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花守湖さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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421.  髪結いの亭主
歳をとるって嫌ね・・と、あの女性はそう言ったが、彼女は愛する夫に愛され続けたかったのだ。しかし夫婦は、年齢を重ねるごとに愛人同士から、共同生活者へと移行するのが現実だ。彼女はそれに耐えられなかったというわけだと考える。
7点(2003-10-14 19:14:24)(良:1票)
422.  さよなら。いつかわかること
正直に言う。私は私以外の誰かが死んだことでショックを受けたことは、今まで生きてきて一度も無い。おばあちゃんが死んだ時も、おじいちゃんが死んだときも、友だちが事故死したときも、すぐに立ち直った。何を言いたいのかといえば、私は私が亡くなった人を愛していたが絶望をしなかったということだ。取り乱すこともなかった。本作品の父親はあきらかに絶望して、廃人になりかけている。「父親のてめえがそんな腑抜けになって子供が守れるのかよ?」これがこの映画を観た第一印象です。それと同時に人は人が死んだらここまで絶望できるのか?と不思議に思ってしまった。父親の行動は明らかに常軌を逸している。亡き妻の声が吹き込んである留守番電話に独り言を言うシーンや、子供を無断で学校を休ませ、そのあげく、自分も無断欠勤して、幽霊のようにドライブに出かけるなど、もし私が子供で、こういうオヤジがいたら、不安で泣いてしまうだろうと思う。それに反比例するかのように娘2人が天使のようにかわいい。特に長女は、オヤジが悲しみのあまり暴走してしまったことを直感的に気がついている。わざわざ学校に電話をかけている。子供に心配させてそんなことまでさせる親などクソかもしれない。すなわち、人間の心の弱さは当然ではあるが、親という立場になれば、子供の前でこれほどまでに己の弱さをさらけ出して暴走しても良いのだろうかと思ってしまうのだ。ロードムービーというよりも、むしろ父親の暴走。それでもそのおかげで子供に対して独裁者であった父親の内部では何かが変わりつつあった。娘にピアスをすることを容認する。それどころか娘が不良と隠れてタバコを吸っていたら「そんなヤツとタバコを吸わずに俺と一緒にタバコを吸おうぜ」なんて言い出すありさま。もしこれが現実ならば娘は「オヤジが狂った」と思うだろう。やっぱり、こんなオヤジ、イヤだ。早く立ち直ってくれ。お前がどうなろうが知ったことじゃない。娘2人を安心させろ、このばか者が! 
[DVD(字幕)] 6点(2011-04-10 21:46:02)
423.  第9地区 《ネタバレ》 
人間が人間を差別することの問題よりも、人間が動物を虐待する問題に見えました。たとえば住む場所を人間に奪われたクマやイノシシが、だんだん食料がなくなって、やむえず食料を求めて山を降りてきたら、「元の場所に帰れ」と追い返されるイメージ。ようするに人間に目障りな動物は、山奥という名の第9地区に閉じ込めてしまえということです。それで人間の都合で山奥を開拓して新しい工場を建てたら、自動的に動物たちは立ち退きを迫られる。野生動物からすれば、どこへ行けというのだと途方に暮れるしかない。南アフリカの移民問題のメタファーというよりも、むしろ動物に対する人間の横暴が映し出されているように私には見えました。基本的に動物というのはモノです。かりに他人の所有する動物を殺してもそれは器物破損扱いになるだけ。この映画のなかで人間がエイリアンのことを果たして、同等に扱っているのか、それともやはり動物として扱っているのか微妙なところです。エイリアンに承諾書のサインを求めていることから見れば、いちおう人間扱いされているのでしょう。しかし平気で彼らを殺しているところをみると、動物と同じように、モノと同じ扱いを受けているように私にはみえる。エイリアンの巣を焼き払うのだって、スズメバチの巣を処分するのと同じ感覚だ。そういうわけでエイリアンを人種差別の暗喩としてみるのはちょっとムリがある。しかし一組の親子だけが、やたらと知能が高い。そして何よりも「愛」という感情を表に出している。従って観客はこのエイリアンを同じ人間として自然と見てしまう。だから共感できる。絶体絶命の状況からこの親子が地球を脱出するシーンは、それだけでも、ショーシャンクの脱出劇と同じような爽快なカタルシスを得ることができる。私は地球からの脱出劇として面白い作品だったと思います。
[DVD(字幕)] 6点(2010-08-20 23:01:14)
424.  オーストラリア(2008) 《ネタバレ》 
子役が悪い、子供に踊りをさせ、あざとく可愛く見せようとする演技指導は鼻につく。反対にニコールキッドマン。あなたは何歳になってもかわいい。今回のように瀟洒な身なりをしたお嬢さん役は、彼女の天性のはまり役だと言える。恋人の役のヒューはあいかわらずウルヴァリンよろしくワイルドな一匹オオカミだ。これまた彼のはまり役である。俳優としての格は、ニコールとヒューじゃ女王と足軽ほどの違いがあるが、2人の恋愛描写はじつにナチュラル。本気で仲が良いことが伝わってくる。ただし、甘すぎる恋愛は時として人を胸焼けさせることもある。その甘さを緩和させる役目として、預言者のおじさんが強烈なスパイスを与えてくれることを保証しよう。彼のあやしさはもはや変態の領域に突入している。そのせいか、小僧も魔法を使ったりするので、真面目に見ていたら肩透かしを食うことになる。B級ファンタジーとして観ることをおすすめする。ただし、意味も無く人が死にすぎる。子役の母親の溺死は唐突過ぎる。アル中男が死ぬのは予想していたが、その数分後にヒューとニコールが酔っ払ってキスをしている。よく考えれば夫も最近怪死したばかりじゃないか。不埒な未亡人だ。しかも2人のラブラブな様子をガキが盗み見して、最後にみんなが大笑い。命が軽すぎる。まさしくここにはBの雰囲気が漂っていた。歴史認識にクレームをつけたがる日本人もいるだろう。この件に関しては、私から言わせると目くじらをためる必要はないと思う。ハリウッドといえば反戦を建前に、ナチスドイツをネタにして、巨額の大金を稼いできた産業だ。もともと昔からこんなもの。日本人としては日本語の棒読みを笑い飛ばせる余裕が欲しいところ。私は笑い転げながら愉しめた。   
[DVD(字幕)] 6点(2010-04-16 22:16:48)
425.  レッドクリフ Part I 《ネタバレ》 
赤壁の戦いをたった一言で説明するならば、あと一歩で天下統一だった曹操が、9回裏に痛恨の同点満塁ホームランを打たれて延長戦に突入してしまった出来事です。けっきょく曹操軍は、侍ジャパンのように延長戦で勝利し天下統一。劉備の国は、あの趙雲が命がけで助けたバカ息子のせいで滅亡。曹操派の私にとってはハッピーエンド。こういうふうに、わりと冷めた目でこの映画を観ていましたが、張飛が馬に体当たりするシーンや、趙雲が飛んできた矢を素手でキャッチするシーンには大笑いしました。武将の超人化はおおいに歓迎です。しかし曹操は独特の不良っぽさが感じられませんでした。まるで出世競争に負けて天下りしてきた小役人のおじさんのようです。不敵に笑うシーンも泣き顔に見えます。しかも色ボケジジイでした。三国志は晋の時代に、蜀出身の人によって編纂されたものですから、曹操悪人、劉備善人は恣意的に作られたものであることはわかっています。しかしそれでも曹操といえば、絶対悪であるべきです。それが物語の楽しさです。それにしても中村。とても味方には見えません。曹操よりも人相が悪いです。口をひん曲げて笑う顔が、完全に前科10犯の悪党でした。お前が曹操を演じろよ。周瑜と孔明が琴で会話するシーン。その背景の映像が幻想的で素晴らしかったです。まさかアクション監督にこんな映像美が作れるとは思いませんでした。今回はいろんな意味で違ったジョンウーが見られます。恋愛シーンもその1つです。あのジョンウーがラブシーンを演出するというだけで、レアな価値があります。
[DVD(字幕)] 6点(2009-04-01 21:41:42)(良:1票)
426.  最高の人生の見つけ方(2007) 《ネタバレ》 
この映画は「人生にはお金よりも大切なものがある」ということを必死になって観客に伝えようとしています。しかし世界各地を旅し、豪華なホテルに泊まり、世界最高の美食を味わい、世界の絶景を眺め、絶世の美女とあれこれするよりも、モーガンのような死に方のほうが高尚だとは私には思えません。世の中、やはりお金なんですね。お金さえあれば夢さえ買える。しかし死ぬ間際まで元気でいられるというのも夢に過ぎません。ふつうはずっと病室で苦しんで最後に意識がなくなって、それでも植物状態で延命させられて、家族のほうも「そろそろ死んでくれよ」と口には出さないが疲れ果てた顔でそう思っている。それが現実。アフリカで冒険をしてピラミッドの頂上にのぼり、香港の夜景を楽しみ、アメリカに戻ってきてらばったり死ねるなんて都合がよすぎてまさにファンタジーでしょうね。それから、「見ず知らずの人に親切をする」なんて当然ではないでしょうか?人は見ず知らずの人を救うことで自己満足を得ようとする。その心理を突き詰めると、自分の存在理由を他人に証明してもらいたいからです。私も昔は生まれたからには意味のある人生を送りたいと思っていました。今はそうは思わない。極論を申しますと、「人生」には最高も最低もありません。何も立派なことなどはしなくていいのです。「人生」はただ生きているだけで素晴らしいし、誇れることなんです。基本的に「人生」というのは他人を支えるために存在します。妻は夫を支え、夫は家族を養い、親は子供に嫌われてもすべてを犠牲にして我が子を一人前に育てる、子供は親がジジイになったら介護地獄に陥っても最後まで面倒をみる。タイヘンですね。自殺せずに人生を完走できるだけでやはり立派ですよ。かりに死ぬ間際に3億円の宝くじがあたったとして、その権利を使わずに、高尚な人生論をふりかざし、家族に見守られて静かに死んでいくことなど私にはできません。いろいろ言いたいことはありますが実にいい映画でした・・。とりあえず、入院したときは必ず金持ちの隣のベッドにしてもらうということだけは覚えておきます。
[DVD(字幕)] 6点(2009-03-16 21:26:59)(笑:1票)
427.  ミスト 《ネタバレ》 
宗教狂いの女のほうは、最初は1人ぼっちで孤立していたが、恐怖が人々を支配するようになると、徐々に勢力を伸ばし始めるという人間劇が展開され、そのなかで宗教に身をおく人間たちが、ことさら愚かにみえるのは仕方ないにしても、間違ってもこんな女には従わないとは断言できないところが奥深い。たとえば「神」を信じない者であっても、初詣で祈ることはあるだろう、それが「神」に対する祈りでなくとも、何かに祈っていることは間違いないわけで、つまり「神」という具体的な存在をいくら否定していても、見えない抽象的な存在に祈ったり、罰に怯えている。それが人間の本質である。ようするに意識して「神」を信じるか、それとも無宗教の日本人のように潜在化で信じるか、そのどちらかである。「わたしは無神論者です」と単純に主張する人間ほど、その本質を理解していない。人は弱いからこそ、見えない力を信じて生きている、そしてミスト(霧)はそんな人の深淵に潜むものを露にしていく。すべての人間は宗教観を持っているのだ。とても濃密な人間模様だと思う。問題のラストシーンでは主人公の行動を理解できない観客も多い。しかし主人公は、世界が滅んだ、と思ったからこそ、それを決断したのです。当初マーケットの周辺のみの霧だと思われていたが、ついに車で脱出してみると、実は全世界が霧で覆われており、すでに人類は絶望していた─。観ている私はそう解釈し、それが衝撃的ラストの意味だと思い込んだ。仮にそんなラストでも充分説得力はあったはずだ。しかしこの作品のテーマはあくまでも「人間の本質」を表現することなので、霧を晴らすことにし、人間の愚かさを炙り出した。世界滅亡という思い込みは、先の見えない霧が、そこまで人の想像力を飛躍させた結果なのだ。誰が主人公を責められようか?アーメン。 
[DVD(字幕)] 6点(2008-09-22 18:10:22)(良:2票)
428.  コンスタンティン 《ネタバレ》 
ようするにたばこを吸っていると、血を吐いて末期がんになって、あげくのはてに地獄に突き落とされるという話です。悪魔と付き合いたくない人はタスポ導入をきっかけに、タバコをやめたほうがよさそうです。それから自殺という甘美な休息を求めたものは大きな代償を支払わなくてはいけない。地獄への片道切符を強制的に買わされるわけです。ですから生きるという意味は喜びである以上に、神の試練だという意識が強い。神と悪魔が対立しているのではなく、どこかでお互いを必要とし合っている。私には神と悪魔が談合しているように見えました。  
[地上波(吹替)] 6点(2008-05-27 22:10:56)(良:1票)
429.  28日後... 《ネタバレ》 
主人公は感染していませんがとても凶暴でした。兵士のめんたまのなかに指をいれてぐりぐりして絶命させています。もしゾンビが喋れるならば「やりすぎ!」と言うと思います。もしこれで主人公が感染したら恐ろしいゾンビになりそうです。ちなみに人間たちはゾンビに殺されてしまう恐怖よりも、集団から孤立している事実に怯えている。この映画の本質はゾンビとの戦いではなく、孤独との戦いだと思います。そして孤立している人間が他の人間と出会ったときの安堵感がひしひしと伝わってくるのが素晴らしい。主人公がハローと叫びながら、無人の荒野と化した街をさ迷い歩いているシーンがあり、そこから2人の男女の仲間と出会ったときなどは、観ているこちらのほうが思わず安堵してしまう。またマンションの最上階でがんばっている父娘がようやく仲間と出会えたときも、なにかとても嬉しい気持ちになれる。死ぬか生きるか?という問題よりも、いつ孤独から解放されるのか?ということに興味をもって最後まで観る事ができました。そういう意味でDVD版のラストシーンはとても満足できる。ヘルプではなくハローには大きな意味がある。主人公は常にハローと言ってきた。彼は強烈にコミニケーションを求めていたことが分かります。孤独からの脱出。これこそこのゾンビ映画の本質です。ラストシーンにカタルシスを得ることができました。孤独な世界観が素晴らしいゆえに、人と人とのふれあいの重要性を再認識させてくれます。  
[DVD(字幕)] 6点(2008-05-23 21:23:41)(良:2票)
430.  リーピング 《ネタバレ》 
信仰を失った人間が再び信仰を取り戻すまでを描いたホラー系ヒューマンドラマという新ジャンルの物語なので必見です。主役のヒラリースワンクは宣教師でしたが信仰を失い、売れっ子科学者にとらばーゆしました。それがいかにもB級っぽくて逆に好感が持てます。しかし悪魔崇拝者たちが超能力少女を殺す手段として、なぜヒラリーをスカウトしたのか分かりにくい。結論からいうと超能力少女は悪魔ではなくて天使でした。つまり神です。神を殺せるのは神に仕える聖職者だけだそうです。聖職者には宣教師も含まれるのでしょう。しかも現役の宣教師じゃなくて引退した元宣教師でも神を殺せるようです。だから悪魔崇拝者たちは元宣教師の彼女を村に招いて、神の化身である女の子を殺させようとした。彼女は信仰を失っており、すでに神を信じなくなっていたので神を殺すのに好都合だという理由もあります。そういう事情でヒラリーは村にスカウトされたのだと思います。不思議なのは悪魔崇拝者たちです。なぜ彼らは神の情報にそんなに詳しいのか?広辞苑に「神の殺し方」についてのっていたのでしょうか。いずれにせよ悪魔崇拝者が神の化身の少女と対決したとしても、ゴミクズのように殺されていたでしょう。少女の強さは尋常ではありませんでした。ラストはスピルバーグの「宇宙戦争」を彷彿させるかのように人間が一瞬のうちに灰になってしまう。だけどいなごの大群に窒息死させられるよりはマシな死に方かもしれません。だから最初から少女には近づかないほうがいいと言ったはずです!攻撃をしなければ少女のほうから害を加えることはなかったはずです。悪魔崇拝者たちは神の殺した方を覚えるよりも、さわらぬ神にたたりなし、という言葉を覚えるべきでした。こうして元宣教師は神の力をみて再び信仰を取り戻しました。めでたし。めでたし。  
[DVD(字幕)] 6点(2008-05-17 20:09:58)
431.  夏物語(2006) 《ネタバレ》 
泣きました。手を離さないでほしかったです。手を離した時は(>_<)と思いました。村ののどかな雰囲気がなんともいえませんでした。雨がしとしとざあざあ降っていました。雨がとても印象に残りました。主役の男の人は韓国で有名な人ですが私は名前を知りませんでした。でもこの人の泣き笑いのような顔はほほえましかったです。女の人も知りませんでした。みるからにさち薄そうな人でした。切なかったです。なにかよく分かりませんが人生ってうまくいかないなぁと思いました。でも不幸じゃないような不思議な終わり方でした。やっぱり人生ってうまくいかないけど、一件落着、という感じでうまくおわるんだなぁと思いました。おもわず人生を語りたくなってくる・・そういう映画でした。
[地上波(字幕)] 6点(2008-04-25 18:06:41)
432.  ゲド戦記 《ネタバレ》 
ゲド戦記というより吾朗日記でした。ゲドの名を借りて、偉大な父をもつ吾朗氏が、己の苦悩を隠喩を用いて告白するというものでした。ようするにこれは壮大な自分探しの冒険です。個人的にはクモという魔女が素敵でした。最後になるとクモは、「千と千尋」のカオナシのように無力になってしまうのですが、テルーはそれでも容赦なく、竜に大変身して、口から何かよからぬものを吐き出して、放心状態の魔女を爽快にぶち殺してしまいました。かわいそうでした。おまえが命を大事にしろよ。また賢人のハイタカに従うアレンの姿は、鈴木氏に従う吾朗氏の姿を連想させて泣けてきました。それから性格の悪いおばはん2人組のことを「あれでも子供を気遣っているからマシだ」と言ったテナーの言葉は重要です。王様と対比されているからです。家族をかえりみずに国民のためだけに働いてきた王様は、日本の大勢の子供のために映画をつくってきた宮崎駿氏のことであり、吾朗氏はそのことを皮肉っているのです。この映画の副題は「いかにしてボクは虚無から脱したのか」にしましょう。人間は不安が深くなると無意識に感情のスイッチを切り防御します。それで不安は消えますが喜びもなくなる。この状態を「鬱」といいます。つまりアレンは不安に耐え切れず「こころ」を捨てたのです。その「こころ」が影の正体だと考えます。そこから脱する方法がこの映画のメッセージです。「生」の充実は「死」を肯定することで実感できる。これだと分かりにくいので言い直すと、春のありがたみは冬を経験してこそ実感できる、つまり喜びは不安が存在してこそ成立するということです。哲学です。子供の視点は皆無でした。しかしこの作品はそれでもハウルより上です。ハウルはもっと1人よがりで子供を激しく置き去りにしました。多分宮崎駿氏はもう才能が枯れ果てていると思う。だから鈴木氏の危機意識も理解できる。ジブリはいま世代交代を模索している時期です。私としてはカンヌで立派な賞なんて取らなくていいからワクワクするアニメを作ってくれる人を後継者に選んでほしいです。 
[DVD(字幕)] 6点(2008-04-17 19:18:48)(良:3票)
433.  メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬
一見すると、罪をおかした人間が悔い改めたように見えるが、じつは主人公の暴力に屈しただけという見方もできる。いかにもアメリカ的な解決方法で、罰を与えた本人のみがカタルシスを得ている。ようするに、殺すか?それとも赦すか?という以前に「何ゆえにお前が裁くのだ?」という疑問を持ってしまう。もし人を裁くことについて監督に質問をしたら「親友だからその権利はある」と答えるのだろうか?これを見ていると、「友情」という1つのテーマは、単に罪をおかした人間に罰を与えるための手段に過ぎない気がしてならない。ちなみにアメリカという国は常に何かに対して「許さねえ!やっつけてやる」と叫んでいる。その怒りの源泉は分かりやすくいうと「義憤」である。本作の主人公の奇怪な行動もシンプルに説明するならばそれは「義憤」になる。日本人からすれば、たったこれだけの理由で?と思われる義憤でアメリカ人は時々激しい攻撃性を発揮する。しかもそれは自己陶酔をおびた義憤だから始末に終えない。主人公の老カウボーイはまさに典型的なアメリカ人を表現していた。
[DVD(字幕)] 6点(2007-09-19 18:57:35)
434.  ダ・ヴィンチ・コード 《ネタバレ》 
よりによってイエス・キリストの末裔を「人間」にして、しかも「女」にして、あげくのはてに「アメリ」にしたのですから、これはレベルの高い挑発でした。キリスト教の信者なんて偉そうなことをいっても、しょせんは男尊主義の思想がある差別主義者の集団なんですね。腹がたちます。だったらアメリじゃなくて、パリス・ヒルトンをキリストの末裔にして信者たちを失神させてほしかった。それが本当の「挑発」をするということです。それと悪の親玉にマグニートが出てしまいたがすぐに逮捕されました。やはり念力を使わないとただのじじいでした。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-08-15 21:18:09)(笑:1票)
435.  エリザベスタウン 《ネタバレ》 
クロウの映画にはM男が多く登場する。本人もMなのでしょう。そしてオーランド・ブルームはそういう意味では適役のMでした。キルスティン・ダンストは底抜けに明るくて気さくな女性を演じている。まるで2人の関係は、しっかりしたお姉さんと頼りない弟という関係です。彼女はいい意味でオーランドを攻め続ける。オーランドは始めのうちは、上の空で彼女の話を受け流していましたが、だんだん彼女の熱のおびた話しかけにひきこまれていく。・・・・・。 いきなりですがここでキルスティン・ダンスト論をぶちまけます。彼女はヘタレ男を癒す不思議な魅力があると思う。ヘタレヒーローのスパイダーマンが惚れるのも無理はない。 この女優さんは、弱い男を励ましたり癒したりすると、なぜかスクリーンのなかで不思議な輝きを増す。その理由は彼女の母性本能の強さにあると考える。彼女を起用する映画業界もそのことを充分に理解しているのではないだろうか。だから彼女と競演する男優はみんな筋金入りのヘタレばかりである。今回、はじめてその事実に気がつきました(気のせいでしょうか?) それと私はどうしてもオーランドのキャラが気に食わなかった。車のなかで、おいおい泣きまくる姿をみて、そんなに死にたいなら勝手に死ねや!と素直にそう感じたものです。人間を廃業して一生エルフでもやってなさい。 そういうわけで、キルスティンダンストには幸せになってもらいたいという思いと、オーランドには即刻死んでもらいたいとおもうジレンマを抱えながら、恋の行く末を見守っていました。 
[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-04-25 19:45:37)(笑:1票)
436.  グエムル/漢江の怪物 《ネタバレ》 
グエムルがどんな殺され方をしたかというと、アメリカ軍が散布した枯葉剤をイメージさせるオレンジ色の毒性のガスをかけられて、もがき苦しみ、そのあとに頭上に灯油をかけられて、アーチェリーの火の矢で目を射抜かれ丸焼けにされ、最後は口の中に鉄の棒を突っ込まれてお陀仏(おだぶつ)である。これじゃ集団リンチだ。私は素直にカタルシスを得ることができなかった。 家族愛よりむしろ憎悪だけが目立つ。家族は娘を救出しようとして失敗した。したがってグエムル退治は単なる復讐劇であり、娘を救うための戦いではなかった。 やはり映画の中で娘のヒョンソを殺したことは許しがたい。「君たち、ヒョンソが死んで意外だったでしょ?」と、監督はさぞかし得意げに笑っていることだろう。さすが社会派監督。冗談じゃない。激しい憤りを覚える。 ヒョンソの魅力は母性だと思う。小さな女の子であるにもかかわらず、駄目オヤジを見るまなざしや、男の子をぎゅっと抱きしめる姿は聖母のような神々しさを感じる。彼女は母親から見捨てられ、駄目パパ1人に育てられた。しかしぐれる事もなく、まっすぐに育つ。いつかは実の母親とも対面したいと願っている(と、想像する・・)たぶん結婚願望も強いだろう。 そう思うと娘1人守れないソン・ガンホのへたれオヤジぶりにも怒りがわいてくる。ヒョンソが生きていることを説明するのに携帯電話を口の中にいれるパフォーマンスをしたときはイライラも最高潮に達する。いくら無垢な男でもあまりにも脳みそが足りない馬鹿だ。別な見方をすれば観客にそう思わせるだけソン・ガンホは見事にヘタレオヤジ役を演じきったとも言えるのだが、今回はそれを褒める気力もわかない。あげくのはてに、わけの分からない身寄りのいないガキを、死んだ娘の代替品として育てようとする・・・・。このオヤジ・・お前が一番最初にくたばれや!と素直に思った・・・。グエムルが怪物ならソン・ガンホは怪優。演技とわかっていてもそれが許せない。 
[DVD(字幕)] 6点(2007-02-06 21:20:41)
437.  春にして君を想う
我慢できない状態になった。その状態を間接的に表現するならば、うとうと・・・。すやすや・・・(禁句だからストレートには表現しない) とにかく意識がもうろうとしてきた。私は果たして映画を観ていたのだろうか?それとも夢を見ていたのだろうか? 映画が始まって最初の15分くらいは台詞がなかったので、もしかしてこれはサイレント映画か?と、びびってしまいました。 登場人物は、おじいちゃんとおばあちゃん。 動きが信じられないくらいにスローであり、強制的に観客を眠りの世界へと引きずり込もうとする。この時点でわれわれ観客は、老人と同様に夢と現実の世界を彷徨する羽目になる。もしこれが監督の意図したものであるならば大したものである。 本作は、死に場所探しの物語だと思う。普通は、愛する人達に看取られて死にたいと考える人が多いかもしれない。しかし本作は、死に場所に、こだわっている。老人たちの死は、まるで死期を悟った象が、ひっそりと誰も見られぬ場所に行って息を引き取るのと似たような印象をもつ。そこに恐ろしい孤独を感じる。人はどれほど友人や愛する家族が存在していても死ぬ時は1人なのである。 
[DVD(字幕)] 6点(2006-11-20 19:50:16)(良:1票)
438.  クローサー(2004)
男が女に比べて恋愛下手なのがよく分かった気がします。男2人は好きな女から愛情ばかり求めるばかりで自分から愛情を与えることを忘れてしまっている。しかも終始いじいじしている。めそめそするなよって感じですね。1つの嘘も許せない男たちが女にしつこく求めていたものは、「本当に自分だけを愛しているのか??」という真実。つーか愛されることに執着するから他人を愛することを忘れてしまうのです!女性がなんのために嘘をついたのか考えようともせずに労わりもしない。ただひたすら自分だけが愛されたいだけである。もう一度言いましょう・・。自分だけが愛されたいだけなのです!こういう人たちがいずれストーカーになるのでしょう。また宇梶剛士に似た俳優がいましたが、名前など知りたくもないので、あえて宇梶剛士といっておきますが、彼の粘着質さは凄まじいですね。しかも宇梶剛士!顔が暑苦しいんだよ。濃すぎます。そしてキレのあるヘタれっぷりを見せてくれたジュドー!あなたをぼんやりと眺めていたら、男ってつくづく馬鹿だと思ってきました。実際に男は馬鹿なのでしょう、クソガキなのでしょう、わがままなのでしょう。これじゃ女に勝てるわけがない。女は頭が良い。女は人を好きになる天才だ。男はそれが下手だ。そういうことがよ~く分かる映画です。
[DVD(字幕)] 6点(2006-05-18 20:07:33)(笑:1票)
439.  ノー・マンズ・ランド(2001) 《ネタバレ》 
国連が悪者あつかいされて皮肉られていたがそれはちがうと思う。「殺し合いが行われているのに、なにもしないことは戦争に加担しているのと同じことだ」と自分の組織を痛烈に批判した軍曹だけが善人のようにみえるが、よく考えてみるとアメリカの今やっていることと軍曹の行動は似ている。本人は良かれと思って積極的に行動しているが混乱は増すばかり。最後はごらんとおりの結末で3人を助けようとした軍曹の理想はあっけなく崩壊することになる。それではどうすれば良いのか?と言われそうなものだけど解決策があったら戦争などとっくの昔になくなっていたでしょう。戦争は理不尽だ。戦争を目の前にして行動しなければ批判され、行動を起せば軍事介入と色眼鏡で見られることになる。 ひじょうに印象にのこったのはラストシーン。2人が一瞬のうちに殺されたとき、それを目の前にした報道陣が「今の瞬間をカメラに撮ったか?」と嬉しそうに話していたこと。 それをみると「戦争映画」すらも反戦のメッセージを伝える意義と同時に、金儲けや出世のための手段であるという事実を思い知らされる。さいごは音楽を流さず無音のままエンドロールを迎えたらもっと良かった。
[DVD(字幕)] 6点(2006-04-29 11:33:32)
440.  アモーレス・ペロス 《ネタバレ》 
これを観てどうしても1つだけ気になることがある。それは犬を虐待していたのではないだろうか?という疑問である。 いい映画だけど、それが犬の犠牲によって成り立っているならばこの映画は最低だ。そこで犬の虐待の真相を確かめるべくDVDのメイキングをみる。すると「残酷な映像がありますが、あれは全て特殊撮影なので私たちはワンちゃんたちにまったく危害を加えていませんよ(笑)」と満面の笑みを浮かべて製作者や俳優たちが説明していたがそれを見て私の疑惑はますます深まるばかり。さらにこんなことを言っている。「犬たちは訓練されていてとても優秀なんです、撮影中はクーラーつきの部屋で快適に過ごしていましたよ(笑)」とまた笑う。どうもあやしい。イヌが血みどろの殺し合いをするシーンは特殊撮影だとしても、イヌに死体の真似やいかにも息も絶え絶えという演技ができるとは到底思えない。一番強烈なシーンはイヌを銃で撃ちぬくところだ。あれは明らかにイヌは痛がっていたぞ!監督よ、何をした?すると彼らはこのように言い放つ。「この撮影のあいだにワンちゃんと私たちは信頼関係を築きあげました(笑)」なぜか笑顔だ。ますますあやしい。疑惑の炎が燃え上がる。犬の安否が気になって映画に集中できないんだっつーの!!  
[DVD(字幕)] 6点(2006-03-28 18:42:42)
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2172.64%
3324.97%
4132.02%
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