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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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401.  ×ゲーム(バツゲーム)(2010) 《ネタバレ》 
この原作者の著作は読む気にならないが、今回は原作がどうなっていたのか気になったので読んだ。 原作でも根本原因はいじめだが、起こったことは単なる性格異常者の猟奇犯罪という印象が強い。それだけでは不足と思ったのか、映画では組織的な復讐ということにして社会性を持たせているが、そのためにかえって荒唐無稽の度合いが増してしまっている。また話を大きくした割に、最後に糾弾すべき相手が特定されずに拡散してしまったのは、いわば社会派崩れの腰砕けという印象もあった。 いじめる側や黙認した教員の悪質さを強調して観客の憎悪を煽るのは、映画の見せ場である残虐行為を心理的に肯定させるためだろうが、劇中の大学教員の発言によれば、こういう映画ができるのも世間がそれを望んでいるからだと言い訳していたようで、結局は一般大衆の嗜好に媚びた形になっていたようである。登場人物のうち金持ちの同級生は行き過ぎた復讐という意味合いを出すための存在だったのだろうが、結果的にはあまり印象に残らず、この男が語った心の傷の説明も取ってつけたように思われた。  また原作では性格異常者の極端な執着としか思えないものを、映画では悲しく痛々しい愛情という印象に変え、破滅的なラブストーリーとして一定の共感が得られるよう再構成したと見える。これはアイドル映画としての性質からも十分理解できる。 それと同時に主人公の男の境遇にも憐憫とやるせなさを感じなければならないのだろうが、しかしこの男は最初から態度が極めて苛立たしく(本物のバカ)、自分としては真っ先に死んで当然だと決めつけていたら主人公だったというのが意外な展開で、最後までこの男には同情する気に全くならなかったのは作り手の意図に沿っていなかっただろうと思われる。  そのほか映像化という面では悪い印象はなく、主役の人物も苛立たしい(バカな)人間像を好演している。刑の執行時のおふざけ感などはいいとして、残酷描写はそれほど徹底しておらず(尻に穴がない)、真に迫っているのは登場人物の顔芸だけだったようだが、それも残虐なだけの映画ではないという作り手の意図を反映していると解することはできる。 ただ現実問題として、自分としては見ていて最初から最後まで不快感しかなかったというのが実態だったので、それをそのまま反映した点数にしておく。関係者の皆さんはご苦労様でした。
[DVD(邦画)] 1点(2017-06-30 19:48:18)
402.  お兄チャンは戦場に行った!? 《ネタバレ》 
同じ監督の「沈まない三つの家」(2013)と同時に撮影されたもので、これだけが別の小編として編集されたとのことである。当然ながら同じ川が重要な舞台になっている。 導入部に刺激的な要素を持ってきているが(人体損壊・流血)、全体としては心温まる家族(兄妹)の物語である。当初は劇中の兄に同情もできずにこいつはバカかと突き放した気分だったが、そのうち事情があることもわかり、また何より妹が兄と観客の間を取り持ってくれているように感じられて、最終的にはこの兄に対する制作側の温かい視線にも共感できるようになる。結果的には最初の凶行も前向きな決断だったのだと納得した。妹の方は最後に何か変化があったのかどうかよくわからなかったが、次は妹の側が兄に背中を押されるような場面もありうるのかも知れない。 なお自作中に下世話なものを出すのがこの監督の特徴だが、今回は少し毛色の違ったものを出してきている。
[DVD(邦画)] 7点(2017-06-24 09:39:42)
403.  沈まない三つの家 《ネタバレ》 
「チチを撮りに」(2012)、「湯を沸かすほどの熱い愛」(2016)と同じ監督の映画で、やはり家族がテーマだが雰囲気は同じでもない。いかにも人工的な世界を作り込むのかと思ったらそれほどでもなく、また一つひとつの場面に細かい意味を込めているようだがわざとらしさは感じない。意外に普通の感覚で見られる映画になっており、どちらかというと「琥珀色のキラキラ」(2008)に近い印象である。  この映画で川が意味するものはよくわからないが、文字通り水に流すということのほか、自然かつ否応なしに前に進めていくという意味か、また題名との関係からすれば浮かすということもあるかも知れない。三つの家族それぞれに物語ができているが、ある程度の共通項として“必要とされること”が台詞に出ているほか、感覚的には“赦し”も大きな意味を持っていたように思われる。登場人物の中ではコンビニ店長が意外に重要人物で、キーパーソンというほどでもないが結節点にはなっており、顔の印象からしても“赦し”を体現していた感じである。また相模家の叔父がかなりいい男で、自分がこの映画の中にいるならこの人物の役でありたいと思った(痛いのは嫌だが)。自分がどうあれ誰かに必要とされるのは嬉しいことだ。  この監督の特徴と思われる露悪趣味に関しては、今回それほど気に障るところはない。見るからに下世話なものは出ていない(終盤で流下した液体は排泄物ではないと思われる)が、性的な危うさということでは、近親間の性愛感情(娘から父?)が背景に隠れていたようである。また不道徳という面では、神田家の妹役の松原菜野花さんが今回も万引きをさせられていた。ちなみに神田家の姉は非常に賢明で先読みする人物だったようで、おかげでDVの脅威は回避されたのだろうと思っておく。 ほか、やはり極端な誇張表現が若干あってどうも馴染めないが、それも監督の個性ということで納得するしかない。今回は川にマグロはいなかった。
[DVD(邦画)] 7点(2017-06-24 09:39:38)
404.  オルド 黄金の国の魔術師 《ネタバレ》 
わりと新しいロシア映画である。冒頭表示される文字は縦書きだがロシア語だろうから字幕が出ないのは変だ。 題名の「オルド」は「帳幕」と訳していいかどうかよくわからないが、とりあえず劇中に出る「黄金のオルド」という言葉は、チンギス・ハーンの長子ジョチを祖とするキプチャク・ハン国(金帳汗国、ジョチ・ウルス)を指している。映画はこのキプチャク・ハン国とモスクワの府主教アレクシイとの関係を描いており、年代的には序盤の暗殺が1343年、終盤の暗殺が1357年で、日本では南北朝時代に当たる。 考証的なことはよくわからないが見た目でいえば、ハンの都(恐らく「サライ」)はみすぼらしいようで結構な壮大感がある。皇太后が宮殿ではなく郊外に住んでいたのは遊牧民の伝統を固守する人物像の表現だろう。劇中のモンゴル人がやたらに野卑で粗暴なのはロシア側の蔑視感情の表れかも知れないが、その性質を受け継いだといわれるロシア人自身も、他国の文明人から同じように見られていたのは言うまでもないことである。 一方、モンゴル人がキリスト教会のある粗末な村に来て、知り合いだったらしい住民と立ち話を始めたのは何かと思っていたら、これがモスクワ大公イヴァン2世に対し、キプチャク・ハン国が要求を突き付けた場面だったというのはかなり度肝を抜かれた。そのあと鶏のいる裏庭で大公が見せた必死さがまるきりその辺の一般人のようなのも笑った。ちなみに字幕の「王子」は明らかに誤訳で(英語からの重訳?)、これは「公」と訳すのが適切である(歴史的には「大公」とされている)。  物語の面では、説明を排して専ら状況を見せる形になっている。 最初の1/3くらいはヨーロッパ人がほとんど出ず、文化的素地の全く違う意味不明な風習を見せられるのが面白い(泣き女のようなのがいい)。ロシア人が出て来てからもすれ違ってばかりのようだったが、人命尊重の観念がないだけで実は気のいい連中だというところも見えていた。皇太后は最初から親和的、臣下の男も同情的で、ハンも言葉は乱暴ながら“少し待ってやろう”という意思を最初から示していたと解される。 ストーリー上のメインになるのは「奇跡」だろうが、本当に奇跡が起きたのかは不明瞭である。府主教の受難によって神の慈悲が下されたと思うのもいいだろうが、あるいは本人が何もしていないと語ったように本当にたまたまだったとも取れる。以前にウラジーミル(モスクワ近隣の都市)の疫病を終息させたというのも同じとすれば偶然の連続だが、毎度の身を捨てた行動があったからこそ後に聖人に列せられたということかも知れない。なお劇中アビニョンからの使者が登場して助け助けられしていたのは、正教会もローマ教会もない唯一の神の意思が働いたことの表現か。 またこの映画の立場として、信仰心のない「黄金のオルド」はやがて衰退し、ロシアは生き残ったと言いたいのかも知れないが、これもそれほどはっきり示されているわけではない。この映画を見たロシア人は、モスクワ・ロシアと正教会の正統性を主張する立場から都合よく解釈することが認められているが、それ以外の人間なら、たまたま起こった出来事を並べて描写しただけと取るのも勝手だろうと思われる。これは、単なる事象の連なりにどう意味付けをするかという、いわば歴史解釈に関する一種の問題提起になっているようでもあるが、ただし単なる羅列と捉えてしまうと、映画としてのストーリーがないも同然になってしまうのが問題である。やはり歴史には物語が必要だということか。  結果として様々な面で興味深い映画であり、また映像が美的なのも印象深かったが、しかし娯楽映画としては難があるので他人には勧められない。ちなみにこれを見てから、昔のドイツの音楽グループ「ジンギスカン」の曲を聞くと気分が出る(「めざせモスクワ」Moskauなど)。
[DVD(字幕)] 8点(2017-06-10 09:27:53)
405.  花戦さ 《ネタバレ》 
華道家元池坊に伝わるエピソードを題材にした原作の映画化である。自分は無粋なので花を愛でる習慣はないが、美というものが確かにそこにある、ということは映像から納得させられる。また千利休との関係を強調した物語のため、いわゆる三千家も製作に協力している。主人公が初めて利休を訪ねたときに突然泣き言を言い出したのは、映像では見えない作用を利休の茶が及ぼしたという表現のようで興味深かった。  原作はわりと淡白な感じの小説で、最後の勝負など本当にこれだけでよかったのか、という思いが残るものだったが、映画では序盤の岐阜城と終盤の前田邸の対応関係が明瞭で、庶民にできる最高度に強烈な反撃という印象も強まっていておおむね納得させられる。この場面では観客としても息を詰めるようにして見入ってしまい、その余韻は鑑賞後もしばらく後を引いた。また全体としてのメッセージも明快で、美と芸術家を賞揚するにとどまらず、秀吉含め全ての人それぞれの個を咲かそうとする物語になっている。素直にそう思えるだけの愛おしさが劇中人物には感じられた。 ほか秀吉との対比ということだろうが、美的なものへの関心の高さや批評精神など、京の町衆の文化水準の高さが表現されている。それは原作も同じだが、映画を見るとジョークのレベルも高かったようで感心した(少し古風で漫才風?)。  登場人物に関しては、序盤では主人公が変人すぎて呆れたが、終盤はそれらしい人物像に収まっていたようで悪くない。人を覚えられなくて苦労するのは個人的に共感できるので、茶室の場面では見ている方も泣き笑いになった。この主人公に寄り添う弟の人物像もいい。 また「れん」というのは原作にない人物だが、映画の飾りとしてのヒロインというだけでなく、掛け軸のサルなど見ても、父親を含めた形での存在意義がちゃんと付与されていたようで安心した。外見的には可愛らしいが(森川さん本当に可愛い)それだけでなく、最後には芸術家としての側面を含めた人物像も見えて来る。主人公がこの人の名を呼んで手に取った蓮の花が、本当にこの人らしく見えたのは感動的だった。 そのほか人懐こく笑う町娘はどこかで見たと思ったら、「湯を沸かすほどの熱い愛」の妹役(鮎子ここにあり)の伊東蒼(あおい)という人だった。子役も含めて役者揃いのように思われる。  結果としては小説を何となく映画化しただけのものでなく、単なる華道家元のPR映画でもなく、花がきれいだった、で終わりの映画でもなく、それ自体の存在意義をちゃんと主張する映画になっている。人に勧めるかは別として自分にとってはいい映画だった。
[映画館(邦画)] 8点(2017-06-03 22:49:26)(良:1票)
406.  好きっていいなよ。 《ネタバレ》 
原作がどうなっているのか知らないが、とりあえずこの映画に関してはエピソードを5個つないだ総集編のように見える。もともと孤立的だった主人公が、最初のエピソードで男と出会ったのをきっかけにして人間関係を広げていき、最後に最大の危機を乗り越えて題名の言葉に至る、という構成自体はまとまって見える。 しかし各エピソードが掘り下げ不足のように見え、形式論だけ述べて簡単に終わってしまう印象がある。また延々と自分語りをするとか登場人物同士で説教し合っているようなのがかなり変な感じで、恐らくは原作からの縛りがあったであろう不自然な台詞をそれなりにこなさなければならない役者の皆さんはご苦労様だった。  登場人物に関しては、主人公(ヒロイン)は特に好きになれなかったが、最後まで地味な顔に見えたのは方針として徹底している。主要人物で一番感じがよかったのがおっとりした友人で、胸がスイカかどうか関係なしに和むキャラクターだった。ほか男は基本的にどうでもいいわけだが、金髪の男はなかなかいい奴なのに最後まで独りだったのは不運を背負わされた感じで残念だ。 この映画で若年女子の皆さんがキュンキュンしたとすれば成功なのだろうが、ちなみに自分が少しキュンとしたのは「…考えどこなの」と言っていた役名なしの女子(ちゃんと高校生に見える)で、自分がこの高校にいたらこの人が好きになるだろうと思ったが、恐らく実際は高望みである(どうせおれなんか相手にしてもらえない)。ほかバイト先のお姉さんは感じのいい人で好きだ。なんでこんな映画を見ようとしたか自分でもわからなくなったが、見てしまったからには自分なりに見どころを探すということが重要だ。
[DVD(邦画)] 3点(2017-05-30 19:54:32)
407.  男子高校生の日常 《ネタバレ》 
題名からすると男しか出ていないようで見る気が薄れるが、実際見れば男女比が均衡しているので悪い印象はない。男は要はバカばっかりだが、くどくならないのでわりと気分よく見ていられる。女子の不敵な態度とか酷薄な感じも悪くなく、主人公の妹の強硬姿勢も見ていて心地いい。個別の台詞としては「温暖化そんな甘くないっつーの」という突き放した一言が個人的に好きだ。 男女それぞれ日常会話で騒ぐ場面が多く、話の内容自体に大した意味はないわけだが男女別の特徴は出ている。同じ監督の「私たちのハァハァ」(2015)も見たことがあるが、若い連中のわちゃわちゃ感のようなものを好む監督なのかも知れない。また原作由来かも知れないがギャグネタが可笑しいところもあり、登場人物の行動(演出)で失笑させられる場面も多い。物語の面では特に何だというほどのものはないが、年に一度の非日常のハレの日を何となく迎え、実はそれぞれ期待するところのあった男3人の思いが実を結ばず終わった侘しさと、明日からまた日常が戻って来るという諦念を残したラストに見えたのは悪くない。 登場人物に関しては、今回は目当ての女優が三浦透子さんと山谷花純さんの2人いたので個人的には豪華キャストだったが、ほかにコンビニのお姉さんにも目を引かれてしまったりする。また「チームしゃちほこ」の当時のメンバーが全員出ていたようで、劇中ではマイナー扱いだったが自分でさえグループ名だけは知っている。名乗り部分にものすごい脱力感を覚えるグループだった(ただし4年前)。 以上、人生への啓示を得られるようなものでは全くないが、自分としては単純に面白かった。これはけっこう好きだ。全国的に評判がよくないようだが悪い点はつけられない。  ちなみに中身と関係ないが、撮影に使った海の見える学校は静岡県沼津市の廃校ではないかと思うが、今回を含めて自分としてはここで撮った映画を3つ(または4つ)見たことがあり、その全部に前記の三浦透子さんが出ていたりする。近年かなり便利に使われているらしい。
[DVD(邦画)] 6点(2017-05-30 19:54:30)
408.  ある戦争 《ネタバレ》 
アカデミー賞外国語映画賞の2015年(88回)ノミネート作品とのことで、日本でいえば「たそがれ清兵衛」(2002)と同格だが、個人的感覚ではこれの方が上である。出演者インタビューによれば、この映画の監督は「演技ではなく状況に反応する」ことを求めるのだそうで、「シージャック」(2012)に続いてドキュメンタリー調に見えるのもそれと関係あるかと思われる。また問題提起はするが答えを与えない監督(脚本家)とのことで、この映画も文字通りの“考えさせる”映画になっている。  内容としてはアフガニスタンで治安維持活動に従事するデンマーク軍部隊の隊長が、民間人の殺害容疑で裁判にかけられる話である。監督によれば、デンマークでは実際にそういうことが現地指揮官の心配事になっているらしい。 まず劇中では誰も明言していなかったが、爆撃の結果として攻撃が止んだのならその場に過激派がいたこと自体は明らかであり、誤って民間人だけを死なせたというわけではない。恐らく爆発物のエピソードのように民間人を盾にしていたと想像されるが、そういう状況で、いざというときに自国民(軍人)と外国人のどちらを優先するかの問題だったと思われる。劇中の検事(法務官)は、人類社会の正義を代表しているようでいて実は単なる手続論の話しかしておらず、存在確認さえすれば殺人ではないと言っていたのも同然である。また弁護人の立場は台詞に出ていた通りであって、どちらの主張にも絶対的な正当性は感じられない。判決がどうなるかは出演者にも知らされていなかったとのことで、自分としてはけっこう驚く結末だったが、判事が諸事情を勘案の上で妥当な結論を出したということなら尊重する必要がある。 ちなみに日本では、最後は国家が悪い軍隊が悪い戦争は嫌だと言えば済むことになっているが、デンマークほどの民主国家なら軍の派遣を決定したのは疑いなく国民自身の判断ということになるだろうから、そういう逃げ場はないことになる。国全体として劇中の妻/母のような立場を取るなら派遣などやめるという選択もありうるが、基本的には国際貢献としてあえて汚れ仕事を引き受けているという考え方だろうし、これに関してもデンマーク国民の判断を尊重するしかない。ただ、自分の国に関してそういう判断をするのは一国民としても確かに難しい。とりあえず南スーダンからはみな無事に帰って来られそうで幸いである。  なお、主人公に対する副隊長の批判的発言は自分としても非常に耳が痛いことで、これで主人公が自分に似たタイプの人間であることが知れてしまった。副隊長はそつなく賢い男だろうが主人公も悪い奴ではなく、一度は事実を認めようとしたことからも個人的には共感度の高い人物像だった。そもそも女性通訳にこの男の弱点を衝かせるような筋立ては卑怯だ。
[DVD(字幕)] 8点(2017-05-21 16:26:18)
409.  シージャック(2012) 《ネタバレ》 
ドキュメンタリー調だが作為的なところが目に付く。“魚にキス”のあたりはいかにもな感じで、これで劇中人物や観客の気を緩ませようとするのがわざとらしい。また終盤では料理人の行動に不自然な点があり、こういう観客が違和感を覚える出来事を発端として最後の大事件を起こすというのは物語の作りとして甘いのではないか。これで落胆してしまったため、残念ながらあまりいい点は付けられない。  そのほか基本的なところはよくできているように見える。 社長はそれなりの規模の会社経営を担う身であり、役員会の監督を受ける一方で社員への責任も負う立場にある。大事を取るならプロに任せる手もあっただろうが、あえて自分でやることにしたのは多少の自信があったのと、やはり本人が言っていた通り最高責任者たる使命感からということか。当初は交渉案件の一つという認識だったかも知れないが、少なくとも銃声を聞いて以降は社長というより人としての責務がかなりの重圧になっていたように見える。結果的にはぎりぎりのところでうまくやれたわけだが、恐らく最後の悲劇のせいで、経営者としてはともかく一人の人間として、自分の経歴に真黒な汚点を残した思いだったのではないか。立派な人物のようでも一皮むけばその辺のオヤジと同じ人間なわけで、社会的責任の重い人はご苦労様というしかない。 一方で料理人は一般人なのでそれほど厳しい姿勢は求められないが、しかし会社のアドバイザーも言っていたように、契約を履行する感覚で身代金を払えば終わりになるわけでは全くなく、また些細なことで簡単に人命を奪う(自分以外の人命を尊重する観念が初めからない)人間がこの世界に存在することがわかっていなかったのは認識不足だったかも知れない。そのために、この料理人も元の幸せな家庭人に戻れなくなってしまったようだが、まあそれは殺された船長も同じだったわけである。結論的にいえば、現代の文明人(デンマーク人、日本人などの大部分)は生物種としての人類全ての生命を尊重しなければならないと思っているが、相手も同じとは限らない、という教訓を含んだ映画に見えた。この世界では“人の性は悪なり”と思っておくのが無難ということである。
[DVD(字幕)] 7点(2017-05-21 16:26:15)
410.  育子からの手紙 《ネタバレ》 
劇中に実名で登場する人物の手記を原作として映画化したものである。いわゆる難病ものであり、具体的には小児がんである。 この映画で失敗ではないかと思うのは、チラシなどに使われている主人公(:題名の少女、以下同じ)の写真がどうも“お涙頂戴”感というか、愛は地球を救う的な雰囲気を醸し出しているため見る気が減衰することである。ただ実際見れば意外にそういう印象はなく、わざとらしい演出はほとんどない感じで自然に見ていられる。 特に自分としては、主人公の周囲がみな心優しい人物ばかりなのがありがたかった。主人公の境遇自体が厳しいため、その上に同級生や道行く人々の心ない仕打ちに傷つけられる通俗ドラマのような場面など見たくないという思いが生じる。また実話ベースということもあるだろうが、主人公のいわれなき苦しみを見せられた観客の憤懣をどこかの方向へ誘導して無理やり社会問題化する、といった類のものでもない。あくまで主人公の生きようとする姿を見せて、見た人のこれからの人生に働きかけようとする映画になっている。清々しい、というと語弊があるかも知れないが、人間のもつ真心の部分だけを素直に映像化しているように思われた。 この映画で特に心に残るのが主人公の表情で、普通に笑顔や泣き顔も見せていたが、身体や心の痛みに耐えて目を見開き唇をきつく結んだ顔が見る者の心に刺さるところがある。ナレーションで語られる手紙の内容はほのぼのしているのに、映像では主人公がひたむきにたたかう姿を見せていたのも印象深い。 病気のためとはいえ、凡人であれば長い年月をかけてやっと得られる(あるいは死ぬまで得られない)認識や覚悟をわずか13~15歳の間に得たのは痛々しくもあるが、あるいは短くても誰よりしっかりと生きた人生だったと解すべきなのか。この年になるまで厳しさもなく、何をやってきたのかわからない人生を過ごしてきた者には眩しくも見える人間像だった。  なおどうでもいいことだが余談として、劇中で石段と郵便ポスト(と家庭ゴミ集積所と町内会掲示板と案内図)があった場所は仙台市太白区向山にある。文字通り、仙台の中心部から広瀬川を挟んで向かいにある山手の地区で、現地から逆方向に見れば中心街が見える。
[DVD(邦画)] 7点(2017-05-08 21:44:50)
411.  悼む人 《ネタバレ》 
映画を見た段階ではわけがわからず面倒臭いだけと思ったが、その後に原作を読むと、小説の内容を手短にまとめた形になっているようではある。「悼む」ことの動機が何かということよりも、主人公の姿から何を感じ取るかが大事というのは映画でもわからなくはなかったが、しかし映画では観客の心に訴える事例の積み上げが不足している感じで、「悼む」ことへの共感度が高まらないまま物語が展開していく印象があった。 また主に序盤で見る者を苛立たせる類の演出が連続するのは不快でしかなく、特に息子を殺された母親の話し方が非常に耳障りで、これに耐えて見たことをありがたく思えと言いたくなる。加えて雑誌記者が父親の店で、自分の世界からしかものが見えない視野狭窄の傲慢オヤジに嫌味を言われて反省したように見えたのが非常に腹立たしく、そういう点で映画自体に反感を覚えたため、結局最後まで皮肉含みの感情のまま終わってしまった。 ちなみに映画で感動するところはなかったが、さすが原作には問答無用の説得力があって引っかかるところも特にない。ただし分量が多いのでかなり時間を食う。ほか映画では同行者の人物(石田ゆり子)に年齢なりの色気があって大変よかったが、主人公役もそれらしい感じで悪くなかった。  なお原作者インタビューでは原作の発端になった世界的事件のことが語られていたが、どうも社会問題の見方が皮相的というか、そもそも社会全体を視野に入れようとする意識が決定的に欠落していると感じられる。息子を殺された母親に関していえば、親の心境がどうあれ警察が身内の犯罪を隠蔽することが許されていいわけではない。個人の問題と社会の問題はあくまで別次元で捉えるべきものであって、自分が「悼む」ことに共感できるのは個人レベル限定である。
[DVD(邦画)] 5点(2017-05-01 19:57:33)
412.  ジョーカーゲーム 脱出(エスケープ) 《ネタバレ》 
まだ若いアイドルが突然亡くなるというのは痛ましい。 映画としては前作「ジョーカーゲーム」(2012)の続編であり、劇中世界も連続した形で作ってあるが、内容はレベルダウンした印象がある。 まず劇中の教育プログラムに関して、前回はまだしも政府の意図が読めたのに対し、今回は見たところ単に支離滅裂で、結局は「この国の忠実な僕となる」人材を残すのが目的というのでは何も考えていないも同然である。どうやら今回はまともな社会批評は完全放棄されたらしく、悪いことは全部国家権力のせいという安易さだけを残した形になっている。また軽目ではあるが残酷描写や、変質者のようなのが出ていたのも志が低い印象を生んでいる。 ゲームについては副題通りの単純な脱出の話で、ババ抜きは最後の人数調整にしか使われていない。途中で出る「七つの大罪」もほとんどこじつけでしかなく、前回に比べても単調な印象がある。また前回の登場人物と今回初出の人物に姉妹関係があって、これが最後に意外な結末につながる構造になっていたが、前作を見た立場としても姉妹設定のことを終わってから思い出す始末であって、少なくとも個人的にはあまり有意義な趣向ではなかった。ちなみに姉妹役の2人は、外見的な印象では明らかに姉妹が逆である。 結果として“社会は厳しいので信頼関係など求めず、とりあえず肉親の情を優先すべき”という話に見えたが、そういう理解でいいのかどうか。正直あまり褒めるところはないが、個々の出演者はイメージダウンを恐れずに頑張ったのだろうから全否定もできない(吉田まどかさんは毎度悲惨な役でご苦労様)。主に社会性の面での退歩を反映して前作△1点としておく。
[DVD(邦画)] 4点(2017-04-18 19:41:47)
413.  ガガーリン 世界を変えた108分 《ネタバレ》 
ガガーリンの有人宇宙飛行が成功した4月12日は、ロシアでは「宇宙飛行士の日」になっているそうで、本日は56周年に当たる。 その時の飛行時間が108分、この映画は113分でほぼ同じになっているが、映画全部をリアルタイムの宇宙飛行にするわけもなく、主人公の回想とか家族のエピソードを挟む形で構成されている。しかし、そのために肝心の宇宙飛行がブツ切れになり、また意味不明瞭なエピソードもあったりして散漫な印象になっている。堅実なようでもあるが浅い感じで、映画としての面白味も不足しているというのが正直な感想である。 ただ個別の場面としては、主人公の父親が皆に褒められて照れていた?顔などは悪くない。また着地後のカプセルの周囲に立入禁止区域が設定されているのに、子どもらが駆け込んで走り回っても誰も止めなかったのは、当時もある程度の緩さがあったことの表現になっている。フルシチョフも時々出るが茶化され気味のようだった。 また、いつも悪者にされるばかりでいいところがない現在のロシア連邦の人々にとっては、かつてソビエト連邦が人類史を背負っていた時代があったことを思い出して元気づけられる映画かも知れない。自分としても“ソビエト連邦は偉大だった”とか言ってノスタルジーに浸りたくなるが(今はないから言えることだが)、ただしエンディングの写真で主人公が日本を訪問した際に、「平和の使者ガガーリン」と書いた横断幕を掲げていたお調子者の人々には全く同調できない。このとき使われたヴォストークロケットは、核兵器を搭載する大陸間弾道ミサイルをもとにして開発されたことを忘れてはならない。  ほか余談的に書いておくと、候補として選抜された20人の名前をアルファベット順に読み上げる場面で、「コモロフ」と字幕に出ていたのは「コマロフ Комаров」が正しいのではと思うが、この人物は後のソユーズ1号の事故で死亡し、その事件がKomarov’s Fallというオーケストラ曲で描写されている。その次に呼ばれた「レオーノフ」は、アーサー・C・クラークの「2010年宇宙の旅」(映画「2010年」)に出ていた宇宙船の名前に採用されており、どちらもその場面では顔が出なかったが有名人である。 また花屋の前で揉め事を起こした「グリーシャ」(グリゴリ・ネリューボフ)は、結局は飛行士に選ばれず、失意のうちに5年後に不本意な死を遂げたようで、そこまでわかって見ていれば選抜の厳しさも知られるというものである。
[DVD(字幕)] 5点(2017-04-12 19:30:15)(良:1票)
414.  泣き虫ピエロの結婚式 《ネタバレ》 
一般募集による「日本感動大賞」の第4回大賞作品(2014)を小説化したものを原作にした映画である。「実話をもとにしたフィクション」とのことだが、原作を読んでいないのでこの映画独自の脚色部分などはわからない。 内容としては予定通りのラブストーリーであって、全体として驚くほどストレートに進行する。主人公(女性)が迷いなく一途に愛を貫くことが大前提になっているらしく、多少の障害は強行突破していくような展開だが、これが女性の観客には支持されるということなのか。新郎側の父母はともかく主人公(新婦)の父母の寛容さが並はずれた印象があったが、これはこういうお話だと思うしかないらしい。自分の立場としては新郎の思いや迷いには共感できるものがあったはずだが、序盤の少女マンガ風のところでこの男に対する好意が思い切り失われてしまったため、結局最後まで冷たい目で眺めていた。 また見る側の問題かも知れないが、All for you…とか一人か二人かといった登場人物の人生観に関わる部分が形式論に終わったようで物足りない(北原白秋の詩は難しすぎる)。劇中唯一笑ったのはYouTubeの話で、ここでは”you”がちゃんと複数形で捉えられている。ほかに読めない字とか駐車場の車といった細かい仕掛けはあったようである。 ちなみに出演女優の発言によれば、「一番キュンとしたのはおんぶのシーン」(志田未来)、結婚式の場面は「キュンの集大成」(新木優子)だそうである。また初日舞台挨拶で監督から、“自分のことを棚に上げて他人の揚げ足を取る意地悪な言葉が世間にあふれている”という発言があったのはその通りと思うが、そのせいでここでの悪口も書きにくくなった(以上の文章にも若干反映されている)。
[DVD(邦画)] 4点(2017-04-10 00:03:30)
415.  正しく忘れる 《ネタバレ》 
近親者の死による悲しみそのものでなく、そこから派生するいわば二次的な感情が問題にされていたようだが正直よくわからなかった。適切に忘れるというのは皆が普通にやっていることで、自ずとそうなるのなら別に問題ないだろうが、あえて抵抗しようとするのは自分がそうされたくないことの裏返しということか。また最後に主人公は故人の遺志を継ぐと決意した感じだったが、それだととりあえず現段階での凌ぎ方でしかない気がする。これが確定結果ということなのかどうか。 ほか全体的に台詞の文章量が多い上に話が難しいので登場人物が理屈っぽく見える。主人公に関しては、どうするのがいいか頭ではわかっていながらわざわざ逆方向に感情を掻き立てているようで、必死の思いで何かにすがるような切実さが感じられるわけでもなく、見る側を否応なしに同調させる作りにはなっていない。 そのようなことで、よくわからないが自分としては共感できない映画だった。心の底から共感できたのは、よく目にするが目的地にはならない「中央林間」という場所に行ってみるところだった(たまたま通過したことはある)。  ちなみに出演者のうち、主人公の弟役は素人目にも心許ない感じで(これが監督本人?)、タイトル直後の夕食場面でこの人物の顔が映ったところでいきなり映画自体が安っぽく見えた。自覚した上でやっているのだろうから言っても仕方ないわけだが。また主演女優は好印象だが、サークル仲間の少年は演技がくどい。
[DVD(邦画)] 4点(2017-04-05 20:36:21)
416.  正しく生きる 《ネタバレ》 
予告編を見ていると、まずは「正しく生きる人間にしか生きる資格はない」という発言が強い印象を残すが、本編を見ればこれをまともに受け取るのは間違っていることがわかる(要は年長者に席を譲れというだけ)。 これに続いて予告編では、「正しく生きる」ことについて出演者がそれぞれの見解を語っていたように聞こえる。「みんなが正しく生きると戦争が起こる」というあたりは世代特有の正義を背負った感じだが、ほかにも「正しい」こと自体を否定しようとする発言があり、こういう業界の人々はよほど他人からの押し付けを嫌うということらしい。まあ自由な社会なので何をやろうが大抵のことは咎められないわけだが、最低限、社会の共通認識としてのルールを受け入れなければ誰も生きていけないことになる。 一方で“謙虚であれということ”とか、“自分で考えるということ”といった発言もあったのには救われる。生きる上での正しさを考える場合、“社会と自分の関係をどうするか”と、“自分の進む方向をどうするか”の二面があるように思われるが、いずれも自分で考えながら模索していく種類のものと思われる。ただ個人的には、「正しく生きる」などということを全員が考える必要はないとも思う(そういうことを自分の頭で考えない人々は常に人口の一定割合を占めているので求めても無理)。  予告編に関しては以上として、本編を見ても何が言いたいのかは結局わからないが、これを見て「正しく生きる」とは何かをそれぞれ考えよう、と呼びかけているのなら存在意義のない映画でもない。しかし自分としては、今どき社会の転覆を企てるセカイ系オヤジに同調しろとか、誰のルールにも従わないのが正しいといった俺様ルールを押し付けようとしているのかと疑ってしまって素直に見ていられない。またそれとは別に、登場人物の鬱屈や苛立ちを観客に見せつける方に重点が置かれたようでもあり、この題名自体をまともに受け取るのが間違っているのかとも思われる。どうもこの手のものは信用できる気がせず、最後はもう勝手にやっていろと突き放して終わりにしたくなる映画だった。 ちなみに震災をネタにすることの必然性は感じなかった。震災があってもなくてもこの連中はこの通りだろう。
[DVD(邦画)] 4点(2017-04-05 20:36:17)
417.  レッドタートル ある島の物語 《ネタバレ》 
いわゆる異類婚姻譚というものらしい。鶴女房ならぬ亀女房ということになるが、あるいは浦島太郎の話だとすればこの島自体が竜宮城のようなものということになる。 竜宮城といっても現世から隔絶した異世界ではなく、文明世界の産物が流れつくとか、はるか彼方の大地震による津波が大洋を渡って来るからにはこの地球のどこかであって、何者か(カメ?)がやっている邪魔だけが外界との間を隔てていたらしい。浦島太郎は元の世界に帰って一気に加齢してしまったが、この映画の主人公は帰ることなくそのまま過ごしたことになる。 また亀女房として見た場合、女房の方から押しかけて来た理由の説明はなかったようで、ここは“彼女が彼に恋をした”という解釈でいいのかも知れないが、あるいは旅人に妻や娘を差し出して子種をもらう風習のようなものかとも思う。「おおかみこども」とは男女が逆になるが、実際に主人公の一人息子はカメの世界(海の世界?)に引き取られて行ったように見えた。 悪くいえば主人公は絶海の孤島に幽閉され、死ぬまで牢獄で過ごすよう強いられたともいえる。ただ、もしかすると本来は遭難して死んでいたはずのところをこういう形で生かされたのかも知れず、それで結果的にでも心の充足を得られたのなら幸福な一生だったということか。自然の中で生かされて自然の中に子孫を送り出し、最後は型どおり自然に還って終わる(死体はカニが食う)という物語として個人的には納得した。 なお基本的にはファンタジーだが、生物としてのウミガメの寿命が実際に長いことがこの話に真実味を加えていたともいえる。  そのほか視覚的には、天候や時刻によって変わる景観の彩度を抑えた色彩感が好ましい。月に照らされたほとんど無彩色の夜はかえって世界の広がりを感じさせた。また各種生物がそこら中に生息していて、多様性の面ではそれほどでもなかったようだが、カニの動きが終始ユーモラスだったあたりはジブリアニメっぽいといえなくもない。
[DVD(邦画)] 7点(2017-03-25 22:54:41)
418.  鷹の爪8 ~吉田くんのX(バッテン)ファイル~ 《ネタバレ》 
「秘密結社鷹の爪」の劇場版第8弾ということのようである。このシリーズは初めて見たので事情がよくわかっていないが、今回は主に20世紀の島根県吉田村を舞台として、「吉田くん」が世界征服を志すに至った動機とその結末(予定?)を描いた形になっており、いわゆる「鷹の爪団」はほとんど出ない。 今回のネタ元は題名に出ているとおりTVドラマ「X-ファイル」(1993~2002アメリカ)で、エイリアンとかオーパーツとかUMAとかオカルト色が濃厚だが、そのほかどうしようもないギャグネタ満載のせいで失笑の連続である。個人的には「ジョン&パンチ」などというものを日本国民の一体何割が憶えているものかと呆れた(TVドラマ「白バイ野郎ジョン&パンチ」1977~1983アメリカ)。 ちなみに20世紀の吉田村にいた同級生の里美役は、声優ではなく女優の森川葵という人で、何でこの人でなければならないと思ったのかよくわからないが、外見はかわいいのに性格がきついキャラクターを当てたのは悪くない(声優としての力量については何ともいえない)。こんなアニメを自分が見たのはこの人が出ていたからだが、そうでなくとも本編のバカらしさだけで結構面白いと思わされる映画だった。ちなみに少し切ないところもある。  なお余談として、映画の中にも島根県の自虐カレンダー(2017年版)が出ていたが、旧国名とか個々の場所は知られているのに県単位で存在感のない例は他にもあるわけで(例えば×重県)、自虐してまで無理に売り込む必然性はない気もする。出雲大社とか石見銀山とかの有名どころ以外にも、映画関係でいえば錦織良成監督の「島根3部作」や、少女時代の夏帆が出演した「天然コケッコー」「砂時計」があり、さらに「砂の器」に出ていた「亀嵩」(仁多郡奥出雲町)も吉田村からそれほど離れていない場所にある。そのほか個人的には、著名な都市伝説「〇とりばこ」が旧松江藩領内の話だったことも覚えており、ちゃんと知っている人は知っているということである。まあ知らなくても困らないとはいえるが。
[DVD(邦画)] 6点(2017-03-25 22:54:38)
419.  魔法少女を忘れない 《ネタバレ》 
ライトノベルを原作とした青春映画で、福岡市に拠点を置く「テレビ西日本」が中心になって製作し、撮影は福岡県内で行われたとのことである。結果的にはさまざまな面で見る側にかなりの寛容さを求める映画になってしまっているが、それでもあえて自分としては褒めることにした。こういうものを大真面目に作ったTV局はえらい。  まず「元魔法少女は忘れ去られる運命にある」というのが基本設定になっており、これが終盤ではかなり衝撃的な形で描写されていたが、しかしそのように“忘れられる”ことだけでなく、“忘れる”ことの悲しみも強く表現されていたようである。人は何かが好きだと思ったとき、同時に自分のその気持ちがいつか失われることを予期して悲しく思うことがあるが、そのような主人公の思いが切なく感じられる映画だった。 また「元魔法少女」とはそもそも何のことなのか、説明がないまま終わらせるという突き放した態度も嫌いでない。劇中歌の歌詞で、“恋をしたら呪文を忘れる”というようなことを言っていたのをまともに取れば、実際に(発端の時点から?)恋をしていたので魔法が使えなかったのかとも思われる。終盤の荒唐無稽かつ都合良すぎの展開は、2人の強い思いが魔法に負けないほどの奇跡を生んだとでも思っておくしかないか。  登場人物に関しては、劇中の魔法少女はほとんどの場面で可愛らしい美少女に見えたが、鋭角的な顔立ちのせいもあって単純にカワイイで終わりにならない複雑な印象があり、これがいかにも魔法少女らしいといえなくもない。 一方の幼馴染はマンガっぽい可愛さを出しており、序盤で眼鏡がずれたところなどは秀逸だったが、中盤での告白場面はあまりにも痛々しいので正直泣かされた。ここまで延々と語らせておいて何で早く受け止めてやらないのか、と男の側に言いたくなったが、結果的に受け止めてやらなかったのは非常に意外だった。結局、誰かのハッピーエンドは別の誰かの不幸を前提にするものだったようで、これが魔法少女の魔性ということかと思わなくもない。 ただ彼女は忘れられたとしても、逆に彼女の方が忘れることもできるという意味ではお互い様である。大人ならそう思って納得するところだが、しかしその場の当人にとってはそうもいかないのであって、ここは自分としても大昔の記憶がよみがえる気がして若干切ないものがあった。
[DVD(邦画)] 6点(2017-02-16 23:14:01)
420.  魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's 《ネタバレ》 
TVアニメ「魔法少女リリカルなのは」シリーズの劇場版である。TVシリーズ第1期(2004年)の劇場版は「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st」として2010年に公開されているが、この映画は第2期「魔法少女リリカルなのはA's」(2005年、全13話)の劇場版として2012年に公開されている。前回からあまり経っていない時期のようで主人公は依然として小学生女児だが、激しいアクションを伴う戦闘少女アニメであり、せめてもう少し大人になってから戦ってはどうかと言いたくなる。 物語としては、前回は母と子の問題が大きく扱われ、形の上では一般社会に問題を投げかけたとも取れる作りになっていたが、そのせいで話が大げさすぎて不自然に見えた。その点今回はこのアニメ内部で閉じた話のため違和感はないが、ますます現実から隔絶した架空世界に閉じこもったようでもある。前回に続いて“話せばわかる”というようなコンセプトが出ており、また最初は敵でも最後は友達になるという展開が基本構造のようにも見えるので、ここから無理にメッセージのようなものを読み取るとすれば“心を開いて仲間をつくるのが大事”というような話だろうが、しかしまあ現実にはキャラクター同士の個別の関係性を超えた一般化など求められていないのだろうという気はする。 なおreinforceというあからさまな英単語はファンにどう受け取られているのかわからないが、自分としてはreinforced concrete (RC)の印象が強いため人名に使うのは抵抗感がある。ほか個別の場面としては終盤で、ここは号泣するところだ!!!と明瞭に指定した感じの演出が印象に残った。  ところで前回はDVDをただでもらったという理由で見たが、今回は明らかに自分の意思で見た形であり、アニメファンでも何でもない一般人としての良識が問われることになる。日本アニメは少女嗜好と切り離せないところがあるにしても、変身シークエンスのフルバージョン?(かなり執拗)など見ていると、これはもう本当に限られた人々向けの特殊な創作物ではないかと思わされるが、それでもこういうものが日本のアニメを支えてきたからこそ「魔法少女まどか☆マギカ」のような、より一般向けに開かれたもの(間口は狭いが)も生まれて来たわけだと前向きに捉えておく。 ちなみに2017年夏には劇場版3作目が予定されているとのことで、なかなか息の長いコンテンツであるらしい。
[DVD(邦画)] 5点(2017-02-16 23:13:59)
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