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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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721.  黒い神と白い悪魔
題名からは単純な二元的世界を想像してしまうのだが、とんでもない、ややこしい状況。たしかに何かと何かが対立しているのだけど、それがよく分からんのだ。話の軸になるのは、アントニオと彼が狙う相手との対立。神から離れた位置にある者に対して、後者は二つとも宗教団体のよう。しかしそのアントニオを雇ったのが教会だからまたややこしい。さらにその二つの宗教団体も、熱狂的な狂信家とほとんど泥棒集団のような違いがある。どちらも無垢な者への殺戮という点で共通しているけど。そしてこのややこしい世界をマヌエロが、あちこちへつまずき引っかかりながら駆け抜けていくわけだが、彼とアントニオがひたすら個人であるのに対して、あとの者たちが集団であることにも対立がある。これら傷つけ合っている人々に対して、作者は積極的な批判を加えていない。地主や白人神父に対してははっきり憎悪が感じられるのに。これら傷つけ合っているものたちに分裂するなと呼びかけている映画なのだろうか、憎悪の対象をはっきり見定めよと。マヌエロのように、もう一度「個」から出発せよと。この対立をこそ言いたかったのかも知れない。ブラジルの状況に疎いものには、乗り切れないところもあるが、前半はかなり興奮した。よく風が吹くのがいい。
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-28 10:20:01)
722.  大樹のうた 《ネタバレ》 
この最終作は、細部よりもストーリーのほうが重視されている印象があり、またドラマチックな部分が多いのでデリケートな味わいでは損してるけど、でも甘い新婚生活の描写など一級ではないでしょうか。別にチチクルわけでもなく、キスシーンすらないのだが、しみじみ祝福してやりたくなるぐらい、いい。毛布とか枕元のピンとか道具が生きる。ちょっと前までは一人で泣いてたのが、かいがいしく火を焚いてたりするイイトコノ娘だった新妻。こうじわじわ底からしみてくるような幸福感を出すってのは、やはり大した力量なんだろう。夜は肩を並べて英語の勉強。夫婦で映画観に行ってると(仏教風SFもの活劇で面白そう)スクリーンが馬車の窓になっちゃうという趣向なんかもある。不意の不幸から放浪、父性の目覚めに至るという展開。ラストでまた『大地のうた』につながり、このように人は同じようにぐるぐる転生してる、という見方も出来るし、いやいや一世代進んでオプーとカジュールの違いがやっと生まれた、という見方も出来よう。おそらくこの二つの見方を並行させることで、壮大ならせん状の世界観を感じさせるのだろう。
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-26 12:06:17)
723.  巴里のアメリカ人
レスリー・キャロンって、いかにもアメリカの子役がそのまま大きくなったって感じだなあ、と思ってたんだけど、この人フランス出身なのね、一番合ってた『リリー』も、舞台はフランスだったんだ。そう思って見ると、にんじん、って感じもある。で、本作で一番ロマンチックなナンバーは、セーヌ河畔での二人のダンス。彼女は白と黒の衣装。冒頭でカラフルなイメージを出していたのでこの白黒が映え、それがそのままラストのパーティの予告にもなっていた。ラストの長い幻想シーンは、白黒のパーティの後で色彩の氾濫となる趣向で、贅を尽くしたという感じだが、立ちすくむ人やテーブルの女などにライトを下から当てたりして、ヨーロッパ的な陰影をかもそうとしている、ときに神経症的。バレーとタップの共演ってのは、アステア時代にも試みられているが、アメリカに根強いヨーロッパコンプレックスから来るのだろうか。ケリーのステッキ持ったタップとキャロンの爪先立ちバレーとの脚の掛け合いに堪能。そして鏡も使った色彩の洪水の果てに、また凱旋門の白黒の画に(赤い花の記憶を残して)戻っていくという趣向で、この映画はモノクロとカラフルの対比で押し切った。タップ好きとしては、子どもたちにいろんなステップを披露するとこ。上半身をダラーんと脱力させていかにも気がなさそうにトットットッとやるのなんか好きだなあ。アダムの部屋でタップ踏んだときは、ドアの敷居なんかもさりげなく使ってた。このアダムの仏頂面が、ケリーのニヤケ笑い(失礼!)と対比されるいいスパイスになっていて、スワンダフルに入る前、事態のややこしさを知った彼がハッピーな二人に挟まれて一人憂鬱にタバコに火をつけるのを繰り返してるあたりがおかしい。「そのしつこさに魅力が追いついてないの」とキッパリ言われても、しつこさに徹すれば最後はハッピーエンドになれるんだな。覚えとこう。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-06-25 10:05:46)
724.  冷たい雨に撃て、約束の銃弾を 《ネタバレ》 
東洋人と西洋人が映画の中で絡むと不協和音が生まれがちなので心配していたが、ラテン系だとそうでもない。というか、本作では異邦人ということが、記憶が薄れていくことと重なってイキている。すべての人間社会にとっても異邦人になっていきつつあるということ。ラストシーンがテーブルでニコニコしている主人公なのにはちょっと肩透かし感があったが、あれはつまり孫の記憶が完全に消え去って、その代わりに孫のような子どもたちと団欒をしている映像が入り込んできた、って感じなのだろう。ジョニー・トーらしい丁寧さが出たのは、銃撃戦よりもスパゲッティ食べながらの銃を巡るやりとりのとこ。しだいに男がただものではないと分かってくるあたり。サッと投げられる皿の気合い。その皿の行方にただのシェフでない証明があり、その皿は後のシーンのリング状のフリスビーにつながっていく。そしてゴミ捨て場での銃の試し撃ち、自転車がカラカラと動いていくとこ。記憶が消えていく男との約束をボスとの契約より優先するって「男の美学」は分かるんだけど、ちょっと命を粗末にしすぎてないか。ゴミの野での銃撃戦にもう一工夫ほしかった。ボスの卑劣さを観客に得心させる描写にも。
[DVD(字幕)] 7点(2011-06-20 10:25:50)(良:1票)
725.  ハート・ロッカー
普段は不必要に爆弾が爆発するアメリカ映画で、「爆発させない」人を描いている。とにかくずっとピリピリしていて、物語を語るというより、そのピリピリした日常を追体験する映画として優れていた。なぜイラクにアメリカ兵がいることになったのか、とか、爆弾を仕込む側の言い分にはまったく触れてないが、兵士の視線に徹して戦争を見る立場を取った以上、それでいいと思う。イラク戦争はベトナムの反復やってる、と思いがちだったが、いろいろ違いはあるのだな。装備は進歩した。ほとんど宇宙服にまで膨らんだ。それだけ土地の空気からは隔絶されてもいるのだろう。暑さにしても、あっちのジャングルの湿度とこっちの砂漠の湿度の違いは、体感で大きく違うだろうし、そこから来る不安の質も変わってくる。ジャングルのどこにベトコンが潜んでいるか分からない不安に対して、こちらは都市で周囲から無表情に見守られ続ける不安がある。ときにカメラで撮られている。見られ続けていることの居心地の悪い不安、どんな厚手の防護服でも防げない視線にさらされること、これがイラクのアメリカ人の立場なんだ。いいとこばっか描いてるな、とは思うが、少なくとも戦争の大義を主張してはいない。そんなもの探しても見つからないだろうが。
[DVD(字幕)] 7点(2011-06-16 12:15:08)
726.  ブリット
10年前にヒッチコックがねっとりゆるゆると迷宮へ導いていったサンフランシスコの坂道が、サーキット場に変貌する。ボンボンと弾むのがいい。最初は本作もゆるゆるとスタートするの。視野が制限される斜面の街を生かしている。追うものと追われるものが入れ替わって、バックミラーに車が浮き上がってくるあたりの安っぽいズームアップが、わけもなく嬉しい。ベルトを締めて急発進。この序破急の序から破に移る気合いが、アクションものでは大事だな。スピードを制限させていた斜面の特質が、ここで車をボンボン弾ませる特質に移行する。悪漢たち、運転してるのが一見銀行員風、助手席が一見老教授風と、これ見よがしの悪人顔でないのもいい。終始無言ってのも大事(「しめしめ、うまく撒いたぞ」「ゲッ、まだついてきやがる」「よーし、いっちょう撃ったるか」などといちいち喋ってるとこを想像して下さい、いかに興ざめか)。で銃が登場して破から急に至る。段取り通りの展開と言えばそうだけど、でもこの映画からなんだろ、カーチェイスの作劇法が確立するのは。車だけでひとつのシークエンスを埋め切った潔さが立派。それまでだと車の疾走は、なんかのアクションと次のアクションとを繋いでいる役割のほうが多かったんじゃないかな、印象で言っちゃってるけど。というわけで、この中盤のカーチェイスが見どころとして目立ちすぎるため、あと病院や空港でもいろいろやってはいるんだけど、そっちの印象が薄くなるのが、作品としてはアンバランス感があってちょっと損してる。死臭漂う職場で生きる男の悲しみ、ってのもテーマっぽく出しているが、あんまりマックィーンには似合わない。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-06-10 10:15:18)
727.  元禄忠臣蔵 後編
これは原作の真山青果のせいなんだろうけど、まったく大石中心の話なわけね。群像ものではないし、吉良のほうもほとんど描かれない。第一討ち入りシーンがないんだもん。原作がそうなんだけど、これって当時の国策映画が兵隊さんの苦労話だけ描いて、敵が出てこない、ってことと似ている。大石のやったことがいかに善か、ということより、彼の内心の苦衷に共感しようとするほうが大事なんだ。だからあえて悪玉を描く必要がない。あえて中国侵略を正当化するアジテーションを必要としなかったこととパラレル。そういう意味では間違いなく本作もあの時代の国策映画であったわけだ。美しいとこと言ったら、まず冒頭、能舞台の裏手からクレーンで下降してきて大セットを収めていき、そのまま殿様のほうに寄っていく大移動。屋敷の中で吉良を見かけた翫右衛門が、すがりつく妹を引きずりながら奥へ向っていくシーン。長回しで廊下を回り歩いた果てにこれがくるのでいっそう効果があった。ただラストの高峰三枝子のエピソードは退屈だったな。もう疲れてたし。
[映画館(邦画)] 7点(2011-06-09 10:22:56)
728.  必死剣 鳥刺し 《ネタバレ》 
世間の噂話だけを根拠に、自分の死に花を咲かせるための暴力を行使する、って昭和にもたくさんいた愚かなテロリストの典型みたいな冒頭の事件。あんまりこんな奴に付き合いたくないな、と思いながら観続けていると、疑念を持ちながらもボスの言いなりに用心棒としての殺人を行なう。自分というものを消して、道具に徹する。使役され、善悪の判断を外部に置くスッキリした生き方ではあるが、やはり愚か。しかしそこで使役されていた意味が分かり、初めて自分の判断で「敵」を捉え乱闘から必死剣に至る。「必死」によって初めて、自分自身だけの「生」にたどり着けた男の物語、ってことか。観ながらモヤモヤしていたものが、岸部一徳の下知で「そういう話か」とスッキリする瞬間がこの映画の勘どころ。その瞬間のドキドキに比べると後の乱闘はいささか大味だった(ご別家との一対一の静かな緊張は悪くない)。使役されることの悲しみは漂った。「侍もの」では女性の描き方ってのが難しいんだな。噂話というベールは掛かっているけど、側室は分かりやす過ぎる型通りの悪女で、主人公の妻や姪は、これまた型通りの貞女。寂しく微笑むだけの存在。時代劇でも市井ものでは魅力的な女性をたくさん描けるんだけど、武家ものになるとなかなか型を破れない。それだけ女性が生きづらい環境だったってことなんだろうが。
[DVD(邦画)] 7点(2011-06-07 12:22:57)
729.  支那の夜 [前後篇]
古い劇映画は当時の記録映画としての意味も持ち、その意味でこれは「あの時代の日本人の自分勝手なエエカッコシイの精神」を知るに優れていた。兄的な立場、我慢している立場、そして教育者という立場。そのままあの戦争の大義に重なる。「白人に支配されているアジアを、アジアのなかの兄さんである日本が、もう我慢できずに解放してやるのだ」。現実にある抗日運動に対しては、一応上海で日本人が傍若無人に威張っていることは認めざるを得ない、そこにある現実だから。それは認めてそういう「一部の不届きな日本人」に説教する。でこちらにひとつ負い目を負わせておいてから、李香蘭の方には「抗日運動は目隠しされた愛国心」だと言えば、これを観ている日本の観客はその二つで釣り合いを取ってしまう。全然レベルの違うものを釣り合わせて、納得させる。李香蘭の崩れた旧家と、日本の兵士の戦死。そういったゴマカシの釣り合わせの果てに「だからこそ手をつながなければならないのよ」となってしまう。そしてそれを情緒のレベルで許してしまう日本人のいい加減さ。ひどい話であるが、そのひどさを平気で生んだ当時の日本人の精神が、この映画にはしっかり記録されていて貴重。
[映画館(邦画)] 7点(2011-06-04 09:56:35)
730.  眠れる森の美女(1959)
平板な画づくりにして、絵画的にする効果。『白雪姫』みたいな話だけど、こっちはラストにヤマ場をちゃんと作ってある。イバラが繁茂していくあたり、逃げ出すときの危機一髪の感じ。『白雪姫』の、初めてのものに挑戦している緊張がない代わりに、定型ができている安定がある。妖精たちの飛翔感。一番の見せ場は、誕生日の魔法のイロイロかな。卵たちが自分で動いて料理の本を読んだりしているのがおかしい。縫い物の、生地や糸の動き、これが美しい。そして糸車ってのが「運命的」なのよね。そのあと眠りにつかせるシーンがまたスペクタクル的見せ場。堀脇の灯も順に消していくの。
[映画館(吹替)] 7点(2011-06-01 13:55:54)
731.  ピーター・パン(1953)
これはやっぱり成長物語なんだ。ウェンディが大人になる決意を持つまでの。人の動きは『白雪姫』ほど病的に現実の人間に近づけようとはしなくなっている。アニメにおける人間の動かし方が固まった。ティンカーベルがついていくのが『未知との遭遇』につながったな。子ども向けでありながら彼女には50年代のコケットリーを感じる。やたら月をバックにするのは『E.T.』か。映画館にいた子どもたちには洞窟でのフックとの戦いがやたら受けていた。ラスト、海賊船が金の帆船に変わるとこ、色の変化ってのもアニメでは重要。月がビッグベンになり、それが家の掛け時計に、という移りもよろしい。
[映画館(吹替)] 7点(2011-05-29 12:10:00)
732.  オリヴィエ オリヴィエ
この題名、本当は前半が手書き、後半が活字なの。家の内側と外側、あるいはプライベートなものと公なもの。弟が不意にいなくなり、不意に現われる、その家族のありよう。男二人女二人の関係が多彩に組み合わされ、すべての男と女の間にはエロス的な線が引かれる。成人後のオリヴィエの気味悪さはなかなかなものである。この気味悪さって、欧米の映画に出てくる東洋人の薄ら笑いに近い。正体不明。なに考えてるのか。家庭を憩いの場としてでなく、緊張の場として見ている。姉の超能力が何か唐突に思えたんだけど、彼女は自分の能力が弟を消してしまったのではないかと思って取り乱し己れを罰したのか(タバコの火)。この事件をなにかの一点に集約させていくって言うより、それぞれの反応を見たかった、って映画らしい。見終わって、だから何なんだ、って気にもなる。エロス的に他人を取り込んでいく「家族」の気味悪さ、とか、「家」の脆さよりもしたたかさ、とか。
[映画館(字幕)] 7点(2011-05-26 09:47:51)
733.  特別な一日
変にひとけがない感じがいい。『黒いオルフェ』では、カーニバルの賑わいの裏道の静けさってのが生かされてたけど、あれを思い出した。ファシストの集会にみなが出払った後のアパートの静まり。この設定がファシストおばさんとホモおじさんの出会いに必要だった。自分で女は劣っていると思い込んでいるほど素直にファシストの言葉を信じているヒロイン。公園でムッソリーニを見かけて気絶しちゃったってんだもの。あの当時のこういう素朴な一般庶民てのはなかなか映画で主役をやらせてもらったことなかったんだよな。ムッソリーニは貧困をもたらす敵だったのではなく、彼らにとって希望の象徴だった。小道具、九官鳥からルンバの足形、砂のオモリつけた電球、などなどが生きている。管理人のおばさんも重要。世間そのものといったような無垢な残酷さ。ラジオによる沿道の賑わいの中継が生きる。管理人のおばさんが大きな音で聞いているの。
[映画館(字幕)] 7点(2011-05-20 09:46:40)(良:1票)
734.  女学生と与太者 《ネタバレ》 
昭和ひとけたの邦画はギャングやヨタモノが跳梁していて嬉しい。アメリカ映画の影響か。でも冒頭の夜の街の移動から宝石泥棒に至るタッチは、ドイツ映画の『アスファルト』を連想させられる。ビビッてる阿部正三郎の前のテーブルにカッとナイフが刺さったりする。話の本筋は、水久保澄子を姫として、与太者三人組が騎士道的に仕えるという話。そこにO・ヘンリーが重なったりするのだが、どこか日本的なものもあって、そのチグハグ具合がおかしい。ラストの金庫あけなんかまるっきりイタダキなんだが「きれいになって出直さなくちゃならない」なんてとこは、任侠もの的な日本の匂いがする。みんな元気よく走る。走るだけでなく、電柱に上ったり、終わりのほうでは自転車で東京へ疾駆する。これに水久保嬢の洋裁学校でのいじめが絡み、ここの女教師で洋服姿の飯田蝶子が見られるのも珍しい。とにかく戦前の町並みが映るだけで嬉しくなってしまうもので。
[映画館(邦画)] 7点(2011-05-19 09:56:14)
735.  大殺陣 《ネタバレ》 
「世直しの大義」を実行する主人公一派のボス山鹿素行が、安部徹ってのがいい。対するのが大木実で、悪役同士。正義を声高に叫ぶ連中を突き放して見ようとしているところがある。どっちもどっち。一派の中にも、テロ実行直前に女を犯そうとするナマグサ坊主がいたり、それまでの「正義」の時代劇とは一線を画している。でも突き放しきれてない中途半端な仕上がりで、過渡期の試行錯誤ってとこだろう。このカッカしている人々の対照物として平幹二朗がいるんだけど、それが最後までニヒルを通せない。「大義でなく友情のために」という流れにはなっていたが、もっと主人公たちの批判者としてあり続けてほしかった。突き放しが弱いと、決行前に妻子を始末しておく残酷も、美談として受け取られかねない。そもそも軍学者の立てた計略にしては粗雑で、山鹿流ってのも大したことないじゃないか(あばれ馬が走りこんでくるあたりはワクワクしたが)。また幕府側も、ことが終わったと見て綱重をムキダシで歩かすなど、こっちも粗雑。ローアングルのワイド画面、しばしば梁や塀など障害物越しに対象を捉えるカメラ、などが楽しめた。大木と安部が廊下を行くシルエットと並行する侍の場も美しい。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2011-05-16 09:56:20)(良:1票)
736.  アメリカ
横顔の映画。体全部が真横を向いている(おもに左)。顔の半分が見えていないことによる膨らみと言うか、かえって内面への興味をそそられる。また視線の方向は分かるが、相手との距離感が分からない(見えてる目玉が一個なので)。そして原則として相手は同一画面に収まらない。だもんで人物間の距離感覚がひどく曖昧になってしまう。あのように真横だと永遠に平行線が引き伸ばされていく感じで、「相手」が漠然と霧散していくような取りとめのなさが満ちてくる。この原作はそもそも「本人がまったく望まないのに人間関係のごたごたを招き寄せてしまう喜劇」という一面がある。映画ではその他人たちが曖昧になっていくところに、この監督なりの解釈があるのだろう。エレベーターボーイのエピソードが一番面白かったか、だんだん抜き差しならなくなっていく感じ。警官もタクシーの運ちゃんもポスターもすべてドイツ語のアメリカ。ラストは延々と湖の脇を走る抜けていく車窓シーン、汽笛とともにクレジットタイトルが入ってくる。
[映画館(字幕)] 7点(2011-05-14 09:43:38)(良:1票)
737.  デーヴ
権力者と瓜二つの庶民てのは映画の好きなモチーフで、『独裁者』から『影武者』まであり、権力とは何ぞや、ということを一番考えやすい設定なのだろう。ニセモノが正しい道に戻す、って流れ。政治ってのは常に、庶民の側から見て「向こう」に行ってしまうベクトルを持ってしまっているわけで、それを「こちら」に引き戻したいという気持ちがある。デーヴが嬉々として始球式をこなしているあたりのはしゃいだ気分、このニセモノは庶民の代表として気のいい奴なのである。責任のない有名人として遊んでいた気分が、やがて責任を感じ出すのがホームレスのあたりか。予算捻出とか。『スミス都へ行く』なんかに通じる、民主主義の原点を常に探ろうとするアメリカ映画の姿勢は、素直に偉いと思う。政治権力を常に「こちら」に引き戻そうとする姿勢。まファンタジーだけど、シークレットサービスが「あんたのためなら死ねる」って言うあたりはホロリとさせられた。
[映画館(字幕)] 7点(2011-05-11 09:52:51)
738.  踊らん哉 《ネタバレ》 
今回はクラシックバレーという制約を与えて、作品の個性を作る。なにかの制約を与えて「型」に刺激を与え、マンネリを防ごうとしている。タップダンスってのが「滑って転びそうになるが手足をバタバタさせてしぶとく粘ってる」ってようなユーモアをもともとたたえていて、それと大仰なバレーのポーズとの対比。ローラースケートはいてタップさせる、ってのもそういうアイデアでしょう。レコードで練習してると針が飛んじゃって、同じところを繰り返すというギャグの落ちは、もちろんどんどんテンポが落ちていってしまって床にへたり込む、というもの。いいのは、船の機関との掛け合いの妙。そしてナイトクラブシーン。最初は仏頂面のロジャース、その周りを大袈裟にバレー風にまずアステアが飛び回る。ロジャースはただボーっと立ってるだけ。でも音楽が変わってステップ踏みながら前に歩み出すあたりから揃ってきて、あとは一気呵成。作品に個性を与えるために制約を入れるのも大事だが、ここぞというとこで定型の芯を見せるのも大事。溜飲が下がるというか、実に晴れ晴れとする。ラストのバレーで始まるショーがこの対比の集大成で、みんなロジャースのお面をつけて踊る。人形のモチーフから自然に受け入れられますね。またそれが愛の表明にもなっており、その中に一人本物が入ってるという趣向。
[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2011-05-04 10:18:38)
739.  ベイビー・オブ・マコン 《ネタバレ》 
赤と金と黒による厳粛なる悪趣味の世界。光が絞られたときの金が美しい。芝居仕立てにしたことの意義が、もひとつピンと来なかったが、舞台という制約を置いたほうが、この監督のイメージは自在になるのだろう。舞台装置の人工的な感じ。収穫の衰えた世界に奇跡の子を捏造していく話。捏造でもないか、実際に「母」の純潔を守るために誘惑者を牛の角にかけて殺したりするの。パタンと馬小屋の壁が倒れて観客席が姿を現わしたり。この監督にしては悪趣味が抑え目だなあと思っていたら、ラストでちゃんと死体をバラバラにしていた。『コックと泥棒…』のカニバリズムに通じていく、とにかく死体趣味なの。典雅なふるまいと悪趣味が通じているところが、味わいと言うかなんと言うか。
[映画館(字幕)] 7点(2011-05-02 09:56:16)
740.  クレイジー・ハート 《ネタバレ》 
破滅型の話かと最初は思ってしまった。時代遅れのアル中のカントリー歌手で、なにしろ車の長旅から出てきて、小便を捨てるシーンからという登場の仕方。「それでも歌に殉じて滅んでいく」っていう芸術没頭型の破滅へ向かう話だな、と思っていたら、そうでもなく破滅しないの。かつての後輩の前座をやるか、ってマネージャーの電話に、イエスと答える。恋人の愛を取り戻すために、禁酒会にも参加する。かっこいい破滅より、じたばた生きるほうを選択していく。そこにけっこう心動かされてしまった。恋人との会話の中で「子どもを失ったら生きていけないわ」というようなことを言われて「でも実際は生きていけるんだ」と言った。それでも生きていく、と言うとなんか力こぶを込めたようなイメージになってしまうが、人生に勝ったとか負けたとかいう基準の外に広々とした世界があるんだ、ということを本人が見せてくれた。ある種の柔軟さ。もちろん当人は傷だらけだが、悲壮ではない。破滅に飛び込まないで生き続けていく主人公を肯定的に描いて、気持ちのいいラストだった。
[DVD(字幕)] 7点(2011-04-28 10:03:50)(良:1票)
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