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フィンセントさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 202
性別 女性
自己紹介 閲覧&良票を入れて頂いた皆様ありがとうございます(*^-^*)
良票を頂けると励みになります!作品に対する意外なヨミと、読んでいて楽しいレビューを心がけています。楽しんでいただければ幸いです☆

ジャンルを問わず鑑賞していますが、ホラーを観るときは手で目を覆って指の隙間から観ますw

★好きな俳優★
M.ファスベンダー、E.マクレガー、J.ロウ、D.クレイグ、O.ブルーム、ジョナサン・リース=マイヤーズ・・・・・はい、そうです。イギリス俳優好きですw
さらには、ドナルド・サザーランド、S.ブシェミ、M.フリーマン、フランコ・ネロ、B.ウィリス、H.ジャックマン、C.イーストウッド、女性では、ユマ・サーマン、M.ジョヴォビッチ、C.セロン、A.セイフライド・・・などが好きです。

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61.  バイオハザードV リトリビューション
1から5まで見てきてだんだん分かってきた。  バイオシリーズは、ミラジョボの夫でバイオハザード全作に監督なり脚本なり製作なりで必ず関わってきたポールが、  「もし愛しいわが妻をマトリックス風ヒロインにしたら?」(バイオ4)  「もし美しいわが妻をマッドマックス風ヒロインにしたら?」(バイオ2)  「ボクの赤ちゃんを産んでくれてママ業もがんばってるわが妻を、母性をテーマにしたエイリアン2風ヒロインにしたら?」(バイオ5)という、きわめてパーソナルな願望を莫大な費用とスタッフを投入して実現してきた、壮大な”夫によるミラジョボ映像集”なのである。  彼にとっては、妻の映像をとることが目的なのだから、ストーリーのつじつまなんぞどうでもいいのである。  妻がだんだん劣化していっても、夫にとっては「腐っても鯛」なのである。  彼の価値は、ミラジョボへの深い愛だけだ。 離婚を2回繰り返し、夫に恵まれなかったミラジョボが、はじめて”おしどり夫婦”となり2人の子供までもうけることができたのも、ポールのおかげだ。  そしてそんな夫婦愛から生まれた”夫婦の共同制作品”であるバイオシリーズは、彼らの子供であると言える。  我々は新作を届けられるたびに、内容どうこうではなく、  「そうか、また○人目のお子さんが生まれたんだね。おめでとう」  と、素直に受け止めるだけでいいのだ。   もう誰もミラ&ポールの<自己満足型ミラ映像集>の暴走を止めることはできない。  隠れファンの多いレインをつまんない死に方で終了させたり、バイオ3でタバコを一服して笑顔でドカンというせっかくカッコイイ死に方で終了させたカルロスをあえてクローンで復活させておいて即ゾンビに捕らわせて醜いゾンビにさせちゃうのも、ポールに悪気はない。ひとえに  「主役はボクの妻だから、他のキャラはどうでもいいし」  というポールの妻に対する盲目的で一途な愛のあらわれに他ならない。   序盤でウェスカーが「人類破滅の危機だ!!」と言っていたが、その直後に 「アンブレラ社は、NYでのバイオハザード映像をロシアに売り込み、東京のバイオハザード映像を中国に売り込むのダ♪」  とか言っている時点で、周囲のスタッフが  「ポールさん、人類滅亡が迫ってるのに、ゾンビ使って商売って…その設定きつすぎやしませんか?」  と、ポールの暴走を止められないことの方が、人類滅亡より危機レベルが高いことに間違いない。  バイオシリーズで一番危険なのは、ゾンビでもなくリッカーなどのクリーチャーでもなく、そう、ミラ&ポールだったのだ。    子供にいろんな色のお洋服を着せたがる親ばかのように、1では地下の企業内だけの話が、2では外に飛び出し暗い街中が舞台となり 、3では逆に太陽ギラギラの暑い砂漠にしてみたかと思えば、4ではマトリックス風な無機質な世界もおりまぜ、5では冷たい氷水の中…と、ミラにいろんなシチュエーションで演技してもらって、それを映像に残す。  ポールの妻ばかっぷり、嫌いじゃないな。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2017-08-18 08:08:52)
62.  フッテージ 《ネタバレ》 
ミスターブギーが関連する、一家惨殺事件。定期的で、必ず8mmで撮影されていて、でも子供1名だけが殺害されていなくて失踪、現場に謎のマーク・・・こういった規則性が存在する頭脳派連続殺人事件モノは大好きである。「次はどんな手口で?」という、ゾクゾク感が大好きである。  ところが、「フッテージ」は恐怖が右肩下がりだ。その理由は”話しが進むにつれ、つくりが雑になっていく”から。  8mmのタイトルには「バーベキューパーティー」「プール遊び」など、朗らかな家族の記録の雰囲気がただよっていて、また映像の冒頭もそういった家族の幸せそうな様子が写し出されているからこそ、映像後半の残虐な殺害シーンが痛ましく、そのギャップゆえに面白いのである。  ところが、その後で再生される「おやすみの時間」や「芝刈り」は、家族の朗らかな場面がなく、いきなり殺害シーンのみの映像になる。 あっけないその殺しっぷりに、「あれ?ゾクゾク感はどこへ?」となる。  そしてイーサンホーク一家の殺害に至っては、記録される8mm映像は娘がいきなりオノでバッサリやってる場面だけの映像になっているわけで、もうまったく怖くもなんともない。  考えてみればそもそも、殺害された一家は、”幸せで仲良く暮らす家族”であるからこそ、突然まとめて処刑という悲劇性とのコントラストが素晴らしいのだが、イーサン一家は当初から夫婦関係も親子関係もうまくいってないから”仲良く暮らす家族”の映像もとれないし、お金もないからバーベキューだのプールだのといった映像もとれないのも当然だ。 そういうイーサン一家を主役にすえたこと自体が大失敗なシナリオとしかいいようがない。  私だったら、家族関係も良好な大金持ちの大人気作家が、興味本位で事故物件に移り住み、休日は家族仲良く庭遊びを楽しみつつも、好奇心本位から見た8mm映像でノンフィクション作品を執筆することを思いつき、不安をあおられつつ、いつのまにか連続殺人の輪に加わっていたという流れにしていただろう。   連続殺人の規則性は、引越し先の問題なので、どうしても”殺される一家は幸せで仲良しな暮らしっぷり”である規則性は要求されないのかもしれない。 でも、当初の8mm映像の編集が  ”前半:家族の幸せそうな休日風景” ”後半:いきなり惨殺で悲惨な風景”  という構成で来ていて、そういう悪趣味なつくりが恐怖心をあおるのだから、8mm映像は一貫してそういった編集であってほしかった。  それにイーサン一家の殺し方も、デッキチェアにしばりつけた家族をロープでプールに引き込むとか、クサリでぐるぐる巻きの自動車の中に家族を入れて着火とか、首吊り前の状態から木の枝が折れるにしたがってだんだん首吊り状態になるというタメをきかせた殺し方といった、殺害現場の舞台演出がまったくないところがガッカリである。  イーサン一家こそ、庭の木でジワジワ首吊りの刑をやって、娘が木の影からランララ~ンみたいに無邪気にスキップして出てきたほうが、ラストシーンとしては衝撃だっただろう。  冒頭にその首吊りシーンをもってきてツカミはOK。からの、作りが次第に雑になっていき、ラストシーンで一番の手抜き。とんだ尻つぼみ作品である。  手足をしばって口をふさいでオノでバッサリとか、歴代の殺しかたでは一番ツマンナイではないか! それって「おやすみの時間」の二番煎じではないか! エグゼクティブ・プロデューサーであるミスターブギー氏もダメ出ししてくるような内容ではないか! ブギー氏にお姫様だっこされてる場合じゃないぞ長女!  とりあえずミスターブギーの正体は両刀使いのロリコンであることは分かった。
[CS・衛星(字幕)] 1点(2017-08-09 07:38:40)(良:1票)
63.  ダーク・プレイス(2015) 《ネタバレ》 
この映画のテーマはズバリ「A BRAND NEW DAY」。  ヒロインは、幼い頃に母や姉妹を殺され遺児となった成人女性だ。 痛ましい事件を経て、さぞトラウマを抱えて繊細で弱々しい女性になっているかと思いきや、自分にも他人にも心を閉ざし攻撃的な性格で、寄付金頼りで仕事もせず自堕落な生活を送っている・・・という意外性で冒頭からグっと引き込まれた。  彼女は寄付金が減ってきた対策として、世間が自分を思い出し寄付金が増えたり印税が入る事を期待して自叙伝を出版していた。 だが本は売れず、金の集まりも悪い。  後見人は「世間は忘れっぽいし、新しい殺人事件で遺児がいるし、君はもう大人だ。」と解析するが、実はそうではないところが、この作品をただの”陳腐な殺人の真相ドラマ”ではないものに仕上げている。 では本はなぜ売れなかったのか?  彼女が書いた本のタイトルは「A BRAND NEW DAY」(新たな日)。 しかしそれは彼女自身が自分の言葉で綴ったものではないと、殺人クラブで軽く告白している。  彼女自身が、本当の意味で過去を清算し、自分の思いを赤裸々につづった自叙伝であれば、ある程度売れたはず。そこに心に響く言葉があるはずだから。 しかし寄付金目当ての他人の言葉による中身のない自叙伝。売れなくて当然だ。  殺人事件から30周年になる区切りとして出版した自叙伝なら、著者自身も自らのトラウマをカタルシスすることで、心をオールクリアし、新しい人生をスタートする区切りにもなる。 しかし「A BRAND NEW DAY」と高らかな宣言をしながらも、彼女の心の闇(ダークプレイス)の中では、けして「A BRAND NEW DAY」はスタートしていないのである。  ところが見返りの金をもらうために真相を追った結果、犯人とされていた兄の冤罪の判明と和解。 そして憎しみと恨みによって痛みだけで生きてきた彼女が「ベンだけが学んだ。”許す”ということを。」と気づいた時に、初めて彼女はベンを、彼女を殺そうとしたディオンドラの娘を、そして何よりも自分を許すことができた。 それにより殺人事件とその後の屈折した人生にも区切りがついたのである。  兄の釈放の前の面会の後、車を運転している場面。ディアローグの最後の台詞は心地よく心にしみる。 「I know I start.」。  かつて偽りの A BRAND NEW DAY ではなく、本当に心の底からの変化によってもたらされた、真実のA BRAND NEW DAYが、彼女に訪れたことを彼女は客観的に確信したのだと感じさせる、重みのある一言だ。  サスペンスやミステリーに家族問題や思春期の恋愛をからめながら、ヒロインの新たな人生の始まりまでを描く、一本筋の通ったこの作品は、テンポ、シナリオ、後味もよく、何度も見たくなる秀作である。  ****************************************  ところで、罪人を”許す”というキリスト教の教えを、よりによって悪魔崇拝に興味を持っていたべンが誰よりも守っていたというのは、皮肉で面白い。 結局、誰もが想像する以上にベンは純粋な青年だったのだ。  さらに、一回見て面白かったので二度見たら、ベンの幼女猥褻疑惑を心配して母親が彼の部屋を捜索して彼のノートをペラペラとめくる場面で、彼の純粋さをもう一つ発見。 美術が得意な彼らしく悪魔のイラストが上手に描かれていた最後のページに、  ”ヘザー、ニコール、クリスタル、クリシー、クリシー、クリシーデイ”  と書かれていたが、一回目で見た時は内容をしっかり理解できていなかった。 自称被害者でベンにフラれたクリシーの名前があったので「母親はベンが襲った幼女のリストアップだと思ってガーンってなったんだな」程度でスルーしてしまい。  しかしあれは、ベンの”赤ちゃんが女の子だったらつけたい名前リスト”だったと、二度目で気づいた。  なぜなら日本語字幕では省略されていた”クリスタル”という名前が、後で登場するベンの娘の名前としてつけられていたから。 その上で再度そのリストを読み解けば、最後に書かれていた「クリシー、クリシー・デイ」というのも  「クリシーは年下すぎて犯罪になるから恋人にはなれなかったけど、もし赤ちゃんにクリシーって名づけたら?ボクの名字とくっつけて、クリシー・デイ・・・うん、わるくないかも?」  みたいな気持ちで書いたものだったと分かる。 自分の気持ちを抑えてきたけど、心の中ではやっぱりずっと好きだなんて、ピュアすぎるよベン。 しかもひっかかる女がみんな金持ちヤサグレ娘ばっかりだなんて、ピュアもいいとこだよベン。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2017-08-08 10:11:54)
64.  砂上の法廷 《ネタバレ》 
キアヌリーブス&レニーゼルヴィガーの法廷モノ。被告人の冤罪かそれとも・・・?だなんて、普通に期待値は高かった。  ところが いざ蓋をあけてみれば、オイタをしていたママでもかばってあげたいマザコン息子といい、自分は不倫してもキアヌの不倫は許さない黒人弁護士女といい、私の個人的主観ではどう考えても”モテ”るキャラはキツイのに 息子だけでなく隣人の思春期小僧にもキアヌにもモテているレニーゼルヴィガーといい  さらには脇役のウソつきスチュワーデスといい、ウソつき警察といい、暴力夫といい  「だれひとりロクな奴がおらんのかーい!」  と大声で叫ぶ気力も萎えそうなほどの脱力映画であった。  最終的にキアヌとレニーが不倫関係解消するでもなく、キアヌが真犯人として訴えられることもなく、息子が父殺しの真半身がキアヌだと知っていたことを聞かされてキアヌがイスに座って どよ~ん・・・・とうなだれる場面からのエンドロールって、おいおい、私のほうがよっぽど どよ~~~~~ん・・・・だよ。
[CS・衛星(字幕)] 2点(2017-08-08 07:08:15)
65.  オデッセイ(2015) 《ネタバレ》 
SF大好物な私であるが、「オデッセイ」に関しては、ズバリ、私とは相性が悪い。この主人公の、取り残されたことが分かったときの落ち着きっぷりが、どうしようもないのである。  宇宙飛行士たるもの、いかなる非常事態にも冷静さを保てる強靭なハートを持つものであることは重々承知。  NASAの宇宙飛行士の訓練の9割が非常事態に対応する訓練だということも承知。  だが、何が起きても数秒間だけオーマイガッなポーズをとってみせた後からのただちに解決策をシュクシュクと行う場面も、何度も繰り返されるばかりでは、ワンパターンで単調なのである。  火星で穴があいた宇宙服のヘルメットの前面をガムテをペタっとはるだけで修理完了!とか  吹っ飛んだ小屋(アレは何という名前でしたっけ)も巨大なビニールシートをガムテをペタっとはるだけで修理完了!とか  「火星ってそんなにガムテだけで生きていける場所なのだろうか?」と、そのあたりのイージー感も没入感がそがれた理由だ。  宇宙に一人取り残されるというテーマでは「月に囚われた男」が傑作なのだが、主人公は企業の社員であって、宇宙飛行士ほどの訓練は受けていないしメンタルも弱いという相違点はあれ、「オデッセイ」と比べたら”ひとりだけ取り残されたもののココロ”がヒリヒリするほど伝わってくる。 (地球との交信もリアルタイムではなかったり、そもそも地球に帰還させてもらえる前提すらないところも、ヒリヒリポイントだ。)  ならば「オデッセイ」はサバイバルに徹した作品として優良かといえば、よくよく考えれば、帰還計画についてはNASAの陣営のほうが尽力しているところが多く、実際NASA関係者がアーダコーダと話し合っている場面が、ダラダラするくらい長い。  「主人公が全然出てこないよ!」っていう場面が長すぎて、これはNASAのキャラが主人公なのではと思うくらいである。  かといって、たとえば「アルマゲドン」に登場するNASA陣営のビリーボブ・ソートンのような、個性がきわだつキャラがいるかといえば、まったく没個性の、上司&部下の”イカニモ”な顔ぶれがワラワラ出てきてアーダコーダと三流の企業ドラマのごとき帰還計画のやりとりをしているだけなのであるから、褒めようがない。  唯一心が揺さぶられたのは、マットディモンが前半ではムキムキマッチョの肉体だったのが、後半のシャワールームから出てきた場面ではゲッソリやせほそった体になっていたという、体重の増減も自由自在な役者根性のみ。  ところでコレを書きながら今ふとすごいことに気づいちゃったのだが、SF映画において、宇宙空間で主人公のサバイバルを描く場合、その主人公は、「オデッセイ」のように宇宙飛行士のようなプロではダメなのかもしれない。  思い起こせば、「アルマゲドン」は、ただの掘削屋だった。  「月に囚われた男」は、ただの社員だった。  あの「ゼログラビティ」は、ただの博士だった。  宇宙における危機トラブルに関する豊富な知識や経験を持ち合わせていないセミプロが主人公だからこそ、何かあったときの、取り乱し方も、それを乗り越えて、解決したときの鑑賞者の感動も、ひとしおなのだ。  いずれにしても作品としてのデキがよろしくなかった「オデッセイ」の中でも一番ワケがわからなかったのは、イモの水をあげるために爆発事故起こしてまで苦労して手作りの水発生装置を使って水を作っていたのに、後半あたりでシャワールームから”水”で洗いたての濡れた頭をフツーにタオルでゴシゴシしながら出てきた場面。     だったら最初から風呂場から水もってこいよ。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2017-05-11 09:25:17)(良:1票)
66.  ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 《ネタバレ》 
スターウォーズのイメージを二字熟語で表せば「快活」とか「爽快」である。  それに対しローグワンは暗く、重く、そして最後は全員死亡って、シェイクスピアの「ハムレット」か。  スターウォーズはそっち路線ではない。  EP3ではアナキンがダークサイドに堕ちてしまったので、ある意味悲劇だが、死んでないし、それに悪役誕生というある意味物語展開上、必要な悲劇要素だった。  アミダラ姫は死んだが、2人の重要キャラを産み、自ら名づけたあとの昇天であるがゆえ、それは安らかな死でもあった。  それに対してローグワンでの登場人物全員死亡は、救いがない。  当然、新キャラはEP4にはいないので、いたら困る、だから殺してしまえ、それは分かる。  だが、そんなことをしてまで、むりやり3と5の間の話をこねくりまわす絶対的必要性があったのかどうかと、どう考えてもスターウォーズブランドに乗っかりたい気持ちと、EP6で終わったあとにEP7で寝た子を起こすようなことをしたうえに失敗までしたので、だったら安全圏の3と4の間の話ならどうよという、調子のよすぎる動機しか見当たらない。  スターウォーズ1~6までを愛するものとしては、ローグワンの背景に見えるご都合主義は、ルーカスの一連のシリーズに対する侮辱にしか思えず、エンドロールをうつろな目で眺めながら嫌悪感しか沸かなかった。   こんなふうに主要人物がひとり死に、二人死に・・・と、どんどん死んでいく展開は、どっかの山奥の山荘で殺人鬼に追われて一人死に、二人死に・・・っていうB級ホラー映画にしか思えない。
[映画館(字幕)] 1点(2016-12-30 09:25:55)(良:3票)
67.  ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅
あれだけ動員数がありながらこのレビュー数の少なさは「ハリポタブランドならとりあえず見るか」という、だましのきく観客がほとんどだったからだろう。  結論からいえば、この作品はハリポタの”まずかったところ”を踏襲、いやむしろレベルをさらに下がった作品であった。  JKローリングの手法は、第一章のイントロダクションでは【目新しいものを台に並べて叩き売りした内容にさえすればOK】とする所。  でもストーリ-は実は稚拙で中身がカラッポ。 どこかで見聞きした、単純すぎる勧善懲悪。(オチが最初から分かる)  でもファンタジーというナンデモアリなジャンルがゆえに、それまで人々が見聞きしたことのない架空の物(組み分け帽子、動く階段、みぞの鏡、架空のスポーツ等)をズラズラダラダラとこれでもかこれでもかと垂れ流しっぱなし続けることで、目くらましのように、何か傑作のように錯覚させるのがJKローリングのやり方だ。  その目くらましから覚めた人達が、ハリポタシリーズの回を重ねるたびに生まれ、ハリポタ脱退者が増加。結果的にシリーズ8作品の国内興行成績は分かりやすいほどに右肩下がりをして終わった。  けして子役が大人になってしまったことだけが人気が落ちた理由ではない。 第一章でしつこいほど見せまくった”お話のイントロダクション的な珍しいもの”で客をひきつけるのには成功したが、2章以降は”イントロダクション的珍しいものの叩き売り”がなくなり、代わりにストーリーのほうで勝負をかける段階で、見事に失敗してきたからだ。   第一章ではバレなかったストーリーのからっぽさ加減が、2章以降でむきだしになって露呈したからなのである。  実際、「ファンタビが面白かった」と喜ぶ人達が挙げる良かったところが<かわいい動物たち>だの<コレコレなダレソレ>だの、登場する動物や人間がどういうものだったかにばかり終始している。 ストーリーも<ハラハラする><ワクワクドキドキする>という感情表現ばかりで、ストーリーそのものがどう面白かったかの説明ができないのは当然。  ものめずらしいものを見てハラハラドキドキ・・・なら見世物小屋と変わりない。   ちなみに私はファンタジーは嫌いなのではなく、たとえば「ロードオブザリング」シリーズは絶賛だ。 あのシリーズは、しっかりとストーリーをねりあげたうえで、話を進める中で少しづつ上手に”珍しい架空のもの”を見せている。 ストーリーが根幹としてしっかりしているからこそ、3作目がアカデミー賞史上初のファンタジー作品での<作品賞>でオスカーを得たのである。 (その他の部門含め11部門でオスカー取得は史上3作目の最多部門受賞) これぞホンモノの見るに値するファンタジーの作品である。  一方のJKローリンズは人気があるだけの目くらましがうまい稚拙な大衆作家に過ぎない。 (たとえるなら、パサパサで甘ったるいスポンジに、表側だけ豪華なクリームデコレーションとフルーツを盛っただけの安くて不味いケーキだ)  そんなわけで、ただでさえ稚拙なストーリーを”珍しい架空のもの”で隠してごまかすお話を書くJKローリングが、何を血迷ったかファンタビではいきなり脚本を書くのだから、この映画が駄作になるのはもう分かっていたとはいえる。  それでもあえて鑑賞したが、予想は的中。 ハリポタ第一章同様、これでもかこれでもかと、CGで架空の動物をあれやこれやとダラダラと登場させて観客を目くらましする手法で、実は中身がカラッポな内容を何かスゴイ作品に見せかけているだけであった。  私は子供の頃、つがいのハムスターが産んだ赤ちゃんを含めて10匹くらいのハムスターを1つのケージで飼っていたのだが、ある晩うっかり扉にカギをしめわすれ、一夜にして全員逃亡してしまったことがあった。 その時、ハムスターをつかまえるためにリビングにエサをまいておびきよせたり、本棚の中に棒を突っ込んで追い込んだりしていてイライラしながらグッタリした記憶があるが、ファンタビを見終わった後はまさにその時の気分に似ている。  ファンタビは全部で3作品作られるそうだが、ハリポタを下回る興行成績となり2作目以降はガーンと右肩下がりになることは間違いないと確信させる第一章であった。   最後に、主人公は魔法のカバンを持ち歩き、そのカバンにカバン以上のサイズのものが出入りする設定について。 そういう不思議カバンと、そのカバンを主人公のトレードマークにしていることそのものが「この設定おもしろでしょ!?」と押し付けがましい。  名作「メリーポピンズ」のメリーが持ち歩いていろんなものを取り出す魔法のカバンの二番せんじでしょうに。
[映画館(字幕)] 1点(2016-11-29 13:01:33)(良:3票)
68.  ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 《ネタバレ》 
今までのMIシリーズは、登場する女性キャラの方向性にブレはなかった。悪玉なら悪玉、善玉なら善玉である。  しかしながら、今回のイルサ。敵なのか味方なのか?ハントが好きなのか、ただ利用しているだけなのか?ハントも振り回されっぱなしなのに、まんざらでもない様子。  そんなイルサは、「ルパン3世」の不二子ちゃん、そのままである。 (イルサの手引きでハントがやっとの思いで盗み出したシンジケートの情報が入ったメモリを、スルリとイルサがもってっちゃった時なんてもう、イルサの顔が不二子ちゃんにしか見えなかった。)  となれば、ハントはルパン、おしゃべり心配性なベンジーは次元、そして無口めなテクニシャンであるルーサーは五右衛門そもの。 ハリウッド版ルパン三世にさえ見えてしまった今作は、残念ながら2作目や3作目に匹敵するような感触ではなかった。  映画は観客をドキドキわくわくさせるうえで”まさか”の意表をつく脚本が求められるけれど、こういった、”だましだまされ技法”は実に簡単に意表をつかせうことができ、言い換えれば安直な印象を与える。せいぜい2回までが使用限度だと私は個人的に思っているが、こうもしつこく何度も繰り返す展開はもう3度目あたりでオナカいっぱいだ。  もちろんアクション場面は相変わらず上手にハラハラさせてくれた。  特に序盤に登場するオペラ劇場での攻防も思わず「ワーーッ」と反応した。  ただ、そこで「ワーーッ」と感覚をつかさどる右脳が反応していると同時に、思考をつかさどる左脳のほうでは  「でも殺し屋が大きな音楽イベントに正装してやってきて、そこに来ていた要人を暗殺しようとするとか、銃を打つタイミングは楽譜をチェックして銃の音とかバレないように一番盛り上がる音譜のところにするとか、撃ったけど要人の急所が外れて現場はパニックとか、ヒッチコックの『知りすぎていた男』だよなぁ・・・」と冷静に考えている自分がいた。  余談だが、オペラの公演はプッチーニの「トゥーランドット」。でもそちらよりベンジーがオフィスでヘッドフォンをかけて聞いていたモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」の序曲のほうが私としてはツボである。  「ショーシャンクの空に」では主人公が刑務所の関係者を締め出して、全館放送するオイタをする時に流した曲もそのオペラからの曲だったし、「ライフ・イズ・ビューティフル」で主人公が奥さんに聞こえるように収容所の放送室に忍び込んで流した曲もそのオペラからの曲だったし、なにかこの「フィガロの結婚」の楽曲は、映画関係者が思わず劇中で使いたくなっちゃうようなサブリミナル信号でも組み込まれているのかもしれない。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2016-11-02 12:21:56)
69.  ワイルドカード(2014) 《ネタバレ》 
ジェイソンステイサムが出てるアクション映画はほぼハズレなしかと思ってきましたが、今回初めてハズレに出会いましたw  ラスベガスを舞台にしてるといいながら、ぜんぜんラスベガスを感じさせません。  最初のほうは、ラスベガスの夜景をイメージビデオのようにいろいろ画面に出して「ここはラスベガスですよ!」と一生懸命アピールしてるんですけど、その後、地味で薄暗いなカジノがメインになり始めたあたりから、もうこれはどこの場末の賭博上だって感じになってきます。おそらく経費節減のため、屋内の撮影をベガス以外のロケ費用の安い地域ですませて、そうした映像がたぶんこの映画の8割くらいつかわれている。  とにかく”どーでもいい”画面作りが目立ちます。  物語が始まってまもなく、ステイサムは、ヤクザにレイプされた女に復讐の手伝いを頼まれ、助けないといいながら手助けするわけですが、特にその主犯格を探し出すのに時間も労力もかからず、滞在先のホテルで働いてる黒人メイドが「~号室の~~って人だよ」とサクっと教えてくれて解明できちゃうので面白くもなんともありません。  その後、ステイサムは主犯格の男にもとへ行って、主犯格の手下2名とお決まりの数分間の対決シーンを済ませたあとは、被害女性が後から登場して主犯格の男から札束とその男のペニスを手土産に早々に退散。  いってみれば、この映画の盛り上がりは始まって数十分のこのエピソードが一番の盛り上がりどころ(盛り上がりといっても、その盛り上がり具合は高さ3cm程度のお粗末さですが)であり、その後は、”どーでもいい”エピソードが延々と垂れ流されます。  ほめるところはほとんどなく、もちろんいつも通りステイサムはかっこいいのですが、作品によってガラリとキャラクターを変えてアカデミーノミネートも視野にいれたような渾身の演技をみせるハリウッド役者と違い、「どの映画のステイサムも、だいたい同じ」なので、つまりこの映画を見なくても、ほかの映画でも、この映画で見たようなステイサムが見られるので、つまりこの映画は見なくてもいいかもしれません、という悲しい結論をつけさせていただきます。
[CS・衛星(字幕)] 3点(2016-10-24 11:13:02)
70.  君の名は。(2016) 《ネタバレ》 
この映画のすごいところは、洋画や邦画関係なくタイムリープものに多い矛盾点、見事に覆いつくす映像と脚本である。  たとえば「アルマゲドン」なんて、重力が少ないはずの隕石の地上で普通にスタスタと歩いちゃってる。でもやっぱりブルースウィリスがスイッチをポチってするときは涙がグアーって流れちゃう。  「ガタカ」なんて、宇宙ロケットに入るのに宇宙服じゃなくてスーツとかどう考えてもオカシイダロと思う。でもあの映画ほど何度も見て引き込まれる映画はない。  それと同じように、「君の名は。」もまた、細かいところばかり重箱の隅をつつくようないやらしい見方をする人間でなければ、しっかり感動できる。そんな映画である。  ここで持論なのだが、SF映画には2種類あると思う。  ①「矛盾点が多少あっても、全体が総合的にすばらしく感動させられる良い映画」(たとえば「ミッション:8ミニッツ」もそう)  ②「矛盾点が多少あって、全体もグダグダな話や映像なので、感動できない映画」(B級SFに多い)   そして「君の名は。」は、①であることは間違いない。   補足だが、市原悦子演じる三葉のおばあちゃんが語る(彼女もまた三葉や瀧と同じように、入れ替わりができる能力をもつ血筋)”結び”のお話は、他のアニメ映画にはない深いものがあった。 (うわさによれば、たくさんの恋愛や人間関係を持ってきた30代以上がここでジ~ンとするとか)
[映画館(邦画)] 10点(2016-10-20 17:20:01)
71.  ファインディング・ドリー 《ネタバレ》 
ファインディング・ニモでは、歯医者の水槽の中の構造や特徴をよくもまぁ熟知したうえで魚たちの大脱走劇を描き上げたものだと関心した。 ニモが空気ポンプから脱走できるのかどうかの場面でも、よくもまぁこう発想するなと。きっとスタッフたちはいろいろな水槽グッズを勉強してアーダコーダと水槽の世界をいかにユニークに描きかつ物語りとして成立させるために利用するかと、話し合っていたに違いない。  そして今回は、歯医者の水槽よりもはるかに広い、海洋センターの水槽。 しかも、水槽の種類の多いこと多いこと。 回遊魚のいる巨大水槽、子供たちが”ハンド”できるフレアイ水槽、運搬用水槽、さらには、おみやげ屋さんのおもちゃのサカナを浮かべた水槽まで・・・(苦笑) 運命に流されるように、ドリーやニモらが、次々といろいろな水槽に入ることになり、あれよあれよといううちに場面がテンポよくきりかわり飽きさせない。   ジンベエザメやイルカらの水槽も小さなパイプでつながっており、さらにそのパイプはいくつもの水槽にまで枝分かれしていている場面は、アクションやサスペンス映画でよく出てくる、主人公が追っ手から逃れて地下水路を足早に走り抜けていくというありがちな”水路場面”と同じなのに、魚ゆえに「よくある水路シーンね」と思わせない。  いやむしろ私にはそれがパロディにさえ見えた。イルカのベイリーのエコロケーションでパイプの中に対象物だけがボンヤリと見える・・・みたいな画面も、アクション映画で敵と味方が建物の廊下を移動する様子を熱探知機カメラみたいなのでボンヤリした映像を出して監視してる・・っていう場面のサカナ版パロディだと。  こうした数々の水槽・水路の躍動感あふれる場面を描ききった今作は、明らかに前作を上回るスケールであることは間違いない。 (海より海洋センターのほうが閉鎖的であるにもかかわらず、このスケールの大きさを見せるというのがさすがピクサーの天才集団のなせるワザだ)  さてそれはそうとして、ドリーに注目してみれば、記憶障害以外にも、軽度の知的障害も見られると私は思う。 彼女は見た目サイズ(他のナンヨウハギと比べて)からして年齢的にあきらかに成人なはずだが、行動・発言が大人らしくないからだ。 これは私に療育手帳B2の知的障害の娘(21歳。ビネー式IQテストで精神年齢8歳と診断)がいるから察するのだが。  だから、小さいドリーが家の外にいた時、家にいた両親がドリーの将来を心配し「私達がいなくなったらあの子はひとりで生きているの!?」と泣く母親の気持ちに感情移入しホロっとくるし  その後何年かしてドリーがふとみつけた貝殻をたどり、その先に、ドリーはもう大人になっているはずなのにまるで幼児のために作ったような「どの位置からも貝殻を見つけられてたどれるように」という親の思いがこもっている、分かりやすすぎるいくつもの放射状に伸びた貝殻の道しるべが俯瞰の画面でダーンと出たときにホロホロとなるし  その後ドリーと両親が再会した時、親がドリーを抱きしめ喜ぶときの気持ちも痛いほど分かり(知的障害の子は成人になってもあどけない子供のようなのだ。だからあのときの両親は、まるで小さい幼稚園児の娘を見つけたときの気持ちなはずだ)わあ~んとなった。   一方でアクション映画が大好きな私は、タコのハンクのハンドルさばきでガケからトラックごと海に突っ込む場面のスローモーションは、アクション映画でよくある”危機一髪なところでスローモーション”という高所落下や爆発シーンなどでありがちな手法であるにも関らず、サカナゆえに、ありがち感が薄れ、サカナ版パロディに見えて大笑いしてしまった。  まさに、笑いあり涙ありである。  そしてエンドロールの後のギルたちが救出されるというエピソード。 前作のオチでギルたちが脱走できたものの「ビニール袋の中だからだめじゃん。このまま飢え死にか窒息死か」と、もやもやしたものを抱えたままだったひとは世界中にたくさんいたに違いない。 そのもやもやを13年後の今、スッキリさせてくれた。 設定としてニモ救出から1年後とされているが、あの場面だけは時系列が1年後ではなくせいぜい1週間後くらいの設定になっていると考えたい。  そしてヤシロアキ(笑)が「海洋生物研究所の役割は、魚たちを救出し、治し、海に返すことです」とアナウンスしていたことによって、われわれ見るものは 「あぁギルたちもビニールから出て海に返されるんだ」というハッピーエンドを想定できるだろう。
[映画館(吹替)] 8点(2016-08-02 11:08:45)(良:1票)
72.  永遠の0 《ネタバレ》 
フグをそのまま食べると毒があって中毒死してしまうので、毒をぬいて食べて安全で美味しいところだけを出す。  この映画はまさにそのフグ料理である。  自民党の安倍首相と思想が近い文化人を呼んで行われている勉強会に講師として招かれ、「経団連を使って広告収入を締めあげ、沖縄の新聞を2社つぶせ」とか「基地の地主は六本木ヒルズに住んでいてお金持ち。沖縄は本当に被害者なのか」とかバクダン発言を連発した百田氏が「永遠の0」の原作者なので、当然ながら原作どおりのストーリーとメッセージをそのまま映画にすると危険きわまりない。  そこで、そのあたりは毒ヌキをし、やんわりと、夫婦愛を軸にした作品に仕上げられている。  私は太平洋戦争についてはかなりいろいろ調べているので、特攻がいかにムチャな捨て駒戦法だったかも分かっているし、実際の戦争末期にはゼロ戦すら特攻で使い果たし、練習用の、布ばりの翼のもろい飛行機に、特攻攻撃中に逃げ出さないように座席に縛り付けた状態で送り込んでいたという映画以上にさらに悲惨な状況だったことも知っている。  そこまでくると、もはや”日本人を殺したのはアメリカ人”ではなく”日本人を殺したのは日本人(の戦争責任者、上層部たち)”の域なのである。  毒ヌキしたフグ料理のようなこの映画「永遠の0」が、もしもっと「太平洋戦争で日本の軍事責任者たちが日本人(兵士や家族達)に何をしでかしてきたか」について知ろう&学ぼう&調べようとするきっかけになるのならば、この映画の価値はそこにあると思う。  特攻を含め、戦時中に愚かな日本の支配者達が、勝ち目のない戦争を”神がついているから負けるわけがない”とか”日本が負けるわけがない”という意味不明な理由で戦争続行したことについてもっと調べたいと思うきっかけになるなら、この映画は見る価値があるはずだ。  あるいは原爆を落したいがためにあえて昭和天皇の戦後の処遇については記さなかったアメリカを中心に作成されたポツダム宣言のワナ(天皇の処遇が分からないと、受諾できないだろうというワナ)にまんまとひっかかり、広島に原爆を落とさせるスキを与え、しかしなおその原爆のニュースすら戦争続行をするために国内で一斉に報道禁止にし、天皇の周辺のわずかな人間達が「昭和天皇が守られるようにするにはどうしよう!?どうしよう!?」とオロオロ勝ち目のない作戦をしぼりだそうとしているうちに長崎にまで原爆を落とされるスキを与えた、戦争責任者らの内情をもっと調べたいと思うきっかけになるなら、この映画は見る価値があるはずだ。  もしくは作者の百田氏が「被害者じゃない」という沖縄の人たちが戦時中にどんな目に遭わされていたかをもっと調べたいと思うきっかけになるなら、この映画は見る価値があるはずだ。 (日本兵士たちに、隠れていた狭い壕を追い出されて戦火の中で爆死させられたり、壕に兵士と一緒に隠れていたところ赤ちゃんが泣き出し、「声を出させるな!殺せ!」と言われて親たちが赤ちゃんの口をふさいで殺させられたこと数知れず・・・。年寄りや女子供は”斬り込み”という、バクダンを背負って竹やりだけ持たされてアメリカの車の下にもぐって自爆攻撃を強要された。こうした沖縄人たちが、戦争続行を押し進める日本人たちにされた数々の出来事はまだまだたくさんある)  さてところでラストシーンについて一言。  宮部が敵の船につっこんでいく手前の瞬間の顔のドアップが、ばーんと写って「いよいよつっこむかー」ってとこで突然画面が黒くなり、そしてその黒い画面に   永遠の0   と、明朝体のタイトルロゴがドーンっと出てくる。   この、最後に画面を黒くしてドーンってタイトル出す手法は、海外映画でよく見ますけど、さらにそこに畳みかけるようにかかる、サザンのテーマソングの熱唱。  「なあーみぃだーみせぬよぅーーにぃーーーえええがああーーおーーーでさよなぁらうぉーーー・・・・♪♪」   な・・・なんかこういうね、主人公が命を散らして信念貫きました系の映画の最後にミディアムテンポの熱唱系テーマソングって、アルマゲドンのエアロスミスくさいというか、いやアルマゲドンにエアロスミスはすごくフィット感ありましたが、こちらのサザンは、コレジャナイ感がいっぱいでしたよ。  この監督、CGのドラえもんの監督もやったそうです。が、最後のエンドロールでピクサーがよくやるアニメキャラだけどまるで人間の役者が撮影したんですよという設定のキャラによるNG場面を入れる手法を、ドラえもんでやっちゃってたみたいで、どうもこの監督、ハリウッドをリスペクトしすぎではないでしょうか!?
[CS・衛星(邦画)] 6点(2016-07-12 15:23:42)(良:1票)
73.  アデル/ファラオと復活の秘薬 《ネタバレ》 
ちょ!ちょっと待てい!評価が低すぎてビックリなんですがッ!!  いや、リュックベッソンてのは、そもそもはこういうハチャメチャアドベンチャーが大好きなんだと思う。  「フィフス・エレメント」も、彼が子供のころ作った話で、リュックは そもそもああいった「なんじゃそら!」的なヒロイン活劇がお好みなんだろう。  で、このアデルの話にしても、そういった問答無用のハイテンション冒険ストーリーに仕上がっていて、フィフスエレメントと同じくらい大好きな作品。  留置されている教授の脱走を手助け出すために、アデルが食事係や修道女や医者に変装してしのびこんでは失敗するシークエンスは何度見ても彼女がキュートで仕方ない。  教授がギロチンにかけられる寸前に、翼竜にサっとつかまれて救出されたその勢いでうっかりギロチン台に頭を乗せてしまった死刑執行人の上にギロチンの刃がドーン!って、ブラックすぎて強烈だ(笑)  ヒロインの妹の傷を治してもらうべくルーブル美術館にしのびこんだ場面では、傷あとを巻く包帯のために、仲間のミイラが巻かれた包帯をほどかれてクルクル回るところは、時代劇で悪代官に帯をほどかれて「あ~れ~・・・おたわむれを~!」ってやってる着物娘みたい。  ドサクサにまぎれてアデルの妹が覚醒する前にチュっとするとか、おちゃめな色ボケじじいのファラオも笑えるではないか。  そのファラオが従者たちと共に”散策”で美術館の外に出て、中庭を眺めながら「ここにピラミッドを建てると良いな」などとさりげなく言うのだが、実際今のルーブル美術館の中庭にガラス張りのピラミッドがあるので、「実はこのピラミッド、ファラオの命令だった!?」なんていう時代を超越させるギャグにも心底笑った。  この映画はそもそもドタバタ・ハチャメチャ・アドベンチャーコメディ。  アデルに品性や誠実性を求めてどうする!  (第一、アデルは最初から誠実キャラではない。それを証拠に、最終的には自由人アデルは一人旅に出かけ、彼女に片思いしていた青年は彼女の妹とハッピーエンドになる予感をさせる形で終わっている)  とにかくこの作品はつべこべ言わずに無心でャグの荒波に乗っかったもの勝ちだ。さぁあなたは乗れるかな?
[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-07-12 12:32:46)(良:1票)
74.  死霊館 《ネタバレ》 
家に棲みついて悪さをしてるのは、子供を悪魔にいけにえにした結果魔女裁判にかけられ恨みを家に遺して自殺した魔女。  でもどうも、その本丸である魔女よりも  「彼女がやらせたのォー!」といってリストカットした手首を見せたと思ったらいきなりガーっと飛び出してきてドツいてくるメイドの幽霊とか、「かくれんぼしよう~♪」っていきなり真っ暗闇の地下室にひきずりこんで電気割って暗闇から手をのばしてくる少女の幽霊とか、ボヨ~ンと主人公一家の子供の背後に立ってちゃっかり写真に写りこむローリー少年の幽霊とか、魔女より幽霊のほうがなんかチョイチョイ たちの悪い怖がらせをしてくるやんって感じで  「魔女がこわいのか、彼女の犠牲者の幽霊がこわいのか、どっちかにせい!」とツッコミをいれたくなる展開であった。  さらにいえば、主人公一家の妻が魔女にとりつかれて暴れ出したので、神父がくるまで待てないってことでエドがとりいそぎ悪魔ばらいをすることになったが  最終的に魔女を追い出す方法が、十字架や聖水や悪魔ばらいのセリフなどではなく  魔女にのっとられた妻本人に「がんばれ!もどってこい!家族の思い出をさぁ思い出して!魔女を追い出して!」とみんなで励まし  エスパーなエド夫人がハンドパワーで、主人公一家が海辺でワハハハと笑い転げ走るステキな思い出の記憶を注入!  最終的に”妻VS魔女”という、妻ボディの内側におけるガチバトルを妻が制して魔女を追い出す・・・という  「だったらもうこれからは、バチカンの許可もらってエクソシストの神父を出張させて 十字架だの聖水だのといった小道具や”神と子と精霊の名において・・・”なんてまどろっこしい悪魔ばらいをしなくたって のっとられた本人をみんなで励まして思い出のアルバムの写真なんかを体にペタペタはりつけて、本人と悪魔を戦わせる手法でええやん」  と思わせるような、<悪魔ばらい師不要論>が噴出しそうな、ぶっとんだ内容であった。   そして何よりも、個人的にいわせていただければ、悪魔憑依の作品は、バッドエンドでなくてはならない。  そうでなければ、ハッピーエンドにみせかけて、最後の場面で「まだまだ悪魔健在ですよ・・・フフフ」というワンカットを入れて、エンドロール・・・でなくてはいけない。  この作品については、個人的には、主人公一家が救われたものの、魔女がエド夫人に移動してしまいエド夫人が娘の背後にハサミをもってしのびよる・・・みたいなラストシーンであってほしかった。  (そう、だいたいエクソシストが登場する作品では、悪魔と奮闘したエクソシストのほうが最終的に被害こうむって終わるっていうのが王道だ)  でも実話であるなら、それ以上は言うまい。  実話の映像化としては、きちんと基本をおさえて上手に撮られた作品ではある。そして、ファーミガ女史のあのなんともいえない、崩れていそうで崩れていない絶妙な均衡で美しさを構築している古典的な顔だちは、この時代のエスパー女として、当たり役であることは間違いない。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2016-07-12 10:25:08)(笑:1票)
75.  エリジウム 《ネタバレ》 
この作品でひっかかったのが、マックスの幼馴染の女性の、白血病にかかった娘が「森に住んでる強い動物が木の上のエサを全部食べちゃって、小さな動物が死にそうになったけど、カバの背中に乗って木の上のエサを食べることができたのよ」って思わせぶりにマックスに話す場面。   弱った小動物=自分  カバ=マックス  といいたいのだろうが、マックスがそれを自覚して「カバは何のトクがある?」ときくと「友達になれたわ」と答える娘。   てことはなんだオイ、娘は「さぁさぁ私を助けなさい。そうすれば私が友達になってあげるわよ?さぁどうなの?フフッ」って言いたいわけか。 なんたる、こまっしゃくれた娘(笑)   血さえつながってはいないものの、今まで一緒に遊んだよとか、昔娘に助けてもらった恩があるよとかならともかく ついさっき会ったばかりで言葉も交わしていない間柄なのに、マックスの包帯をマキマキしてあげてマックスに純真そうな上目づかいでカバ話をすれば、無料でエリジウムに連れてってくれて病気を治してもらえると思ってのことなら、なんとまぁ計算高い娘よ(笑)  ゆえに、マックスが自爆ボタンとなるキーボードのエンターキーをポチンと押してカクンとなっても、「命無駄にしたな」としか思えない残念な展開。  そもそも主人公を自爆させるってのは、映画的にはハイリスクハイリターンだ。   オチのネタバレになるのでタイトルは伏せるがジャン・レノ主演のアレとか、ブルース・ウィリス主演のアレで描かれた”自爆して愛するものを救う!”は、私てきには、しっかりとしたプロットのおかげでハイリターンになっていると思っている。  ということで、それなりの脚本・映像・音楽を主人公のために用意ができないままマックスを自爆させちゃったのは最大の誤算。   ・・・といいつつ、「第9地区」を思い出させるホコリくさい画面に引き込まれたのも事実(自爆)
[CS・衛星(字幕)] 6点(2016-04-11 20:44:39)
76.  パワー・ゲーム 《ネタバレ》 
ゲイリー・オールドマン。  悪役俳優としても有名。  でも本人は「悪役ばっかりはイヤ!」と、悪役オファーを断るようになったものの、自身が製作・脚本・監督を担った渾身の「ニル・バイ・マウス」を作ったものの大コケしてしまった後は、その借金を返すためにその後連続3作(フィフス・エレメント、エアフォース・ワン、 ロスト・イン・スペース)で悪役を演じる辛酸をなめた。  だが彼も年齢を重ね「悪役は絶対イヤ!」とゴネることもなく、来るもの拒まず・・・というスタンスなのか、悪役もぼちぼちこなしている様子。  そんな近年の悪役作品が「パワーゲーム」だ。  しかし、年齢を重ねたゲイリーの悪役は、渋みと重厚な雰囲気のみで、若かりし頃に見せたあのエキセントリックでサイコちっくな悪役の彼はそこにはいない。  FBIに逮捕され、パトカーに押し込まれる彼のラストシーンは、若かりし頃に見せたあのインパクトの大きな退場シーンと比べてなんと印象の薄いことか。   私は間違いなくゲイリーには、若い頃の作品で見せたような”爆弾の束で爆死”、”パラシュートに首をからませて落下死”とか”流砂に吸い込まれてフェイドアウト”といった、まぶたに焼き付いて離れない強烈なラストシーンを求めていたのだろうと思う。  ・・・といいつつも、「パワー・ゲーム」においては”権力を牛耳る悪いオジイサンたち”として、かつて「エアフォースワン」で敵対しあったゲイリーとハリソンの戦い第2ラウンド!ということで、「今回の勝敗はいかに!?」という視点で楽しむことはできた。  (結果は引き分け)  「権力やカネよりも、”家族”、”友情”、”恋人”が大事ダヨネ!」  というもっとも至極なことを、大御所俳優を駆使して大作仕上げになっているし、実際のところ面白く見ることはできた。  ただ、イケメン主人公が会社をクビになった仲間同士と、どこからカネをひねりだしたのか高層ビルの一室に事務所を設立して、 カノジョともヨリを戻してビルのエントランスでイチャイチャチュッチュなんていう  「ボクにはハッピーエンドな未来しかありません♪」  …的な終わり方はちょっと都合が良すぎるのではという不愉快さ。  せめてあのイケメン主人公が、下町のさびれたスーパーでエプロン姿でうなだれながらレジ打ちをしているところにカノジョが現われ「まずはお客と店員からはじめましょうか」くらいの、明るい未来を暗示する程度の場面で終わってほしかったところである。
[DVD(字幕)] 5点(2016-04-11 08:17:12)(良:1票)
77.  ジャンゴ 繋がれざる者 《ネタバレ》 
私はバイオレンス映画を好まない。タランティーノの代表作キルビルシリーズも見てはみたものの、ユマサーマンが美しいこと以外は、「やっぱりバイオレンス映画=血を好む人種のための作品」という既成概念をさらに固定化させただけだった。  しかし「イングロリアルバスターズ」を見た時からタランティーノは何かを持っている、と感じた。 その予感は、イングロリアルバスターズの次に作られた今作で、確信となった。  私が思うに、タランティーノも若い頃はただ「いかに残酷なバイレンスシーンを描くか」にだけこだわっていたと思う。悪役も、どこかマンガちっくなフィクションのキャラだった。  しかし、若い頃は何かテレくさくて隠していた、あるいは潜在意識の底で眠っていた”まっとうな正義”を、堂々とさらすことに抵抗感がなくなったお年頃に、彼もようやくなったということではないだろうか。 ナチスという悪を批判する「イングロリアルバスターズ」、そして黒人奴隷制・黒人差別を批判する「ジャンゴ 繋がれざる者」という”2大歴史上の悪”を、彼らしいバイオレンスの世界にサラリと落とし込み、見事に彼なりの”正義感”を表現した。  私はこの2作を「タランティーノ風味 社会派ドラマ2部作」とあえて言わせていただきたい。  彼らしいやり方で、”歴史上の悪”(ナチスと黒人蔑視の白人)に怒りの制裁を加える作品であったという共通点以外にも、これら2作では、面白い共通点があと2つ。1つは「イングロリアル~」ではヒトラーのいる映画館を、タバコの火で着火させたフィルム爆弾で業火で焼き尽くした。「ジャンゴ」では、ムッシュキャンディの手下達のいる邸宅を、パイプの火で着火させた爆弾で業火で焼き尽くした。タランティーノ式でいけば、極悪人は地獄の炎に焼かれて死ねということなのだろう。  もうひとつは、クリストフヴァルツが、この2作でアカデミー助演男優賞を手にしていること。同じ監督の2部作(だと私は思っている)で、連続受賞とか、かなりスゴイことだ。実際のところ、今作も彼の存在感は素晴らしすぎて、その話だけでこのコメント欄を埋め尽くすことが可能なくらい。敵との言葉での駆け引きのシークエンスは毎度見事で、彼の演技とタランティーノの脚本の華麗なるハーモニーといったところ。  「ジャンゴ」で描かれる黒人への残酷な虐待描写も、<タランティーノ=バイオレンス畑>という先入観で見れば「なんて残酷な!」と感じるだろうが、実際のところ黒人奴隷への虐待は、描写されているそのとおりの話であって、史実どおりの表現をしたまでのことであって、残虐なのはタランティーノではなく歴史上実際に奴隷をいたぶった白人達である。  ちなみに「当時は奴隷達がこんな目に合わされていたのか・・・」と、映画を見て知るという側面については、今作に限らず、たとえば「それでも夜は明ける」のように淡々と奴隷への虐待を描かれる作品でも知ることができるが、あちらは実話をもとにした映画がたまに陥る”脚色不足によるダラダラ感”が目立ち最後も”痛快なオチ”でもないわけだが、「ジャンゴ」のほうがやはり作られたストーリーであるがゆえに、飽きることなく鑑賞でき、”学び”と”面白さ”の一挙両得な作品で、黒人奴隷問題を描くものとしては、私は「ジャンゴ」が現段階でナンバーワン!だ。  そして劇中でシュルツの馬車を襲撃するために集まった白人達が、たいまつを持ち穴をあけた袋をかぶっているのだけど、穴のせいで前がよく見えないからかぶろうか外そうかでショーモナイ言いあいをしているシーンは、間違いなくKKKに対するタランティーノ式の風刺w
[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-03-02 19:12:27)
78.  イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 《ネタバレ》 
中学時代に母親にシネスイッチ銀座へ連行されてイギリスのホモ映画「モーリス」を見て以来、イギリス人のホモ文化には違和感のない私。  いやそれ以前に、小学生からリアルタイムファンだったボーイジョージもジョージマイケルも同性愛だったし(ファンとまではいかないがクイーンのフレディもエルトンジョンもそうだし)大学の卒論でとりあげた英文学者モームも同性愛(厳密に言えば両性愛だが)だし(ついでにオスカー・ワイルドも同性愛だし、「モーリス」書いたE.M.フォースターも同性愛だし)とにかくイギリスは同性愛者で成り立ってるんじゃないのかとさえ思うほどにイギリスの同性愛に違和感のない私。    そんな私から見ると、この映画は、”叶わぬ初恋を引きずり、亡き恋の相手の後を追ったホモ男の生涯”という見方もできる。  学校で初恋をした、暗号が得意な男子生徒クリストファーは心打ち明ける前に病死  そのトラウマを引きずりながら大人になると、手がけた暗号解読マシンに亡き初恋のクリストファーと名づけ彼の幻影を復活させる  戦後にそのマシンが極秘作戦の証拠として残らぬよう破壊を命じられたが「ボクのクリストファーを殺さないで!」と言わんばかりにコッソリ自宅保管  ホモ有罪判決を受け「服役で部屋にいるクリストファー(というマシン)と離れるのイヤ!」と言わんばかりに、服役代わりのホルモン治療の刑を受け入れる。  でもやっぱりホルモン療法で同性愛癖が消されたとして、それでクリストファーへの想いまで消えてしまうなら、「今クリストファー(というマシン)と共に命を絶つほうがマシ!」と言わんばかりに自殺し、天国にいるクリストファーのもとへ昇天    といった流れである。  この物語は  「へー、エニグマ解読マシンてのがあったんだー」  「へー、開発して有効利用されるまで紆余曲折があったんだー」  という表面的な”しらなかったー”、”おもしろかったー”だけではすまさせない、開発者が同性愛であるがゆえの、もうヒトヒネリなドラマ性が、単調で終わらない面白さを生み出していると思う。  この映画がただの暗号解読マシン開発者の奮闘話だったら5点だったけれど、同性愛要素が入ってひねりがきいていたので7点である。  ちなみに映画冒頭で盗難にあった彼の部屋で彼が青酸カリを掃除してる場面があったので、ひょっとして自殺は青酸カリかな?と思って調べてみると興味深いことにやはり青酸カリで、しかもベッド脇にかじりかけのリンゴがあったことや、彼が「白雪姫」の毒リンゴを模した自殺をほのめかしていたことから、リンゴに塗った青酸化合物を口にしたのではという分析があるらしい。  とすれば、彼は同性愛の男としては”女役”(同性愛でもやはり男役と女役の役割分担がある)として、自分をいじめから守ってくれた”男役”クリストファーを愛していたのだろう。  「リンゴをかじって死んで、次に目覚めたときには目の前に王子様(クリストファー)がいるはずだわ」なんて、乙女な思考だったに違いない。  アランはリンゴを口にする前に、暗号解読マシン(クリストファー)にそっと最初で最後のキスをしちゃってたかもしれない。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2016-02-22 14:17:04)(良:1票)
79.  ザ・ウォーク
私、第81回アカデミー賞授賞式が大好きでDVD録画したものを何度も見返しています。で、見るたびに発見があって面白い。先日も見ましたら、今年の授賞式を「主要部門に黒人が入っていないのは差別だ」としてボイコットを奥さんが呼びかけて一緒にボイコットする予定のウィル・スミスがちゃっかり登壇してて「あ~この時はボイコットしていなかったのだなぁ」とか。 で、長編ドキュメンタリー部門が今回、大発見でした。長編にせよ短編にせよドキュメンタリー部門にはハリウッド俳優や女優が出ていないのである意味地味で印象に残らないので、今まで何度も見直してもそこは半スルーぎみだったのですが、今回見た際、オスカーとったのが「マン・オン・ワイヤー」っていう作品だというのに気づいて「あれ?」って思った。 「あれ?これって「ザ・ウォーク」みたいですけど!?」と。  早速調べてみるとご名答。やはり「ザ・ウォーク」同様、フランス人大道芸人がツインタワーを綱渡りした話の作品でした。(もちろんドキュメンタリーなので現場でご本人を撮影したもの)  http://www.espace-sarou.co.jp/manonwire/ (ちなみにマン・オン・ワイヤーの公式サイト)  授賞式のスピーチでは、プティご本人が登場。コインを消す手品とかオスカーをアゴに乗せてバランス芸・・・とか。いやぁこんな面白い場面あったかなと、これまで半スルーぎみだったのは不覚でした。  ということで、モチベがあがったところで「ザ・ウォーク」をとりいそぎ鑑賞。  今は亡きワールドトレードセンターをCGで復活させ、俳優を使って、ドキュメンタリー映像では映せないようなアングルからの映像もあったりと、映像的にはスキのない安定した面白い仕上がりでした。  ただ、ドキュメンタリーのほうは、ガチンコ本番ですよ。しかも現在はテロで消えたあのワールドトレードセンターが本物の状態で出ている。 当然、演技でもなく、当然、CGもなし。リアルに綱の上で踊り、寝る。ちょーリアル。  だから、演技でCGで描かれたゼメキス版は、3D使って映画館鑑賞をすればドキドキ迫力の画面ですが、DVDになってもドキドキするっていえば、リアル映像には、叶わないのでは。  なので、今回のアカデミー賞ではどの部門にもかすりもしなかった。どんなに3Dがすごいっていっても、「視覚効果賞」すらかすらなかった。アカデミー会員のなかには、かつて「マン・オン・ワイヤー」が受賞したことが記憶にあって、あえて「ザ・ウォーク」への投票を控えたひともいたのかもしれないですね。  でもゼメキスは嫌いじゃないです。扱うテーマを間違っちゃったかな。 「マン・オン・ワイヤー」と「ザ・ウォーク」。せっかくなので両方見比べてみるのも面白いかも?
[映画館(字幕なし「原語」)] 5点(2016-02-02 09:53:24)
80.  クライムダウン 《ネタバレ》 
メリッサ・ジョージ、「トライアングル」って映画が、内容も彼女の演技もすごく気にいっていたので、期待値がガガガーーーっと上がった状態で見ました。   実際、山から下りてからの市街地での三つ巴のシークエンス(犯人チーム、誘拐された親が手配したチーム、事情を知らぬまま少女を助けている主人公たち)あたりは、少女が犯人の手元にないってバレたあたりからけっこう心臓バクバクするほど、盛り上がりました。  こういう映画でバクバクするのってなかなかいので、そのあたりすごく良かったってことかな。  誘拐と無関係の市民をムダ撃ちするブタお面の犯人の行動も、銃撃で気分がハイになっていたからと思って受容の範囲内。   山から街に舞台が移るのがNGという意見も多いけど、私の感覚では、テリヤキチキンの和風ソースと、モッツアレラチーズのトマトソースの2種類が1枚のピザで楽しめるハーフ&ハーフのピザだと似ているなと思う程度で気にはしない。   ただ、逃げ込んだ家が犯人によって火事を起こされ、2階から少女を脱出させるようとしたメリッサが、少女を窓の外に両手をもった状態で出してぶらんぶらんと左右に揺らしてトリャって放りだして1階の庭のクッションのききそうな植え込みの上に落として助ける・・・ってところで、えええええええってなりました。   だって、冒頭で断崖絶壁を命綱1本で登る場面を描いていたんですよ。   だって、少女を市街地に連れていってあげるため、近道である断崖絶壁を少女を連れて降りていく場面を描いていたんですよ。   そもそもこのDVDの表紙も断崖絶壁なんですよ。   もう、断崖絶壁がこの映画のテーマなんですよ。   だったら窓の外の2階から1階という”断崖絶壁”というシチュエーションなら、両手もって放り出すじゃなくて、カーテンひきちぢって綱つくってそれで彼女を片手で抱いて、もう片手でカーテンロープを握りしめ「うりゃーうりゃー!」と、数回壁をけりながら、1階の庭まで降りるとか、断崖絶壁降りのワザを見せて伏線回収しないでどーするの!   ・・・って、私は思ったわけです。  身代金受け渡しのシークエンスでせっかくドキドキしたのに残念です。   彼女を抱いてカーテンロープで降りていたらもっと高評価だったのにw    そうやって残念な気持ちを抱きつつ思い返してみると、犯人は地中に掘った穴に少女を箱に入れた状態で埋めて、空気を通すパイプを地上に出した状態で隠すとか、それはアホじゃないのかと、気づいてしまいました。   こうやって密猟者とかクライマーがやってくるような場所に「たすけて~」って声出そうとおもえば出せるパイプを地上に出させた状態で、なんだかもう、既にそこでアウトじゃないですか。  それに少女の親がけっこうワルっぽい金持ちみたいで、警察を頼らず独自に救出チーム作ってたわけだから、メリッサ一行も、少女を見つけたあとにまた少女を穴に戻して何事もなかったようにしとけば、メリッサ以外の全滅死亡にならず、ほっとけばちゃんと親の作った救出チームが少女と金の交換に成功してじゃんとか思っちゃったりもするじゃないですか。   個人的には、誘拐じゃなくてもっとクレイジーな精神異常者が、山にくる人間を無差別に殺すようなナワバリエリアに脚ふみこんだメリッサ一行を抹殺しようとしてたときに、少女が飛び入り参加してさぁ大変みたいなサバイバルものでも良かった気がする。   それでも6つ☆なのはメリッサのせい。
[DVD(字幕)] 6点(2016-01-29 19:36:49)(笑:1票)
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