く色あせない作品であり、ラフマニノフのラプソディーを聞くたびに思い出し、つい涙腺が緩んでしまいます。他のレビュアーさん達と感動を共有できることを嬉しく思います。   さて、採点ですが…ヤノット・シュワルツ監督は、私にとって、ジョーズ2(1978年)などアクション映画の続編監督の印象が強いのですが、当作品が最高傑作だと思います。【雰囲気】にはまれるかどうかで好みが分かれると思いますが、今は亡きクリストファー・リーヴやジョン・バリーをはじめ、当作品に携わった方々への敬意を表し、10点を献上させていただきます。
[地上波(字幕)] 10点(2016-01-10 15:24:20)(良:1票)
24.  スーパーマンII/冒険篇 《ネタバレ》 
 スターウォーズと共に、1970年代前半までの厭世的でダークな「うんざり感」を打破し、往年のハリウッド映画のワクワクさせる理屈抜きの面白さを復活させた娯楽大作の2作目。私は1作目と同じく映画館で観ました。  オープニングタイトルと共に1作目の名場面が挿入されています。まだホームビデオが普及していなかった当時、私にとっては1作目の感動を想起させた上で本編へとつなげていく心憎い演出だと思いました。また、1作目は【時間的な流れ】という意味で、子供時代→少年時代→スーパーマンとしての活躍…について、やや飛び飛びに展開し“ダイジェスト”のような面がありました。一方、当作品は、①ロイスとスーパーマン(クラーク・ケント)、②レックス・ルーサー、③三悪人、の場面を、時系列に沿って交互に描きながら、最後のクライマックスに向けて一つに集約させていく構成も、わかりやすいと思いました。  当作品は、製作サイドの意向により、リチャード・ドナー監督から、途中でリチャード・レスター監督へと変更になったことは有名です。最近、ドナー監督の意向を反映して再編集した【ドナー・カット版】を観る機会がありました。予想通りだったのは、レスター監督ならではのギャグシーン(メトロポリスでの戦いの場面が典型的だと思います)が削除されていたことです。ただし、私はすでにレスター版のリズムに慣れ親しんでしまったために違和感がありました。そして、スーパーマンの正体を知ったロイス・レーンの記憶を無かったことにするために、地球の自転を反転させて時間を巻き戻すシーンが再現されていましたが…いまだにこの“解決策”は、1作目の欠点として挙げられていますので、レスター版による差し替えのほうが無難かな…と思います。  さて、採点ですが…、私にとっては、1作目と2作目はセットの作品です。本来の娯楽映画の面白さを復活させ、一時期は【スターウォーズ派とスーパーマン派】に二分されるほどの人気を博した歴史的な意義を踏まえ、さらに、今は亡きクリストファー・リーブへの敬意を込め、1作目同様、10点を献上させていただきます。
[映画館(字幕)] 10点(2015-11-28 20:16:34)(良:1票)
25.  スーパーマン(1978) 《ネタバレ》 
 この作品が日本で公開されたとき、私は中学生でした。「ヒーローものだが、幼児向けではなく、正統派の娯楽大作の風格を備えている」という前評判通り、大変見応えがありました。まず、少年時代の抒情的な田舎町の場面は「アメリカの人々にとって郷愁をそそられるのではないか」と、中学生なりに感じ入ったものです。そして遂にスーパーマンとして空を飛び、ロイス・レーンの救出をはじめ、泥棒を捕まえ、子猫をも救うたびに、映画館内は好意的な笑いに包まれました(後に知りましたが、劇場によっては、活躍のたびに敬意を込めた拍手が沸き上がったそうです)。私を含め当時の観客の多くが、当作品の真っすぐな作風と、主人公の真っすぐなキャラクターに、共感を抱いたからこその笑いであり、拍手だったのではないか…と思われます。  当作品が歓迎されたのには、当時の世相が反映されていたと思います。あの時代は、米ソの冷戦、そして泥沼化したベトナム戦争(1975年に終戦)などを背景に「どんなに頑張っても、我々に明るい未来はない」とでも言わんばかりの厭世的な雰囲気の作品が映画界でも支配的でした。【考えさせられる映画】と言えば聞こえはいいものの【重たく暗く悲しい気持ちになる作品】ばかりで、私を含め、当時の観客は「もう、うんざり」していたように思われます。そんな中、スターウォーズ(1977年)と共に、当作品も追随するように大ヒットしました。それは、当時「子供じみている」と敬遠されていた、往年のハリウッド映画のワクワクさせる理屈抜きの面白さを復活させたからに他ならないと思われます。数年後、日本でも両作品はTVで吹替え版が放送され、一時期は【スターウォーズ派とスーパーマン派】に二分されるほどの人気を博しました。両作品とも、根底に流れる面白さが共通していたからではないか…と思います。  さて、当時から問題視されていたのは、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ロイス・レーンを生き返らせるために、地球の自転を反転させ時間を巻き戻すシーンです。私は個人的に「育ての親・ジョナサンを救えなかった後悔と悲しみを背景に“二度と愛する人を失いたくない”という爆発的な感情によって起きた奇跡」と考え、違和感はありませんでした。むしろ巻き戻った後、本当ならロイスの車は地割れに遭遇するはずなのに、そうはならず、エンディングへと向かうことに違和感を持ちました。一応「巻き戻したことで、少し事実が変わったんだろう」と割切ることにしましたが…。  さて、採点ですが…、バットマン(1989年)以来、「ヒーローものは、ダークな面も描かなければならない」とでもいうようなお約束?が浸透しています。しかし1970年代の厭世的でダークな「うんざり感」を打破したスターウォーズとスーパーマンを機に、予定調和の娯楽大作が次々と製作されるなど映画が多様化したからこそのバットマンだと思います。その歴史的な意義を踏まえ、さらに、今は亡きクリストファー・リーブへの敬意を込め、10点を献上します。
[映画館(字幕)] 10点(2015-11-28 20:11:50)(良:3票)
26.  恐竜グワンジ 《ネタバレ》 
 この映画の存在は、ハリーハウゼン作品を意識した小学生の頃から知っていました。しかし解説本では「師匠であるウィリス・オブライエンの原案を映画化した/プロットはキングコングの焼き直し/ヒットせずハリーハウゼンは落胆した」と簡単に触れられる程度で、シンドバッド・シリーズなどのファンタジー作品に比べ、地味に扱われていました。そのため、観たいとは思わず月日が流れました。  その後、20代になり、我が家でもビデオプレーヤーを購入しました。隣町のビデオレンタル店にあったので観てみると「こんなに良く出来た作品だったとは!」と嬉しい発見に満ちていました。特に感激した点は、以下の3つです。  一つ目は、恐竜のシーンが後半に集中しているぶん、じっくりとダイナメーションを堪能できたことです。特に【グワンジが早朝に登場し、がけ崩れで気絶するまでの場面】は約10分、【見世物にされるが逃げ出し、最後を迎えるまでの場面】は約13分ほどもあり、大変、観ごたえがありました。  二つ目は、軽快さです。アクションに乗馬を活用しているためか、スピーディーな印象を受けました。BGMも映像を引き立てるように明朗・快活だと思いました。どこかで聞いたことがある音楽だな…と感じましたが、音楽担当のジェローム・モロスは「大いなる西部:1958年」も手掛けたと、後で知り、納得しました。  三つ目は、視覚的なスケールが大きいことです。投げ縄でグワンジを捕獲しようとする場面、大量のエキストラを使った街や大聖堂の場面など、大がかりな場面が多いと思いました。また、馬を使っている分、単に役者さんだけでモンスターを想定し演技・撮影している他のハリーハウゼン作品より手間がかかったのでは…と想像したりもしました。  より細かい魅力は、他のレビュアーさん達が書いて下さっているので繰り返しませんが、それにしてもレビュー数が少なすぎるな…と思います。確かに「最初から最後まで飽きさせない絶妙な面白さ」といった内容ではありません。しかし40分間、待てば、エオヒプスを捕獲しようとするコミカルな場面に始まり、谷の絶景と恐竜の登場…と次々と見せ場が続きます。良く言えば、後半に向け少しずつ盛り上るオーソドックスな展開だと思います。発表されて50年近く経ちますが、時代設定が昔(19~20世紀の変わりめ)であるぶん、良い意味で昔っぽい・味のある【恐竜映画の古典】として、もっと多くの人達に受け入れてもらえたらな…と思います。  さて、採点ですが、他の(下の3名の)レビュアーさん達と同様、10点を献上します。私にとっては【埋もれた名作】であり、もっと再評価されていい作品だと思います。
[ビデオ(字幕)] 10点(2015-09-20 18:10:55)
27.  コレクター(1965) 《ネタバレ》 
 私が高校生の頃、日曜洋画劇場で放映され、解説の淀川長治さんが絶賛していたのを覚えています。当時の主人公の吹き替えは、沢田研二さんが担っていました。その後は、ビデオ(字幕)で観て現在に至ります。  実は、この「コレクター」について、私は3つのバージョンにふれました。一つ目は当映画、二つ目は舞台劇(現在も舞台を中心に活躍中の、日本人の某実力派俳優さんが演じていました)、三つ目が原作小説です。  原作小説は、主人公と女子画学生の日誌が交互に紹介される形で展開します。画学生の日誌は、一応、恋愛要素を加えているので女性的な面はありますが、基本的には、当時のイギリスの社会批評のような内容になっています。クライマックスも映画とは異なっています。  一方、映画と舞台劇は、クライマックスを含めた内容や構成がよく似ていました。果たして、【小説を舞台劇にしたものを、ワイラー監督が映画化したのか】、【映画を基に舞台劇にしたのか】は、私にはわかりませんが…。  さて、私にとって、この類の映画としては、唯一、観ることのできる作品です。ワイラー監督は、それまでの作品同様、一定の礼節を備えた心理劇に仕上げ、テレンス・スタンプとサマンサ・エッガーの演技を見事に引き出していると思います。モーリス・ジャールによる、管楽器を主体にした音楽も独特のもので、あまりサスペンスタッチでないこと(と私は感じましたが、サスペンスらしい音楽だと思ったレビュアーの皆さん、スイマセン…)も、私には観やすい一因かもしれません。  ただ、この映画を観た当時「このようなことは、現実にはあり得ない」と考え、【特殊な状況下での二人芝居】として割り切りっていたからこそ、観ることが出来ていました。昨今の世相では、非常に現実味を帯びてしまっており、複雑な気持ちになります…。  さて、採点ですが、ワイラー監督の晩年の傑作として10点を献上します。
[ビデオ(字幕)] 10点(2015-08-23 22:26:45)
28.  噂の二人 《ネタバレ》 
 子供の自己保身のためについた小さな嘘が、堅実に生きてきた二人の人生を破壊してしまう…世間の風評・決めつけの恐ろしさをテーマにした傑作。これが、この映画を見たときの私の感想でした。  しかし、その後、オードリー・ヘップバーンの自伝(彼女が書いたものではなく、別の人物が、資料や取材に基づいて書いたもの)を読む機会がありました。その中で、この作品は公開当時のアメリカで「同性愛がテーマなのに、中途半端な描写に終始した駄作」といった否定的な評価をされたと知りました。これに対し私は「この映画自体が“同性愛をテーマにしたものでなければならない”という当時の世間の風評・決めつけによって、おとしめられてしまったのではないだろうか…」と思いました。また、これも後で知りましたが、映画の原作である戯曲「子供の時間」の作者リリアン・ヘルマンも「同性愛をテーマにしたものではない」と言っていたそうです。それなのに…  映画の中で、確かにマーサは「世間が言うように、実は…」というようなことを言っています。しかし、私から見れば、人生を狂わされた後の状況下、「そういえば、私は…かもしれない…いや、きっとそうだったのだ、そうに違いない。私が、友人の人生をダメにしてしまったのだ」という内省的で生真面目な思考により、自分を追い込んでしまった言動のように思っています。もし、子供の嘘が【同性愛】でなく、例えば【窃盗】の疑いを抱かせるものであっても、きっとマーサなら「私は、実際に盗みをしていなくても、人のものを羨ましく、盗みたいという気持ちを、心の片隅で常に抱いてきた。だから、世間が言うように、私は窃盗犯として疑われても仕方なかったのだ。私の根っからの心の罪が、噂を招き、友人の人生をダメにしてしまったのだ」と自分を追い込み、映画と同じような結末を迎えていたのではないか…と思われます。  当作品が酷評された後、「これなら文句ないだろう!」とでも言わんばかりにワイラー監督がリベンジするように作り上げたのが、コレクター(1965年)なのかな?…と私は思っています。あくまでも個人的な推測ですが…。  さて、採点ですが、私にとって、世間の風評・決めつけの恐ろしさを、二重の意味(映画自体のテーマ/公開当時のアメリカでの評価)で考えさせられた名作として10点を献上します。
[ビデオ(字幕)] 10点(2015-08-23 22:20:56)
29.  女相続人 《ネタバレ》 
 映画の冒頭で、主人公・キャサリンは 叔母のラビニアと、料理について堂々と自分の考えを述べ、機知に富んだ会話をしています。決して気弱なわけではないことがわかります。しかし、人見知りが強いのか、父親や、身内以外の、特に若い男性にはオドオドとして良い面を見せることが出来ません。父親も、根底では「心優しい娘」と思っているのに、亡くなった妻と比較して否定的な態度をとり続けてしまう…そして娘を守るつもりで、つい言ってしまった一言によって、取り返しがつかくなってしまう…こうした父娘関係が、ズシリと残りました。  キャサリンを演じたオリビア・デ・ハビランドは、私にとって、風と共に去りぬ(1939年)のメラニー役の印象が強く、そのため、父親と決裂した後の、父娘の態度が逆転した演技は見事だと思いました。しかし、その後、かなり勝気な女優さんだったことを知り、実は、前半の大人しい人柄こそ演技であって、後半は“地”を出しただけかも…と思ったりしています。  ワイラー監督の演出については、階段もそうですが、扉の使い方も上手だな…と思いました。特に、恋人(と思っていた)・モリスから捨てられたことがわかり取り乱したキャサリンを、階段による俯瞰ショットで捉え、扉を閉じて区切りとする抑制的な演出は、最近の直情的で生々しい感情描写が主流のアメリカ映画とは一線を画すものだと思われます。  暗闇の階段を昇っていくラストシーンのその後は、色々な解釈があるでしょう。個人的には、明るい曲調のBGMと相まって、キャサリンには、それまでのしがらみを断ち切り幸せな人生を送ってほしいと願いました。しかし、たとえそうだとしても、それは当時の時代だから成立するものだろうとも思いました。つまり、現在の世相では、キャサリンに愛想をつかされたモリスは、自らを恥じて退散するどころか、きっと逆恨みして家に侵入し彼女を殺めてしまうだろうな…ということです。まだ人と人とが、礼節と誇りをしっかりと持ち合わせていた頃のお話かな…とも思います。  さて、採点ですが、広く人間性について考えさせえてくれる名作であり、ドロドロしている内容であるにもかかわらず、最後まで品格を失わずにグイグイと引き込むワイラー監督の技量に敬意を示し、10点を献上します。
[地上波(字幕)] 10点(2015-08-23 22:16:03)
30.  嵐ケ丘(1939) 《ネタバレ》 
 この映画を見たのは、中学生の頃。もともと、テレビ放映されたローマの休日(1953年)に感激し、ウィリアム・ワイラー監督の名が、私の中に強く刻み付けられていました。そして、ワイラー監督が亡くなった後の追悼上映として当作品がリバイバルされ、単身、映画館へ足を運んだのでした。まだガキだった当時の私には【真に愛しているのはヒースクリフなのに、隣人の上流階級の子息・エドガーと結婚してしまうキャシーの心情】は理解し難いものでした。しかし、単なるメロドラマを越えた格調高さは、理解できました。上映が終わり、館内が明るくなったとき、若いカップルのお姉さんが大泣きして、お兄さんが優しくなだめていたのを、今でも覚えています。  大人になり、ビデオであらためて再見したときには、キャシーの心情を理解できるようになり、マール・オベロンのきめ細やかな演技と、それを引き出したワイラー監督をはじめとするスタッフの技量にあらためて感心させられました。エンディングでは、映画館でお見かけしたお姉さん同様、泣けました…。  これとは別に、原作小説を読む機会があったのですが、映画と内容が異なっているのに驚きました。私はそれまで「小説の映画化なら、如何に原作に忠実か」を価値基準にしていましたが、以後「脚色によって独立した作品として完成しているなら、この限りではない」と考えを修正するきっかけにもなった映画でもあります。今でも私にとって「嵐ケ丘」とは、アルフレッド・ニューマンの甘いBGMと共に思い出される、このワイラー版です。  さて、採点ですが…今では「この映画の撮影で渡米していたローレンス・オリビエを追って来たビビアン・リーが、風と共に去りぬ(1939年)のスカーレット・オハラ役に抜擢されることになった」というように、映画史の文脈で抜粋される程度です。しかし、私にとっては、思い出深いメロドラマの古典です。ワイラー監督への敬意を込め10点を献上します。
[映画館(字幕)] 10点(2015-08-23 21:50:25)
31.  ローマの休日 《ネタバレ》 
 この映画を見たのは、中学生の頃、TV放映時でした。親の代理として不本意に“いい子”を演じなければならず閉塞感で一杯だったお姫様が、念願の自由を満喫することで、最後には王族としての自分を自覚し、成長していく…王女を特ダネのネタとしか考えていなかった新聞記者も、いつしか彼女への愛おしさからヒューマニズムに目覚め、最高のプレゼントを残してくれます。恋愛という意味では切ない結末でしたが、人間にとって大切なものは何かを、思春期だった私に再確認させてくれた映画でした。私は感激して、翌日、クラスメートや部活動仲間に話をしたのですが…共感してくれる人は皆無でした。一様に「昔の映画=劣ったもの」というレッテルを張り付け、観てもいないのに「そんな古い映画のどこがいいの?」とまで言われました。白黒映画であることも、このレッテルを助長していました。「何でも新しいものほど優れている」という電化製品の類と同じような価値観を、映画にも当てはめることに対して私は疑問を感じ「きっとこの作品は、これからも時代を越え、愛されるはずだ」と陰ながら思ったものでした。  あれから30年以上が経ちました。他のレビュアーさん達のご意見を拝見すると、(もちろん、万人受けする作品はこの世に無いとしても)、私の陰ながらの思いは間違っていなかったとわかり、安堵しています。以前ほど地上波で放送されなくなったのは残念ですが、ビデオ(DVD・ブルーレイディスク)の普及により、若い世代の人達にも気軽に、この作品が観てもらえるようになったことを幸せに思います。採点は、文句なく、10点を献上します。
[地上波(吹替)] 10点(2015-08-23 21:41:35)(良:1票)
32.  喜びも悲しみも幾歳月 《ネタバレ》 
 この映画を見たのは、小学生の頃、TV放映時でした。当時、雪国である両親の郷里に帰るにも夜行列車などを乗り継いだものです。そのため、映画の中で赴任地が地図で映し出されるたび「こんな遠くに…」と驚きました。一緒に観た両親は、特に戦時下の場面で「殉職と簡単に書いてあるけど、戦闘機の機銃掃射で亡くなったということなんだよ」「お前のお爺さんやお婆さんは、戦争中、このような苦労をして子育てをしたんだよ。そして私達も空襲などに怯えて暮らしたんだよ」と涙ながらに語ってくれました。  その後も、TV放映のたびに観ましたが、都内の松竹系映画館の閉館直前に企画された特集上映で、婚約した彼女と観に行きました。自分達の未来(職業は灯台守ではありませんが)を重ね合わせながら「人生には苦労がつきものだが、二人一緒なら乗り越えていける」と語り合ったものです。  そして今回、DVDで再見しました。あらためて、夫婦の何気ない言葉や仕草の機微の一つ一つ、悪く言えば「似たり寄ったり」の繰り返しから紡ぎ出されるものが、この映画の味わい深さだと思いました。また、各赴任地でのエピソードは、その場限りのものだけではありません。【男木島で息子さんが亡くなりそうなとき、安乗崎で息子さんが買ってくれたバッグを握りしめて病院へ向かう】【息子さんの遺骨を抱えて帰るとき、観音崎で出会った“交通事故でお子さんを亡くしたのを機に、気がふれてしまった奥さん”と、自分の心境を重ね合わせる】というように、エピソードが幾重にも重なり合っていることも、あらためてわかりました。重なり合っているといっても、必ずしも物語を劇的に展開させるわけではありませんが、私達一般人の人生における各エピソードの関連性とは、このようなものでは…と思います。こうした重なり合いが縁で娘さんが結婚し、夫婦二人で灯台の灯をともして門出を祝うラストに至ります。見応えのある2時間40分間でした。  なお、DVDを通じて感じたのは、それだけではありません。①交通網が発達した現代の地理的感覚のままで、この映画を観る方、②灯台守の人達の業務内容の詳細を期待して観ようと思う方、③「次から次へ」といったスピーディーな場面展開や、大どんでん返しといったストーリー展開(そのための伏線)に慣れている方…このような方々には、観るのがしんどいだろうな…感じるものは人それぞれ、万人受けは難しい作品だな…とも思いました。  さて、採点ですが、万人受けは難しいとは思いつつも、灯台守の人達をはじめ、当時の時代を真摯に生きた人々、そして、この作品を世に送り出した木下恵介監督やスタッフの皆さんへの敬意を込め、10点を献上します。
[DVD(邦画)] 10点(2015-07-26 19:38:17)
33.  ドラゴンハート 《ネタバレ》 
 家族向けファンタジー映画の佳作…これが一般的な評価だと思います。しかし私にとっては、人生を変えてくれた映画です。  出会いは偶然でした。たまたま買物帰りに、某映画館の入口にあったテレビで予告編が流れていました。手強いドラゴンに対し、主人公は「倒せるのはあなたしかいない」とヒロインから励まされ、戦いを挑む…という構成になっていました。暇つぶしに…と軽い気持ちで単身、映画館に入ったのです。上映が始まってすぐ、予告編は【編集によるマジック】であり、全く違う内容だと気づきました。しかし逆に感動しました。何故なら【理想を打ち砕かれ、自暴自棄になってニヤけたり、吐き捨てるような言動に走る主人公の姿】と【仕事の理想を見失ってひねくれていた自分】、そして【ドレイコとの出会いにより、再起する主人公の姿】と【理解ある上司との出会いにより、立ち直った自分】とが、重なって見えたからです。コミカルな演出でつなぎながら、締める場面はしっかり締める構成にも好感が持てました。上映後、近くの席にいた若者達も「怪獣への興味で見に来たが“映画”としてよく出来ていた」と言っていました。感じ入ったものは違っていたでしょうが、感動を分かち合えたように思いました。  それから1年後…たまたまレンタルビデオで見ていると、実家から電話がかかってきました。お見合いを受けるか否かを確認する電話でした。電話の途中でちょうど【アーサー王の姿が浮かび上がった柱の前で、主人公が騎士の掟を誓い直す場面】に差しかかりました。私は「会うだけあってみよう。それが人としての誠意ではないか」と思い、主人公が誓うのと同時に、見合いを受けると伝えたのです。すると、柱の向こうから『よく言ったな!』と祝福するように、ドレイコが私をも見つめるように現れたように感じました。  さて、見合いの結果ですが、これも運命の出会いと言いましょうか、話がとんとん拍子に進み、結婚し、現在があります。あれから20年近くが経ちました。最近、春休み用にTV放映されたので録画して観ました。我が子には「この映画が無ければ、お前は生まれていなかったんだよ」と伝えました…と、まあ、嘘のような本当のお話です。  さて、採点ですが、一般的には良くて6~7点といったところでしょう。しかし当時の感動や不思議な巡り合わせの感覚をそのままに「鑑賞環境」は「映画館」とし10点を献上します。
[映画館(字幕)] 10点(2015-04-12 21:40:42)(良:1票)
34.  スター・ウォーズ 《ネタバレ》 
 この映画は、日本での公開前から「往年のハリウッド映画(西洋活劇・西部劇など)のワクワクさせる理屈抜きの面白さを、SFの設定で復活させた作品として、アメリカで社会現象と呼ばれるほど大ヒットしている」と話題になっていました。  私は当時、小学校の高学年でした。私はそれまで、テレビでよく放送されていた1950年代・60年代のハリウッド映画の名作に親しみを持っていたため、冒頭のフルオーケストラのテーマ曲を聴いたときから「かつての名作の雰囲気を復活させてくれている!」と感激しました。特殊撮影もそれまでの映像と一線を画すものであり、すっかりはまってしまいました。そして何度も映画館へ足を運んだものです。  しかし日本での公開当時(1978年)、邦画には強力なライバルがいました。それは「さらば宇宙戦艦ヤマト」です。男性客だけでなく10代の女性客の支持も集めてヒットしていました。そして私の周りは圧倒的にヤマト派でした。ある映画館では、この二つの作品を同時上映していたので見に行きましたが、やはりヤマトに好意的な観客が多かったのです。今でこそ、映画・漫画を問わず、スターウォーズのように現実の地球に囚われない架空の世界を舞台にしたファンタジーは当たり前ですが、当時の人達には理解し難かったようです。象徴的なのが、タトウィーンの二つの太陽が沈んでいく場面です。「これって何?地球じゃないの?」といった戸惑う声が客席から聞こえたものです。結局、当時の私の周りでは、ヤマトは賛美され、スターウォーズはこき下ろされました。内心「何で両方とも面白いね、というように考えられないんだろう?」と複雑な気持ちですごしたものです。  私と同様に公開当時に観たレビュアーさん達のコメントを拝見すると、私の体験はあくまでローカル的なものだったようです。この作品の魅力については、タイムリーに見た他のレビュアーさん達が、余すところなく伝えて下さっているので、私がここであらためて書く必要はないかな…と思いますが、時代を越えて当時の喜びを分かち合えて嬉しい限りです。  さて、採点ですが…、今の若い人達には「普通の映画」という印象に留まる場合もあるようですが、若い人達が面白いと感じる娯楽映画の原点こそ、スターウォーズなのだと思います。その歴史的な意義を踏まえ、10点を献上いたします。 
[映画館(字幕)] 10点(2015-02-23 21:49:13)(良:2票)
35.  ベン・ハー(1925) 《ネタバレ》 
この作品は、以前にビデオで見ました。スペクタクルシーンだけをあげれば、他のレビュアーさん達のおっしゃる通り、1959年版をはるかにしのいでいると思います。戦車競走シーンは言うに及ばず、海戦シーンにしても、1959年版では、一部、ミニチュアを使っていたのに対し、全て実物大を使っていました。また、磔にされるイエス・キリストを大群衆で救おうとするシーンも1959年版には無い大がかりな場面だと思います。  しかし、以下の二つのことで、引っかかったことがあります。  一つ目は、ドラマ性、特にベン・ハーとメッサラの関係についてです。1959年版では、冒頭の再会シーンで、二人が子供の頃、どれほど熱い友情で結ばれていたのかが表現されています。しかしこの1925年版では、ベン・ハーが最初に声をかけたとき、メッサラは迷惑そうな表情を浮かべます。あくまで「昔の知り合い」という程度です。戦車競走で敗れた後も「財産を没収された」と字幕で説明が出るに留まっていました。自分にとって、1959年版は二人の関係が核になっていたと思っていただけに違和感を覚えました。  二つ目は、宗教色についてです。このことによって、ただでさえ1959年版がレビュアーさんたちの間で意見が分かれているのに、この1925年版はより一層、強いと感じました。サイレント映画だから仕方がないのかもしれませんが、聖書からのエピソードを再現した場面では、どの箇所からの映像化なのか、本のページのような体裁でタイトルが出てきます。これでは一層、見た人の間で意見が分かれるように思いました。  おそらく、1959年版を製作するにあたり、ウィリアム・ワイラー監督をはじめとする当時のスタッフの皆さんは「1925年版はドラマ性が弱かったので力を入れよう/宗教色が強い場面は控えめにしよう」というように考えながら脚色したのではないか…と私は推察しています。  さて、採点ですが、上記の引っかかった面はあるとはいえ、映画の創生期にこれだけの大作を完成できたのは、まさに「奇跡」のように思えて仕方ありません。この作品があればこその1959年版だと思われます。1959年版と共に敬意を表して10点を献上します。 
[ビデオ(字幕)] 10点(2015-02-21 16:23:27)
36.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 
この映画と出会ったのは、私が中学生のとき、TV放映時でした。当時は、史劇ならではの大がかりなシーンは勿論ですが、それ以上に、ドラマ部分が印象に残りました。  数年後、大学の視聴覚室にあったビデオ(当時、まだビデオは珍しく、HiFi音声の鮮明さに感激したものです)で再見し、この思いは、さらに明確になりました。何よりもインパクトがあったのが「約束通り、帰ってきたぞ/嘘じゃなかったんだな」と再会を喜び合う冒頭のベン・ハーとメッサラの場面でした。短いシーンですが、どれほど熱い友情で結ばれていたのか、きっと子供時代だけでも1本の映画になるのでは…と想像できるぐらい、二人の演技が素晴らしいと感じたのです。その後の二人の悲しい結末を知っていただけに、あまりに切なく、このシーンから涙ぐんでしまいました。勿論、二人の演技を引き出したウィリアム・ワイラー監督の技量、映像を引き立たせるカメラ・照明、そしてミクロス・ローザの格調高い音楽…と、スタッフの熱意が結実していればこそだと思いました。以後の場面も、同じことが言えるかと思います。また、主人公を演じているチャールトン・ヘストンは、私にとって、それまでは大柄でワイルドな印象が強かったのですが、この作品では、繊細な感情をもにじみ出るように表現していると思いました。映画評論家の水野晴郎さんの言葉だったと思いますが、まさに「全身で演技している」と感じたのです。そしてイエス・キリストの描き方も「これが、欧米の人達が子供の頃から親しんできたキリストのイメージなんだろうな」と感じ「人々の憎しみを洗い流す不思議な力があったのだろう。ベン・ハーも救われてほしい」と自然に思い、クライマックスまで感情移入できました。  その後、映画館で何度かリバイバル上映され、そのたびに見ました。大画面での感動はいつも変わりません。そのため、このレビューでの「鑑賞環境」は「映画館」とさせていただきます。  さて、採点ですが、全盛期のハリウッド映画を代表する作品である一方、どうしても宗教色が強いので、他のレビュアーさん達がおっしゃる通り、意見が分かれるところです。私にとっては、ドラマ部分の力により、宗教色を超えて感情移入が出来たという意味で「奇跡の映画」です。ワイラー監督をはじめとする当時の製作に携わった全ての皆さんへの敬意をこめて10点を献上します。 
[映画館(字幕)] 10点(2015-02-21 16:21:34)
37.  八甲田山 《ネタバレ》 
この映画は、封切り当時、雪山の恐ろしさを私に伝えたい父に連れられて映画館で見ました。当時の私は小学校の高学年でした。以下、当時の感想を、他のレビュアーの皆さんの感想も絡めながら書きます。まず、大画面で見たからでしょうか、雪山での登場人物の顔は、概ね区別できました。青森5連隊と弘前31連隊の場面上の区別にあたっては、「31連隊は、少人数で耳当てをし、歩くときに小声で数を数える」を手掛かりにしました。そしてどんなに努力しても立ちはだかる山・木々・崖・吹雪の夜…という出口の見えない5連隊の場面展開には「絶望」を感じました。また「我々には磁石がある」と道案内を断ったことに端を発する大隊長の態度が事態を悪化させたことは、「組織論」を知らない子供の私でもわかりました。そして「5連隊の人達には一人でも多く助かってほしい。神田大尉は、徳島大尉と再会してほしい」と祈るように見ていたため、全く眠くなりませんでした。徳島大尉の子供時代の回想シーンも印象的でした。私の父も自分の故郷の山や川を自分の原点としていつも語っていたため「つらく苦しいとき、子供時代の故郷の思い出が、生きる力になるんだ」と子供心に思ったものです。このように大画面に没入していたため、遺体安置所で神田大尉の奥さんが「徳島様とお会いできるのだけを楽しみにしていました」と語った瞬間、私は生まれて初めて、映画・TVドラマで涙を流したのでした…。このように、小学生をも感動させる力が、この映画にはあったのです。 その後、年齢を重ねながらTV放映を見るたび、スタッフの皆さんや、実はオールスターキャストだった俳優さん達の、並々ならぬ情熱・苦労・忍耐にも思いを巡らせるようになりました。ただし、最近、DVD(特別愛蔵版)で見たときには、雪山での登場人物の顔が黒くつぶれてしまって違和感がありました。同時収録の予告編での顔はそれほどでもなかったので、おそらくディスク収録上の問題と思われます。私はテレビ画面を一時的に明るく調整して対処しました。もし今後、DVDでご覧になる方で、暗くて顔の区別がつかない場合には、同じようにしていただくと、少しはましになるかもしれません。 さて、採点ですが、最初に見たときの感銘そのままに「鑑賞環境」は「映画館」とし、10点を献上します。芥川也寸志さんの音楽と共にいつまでも鮮明に蘇る、私にとっては永遠の名作です。
[映画館(邦画)] 10点(2015-02-11 19:51:54)(良:2票)
38.  大魔神逆襲 《ネタバレ》 
私はこのシリーズをテレビで見た世代です。最初に見たのは小学生の頃、2作目に続けて見ました。当時は単純に楽しめましたが、中学生のときにあらためて見たときは複雑な気持ちでした。中学当時は宇宙戦艦ヤマトに端を発するアニメブーム真っ盛りで、特撮ものは校内で「幼稚なもの・見るに値しないもの」とこき下ろされていたのです。そのため、この3作目については「特撮シーンは良くできているのに、ドラマ部分の子供達の演技は、お世辞にも上手いとは言えないように思う。だから周りから馬鹿にされてしまうんだ」と悔しくて仕方ありませんでした。  30年以上経って、1作目・2作目と共に鑑賞したところ、当時とは印象が変わりました。子役さん達の演技は、さほど気になりませんでした。私自身が子供の親となり、すっかり親の目線で子供達の山越えに感情移入していたのです。「安全面には配慮していたのだろうが、危なげな山間での撮影は子役さん達にも酷だったのではないだろうか」と撮影エピソードにも想像を巡らせました。むしろ気になったのは、他の皆さん達もおっしゃる通り、荒川飛騨守の悪役としての設定についてです。1作目・2作目の領主と異なり、武人像を壊すどころか、魔神に言及する場面さえありません。鶴吉が身を捧げるときも「杉松と大作だけは許してあげて下さい」と祈っているのであって「悪い領主を懲らしめて下さい」とは言っていません。それなのに、宝剣で刺し貫かれてしまうほどの怒りを大魔神から向けられてしまう最後には少々同情してしまいました。敢えて言うなら、神の使いである鷹の射殺が逆鱗に触れたと言えなくはありませんが、あくまでその場での部下の判断であり、飛騨守の命令ではありませんし…。 特撮については、2作目で控えめだった実物大の手・足のアップによるアクションが復活し、火薬工場の設定を活かした派手な爆発シーンも増えました。一方、天災を魔神の行為として表現した冒頭のシーンにも迫力を感じました。もし、リメイクされるときが来たら?、この冒頭の表現も加え、驕れる悪者達をなぎ倒してくれたら…と思ったりしています。  さて、採点ですが、荒川飛騨守の設定に物足りなさを感じるものの、当時のスタッフの皆さん達の誠実な仕事ぶりは十分伝わってきました。3部作をまとめて日本特撮映画の古典的名作と位置づけ、大甘で10点を献上させていただきます。
[DVD(邦画)] 10点(2015-02-07 16:14:38)
39.  スター・トレックVI/未知の世界 《ネタバレ》 
米ソの冷戦終結という世相を背景に、クリンゴン帝国との和解をテーマにした、初期レギュラーによる映画版の最終作。 映画館で見たとき、途中の展開は「アメリカ開拓時代の、白人とネイティブアメリカンの人々との対立と和解をテーマにしたお話で、似たようなものがあったような…」とは思いましたが、「SFという設定で、現代社会の問題を提起する」というスタートレックの原点を堅持しながら、3作目であっけなく亡くなってしまったカークの息子・マーカスについて取り上げ、クリンゴンとのわだかまりを解いていく方向へと活かしていくなど、それまでの映画シリーズの展開を上手に締め括ってくれたな!と感激しました。公開当時、スタートレックの生みの親であるジーン・ロッデンベリー氏は亡くなられていましたが、映画の中で、その追悼の意も明記されており、きっとこの作品を天国で喜んで観ていてくれただろうと思いました。私自身、社会人になっており、映画版の1作目を初めて見た高校時代からの歳月を振り返り、映画版の節目と人生の節目を重なり合わせて感無量になりました。  敢えて言うなら、①スポックが目にかけていたヴァレリスは、2・3・4作目に登場したサービック(バルカン人とロミュラン人のハーフ)であれば、一層、彼女の行動が意味深になったのでは…ということ、②音楽が全編にわたって重々しく、できればジェリー・ゴールドスミス氏(1・5作目担当)か、ジェームズ・ホーナー氏(2・3作目担当)であれば、よりいいかな…とは思いました。ただし、個人的な好みの問題であって「あの映画のままで良い」という方々も多いでしょうから、評価からすれば些末的な要素かと思います。  さて、採点ですが、初期レギュラーによる映画版の締め括りに相応しい作品として、10点を献上いたします。
[DVD(字幕)] 10点(2015-01-11 19:50:12)
40.  故郷への長い道/スター・トレック4 《ネタバレ》 
3作目のレビューにも明記しましたが、当時、2作目・3作目は、ファンには好評でも、それ以外の観客からは低い評価を受けていました。こうした【身内受け】的な面を打開すべく作られたのが当作品でした。狙いは的中し、ファン以外の観客からも幅広い支持を受けて大ヒットを記録しました。 さて、日本で、この映画に好意的になれるかは、テーマを【反・捕鯨】と捉えるか【自然保護がテーマであって、たまたま対象が鯨である】と捉えるかにかかっているのではないか…と思います。私は後者として映画館で観ました。そして、未来人であるキャラクター達が、現代のアメリカに来て、習慣の違いで笑わせるという【タイムスリップ】ものの要素をふんだんに盛り込み、役者さん達もとても楽しそうに演技していたのが印象的でした。また、もともとスタートレックは、TVシリーズの製作動機に「SFという設定で、現代社会の問題を提起する」という面があり、その意味で、この映画もスタートレックらしい、原点に立ち戻った作品と言えるのではないか…と思っています。 さて、採点ですが、ある種、【番外編】的な作品ではあるものの、ファンだけに留まらない、作品としての多様性を示唆してくれたことに敬意を表し、10点を献上させていただきます。
[DVD(字幕)] 10点(2015-01-11 19:45:02)
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