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せんべいさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 115
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから8年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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81.  フィッシュストーリー 《ネタバレ》 
 初観賞は、5年前-平成25(2013)年5月の日曜日の夜。「何か面白い番組はないかな…」と何となくTVのチャンネルボタンを押していたときに、某ローカル局で放送されていたのが当作品でした。TVの番組表での紹介は「全く売れなかったバンドの曲が、巡り巡って世界を救う」という趣旨の文面だったと思います。  観始めた場面は、若者達が車内でフィッシュストーリーを“呪いのレコード”扱いしているシーンでしたが、その後、各場面で以下のように感情移入していました。  ①気弱な青年に対しては、本人が悔しがるように「そうだ!立ち向かえ!。あんな人を人とも思わずに恫喝するような奴は、絶対に世界を救う男なんかじゃないぞ!」と応援し…  ②シージャックの場面では「この正義の味方の父親って、あの青年では?そして死ぬな!フルーツタルトとアップルパイで、あの女学生さんやお爺さん・お婆さんと祝杯をあげてほしい」と願い…  ③レコード会社の岡崎氏の登場場面では「扮装(メイク)は変えているけど、レコード屋のご主人と同じ俳優さんだよね?。ご主人の父親ってこと?だとしたら、父親が製作に携わったレコードを大切に保管していたのかな?」と想像し…  ④フィッシュストーリーの【無音の1分間】の真実が明るみになる場面では「こんなにピュアで真摯なメッセージが込められていたとは…そうだ、届け!少なくとも、俺には届いたぞ!」と身を乗り出し…  ⑤居酒屋で、元ネタの本が岡崎氏の手に渡った経緯が説明される場面では「ハーフと勘違いされた男や、おばさんがいなければ、この名(迷)曲は誕生しなかったんだ…」と偶然の不思議さを感じ…というように、結構、はまっていました。  そのため、全てのエピソードが繋がるラストシーンは、上述の①②③④⑤の感情が一気に繋がり「たとえ、その場では失敗のようであっても、また、埋もれるような結果で終わっても、何気ない偶然が繋がって大きな意味を創り上げていく。これが世の中なんだ!我々一人一人が生きている意味があるんだ!」と【熱い思い】が残りました。日誌にも書き留めていたので、冒頭のように鑑賞時期を明記できたのです。   そして、このたび-平成30(2018)年9月の日曜日の夜。再び、同じ某ローカル局で放送されるとわかり、今度は最初から鑑賞し録画もしました。さらにTV放送は短縮版だったので、レンタル店でDVDもかりて観直しました。あらかじめ内容がわかっていると、一層、感情移入しやすかったです。特にゴローの【無音の1分間】の台詞回しには、初観賞時以上に味わい深さを感じましたし、【元ネタ本の経緯説明の場面】でも、岡崎氏のおばさんが短命だったことに思いを巡らせながら、しみじみと耳を傾けることが出来ました。また各エピソードは【岡崎父子/気弱な若者とその息子】という二組の親子の物語が重なり合いながら派生し、繋がっているんだな…といったことも、ふと思ったりもしました。  さらに、原作も読みました。すると…初観賞時に感情移入した上述の①②③⑤(つまり④以外)をはじめ、私が感心した要素の大半は、映画独自の脚色に基づいているものとわかりました。監督の中村義洋氏や脚本の林民夫氏の術中に、すっかりはまっていたわけですが、だからこそ、ますますこの映画が好きになりました。  なお、私は本来、性暴力(未遂で終わりますが…)や銃の発砲シーンなど暴力的な描写がある現代劇は苦手です。ましてやロックには疎く、本来なら敬遠する作品のはずですが、それらを凌駕する【奇跡の作品】となりました。何がこれほどまでに私を引きつけたのか…それは初観賞時に沸き上がった上述の【熱い思い】が残ったからでしょう。この【熱い思い】は、私なりに見出した当作品の主題とも言い換えられるかもしれません。他の皆さんのレビューを拝読しても、当作品に好意的なご意見の多くは、言葉の表現や解釈に違いはあっても、主題を好意的に受けとめておられることが大前提になっているように、私は感じています。   さて、採点ですが…【脚色】だけに焦点を当てるなら、個人的には10点です。ただ、時系列でロジカルにストーリーが展開する作風ではないため、人によってはわかり難く、好き嫌いがハッキリ分かれそうです。そのあたりは差し引き、“はまりさえすれば”という条件付きで、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。  最後に…私が当作品を観たことで、遠い将来、ささやかでいいので、どこかで何かしらの【奇跡】が起こったらいいな~と願いつつ、さてと、明日も地道に(いや地味に)頑張ろう…
[地上波(邦画)] 8点(2018-10-18 21:58:04)
82.  怪竜大決戦 《ネタバレ》 
 TVシリーズ【仮面の忍者 赤影:1967~1968年】を成功させた監督・倉田準二さんと、脚本家の伊上勝さんのコンビによる【恐竜・怪鳥の伝説:1977年】の再見に対し、複雑な気持ちになったため、その埋め合わせのために鑑賞。この目的で最初にレンタル店で取り寄せてもらった【大忍術映画 ワタリ:1966年】は、残念ながら私にとって【赤影】のような作品にはならず、続けて観たのが当作品です。  当作品の脚本は【赤影】と同じ伊上勝さん。監督は倉田準二さんと共に【赤影】を支えた山内鉄也さん。実は、小学生のとき、当作品をTVで2回ほど観たことがあります。ただ、当時の私は【怪獣映画】の視点から「ゴジラや大魔神に比べるとちょっとな…」という認識に留まっていました。しかし【恐竜・怪鳥の…】と【ワタリ】で引きずったやり場のない気持ちはどうしようもなく、再見へと駆り立てられたのでした。さて、結果は…   良い意味で【子供向けの忍者映画】として「こんなに面白かったとは!これぞ赤影に通じる作品だ!」と感激しました。ノスタルジックな主題歌を始め、当時のワイヤーアクションや合成技術を交えた忍術シーンの数々は「これぞ昭和だ!当時の男の子達を忍者ごっこへ駆り立てたトリック映像だ!」とワクワクしました。怪竜(大ガマと竜)の場面も、意外に(失礼…)良かったです。怪竜達の造形は、眼が電灯のように光るなど作り物めいていますが、皮膚感は良好な印象を受けました。城のミニチュアも精巧で壊れっぷりの見事さに感心しました。東宝や大映と違って特撮監督がおらず、山内監督達で試行錯誤して撮ったそうですから、そのことを考えれば素晴らしい出来栄えと思われます。   感激したのはこれだけではありません。  まず、主人公二人がいい!。自雷也ことイカヅチ丸を演じた松方弘樹さんは清々しく、ヒロイン・ツナデを演じた小川知子さんは初々しく…というように、お二人のその後のキャリアを知っているだけに、とても新鮮な気持ちになれました。  次に、悪役もいい!。【赤影】に出演した天津敏さん扮するユウキ・ダイジョウは勿論ですが、それ以上に、オロチ丸を演じた大友柳太朗さんが印象に残りました。大友さんは【ワタリ】にも出演されていましたが、当作品のほうがアクションが多く、最後の負けっぷりも威風堂々としていて、久しぶりに悪役らしい悪役を観た思いです。  また、トリック以外の【絵作り】もいい!。例えば【ツナデと、その祖母・蜘蛛ババが別れの言葉を交わすシーン】は、山の陰影をバックに、二人を際立たせるように撮影した様子が伺えます。子供向けでも手を抜かない作り手の皆さんの誠実な姿勢に感じ入りました。  さらに、時代劇としてもいい!。内容は【仇うち/悪の道に堕ち、師匠を殺めた兄弟子と、それに立ち向かう若き弟子との宿命の対決/悪役である父と、主人公との板挟みに苦しむヒロイン】…と、時代劇の【お約束】がてんこ盛りです。監督の山内鉄也さんは、後年、TVシリーズ【水戸黄門】を手掛けたそうですが、元々【お約束に基づく物語運び】の演出に長けておられたのかもしれません。最後は一騎打ちで勝敗を決っしますが、これは【時代劇の東映】としての誇りのなせるシーンかもしれません。   ところで【大人目線】で考えれば「元・尾形家の領土にもう城は無い。あるのは、これからお前たち領民が創る美しい野や畑だ。健やかに育ち、いい土地を創るのだぞ」というイカヅチ丸の締めの台詞は、↓の【くるきまき】さんのおっしゃる通り、現実的ではないかな…と思われます。きっと隣国の領主が侵攻して来るか、たとえ領民による自治が実現しても様々な意見・利害対立が生じ、それを統制する権力的な存在が現れることでしょう。ただ、当時は、高度経済成長を背景に【国や大手企業による開発で、故郷の野や畑から追いやられた人々のこと/開発の結果としての公害】が社会問題になっていました。その意味では「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」という【昔話の締め括りのフレーズ】と同様に『現実にはあり得ないにしても、こうであってほしい』という願いが込められた台詞として受けとめていいのかもしれません。   さて、採点ですが【恐竜・怪鳥…】の反動で、再見当初の感激は10点でした。冷静に考えて①あくまで子供向けであり、大人の鑑賞に堪える同時期の【大魔神三部作:1966年】に比べると…、②オロチ丸が悪の道に堕ちた理由も描かれていれば、アメリカの某スペース・ファンタジー映画シリーズに負けない見応えになっていたかも(笑)…という2点を差し引き、8点とさせていただきます。いずれにせよ、私には嬉しい作品になりました。きっかけを作ってくれたとも言える【恐竜・怪鳥…】を、ようやく肯定的に胸にしまっておけそうです。
[DVD(邦画)] 8点(2018-08-16 21:58:40)
83.  針の眼 《ネタバレ》 
 【レイダース・失われたアーク(聖櫃):1981年】が10/28(土)に地上波放送されたのを機に、同年、【レイダース~】と共に日本公開された映画ということで投稿します。   私が当作品を知ったのは、中学生のとき、ラジオ番組「夜のスクリーンミュージック」を通じてです。【現在公開中の作品の音楽】として、エンディング曲や愛のテーマが紹介され、進行役の関光夫さんが「久しぶりに映画音楽らしい音楽を聞いたと思ったのは私だけでしょうか」という趣旨の言葉を添えておられました。私は曲の印象から「格調高い純愛映画」と思い、映画雑誌で調べると…「刺殺シーンは生々しく、ベッドシーンもあり…」とわかり、中学生が映画館へ足を運ぶには時期尚早と判断して観るのは断念しました。  ようやく観られたのは、数年後、テレビ朝日の日曜洋画劇場で放送されたときです。その何か月か前に、マーカンド監督が49歳の若さで亡くなられたという記事を目にしていたので、追悼の意味もあるのかも…と思いました。実際に観ると、前半と後半の展開がガラリと変わる映画が好きな私は、すっかりはまりました。特に上記の経緯により、ミクロス・ローザのBGMが本領を発揮する後半に味わい深さを感じました。なお、BGMは、ラジオで聞いた曲よりもテンポが速めでサラサラッとしており違和感がありましたが、映画の雰囲気にはマッチしていたと思います。   *後年、サウンドトラック盤CD(輸入盤)を購入し、ラジオで聞いた曲は、レコード用に別録音したものだと確認しました。厚みのある聴きごたえのあるオーケストレーションで、まさに昔懐かしの映画音楽だと思いました。ただし当作品が公開されて30余年、若いレビュアーさん達にとっては【レイダース~】の音楽こそ懐かしいかもしれません。   さて、テレビ放送を観た後、ビデオレンタルなどで繰返し観るたびに(今回もレビューを書くために再見)、味わい深さが増しています。そして今回、皆さんのレビューを拝見して、自分は↓の【にじばぶ】さんのおっしゃる【人情劇】として当作品を観ていたんだな…とあらためて気づかされました。私は【ストーム島でのフェイバーとルーシーの会話】をもとに、二人の心情を推察しながら観ているのですが、それを【人情劇】のあらすじのように記載すると、以下のようになるかな…と思います。  「自分の果たせなかった夢を押し付ける親に育てられ、愛の無い孤独な子供時代を送ったドイツ人のヘンリー・フェイバーは、第二次大戦下、スパイとして敵地イギリスでも孤独な戦いに身を投じていた。家主である非戦闘員のご婦人でさえ、自分の素性を知って興奮し説得が困難とわかるや、任務遂行のためとはいえ、刺殺せざるを得ない非情な世界。身近に団結する仲間もいない孤立した感情…。そんな中、ストーム島で出会ったルーシーが、幼い息子・ジョーに無償の愛を注ぐ様子を見て、フェイバーは自分が求めていた親子愛を見出したのかもしれない。そして『耐えてきた数年間が無駄と思いたくないから頑張る』というルーシーの健気な話を聞き、親子愛への羨望は彼女への愛おしさへと変わり…漂着直後で身も心も弱っていたことも相俟って、抑えていた感情が一気に沸き上がった。その後、正体がばれても、ルーシーとジョーには『自分が生きられなかった愛のある人生を送ってほしい』と願い、殺せなかった。一方、ルーシーは、途中から自分の夫を殺めたと知って恐怖を感じたし、スパイということで見逃すわけにもいかず、思わず銃を手にフェイバーの後を追ったが…フェイバーの右足を撃ち抜いて我に返り、自分を愛おしんでくれた彼に、できれば足を止めてほしいと切望しながら、泣く泣く引き金を引くのだった」  …と、まあ、こんな感じでしょうか。これは私の一解釈にすぎませんが、前半と後半の違いを整合するのに役立っています。   一方、不満もあります。①ストーリー上、仕方ないのかもしれませんが、冒頭で登場した若者ビリーが、前半で退場してしまうのが物足り無いです。②ジョーとお風呂場で遊ぶ場面や、ラブシーンで、ルーシーの胸をあからさまに映す演出をしなくてもいいのでは?と思います。興行上の都合による客寄せのためでしょうか?この演出で客層を狭めてしまっていると思います。   さて、採点ですが…上記の二つの不満に対して各1点を減じ8点とさせていただきますが…他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り派手さはないものの、堅実な作風のイギリス映画らしい力作だと思います。そして、今は亡きリチャード・マーカンド監督の代表作だとも思っています。マーカンド監督を【スターウォーズ・ジェダイの帰還:1983年】でしか知らない方々には、できれば観てもらえたらな…と思います。【人情劇】として…
[ビデオ(字幕)] 8点(2017-11-01 21:43:25)
84.  ベン・ハー(2016) 《ネタバレ》 
 私は【ベン・ハー:1925年度版】のレビューで「スペクタクルシーンだけを挙げれば、1925年度版は1959年版を凌いでいると思う。一方、1959年版の製作にあたり、ウィリアム・ワイラー監督をはじめとする当時のスタッフの皆さんは『1925年版はドラマ性が弱かったので力を入れよう/宗教色が強い場面は控えめにしよう(注:1925年度版の宗教色はもっと強かったのです)』と考えながら脚色したのではないか」と書きました。ベン・ハーに限らず、リメイクやリブート版の製作にあたり、スタッフの皆さんの原動力になっているのは【前作に対する違和感】ではないか…と私は推察しています。  今回のリブート版の製作にあたり、スタッフの皆さんが抱いた【1959年度版に対する違和感】は、おそらく、↓の【ザ・チャンバラさん】が見事に言い当てておられるように思います。個人的に言えば、私は1959年度版で憎しみの塊のように亡くなったメッサラの場面を見るたびに「ベン・ハーとメッサラに、和解の道は残されていなかったのだろうか」と悲しくて仕方ありませんでした。その意味でリブート版は、私が願っていた【もう一つの可能性】を実現してくれたと思います。また、海戦シーンや戦車競走シーンも、最新の技術を使いCG臭さの無い(目の肥えた若い人達には、やはりCG臭い?)臨場感・迫力を表現していたと思います。  このように、脚色とアクションシーンは成功していると思いますが、映画・映像全体がスケールアップしているかというと…個人的にはこじんまりとしている印象受けました。BGMも然りです。極端な例えをすると、もし1959年版のBGMを2016年版の映像に被せたとしたら、BGMに映像が負けてしまうのでは…という気がするのです。  ご存知の方も多いかと思いますが、1959年版のBGMを担当したミクロス・ローザは、1950年代の映画音楽のスタイルに則りつつも、物語が展開した時代や現地の音楽を、時間をかけて調査・研究した上で作曲に臨んだそうです。私がローザの創作姿勢を知ったのは、1959年版を観た後でしたが、その【努力・情熱】は偽りではないと納得したものです。それに対して、2016年版のBGMは無難にまとまっているという印象が強く、ローザほどのエネルギーが十分に注がれているかというと、果たしてどうなんだろう?という気がしました。勿論、音楽を担当したマルコ・ベルトラミは、手を抜いたわけではなく、映像がこじんまりとしていたので、それに合わせて控えめにしたのかもしれませんが…。  このように、ティムール・べクマンベトフ監督やスタッフの皆さんには申し訳ないですが、作品のトータルなスケールは【良く出来たTVムービー】という印象を受けました。日本では劇場公開でなく、Blu-ray DiscとDVDによる鑑賞となりましたが、考えようによっては、この鑑賞環境こそ、当作品のスケールにはちょうど良く、今後、日本では高く評価され得るかもしれません。ただ当作品が評価されるに伴い、1959年版への否定的な評価が増えてしまうのなら、1959年版に10点を献上した者として複雑な思いがします…。今回のベン・ハーとメッサラが互いの立場を認め合って和解出来たように、1959年版と2016年版、そして1925年版も含め、それぞれの作品の立場(特徴)が評価され、映画史に輝いてくれたら…と思います。  さて、採点ですが…1959年版のリブートに果敢に挑戦したスタッフの皆さんには敬意を表しますし、脚色・アクションシーンだけを挙げれば10点です。しかしトータルでは良作・佳作レベルかな…と思います。さらに「世間の評価が辛口になって作り手の皆さんにとってもつらいものが残りがちなのではないか、という意味で、今後、あまりにも不朽の名作・傑作と言われている作品をリメイク・リブートするのは、控えたほうがいいのでは…」「或いは、思いきって例えば『メッサラ ~ベン・ハーのもう一つの物語~ 』といった題にして、メッサラを主人公に今回の脚色を一層、掘り下げて再構成した作品にしていれば、もっと歓迎されたのではないか…」という思いを差し引き、8点とさせていただきます。
[DVD(字幕)] 8点(2017-07-01 20:21:53)(良:1票)
85.  盲獣 《ネタバレ》 
 江戸川乱歩の生誕100周年にあたる1994年。出版業界をはじめ、映画でも、松竹系のRAMPO(黛りんたろう版/奥山和由版)や、カップリング公開の「押繪と旅する男(川島透監督)/屋根裏の散歩者(実相寺昭雄監督)」…と、巷が“乱歩ブーム”に沸く中、某名画座で、乱歩作品のオールナイト上映がありました。私は友人に誘わるまま観ました。    最初に上映されたのが、恐怖奇形人間(1969年・石井輝男監督)であり、拍手喝采の大爆笑で幕を閉じるという独特な空気がまだ残っている中、次に当作品が上映されました。私は何の予備知識もなくスクリーンに向き合ったのですが、さて結果は…。   まず、監禁された空間の中での男女の密室劇という意味で、真っ先に連想したのは、ウィリアム・ワイラー監督のコレクター(1965年)でした。映画化にあたり何かしら影響は受けていたと思います。ただし、コレクターがワイラー監督らしく礼節を保ったやりとり主体の演出に徹していたのに対し、当作品は少しずつ異常性がエスカレートしていくストレートな演出がなされており対照的だな…と思いました。しかしストレートと言っても、四肢を切断する壮絶な最期は、オブジェを通じて間接的に表現されており、露骨な流血に頼らない演出に感動しました。それは周りの観客の皆さんも同じだったようで、先の「恐怖奇形人間」のラストとは異なる、敬意を込めた拍手が場内を包み込み、幕を閉じたのでした。   なお、主演の船越英二さんは、他のレビュアーさん達もおっしゃっているように、私が物心ついたときには、テレビドラマ「熱中時代」の校長役など温和な壮年男性というイメージが強かっただけに、若かりし頃には、このような役を演じていたことにも新鮮味を感じました。    さて、採点ですが…当時の“乱歩ブーム”が無ければ、私はけっして観ることはなかったタイプの作品です。「誰にでもお勧め」とはいきませんが、密室劇の力作として8点を献上いたします。   平成30(2018)年2月25日(日)変更: 【イニシャルK】さんの【江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間:1969年】のレビューを拝読したついでに自分のレビューに目を通したら…冒頭の文面の「RAMPO」が「RAMO」だったことに気づいたので「P」を入れて修正しました。その一環として当作品の「RAMO」の箇所も「RAMPO」に修正…それだけの変更です。悪しからず…
[映画館(邦画)] 8点(2016-01-31 20:03:26)
86.  江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間 《ネタバレ》 
 江戸川乱歩の生誕100周年にあたる1994年。出版業界をはじめ、映画でも、松竹系のRAMPO(黛りんたろう版/奥山和由版)や、カップリング公開された「押繪と旅する男(川島透監督)/屋根裏の散歩者(実相寺昭雄監督)」…と、巷が“乱歩ブーム”に沸く中、某名画座で、乱歩作品のオールナイト上映がありました。私は友人に誘わるまま観ました。   私は全く予備知識が無かったのですが、友人をはじめ周りの観客さん達は、みんな知っていたようで、上映が始まったときから、何かしら“期待”しているような独特な空気が場内に漂っていました。そして、ちょっとした場面で笑いが沸き上がりました。当初、私は「何で?」と思いましたが、話が進展するにつれて、確かに演出は、ちょっと“違う”ほうへ向かっているように感じました。場内独特のテンションは次第に上がっていき、そして…花火のように打ちあがって爆死し、宙を漂う兄妹のラストシーンは、悲しい場面のはずなのに、拍手喝采の大爆笑が沸き起こったのでした…。   後日、カルト的な人気のある作品であり、主人公の父親を演じた土方巽氏は著名な舞踏家であることも知りました。そして別の映画館であらためて再見しました。オールナイト上映のような笑いは沸かず、私としては一安心。良くも悪くも伝わってくる作り手のパワーを堪能させていただきました。そして、特に島のシーンでは、石井輝男監督と土方氏及び暗黒舞踏の皆さんが「我々は、安直に世間に迎合するような娯楽映画なんぞ創らないぞ!真の芸術を体現するぞ!」と熱く語り合いながら撮影したのだろうな…といったことも目に浮かびました。それにしても、当時の“乱歩ブーム”が無ければ、私はけっして観ることはなかったタイプの作品であり、不思議な因果を感じないではいられません。   さて、採点ですが…下手をすれば、いわゆる“お蔵入り”になりかねない作風でありながら、カルト映画として、多くの?人達に愛され続けているその不思議な力に敬意を表し、8点を献上いたします。    平成30(2018)年2月25日(日)変更: ↑の【イニシャルK】さんのレビューを拝読したついでに自分のレビューに目を通したら…冒頭の文面の「RAMPO」が「RAMO」だったことに気づいたので「P」を入れて修正しました。それだけの変更です。悪しからず…でも最後に…やっとDVD化されたんですね!天国で、石井監督や土方氏は、ほくそ笑んでおられる…かな?
[映画館(邦画)] 8点(2016-01-31 20:00:12)(良:1票)
87.  屋根裏の散歩者(1992) 《ネタバレ》 
 公開された1994年は、江戸川乱歩の生誕100周年(1992年に完成したようですが、公開は100周年に合わせたようです)。松竹系で大々的に宣伝・公開されたRAMPO(黛りんたろう版/奥山和由版)に物足りなさを感じていた私にとって、当作品と、押繪と旅する男(川島透監督)の予告編は、非常に怪しげな雰囲気に満ちているように思い、大変インパクトがありました。小劇場レベルの公開でしたが、早速、観に行きました。   「押繪と旅する男」も当作品の両方とも、美術担当は同じ池谷仙克さん(ウルトラセブンの後期の怪獣をデザインされた方!)なのですが、映像から醸し出される江戸川乱歩の怪しげな雰囲気(と私が感じているもの)は、当作品のほうが圧倒的に上のように思いました。さすがは実相寺監督とのコンビは最強だと思いました。思惑通りに“思い”を実行していく場面にもグイグイ引き込まれました。それだけに、他のレビュアーさん達がおっしゃる通り、エロいシーンを入れずに原作通りの場面を描くだけでも、十分、怪しげな世界を伝えることは出来たように思います。それでも、原作を大胆に脚色・再構成した「押繪と旅する男」と対照的に、原作を忠実に映画化した作品かな…と思っています。   余談ですが、この作品は「屋根裏の散歩者」とカップリングで公開されたためか、サントラCDも両作品が同時収録されていました。   さて、採点ですが…観てから20年以上も経つものの、江戸川乱歩の原作を忠実に映画化した作品として私には強烈な印象が残っています。エロい場面があり、内容もマニアックなので「誰にでも…」とはいかない点を差し引き、個人的に気に入っている「押繪と旅する男」と同じく8点を献上いたします。    平成30(2018)年2月25日(日)変更: 【イニシャルK】さんの【江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間:1969年】のレビューを拝読したついでに自分のレビューに目を通したら…冒頭の文面の「RAMPO」が「RAMO」だったことに気づいたので「P」を入れて修正しました。その一環として当作品の「RAMO」の箇所も「RAMPO」に修正…それだけの変更です。悪しからず…
[映画館(邦画)] 8点(2016-01-31 19:54:07)
88.  押繪と旅する男 《ネタバレ》 
 江戸川乱歩の生誕100周年にあたる1994年に、屋根裏の散歩者(実相寺昭雄監督)とカップリングで公開された作品(サントラCDも両作品が同時収録されていました)。両作品の予告編を観たとき「これこそ江戸川乱歩の世界だ」とでもいうような怪しげでおどろおどろしい雰囲気を感じました。その後、近場の某映画館の最終時間に、当作品だけが上映されると知り、早速、観に行きました。   印象深いテーマ曲と共に、暗闇に光が一つ、また一つ…と少しずつ増えていくように字が現れるスタッフ・キャスト紹介のオープニングに期待が高まりましたが…いざ本編が始まると、思ったほど、怪しげでおどろおどろしい雰囲気を感じることが出来ず、むしろ綺麗な映像だと思いました。また「原作をそうとう脚色している」と直感したものの、どこまでが原作で、どこからが脚色なのか…という点に引っかかってしまいました。また、一般的な娯楽映画と異なり、各場面のつながりを時系列・論理的でなく、意図的に崩す演出をしていたこともあり、最後まで没入できずに終わりました。   しかし再び観たいと思いました。何故なら、映画とは別に、当時の私は「お年寄りの方々に対し“人は誰しも、子供時代があって現在があるのだ”という意識を持って接するべきではないだろうか…」と自問自答していたからです。その意味で、当作品はとてもタイムリーに思えたのです。   後日、原作を読み、脚色部分との区別がついたので、別の機会にもう一度、映画館に足を運びました。今度は、私なりに、ずっと“わかる感じ”がしました。自分の人生に否定的だった孤独な老人が、亡くなる直前に【転機となった少年時代/現在/空想】との間を錯綜しながら折り合いをつけ、幸せな気持ちで旅立ってゆく過程を描いた作品…と受け止めたのです。少年時代では、夫に振り向いてもらえずに満たされぬ思いを抱えた義理の姉との危うい関係が、陰影に富んだ映像で上手く表現されていたと思います。そして登場人物が一堂に会して蜃気楼を観るラストシーンは、極楽浄土を示唆しているのでは…と思いました。   ただし【双眼鏡の前後を逆にして覗くことで、兄が実際に小さくなり、そのまま押繪に入っていく】という原作の場面は、映画では【少年が双眼鏡を覗くと強い風が巻き起こり、次の瞬間、兄は押繪に入っていた】と間接的に描いていました。そのため、原作を読んでいないと、何故、兄が押繪と一体になり得たのかは、わかり難いのでは?…と思いました。もっとも、原作を既読の上で観る人が大半なのかもしれませんが…。   結局、その後、レンタルビデオでも何度も観ましたし、サントラCDも買って現在に至ります。CDには、ラストシーン向けの別バージョン曲も収録されていました。明るいメロディーであり、やはりラストは極楽浄土だったんだろうな…と思いました。なお、現在、自分が調べた限りでは、DVD収録版は発売されていないようで残念です。   さて、採点ですが…所謂【見応えたっぷり/永遠の名作】といったタイプの映画ではありませんが、私にとって、江戸川乱歩の原作を活かした佳作として強く印象に残る作品です。大甘かもしれませんが8点を献上いたします。
[映画館(邦画)] 8点(2016-01-31 19:47:14)
89.  SF巨大生物の島 《ネタバレ》 
 この映画との出会いは、私がまだ幼かった頃、親戚の人達が家に集まっているときにTV放映されているのを観たのが最初です。叔父達は「面白いよ」と言ってくれましたが、ウルトラ怪獣に熱中していた自分にとっては「本物のカニ・鳥・蜂を合成しているだけじゃな…スーパーヒーローも出ないし…」と引き込まれることはありませんでした。そして、とうとう【巨大蜂が、登場人物のいる巣穴にフタをしてしまう】という場面で、眠ってしまいました。  その後、ハリーハウゼン作品だとわかり「あれが人形のコマ撮りだったとは!」と驚き、いつか、もう一度、観たいと思い続けました。  大人になり、レンタルビデオでようやく再見しました。コマ撮りの素晴らしさは勿論ですが、バーナード・ハーマンの音楽にも感心しました。低音のきいた迫力あるテーマ曲に始まり、巨大カニの場面は力強く、巨大鳥の場面はコミカルに、巨大蜂の場面は弦で羽音を表現し…とバラエティーに富んでいると思いました。内容的にも、60年代から70年代に多く作られたこの手の【秘境冒険もの】としては、良く出来ているんじゃないかなと思いました。主要登場人物が誰も死なないことにも安心したのですが、それならいっそ、ネモ船長だって死なせなくても良かったのでは?と思ったりしました。そうした小さな不満は若干ありましたが、全体としては見応えがあり、幼い頃の記憶と気持ち良くつながって「観て良かった」と思いました。  さて、採点ですが…一般的には【男の子向けのファミリー冒険映画の佳作】であって、6~7点といったところでしょうか。ただ、私の場合、幼い頃に本物と思ったコマ撮り特撮のインパクトを加えて8点を献上させていただきます。
[ビデオ(字幕)] 8点(2015-09-20 18:13:18)
90.  恐竜100万年 《ネタバレ》 
 私が4~5歳の頃、親戚の方が買ってくれた怪獣の本に、この映画の写真(ケラトサウルスとトリケラトプスが対峙している場面)が掲載されていました。幼かった私には本物にしか見えず「これってどういうこと?恐竜は生きているの?どうやって撮ったの?」と衝撃を受けたものでした。そのため、小学生になりTV放映で、実際に動いている場面を観たときの感激はひとしおでした。しかもTV放映では、人間関係や状況を説明するナレーションが入っており、わかりやすく最後まで観ることが出来ました。  ただし、小学生である私でも「人類が地球に現れたとき、恐竜はもう絶滅していたはずだから、本当はあり得ない話なんだよな…」ということは感じました。その後、歳を重ねるにつれ「過酷な原始時代を生き抜いた人々のドラマを、英語を喋らせずに表現するというのは、作り手としては挑戦し甲斐がある分野かもしれない。しかしそれだけではお客を呼べないので、ハリーハウゼンによる恐竜の場面を挿入したのだろうか?」と思ったりもしました。もちろん、この映画自体が、紀元前100万年(1940年)のリメイクであり、しかも、監督のドン・チャフィとハリーハウゼンは、アルゴ探検隊の大冒険(1963年)で既に懇意だったので、私の考えは思い過ごしかもしれませんが…。また“客寄せ”という意味では、女優・ラクエル・ウェルチの存在も大きかったんだろうな…と思います。  なお、DVDには、もし可能なら、TV放映時に準じたナレーションを副音声につけてもらえると、初めて観る人でもわかりやすいのでは?と思いますが、難しいのでしょうね…  さて、採点ですが、恐竜の場面だけを取り上げるなら大変素晴らしく10点にしたいところです。しかしドラマ部分は、人によって感情移入できる人と、できない人の差が大きそうな気がします。その点を差し引き、劇映画としてのトータルさという意味で考え、7点…いや、大甘で8点とさせていただきます。
[地上波(吹替)] 8点(2015-09-20 18:08:28)
91.  青い山脈(1963) 《ネタバレ》 
 まだビデオレコーダーが自宅に無く、録画というものが不可能だった学生時代に、深夜放送で観ましたが、私にとって3つの驚きがありました。   一つ目は、映画の内容についてです。主題歌は懐メロでお馴染でしたが、私は【山脈のような試練を乗り越えて幸せを掴む格調高い大河ドラマ】のようなものを連想していたのです。しかし実際は、田舎町で繰り広げられる偽ラブレターの是非を問うものだったとは…そのギャップに驚きました。真面目なテーマを扱っている一方で、明らかに観客の笑いを狙ったコミカルな演出が散りばめられており、最後まで飽きずに観ることが出来ました。  二つ目は、日活映画のイメージについてです。私が物心ついた頃から、すでに日活はロマンポルノ路線に入っていました。そのため「以前は、こんな爽やかな青春映画を作っていたんだ!」と大変、新鮮に感じました。  三つ目は、吉永小百合さんの役柄についてです。吉永さんも、私が物心ついた頃から【おしとやかな女性役】が定着していたため、活発なキャラクターが新鮮、というより、伸び伸びと自然な印象を受けました。浜田光夫さんとのコンビ作品も、この映画を機に観るようになりました。  その後、原作を読んだり、1949年版・1975年版をテレビ放送で観ました。1949年版は原作に忠実で、タイムリーに【これからの男女交際・民主主義に基づく新しい日本】といった理想を高らかにうたった作品だと思います。一方、1975年版は【真剣な眼差しで見つめ合う】といった真面目な恋愛ドラマ調の演出が強調されていました。見比べてみて「同じ原作でも、こんなに違うものなのか」と感心したものです。  さらに後年、1963年版はビデオでも再見し、当時のお正月映画として公開されたと知りました。老若男女が一堂に会し爽やかな笑いに包まれながら新年を迎えた当時の映画館の様子が目に浮かんだのと同時に、そうした位置づけの映画として、脚色・演出もピッタリだと、あらためて思いました。また、最近、某バラエティー番組で、高橋英樹さんが「三枚目役だったので、撮影当時は非常に抵抗感があったが、そのときの経験が役に立った」といったことをおっしゃっていました。私は高橋さんが熱演してくれたガンちゃんが大好きです!。  さて、採点ですが…一般的には“お正月映画”であって佳作レベルかもしれませんが、私にとっては【3つの驚き】と共に忘れられない作品です。大甘かもしれませんが、8点を献上しちゃいます。
[地上波(邦画)] 8点(2015-08-29 21:36:54)
92.  宇宙からのメッセージ 《ネタバレ》 
 スターウォーズ(1977年)が翌年に夏休み映画として日本に上陸する直前、GWに公開された作品。当時、テレビで特番が放送され、私は映画館で観ました。子供心に「宇宙空間で、酸素マスク程度で生きられるの?」など突っ込みどころはありました。しかし主人公達が、リアベの実の【無言のメッセージによる説得】で一つになっていく過程には、素直に感情移入できました。また【地球軍とガバナス軍との戦闘下で、ジルーシアの人達が犠牲になる/ハンス王子のように、ガバナス人全員が悪ではない】といった描写も印象に残りました。特撮も頑張っていると思ったものです。その後、スターウォーズを見て「本家には叶わない」と打ちのめされましたが…。  あれから40年近く。たまたまDVDで見る機会があり再見すると…オープニング曲を聴いて映画館での真直ぐな気持ちが蘇りました。要塞化した惑星ジルーシアが月を爆破する場面は【本家】の「デススターによるオルデラーンの爆破」と重なるなど、真似と言えばそれまでですが「エッセンスを上手く活かした」とも言えるシーンの数々に感心しました。また、リアベの勇士達は、必ずしも全員が戦士として活躍するわけではありません。しかし深読みすると「歴史は傑出した人物だけが作るのではない。『わいらみたいなもんでも/私のようなロボットでも』と思う者どうしが、何かしら影響し合い、時代のうねりを作り出す」というメッセージが込められているのかな…と思ったりしました。特撮にしても、東映のSFものは「リアルさは二の次にアクションを見せる/セットも作りものっぽい」が、良くも悪くも伝統のように思います。それはスーパー戦隊シリーズ等にも現れていると思います。そのため「やはり当時の糸釣り特撮としては頑張ったよ!」と、ひいき目で見てしまいました。ただし、現実の歴史や世界情勢と重ね合わせると複雑な気持ちにもなりました。映画は、主人公達が新天地を夢見て旅立つところで終わります。しかし発見した惑星に先住民の人達がいて対立し、銃を持つジルーシアの人々が第二のガバナス人のようにならなければいいが、と願いました。まあ、架空の話なので、そこまで考える必要はないかもしれませんが…。  さて、採点ですが…スターウォーズの便乗企画ではありますが、深作ファミリー及び、矢島信男氏率いる特撮スタッフが一丸となって完成させたパワーに敬意を表し、大甘で8点を献上します。  *令和2(2020)年12月27日(日) 追記  上述のテレビ特番を観ていたとき、傍らで母が「あの志穂美悦子さんがお姫さま?」と苦笑したのが、当時、子供だった私には腑に落ちませんでした。私にとって、志穂美さんをしっかり認識したのが、このお淑やかなエメラリーダ姫だったからです。  そして、約1か月ほど前、私の中で当作品のブームが来まして…インターネットで調べたのを機に、志穂美さんの初主演作である【女必殺拳シリーズ:1974・75年】を鑑賞。これを観ると、確かにエメラリーダ姫が【本領】を発揮したら、ハンス王子(千葉真一さん)と二人だけで、ガバナス帝国を滅ぼせたかも…とは思いました。現在は【ディズニープリンセス】がそうであるように、活発な女性像がメジャーになっていますから、もし当作品がリメイクされるとしたら(笑)、エメラリーダ姫も大立ち回りをすることでしょう。ただし、そうだとしても、志穂美さんを越えるアクション女優はいるかなぁ…。
[映画館(邦画)] 8点(2015-06-27 20:05:12)
93.  スター・トレック5/新たなる未知へ 《ネタバレ》 
 この作品が公開されたとき、監督でもあったカーク艦長ことウィリアム・シャトナー氏は、「もともとTVシリーズは、シリアスものからコミカルなものまで様々なレパートリーがあった。だから、この映画は、アクションものにしたかった」という趣旨のことを述べていました。中盤は、そのコンセプトを実現していると思いましたが、【神】の正体へと近づいていく後半は、残念ながら息切れしてしまったような印象を受けました。  また【神】と共に、ストーリーの要として取り上げられていたものに【悩み】がありましたが、これについても、4作目のラストで父子として敬愛しあったサレック(父)とスポック(息子)の関係について、出生時にさかのぼり蒸し返すような場面があり、私は首をかしげてしまったものでした。  思いきって【神】や【悩み】を持ち出さずに純粋にアクション映画・ファン向けのアトラクション映画に徹したほうが、より伸び伸びと展開できたのではないか…と思われます。個人的には、1作目の序盤に流れていたクリンゴン戦艦のテーマ曲が、当作品ではアレンジされて全編にわたり活き活きと【活躍】していたことが、とても嬉しく感じましたが…。  さて、採点ですが、【残念な面】を差し引いて8点とさせていただきます。一般的な評価からすると、かなり甘めだとは思いますが…。
[DVD(字幕)] 8点(2015-01-11 19:46:57)
94.  シンドバッド虎の目大冒険 《ネタバレ》 
この作品は、コマ撮りのキャラクター達との「戦い」よりも「人間との共演・交流・協力」を重視しているようです。ヒヒになったカシム王子と一角の原始人が、その象徴ではないかと思います。その意味で、かつての猿人ジョー・ヤング(1949年)に通じるものを感じました。それだけにミナトンは、魔女達との情緒的な交流が一切ないだけでなく、こき使われただけでお払い箱にされてしまい、皆さん同様「そりゃあ、ないんじゃないの?!」と寂しく思いました。このようなわけで「コマ撮りのキャラクター=人間の敵=戦い」という図式に飽きた人にはお勧めかもしれませんが…見る人をかなり限定してしまうことは否めないと思います。 なお、個人的には一角の原始人には生き残ってほしかったです。「もしも…」がありうるなら【カシム王子が無事に戴冠式を終えたちょうどその頃、原始人は、サーベルタイガーの毛皮で暖を取り、ミナトンの槍を使って上手に狩りをして、雪の大地でも無事に逞しく生きていきましたとさ。めでたし、めでたし…】とホノボノとしたエピローグを想像したりしています。  さて採点についてですが、ハリーハウゼンのシンバッドシリーズ三部作のうち「7回目の航海」を10点と考え、3番目の出来かな、と思うので8点にしましたが…一般的な評価から見るとかなり甘めであることをお伝えしておきます。
[DVD(字幕)] 8点(2014-12-12 22:28:30)
95.  新・猿の惑星 《ネタバレ》 
 当作品が、テレビ東京で10/12(木)の昼に放送されたのを機に投稿します。   「製作担当者は、映画会社(20世紀FOX)の意向で、渋々2作目を作ったが、もうこれ以上の続編が作れないように地球を消滅させた。それにもかかわらず、会社の意向で作らされた3作目」…私がこの製作エピソードを知ったのは、ずっと後のことでした。  しかし30年ほど前にテレビ放送で観たときに「無理やり作ったんだろうな」ということは、最初の10分ほどでわかりました。「そもそも1作目でテイラーと地図を見ながら語り合った話だけで、沈んでいたロケットを発見し地球を脱出したというだけで不自然。そもそもマイロ博士って何者?」が率直な印象でした。ただし、その後のコミカルな雰囲気からジワジワと悲劇の後半へ…と、前半と後半の展開が変わるタイプの作品が好きな私は、観ていて悪い気はしませんでした。そして1作目に対応するように「人間とキスするのは、これで2度目よ/僕は初めてだよ」と、ジーラとコーネリアスが、ルイス博士達とキスを交わして別れる場面は、【種族/支配・被支配/時の流れ】という垣根を超えて、確かな友情を結べたことを示唆する名場面だと思います。キスの後に二人と赤ん坊がが遠ざかっていく姿から、その後に待ち受ける悲劇を予感したのは私だけではないと思います。また「人間が他の動物に支配されるようになるのが神の御心なら、それでもいい」と言う善良なサーカス団長アルマンドを演じたリカルド・モンタルバンについても、【スタートレック2/カーンの逆襲:1982年】の復讐に燃える優性人間カーンよりも、こちらの役のほうが、私は好きです。   このように、無理やり作ったと直感した時点で、私は【番外編】と割り切っているのですが…今回、あらためてテレビ放送の録画を観て感じた不満は、以下の2つです。  一つ目は、初見からずっと違和感があるのですが【猿が台頭していく歴史を、コーネリアス達が説明する場面】についてです。むしろ「発掘現場を爆破されたので、台頭した理由は調べようがなかった。ザイアス議長によると、かつて楽園だった禁断の地を、人間が砂漠に変えてしまったということしかわからない…」と1作目の状況を述べるだけでも十分だったと思います。そしてハスレインに「そうか、わかったぞ…お前達が、未来からやって来たのが始まりなんだ。人類が核戦争で衰退するからといって、お前達の子孫に取って代わられるなんて許せない。今、私がお前達を葬り去ることで、忌まわしい未来を変える」と言わしめるほうが、良かったのでは…と思うのです。そうすれば観客は「未来を変えるなら、核戦争が起こらないように尽力するほうが大切では?」と、ハスレインの動機が差別・偏見による理不尽なものだと、より明確に伝わるでしょうし、アルマンド団長の上記の言葉も一層、活きてくると思います。  二つ目は「ゴリラは攻撃的/チンパンジーは平和主義/猿は猿を殺さない」という動物観についてです。ご存知の方も多いかと思いますが、現在の研究・調査で、猿は猿を殺すことが知られています。チンパンジーは他の群れを襲って相手を殺す攻撃性を持つことが報告されています。 一方、ゴリラは、胸を叩くドラミングなどを通じて、他の群れに自分達の存在を伝えながら距離をとり、できるだけ戦いを避けようとするそうです。現在、ゴリラは「気が優しくて力持ちの繊細な動物」としてアメリカでは自然保護の象徴的存在になっているようです。ただし、そのゴリラもチンパンジー同様、いわゆる【子殺し】が確認されているそうで…。もっとも、このようなことばかりを言ってしまったら、「猿は猿を殺さない」という当シリーズ(及び、2011年以降に製作されているリブート版)の根本を揺るがしかねないかもしれませんが…。   さて、採点ですが…私にとっては【番外編】として、こじんまりと手堅くまとまっているという意味で7点を献上します。  ところで、4作目・5作目は、この3作目で語られた【猿が台頭していく歴史】をベースにしています。上記の通り、私はこの【歴史】に不満なのでレビューは控えさせていただきます。しかし、リブート版を創るインスピレーションを産みだす基になっているようなので、映画史的な意義はあるのでしょう。ただ、私はふと思うのです。「もし、作り手の予定通り1作目で完結していたとしたら、リブートシリーズは、どのようになっていたのか?」…もし、あり得るなら、個人的には【人類の文明が滅んだ後に生き残った猿達が、過酷な環境で少しずつ進化を遂げ、人類の残した言葉や文化を受け継いで、地球を再生していく…】という地道な作品を望みます。
[地上波(吹替)] 7点(2017-10-22 19:04:40)
96.  原子怪獣現わる 《ネタバレ》 
 シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。  当作品を観たのは、エメリッヒ監督のGODZILLA(1998年)が公開されるずっと以前。ゴジラ1作目(1954年)とセットにしてビデオで観ました。私の中での感想は、①ゴジラ1作目を観る前、②ゴジラ1作目を観た後、③GODZILLA(1998年)を観た後…と3つの時期に大別されるので、以下、順々に述べていきます。  まず①について、ハリーハウゼンの特撮シーンは、リドサウルスの造形といい、実写との合成といい、当時の同時期の作品を知っている私としては、そのクオリティーの高さに感心しました。一方、リドサウルスを攻撃する場面や逃げ惑う群衆シーンは、映像がこじんまりとしており「噂には聞いていたけど低予算映画なんだな…」と痛感したものです。また、これはリドサウルスに限ったことではありませんが、海外の怪獣は、皆、銃の攻撃がそれなりに効くなど生物的な面が強調されており【軍隊の攻撃にもビクともしない日本の怪獣】に慣れていた私には、違和感がありました。  次に②については、↓のとかげ12号さんのおっしゃる通り『太古の巨獣が核実験で目覚める→都市で暴れる→新兵器で倒される…』という点は、ゴジラ1作目のストーリーラインもそっくりであり、実は、当作品こそ、ゴジラの1作目の元になっているんだろうな…と思いました。ただし、ゴジラの1作目は「反戦/核の脅威への警鐘」といった真摯なメッセージを組み込んで見事にオリジナリティーを獲得していると思いました。その点、当作品における核実験は【怪物が現れるきっかけ】にすぎず、日・米の温度差を感じざるを得ませんでした。  さらに③についてですが、真っ先に思ったのは「GODZILLA(1998年)は『ゴジラ』ではなく『原子怪獣現わる』のリメイクじゃないの?」ということでした。これは、公開当時の日本のマスコミでも話題になり、事実、後年になって、プロデューサーだったディーン・デヴリンが「もともと『原子怪獣現わる』のリメイクをつくりたかったが、資金集めが難しく、ゴジラのネームバリューを借りました」という趣旨の話をしていたとか…思わず納得したものです。  さて、採点ですが、ハリー・ハウゼンが特撮マンとして独り立ちしたデビュー作であり、アメリカで当時、放射能関係で出現するモンスター映画が作られるようになった先駆けであり、ゴジラの元ネタ映画であり…と記念碑な作品だとは思いますが、特撮場面は良いとして、劇映画として「これは面白い!」と万人受けするかというと…他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り、あまりお勧めはできないですね…。歴史的な意義とハリーハウゼン氏への敬意から、大甘ですが7点を献上します。
[ビデオ(字幕)] 7点(2016-08-06 15:09:44)
97.  スーパーマンIII/電子の要塞 《ネタバレ》 
リチャード・ドナー監督の降板により、2作目の途中から参加したリチャード・レスター監督が、満を持して最初からつくった作品。私は当時、映画館で観ましたが、観る前から嫌な予感はしていました。何故なら、レスター監督は、あたかも「この世に英雄は存在しない。たまたま運よくそうなっただけであって、普通の人間に過ぎない。だから、通常の活劇のカタルシスについては、“そんなに上手くいきっこないだろ”というように、徹底的に茶化してやる」とでも言わんばかりの演出をすることがあると知っていたからです。三銃士(1973年)が、その典型だと思います。  実際に観て予感は的中しました。主人公は、どちらかというとコメディアンのリチャード・プライアーが演じるガス・ゴーマンになっていました。興行サイドが大々的に宣伝していたスーパーコンピューターとの戦いも「とりあえず挿入しましたよ」とでもいうような、あっさりしたものになっていました。私は「ああ、やっぱり」と思いましたが…あまりにも1・2作目と作風が違っていたため、それまで【スターウォーズ派とスーパーマン派】に二分されるほどの人気を博していた当シリーズへの世間の熱狂は、急激に冷めていったのを、今でも覚えています。  ただし、個人的には感心する描写もありました。それは、クラーク・ケントについてです。それまで、クラークは「スーパーマンの仮の姿」という位置づけになっていました。しかし当作品では「クラーク・ケントという人格がベースにあり、その正義感を前面に出したのがスーパーマンなのだ」といった描き方をしていました。当作品の真のクライマックスは、クラーク・ケントとスーパーマンとの戦いの場面だと思います。  さて、採点ですが…非常にレスター監督らしい作品だとは思いますが、人によって好き嫌いがはっきり分かれると思います。現在なら「1・2作目が構築した世界観を基にした番外編/スピンオフ作品」として歓迎されるかもしれませんが、その意味では早すぎた作品と言えるかもしれません。映画館でタイムリーに観た当時のインパクトだと3点ですが、スピンオフ作品と考えるなら7点ということで…
[映画館(字幕)] 7点(2015-11-28 20:22:10)
98.  ジャイアント・ウーマン 《ネタバレ》 
 レンタルDVDで【妖怪巨大女:1958年‐以下、オリジナル版と表記します】を観た後、このリメイク版も取り寄せ可能と知り、引き続き鑑賞しました。   元々、オリジナル版の存在は、少年時代に読んだSF雑誌で知っていました。その解説文は「浮気した夫を、巨大化した妻が追いかけてくる…恐ろしいと言えば恐ろしいが…」という意味深なものでした。  そして、実際に観たオリジナル版は、ドラマ自体は真面目なものの、特殊撮影の“質”があまりにも低いために、作り手の皆さんが意図していないシーンで笑いを触発してしまう残念な仕上がりになっていました。   さて、当作品は…予想外に(失礼…)リメイクとしては良く出来ている印象を受けました。   まず【夫は、主人公の財産を我がものにしようとする/主人公はUFOとの接触を機に巨大化する】といった大筋や「女性を撃つのは抵抗が…」「ハリー(夫)は、やっとナンシー(主人公)のものに」といった台詞が継承されています。しかも、クライマックスにおいてドライブインシアターで上映されていたのは、オリジナル版であり、粋な計らいだと思いました。    登場人物も、主人公のナンシー・アーチャーを始め、概ね、同じ名前で登場します。違いは、①オリジナル版で主人公を守ろうと尽力する執事‐ジェスの代わりに、父親のコブが配されている、②精神科医のクッシングと保安官助手のチャーリーは女性、ということです。  ①により【自信が無い主人公の性格の背景には、強権的な父親の影響があること】を示唆していると私は感じました。また、②により【クッシング医師:専門家として独立して生活している/チャーリー:女の子らしく育ってほしいという親の願いとは裏腹に保安官をめざしている】というように、主人公とは異なる女性像を提示することで、このリメイク版ならではのテーマを強調しているようでした。  そのため、父親や夫へ初めて本音をぶつけた主人公が、気持ちの高ぶりと共に巨大化する場面(父親と夫はたじろぎ、クッシング医師は微笑む)に対し、私は痛快な気持ちに!しかもオリジナル版と異なりコミカルな演出を加味しているので、良い意味で笑うこともできました。この場面に限らず、オリジナル版を鑑み【真面目に演出しても笑われてしまう】のを予測し、敢えて笑えるようにしたかのような印象を受けるところが多々あり、その意味でも上手にリメイクしているな…と思いました。   特殊撮影もきちんとしています。オリジナル版のような【合成された人物に対し、背景が透けて見える】は皆無です。  また、巨大化してラストまで約40分ありますが、その大半は、主人公と関係者との会話にあてられています。そして同じフレーム内にしろ、交互にカット割りで表現するにしろ、会話する者どうし、互いに視線が合うよう配慮してあります。これは本編(ドラマ)班と特殊撮影班とが綿密に打ち合わせた賜物でしょう。  これらのことは“当たり前”かもしれませんが…オリジナル版では、それがやれていなかったわけで…ある種“当たり前”が如何に大事かを再認識できました。    もっとも、全面的に肯定できるわけでもありません。オリジナル版自体、SF作品としては非常にアバウトで、UFOが主人公に近づいた理由も、主人公が巨大化した理由も、説得力ある説明がなされているとは、到底、言えないものでした。リメイク版も同様であり「そういうところは継承しなくてもいいのに」と残念に思います。    勿論、製作にも携わったダリル・ハンナさんを始め、作り手の皆さんが伝えたかったのは【SFとしての緻密さ】ではなく【男の従属物ではない、自立した女性像や新たな女性の生き方】と思われるので、さほど重要ではなかったのかもしれません。   なお、当作品が発表されて今年で30年経つわけですが…作品に反映されている女性に対する世相が、現在はすっかり過去のものになったかというと…まだ、そうとは言えない印象を受けます。そのため当作品のテーマは、目新しさは無いものの、現在でも十分通じるのでは…と思われます。     さて、採点ですが…リメイク作品の佳作として、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品=8点】に…いや、実のところ「あまりにも出来の悪い(失礼…)オリジナル版との比較で、好印象になっているだけでは…」という面は否めず1点減。また、楽しめるかどうかは【女性が巨大化する設定自体を、陳腐と感じてしまう気持ちを乗り越えられるか】にかかっていると思います。そのハードルは、巨大化した主人公の身長を遥かに超えるほど高く「誰にでもお勧めできるわけではないよなぁ…」という意味でも1点を減じ、6点とさせていただきます。それでも高得点すぎ?…
[DVD(字幕)] 6点(2023-09-15 16:05:50)(良:1票)
99.  D.N.A. 《ネタバレ》 
 【ドクター・モロ―の島:1977年-以下、77年版と表記します】の投稿を機に、興味がわいたのでDVDをレンタルし初鑑賞。さて結果は…   まず、マーロン・ブランドさん扮するモロ―博士の白塗り&サングラス姿には、当初「科学者というより教祖様のよう…」と違和感がありました。ただ、宗教絡みの台詞もあったので、教祖という印象もあながち的外れではなさそう…と割りきりました。  次に、【獣人】達については、特殊メイクが【77年版】に比べ進歩したかどうか以上に、その人数に感心しました。メイクスタッフさん達は、かなりの大所帯だったろうと推察します。CG(モーション・キャプチャ)での表現が主流の現在の映画界では、これほど大規模な特殊メイクの実践は、もはやあり得ないだろう…と一抹の寂しさを感じました。   ただ、モロ―博士の亡き後、ハイエナ一派とアザゼロが権力を手中に収めんとするシーンは「長い…【77年版】には、こんな場面は無かったじゃないか」が本音でした。何故なら、銃を乱射し、破壊の限りを尽くし、ニヤニヤしながら相手の命を奪う…という一連の場面は、アメリカ映画における【犯罪者集団の典型的な描写】という印象を受けたからです。こうした描写が好きでない私には、大変、苦痛でした。  一応、ラストに「時折、暗たんたる思いになる。それは、世の人間の中に、あの獣人たちの影を見出す時だ」というエドワードのナレーションと共に、現実の記録映像が流れます。これも【77年版】には無かったものであり「なるほど。博士亡き後のシーンは、これを伝えるために必要だったんだ」とわかりました。しかし「現代社会に警鐘を鳴らすラストだ」と響くには至らず…何故なら、ナレーションとは逆に、私は上述の通り「ハイエナ一派やアザゼロという獣人たちに、人間の影(犯罪者集団と同様の邪悪な面)を見た」からです。もともと、博士が研究の目的について「人間の心に巣食う邪悪な遺伝子の要素を破壊し、完全なる無垢な(純粋で心が美しく争いを知らない)生物を創ること」という趣旨のことを述べているため、なおさら、そのように感じたのかもしれません。  勿論、ここで言う“影を見出す”とは、厳密には“片鱗を見る”という意味合いなのでしょうが、それでも獣人たち全員がハイエナ一派やアザゼロと同様だったわけではありません。「獣人たち」と一般化するなら、長老、アサシモン、マジャイ、ムリン、ヒロインのアイッサも、ハイエナ達のように振る舞わなければ、ナレーションとの整合性が取れないのでは…と思うのです。   鑑賞後、図書館で原作(橋本槇矩訳,1993年,岩波文庫)を借りて読んでみました。すると、訳語は異なっていましたが、ラストのナレーションの言葉は【物語の要】だとわかりました。同時に、上記の【無垢←→邪悪】を意識した研究の目的と、それに対応する【善良なアイッサ/邪悪なアザゼロ/博士亡き後のハイエナ一派の行動】は、この映画の脚色ということも確認しました。しかし繰返しになりますが、ナレーションが原作のままでは整合性が取れておらず【練り込み不足】という印象を否めません。  一方、【77年版】は“獣人たちの影”に関するものを削除するなど原作を大幅に脚色しているとわかりましたが、むしろ、そのことで「まとまりがあり、わかりやすくなっている」と再認識しました。脚色に関しては、↓の【鱗歌さん】がおっしゃる通り、当作品は「半端に原作を大事にすると大惨事になるという例」と言えるかもしれません。   別途、仕入れた情報では、マーロン・ブランドさんやヴァル・キルマーさんが、現場を相当、混乱させていたそうで…【練り込み不足】は、それが影響したからかも…と思ったりしました。  一方、【77年版】は、現場のチームワークがしっかりしていたのでは…と推察しています。そうでなければ【77年版】のオリジナルである【本物の猛獣と獣人達との生身のアクションシーン】は成功しなかったでしょう。逆に言えば、もし、同じ場面を当作品で実践したら…現場のギクシャクさが、一層の大惨事を招いていた…かもしれません。   さて、採点ですが…投稿の前は「色々と理屈を並べたけど、結局、少年時代から馴染みのある【77年版】のほうが好き、と述べているだけで、辛口の評価は申し訳ないかな…」と思ったのですが、他のレビュアーさん達も低評価が多いので安心しました(笑)。率直な印象だと4点ですが、混乱した現場を仕切らざるをえなかったであろうジョン・フランケンハイマー監督の気苦労に思いを馳せて+1点、スタン・ウィンストンさん率いるメイクスタッフさん達への敬意を表して+1点、計6点とさせていただきます。  *【ドクター・モロ―の島:1977年】は、別途、レビューを投稿しています
[DVD(字幕)] 6点(2021-06-12 17:37:34)
100.  あらしのよるに 《ネタバレ》 
 【チリンの鈴】を投稿したら、その2日前に、当作品が投稿されていました。「確か【あらしの…】は【チリンの…】と違い、ヒツジでなくヤギだったけど、オオカミが絡む物語だった」と思い、皆さんのレビューを拝読させていただきました。  皆さんのレビューを拝読するまで、私は漠然と【ベストセラーの絵本のアニメ化。“対立や支配・被支配”の関係にある所属集団を“オオカミとヤギ”に置き換え、異なる立場の垣根を越えて育まれる友情の物語】と思っていました。しかしレビューの拝読で「え?同性愛を意図したお話なの?…メイをメスにして異性愛のお話にしたほうがシックリくる?そうなの?」と戸惑いました。  そこで「原点に帰って観賞しよう」と決意。絵本(講談社の大型版‐第1~7巻)を図書館でかりてから、DVDをレンタルしました。    まず、絵本を読んだ感想から。  【第1巻:あらしのよるに】は【①互いに異なる立場にあり、②同じフレーズに対して別々のイメージを抱いているにもかかわらず、③絶妙に会話が成立する面白さ】を軸にしたシチュエーション・コメディという印象。勿論、聞き手である子供達には「正体がばれて、ヤギさんが食べられたらどうしよう…」といったハラハラドキドキはあるでしょうが、少なくともこの時点では、奇妙な【友情もの】であっても【感動の物語】ではないな…と思いました。本来、この1巻だけで終わるはずだったとか…。  【第2巻:あるはれたひに】は、子供達には「食べちゃうの?/食べられちゃうの?」とハラハラドキドキの要素は増すでしょうが、ユーモラスな語り口はそのまま。これもシチュエーション・コメディの一種という印象。  【第3巻:くものきれまに】もコメディの印象。特に【ヤギの友人・タプが、去ったかと思ったら再び現れ、慌てふためくメイ】のシチュエーションの繰返しは、吉本新喜劇やドリフのようなドタバタ場面を連想しました。  しかし【第4巻:きりのなかで/第5巻:どしゃぶりのひに/第6巻:ふぶきのあした/第7巻:まんげつのよるに】は、シリアス路線へ…。しかも【性愛的】なニュアンスが目立ち始め、巻が進むほど【目を合わせる/濡れて冷たくなった身体に、温もりを感じた】【いつも一緒にいられることが楽しかった/二匹の心はもう一つになっていた/今夜は、あんたと、こんな綺麗な月が観られて最高の夜/ええ、ガブと一緒なら】【ああ、あの身体、あの歩き方、大好きな相手だから、すぐにわかる/もう、二度と、あの優しい眼でこの私を見てはくれない】…これらのフレーズ(絵本は仮名文字ですが、私なりに漢字に変換)は【恋愛もの】の常套句のような気がしました。さらに【これ以上、一緒にいたら、おいら、何をするかわからねえ/早くどっかに行ってくれ、おいらが我慢している間に…】も、好きな女の子の前で、性的衝動を抑えている健気な男の子のセリフでは?と思ってしまいました…ただ、少なくとも最後の【健気な男の子のセリフ】という感想は、私が【大人】だから連想するものであり【絵本が想定している読み手・聞き手である子供達】なら、このようには感じないでしょうが…。  最終的には、ストーリー以上に【当初の製作意図を越えた反響により、おそらく様々なプレッシャーにさいなまれながらも、足掛け11年間で見事に物語を完結させた、きむらゆういち先生の努力】に感動しました。   次に、アニメ版の感想は…絵本なら、読み手・聞き手による想像力によって補えるような【曖昧な面】も、映像作品となると具体的にきっちり描写しなければならず、杉井ギサブロー監督を始めとするスタッフの皆さんの多大な苦労が伝わってきました。  ただ、キャラクター達の容姿にしろ、声(性別)にしろ【作り手の一解釈として、具体的に既定せざるを得なかったこと】が、逆に、絵本ならではの【読み手・聞き手なりの自由なイメージや解釈の広がり】を奪ってしまったとも言えるかな…と思いました。そのあたりが、当サイトでの様々な批判的な意見につながっているのでは…という気がしています。   さて、採点ですが…杉井ギサブロー監督には申し訳ないですが「あくまで“一解釈”であって、絵本で読んだほうが…」という意味で、基本は「可もなく不可も無し」の5点。ただし、きむら先生・作の【あかちゃんのあそびえほんシリーズ:偕成社】で、一時期、個人的に大変お世話になったこともあり、先生への感謝を加味して6点とさせていただきます。  いずれにせよ、当アニメはファミリー映画であり、一人でも多くのお子さんが、観終わったとき「これからも友達と仲良くしよう」という気持ちが残れば、成功なんじゃないかな…と思います。   *備考:【チリンの鈴】は、別途、レビューを投稿しています。
[DVD(邦画)] 6点(2020-07-23 14:02:55)
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