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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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441.  金メダル男 《ネタバレ》 
原作・脚本・監督・主演の人物がこだわりで作った映画のようで、本人の人脈で一定の豪華キャストが実現したということらしい。基本的にはコメディで、爆笑するほどのものはないが終始ニヤニヤしながら見ている感じだった。泣かせる箇所も複数あり、そのような悲喜こもごもの断片が連なって流れていくのが人生ということかも知れない。 ただしそれによって描かれた主人公の半生に感動を覚えるかというとそうでもない。これまでやってきたことはいつか必ず生きる、というのはいいとして(かなりわざとらしいが)、また人生の折り返し点を過ぎてなお挑戦を続けるのもいいとして(というか、これ以外の生き方ができないとわかった?)、そもそも主人公の性格が個性的すぎて共感しようがない。多才な芸能人ならこういう生き方があるかも知れないが、無芸な一般人にとって人生物語としての効用はかなり限定的というしかない。  ところで自分がわざわざ映画館まで行くのは映画自体より主に特定の女優を見るためであり、この映画に関しては森川葵さんが目的である。何でキャスト配列順がこんなに下なのかと思ったが、登場順とのことで仕方ない。少なくとも自分としては、この人の出番は強烈に可笑しかった。 また土屋太鳳という人がものすごく清純で可愛らしい顔で出ていたのがかなり意外だった。エピソードとしてもトリダンスは圧巻で、ほか坂本龍馬も含めて「表現部」全体が面白い趣向である。ほかの出演者としては、宮崎美子さんの最初の場面は20代相当とのことで、自分としてはカメラのCMの頃を思い出した(とまでいうと嘘だが)。平泉成氏も最初はまるきり年齢不詳の役柄で笑ったが、最終的には見事な老夫婦になっていて感動を誘う。 以上、本筋のところで共感しづらいところはあるが、楽しい要素も多いので否定できない映画だった。ちなみに背景音楽も個人的には時代背景を感じさせて悪くない。点数はかなり甘くしておく。
[映画館(邦画)] 6点(2017-05-07 17:21:37)(良:2票)
442.  怒り 《ネタバレ》 
真面目に見たが釈然としない映画だった。見た後で原作を読むと、全体としては原作にかなり忠実に、うまく要約して作られているのはわかったが、それでもなお釈然としない理由は次の3つである。  ①題名と内容が一致しない 題名の意味について、どうにもならないことへの憤懣を「怒り」という言葉で表現していると考えれば、劇中の至るところに大小の「怒り」があることは理解できるが、しかし物語としては3つとも“人を信じること”を主題にしているように見える。これは原作段階でも同様の指摘があったらしく、それに対して映画では、ラストに追加した少女の場面(ギャーと叫んでいた)で「怒り」をより強く印象づけようとしたのではないかと想像する。 ②登場人物の心情に共感しにくい 千葉編と東京編に関しては、それぞれ相手を疑う理由が第三者的にも理解できるものであり、かえって当事者の悔悟と自責の念の方に共感できなかった。しかし原作を読むと、さすが小説では登場人物への共感レベルがまるで違っており、小説の情感が映画では失われてしまって無味乾燥になった感じがする。長さの関係もあるだろうから仕方ないが。 ③全体的に結論を出さず観客に投げる形になっている まず「怒り」の根源について、派遣労働や外国の駐留軍(現時点ではアメリカ軍)、あるいは母親が自堕落だとかいうことなど、大小各種どうにもならないことへのやるせなさがあったとしても、それを観客に訴えてどうしようというのかという疑問が生じる。また“人を信じること”は一応の共通テーマのようではあるが、これも闇雲に“人を信じることが大事”などと訴えていたのではないらしく、映画でも沖縄編は少し複雑だが、原作では映画で省略した4つ目の物語がこの問題の難しさを示している。 答えが出ないようで不全感は残るが、元からそういう作りなのは仕方ない。観客の内なる「怒り」を期するということかも知れないが、あまり期待されても困る。  そのほか原作段階では真犯人の犯行動機がわからないのが不満との声もあったようで、それに対して映画では、犯人の行動と心境に関する台詞での説明を入れてある。またそのことに伴い、真犯人が必ずしも真の悪人ではないということも示唆されていたようで、つまり「怒り」は専ら米軍に向けよということだったのかも知れない(ちなみに原作では白人だったのを映画では黒人にしていた)。 なお出演者に関しては当然ながら広瀬すず嬢が圧倒的な印象を残す。二度は見たくない映画である。
[映画館(邦画)] 5点(2017-05-07 17:21:34)(良:1票)
443.  悼む人 《ネタバレ》 
映画を見た段階ではわけがわからず面倒臭いだけと思ったが、その後に原作を読むと、小説の内容を手短にまとめた形になっているようではある。「悼む」ことの動機が何かということよりも、主人公の姿から何を感じ取るかが大事というのは映画でもわからなくはなかったが、しかし映画では観客の心に訴える事例の積み上げが不足している感じで、「悼む」ことへの共感度が高まらないまま物語が展開していく印象があった。 また主に序盤で見る者を苛立たせる類の演出が連続するのは不快でしかなく、特に息子を殺された母親の話し方が非常に耳障りで、これに耐えて見たことをありがたく思えと言いたくなる。加えて雑誌記者が父親の店で、自分の世界からしかものが見えない視野狭窄の傲慢オヤジに嫌味を言われて反省したように見えたのが非常に腹立たしく、そういう点で映画自体に反感を覚えたため、結局最後まで皮肉含みの感情のまま終わってしまった。 ちなみに映画で感動するところはなかったが、さすが原作には問答無用の説得力があって引っかかるところも特にない。ただし分量が多いのでかなり時間を食う。ほか映画では同行者の人物(石田ゆり子)に年齢なりの色気があって大変よかったが、主人公役もそれらしい感じで悪くなかった。  なお原作者インタビューでは原作の発端になった世界的事件のことが語られていたが、どうも社会問題の見方が皮相的というか、そもそも社会全体を視野に入れようとする意識が決定的に欠落していると感じられる。息子を殺された母親に関していえば、親の心境がどうあれ警察が身内の犯罪を隠蔽することが許されていいわけではない。個人の問題と社会の問題はあくまで別次元で捉えるべきものであって、自分が「悼む」ことに共感できるのは個人レベル限定である。
[DVD(邦画)] 5点(2017-05-01 20:17:14)
444.  レッドタートル ある島の物語 《ネタバレ》 
いわゆる異類婚姻譚というものらしい。鶴女房ならぬ亀女房ということになるが、あるいは浦島太郎の話だとすればこの島自体が竜宮城のようなものということになる。 竜宮城といっても現世から隔絶した異世界ではなく、文明世界の産物が流れつくとか、はるか彼方の大地震による津波が大洋を渡って来るからにはこの地球のどこかであって、何者か(カメ?)がやっている邪魔だけが外界との間を隔てていたらしい。浦島太郎は元の世界に帰って一気に加齢してしまったが、この映画の主人公は帰ることなくそのまま過ごしたことになる。 また亀女房として見た場合、女房の方から押しかけて来た理由の説明はなかったようで、ここは“彼女が彼に恋をした”という解釈でいいのかも知れないが、あるいは旅人に妻や娘を差し出して子種をもらう風習のようなものかとも思う。「おおかみこども」とは男女が逆になるが、実際に主人公の一人息子はカメの世界(海の世界?)に引き取られて行ったように見えた。 悪くいえば主人公は絶海の孤島に幽閉され、死ぬまで牢獄で過ごすよう強いられたともいえる。ただ、もしかすると本来は遭難して死んでいたはずのところをこういう形で生かされたのかも知れず、それで結果的にでも心の充足を得られたのなら幸福な一生だったということか。自然の中で生かされて自然の中に子孫を送り出し、最後は型どおり自然に還って終わる(死体はカニが食う)という物語として個人的には納得した。 なお基本的にはファンタジーだが、生物としてのウミガメの寿命が実際に長いことがこの話に真実味を加えていたともいえる。  そのほか視覚的には、天候や時刻によって変わる景観の彩度を抑えた色彩感が好ましい。月に照らされたほとんど無彩色の夜はかえって世界の広がりを感じさせた。また各種生物がそこら中に生息していて、多様性の面ではそれほどでもなかったようだが、カニの動きが終始ユーモラスだったあたりはジブリアニメっぽいといえなくもない。
[DVD(邦画)] 7点(2017-04-30 16:36:20)
445.  ジョーカーゲーム 脱出(エスケープ) 《ネタバレ》 
まだ若いアイドルが突然亡くなるというのは痛ましい。 映画としては前作「ジョーカーゲーム」(2012)の続編であり、劇中世界も連続した形で作ってあるが、内容はレベルダウンした印象がある。 まず劇中の教育プログラムに関して、前回はまだしも政府の意図が読めたのに対し、今回は見たところ単に支離滅裂で、結局は「この国の忠実な僕となる」人材を残すのが目的というのでは何も考えていないも同然である。どうやら今回はまともな社会批評は完全放棄されたらしく、悪いことは全部国家権力のせいという安易さだけを残した形になっている。また軽目ではあるが残酷描写や、変質者のようなのが出ていたのも志が低い印象を生んでいる。 ゲームについては副題通りの単純な脱出の話で、ババ抜きは最後の人数調整にしか使われていない。途中で出る「七つの大罪」もほとんどこじつけでしかなく、前回に比べても単調な印象がある。また前回の登場人物と今回初出の人物に姉妹関係があって、これが最後に意外な結末につながる構造になっていたが、前作を見た立場としても姉妹設定のことを終わってから思い出す始末であって、少なくとも個人的にはあまり有意義な趣向ではなかった。ちなみに姉妹役の2人は、外見的な印象では明らかに姉妹が逆である。 結果として“社会は厳しいので信頼関係など求めず、とりあえず肉親の情を優先すべき”という話に見えたが、そういう理解でいいのかどうか。正直あまり褒めるところはないが、個々の出演者はイメージダウンを恐れずに頑張ったのだろうから全否定もできない(吉田まどかさんは毎度悲惨な役でご苦労様)。主に社会性の面での退歩を反映して前作△1点としておく。
[DVD(邦画)] 4点(2017-04-18 19:41:47)
446.  ジョーカーゲーム(2012) 《ネタバレ》 
劇中の設定に従えば、最も犠牲者が少なくなるのはグループなしで個々に戦った場合であり、それなら毎回1人が敗北するだけで済む。従って本来は委託側には積極的な動機がないことになるが、一方で受託側には具体的な利益が提示されている。多くの人間を口車に乗せておいて賭けに出るのを奨励するのは起業家育成を目的としたものらしく、“次世代のリーダー”というのもその意味かと思うが、しかし大言壮語して結果を見せればいいのだろうと嘯く連中ばかりになりそうで、そういう風潮を戒めた物語と取れなくもない。 ゲームについては要は単なるババ抜きだが、運だけの勝負にはならないよう、劇中人物独自の試みという形で無理やり駆け引きの要素を加えたのは悪くない。信じるか信じないかを問いかけておいて結局は騙すためのものだったわけだが、それでも最後はちゃんと“信じること”というテーマにつながっていたように見える。ラストの並走は、疑心暗鬼で相対するような局面ではなく、同じ心をもって同じ方向へ進んでこそ相互信頼が効果を生むことの映像的な表現と思えなくもない。 そのほかキャストに関しては、すでに20代の出演者もいる中で、長身でクールで大人びた感じの大野役だけは当時まだ中学生だったらしい。この人がほとんど主役のように見える一方、本来の主人公は終盤だけ本気の顔になるものの、本編の大部分を通じてとぼけた感じに見え過ぎである。アイドル映画なのだろうから、この人を知らない観客でも好きになれるようにしてもらいたい。個人的には美奈子役の方に目を奪われてしまったが、そのほか委員長役(伊倉愛美、元ももいろクローバー)のギラついたような顔もなかなかいい感じだった。途中で目障りな男子がほとんど一掃されたのも望ましい展開だったといえる。
[DVD(邦画)] 5点(2017-04-18 19:41:46)
447.  ガガーリン 世界を変えた108分 《ネタバレ》 
ガガーリンの有人宇宙飛行が成功した4月12日は、ロシアでは「宇宙飛行士の日」になっているそうで、本日は56周年に当たる。 その時の飛行時間が108分、この映画は113分でほぼ同じになっているが、映画全部をリアルタイムの宇宙飛行にするわけもなく、主人公の回想とか家族のエピソードを挟む形で構成されている。しかし、そのために肝心の宇宙飛行がブツ切れになり、また意味不明瞭なエピソードもあったりして散漫な印象になっている。堅実なようでもあるが浅い感じで、映画としての面白味も不足しているというのが正直な感想である。 ただ個別の場面としては、主人公の父親が皆に褒められて照れていた?顔などは悪くない。また着地後のカプセルの周囲に立入禁止区域が設定されているのに、子どもらが駆け込んで走り回っても誰も止めなかったのは、当時もある程度の緩さがあったことの表現になっている。フルシチョフも時々出るが茶化され気味のようだった。 また、いつも悪者にされるばかりでいいところがない現在のロシア連邦の人々にとっては、かつてソビエト連邦が人類史を背負っていた時代があったことを思い出して元気づけられる映画かも知れない。自分としても“ソビエト連邦は偉大だった”とか言ってノスタルジーに浸りたくなるが(今はないから言えることだが)、ただしエンディングの写真で主人公が日本を訪問した際に、「平和の使者ガガーリン」と書いた横断幕を掲げていたお調子者の人々には全く同調できない。このとき使われたヴォストークロケットは、核兵器を搭載する大陸間弾道ミサイルをもとにして開発されたことを忘れてはならない。  ほか余談的に書いておくと、候補として選抜された20人の名前をアルファベット順に読み上げる場面で、「コモロフ」と字幕に出ていたのは「コマロフ Комаров」が正しいのではと思うが、この人物は後のソユーズ1号の事故で死亡し、その事件がKomarov’s Fallというオーケストラ曲で描写されている。その次に呼ばれた「レオーノフ」は、アーサー・C・クラークの「2010年宇宙の旅」(映画「2010年」)に出ていた宇宙船の名前に採用されており、どちらもその場面では顔が出なかったが有名人である。 また花屋の前で揉め事を起こした「グリーシャ」(グリゴリ・ネリューボフ)は、結局は飛行士に選ばれず、失意のうちに5年後に不本意な死を遂げたようで、そこまでわかって見ていれば選抜の厳しさも知られるというものである。
[DVD(字幕)] 5点(2017-04-12 19:39:16)(良:1票)
448.  泣き虫ピエロの結婚式 《ネタバレ》 
一般募集による「日本感動大賞」の第4回大賞作品(2014)を小説化したものを原作にした映画である。「実話をもとにしたフィクション」とのことだが、原作を読んでいないのでこの映画独自の脚色部分などはわからない。 内容としては予定通りのラブストーリーであって、全体として驚くほどストレートに進行する。主人公(女性)が迷いなく一途に愛を貫くことが大前提になっているらしく、多少の障害は強行突破していくような展開だが、これが女性の観客には支持されるということなのか。新郎側の父母はともかく主人公(新婦)の父母の寛容さが並はずれた印象があったが、これはこういうお話だと思うしかないらしい。自分の立場としては新郎の思いや迷いには共感できるものがあったはずだが、序盤の少女マンガ風のところでこの男に対する好意が思い切り失われてしまったため、結局最後まで冷たい目で眺めていた。 また見る側の問題かも知れないが、All for you…とか一人か二人かといった登場人物の人生観に関わる部分が形式論に終わったようで物足りない(北原白秋の詩は難しすぎる)。劇中唯一笑ったのはYouTubeの話で、ここでは”you”がちゃんと複数形で捉えられている。ほかに読めない字とか駐車場の車といった細かい仕掛けはあったようである。 ちなみに出演女優の発言によれば、「一番キュンとしたのはおんぶのシーン」(志田未来)、結婚式の場面は「キュンの集大成」(新木優子)だそうである。また初日舞台挨拶で監督から、“自分のことを棚に上げて他人の揚げ足を取る意地悪な言葉が世間にあふれている”という発言があったのはその通りと思うが、そのせいでここでの悪口も書きにくくなった(以上の文章にも若干反映されている)。
[DVD(邦画)] 4点(2017-04-10 00:03:30)
449.  正しく忘れる 《ネタバレ》 
近親者の死による悲しみそのものでなく、そこから派生するいわば二次的な感情が問題にされていたようだが正直よくわからなかった。適切に忘れるというのは皆が普通にやっていることで、自ずとそうなるのなら別に問題ないだろうが、あえて抵抗しようとするのは自分がそうされたくないことの裏返しということか。また最後に主人公は故人の遺志を継ぐと決意した感じだったが、それだととりあえず現段階での凌ぎ方でしかない気がする。これが確定結果ということなのかどうか。 ほか全体的に台詞の文章量が多い上に話が難しいので登場人物が理屈っぽく見える。主人公に関しては、どうするのがいいか頭ではわかっていながらわざわざ逆方向に感情を掻き立てているようで、必死の思いで何かにすがるような切実さが感じられるわけでもなく、見る側を否応なしに同調させる作りにはなっていない。 そのようなことで、よくわからないが自分としては共感できない映画だった。心の底から共感できたのは、よく目にするが目的地にはならない「中央林間」という場所に行ってみるところだった(たまたま通過したことはある)。  ちなみに出演者のうち、主人公の弟役は素人目にも心許ない感じで(これが監督本人?)、タイトル直後の夕食場面でこの人物の顔が映ったところでいきなり映画自体が安っぽく見えた。自覚した上でやっているのだろうから言っても仕方ないわけだが。また主演女優は好印象だが、サークル仲間の少年は演技がくどい。
[DVD(邦画)] 4点(2017-04-05 20:36:21)
450.  正しく生きる 《ネタバレ》 
予告編を見ていると、まずは「正しく生きる人間にしか生きる資格はない」という発言が強い印象を残すが、本編を見ればこれをまともに受け取るのは間違っていることがわかる(要は年長者に席を譲れというだけ)。 これに続いて予告編では、「正しく生きる」ことについて出演者がそれぞれの見解を語っていたように聞こえる。「みんなが正しく生きると戦争が起こる」というあたりは世代特有の正義を背負った感じだが、ほかにも「正しい」こと自体を否定しようとする発言があり、こういう業界の人々はよほど他人からの押し付けを嫌うということらしい。まあ自由な社会なので何をやろうが大抵のことは咎められないわけだが、最低限、社会の共通認識としてのルールを受け入れなければ誰も生きていけないことになる。 一方で“謙虚であれということ”とか、“自分で考えるということ”といった発言もあったのには救われる。生きる上での正しさを考える場合、“社会と自分の関係をどうするか”と、“自分の進む方向をどうするか”の二面があるように思われるが、いずれも自分で考えながら模索していく種類のものと思われる。ただ個人的には、「正しく生きる」などということを全員が考える必要はないとも思う(そういうことを自分の頭で考えない人々は常に人口の一定割合を占めているので求めても無理)。  予告編に関しては以上として、本編を見ても何が言いたいのかは結局わからないが、これを見て「正しく生きる」とは何かをそれぞれ考えよう、と呼びかけているのなら存在意義のない映画でもない。しかし自分としては、今どき社会の転覆を企てるセカイ系オヤジに同調しろとか、誰のルールにも従わないのが正しいといった俺様ルールを押し付けようとしているのかと疑ってしまって素直に見ていられない。またそれとは別に、登場人物の鬱屈や苛立ちを観客に見せつける方に重点が置かれたようでもあり、この題名自体をまともに受け取るのが間違っているのかとも思われる。どうもこの手のものは信用できる気がせず、最後はもう勝手にやっていろと突き放して終わりにしたくなる映画だった。 ちなみに震災をネタにすることの必然性は感じなかった。震災があってもなくてもこの連中はこの通りだろう。
[DVD(邦画)] 4点(2017-04-05 20:36:17)
451.  鷹の爪8 ~吉田くんのX(バッテン)ファイル~ 《ネタバレ》 
「秘密結社鷹の爪」の劇場版第8弾ということのようである。このシリーズは初めて見たので事情がよくわかっていないが、今回は主に20世紀の島根県吉田村を舞台として、「吉田くん」が世界征服を志すに至った動機とその結末(予定?)を描いた形になっており、いわゆる「鷹の爪団」はほとんど出ない。 今回のネタ元は題名に出ているとおりTVドラマ「X-ファイル」(1993~2002アメリカ)で、エイリアンとかオーパーツとかUMAとかオカルト色が濃厚だが、そのほかどうしようもないギャグネタ満載のせいで失笑の連続である。個人的には「ジョン&パンチ」などというものを日本国民の一体何割が憶えているものかと呆れた(TVドラマ「白バイ野郎ジョン&パンチ」1977~1983アメリカ)。 ちなみに20世紀の吉田村にいた同級生の里美役は、声優ではなく女優の森川葵という人で、何でこの人でなければならないと思ったのかよくわからないが、外見はかわいいのに性格がきついキャラクターを当てたのは悪くない(声優としての力量については何ともいえない)。こんなアニメを自分が見たのはこの人が出ていたからだが、そうでなくとも本編のバカらしさだけで結構面白いと思わされる映画だった。ちなみに少し切ないところもある。  なお余談として、映画の中にも島根県の自虐カレンダー(2017年版)が出ていたが、旧国名とか個々の場所は知られているのに県単位で存在感のない例は他にもあるわけで(例えば×重県)、自虐してまで無理に売り込む必然性はない気もする。出雲大社とか石見銀山とかの有名どころ以外にも、映画関係でいえば錦織良成監督の「島根3部作」や、少女時代の夏帆が出演した「天然コケッコー」「砂時計」があり、さらに「砂の器」に出ていた「亀嵩」(仁多郡奥出雲町)も吉田村からそれほど離れていない場所にある。そのほか個人的には、著名な都市伝説「〇とりばこ」が旧松江藩領内の話だったことも覚えており、ちゃんと知っている人は知っているということである。まあ知らなくても困らないとはいえるが。
[DVD(邦画)] 6点(2017-03-25 22:54:38)
452.  残穢 -住んではいけない部屋- 《ネタバレ》 
原作付き映画は原作の劣化版でしかないことが多いので、映画から見てしまって損した気分になるのを防ぐため、今回は原作を先に読ませてもらった。 その後に映画を見ると意外にまともにできており、原作の基本構造を尊重しながら印象的なエピソードを残し(大家の伊藤さんなど)、原イメージを保ったままで短時間にまとめてある。導入部として短い怪談を入れたのは映画独自の構成だが、これもその後の展開からすれば効果的と思われる。老婆が一言「湧いて出る」とか、床下の顔など怖さで印象付けられる場面もあり、また緊張が高まった場面で、登場人物の何でもない発言にいちいち脅えさせるのは笑いを含んだ肝試しの臨場感があった。 ちなみに原作では実在の人物が実名で登場するため、ホラー映画でいえばフェイクドキュメンタリーのような印象があり、それが読者にとっても他人事でない雰囲気づくりにつながっていた。この映画はさすがにドキュメンタリー調にはしていないが、登場人物の平○○明とか○澤徹○とかいうネーミングには原作の名残が見られる。平○氏が羽田の大鳥居にいた意味はよくわからなかったが、これはファン向けの小ネタというつもりだったのかも知れない。  一方で肯定的になれない点として、最後は疑似ハッピーエンド風になったあたりで終わりにしておけばいいものを、その後さらに怖がらせエピソードを4つも加えていたのは呆れざるを得ない。それまでは、邦画ホラーの恒例である現場突撃を「お暇しましょう」であっさり終わらせるなど結構いい雰囲気で来ていたにもかかわらず、結局最後は見せるものを見せなければ気が済まないかのような作りには落胆させられる。 また原作では「穢れ」の残留と拡散に関して仮説のようなものを提示しており、それがいかにも自然現象的にありそうな感じで納得できるものだった。その一端は当然この映画にも出ているわけだが、しかし原作では、確定的影響でないため統計的に有意でないとかいうことで因果関係が特定できずに日常の中へ埋没していく空恐ろしさとやるせなさが感じられたのに対し、映画がこういうラストでは致死率100%の「呪怨」シリーズと同じように見えて、原作独自の趣向がぶち壊しになったように感じられる。そもそも徹底して登場人物を破滅させたがるという無駄な過酷さが大人気なく、邦画ホラーというもののどうしようもなさを感じさせる映画だった。 それでも邦画ホラーにしては悪くなかったので少しいい点をつけておく。
[DVD(邦画)] 6点(2017-02-19 21:45:31)(良:1票)
453.  リトル・マエストラ 《ネタバレ》 
非常に具体的な地名が特定されているのはなぜかと思ったら、「協賛」として電力会社の名前が挙がっていたので何となく納得した。劇中で何かと地域社会の先細り感を強調していたのは白々しく、そのために発電所を設置してもらったのではないのか、と言いたくなるが、まあ環境にやさしい風力発電も映っていたので、これでも見て少し心を和ませろということかも知れない。ただし途中で突然サイレンを鳴らす場面があったのは、まるで深刻な事故でも発生したかのような不吉感があったのでやめてもらいたかった。   ところで劇中の台詞として語られたことを聞いていると、楽譜というのは作曲者からの手紙であり、そこにみんな(演奏者?)の思いを乗せて、目指す相手に伝えるのが指揮者の役割だということらしく、こういう一般理論のようなものを得たのがマエストラとしての収穫だったのだろうと思われる。これをこの映画に置き換えれば、作曲者は脚本家、指揮者は映画監督ということになるだろうが、観客に伝えることに関していえば残念な結果というしかない。その場限りの台詞と表情を羅列しても心の動きは自然に感じられず、前記の理屈がわかれば感動するというものでもない。また微妙に芝居じみた陳腐な台詞や展開も苛立たしく感じられるところがある。  一方で、劇中の出来事の結果としてオケに依頼が殺到していたのはどういう因果関係に基づくものか不明だが、いわば競技スポーツ的にコンクールでの好成績を目指すより、鑑賞側(例えば福祉施設、学校など)に合わせた音楽を提供するコミュニティ楽団を目指すのが適切だ、というのならその通りだろう。この映画に関しても、好意的に見てもらいたい範囲(石川県内程度か)を相手にした地元対策の映画としては目的にかなったものかも知れないが、しかし例えば、全国の音楽好きの人に広く見てもらえる映画には全くなっていない気がする。せめてもう少し音楽というものにまともに向き合ってもらいたいものだが、まあ何か事情もあったのだろう。  なお出演者自体に関して特に苦情はないが、点数は主に映像関係に対して付けておく。またついでに書いておくと、原作(マンガ)には体育館で演奏する場面はない。  [2017-02-19追記]2011年の原発事故の直後に、わざわざ別の原発の隣接地でこういう映画を撮ることにどういう思惑があったかわからないが、何やら胡散臭い気がするので当初の2点をさらに減点しておく。別に出演者が嫌いとかいうわけではなく、また冬の日本海岸の映像的な印象は悪くない。 ちなみに現時点では大規模な風力発電施設の建設が全国的に増えていると思われるが、現地からすれば単に周辺の生活環境や自然環境や地元貢献に配慮してもらいたい建設事業(多くは外部資本)に過ぎず、再エネなら何でも歓迎という雰囲気でもない。上に「環境にやさしい風力発電」と書いたのは吞気すぎたと反省しておく。
[DVD(邦画)] 1点(2017-02-19 20:50:08)
454.  魔法少女を忘れない 《ネタバレ》 
ライトノベルを原作とした青春映画で、福岡市に拠点を置く「テレビ西日本」が中心になって製作し、撮影は福岡県内で行われたとのことである。結果的にはさまざまな面で見る側にかなりの寛容さを求める映画になってしまっているが、それでもあえて自分としては褒めることにした。こういうものを大真面目に作ったTV局はえらい。  まず「元魔法少女は忘れ去られる運命にある」というのが基本設定になっており、これが終盤ではかなり衝撃的な形で描写されていたが、しかしそのように“忘れられる”ことだけでなく、“忘れる”ことの悲しみも強く表現されていたようである。人は何かが好きだと思ったとき、同時に自分のその気持ちがいつか失われることを予期して悲しく思うことがあるが、そのような主人公の思いが切なく感じられる映画だった。 また「元魔法少女」とはそもそも何のことなのか、説明がないまま終わらせるという突き放した態度も嫌いでない。劇中歌の歌詞で、“恋をしたら呪文を忘れる”というようなことを言っていたのをまともに取れば、実際に(発端の時点から?)恋をしていたので魔法が使えなかったのかとも思われる。終盤の荒唐無稽かつ都合良すぎの展開は、2人の強い思いが魔法に負けないほどの奇跡を生んだとでも思っておくしかないか。  登場人物に関しては、劇中の魔法少女はほとんどの場面で可愛らしい美少女に見えたが、鋭角的な顔立ちのせいもあって単純にカワイイで終わりにならない複雑な印象があり、これがいかにも魔法少女らしいといえなくもない。 一方の幼馴染はマンガっぽい可愛さを出しており、序盤で眼鏡がずれたところなどは秀逸だったが、中盤での告白場面はあまりにも痛々しいので正直泣かされた。ここまで延々と語らせておいて何で早く受け止めてやらないのか、と男の側に言いたくなったが、結果的に受け止めてやらなかったのは非常に意外だった。結局、誰かのハッピーエンドは別の誰かの不幸を前提にするものだったようで、これが魔法少女の魔性ということかと思わなくもない。 ただ彼女は忘れられたとしても、逆に彼女の方が忘れることもできるという意味ではお互い様である。大人ならそう思って納得するところだが、しかしその場の当人にとってはそうもいかないのであって、ここは自分としても大昔の記憶がよみがえる気がして若干切ないものがあった。
[DVD(邦画)] 6点(2017-02-16 23:43:56)
455.  魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st 《ネタバレ》 
TVアニメ「魔法少女リリカルなのは」シリーズの劇場版である。この映画はTVシリーズ第1期(2004年、全13話)の劇場版だが、これに続いて第2期(2005年)の劇場版が2012年に出ている。 TVは当然見ていなかったが、この劇場版を見る限り、まずは主に絵柄のせいで好きになれる登場人物がほとんどいない。また人名が変に格好つけた感じで大人気ないのが多く、口に出して言うのが恥ずかしい。さらに、劇中に世間の指弾を受けそうな映像(変身場面の着替え)が入っているのは非常に問題だが、しかし思えば魔法少女というのはかなり前からそういうものだった気もして、自分の世代もそれに加担していただろうから偉そうなことはいえないかと思わなくもない。  ストーリーに関しては、母親(ただし偽)に依存しながらも虐待されて捨てられた娘が、友情の力で自立して生きる決心をした、ということのようで、それ自体は大変結構なお話ではあるが、ただしそういった自立の物語を9歳の子どもにやらせるのは年齢的に無理がある。またこのアニメのターゲット層に母と娘の話がふさわしいとも思われず、魔法少女アニメとしての性質からそのストーリーが必然的に導かれるわけでもない。要は魔法少女というものを介して小学生女児とターゲット層(それなりの年齢の独身男)を結びつけようとするのがこのアニメの本質であって、一見シリアスなストーリーは取ってつけたように見えるということである。虐待なしで普通の友情物語くらいにしておけばそれほど違和感はなかっただろうと思うが。  以上、文句ばかり書いたが、よかった点としては後半の「うんうんうん」という台詞と、ラストで携帯に電話が来たのが笑えることだった。また爆笑したのは「ごめんなさい、命令無視は、あとでちゃんと謝ります」という台詞がまるきり子どもの発想だったことで、これには“ごめんで済めば警察はいらない”と言ってやらなければならない。そのほかアニメファンなら映像面などで評価すべき点も多いのだろうと思われる。 自分としては大好きなアニメとはとても言えないが、DVDをただでもらったので点数は少し甘くする。見たくてもらったわけでもないが、続編もただでもらえれば見てやっていい。
[DVD(邦画)] 5点(2017-02-16 23:41:07)
456.  魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's 《ネタバレ》 
TVアニメ「魔法少女リリカルなのは」シリーズの劇場版である。TVシリーズ第1期(2004年)の劇場版は「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st」として2010年に公開されているが、この映画は第2期「魔法少女リリカルなのはA's」(2005年、全13話)の劇場版として2012年に公開されている。前回からあまり経っていない時期のようで主人公は依然として小学生女児だが、激しいアクションを伴う戦闘少女アニメであり、せめてもう少し大人になってから戦ってはどうかと言いたくなる。 物語としては、前回は母と子の問題が大きく扱われ、形の上では一般社会に問題を投げかけたとも取れる作りになっていたが、そのせいで話が大げさすぎて不自然に見えた。その点今回はこのアニメ内部で閉じた話のため違和感はないが、ますます現実から隔絶した架空世界に閉じこもったようでもある。前回に続いて“話せばわかる”というようなコンセプトが出ており、また最初は敵でも最後は友達になるという展開が基本構造のようにも見えるので、ここから無理にメッセージのようなものを読み取るとすれば“心を開いて仲間をつくるのが大事”というような話だろうが、しかしまあ現実にはキャラクター同士の個別の関係性を超えた一般化など求められていないのだろうという気はする。 なおreinforceというあからさまな英単語はファンにどう受け取られているのかわからないが、自分としてはreinforced concrete (RC)の印象が強いため人名に使うのは抵抗感がある。ほか個別の場面としては終盤で、ここは号泣するところだ!!!と明瞭に指定した感じの演出が印象に残った。  ところで前回はDVDをただでもらったという理由で見たが、今回は明らかに自分の意思で見た形であり、アニメファンでも何でもない一般人としての良識が問われることになる。日本アニメは少女嗜好と切り離せないところがあるにしても、変身シークエンスのフルバージョン?(かなり執拗)など見ていると、これはもう本当に限られた人々向けの特殊な創作物ではないかと思わされるが、それでもこういうものが日本のアニメを支えてきたからこそ「魔法少女まどか☆マギカ」のような、より一般向けに開かれたもの(間口は狭いが)も生まれて来たわけだと前向きに捉えておく。 ちなみに2017年夏には劇場版3作目が予定されているとのことで、なかなか息の長いコンテンツであるらしい。
[DVD(邦画)] 5点(2017-02-16 23:13:59)
457.  チチを撮りに 《ネタバレ》 
高評価が多いので書きにくいが、自分としては引っかかるところがかなりある。 そのうち“父親を恨むかどうか”に関して書くと、まずこの姉妹に恨む気持ちがないならその場でそう答えればいいだけのことで、また仮に恨んでいたとしても、正当な理由があって恨むのは倫理的に悪いこととは思えない。これが劇中の台詞ではいい子悪い子の教育的問題のように聞こえていたのは違和感がある。 また個人的感覚では、他人を恨むこと自体が自分を惨めにするとは思えない。惨めなのは悪いこと全部を他人のせいにして、死ぬまで恨み事を言い続けるタイプの人物だろう。この姉妹が母親から受け継ぐべきものは、要は“人としての矜持”であって、自分の決断の結果を自ら引き受けようとする覚悟なのだろうと思うが、これが劇中では恨むかどうかという現象的なところで止まっていたようでもどかしさを感じた。 以上のほかにも“逃げ道”とか“ユメよりコメ”の件などに関して苦情を言いたい点はある。また全般的に理屈で作った印象が強く、題名の付け方もそうだが、伏線を張りました→回収しました、という関係が線で結んだように見えたりするのも気に障る。 ただ、母子・姉妹の関係を密度濃く描いた映画というのは間違いないと思われる。その濃密さが部外者の立ち入りを拒むように感じたのが自分としては最大の問題点だったのかも知れないが、喧嘩しても甘ったれた感じとかは嫌いでない。バカっていうな、というのを互いに言い合っていたのは理屈っぽさがなくてよかった。  [2017-01-13「湯を沸かすほどの熱い愛」鑑賞記念で追記] “ユメよりコメ”の件に関して、米屋との間で金銭によらず物とサービスを直接交換していたことを匂わせるエピソードが前半にあった。それ自体の是非について自分がどうこう言う立場にはないが、そういうことを劇中の母親像とセットで観客に受け入れさせようとするのには反発を覚える。ただの一観客として、劇中人物の個別事情にどこまで付き合わされなければならないのかという気分である。それとも娘(人材豊富)を売らないで自分を売ったのがまだしも良心的ということなのか。自分としては東野圭吾「白夜行」を読んでからそういう方向に考えが行くようになってしまって仕方ないが、とにかく変に露悪的なものは見たくない。 またついでに書くと、ラストの魚は圧倒的に意味不明である。こういう支離滅裂かつ笑えない趣向を褒める気には全くならない。
[DVD(邦画)] 5点(2017-01-13 23:28:32)
458.  霊界の扉 ストリートビュー 《ネタバレ》 
ストリートビュー愛好者なので見た。仕事にも使えて便利だが、趣味的には映画のロケ地探しにも使ったりする。ちなみにこの映画で怪異の発端になった家は東京都練馬区の西武池袋線大泉学園駅近く、怪異が波及した先の喫茶店は石神井公園駅近くにあり、両方ともストリートビューで特に障りなく見られる。 基本的な発想としては題名のとおり「ストリートビュー」が「霊界の扉」ということで、ありきたりな心霊ホラーではなく、また安易なヒトコワ系でもない独自路線という点は評価できる。ただ自分が知る限りでも似たような前例はあり、この映画が完全オリジナルの発想かどうかは何ともいえない。また実は心霊現象を前提にしなくても成り立つ話であって、題名の方で余計なことを書いてしまっている。 ストーリー上の問題点と思うのは、主人公の心境変化がどうも不明瞭なことである。自分の立場としては、はじめ主人公は失踪者を連れ戻したいとだけ考えていたが、実は自分も失踪したかったのだと気づかされ、そのまま向こうの世界へ行ってしまって後悔した、という流れであれば理解できるが、必ずしも素直にそう取れるようにはできていない。加えて各種の怖がらせエピソードも本筋とほとんど無関係のように見える。 しかしそれよりこの映画の最大の問題は、登場人物が同じ服を数日続けて昼夜なく着ているように見えることである。制作事情は知らないが、可能であれば役者の普段着でも着てきてもらった方がまだましではなかったか。これは女優が少し気の毒になった。 そのほか主人公のシャワー場面は特にストーリー上の意味がなかったように見えるが、これは別に有害なものではない(それほど有益でもない)。またラスト近くでTVに不気味な生物が映っていたのは異世界感を出していてよかった。ここは好きだ。 以上だが、点数はグーグル社に+1としておく。
[DVD(邦画)] 4点(2017-01-10 19:49:16)
459.  この世界の片隅に(2016) 《ネタバレ》 
どれだけ話題になっていてもすぐに見られない田舎は不利だと思う。 原作を読んだことがあるので概要はわかっていたつもりだったが、始まってみると原作の世界が実際に動いて、カラーで(当然だが)、背景音楽付きで広がっていくのを見て背筋が少し震える気がした。個人的には特に序盤で、戦前の広島の繁華街(中島本町)や広島県産業奨励館を鳥瞰的に捉えた風景が出ただけで泣ける気分になった(その後の出来事を知っているからだが)。 また劇場予告編にも出ていたが、入港する大和が柔らかな緑を背景にして色鮮やかな信号旗をたなびかせ、艦上で多数の人が動いている情景には、無機質な鉄の兵器というよりも、そこにいる多くの人々に目を向けようとする優しさが感じられる。青葉の甲板で洗濯物を干していたのも乗組員の日常風景だったろう。ほか代用食をカラーにすると変にきれいで料理映画のように見え、すみれの花まで入っていたのはちょっと感動的だった。本来は葉を食うものだろうから、食用というより暮らしに彩りを添える工夫ということだろうが。 ちなみにわざわざ書くまでのこともないが爆撃と銃撃は怖かった。  物語に関しては、基本的に原作準拠のようなので特に言うべきこともないが、驚くのはリンさん関係がほとんど省略されていたことである。本筋との接続部分は残っていたようなので完全版を期待したい。また原作を知らずに見る人には、あまり最初から細かいことにこだわらず、まずは感じることを優先して見るようお勧めしたい。 原作になくて映画で加えられたものとして、細かいことだが周作が反乱の鎮圧に赴く際、法務はどこまでも秩序を守るのが仕事、というような台詞があった。これは夫婦関係に関していえば、水原に引け目を感じていた周作の面目を立てる形になっていたのだろうが、同時に周作が社会を維持する立場という意味も出ていたように思われる。その直後に呉市役所の困り事相談の看板が出ていたりもしたが、すずさんのような家庭の生活者とともに、その生活者が暮らす身近な社会を支える人々も加わってこの世界が続いていくという意味に取れば、家庭の生活者としてはちょっと自信のない自分であってもこの映画での居場所を見つけられる気がした。 この映画から何を受け取るかは人それぞれかと思うが、現代に生きるわれわれがこの世界に関する認識を深めるのに役立つよう、原作を含めたこの物語が広く認知されていくことを自分としても願っている。  なお余談として、自分としては原作にない「掃海特務艇第十六号」というのが微妙にユーモラスに感じられた(晴美さんもご存じなかったろう)が、その後の出来事をあらかじめ知っていたのでここで笑っていいのかどうかわからなかった。これはこういう名の知られていない地味な船に乗って、海軍の片隅で身体を張っていた人にも焦点を当てようとしたと解する。
[映画館(邦画)] 9点(2017-01-03 23:43:52)(良:1票)
460.  この世界の片隅に(2011)<TVM> 《ネタバレ》 
日本テレビの2011年の終戦記念番組として8/15に放送されたものである。 原作の情感などは特になく、普通のTVドラマのように見える。安っぽいところや変なところは当然のようにあり、方言も恐らくアクセントが徹底していない。ただ「東京物語」(1953)以来の「ありがとう」だけは全員がそれらしく言っていたようである。 また原作の顕著な特徴である笑いの要素もそれほど目立たないが、「ミヨセンセーノハゲアタマ」はしっかり再現していた(細かく見ると「ネコ」が可笑しい)ほか、時計の「ボーン」という音をコミカルに使うなどの趣向はあったようで、また軽快な背景音楽が気分を和ませていた面もある。なおこのドラマ独自のユーモラスな場面として、周作とすずが二人でいるのを上官に冷やかされたのは微妙に可笑しかった。海軍さんはスマートで結構だ。 主要人物で省略されたのは「鬼いちゃん」くらいのものと思うが、このドラマで問題なのは、すずさんが原作のイメージと全く違うことである。それをいえば周作も水原も原作の面影がなく、そもそも似せるつもりがないのでこれで納得しろということかと思ったが、それにしても基本的に原作のキャラクターを前提としているため「ちいと足らん」とか「温いのう…」といった台詞に全く説得力がない。これは最終段階の人物イメージがこの女優ということだと思うべきなのか。ちなみに個人的には劇中のリンさんが好きだ。  物語の面では、「居場所」「見つける」「記憶の器」といった話題を2時間でコンパクトにまとめた形に見え、もっと独自性を出さなくてよかったのかと思うほどである。最初に重要事項を提示してしまうとか、回想場面などで原作の素っ気ないところを適宜補足しながらTV向けにわかりやすく作っており、意味的な部分の表現という点では文句をつける気にならない。なお玉音放送のところで天下国家に関わる台詞を義父に言わせていたのは自然で、ここは原作よりもこのドラマの方が好きだ(何を言わせたいにしても劇中人物1人に集約する必要はない)。 原作未読の人や原作ファンの人が見てどう思うかわからないが、個人的感覚としては意外に誠実に作られたドラマに見える(終戦記念番組なので真面目で当然だが)。原作に比べれば簡易版のようなものとはいえ、やはりこの原作者の作品を好き勝手にアレンジすることなど許されない、とこの時点で関係者も思っていたのかも知れない。
[DVD(邦画)] 7点(2017-01-03 20:02:26)
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