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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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41.  暁の追跡 《ネタバレ》 
杉葉子と鎌倉に海水浴に来た池部良が遠い爆音にふと空を見上げると、航空機が一機飛んでいる。 彼女に「思い出す?」と問われる彼は何を思うのか。 また、転職の相談をする証券会社勤務の戦友がビルの屋上で「南方を思い出すな、あの雲は」という台詞をふと漏らす。 雑然と賑わう鎌倉や新橋、兜町などのロケーション撮影の中、それらの細部に「戦後5年」を垣間見せる。 南方戦線を含む過酷な戦場を体験した池部良を意識しての新藤脚本だろうか。  縦の構図を多用したロケ撮影による生々しい街の表情が主役でもある。 これも日本版ネオリアリズモといえる。 路線沿いの活気ある繁華街とは対照的な月島地区、クライマックスの深川地区などの発展途上地域の模様など、都市論の提示でもあろう。 夜明け前の時間経過を追いつつ展開するラストの緊迫した銃撃戦も素晴らしい。
[DVD(邦画)] 7点(2015-08-27 23:57:41)
42.  モロッコ慕情
テロリズムの蔓延るフランス占領下のシリア・ダマスカス。 シビアな政情を生きる男たちの面構えがいい。 ハンフリー・ボガートの居所をフランス軍に売る男は職業俳優だろうか。 脇役ながら、如何にも殺伐とした世界を生き抜いてきたというような 凄みを感じさせるしたたかな顔貌がいい。  リー・J・コッブの強面がそれに負けていないのもいい。  映画は夜のシーン、地下のシーンが中心となり、閉塞感を増す。 狭い路地や地下住居の設計が独特の闇を創り出し、異国の趣を漂わせている。 とりわけ、ゲリラ達との接触場所となるローマ時代のカタコンベの美術が素晴らしい。  
[DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2014-02-01 21:36:25)
43.  コルドリエ博士の遺言<TVM>
ジョン・ロバートソン『狂へる悪魔』(1920)以降、幾度も映画化されている 『ジキル博士とハイド氏』。 三十年代のルノワールならトリック撮影の工夫で見せたかもしれない 変身シーンそのものに、彼はいっさい興味を示していないようだ。 当時のテレビの利点である、マルチカメラによる芝居の持続性こそが 最大の関心であったらしい。 映画の敵とも見做されたテレビを否定することなく積極的に受け入れていく大らかさ。 それが、映画冒頭に本人として登場するルノワール自身の姿に見ることが出来る。  何より目を引くのは一人二役を演じるジャン=ルイ・バローの変貌ぶりだろう。 ルノワールらしいロケーションの中、 彼が電子音楽と共に街に現れ、奇矯な仕草とともに通行人を襲う彼の暴力 が圧巻である。  マルチカメラを活用したセット撮影のシーンは手狭な印象が強いが、一方で ビル屋上からの俯瞰撮影や、街中の大階段などのロケ撮影も活かされており、 その中での暴力描写もテレビ作品だけにより際立っている。   
[DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2013-11-25 01:29:35)
44.  東京のヒロイン 《ネタバレ》 
劇伴音楽ではなく、流しのバイオリン弾きや轟由起子のピアノ演奏によるミュージカル演出。 森雅之と轟がデートする川沿いの公園からクレーンアップし、東京の夜景を俯瞰するカメラワーク。 バーの前の歩道でクリーニング店の配達員や潮万太郎が繰り広げるサイレント風&スラップスティック演出。 さらには横文字の看板があふれる街路の風情と、全篇に溢れるルネ・クレール風の洒落た味わいが楽しい。  会いたくないときには鉢合わせ、会いたいときにはすれ違いの連続の二人。そんな二人を取り持つのが「座席に置かれたハンチング」と花束という粋。  劇場でのすれ違いのカッティングや、写真や手紙のエピソード等はもっと工夫が欲しいところだが、潮万太郎のコメディ・パートはそれを帳消しにするくらい笑わせてくれる。  そして、香川京子が何度か披露するバレエのお辞儀(レヴェランス)も爽やかで可愛らしい。  菅井一郎のバーテンが、彼女に作ってあげたのはレモンスカッシュだろうか。 
[映画館(邦画)] 7点(2011-12-18 20:28:37)
45.  吸血蛾
怪奇ムードを醸成する撮影と照明設計が全編にわたって素晴らしい。昆虫館の外観に内装(特に廊下)の凝った美術が濃い陰影の中に不気味に浮かび上がる。  手や足のオブジェやトルソは怪奇演出のみならず、殺人シーンの場面転換の技法としても活用され印象強い。  クライマックスの廃ビルもスケールを感じさせる絶品のロケーションだ。取り壊し中なのか、外壁が崩れ落ち、鉄骨むき出しとなった廃墟が異空間ぶりを際立たせている。 縦の構図で捉えられた夜のビル内、飛び交うサーチライトが警官隊と犯人を照らし出し、吐息と土埃と拳銃の火薬煙が闇に舞う。 発砲音と、着弾音、追跡の足音の反響も効果満点で、視聴覚的に豊かな造形だ。  ファッションモデル役の女優も多数出演する中、安西郷子が役柄通り様々なファッションを着こなし、俄然美しい。 その分、後半から登場の金田一役:池部良の印象が弱いのが残念なところ。 
[映画館(邦画)] 7点(2011-07-24 19:39:23)
46.  白夫人の妖恋
製作舞台裏の事情は、廣澤榮(助監督)の「日本映画の時代」に詳しい。  次第に産業的な翳りを迎え予算を抑えにかかる上層部と現場の軋轢や、スタジオシステムが培った大道具・小道具スタッフの臨機応変な知恵と技術が注ぎ込まれた特撮シーンの苦心談など、映画以上に感動的で興味深い逸話が多々あり、面白い。  中国民話の世界を全編セットによって創りあげた美術の豪勢さ。 西湖の水面に咲く色とりどりの睡蓮や牡丹、華やかな中国伝統衣装などがイーストマン・カラーに映える。 トリック撮影を使った山口淑子と東野英治郎の妖術合戦なども楽しいが、最大の見所は金山寺水攻めシーンに展開される怒涛の水のスペクタクルだ。その水量と迫力が凄まじい。 さらには、衣装を風になびかせながら山口淑子と池部良が昇天するイメージが(舞台裏の苦労談とは裏腹に)壮麗で素晴らしい。  いずれのシーンにも、海外との合作に向けた豊田四郎監督及び、新技術の導入と共にカラー特撮時代へと向かう円谷特技監督以下のスタッフの威信が漲っている。  それから忘れてならないのは、小悪魔的な八千草薫の可愛らしさ。まさにはまり役。  
[映画館(邦画)] 7点(2011-05-04 22:53:42)
47.  獣人雪男 《ネタバレ》 
山あいの断崖から宝田明が吊るされるミニチュアの秘境の趣は、群がる鳥のアニメーションと共にどこか『キングコング』(1933)の髑髏島の一場面を彷彿させる。  特撮ショットは全体的に控えめだが、動物ブローカーの悪漢が崖から谷川へと投げ落とされる俯瞰ショットや、車両が転落するショットなど、高所感覚の演出も気合が入った見事な出来栄えだ。  かなり長身のスーツアクター演じたらしい獣人の厳かな威容、土着的な山村や洞穴の美術も力が入っている。  根岸明美の村娘の悲恋劇も絡み、『ゴジラ』(1954)とほぼ同一の主要スタッフ・キャストによる「神殺し」のドラマの悲劇性は、同年の『ゴジラの逆襲』より断然深い。ただし、回想形式による語り初めがサスペンスを弱めてしまっているのが残念なところ。  少数民族音楽に造詣の深い伊福部昭が音楽担当であったなら、というのは贅沢な望みか。
[映画館(邦画)] 7点(2010-12-11 23:52:22)
48.  白い野獣
冒頭からそれとわかる伊福部昭の重厚な音楽が、娼婦の更生という題材にあわせさらに重々しい旋律で響く。一方で軽快なダンス音楽の挿入曲が、三浦光子と北林谷栄の取っ組み合いの場面などで対位的な用い方もされているのはやはり黒澤明『野良犬』(1949)の影響もあるのだろうか。ドラマの舞台は閉塞的な更生施設にほぼ限定されるが、ダンスやバレーボールや喧嘩などの動的なアクションや、ダンスのステップからミシンの足踏みへといったつなぎのテクニックが随所に活かされ、見所に事欠かない。わけても、視力を失っていく三浦光子が病室に横臥する場面のローキー画面は、玉井正夫の真骨頂といった感じでやはり素晴らしい。机上のランプの灯りを受け浮かび上がる彼女の顔に幻想的な川面の光と少女時代の姿がオーヴァーラップし、彼女自身の再生を思わせるように赤子の産声が響いてくる。夜明けの丘に立つ女性と木立のシルエット。この厳かなロングショットも良い。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2010-04-11 21:24:15)
49.  舞妓物語(1954) 《ネタバレ》 
若尾文子は前年の溝口健二『祇園囃子』に引き続いての舞妓役だけあって、初々しいながらも貫禄も十分。 踊りも堂に入っている。 入江たか子の母親の前では子供っぽく、恋敵となる阿井三千子と対峙するシーンでは凛とした表情で、 またコスチュームも、根上淳とのデートシーンでの明朗な学生服姿と、座敷を務める着物姿とで多彩に魅せる。  様々なしがらみによって悲劇的な趣を強めていくドラマと共に、祇園の世界は暗い画調だが、 根上と連れ合って歩く高台や河原など、随所に挟まれる京都の開放的なロケーションに救われる。 特に、舞妓仲間が声援を送るラストの河原と橋がいい。
[DVD(邦画)] 6点(2016-11-27 23:17:52)
50.  花の慕情 《ネタバレ》 
会社側の要請とはいえ、ドライで硬質なサスペンスの鈴木英夫には、いかにも不得手そうな文芸メロドラマだ。 やはり持ち味は活かし難く、ドラマはメリハリを欠いて映画を長く感じるが、画面の落ち着いた色彩と陰影は十分堪能できる。  『その場所に女ありて』(62)で颯爽とスーツを着こなす司葉子は、鈴木作品5本目の本作では華道の二代目家元役で落ち着いた和服の美を披露している。共に一種のキャリアウーマンの役柄ともいえる。  飯村正撮影によるイーストマンカラーの淡い色彩が、生け花、着物の柄と良い感じにマッチしており、眼に沁みる。夕暮れの淡い光の具合も素晴らしい。  ラストの宝田明との再会シーンでは伊豆の山奥の雄大なロケーションがまた清清しく、山道の勾配とカーブが良いアクセントになって作品を締めている。 
[映画館(邦画)] 6点(2011-06-20 22:29:16)
51.  中共脱出
極東部劇でもあり、それぞれの役柄も全く違うが、『ラスト・シューティスト』で感動的に再共演することとなるジョン・ウェインとローレン・バコールのやり取りを観るだけでも感慨深い。  ロケーションは米国なのだろうが、生活感漂う河岸の光景にはアジア的風情が良く出ている。  中盤に登場する難破船群の朽ち果てた様、そしてそのそばで開始される砲撃戦もまた壮観で、『つばさ』の過激な着弾ショットにも引けをとらない危険な爆発シーンが続出する。キャストの至近距離で木材の破片が四散し、豪快に水柱が聳え立つ。そのただ中で、ボイラー室で葉巻を半分吹き飛ばされながら表情も変えず短くなった葉巻を平然と燻らせ続ける機関士の横顔のショットが渋い。  暴風雨のシークエンスで、「サウンド版無声映画」となるのも『つばさ』のW・A・ウェルマンらしいアクション演出。  脇役ながら、スースー役:ジョイ・キムが前半に見せる愛嬌、後半で聞かせる歌声が良い。 
[ビデオ(字幕)] 6点(2010-11-20 18:09:55)
52.  九十九本目の生娘 《ネタバレ》 
五月藤江の老婆がなかなかに怪演。モノクロとも相俟ってその不気味さは、子供が見ればトラウマになる事必至だろう。 矢代京子を獲物と見極める眼と口元の笑いが怖い。  若き警官役:菅原文太も初々しいが、「未開」の村民らのインパクトが強すぎていまいち影は薄い。  エロティシズムも控えめで、主な見どころは山間の高度を活かしたロケーションの怪奇趣味や、 その急峻な山奥の斜面を舞台とした、弓矢を使う村民と警官隊との銃撃戦となるだろう。 こうなると、和製西部劇の趣がある。  地名を特定するショットもあって、やはりソフトの再販は難しそうだ
[ビデオ(邦画)] 5点(2017-01-10 16:09:26)
53.  戦場にかける橋
映画の冒頭、カメラが捉えるのは線路脇に建てられた小さな十字架群。 日本映画『ビルマの竪琴』が日本人犠牲者のみを弔うように、英米映画『戦場にかける橋』が悼むのは、当然ながら欧米人犠牲者のみである。 元来がこの泰緬鉄道自体英国の計画なのだから、日本も英国も同じ穴のムジナでしかないのだが。 この悪名高い突貫工事に従事させられ最も犠牲となったのは、日本軍・連合軍捕虜以上にタイ・ミャンマー・マレーシア・インドネシアの膨大な労働者達だが、「自惚れ鏡」たるフィクション映画にそれを描く義務など当然ないし、それを描写しないから駄目な映画であるとも限らない。 が、観る側が戦争の具体的イメージを欠落させている限りフィクション映画は一面で有効な「汚点隠し」あるいは「責任回避」としても機能してしまうのも確かだろう。 日本国側にとっては「理性的」戦争犯罪行為を、英国側にとっては元来の「理性的」植民地政策を。映画は案の定、口当たりの良い「madness」へと一般化し、その免罪符と共にラストの俯瞰の視点へと逃げ込む。 この映画が小状況としての日英の友好を描こうとしたとしても、両軍が橋の建造を「協働」する具体的な画面はほぼ絶無といって良い。あるのは協力しあったという意味・記号だけだ。それは映画ではない。 ウィリアム・ホールデンらに随行するのが現地の娘たちであることには故がある。 現地男性の不在。その見えない部分にこそ、この映画の題材の本質的問題性がある。 だからこそ、「不可視」の戦争論は、映画論とは区別しなければならない。  強いてこの映画で「戦争の虚しさ」なるものを突きつけるシーンを挙げるなら、爆破工作員らがあっけなく射殺されるのを、彼らに好意を抱いていた現地女性たちが目撃する2つのカットである。  
[DVD(字幕)] 5点(2011-04-30 19:23:57)
54.  私は貝になりたい(1959)
橋本忍自身によるテレビ用脚本の劇場版だが、撮影・音楽・美術など東宝黒澤組の錚々たるスタッフの支えによって、映画として差別化が図られている。縦構図を多く取り入れ、画面に奥行きをもたせると共に、随所で丹念な長回しを多用してフランキー堺他の演技の持続から迫真性を引き出している。最期の笠智衆との静かな対話場面などがその白眉といえるだろう。村木与四郎氏による床屋の細やかな内装美術とその画面内配置は、主人公夫婦の人となりや戦中戦後の生活実感をよく表現し、対照的に巣鴨プリズン内の殺風景をより際立たせている。暗闇に浮かぶ絞首台の俯瞰ショットとハイライトも強い余韻を残す。そうした「善良なる」主人公への感情移入や共感を促す作劇や演出はそつない故に、映画自体の宿命ながら「反戦」という理性的主題論においては非常に弱い。例外的エピソードに基づくドラマは横浜裁判という国際問題のもつ欺瞞性を日本のヒエラルキーの問題へと矮小化させ、「戦犯」裁判の本質を見誤らせる危険を多分に孕んでいる。
[ビデオ(邦画)] 5点(2009-02-09 21:45:27)
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