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自己紹介 映画を観る楽しみ方の一つとして、主演のスター俳優・演技派俳優、渋い脇役俳優などに注目して、胸をワクワクさせながら観るという事があります。このレビューでは、極力、その出演俳優に着目して、映画への限りなき愛も含めてコメントしていきたいと思っています。

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41.  黒衣の花嫁 《ネタバレ》 
ヒッチコック心酔者のフランソワ・トリュフォー監督が挑んだミステリ映画「黒衣の花嫁」  フランソワ・トリュフォー監督は、アルフレッド・ヒッチコック監督の心酔者だけあって、この「黒衣の花嫁」の他にも、「暗くなるまでこの恋を」など、ミステリ映画を撮っている。  フランスは、コート・ダジュールのアパートで独身生活を楽しんでいる一人の男がいる。 友人宅のパーティーに訪れて、妖しいまでに美しい女性に出会う。  女性は、その男をテラスに誘う。その直後、その男は、テラスから落ちて死んでしまう--------。  そこから、ほど遠くない町に、銀行員が住んでいた。その銀行員の手元に、音楽会の切符が届く。 心を弾ませて銀行員は、音楽会に出かける。  桟敷には美貌の女性が待っていた。そして、彼女は、翌日、銀行員のアパートを訪れる約束をした。 約束どおり、その女は来る。  しかし、銀行員は、青酸カリで殺される--------。  三人目の男。若手政治家だ。この男も女の毒牙に。女は男の「なぜ?」という質問に答える。 その女の結婚式の日。五人の狩猟仲間が、ふざけて、教会の風見鶏を狙って撃つ。  その弾が、誤って新夫に--------。  思えば、似たような映画があった。日本映画の「五瓣の椿」だ。 似ているはずで、両作品とも原作が、コーネル・ウールリッチだからだ。 「五瓣の椿」は、コーネル・ウールリッチの小説を、実に巧妙に江戸の世界に、山本周五郎が移し替えたのだ。  私は、二度目に、この「黒衣の花嫁」を観た時、トリュフォーが、いかに、お師匠さんのヒッチコックの手法を、取り入れたか、という視点で入念に観ました。 そして、トリュフォーは、師匠を乗り越えたか、という視点でも観ました。  その答えは「NO」。ヒッチコックに及ばざること遠しだ。 ただ、この「黒衣の花嫁」でも「五瓣の椿」でも、主演女優の出来はなかなかのものだった。  ジャンヌ・モローの妖しい殺人者、演技開眼の力演が素晴らしかった岩下志麻。 そういう意味では、両作品とも成功作だろう。
[DVD(字幕)] 7点(2022-05-01 09:30:12)
42.  将軍たちの夜 《ネタバレ》 
1942年の冬、ナチス占領下のワルシャワで一人の女が惨殺される。捜査にあたったドイツ軍の少佐は、証人への尋問などから容疑者を三人のナチス将軍に絞り込むが、犯人を特定する前に、パリへと飛ばされてしまう。  それから二年後、ドイツ軍が占領したパリで、またもや娼婦が惨殺された。二年前に捜査を担当したオマー・シャリフ扮するドイツ軍少佐は、いっそう闘志を燃やし、連続殺人犯を追っていくが-----。  この物語の舞台は、ポーランド、フランス、ドイツと拡がり、時間的な流れも含めてスケールも大きく、それに伴って登場人物も実に多彩で、この忌まわしき時代の混沌が迫真性を持って描かれ、緊迫感に満ちている。  そして、この映画で描かれるのは、容疑者の将軍の一人であるタンツ将軍(ピーター・オトゥール)の異常ぶりを示す"恐怖の人間像"だ。  戦場にありながら、部下の手袋の染みさえ許さない、この男の世界観においては、隣国の人々もユダヤ人も娼婦もゴミでしかないのだ。そして、ゴミは一掃されるべきだと妄信している、サイコ的な恐ろしさ-----。  戦争は、そんな彼の異常性を解き放つ舞台になるのだ。将軍という地位を利用して、街という街を破壊し、敵を無残にも殺戮し、なおそれでも足りずに、深夜ひそかに女性を求め、惨殺していく。  このサディスト的なタンツ将軍が、パリのルーヴル美術館でゴッホの自画像と対峙するシーンは、まさに背筋も凍るほどの凄さだ。狂気にかられて自分の耳を削ぎ落とした直後のゴッホ像は、まるで彼の内面と共鳴しているかのようで、底知れぬ怖さが私の心を射抜いていく-----。  ピーター・オトゥールの舞台で鍛え抜かれた、鬼気迫る演技は、私の心をつかんで離しません。  そして、この映画の複合的で奇妙な面白さの要因になっているのは、この事件を追うドイツ軍少佐の異様なほどの執拗さだと思う。  彼は上官である将軍たちを少しも恐れず、是が非でも殺人罪で検挙したいとの一念に凝り固まっていて、戦況が自国であるドイツに不利になってきても、意に介さないどころか、国防軍によるヒトラー暗殺未遂事件が起こっても、全く関心を示そうとはしないのだ。  そこには、正義を追求するという以上の何かしら尋常ならざるもの、犯人の異常さとも通底する、ある種の不気味さが感じられるのだ。  このように、この映画は観る角度を変えることで色々な見方の出来る、そんなスリリングな作品でもあるのです。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2022-01-09 11:57:03)
43.  アバウト・ア・ボーイ 《ネタバレ》 
人と人が接する時に感じる、内心の不安や自分の弱い部分を見透かされないだろうかという不安を、等身大の人間の姿で描いた、ライト・コメディの傑作「アバウト・ア・ボーイ」  この映画「アバウト・ア・ボーイ」の主人公の38歳の独身男ウィル(ヒュー・グラント)は、亡くなった父親が一発ヒットさせたクリスマス・ソングの印税で、優雅に暮らすリッチな身分。  一度も働いた事がなく、TVのクイズ番組とネット・サーフインで暇をつぶし、適当に付き合える相手と恋愛を楽しむ、悠々自適の日々を送っています。  ところが、情緒不安定な母親と暮らすマーカス少年(ニコラス・ホルト)との出会いが、彼の生活をかき乱していく----という、非常に興味深い設定でのドラマが展開していきます。  まさに、現代ならではのテーマをうまく消化して、ユーモラスで、なおかつ、ハートウォーミングにまとめ上げた脚本が、本当にうまいなと唸らされます。  30代後半の独身男の本音と12歳の少年の本音を、それぞれ一人称で描きながら、それを巧みに交錯させていくという構成になっています。  それが、二人の男性、ウィルとマーカスがいかにして心を通わせていくのかが、このドラマに説得力を持たせる上で重要になってくるのです。 そして、これが実にうまくいっているから感心してしまいます。  表面を取り繕う事に長けたウィルは、今時の小学生が歓迎すると思われる、クールなスタイルを本能的に知っています。  マーカスはそんなウィルを慕っていきますが、それだけではなく、ウィルの人間的に未熟な部分が、結果として二人の年齢差を埋める事に繋がり、マーカスはウィルを自分の友達の延長戦上の存在として見る事が出来るようになるのです。  マーカスは彼の持つ性格的な強引さの甲斐もあって、ウィルという良き兄貴を得る事が出来、一方のウィルは、自分だけの時間にズケズケと土足で踏み込んで来たマーカスを、最初こそ煙たがっていましたが、彼と深く接していく中で、次第に"自分の人生に欠けていたもの"に気付かされていくのです。  この映画は、そんな二人の交流の進展に歩を合わせるように、"人間同士の絆や家族"といったテーマを浮き彫りにしていくのです。  日本でも最近は、"シングルライフ"というものが、新しいライフスタイルでもあるかのように市民権を得つつありますが、確かに、お金さえ払えば、ありとあらゆる娯楽やサービスが手に入る時代になって来ました。 個人が個人だけで、あたかも生きていけるというような錯覚に陥ってしまいがちな現代------。  もっとも、この映画は、そんな現代人に偉そうにお説教を垂れているのではなく、むしろ、大半の人間はそんな現代というものに、"不安と寂しさ"を感じ始めているのではないかと問いかけているのです。  だからこそ、この映画は多くの人々が共感を覚え、ヒットしたのだと思います。  そこにきて、ウィルを飄々と自然体で演じたヒュー・グラントという俳優の存在です。 ウィルは、ある意味、"究極の軽薄な人間"として描かれていて、本来ならば、決して共感したくないようなキャラクターのはずなのですが、ヒュー・グラントが演じると、何の嫌悪感もなく観る事が出来るので、本当に不思議な気がします。  ヒュー・グラントは、このような毒気のあるライト・コメディを演じさせれば、本当に天下一品で、彼の右に出る者などいません。 余りにも自然で、演技をしているというのを忘れさせてしまう程の素晴らしさです。  そして、困った時に見せる微妙にゆがんだ何ともいえない表情といったら、他に比べる俳優がいないくらいに、まさしくヒュー・グラントの独壇場で、もう最高としか言いようがありません。  かつての"洗練された都会的なコメディ"の帝王と言われた、ケーリー・グラントの再来だと、ヒュー・グラントが騒がれた理由が良くわかります。  この映画は、そんなヒュー・グラントの持ち味を最大限に活かして、誰もが表だっては認めたくないような人間らしさに踏み込んでみせるのです。  そして、人と人が接する時に感じる、内心の不安や自分の弱い部分を見透かされないだろうかという不安を、等身大の人間の姿を通して映し出す事に成功しているのだと思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-06-04 10:52:55)
44.  シャーロック・ホームズの冒険 《ネタバレ》 
全世界の少年少女が、生まれて初めて読む本格推理小説は、"シャーロック・ホームズ"だと言われている。 この映画「シャーロック・ホームズの冒険」の監督であるビリー・ワイルダーも、少年の頃からホームズファンで、いつの日か自分の映画に登場させたいと考えていたそうだ。  サー・アーサー・コナン・ドイルが創造した、世界一有名なこの探偵とワトスン博士を、ビリー・ワイルダーと名コンビのI・A・L・ダイアモンドが、どうこのホームズものを描くか、大いに期待しながら観ました。  名探偵ホームズとその助手のワトスン博士は、コナン・ドイルが創作した人物だが、世界中のホームズマニアは、彼らが実在した人物のように扱って色々と研究し、なかにはワトスンが女性だったり、はては二人は、同性愛だったなんていう説もあらわれる始末だ。  だからこそ、ビリー・ワイルダー監督も、この映画の題名に"THE PRIVATE LIFE OF SHERLOCK HOLMES"と、"私生活"と謳って、ひねくった面白さを狙ったわけで、こういう事情を知っておいて観ると、この映画の面白さは、一段と増すのではないかと思います。  そして、そこは、さすがにビリー・ワイルダー監督、コナン・ドイルの原作の小説を、ただそのまま映画化するわけがありません。 小説と現実をごっちゃまぜにしたトボけたおかし味を狙って、ホームズの助手兼記録者の、ワトスン博士の孫なる人物が、銀行の保護金庫にあった50年前のワトスン博士の記録を発見。 それによって、ベーカー街におけるホームズとワトスンの私生活や、今まで知られていなかった冒険の一つを再現しようとしたのだ。  そのため、時代考証も凝りに凝って、実にいい雰囲気を醸し出している上に、エピソードの趣向も面白く、特にロシア・バレエの女王からの命令的な求婚を逃れるためにホームズが、デタラメを言ったのがもとで、ワトスンが同性愛者扱いされるあたりは、大いに笑わせられる。  そして、事件は美人のジュヌヴィエーヴ・パージュと共に舞い込んで来る。 このホームズのお色気シーンというのも実に珍しくて、思わずニヤニヤしてしまいます。  彼女の夫の行方を突き止める仕事に取り掛かり、倉庫に隠されていた大量のカナリヤを発端に、次々と手掛かりをたどってネス湖に達するまでの演出も、ワイルダー監督は、悠々たるクラシック調でいい味わいを出していると思う。  だが、ネス湖の怪獣とその正体は、ジュール・ヴェルヌのSF的で、意外と平凡だったのは少し残念。 創作するなら、もっと奇想天外な事件にして欲しかったなと思う。  しかし、そうは言っても、この事件のおかげで、ホームズが背負い投げをくって、照れくさい顔をする光景が見られるし、女スパイの古典的なロマンス・ムードも生まれたのだから、結果的には良かったのかもしれませんが------。  いずれにしろ、いわゆる楽屋オチ的な面白さだけではなく、第一、第二、第三と、いくつもの手掛かりを探って、謎の事件に迫っていく、古き良き探偵小説の面白さと、冒険の楽しさがいっぱい詰まった作品になっていると思います。  出演俳優に目をやると、この映画でホームズを演じたロバート・スティーヴンスは、イギリス演劇界で活躍する役者だし、ワトスン博士を演じたコリン・ブレークリーも、元々演劇界の役者なので、渋くて地味すぎる感じもしますが、しかし、今まで登場したカッコいい英雄的なホームズのイメージをぶち壊して、人間的な魅力と親近感のあるキャラクターになっていたと思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-06-02 20:00:02)(良:1票)
45.  夜の訪問者 《ネタバレ》 
チャールズ・ブロンソンが絶頂期にテレンス・ヤング監督と組んで主演したサスペンス・アクション 「夜の訪問者」  この映画「夜の訪問者」は、チャールズ・ブロンソンがフランスに渡り、ルネ・クレマン監督と組んで大ヒットさせた「雨の訪問者」、次いでイタリアで主演した「狼の挽歌」の後に、「007シリーズ」のテレンス・ヤング監督と組んで主演したサスペンス・アクション。 その後、テレンス・ヤング監督とは、三船敏郎、アラン・ドロンという世紀の顔合わせを果たした「レッド・サン」でも組んでいます。  この映画の原作は、SF作家として有名なリチャード・マシスンのスリラー小説「COLD SWEAT(冷や汗)」の映画化作品で、南フランスの港町で釣り船の船主をしているジョー(チャールズ・ブロンソン)は、7年前に結婚した妻ファビエンヌ(リヴ・ウルマン)と娘のミシェールと平和に暮らしています。  彼は観光客相手に沖釣用の船を出すのが商売で、ある夜、突然、ひとりの男が現われ、ジョー一家に不吉な黒い影を投げかけます。 この男は、実はジョーがかつて加わった脱獄事件に関係があり、その一味が麻薬を運ぶために、ジョーの船が必要だと言って来ます。  一味のボスのロス(ジェームズ・メイソン)は、先手をとってジョーの妻と娘を人質にしますが、ジョーは家族の危機に苦悩しながらも、彼らと敢然と戦い、妻子を守るという、いかにもタフガイ、ブロンソンにぴったりのはまり役を好演しています。  娯楽映画の職人監督テレンス・ヤングは、「暗くなるまで待って」で盲目のオードリー・ヘップバーンを危機に追い込むサスペンス映画の傑作を撮っていましたが、この映画では、昔の仲間に人質として奪われた妻と娘を、悪戦苦闘しながら救い出すヒーローを、ブロンソンの個性をうまく活かして、スリルとサスペンスのツボを押さえた、うまい演出を見せていると思います。  ブロンソンのトレードマークの"口ひげ"、黒いTシャツに青いズボン、白いスポーツ・シューズというラフなスタイルと、身軽な体のこなしなど、まさにブロンソンの魅力がいっぱい詰まっています。  ブロンソンが最も脂が乗りきって、快調にスター街道を突っ走っていた頃の作品だけに精彩があり、生き生きとしたアクション演技を見せていたと思います。  そして、この映画で特筆すべきなのが、ブロンソンの妻役として、世界的な芸術監督のイングマール・ベルイマン監督の映画の常連で、数々の演技賞に輝く、「叫びとささやき」「秋のソナタ」などの演技派の名女優リヴ・ウルマンが出演している事です。  リヴ・ウルマンが彼女のフィルモグラフィーの中で、このようなアクション映画に出演するのは、非常に珍しく、そういう意味でも、この映画はリヴ・ウルマンの熱烈なファンとしては、実に貴重な作品と言えます。  また、悪役として出演している、イギリスの名優で、かつて007ジェームズ・ボンドシリーズの原作者イアン・フレミングが、ジェームズ・ボンドを演じる俳優として強力に推薦したという、ジェームズ・メイソンが、憎々しい悪役を渋く演じていて、彼が登場して来るだけで、画面が引き締まってくるから不思議です。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-06-02 16:31:40)
46.  君よ憤怒の河を渉れ 《ネタバレ》 
この映画「君よ憤怒の河を渉れ」は、高倉健が長年専属だった東映から独立、退社後の記念すべき第一作目の作品で、「新幹線大爆破」の佐藤純彌監督による永田プロ=大映映画製作のサスペンス・アクション大作だ。  高倉健は、この映画の後、「幸福の黄色いハンカチ」「八甲田山」と立て続けに名作へ出演し続け、名実ともに日本を代表する俳優へと昇り詰めていくのです。  西村寿行の原作を出版しているのが、大映の親会社の徳間書店で、いわば、その後の角川映画のメディアミックス戦略を先取りしていたとも言える。  ストーリーは、巨大な権力の陰謀によって無実の罪を着せられた、健さん演じる現職のエリート検事が、無実の罪を晴らすために逃走、見えない敵を追って、東京から北陸、北海道、そして再び東京へと逃亡しながら、巨悪を追い詰めていくという、スケールの大きな復讐の旅を描く、一大エンターテインメント作品だ。  彼を追う警部に原田芳雄、恋人役に中野良子が脇を固め、大滝秀治、西村晃、倍賞美津子などの個性派俳優が、出演場面は少ないながらも、いい味を出して映画を引き締めていると思う。  そして、この映画を何よりも盛り上げているのは、危機一髪でのセスナ機での脱出、新宿の街頭での裸馬の大暴走などのダイナミックな見せ場と中野良子とのラブシーンだ。  いささか大味な展開を澱みないストーリー運びでグイグイと引っ張っていく演出は、さすがに百戦錬磨の佐藤純彌監督だと思う。  ただ、非常に残念だったのは、音楽の青山八郎が、キャロル・リード監督の名作「第三の男」のアントン・カラスのテーマ曲を完全に意識した曲作りが、恐らく日本映画史上、最大のミスマッチ映画音楽として歴史に残る程の大失敗をもたらした事だ。 こんなにも、映像の緊迫感と間の抜けたような音楽の組み合わせも、非常に珍しい。  そして、この映画は中国の文化大革命以後、初めて公開された外国映画として、中国では知らぬ人がない程の大ヒットをしたのは有名な話だ。  そのため、その後の中国では、日本人俳優の中では、いまだに高倉健のみならず中野良子の人気が高いという事だ。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2021-05-31 08:39:05)
47.  アグネス 《ネタバレ》 
ある冬の夜、カナダのモントリオール郊外の修道院の一室で、鋭い悲鳴が上がり、血まみれの若い尼僧アグネスが、嬰児の絞殺死体と共に倒れていた。  妊娠も出産も、全く身に覚えがないと言い張る、アグネスの側に立つ修道院長と、この事件の調査のため派遣されて来た精神科の女医との間で、現代の処女懐胎をめぐって、深刻な対立が始まった-----。  ブロードウェイのヒット戯曲を、舞台劇と同じくジョン・パウエルマイヤー自身がシナリオ化したにもかかわらず、舞台上の椅子と脚付きの灰皿以外は、何もない簡素な装置とは真逆に、「夜の大捜査線」「アメリカ上陸作戦」「屋根の上のバイオリン弾き」などの名匠ノーマン・ジュイソン監督による映画化では、映画の持つ特性を生かして、名カメラマンのスヴェン・ニクヴィストによるカメラは、血生臭い嬰児殺しの起きた、修道院の外へも自在に出て行って、清純だが自閉的な信仰の世界と、人間臭い世俗的な世界との対比を試みていると思う。  その人格的な代表が、「奇跡の人」「卒業」の名女優アン・バンクロフトが扮する修道院長と、これまた「コールガール」「帰郷」の名女優ジェーン・フォンダが扮する精神科医の二人になるわけですが、むろん両者は二分法的対立を単純に繰り返すのではなく、処女懐胎を自己主張する若きメグ・ティリーをも含めて、それぞれが背負った"女の業"のままに、丁々発止とディスカッション・ドラマが展開していくのです。  神とか信仰心とかに縁のない人間にとっても、何かが垣間見える一瞬が訪れるのはそのせいだと思う。  演技的な面で言うと、この演技派女優の競演の中で、アン・バンクロフトは、眼鏡をかけた老修道院長を謹厳に演じているにもかかわらず、つい煙草に手が出てしまう世俗的な二重性も露わに、彼女の長い女優歴の中では、最高年齢の老け役に徹していたのが、特に印象に残りましたね。
[ビデオ(字幕)] 7点(2020-09-28 20:20:07)
48.  ドラブル 《ネタバレ》 
誘拐、ドラブルという名前の破壊工作員たちの秘密組織、黒い風車、まるでスリラーの神様・アルフレッド・ヒッチコック監督のスパイ・スリラーを思わせるような、映画好きの心をワクワクさせる、実に良いムードの映画だ。  沈んで暗い色調の英国の風景も、優しくてノスタルジックな雰囲気を湛えている。  小さな一人息子を誘拐された夫婦。夫のマイケル・ケインは、秘密情報部員だが、情報部の協力を得られず、たった一人で敢然と、可愛い息子の救出のために、事件の渦中へと飛び込んで行く。  夫は外から妻に電話をかけて、情報部にも警察にも知られずに、ひとりで会いに来てくれと伝える。 その伝え方が実に面白くて、洒落ている。  と言うのも、もちろん電話は盗聴されているので、夫は妻に約束の場所を口で言う代わりに、電話でミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の音楽を聞かせるのだ。 息子にせがまれて、夫婦が何回となく見に行った映画なのだ。  この映画の最大の見せ場とも言える、風車小屋の中の撃ち合いは、この静かなスパイ・スリラーの数少ないアクション・シーンの一つだが、職人肌のドン・シーゲル監督ならではの、スピーディーでダイナミックな演出で、見応えのある素晴らしいクライマックス・シーンになっていると思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-09-13 15:31:59)
49.  雨の午後の降霊祭 《ネタバレ》 
英国映画「雨の午後の降霊祭」は、役者として「大脱走」、監督としても「ガンジー」や「遠すぎた橋」で有名なリチャード・アテンボローがプロデュースしつつ主演もしている映画です。  いかにも英国映画らしい、モノクロームでなくては作れないお芝居です。 テーマは誘拐。犯人夫婦の妻の方が霊媒で、僅かな信者を集めては降霊会を開きます。  リチャード・アッテンボロー扮する夫が、子供を誘拐し、妻が霊媒としてその家に乗り込んで、子供が自分の夢に現われたなどと話します。  身代金をうまく手にいれる場面の疾走感が、とてもいいんですね。 これで犯罪としては成功なのですが、結局は誘拐された子が殺され、やがて実に意外な方法で真実が暴露される。  ここでは、ミステリーという言葉も推理ではなく、神秘という本来の意味に取ったほうがいいのかもしれません。  抑制されたリアリズムで作ってゆくから、最後の超自然的な展開が冴えわたります。 英国以外の国では絶対に作られない種類の映画だと思いますね。
[DVD(字幕)] 7点(2019-12-17 09:24:03)
50.  偉大な生涯の物語 《ネタバレ》 
「偉大な生涯の物語」は、3時間47分。キリストの生涯を描く時間としては、長いのか短いのかなどと考え始めたら、きりがありません。 映画というものは、いったん引き込まれてしまったら、時間の経つのなんて、すっかり忘れてしまうものです。 退屈な映画は、長く感じ、面白い映画は、短く感じるということですね。とにかく、素晴らしい3時間47分でした。 これだから、映画を観るのはやめられません。  キリストを演じているのは、スウェーデン出身のマックス・フォン・シドーで、ベルイマンの映画でお馴染みの名優ですね。 最初に登場した時に、髪の毛が短いので、だんだん伸びて肩に付くくらいになるのかなと期待していたら、十字架上で息絶えるまで、ずっと同じ髪形のままでした。こういう、すっきりしたキリストもいたんだなと、妙に感心しましたね。  この映画の土台となっているのは、聖書です。むろん、他のキリスト映画も、土台は聖書に決まっているのですが、この映画の場合、聖書へのこだわりを強く感じました。 聖書に出てくる使徒や、キリストの言葉が多くセリフになっており、説明的な台詞はあまりありません。 聖書に登場しないシーンもほとんどありません。  そして、それぞれのシークエンスは、まるで絵画を見ているように美しく、抒情的で詩的です。 映画を観ているというよりは、詩のナレーションの付いた、動く絵を見ているような感じがしました。実に美しい映画です。  それと、この映画で目を引いたのは、意外な俳優が出演していることです。なんと、西部劇の大スターのジョン・ウェイン。 ジョン・ウェインのコスプレ姿を観られるのかと、目を皿のようにして出番を待っていました。 ジョン・ウェインの声は、一度聞いたら忘れられないくらい独特ですから、声ですぐに彼だとわかったのですが、画面に登場したのは、ほんの数秒間で、顔のアップすらありません。 これには驚くやら、悲しいやら。きっと、無理やり出演を依頼されて、付き合いで出演したのかもしれません。  シドニー・ポワチエも少しだけ出演しています。こちらは、ジョン・ウェインより、出演場面は長いし、おいしい役です。 キリストを助けて、一緒に十字架を担ぐシモンです。 チャールトン・ヘストンは、予言者ヨハネの役で、この時期、コスプレ物の歴史映画に出まくっていた彼の貫禄を感じましたね。 あと、人気TVドラマ「ナポレオン・ソロ」のイリヤ・クリヤキン役で日本でも人気の高かったデヴィッド・マッカラムが、裏切り者のユダの役を演じていました。 冷たい感じの表情が、ユダに合っているように思えました。  何度も映画化されているストーリーの映画を見比べるのは、本当に興味深いです。まだまだキリスト映画は、他にもあるので、今後とも見比べていきたいと思っています。
[DVD(字幕)] 7点(2019-05-27 10:15:51)(良:1票)
51.  家族生活(1984) 《ネタバレ》 
ある土曜日、エマニュエルはいつも通り、娘のエリーズに会いに前妻リリの家へ。かつては自分も住んでいたその家には、未だに彼の書斎が残っていた。 何となくよそよそしい娘に、彼は車で旅に出ようと提案する。  このように、毎週土曜日に面会する父と娘は、二人とも、人を愛すること、人から愛されることに不器用だ。 互いに会う日を楽しみにしているはずなのに、いざ顏を会わせると、何とはなしにギクシャクとして素っ気ない二人。 相手と打ち解けたいと思いながら、それをどう表現してよいか判らずイラ立って、逆に距離を置こうとさえしてしまう。  そんな二人が、ある週末、南仏からスペインへドライブへ出かける。娘が書いたシナリオをもとに映画を撮ろうと、ビデオ・カメラ1個を携えて。  ジャック・ドワイヨン監督は、そうした父エマニュエルと娘エリーズの愛情の機微を、ビデオ・カメラを媒介にして、淡々と、だがエモーショナルに映し出していく。 フィクションを撮ろうと言いつつ、エリーズそのものを、彼女の素顔を、撮ろうとするエマニュエル。  だが、エリーズは笑ったり怒ったり、泣いたりして、父親の企みから巧みに身をかわし、決して本音を見せようとはしない。 まるで、カメラを介さなければ娘を直視できない父親の臆病を非難するかのように。  「機械がなくても話し合えるわ」と言うエリーズのつぶやきが妙に心に残る。彼女はまた、「よそよそしさはパパから教わったの」ともささやく。 そして、カメラに微笑みかけるエリーズのよそよそしい幼い顔。  この映画でのビデオ・カメラの存在は、父と娘の間に知らぬ間に出来てしまった、どうしても越えられない"深い溝"の象徴なのだろう。 小さなモニターにリアルタイムで流れる、多分、手持ちカメラのせいだろう、小刻みにブレ、揺れ動く映像が、父と娘それぞれの言葉にならない思いを反映しているようだ。  一方、エマニュエルと彼の義理の娘ナターシャとの関係も微妙だ。何かというと敵対し、いがみ合う彼らの間に行き交う、いわば潜在的な近親相姦。それを鋭く見抜く、エマニュエルの妻であり、ナターシャの母であるラマ。  こうして、「家族生活」は、エマニュエルが持つ二つの家族、前妻リリとエリーズ一家、ラマとナターシャ一家を通して、現代における"家族"とは何かを見つめた、新しい形のホームドラマなのかもしれない。
[ビデオ(字幕)] 7点(2019-04-16 11:26:13)
52.  砂漠のライオン 《ネタバレ》 
大まかな目鼻立ちの大きな馬ヅラ、こもった大きなダミ声、逞しい体、そして何よりも従来の俳優にはない国籍不明の図太いエキゾチシズムの持ち主の俳優アンソニー・クインは、「革命児サパタ」「道」「その男ゾルバ」「サンタ・ビットリアの秘密」などでの強烈な演技で、私の印象に強く残っていて、彼が脇役の時は主演俳優を食ってしまうし、主役の時はその独特の個性でひと際光る演技を見せてくれました。  彼の晩年の出演映画「砂漠のライオン」は、シリア生まれのムスターファ・アッカド監督が、スペクタクルに民族の悲劇を描いた作品です。 イタリアの独裁者ムッソリーニは、北アフリカのリビアにローマ帝国を再建する野望に燃えていた。  そして、1929年、近代装備で固めた大軍を現地へ派遣する。アンソニー・クイン演じる、老いたベドウィンの指導者オマール・ムクターは、勇敢なる砂漠の戦士たちを率い、民族の誇りをかけた不屈の闘志で徹底抗戦を繰り広げるのだった-----。  この映画の撮影のために5万人ものエキストラが動員されたという戦闘シーンは、上映時間の実に8割近くを占めていて、そのひたすらな戦いをアンソニー・クインの個性あふれる名演が、引き締めていたと思います。  それまで、どちらかと言うと、あまりにも強烈すぎる個性で、クサイほどだった彼が、この映画で示した"枯淡の境地"には、目を瞠らされました。 砂漠の聖戦の先頭に立って闘う勇猛果敢な労将が、ひとたび銃を置いて子供たちにコーランを教える時の、慈父のごとき穏やかさ。  そして、従容として死につく時の、威風あたりをはらう静けさ。魅入るばかりのカリスマ性を、アンソニー・クインは見事に体現していたと思います。  近代兵器何するものぞ、砂漠の自由こそ民族の命と、ひるむことを知らない男たち。哀調を帯びた独特の叫びをあげて彼らを讃える、黒いベールの女たち。 イスラム世界のエキゾチシズムとパワーに、あらためて圧倒された映画でした。
[DVD(字幕)] 7点(2019-04-06 11:22:08)(良:1票)
53.  ピアニストを撃て 《ネタバレ》 
1970年の映画「栄光への賭け」で、気になる俳優の一人になったシャンソン歌手としてあまりにも有名なシャルル・アズナブール。  彼の本格的な映画出演は、歌手デビューよりずっと後ですが、その代表作とも言えるのが、ヌーヴェルバーグの代表監督フランソワ・トリュフォーの「ピアニストを撃て」だと思います。  この映画でのアズナブールは、歌手が片手間に映画に出演したというのとは全く違って、根っからのプロの役者という印象だ。 頭で考えるより先に、生理的な次元で役を取り込んでいるように見えるのです。 だからこそ逆に彼は、シャンソンという、ある意味、物語性の強い音楽のジャンルで、あれだけの成功を成し遂げられたとも言えるだろう。  下がった太い眉、丸く肉付きの良い鼻、厚目の唇、そしてあまり高くない身長。そして何よりも、その二重の大きな目を瞬く度に目につく、男にしては長すぎる睫毛だ。 極端に言えば、可愛げのある男性的なものからは程遠いソフトなイメージに、「ピアニストを撃て」の気弱な主人公の役は、まさにはまり役だと思います。  ~カフェでピアノを弾くシャルリは、かつて世界的なピアニストとして成功した男だった。それが妻と興業主との駆け引きの結果だと知って、妻を自殺に追いやり、身を隠したのだ。そんな気弱な彼に好意を抱く娘のレナ。二人は、彼の兄が起こした事件に巻き込まれていく。レナは銃弾に倒れ、彼はまた一人、ピアノを弾き続けるのだった-----~  この映画は、アメリカのギャング小説が原作とは思えない作品だ。 フランス的なエスプリの中に、恋も事件も死も、淡々と、しかしリズミカルに弾き語られた印象だ。  ピアノを弾くことしか能がないと、自身の現実生活の気弱さを諦めているシャルリは、妻を自殺に追いやった辛い過去から、素晴らしい才能を伸ばそうという野心さえ捨てたのだ。 傷ついた物静かな男を、ぴったりの雰囲気で演じるアズナブールの歌う、これは一つのシャンソンなのかもしれない。  それにしても、この主人公のシャルリは、臆病さゆえに、愛する女性に、気持ちをうまく伝えることの出来ない男-----。 しかし、彼の面白さというのは、それを地で演じているように自然に見せながら、その気弱さの裏にある、音楽家としての才能との二重性を微妙に演じているところだ。  音楽に浸る時にのみ、気弱な男が見せる、芸術への強い執着。その神経質なまでの思い入れは、臆病さの裏返しではあるが、芸術に心酔する、芸術家独特の顏なのだ。 外見が非常に柔らかなために、それと相反するものを秘める役で、彼は独特の雰囲気を演じきっていると思います。
[DVD(字幕)] 7点(2019-04-05 20:29:10)
54.  流されて… 《ネタバレ》 
妙に気になる俳優の中のひとり、ジャンカルロ・ジャンニーニ。  ジャンカルロはルキノ・ヴィスコンティ監督の「イノセント」、エットーレ・スコラ監督の「ジェラシー」などに出演していましたが、特に「イノセンス」での北イタリアの上流社会の男のデカダンスを実に見事に演じていて、もうすっかり彼の魅力の虜になりました。 どこか、マルチェロ・マストロヤンニに似ていなくもないけれど、ジャンカルロは、マルチェロよりも遥かにキザでセクシーなイタリア男だという気がします。  そして、この典型的なイタリア俳優の魅力を何よりも最大限に発揮したのは、リナ・ウェルトミュラー監督の「流されて---」でした。  粗野で下品でセクシーで、それでいてふとした表情に知的なデカダンスをのぞかせるジャンカルロは、ミラノが代表する北イタリアの洗練された知性と、ナポリが代表する南イタリアの陽気さと激情という、イタリアを二分する特性のどちらも持ち合わせた、稀有で貴重なイタリアの俳優だと思います。  そして、リナ・ウェルトミュラー監督とジャンカルロは、「ミミの誘惑」「愛とアナーキー」「セブン・ビューティーズ」などの作品でコンビを組んだ、いわば師弟コンビなのですが、この「流されて---」のジャンカルロは南イタリアの男を体現しています。  ~ 八月の地中海に白い帆を張る豪華なヨット、ナポリの実業家夫人ラファエロは、ブルジョワ仲間たちとバカンスを楽しんでいる。 ところが、モーターボートで沖へ出た夫人は、モーターの故障から召使いの男ジェナリーノとたった二人、無人島に漂着した。 自給自足の原始的な生活の中で、夫人と召使いの立場は逆転していくのだった----- ~  この映画は、アメリカでは一種の"フェミニズム"映画として大ヒットしたそうですが、女性監督の視点から描いた男と女の愛の力学が、ブルジョワと労働者階級、支配者と被支配者、文明と原始といった見事すぎるくらいの図式にピタリと当てはまったせいなのかもしれません。  しかし、思うにウェルトミュラー監督のフェミニズム意識と恋愛観は、もっとしたたかで複雑ではないだろうか。  この映画の原点は、やはりヨーロッパの成熟が生んだ"官能の世界"なのだと思えてなりません。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2019-04-03 10:29:52)
55.  世にも怪奇な物語 《ネタバレ》 
オムニバス映画といえば、真っ先に頭に浮かんでくる映画「世にも怪奇な物語」。  タイトルがそそりますし、傑作であると思っていました。今回あらためて観直して納得しました。 ストーリーが面白いというよりは、映像や雰囲気がとても素晴らしいんですね。  エドガー・アラン・ポーの原作をロジェ・ヴァデイム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニという名監督がそれぞれ映像化しています。 122分の間に3本の映画を観ることができて、とても得した気分になれます。  第1話「黒馬の哭く館」は、ロジェ・ヴァデイム監督、主演は当時、ヴァディム監督の妻であったジェーン・フォンダ、共演に実弟のピーター・フォンダというゴージャスさです。 いつの時代でどこの国かわかりませんが、お城が出てくるコスプレものです。  それにしても、姉のジェーン・ファンダは、若い頃から晩年まで確執のあった父親のヘンリー・フォンダにそっくりです。 弟のピーター・フォンダは、「イージー・ライダー」でブレイクする前ですので、まだまだ初々しくて若いですね。 ジェーンは性格の悪い館の主で貴族の令嬢を演じていますが、とても憎たらしいキャラなのに美女なので、さほど気になりません。  第2話「影を殺した男」は、ルイ・マル監督、主演はアラン・ドロン。まさに20世紀を代表する世紀の二枚目俳優アラン・ドロン。まさに水もしたたるいい男です。 自分と全く同じ名前の人物が現われ、自分の行動を諫めようとする。とうとう彼は、もうひとりの自分を殺してしまうという物語です。  アラン・ドロンという俳優は、若い頃はルネ・クレマンやルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニといった世界的な巨匠と言われる映画監督の作品に意識して出演していて、今回のルイ・マル監督のようなヌーヴェル・バーグの映画監督たちとは一定の距離を置いていたため、この作品はそういう意味からも本当に貴重な作品になっていると思います。  そして、尚且つアラン・ドロンがホラー映画に出演しているのを観るのもとても新鮮でした。 まあ、ホラーと言ってもホラー度はかなり低いのですが。  第3話「悪魔の首飾り」は、フェデリコ・フェリーニ監督、主演は「コレクター」に出演してエキセントリックな個性が光っていたテレンス・スタンプ。 この第3話が、評判が一番いいようですね。ストーリー性はあまりなく、映像の力でグイグイ引き付けるタイプの映画です。 主人公がアル中で朦朧としているので、映像自体もシュールで意味不明なところが多々あります。 そして、迫力のある怖いラストシーンは、一見の価値があると思います。  3話とも、ストーリーそのものはシンプルなのですが、それぞれの演出が卓越しているので、本当に見応えがあります。 アラン・ドロンが大好きなせいか、私は彼が出演している第2話に一番心惹かれました。  オムニバス映画はあまり観るチャンスがないので、今回再び観れてとても良かったと思います。 この映画のように、不思議でファンタジックで、それでいて怖いストーリーというのは、いつの世にも作りたい、観たいという欲求があるようにも思います。  日本のTVのかの「世にも奇妙な物語」も、この傾向をモロに受け継いでいると思います。ホラー映画が苦手だと言う人も大丈夫な映画で、ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ監督のファンの人ならば一見の価値ありの映画だと思います。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2019-04-01 14:53:52)(良:2票)
56.  マリアの恋人 《ネタバレ》 
この映画「マリアの恋人」は、ロシアでツルゲーネフの「貴族の巣」やチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を撮ったアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー監督がハリウッドへ進出して撮った作品です。  コンチャロフスキー監督の特質は、人間の精神の問題を日常生活の中で"ささいで、極限的"なシチュエーションで現代社会の風景を描くところにあると思っています。  この「マリアの恋人」は、「チェベングール」をはじめとする一部の作品が発禁になっていたアンドレイ・プラトーノフの原作ですが、マリアという名前が象徴しているように、この映画は一種の処女懐胎の物語だと思います。  戦争から帰還したジョン・サベージ扮するイバンは、以前から愛していたマリアと結婚する。 しかし、余りにも純粋に精神的に愛しすぎたために、結婚を果たしてもマリアの前では性的不能者となってしまう。  焦燥感にかられ町を去るイバン。一方、マリアは流れ者の歌手に肉欲を煽られ、身ごもってしまう。 しかし、このことが原因で、初めてイバンとマリアは結ばれる。  崇高な愛と肉欲とは相い容れるのだろうかという、永遠の問題をテーマにしていますが、映画は結論に性急ではありません。  この映画はハリウッドへ行ったコンチャロフスキー監督の祖国ロシアへの思いが込められた映画のような気がします。 原作はアンドレイ・プラトーノフだし、マリアもイバン(字幕ではイバンとなっていましたが、本当はイワンが正しいと思います)もロシア名です。  そして、マリアはユーゴスラビアからの亡命者ということはセリフからもわかります。 舞台はアメリカですが、帰還式のパーティでおばあさんたちの数人の衣装がロシア風だし、踊りも、歌もロシア風なものが出てくるからです。  結婚式を挙げる教会は、ギリシャ正教のように見え、ひょっとしたら村全体が亡命者の村なのかもしれません。 そして、何よりも椅子が置かれた高原の風景は、コンチャロフスキー監督のロシアへの望郷の思いの表現であるようにも見えます。
[DVD(字幕)] 7点(2019-03-30 09:34:23)
57.  緑色の部屋 《ネタバレ》 
フランソワ・トリュフォー監督の「緑色の部屋」は、後ろ向きの人生まっしぐらの男の物語です。  かつて観た「海の上のピアニスト」の主人公に共感できなかったように、この映画の主人公ジュリアン・ダヴェンヌ(フランソワ・トリュフォー)にも全く共感できませんでした。  ある意味、非常にグロテスクな映画だと言えます。彼は死者しか愛せないのです。もちろん、死体愛好者ではなく、死んだ人が全く忘れられないということなのです。 そして、この映画はホラー映画でもサスペンス映画でもありません。ある異常な男の人生ドラマです。  人間は誰でもいずれは死にますが、かといって死ぬために生まれてきたわけではなく、生きるために生れてきた存在のはずです。 最愛の人を亡くせば、絶望のどん底にたたき落とされるのはよくわかります。 配偶者や恋人や両親や子供を亡くしたことのある人なら、誰でも経験することです。  しばらくは頭も真っ白になったり、呆然としたり、死にたくなるほど落ち込みますが、ごく普通の人なら、そのうち時が経てば心も落ち着いてくるものです。 親しい人の死の悲しみを乗り越え、自分の「生」も取り戻すことができるのです。  ところが、この映画のダヴェンヌはそうではないのです。 新婚時代に妻を亡くした彼は、ずっと妻を想い、妻の遺品に囲まれた部屋で時を過ごしたり、頻繁に墓参りに行ったり、別の土地でのいい仕事の話しがあっても断ったり-----。  彼は新聞社で死亡記事を書くことが仕事で、死亡記事を書かせたら、彼の右に出る者がいません。まさに彼の生活の中心は「死者」なのです。  この違和感満点の陰気な男を、フランソワ・トリュフォーは実に見事に演じています。 脚本もトリュフォー自身が書き、当然のことながら監督もし、彼自身が主演もしているという入れ込みようです。  そして、もう一点、見事なのはカメラワークです。 ほの暗い空間に無数に灯されたロウソクの光が幻想的で美しく、壁に貼られた数々の死者の写真が思い切り辛気くさく、なんとも言えない怖さが伝わってきます。  この主人公には全く共感できないのですが、映画としては傑作だと思います。 この何とも言えない"妖しい雰囲気"には、観ていてゾクゾクしました。 死者を想い続ける主人公の妄執は、とにかく陰鬱なのですが、考えてみれば、確かに世の中にはきっとこういう人もいるだろうなと思わせられます。  ダヴェンヌの前に現われるセシリア(ナタリー・バイ)という美しい女性との関わり合いも、とても切なくて印象的でした。  これからも、トリュフォー作品をこまめに観ていきたいと思っています。
[ビデオ(字幕)] 7点(2019-03-28 20:20:45)
58.  菊豆/チュイトウ 《ネタバレ》 
チャン・イーモウ監督の「菊豆/チュイトウ」のストーリーは、徹底的に悲惨です。 今までにも何本か、気が滅入るくらいの悲惨なストーリーの映画を観てきましたが、この映画はそんな中でも間違いなく、その悲惨ベスト5に入ります。  菊豆という若くて美しい人妻が、強欲で意地悪で不能で、年上の夫に苦しめられ、他の男性に愛されることで苦しさから逃れようとする物語です。 そこまでやるかというくらい、残酷で不幸で理不尽でやりきれないストーリーなのですが、とても美しい映像になっているのが特徴です。  原作の舞台は農村なのだそうですが、映画では染物屋になっています。 黄色や青や赤の長い反物が翻るシーンが数多く出てきて、実に印象的です。 これらの色鮮やかな布は、映画の中で効果的な大道具であると同時に、粋な小道具にもなっています。  残酷なのに、限りなく美しい映画というのはよくあるものです。 例えば、ジャンルは違いますが、「コックと泥棒、その妻と愛人」や「サスペリア」も同様でした。 やはり「赤」が美しい映画でしたから、「赤」というのはひとつの象徴なのかもしれません。 この「赤」から連想されるものは「血」とか「情熱」です。  菊豆の天青に対する想いは、年月が経っても全く薄れることなく燃えたぎったままでしたし、まるで"血の池"のような赤い染料のプールの中で溺れ死んでいく夫、ラストシーンの火事の炎など、到るところに「赤」のイメージがあり、まさにこの映画は「赤の映画」だなと思わせられました。  これでもか、これでもかというくらいの悲惨な終焉なのですが、後味が悪くないというのは驚きでした。 これはひとえに、チャン・イーモウ監督の演出の手腕だと思います。
[ビデオ(字幕)] 7点(2019-03-24 10:22:40)
59.  アガサ/愛の失踪事件 《ネタバレ》 
映画を作る人は、プロデューサー(製作者)、脚本家、監督、編集者、音楽担当者など、いろいろな人がいて、彼らの共同作業で、1本の映画が完成します。  この中で、撮影する人のことは日本では、単にカメラマンと言いますが、海外では「Cinematographer」と言って、これを「カメラマン」と訳してしまうのは、なんだか悲しい気がします。  そして、この映画の撮影をしているCinematographerは、ヴィットリオ・ストラーロです。 撮影一筋に数十年のキャリアを持ち、数々の名作を撮影している人です。  私の大好きな「暗殺の森」、他にも「ラスト・タンゴ・イン・パリ」「地獄の黙示録」「シェルタリング・スカイ」「ラスト・エンペラー」など、錚々たる映画のスタッフとして名を連ねています。  映画を語る時、ついつい脚本や監督(演出)に目がいきがちですが、総合芸術、しかも映像を媒体としての映画というものの特性を考えた時、実はCinematagrapherの存在はとても大きな縁の下の力持ちなのだと思います。  この映画「アガサ/愛の失踪事件」ですが、もし私が邦題をつけるとしたら「アガサ・クリスティー失踪事件」にすると思います。 「アガサ」がすぐに「アガサ・クリスティー」だと連想できる人は、そう多くないと思うからです。  現実に、アガサは、夫に捨てられてしまったショックで11日間失踪したことがあるのだそうです。 夫には他に愛人ができたのです。実によくある話ですが、この映画は、そのアガサ・クリスティーが失踪していた謎の11日間の出来事に焦点を当てて描いています。  アガサ・クリスティーを演じているのは、「裸足のイサドラ」「ジュリア」の英国の名女優ヴァネッサ・レッドグレーヴで、ちょっと神経質そうで上品な初老の超有名作家を見事に演じ切っています。まさにはまり役だと思います。  そして、彼女の失踪を追う、ニューヨークから来た新聞記者スタントンは、「真夜中のカーボーイ」「レインマン」の演技派俳優ダスティン・ホフマン。 公開当時のポスターの名前は、主人公がアガサなのにもかかわらず、ダスティン・ホフマンの方が大きく印刷されていたそうですが、これは単純明快な理由で、ホフマンのギャラの方がレッドグレーヴよりも多かったからだそうです。  それから、アガサの夫アーチボルト大佐は、ご存知007シリーズの4代目ジェームズ・ボンドを演じたティモシー・ダルトンで、舞台出身の曲者俳優らしく、一癖も二癖もありそうな悪役っぽい男を、実に渋く演じています。 彼は、こういう役を演じさせたら、本当に巧いと思います。  さすが主人公がミステリーの女王だけあって、映画もアッと驚く展開が待ち受けていました。 なるほど、そう来たかという感じでした。 全くのフィクションですから、現実にはこんな事はなかったのでしょうけれど、ミステリーの女王が自分自身にもミステリーを仕掛けるというのは、非常に面白くて興味深いものがありました。  1930年代のファッションも楽しめますし、マイケル・アプテッド監督のドキュメンタリー風の演出もいい感じだったと思います。 そして、当然の事ながら、ヴィットリオ・ストラーロの流麗なカメラワークに酔いっぱなしでした。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2019-03-23 15:31:11)
60.  會議は踊る 《ネタバレ》 
この映画「會議は踊る」を観ていると、ヒトラーが歴史の表舞台に登場する前のドイツ映画は、世界の最先端だったということがよくわかります。  かのヒッチコック監督もドイツに映画の勉強に行っているほどですから。中でもオペレッタ映画に名作が多かったようです。 私はオペレッタ映画を観たのは今回が初めてで、なるほど、こういうものかと感慨深く鑑賞しました。  1814年、会議のためにウィーンにやって来たロシア皇帝アレキサンダー1世(ヴィリー・フリッチ)と、街の手袋屋の売り子クリステル(リリアン・ハーヴェイ)とのロマンスが描かれています。  ウィーン会議というと、当時のオーストリア宰相のメッテルニッヒが策略家だったということで有名ですが、この映画では、メッテルニッヒ宰相(コンラート・ファイト)が盗聴したり、外交文書をこっそり電灯に透かして盗み読んだりするという悪事をするシーンが出てきて、ブラックコメディにもなっていると思います。  なんとかロシア皇帝を会議から追い出してしまおうと、陰謀をめぐらすのですが、皇帝もちゃっかりしていて、影武者を用意して対抗するのです。  主題歌である「ただ1度だけ」は、どこかで聞いたことがある楽しいメロディと歌詞の曲で、思わず一緒になって口ずさみたくなってしまうほどです。  この底抜けに明るい映画がドイツ映画だなんて、とても信じられないくらいです。 こんなに昔に、それもドイツで、こんな素敵なロマンティック・コメディが作られていたなんて、本当に驚きました。  こういう映画を観ていると、戦争さえなかったら、ドイツも映画の大輪の花を咲かせ続けていたかもしれないと思わずにはいられません。 直接的ではなく、戦争の悲しさを感じてしまった珍しい映画でした。
[DVD(字幕)] 7点(2019-03-23 11:43:12)
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