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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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641.  限りなき前進 《ネタバレ》 
たしかにこのフィルムの改変はひどいもので、肝心の狂っていくとこを切っちゃって、無理にハッピーエンドにし、単に上映時間を短くし回転率を上げようとしたのか、とにかく残念至極であります。おそらくあの夢の長さがバネになってるわけだから、ネッチリ狂っていったんだろう(欠落部分の字幕化を頑強に拒んでいた脚色の八木保太郎の死後、フィルムセンターでは字幕による経過の解説を加えた。恣意的な読み取りが入っては困るという脚色者の気持ちも分かるが、観客としてはやはりないよりは助かる。欄外の脚注と思えばいい)。前半の明朗スケッチは原案小津お得意のもので、これに陰りを加えるくらいなら自分で監督できただろうが、もの狂いにまで至るとなると松竹のニンではない、と日活に任せたのだろうか。子どもたちの会話、デパートの放送を使ったやり合いのギャグなど快調。でもそこに「金勘定」が忍んでくる。冒頭の轟夕起子の登場からして「日当95銭」なんだけど、明かりの下で、小杉勇が妻の滝花久子と数字をあげて余生の経済設計を立ててるあたりから、ジワジワとくるものがある。成瀬巳喜男も金勘定の好きな監督だったが、あっちは生活感を出す金勘定。こっちは勘定していくほど、実生活がもろく見えてくる金勘定。娘を嫁に出さねば…、息子へ約束したカメラ、家の費用の割り増し、などなど、これらすべて後の夢のシーンに取り込まれていく。ちょっと不気味なのは、帰ってきた娘に「雨が降ってきたのか」と聞くシーン。狂いの予兆なのか、娘がキラキラする服を着てたのか、そのあとで娘は弟に水鉄砲を浴びて(画面には出ないが)実際に服に水がつく設定になってる。まるで小杉が予見していたようで、そこらへんでも何か不気味なものがゆっくりこの家庭を覆ってきつつある雰囲気が出た。で、定年制の導入によるショック。辞令をもらった幻想。会社で重役の椅子に座るなどという欠落シーンは、きっと幻想シーンや出勤シーンなんかが生きてたんだろうなあ。几帳面に机の上を磨いてハンコを取り出すシーンがあったの。
[映画館(邦画)] 7点(2012-03-12 09:54:41)
642.  美女と野獣(1991)
前作がカリプソふう人魚姫とちょっと破格なところを狙ったのに対し、これはオーソドックスなミュージカル仕立て。そのオーソドックスな貫禄はあるものの、アニメならではの冒険という点では、ちょっと物足りない。アニメならではってとこでは、魔法にかけられた物たちのシーンだが、キャラクターがあんまり良くない。一番の見せ場の食事の支度シーン、古いミュージカルのパロディ止まりで、もっと室内の広大さを出せなかったか。魔法が解けるところも、もう4、5カットはほしいところ。荒れた西棟が変わっていくところはもっと丹念に見せるのが義務であろう。つまり基本に人間のミュージカルの演出があって、最初からアニメの発想でいく場面がもっとあってほしい。『白雪姫』の物足りなさに通じている。街を本読みながら歩いていくところなんて、まさにそう。面白くはあっても、アニメの発想ではない。コンピューターの使用で視点はずいぶん動くようになった。本棚の前の梯子のヒロイン、ダンスのシーンなど。でもそういうところより、冒頭ステンドグラスでチャッチャッと説明するうまさなんかに感心する。村人たちによる群衆の狂気を、愛の対比物として置くのは正しい。野獣の造形は見事。巨体のモンスターと青い優しい眼。自分の大きさ・凶暴さに戸惑っているようなところが、いじらしいんだ。
[映画館(吹替)] 7点(2012-03-08 10:24:06)
643.  紅の豚 《ネタバレ》 
主人公の変身が、ストーリーの芯にはなってないですよね。人間界に愛想を尽かしたことは分かるけど、なぜ豚なのか。かっこよくなってしまうことへの照れなんでしょうな。でもこのダンディズムより少女フィオが出てきてからのほうが宮崎さんらしく感じられる。無骨な男どもが家来になっていくパターン。女たちだけの工場で木製の飛行機が作られていく、ってのは、考えてみれば宮崎さんのモチーフだらけなわけだ。見せ場としては町の水路から飛び立っていくところもいいが、やはりゆっくりと昇天していく友人たちの飛行機のシーン。亡霊飛行機たちが銀河のような流れを作って。「昇天」ってのも、『ラピュタ』のラストとか宮崎さんの重要なモチーフだった。
[映画館(邦画)] 7点(2012-02-24 10:13:39)
644.  アトランティス(1991)
しばしば使われる上下逆さまの構図が気に入った。水面を下にすることによって海は完全に閉じた世界になる。波打ち際を逆さまに見る光景など、引っ繰り返しただけでこんなに面白くなるのかと驚いた。下降する気泡。底で痙攣する水面。静かな湖沼のようなシーンも美しかった。けっして風の吹かない別天地になる。この逆さまの空を、イカもエイも飛行いていく。天地創造の段取りになっているのが、あちらのお国柄で、別にいいんだけど、楽しくお散歩していたウミヘビが大魚を目にして逃げていくあたり、少し擬人化しすぎな気もした。マンタがアリアを歌うのは楽しめたが。loveとhateの対比はつまらない。人間が退場したぶん、『沈黙の世界』より詩的要素は高まった。広さを感じられなかったのは、あんがいそこで暮らす生き物たちにとって海中ってのはこんなふうで、目の前の世界しか存在しないんだろう。ラストで水面の上(下?)の輝きに初めて憧れていく。それまでずっと水面を出ることを禁じられていたカメラが、ラストの空撮で広さを存分に味わう。閉じていた世界が開かれる。
[映画館(字幕)] 7点(2012-02-19 10:27:22)
645.  マンボ・キングス/わが心のマリア 《ネタバレ》 
このお兄さんのアーマンド・アサンテがいいですな。ニヤケきって自信満々な人間の色気っていうんでしょうか。ベットリと弟=家族への愛に生きてて、弟の嫁さんへのほのかな愛をこらえている。ちょっと変換すれば寅になっちゃう。家族愛という拘束、兄は弟を拘束し、弟は妻を拘束していて、こういう背景にはラテン音楽が似合う。マンボだけじゃなくて、ルンバにチャチャチャもあるよ。ただ泣かせどころのはずの「わが心のマリア」ってのが、あんまりどうってことのない曲なのが惜しまれる。ルーシー・ショー出演の編集の妙。最初の店でドラム叩いて喝采浴びるあたりのノリはラテンならでは。記念写真が死を招くのは映画のルール。中南米はカトリックということでイタリア映画の人懐っこさにも通じるんだな。ラストがちょっとズルズルしちゃったが、感じのいい映画。
[映画館(字幕)] 7点(2012-02-16 10:18:55)
646.  今度は愛妻家 《ネタバレ》 
この手の趣向は珍しくなくなったが、けっこう好きなんだ。たぶん映画で一番イキる趣向なんじゃないか。フィルムはもともと「現実の記録」の手段として誕生した来歴があって、そこを突かれるとグッと来る。作るほうも趣向だけに頼らなくなって、シナリオを練ってくる。セリフもいろいろ良かった。「俺が想像もつかないようなこと言ってくれよ」とか。本作の味わいの一つは、軽いトヨエツ。最近は「眉間にシワ」な役に定着しかかっていたところ、違う役が来て楽しそうに演じているのが心地よい(昔は軽い役も好んでやってた。床屋の髪形写真のモデルになってたのは何だったっけ…)。とりわけ前半、ランコに妻の死を嘘泣きっぽく告げるとこなんかの喜劇タッチ。ここらへんに喜劇タッチがあるので、後半が生きてくる。演技も設定に合わせて舞台劇っぽく線のハッキリしたものにし、そのクサみも作品のトーンと合っていたと思う。沖縄旅行から帰って、現像もしてないほどカメラから離れていたことが分かってくる後半、「眉間にシワ」的にはなるものの、それは前半のハシャギのいわば解説だ。石橋蓮司は、まあこれぐらいはやるだろうという役者なので、さして驚かぬ。「差別されなかったらオカマやってるカイがないじゃない」ってセリフは、いいとこ突いてた。浜田岳が出てくると仕掛けがある気配が漂ってしまうのは、彼の責任ではないな。
[DVD(邦画)] 7点(2012-02-09 12:22:25)(良:1票)
647.  映写技師は見ていた 《ネタバレ》 
もうちょっと短く出来るかと思ったが、でも悪くなかった。単に終わった体制の悪口を安全な時代になってから言ってるってだけじゃなくて、ある種の普遍的な独裁者願望のパターンがちゃんと出てた。これの同時代で言えばホメイニ下のイランに置き換えることも可能。純真さ・ナイーブさが独裁を支える構造そのものを見ようとしている。怖いのは主人公がこの体制を恐怖しつつも肯定しているとこで、ここに権力というものの不可思議さがあるんだろう。会話が聞かれることに怯えながらも、スターリンへの敬愛は変わらない。エライさんたちに出会うあたりの緊張する雰囲気、リアリティあった。やさしいスターリン。感激の極みであります。これと妻カーチャへの愛とが並行するの。このカーチャがラストでやっぱりスターリン一途になって登場するあたりに凄味。妻を愛するのかスターリンを愛するのか。カーチャへのカーディガンが取り出される。妻を演じたロリータ・ダヴィドヴィッチ、『ブレイズ』のときも、プロレタリア色のある女優さんでハリウッドでは貴重だなと思ったが、やっぱあの資本主義国で主役級を生き抜くのは難しかったか。
[映画館(字幕)] 7点(2012-02-08 10:28:46)
648.  阿賀に生きる
遠藤さんの感覚麻痺による火傷、おそらくこんなにも「水俣病的」映像から離れた地点で水俣病を生々しく感じられる映像はないだろう。怒りも叫びもない、淡々とした描写。暮らしや技術を破壊した近代がパッと眼前に大きく感じられる。映画のテーマの一つは技術の伝承でしょう。舟作りとカギ漁という川の生活の基本が軸になっている。生活とは技術なんだ、という小川紳介の流れが感じられる(小川が死んだ年の映画)。その技術の伝承を破壊した水銀中毒としての新潟水俣病。その伝承の断絶と対比されるように、老夫婦のいる光景ってのは安定している。同じ暮らしが未来へ延びていきそうもないことと、同じ暮らしが繰り返されていること。餅つきの加藤さんのとこ、囲炉裏端から席を譲らぬお婆さん。長谷川さんのとこで、喋りながらトロトロと寝入っていくとこ。風に敏感でないと舟が危ない、という自然と暮らしの関係。若干ナレーションが語りすぎるような気がしたが、そのぶんカギ漁のシーンは対岸からのロングで慎ましい。加藤さん夫婦が冗談で、首を絞めようか、というあたりに厳しさがにじむ。遠藤さんが舟作りを断念した絶望の深さもある。でも新しい舟を一つこしらえたことの希望の大きさ、この振幅の中に阿賀で暮らすということがスッポリ納まっているのだろう。監督佐藤真。
[映画館(邦画)] 7点(2012-02-07 10:08:41)
649.  恋の掟 《ネタバレ》 
社交術ってのは、ゲームの教育ってことか。無垢で純粋な小娘への教育、彼女を駒として使うゲームでもあり、そのルールを更新していく残酷さもある。ゲームを終えたふりをして次の手に進むあたりのタノシミ。生きることそのものがゲームであった時代、頽廃なのか洗練の果てなのか、ゲームは戦争となり、同じゲームをしている者同士の共感が、騙し合いのゲームの果ての孤独に追い詰めていく。田舎でのディナーのそれぞれの表情を、話者と話者以外の者とのカットの積み重ねで描いていくあたりなんか好き。せっかく若い恋人たちのために妖しい雰囲気を作ってやるのに、ハープの練習をして「AじゃないBフラットだ」なんてやってるお笑い。A・ベニングは好きなんだけど、ちょっと線が細すぎたか。ゲームの相手も失う極北で、カンラカラカラと豪快に笑ってほしい気もする。
[映画館(字幕)] 7点(2012-02-03 10:05:11)
650.  彼方へ 《ネタバレ》 
ライバル同士が女を取り合うなんて陳腐、と思ってたが、ラストで納得。マチルダ・メイ/現実の女は、メイ・ウェスト/夢の女の対比物だったのね。観終わってから構図の広がりを感じ出す作品。見てる間はちょい図式が割り切れ過ぎてる感じがあった。一方はアクロバット的マスコミの寵児、一方は神秘的な精神主義者で、精神主義の訓話っぽい映画じゃやだな、とちょっと引き気味だった。絶壁をただの征服の対象としていた者と、その絶壁の向こうに何かを見て畏れを抱いてしまった者との対比。ここにさらに「指のない男」/絶壁の向こう側に行ってしまった者を置いて、世界がグッと広がった。室内の偽の岩肌のテレビ中継から始まって、本物の山の頂の映画女優で終わる。監督にとってテレビと映画は対極なのだろう。映画の中で写真を燃やすときって、必ず表を上にするな、と思ったが、普通そうするか。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-31 10:14:46)
651.  プリティ・リーグ 《ネタバレ》 
姉妹で急ぎ足になる帰り道のとことか、スカウトが妹の肩の筋肉に触って「いけるかも」と思う変化とか、走りながら列車にカバンをホイホイ投げ入れていくとことか、至って職人的な腕を持った監督で、もう「女性監督」という肩書きで売りにする時代じゃないな、と思わせた映画。当時のニュースで彼女らを紹介していったシーン、マーラのとこでロングになるのが傑作。クソガキを登場させるつなぎ方とかね。テーマは「戦争と女性の社会進出」のお話で、男がいない時代のつなぎとしての・二流の・副次的な・キワモノとしての女性野球。ミニスカートをはかされ、屈辱的とまではいかないまでも、オアソビ的な設定。これに対してヒロインたちはマッスグに反発するんじゃなく、「よーし、それならその中でやってやろうじゃないか」となる女性ならではのしたたかさが見どころ。適度に男の顔も立てながら(ライフの写真)、自分たちのほうへ引きずり込んでいってしまう。酔いどれ監督も次第に生き生きしてくる、というわけ。ワンシーンだけど、実力はあってもどうにもならない黒人女性への目配りも欠かさないところに膨らみがある。後半旦那の帰還あたりから、ちょっと甘くなったか。今の日本なら女子サッカーを念頭に置いて観ることが出来そうだ。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-25 10:09:46)
652.  兄とその妹(1939) 《ネタバレ》 
日本映画は「坊っちゃん」パターンが本当に好き。主人公佐分利信は曲がったことが嫌いで、姦計を弄する赤シャツ的河村黎吉がいて、碁がたきの重役坂本武がさしずめタヌキ校長、友人の笠智衆が山嵐って感じ。「曲がったことが嫌い」な主人公も、国策としての曲がったことには鈍感になってしまうところに、同時代に生きる者の限界がある。取ってつけたようなラストはどこまで作者の責任なのか、当局に強いられたものなのか分からない。最後に不意に植民地が浮かび上がるのは『隣の八重ちゃん』もそうだった。国策への迎合と言うより、家庭劇の狭さから飛躍したいという作者の平衡感覚かもしれない。兄と妹との気の遣い合いがテーマだけど、家庭の描写の自然さが素晴らしい。会話もそうだが、沈黙が自然に描かれる。普通のドラマだと「気まずさ」を表現してしまう長い沈黙も、この監督のテンポだと自然。だいたい普通の家庭の中ってドラマほどしゃべり詰めじゃない。別に気まずくなくっても黙ってる時間がある。そういう時間を描くのが一番難しいんじゃないか。それに成功している。健康な娘ってのもいいんだ。「おいしい」ではなく「うまい」と言う。ハイキングは、もしかするとこれが三人での最後の外出になるかも知れない、という予感が微妙な切なさを醸していたが、それをあっさり健康な妹の兄想いが凌駕してしまう(現実の桑野通子はあと十年も生きられなかった)。観終わって冒頭シーンを思い返すと(夜の帰路での背後の靴音)、会社勤めをしている者のけっこうモダンな心理描写だったわけだ。当時の機材での暗い路上の移動撮影は大変そう。だいたい夜のシーンってのは昼間撮影してそれを夜っぽく処理するもんだけど、これは本当に夕方くらいの暗い中で撮影してたみたい。違うかな。かつてスクリーンで観たとき、上原謙のキザな写真が出てきたとこで場内が大笑いになった。戦後得意とした二枚目半役はすでにこの頃からやってたんだ(もうこの時は小桜葉子と結婚していて桑野とのロマンスは上原が振った形で終わっていた、本作での桑野が上原を振る設定に特段の意図はないんだろうな)。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2012-01-21 10:29:51)
653.  心の香り 《ネタバレ》 
『冬冬の夏休み』を思い出させるイデオロギー色のない(政治的な意味に限らず)中国映画。ストーリーよりも、状況として・風景としてシミジミさせる映画もあの国で生まれるようになったんだなあ、という感慨があった。老人と子どもの世間から遠ざかった環境での暮らし、けっこう町っぽいけど、川のほうへ行けば田園という境のような環境。どうせ父親に悪口を吹き込まれてるんだろう、というお祖父さんと、最初からおっかない孫。隣りの娘とで京劇とバレーが対比される(柵越しにメイキャップするシーン)。またその配置は、男二人の暮らしに、それぞれ女性の相談相手がいることになる。蓮おばさんの仏像を割ってしまうことが彼女の死につながり、その葬式費用がきっかけとなって、老人と孫とが京劇において和解する段取り。風景のみのフェイドイン・フェイドアウトのカットがいい。スン・チョウ孫周監督。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-20 10:19:52)
654.  瞼の母
忠太郎が母を探してやってきた雪の江戸のシーンがいい。点景される人々に浮世絵から抜け出てきたような味わいがある。その前に田舎の夏祭りのお囃子のシーンがあって、一転して冬の雪景色の中に都々逸が流れている。やっぱりお江戸は粋だねえと思わせておいて、しかしこのシーンは、その粋な都々逸を唄っていた男によって、江戸の不人情をこそ描いていく。理想と現実の落差。夏川静江によって生み落とされた母のイメージが浪花千栄子によって一度引っ繰り返され、さらに沢村貞子を経て木暮実千代へとジャンプする。この母親イメージの変遷の巧みさ。浪花や沢村は落ちぶれてはいても・というか落ちぶれているからこそ、忠太郎にとって「山椒太夫」的な理想の母親像だった。哀しい弱者の・自分の庇護を必要としている母親像だった。しかし現実は不人情な江戸の街で生きていかねばならなかった木暮なのだ。この深い幻滅は、母親に対してだけに向けられたものではなく、やくざ(「世間の出来損ないでございます」)に身を落としている自分自身にも向けられたものであるところが、作品の厚みになっている。母の援助をしようと携えてきた金が、自分のやくざを証明する重荷になってしまう。長谷川伸の名作ではあるが、私などはそのパロディのほうを先に目にしてしまった世代で(『続・男はつらいよ』を初め、テレビのバラエティのコントなどでも、その名セリフの数々と共に笑いの場で主に刷り込まれた)、素の気分でどっぷりとひたれないところが寂しい。長谷川伸は晩年、この芝居のように子どものときに生き別れた母と再会する。その母は名門に嫁いでおり、大学教授など名士の義兄弟が出来ていた。しかし芝居のような摩擦はなく、看取るまでいたって穏和に付き合えたというのがホッとさせる。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2012-01-17 10:04:01)(良:2票)
655.  1492/コロンブス 《ネタバレ》 
原題は「楽園の征服」。多数の合意のもとに歴史が変わったことはない、ってなことをアタマでコロンブスが言ってた。先を行くものの不幸と栄光。ラストでコロンブスが財務長官に「私とあなたは決定的に違う、I did,you didn't」って言う。コロンブスは未知の世界を憧れたんだけど、そこも見つけるそばから既知の秩序なり習慣なりが素早く浸食していってしまう。けっきょくスペインの延長された領土になってしまう幻滅。大陸発見五百年記念のフィルムだが、ただの“ご祝儀映画”で終わらせず、一応しっかりしたテーマを据えてあるのは偉い。スペインでは顔を背けた処刑をここでは自分で執行しなければならなくなる(全体『アラビアのロレンス』を手本にしてなかったか? 意識してはいただろう)。歴史上の人物ということでまったくの創作人物のようには個性を付けられないもどかしさ・彫りの浅さみたいなものは感じられたけど、いいほうじゃないか。女王に歳を聞き返すあたり面白い。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-15 10:17:19)
656.  ハイヒール(1991) 《ネタバレ》 
ちょっとした人物の絡みが、どんどん人の関係を広げていってしまう横滑りの感覚が面白い。手話通訳の女性が容疑者として三人目に並んで座ってたり。一番のギャグは手話通訳で犯罪自白を表現するとこね。グレートマザーに敗北し、吸収されていく娘の話ととればいいのか。なにやってもかなわない。自分の罪まで吸い取られていってしまう、って。母が見てると思うと緊張して笑ったりしてしまう(ニュースの時)、なんてのもあった。でもそう決めちゃうと、その向こうで監督が「わーい、引っかかった引っかかった」って笑ってるような気もして落ち着かない。もう一ひねりあるようなオレンジ色の世界。とりわけブルーを背景にしていると、あの色は不気味なんです。オカマの歌に合わせて客たちが身振りをするとこなんかも実にヘン。キャスティングにビビ・アンデルソンの名が出てたが、どこにいたんだ。まさか判事の老母? 『秋のソナタ』への言及もあったなあ。母と娘の葛藤の映画ということで。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-13 10:31:48)
657.  愛の風景 《ネタバレ》 
「合わない」男女は、いかにして愛し合えるのか。慈悲と無慈悲、寛容と不寛容といったモチーフがいろいろ変奏されていく。アンナとの出会い、「まず欠点から言おう」なんてあたりにベルイマンの空気が香る。母の祈りもすごいよ。「あの女を愛せない私をお許しください。どうかあの二人を引き離してください」って。父の死、結婚、から第二部と思っていいのかな、ちょっとトーンが違ってくる。慈悲なり寛容なりのテーマは一貫してるんだけど気分に段差があり、一本の作品としてはやや完結性に欠けた。少年ペトルスのエピソードがいい。慈悲のつもりが裏返されて無慈悲に転じていく痛ましさ。良くも悪くもベルイマンから出られてない映画だ。「人と人とはしょせん“合わない”のであり、だからこそ愛は素晴らしいのだ」ってな結論ということにしておきましょう。ラストは、二人別々のベンチに座ったままやり直そうと言ってる。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-09 10:10:51)
658.  めぐり逢う朝
鏡花の芸道ものの翻案だ、と言われれば、ああそうですかぁ、と納得しちゃうような話。師も弟子も、妻なり愛人なりの死によって、道を究めていく。師は求道家というより、妻を死なせた運命なり社会なりに対してスネているようなところがあり、芸術とは天上のものでありながら、この世のものごとに左右されるものでもあるんだなあ。そこらへんの芸術論の映画と見た。芸術はこの世に生きるためのもので、鎮魂の音楽でさえ耳にするのは生き残ったものたち、しかし芸術は芸術として純粋に閉じていきたがる表面張力のようなものも持っている。音楽は何のためにあるのか、と問われたマレは、すべての見えざるもののため? と答え、師はノンと言う。芸術のうち最も純度の高い音楽を巡って交される芸術論だ。好みとしてはもっとぶっきらぼうな演出のほうが良かったのでは。弟子マレが自作を弾いたとき、師が眉をピクリとさせるような、ああいうのはちょっと違うと思う。ドパルデューも薄化粧の有無に関わらずなんか違うなあ。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-06 10:44:34)
659.  冬物語 《ネタバレ》 
若い娘に振り回されることに快感を感じる監督であった。あの髪結いの亭主とか、ヒロインがシャルルとの再会を祈らされるロイック君とか。ヒロインが一度きりの人生を満足に送るために、男どもはひたすら奉仕させられる。そういう状況を作ることに、この監督は熱心になってる。彼にとっての男女関係の基本。奉仕して裏切られる屈折した快感、裏切らせることであがめてるの。このシャルル君、不在だから輝く対象になったので、これからどうなるのかを見せないところが、ずるいと言えばずるく、優しいと言えば優しい。演劇による啓示。現実は演劇になり、おとぎ話のように再会する。再会のシーンでこちらの娘に対応するように、向こうに女友だちドラがいて、これが『緑の光線』の人なんだな、あの人はまだ不幸を背負ってるようだ。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-03 10:53:59)(良:1票)
660.  二十日鼠と人間(1992) 《ネタバレ》 
映画の評価に原作の力が入ってくるのはある程度仕方なく、原作がいいとやっぱいい。少なくとも原作を殺してない、ってだけで評価していい。スタインベックの映画化では『怒りの葡萄』『エデンの東』の二大名作があるけど、話としてはこれが好き。なんか山本周五郎の「さぶ」思い出したりして。登場するみなが夢や憧れを持ちながら孤独に沈んでいて、自分の孤独な夢を守るために互いに傷つけ合ってしまう。ここで行われる殺しには、憎しみはない。老犬を殺させるキャンディ、仔犬を殺してしまうレニー、女を殺してしまうのも、鼠の死骸の延長上で、そしてリンチの前に友を殺してしまうジョージ。レニーと生きることを許さない社会、自分の中のレニー的なものを分離させないと生活していけない社会、そのやりきれなさ。アメリカ南部って心の傷がよく似合う。レニーが一度仔犬を連れてきたふりしてジョージをからかうあたり、あとになって思い出すとしみじみしちゃう。常にジョージの顔色をうかがっていたレニーに向こう(夢の家の方角)を向かせ、二人の視線が互いでなく、はるかかなたで重なるラスト。
[映画館(字幕)] 7点(2011-12-28 12:15:52)(良:2票)
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