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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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1321.  捜索者
西部劇ではずいぶん荒野の一軒家を見てきたはずだが、本作のファーストシーンで初めてその孤絶ぶりを感じた。戸を開けるともう荒々しい「外」がそこまで来ている。開拓者たちの心細さがひしひしと伝わるカット。だからこの映画でのコマンチは、単にインディアンというだけでなく、コヨーテや砂嵐や開拓者を脅かす新世界のあらゆるものを代表して存在しているんだろう。主人公たちの一行に、砂丘を並行して進むコマンチのシーンも、「開拓される側すべて」の警戒の象徴として彼らを見たほうが迫る。今までの騎兵隊ものではインディアンはただ駆除されるために存在していただけだが、本作では憎しみの対象になっている。そのためには悪玉を白人が演じなければならないところが、ハリウッドの限界だろうが、格上げされたことは確かだ(自分を妻と思い込むコマンチ女など、まだまだ差別描写は多い)。というわけで、これ異色西部劇としての価値はあろう。ただアメリカでの絶賛は分からない。今回で二回目の観賞で、前回より大きめの画面でその自然描写には堪能できたが、フォードの最大傑作というには躊躇させられる。初めて見たときの疑点(さらわれた姪への殺意にまで膨らむイーサンの執念の根拠とか)はそのまま残った。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-11-24 10:46:46)
1322.  夜の鼓
橋本忍の脚色臭がモロに出ている。『羅生門』を思わせるし、今井との組で考えれば『真昼の暗黒』、前半の冤罪もの風に進んでいくところ。こういうふうにストーリーを分解してみると、事件がリアリティを持ってくる。近松を跳び越えて、モデルとした事件に迫っていく感じ。金子信雄の悪役を除けば、わざとらしさがない。妻のほうから鼓師に寄っていくところが怖い。口封じという名目を得て、情動が高まってくるというか、生臭いものが感じられる。夫の帰国が遅れることがきっかけになる、なんてのもある。妻が自分から告白していくのは無茶に見えるが、留守をする夫への、またそういう体制への怨みが感じられ、そこが怖い。死を覚悟し本人はただただ詫びているのだろうが、やはり怨みが底にあるのではないか。ラストの仇討ちを、原作通りにみなでドカドカやったのは疑問。その滑稽さを描いたという感じでもなかった。殺したあとの呆然とした表情を捉えたかったのではあろう。社会派監督としては、憎む対象を上部に操作されている愚かしさを出したかったのだろうな。
[映画館(邦画)] 6点(2012-11-19 10:09:36)
1323.  インディアン・ランナー
冒頭の鹿狩りに黒味を挟んでみたり、バスケットボールと音響とで緊張上げていくとことか、なんかやってはいるんだが、全体としてはちょっと退屈したか。この兄は主役に座るようなキャラクターじゃないんだよね。生活すること・家庭を持つことを怖がるアウトローの話で、兄弟愛は副次的なものにするべきだった。ひげのないチャールズ・ブロンソンは別人のよう。悪魔のような役どころデニス・ホッパーは合ってる。少年の弟が出てきてピストルを構えるところを撮りたかったんだろう。父親の自殺を知らせるまで朝刊が来るのを待っている同僚なんかよかった。もっと絞れば佳作にはなったはず。
[映画館(字幕)] 6点(2012-11-15 09:52:53)
1324.  柔らかい殻
前半はよくある少年の妄想ものと眺め、「吸血鬼と謎の女の対比など少し理に落ちてる、シナリオはあまりキッチリさせずに、少しイメージがはみ出すぐらいの遊びがほしいところだ」などとブツブツ呟いていると、放射能がどうのこうので社会派タッチに流れそうになり、アレレと思っていると、作者がうまくまとめてやろうという気持ちを放棄したらしく、俄然イメージが奔り出す。友人が黒い自動車にさらわれるあたりからか。なんかこの少年が核兵器を含むすべての罪を内へ内へと引きこみ始めるような凄味が出てくる。目撃したことをなぜ喋らないのか、自分の妄想かもしれないから? そうやって外界の悪いことを全部引きこんでラストの慟哭に至るわけ。責任は僕には重過ぎる、という慟哭なのか。彼が喋らないのは、どこかで連中を分身と思っているところがあるからか。幻視かもしれないと判断して黙っていると考えても面白いか。などとあれこれこっちの判断も分裂気味になるが、それが楽しくもあった。弦にコーラスの音楽がやたら格調高い。
[映画館(字幕)] 6点(2012-11-13 09:41:37)
1325.  サラ・ムーンのミシシッピー・ワン
写真の世界では有名な人なんだそうで、そういえば日本でも浅井慎平さんが誘拐ものの映画『キッドナップ・ブルース』ってのを撮ってたけど、これも少女が心を病んだ人にさらわれちゃう話。カメラマンと被写体の関係に、そういうものに興味を惹かれる何かがあるのかとも思うが、まあ偶然でしょうな。自分の映像術に自信があるようで、そっちで見せていこうという映画らしく、あまりシナリオを練ったようには見えず、雨に森に水と、それぞれの場面は美しい。でもそれでは『シベールの日曜日』は生まれないわけで、いささか退屈だった。映画ってのは、カットとカットの間に生れてくるもんなんだなあ、とつくづく思った。ただこのころは本作も含めて「車に置いてきぼりにされかける人物」を続けて見ており(『愛を止めないで』『ピストルと少年』)、それにはなぜか映画ならではのスリルを感じるんだ。
[映画館(字幕)] 6点(2012-11-05 09:36:56)
1326.  モブスターズ/青春の群像
この手の映画が多かった時期で、やや食傷気味だったってこともあったかな、ちびの殺し屋がうろうろし出すあたりまではノレず(彼を生かしておいたのがあの頭脳明晰ユダヤ男の唯一のミスだったわけだ)。禁酒法時代のニューヨークというギャングの黄金時代。一応ユダヤ系とイタリア系のギャングの友情みたいのがベースになっている。それぞれのボスがA・クインとM・ガンボンで、とりわけガンボンの人を人とも思わぬ酷薄な表情が凄い。主役である若手四人が揃ってもかなわぬ。「仕事」をくれるボスを子どもに判断させるってのが面白い。
[映画館(字幕)] 6点(2012-11-03 09:50:36)
1327.  評決
正義を行なうチャンスとしての陪審制。たとえ汚れても正義に至る道は確実に用意されているはずだ、といういい意味での楽天主義。アメリカはどんなに自己否定しても、最後に「民主主義の国だぞ」という誇りだけは残る。気分によっては鼻持ちならないが、おおむね、拍手してやりたいぐらいいいと思う。あくまで植物人間にされてしまった人間の代理として闘い始めるわけ。組織に対して、こちらは手作りの味で勝負していく。でもラストはちょいと無茶だったか。コピーを無視するようにという裁判長の指示のくどさが裏目に出たってことでもあるんだろうが、ちょっと間違うと心証による判断ともなりかねず、詰めの甘さを感じた。この人、女性が絡むと弱くなるんだ。シャーロット・ランプリングは、いらなかったんじゃないか。『ネットワーク』のとき、フェイ・ダナウェイがいなけりゃなあ、と思ったのと同じで。
[映画館(字幕)] 6点(2012-10-25 09:48:40)
1328.  三人の名付親
中心になる話は悲惨なんだけど、それをユーモアでくるんでいる。銀行強盗三人が「ノンキな父さん」ふうの保安官ビー・スイートと出会う冒頭の語り口からして、笑い話・昔話のタッチ。もちろん荒野の追跡はフォード的活劇の世界が見られるが、そのあとの苦難の旅でも悲惨とユーモアが同居する。荒れ果てた土地でならず者らが銃を突きつけ合って喧嘩になると赤ん坊が泣き出し、ガラガラをふって何とかあやそうとする。銀行強盗と荒野の世界に、コンデンスミルクと育児書が同居するおかしさ。赤ん坊や病人など弱者を、しばしば帽子で陽をさえぎる優しさが、この悪党たちの本性が荒野の側より育児書の側の人間であることを伝えてくれていた。西部劇をそれほど見ているわけではないが、ほとんど屋外だけで展開するってのは珍しいのではないか。風景が雄弁で、斜面を巻き上げるような砂嵐が素晴らしい。ただこの話は小さいときから聖書の世界に親しんだ者向けで、細かな見立ての面白さを異教徒の私が味わえたかどうか。おそらく全編のトーンも、日曜学校で紙芝居を見せられているような雰囲気を狙っていたのではないか(あっちに紙芝居はないか)。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-10-24 10:20:40)
1329.  デリカテッセン 《ネタバレ》 
音が面白かった。ベッドのきしる音のギャグ、普通同じネタを二度やると駄目なんだけど、これは二度目も笑えた。ハワイアンでしたか、ベッドの修理のリズムとミュージカル的に合わせてた。亭主の奥さんと踊るのはチャチャチャ。この手の話には陽気なラテン音楽が似合う。それに対して水のイメージがある。カタツムリの部屋とか、ラストのタワーリングインフェルノ的洪水まで、そういう世界観。タイトル、ゴミの中から文字を順に拾っていくのがよろしい。裏返しの文字が鏡に映ってたりとか。個々の趣向は凝ってるんだけど、何か物足りないのは、話としてもっと住民とのカラミがあってもよかったんじゃないか。地底人は要らない。この建物のなかだけに絞ってくれてたほうが好みだ。この作者の狙いはカフカ的よりもルイス・キャロル的な、キジルシのお茶の会の世界だったのかな。だとするともっと無意味な具体物がほしかったところ。あのカタツムリのような。カフカとキャロルの間で、どっちつかずの宙ぶらりんに置かれてしまった感じもある。自殺願望マダムはあっさり事故死するかと思ったけど、それはナシ。
[映画館(字幕)] 6点(2012-10-23 10:17:25)
1330.  男はつらいよ 旅と女と寅次郎
今回の夢は大衆演劇風舞台。チンドン屋に「時代遅れ」だよと言われるのが、このシリーズのキーワードの一つ。次に、みんな「重し」を負って生きている、という中を寅がふわふわと飛んでくるところも重要。自由ということの不安定さ。運動会をめぐるシークエンス、「善意の無効」もポイント。「俺に何かできることはないか…ないなあ」という嘆きは、シリーズを通して流れている。「重し」のモチーフはラストの「暇はあるが金がない寅と金はあるが暇がないはるみ」の対比につながっている。そして「時代遅れ」の優しさが、はるみと知りつつ分からぬふりをしたかっこよさによって、肯定されていく。善意は直接の効果としては空振りに終わってしまうが、その気持ちはありがたい、というもので、精神至上主義というよりそういう心の風土をめでているのだろう。旅の部分は麦の穂のそよぎから凧揚げ合戦のあたり、沁みるような味わいが深まって、ますます枯淡の境地。後半、はるみがとらやに来る部分はオマケでしたな。ま、都はるみ使って歌わせなくちゃ失礼になるし。
[映画館(邦画)] 6点(2012-10-22 09:35:10)
1331.  超少女REIKO
いろいろ演出の工夫もあり、助監督上がりの初監督作品の気合いが感じられる(やがて彼はゴジラ担当となっていくが、ホラーのほうが向いてたよう)。ヒロインの登場シーン、影で見えなくして、浮き上がった鉛筆立てで顔隠し…と凝った状況下で炎のなかに玲子の文字が浮かぶ仕掛け。窓からの青い光がありさの顔を捉えるとか、図書館に亡霊が現われる唐突さもいい。けどパソコン少年の実家に現われたとこは惜しくも失敗。そもそも欧米ゾンビメイクはあんまり好きじゃなく、あれしないほうが怖かったな。家庭科室の小麦粉に線が引かれていくのもいい。一本が曲がってきて、それが複数になってって。降霊会のときの音、コツコツが盛んになってきて、テーブルが動き出す、そういった段取りが大事だ。ライトが動くと折り畳み椅子が弾けていって、その先にありさが立ってるの。ラストの対決は、文化祭のイベントを巡っていく律儀さ、壁押し潰しなど「童夢」を思い起こす。美術室の浮き上がるありさの脇にトルソが浮き上がってくる。初監督作で、やりたかったことをせっせとやってる感じに気合いが感じられた。「学校って意外とホラーね」なんてせりふもあり、「愛は力かもしれないけど、力は愛じゃないわ」と言うありさ嬢にウンウンとうなずいている私であった。
[映画館(邦画)] 6点(2012-10-20 09:32:39)
1332.  ワーロック(1959) 《ネタバレ》 
最初はいいの。ならず者に蹂躪されてる町ワーロックの人たちが、ちゃんとした保安官を雇えないかといった『七人の侍』的展開で、善悪のクッキリしたドラマが予想される。雇われるのがH・フォンダのクレイにA・クインのモーガンで、男臭が立ちこめる。ならず者がフレンチパレスにやってきて楽しげな音楽を奏でていたピアノ弾きが逃げ、音楽が消えた中をフォンダが階段を下りてくる緊張なんかがよく、ここらへんまでは大いに期待した。人物を立体的にしようと複雑な過去を投影してあるのが、どうだろう、ドラマを濁らせてしまってはいなかったか。R・ウィドマークは、悪漢側からイイモンに変わって物語上の主人公のようだが、その心の変化は彼の言葉だけに頼っていて(アパッチのふりして虐殺を行なったのに愛想が尽きた)、弱い。モーガンが一番屈折してるようなのだけど、これつまりホモ映画なのか。クレイを男にすることに生きがいを持ってる友だちと一応定義できるが(クレイだけが俺を人間扱いしてくれた、とか言ってた)、見る角度で同性愛ギリギリなんだな。クレイが結婚するってので拗ねちゃって撃ち合いに無理に持っていき、わざとのように的を外して自分は友に撃たれて死んでいく、ってなんか「ホモの純情」って話かとも見える。スッキリした活劇を期待してたとこに、そこらへんで余分な濁りが入ってしまう。最後のウィドマークとフォンダの対決(っぽい展開)も、両者の人物像が確定しきってないので盛り上がらず、映画のほうもそれを見越してか盛り上げないで終わっちゃう。でも、馬上の男が去り女が泣いて見送ると、西部劇を観終わったな、という気分はキチンと残った。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-10-17 09:47:58)
1333.  殺人課
音楽おさえめのドキュメントタッチの刑事もの。ザラリとした味わいは刑事という「職業」から来ているのだろう。最も他人とざらついた関係を持つ仕事。ザラリに対してドローンと粘ついた人間関係を思わせる「民族」ってものが次第に浮き上がってくる。ここに思わず吸い込まれかけるところが、本作の評価の分かれ目で、私はやや唐突に思われたが、迫害され煮詰められてきた血の歴史を考えると、こういう感じってあるのかなあ、とも思う。反ユダヤビラの気色悪さは相当なもの。冒頭の「恩返しになぜ悪が生まれたのか教えてやろう」というせりふが全編を貫いている。ちょっとちぐはぐなユーモアは、狙いなのか下手なのか。
[映画館(字幕)] 6点(2012-10-15 09:42:09)
1334.  花咲ける騎士道(1952)
前半は、ヨーロッパの活劇はおっとりしてるなあ、ってな感想で、もっぱらG・フィリップの美男子ぶりを眺めていた。煙突をくぐっても汚れ一つつかない完璧なハンサムぶりで、こういう完璧さをめでるのも映画の重要な要素ではあったな、とは思うものの、ずっと美男を見続けてても何かむなしく、といってロロブリジーダ嬢にはもひとつ身を乗り出すほどの魅力が感じられず(その愛されずとも愛を貫く女伊達のキャラクターはいいのだが)、もっぱら屋根の上での活劇に昔テレビで見ていた「快傑ゾロ」などを思い出し懐かしんでいた。でも後半、絞首刑からの救出あたりからノラされて、やたら馬が疾走する終盤で満足。アドリーヌ救出という個人的な追跡が映画冒頭の戦争に絡んでいくあたりワクワクした。強引な地下通路の設定なんかも、全体の「おっとり」と通じ合って素直に笑え、王のメンツも守る大団円はヨーロッパ式だなあと思わせられ、アメリカの活劇とはまた違う味わいを楽しめた。それにしてもこの邦題はズレてないか。原題にある「チューリップ」って言葉は残してほしかったな。この映画のおっとりとぼけた明朗さをよく象徴している花である。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-10-14 10:04:28)
1335.  日本橋(1956)
褪色のひどいフィルムで観たせいもあるかもしれないが、鏡花と市川さんのすれ違いばかりが感じられ、堪能とまではいかなかった。夜の橋の静かな雰囲気なんかいいんだけど。ウジを食べるとこなんかアップにする必要あったかな。女の意地の哀しさもので、教授がコロッと坊さんになったりして、こういうとこを乾いた笑いに持っていくのが市川さん得意なはずなんだが、これは苦笑い。市井ものにやや幻想味が交じるという、向いた題材なんだがなあ。いつもならフッと現実から遊離していくとこをしっかり捉えるのに、取り逃がして分解させちゃったって感じ。すると宙に浮いた部分が馬鹿馬鹿しく見えてしまう。
[映画館(邦画)] 6点(2012-10-10 10:23:06)
1336.  夢の降る街
昔のテレビドラマ「バス通り裏」の隣近所の感じをちょっと思い出した(古いね)。ヒロインの登場によって隣人関係が混み入ってきて、これがどう整理がついていくのか、という興味。彼女も加わって進むが、彼女はあくまで仕切り役というやり方もあっただろう。彼女が「正しい前向きの生き方」を示してそこここに小さな渦巻きを作っていっちゃうわけで、当然そういう予知能力と対立するのは科学=精神科医、彼のところにどんどん肉屋夫人に関する話が持ち込まれてノイローゼになっていく経過がある。画面の奥でお面をかぶっている患者。ソフトなロマンチックコメディだけど、ちょっと苦みもある。直感でこれと思った相手、本当に彼でいいんですかって疑いの部分をチクリと突ついてるみたいなところがあって。
[映画館(字幕)] 6点(2012-10-08 09:41:41)
1337.  やくざの墓場 くちなしの花
カメラが動きすぎる。人間の体全体を収めたいので、動き回って倒れるまでを画幅に合わせたいのだろうが、疲れる。むかしはもう少し節度がなかったか。作品のモチーフは居心地の悪さ、っていうようなことね。『仁義の墓場』と同じ不器用な人間の鬱屈。主人公に対して共感は湧かないが、不器用さに対する作者の思い入れは納得します。金子信雄の警察側と藤岡琢也のヤーサン側との宴会。主人公がそこに不快を感じるのは、何も腐敗に対する正義感ではなく、境目のない曖昧さに対する気持ちの悪さ・居心地の悪さなんだろう。だいたいやくざなんて社会の曖昧さが苦手でハッキリとした組織に付いたんだろうに、そこも社会の縮図で曖昧さが満ちていたって訳。だから善悪をハッキリさせてしまったラストは、ちょっとしぼむ。大島渚はけっこう長ぜりふだった。成田三樹夫を初めやくざ常連が警察側。けっきょくキャラクターとしては同じなんだ。
[映画館(邦画)] 6点(2012-10-02 10:31:45)
1338.  ハーレーダビッドソン&マルボロマン 《ネタバレ》 
1996年という5年後の近未来が舞台というのが面白い。仲間たちで銀行襲撃へと話が動き始めるまでが、ややカッタルイ。話が適度に省略されてるんだけど、それが特別テンポをよくするのに役立ってない。ミッキー・ロークが射撃がヘタクソで人質になってる仲間を撃っちゃうなんてのがあった。ドン・ジョンソンのボロ靴がラストで生きてくるのがいい。いつも親父の教えを守るってのもありました。全体アメリカの娯楽映画は、底に西部劇の匂いを残している。というか西部劇はいろいろに変わって生き続けてるってことか、馬をバイクに乗り換えて。走って逃げてる主人公を、悪人たちは無表情に歩いて追いかけてくるんだ。
[映画館(字幕)] 6点(2012-10-01 09:38:35)
1339.  この子を残して
かすかに黄色がかった色調。回想の懐かしさに、沈んだ落ち着きを与えて格調高い。長回しやゆっくりとした移動で、けっこうのどかだった戦時中の地方都市が丹念に描かれていく。この懐かしいのどかさを奪われたということが木下の怒りの原点だろうから、ここは大事。おそらく作者にとって一番思い入れが深かっただろう淡島千景の祖母を、後ろに控えさせて隠し味的にしている慎み深さもいい。この主人公にはさして共感湧かなかったが、米兵に黙って写真撮られるところなど良かった。しかし原爆映画はつくづく難しい。この大量殺戮兵器に対して、もう怒りとか憎しみとか普通の神経では計れないのだ。限度を越えた愚劣さに対しては哄笑で答えるしかないと思えてしまうのだが、それは無力な自嘲として終わってしまいがちなものでもある。そしてその無力感がまた原爆を育ててしまう。原爆が具体的に私たちの生活から何を奪っていったのかを、丁寧に想像する作品が作られねばならない。木下はそれをやろうとしたのだろう。ネックになるのが被爆シーンをどう撮るかだ。演出困難なのである。本作も木下としてはずいぶん思い切って汚れた画面を作ったと思うが、やはりちょっとしたガス爆発事故という感じ。遺体がまだ美しすぎる。記録写真にはある、人間の尊厳に対する陵辱が感じられない。フィクションで原爆映画を作る難しさはここなのだ。いくらむごたらしい遺体を造形できても、たぶん方向が違うんだろう。こしらえものが現実の歴史と拮抗する新たな地点を、劇映画作家はさらに探し続けなければならない。
[映画館(邦画)] 6点(2012-09-30 09:29:56)
1340.  チョウ・ユンファ/ゴールデン・ガイ
そういうジャンルがあるのかどうか知らないけど「大富豪の息子もの」。トントン会社の原色のセットなんか面白い。笑いとしては、即製のテーブルの下に「ここにいるべきではない人たち」がどんどん隠れていくあたり(マルクス兄弟?)。チョコマカ歩く金持ちのわがまま娘が、忘れたころにまた出てくるのも嬉しい。金持ちってのは、庶民になって安物の指輪を買わないと愛を表わせないらしい、面倒ね。うろちょろするジイヤってのも、大事な味付けだった。なんか「富豪の息子もの」ジャンルの基本が揃っていた。ユンファの笑顔ってのは、ほんと馬鹿と紙一重の人のよさが出ていて貴重。これ、監督はジョニー・トーだったのか。そういう眼でもう一度見直してみたい作品ではあるな。
[映画館(字幕)] 6点(2012-09-22 09:54:18)
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