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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1248
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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121.  この世界の(さらにいくつもの)片隅に 《ネタバレ》 
原作との関係ではいわば完全版ということになる。主に、前作でほとんど捨象されていたリンさんのエピソードを全面的に加え、夫婦それぞれの過去を見せることで対称性のある物語を再現している。今回はリンドウの青が色彩的に目について、すずさんのタンポポのイメージ(黄色)と対照的に感じられた。またすずさんも今回はより大人の女性としての姿を見せている(こんなにエロいとは思わなかった)。ちなみに、これだけ長尺でもまだ省略されているエピソードがある(ミヨセンセーノハゲアタマなど) 前作を含む映画版の特徴として、原作で読者の読み込みに任せていたところをわかりやすく示すということをしているが、ただこの新作版で伯父夫婦の語った周作の過去などは、適当に想像しておけば済むことなのでやりすぎだ。また原作に出た事物を別のところで出している例もあるが、「愛はいずこにも宿る」(「どこにでも宿る愛」)という言葉に関しては、個人的感覚では結果的に得られた感慨として扱うべきものであり、途中で安手の格言のように語らせたのは残念だ。 その他前作になかった点として、広島に救援活動に行った人々(伯父や知多さん)のその後の健康状態に触れた場面もあった。また「狸御殿」の様子(顔)をいかにもそれらしく描いていたのは笑った。  なお前作と共通だが、原作で終盤にあった「記憶の器」という言葉を、映画では「笑顔の容れ物」に変えていたのに今回気づいた。真意は多分同じと思うが、原作段階では亡くなった人々の記憶を背負って生きる義務を自ら課すという悲壮感のようなものも感じたのに対し、これを変えることで、亡き人々を暗い記憶の中に封じ込めるのでなく、あえてこの世に祝福されていた存在として記憶にとどめようとする意志が明瞭になっていた気がする。残った人々もこれからできる限りの笑顔で生きていこうとするのだろうし、エンディングで水玉模様の服を作る絵からもそのように信じることができた。 現実問題として、みんなが笑って暮らせるわけではないのは当然のことである。しかし時代や場所や境遇の差はあるにせよ、人というのは誰しも常に笑いを求めているのではないかという気もする。日常的な暮らしの中の笑いというのは、いわゆる普通の幸せの実体をなすものではないかという気もして、自分としてもそういうところをないがしろにしてはいないか、と反省されられた(態度を少し改めることにした)。今回は戦争と無関係に個人レベルのことだけ考えてしまったが、そこがこの物語の持つ力ということだ。 完全版とはいえ全面肯定でもないので満点にはしないが、ちなみにコミックレビューの方は10点にしてあるので、それが本来の点数である。
[ブルーレイ(邦画)] 9点(2021-01-02 10:26:08)(良:1票)
122.  夕凪の街 桜の国2018<TVM> 《ネタバレ》 
NHK広島が制作して2018/8/6に放送された特集ドラマで、現在はNHKオンデマンドで見られる。ちなみにタイトルバックの空撮では、手前に「この世界の片隅に」に出る江波山も映っている。 原作と比較すると、現代パートを2004年から2018年にずらしているのが最大の違いである。つまり「桜の国(二)」の出来事が2004年には起こらず、形を変えて2018年に起きたことになっている。主人公の石川七海は40過ぎ(独身)、また広島への同行者は弟の娘の石川風子という人物(高校生)になっており、昭和30年の皆実から姪の七海へ、そこからまた姪の風子へとつながる形を作ったらしい。風子という名前は、皮肉をいえば昔の記憶が風化してきたという意味かも知れないが、真面目にいえば凪のあとにまた新しい風が吹き始めたという感じを出している。なおその母親である東子さんは顔が出ないが、原作の出来事がなくても結婚できたようで、いまは看護師長だそうである。  全体構造としては「桜の国(二)」に相当する現代パートを軸にして、途中に「夕凪の街」をほとんど全部入れており、終わりの方で端折り気味ながら「桜の国(一)」も扱っている。2007年公開の実写映画で現代パートが不要とまで酷評された難点は改善され、一応それほど違和感なく全体を72分に収めた形になっている。 原作にない部分としては「桜の国(一)」の途中に、いわゆる「原爆スラム」に関するエピソードを加えている。これはストーリーの説得力を増す意味はあるようだが、ほかに何か世間的な配慮の必要でもあったのかと思った。一方で登場人物が東京へ帰らないまま終わり、原作で非常に印象的だった「決めたのだ」の場面はなく、そもそも桜は申し訳程度にしか出ない。 ただ全体的に、原作にある個別の場面や台詞はかなり生かしており、また西武鉄道とか西東京の病院とか、「…のだ」「それよか…」といった言葉づかいからも、原作読者に気を使っている様子は見える。ワンピースを作る場面では、原作の可愛らしい絵柄を再現できていたようで嬉しくなった。  物語の面では、やはり「夕凪の街」の印象が強くなっており、「桜の国」の方は主人公の心のわだかまりが曖昧なためそれほど感動的でもない。ただ高校生の姪が、墓地で故人の没年月日を見て「本当にあったことなんだね」と言ったのは、年長者には“今の若い者は…”と嘆かれるかも知れないが、自分が現地で実際に見てもそう思うかも知れないとは思った。世代も変わって記憶が途切れそうだったところを、若い人を含めてしっかり思いを受け継いだ話になっており、広島のNHKが8/6向けに現代の感覚で作る、という条件下では悪くないドラマだったかも知れない。 なお登場人物としては、皆実役の女優は2007年の映画より個人的に好きだ(アイドルっぽくはない)。また小芝風花さんの熱演場面は新作エピソードに置かれていたが、その後の「誰も来てんなかったね」の台詞もちゃんとあった。
[インターネット(邦画)] 7点(2021-01-02 10:26:05)
123.  花嵐の剣士~幕末を生きた女剣士・中澤琴~<TVM> 《ネタバレ》 
NHK・BSプレミアムで2017/1/14に放送したドラマである。現在はNHKオンデマンドで見られる。 主人公の中澤琴という人は幕末に剣士として活躍した実在の人物である。出身は上州(現在の群馬県沼田市)で、このドラマ製作の前年には地元で「お墓が建立されました」とのことである。剣も強いが長身で美形の“男装の麗人”的人物だったようで、ひところ言われた“歴女”好みのキャラクターということかも知れない。伝えられているとおり薩摩屋敷で踵を斬られる場面が入っており、また一生独身だったとされることの背景も何気に語られていたようだった。 この主人公が参加した「新徴組」というのは、京都の新撰組と並ぶ江戸の浪士組だというのは知っていたが、それをまともに取り上げたドラマは初めて見た気がする。鮮やかな紅色のかたばみ紋が見えたほか、「おまわりさん」の語源だったことにも触れられていた。  物語は、幕末に京都に集められた浪士組が後の新撰組と新徴組に分かれたところから始まる。主人公が兄とともに新徴組に加わり、江戸で活動してから戊辰戦争を経て上州へ帰郷するまでを扱っており、三田の薩摩屋敷への討ち入りが全体の山場になっている。なお開墾に従事する場面はない。 ドラマ的には、主人公が自分と剣とを切り離せない状態から、自分が何のために剣を生かすのかを悟る過程になっていたらしい。薩摩方が起こした騒乱で、庶民が泣かされるのを見かねて参戦したのは心正しい人物像の表現になっている。「剣は、いつかそれを捨て去る時のために使う」という台詞もあったが、少なくとも国内的にはそれが実現して終わったことになる。 なお浪士組を集めた清河八郎という人物のことは実はよく知らなかったが、「攘夷とは…暮らしだ…」という台詞からすると立派な人物だったらしい。攘夷というと過激なようでも、本意はそのように解されるということなら共感できる。その意図が兄を介して主人公に引き継がれたようで、それがまた上州に伝わる「法神流」にも通じるところがあったのかも知れない。  登場人物としては坂本龍馬なども顔が出ているが、沖田総司の兄に当たる人物も新徴組にいたとのことで重要人物の扱いになっている。主人公はきりっとして嫌味のないのが好印象で(少女時代から強そうだ)、「見とれてしまった」という台詞は意味不明だが少し笑わせた。ほかにも葭町の姐さんとか訳ありの女とか千葉道場の娘とか人物が多彩で楽しめる。終盤で出た甥の表情も面白かった。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-12-26 15:29:55)
124.  WAR OF THE SUN カウラ事件-太陽への脱出 《ネタバレ》 
カウラ事件とは太平洋戦争中の1944年8月に、オーストラリア国内の捕虜収容所から日本兵が大挙して脱走した事件である。この映画はその事件から始まるが、事件自体の描写というよりも、事件の場を借りた戦争と人間のドラマになっている。  映画の中心になるのは日本兵の田中マサルと、近隣に住むオーストラリア人の主人公の交流である。日本人が従軍したのは第二次世界大戦、オーストラリア人は第一次世界大戦という形でずらすことで敵味方の対立関係を弱めている。また残虐無比なはずの日本兵の田中が実は人を殺したことがなく(多分)、オーストラリア人の主人公の方がよほど人を殺してきたというのもいわば逆転の発想である。 物語は日豪の意識の違いを軸にして展開するが、まず問題になるのは“生きて捕虜になるな”という日本側の規律である。当時の人命軽視の姿勢が非難されるべきなのは間違いないが、しかしこれを“決死の覚悟で戦え”という意味に解すれば、豪側の“逃げずに最後まで戦え”とほとんど同列の戦時道徳であり、特に優劣を語るようなものではないようでもある。 また日本兵の田中が自決した者に敬意を払っていたのは、自ら死ぬことが本人にとってどれだけつらいかと思うからとのことだった。単に自分が死にたくないことの裏返しではあるが、それを他者にも敷衍することで、生命の重さをより強く感じていたとも解される。一方その田中が戦友の生命を断ったのは、本人の意向を受けて、相手の思いを自分の思いに優先させたからに違いない。あるいは単純に人を殺さない、または断固として延命させるといった普通一般の倫理規範を越えて、人としての尊厳を守ろうとしたのではなかったか。 これに対し、逃げられない主人公にとっての第一次大戦は今も終わっておらず、助けられなかった戦友や殺した敵兵の亡霊(幻影)に苦しめられ、怒りだけが生きる糧というのは戦争犠牲者の一つの姿といえる。そのほか故郷に身寄りがなかったらしい日本兵の山本は、自殺に理由を求めていただけの寂しい男ということになるかも知れないが、主人公の境遇(生き地獄)とどちらがましかは何ともいえない。  結果的にはよくわからないが、ここから何らかの確定的な結論を導くというよりも、日豪の人々がわかり合える接点を探るための映画なのかと思った。そうだとすれば、カウラの日本人墓地がその後に日豪交流の象徴的な場所になったことにふさわしい映画かも知れない。娯楽性は全くないが極めて真面目な映画のようだった。 ちなみに劇中の日本兵はオーストラリアで活動している日本人役者とのことで、日本語には全く問題がなく、逆に英語を話せるのが不自然だった。
[DVD(字幕)] 7点(2020-12-19 08:58:16)
125.  スターシップ9 《ネタバレ》 
製作国はスペインとコロンビアということになっている。役者はスペイン人だが撮影はコロンビアが中心らしい。 ジャンルとしては一応SFといえなくはなく、冒頭をALIEN(1979)風の映像にしてそれらしくみせている。背景設定としては近未来、地球の環境悪化で人類の存続が危うくなり、別の惑星に移民しようとしている状況が語られている。移住先は字幕によれば「GJ909」とのことだが、これが現実にあるGJ909とすれば惑星ではなく恒星ということになる(三重星系)。距離は35光年くらいらしく、一応は近傍の恒星という扱いではあるようだが、もっと近いところにないのかとは思った。 その恒星系に人類を移住させるため、10人の男女が実験体にされて人生を犠牲にするはずだったが、その1人だった主人公がたまたま出会ったエンジニアに助けられ、最後はかろうじて未来に希望をつなぐことができたということらしい。あるいは、たまたまでもなく初めから狙っていたところもあり、途中の波乱はあったが最終的には当初想定を上回る結果が得られたようでもある。感動するかどうかは別として、一応のハッピーエンドらしい結末にはなっていた。  しかし落胆要因として、どうせVFX満載の超大作などではないだろうと最初から思ってはいたものの、意外にも予想をさらに下回る小スケールのSF映画になっている。その点の不足を人間ドラマの充実でカバーしてもらえばよかったが、序盤で真相が明らかになってからも大した盛り上がりもないまま終わってしまう。変にアクションで見せようとする場面もあったが、場所柄のせいで麻薬組織の武装要員に追いかけられるだけのようでスリリングでもない。 個人的にはあまり褒める気にならない映画だったが、悪名高いコロンビアのメデジンという場所が見られたのは有益といえなくはない(首都ボゴタでの撮影もあったようだが)。また黒い眉が印象的な細身の主人公と、それなりの年齢だろうが艶めかしさを失わないカウンセラーの女性が目を引いたというところに少し点を入れておく。
[インターネット(字幕)] 5点(2020-12-12 08:26:46)
126.  テリファイド 《ネタバレ》 
場所はブエノスアイレスだそうだが都心ではなく南米風にも見えず、戸建てが並ぶ郊外の緑豊かな住宅地である。日本でいえば呪怨の家で、事故物件住みます中高年のようなことをやっている印象だった。若い女性は出ないので、そういう面での彩りはない。 ホラーとして特に独創的に見えるところはなく、怖さを突き詰めようとした感じもないがまあ悪くない。看板娘的な存在のはずの裸体のものは、見えたり見えなかったりする設定のためか意外に出番が少なかったが、少し離れたところから見えると言ったとたんに迫って来たのは、見たな~という感じで悪くない。物静かなゾンビ少年も悪くなかった。  出来事の原因に関しては、偉そうな博士が何か適当に説明していたが荒唐無稽で聞く気にならない。こんな説明ならなくていい。 それより個人的には初老の男の意見として、見なかったふりして放置するのがいい、と述べたところに共感した。しかしその男が後で目をやられていたのは、見ようとしないのなら目など不要だろう、という皮肉な意味だったかも知れない。また主人公らしき男が、見えていたものを見えなくした(隠した)ことを微妙な関係の女性に咎められていたが(連れ子は見たくないという意味?)、その後に一度逃げてからまた戻っていたのは、もう見えないふりをせず、正面から対決しようと決心したということか。 どうも見える/見えない、あるいは見る/見ないの対比にこだわった映画にも見えたが、少なくとも自分には意味不明瞭なまま終わってしまった。とりあえずヤバいものはやはり見ないことにするのが基本ではないかとは思うが、見ないでいると致命的な結果に至ることもあるとすれば一般論ではなかなか語れない。ちなみに怖いのが嫌ならこの映画は見なくていい。  全体としては、悪くないとはいえるが意味不明なところもあり、絶賛するほどではないが嫌いでもないので悪くない点にしておく。なおハリウッドでリメイクされる予定はどうなったか知らないが、それとは別にこれ自体の続編も準備中らしい。今作のラストから直接つながる形になるそうで、そういえば最初から続きを予感させる背景音楽のようではあった。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-11-28 08:52:07)
127.  トゥルース・オブ・ウォー 《ネタバレ》 
1982年のフォークランド紛争の映画で、原題の「神のみぞ知るアルゼンチン兵士」は無名戦士の墓碑に書かれた言葉を意味している。なお主人公は1963年生まれとのことで、現在なら50代後半になっている。 配給元は派手な戦争映画として宣伝したいようだが、戦争映画としての効用はほとんどない。シュペール・エタンダール攻撃機もエグゾセ対艦ミサイルも駆逐艦シェフィールドも見えず、アルゼンチン巡洋艦ヘネラル・ベルグラーノが撃沈されたことだけ言葉で説明している。少人数の陸軍兵が中心だが、変なところで無駄に発砲して無益な殺生をしているようにしか見えない。 後半は戦後の人間ドラマになり、復員兵の苦しみと遺族の憤りが描かれているが、最後は適当に納得してハッピーエンド風で切り上げるのが軽薄な印象を出している。なお全体として静かな雰囲気の映画だが、それは戦闘場面に金をかけられないのと、当時は国民自身が戦争を叫んで盛り上がっていたことを捨象したからだと思われる。  ところで当時の記憶は不正確だが、歴史的な主張はともかくこの時点では、アルゼンチン側が勝手な都合で一方的に侵略戦争をしかけたようにしか見えなかった。独裁政権の思惑に乗せられて、国民自身が嬉々として志願して負けて帰って傷ついたと泣いているなどアルゼンチン国民はバカではないか、というのが当時の率直な印象である。主人公が「独裁政権と同じ扱いにされてる」と嘆いていたが、自分としても全くそのように思っていた。違うのか。 この映画の立場では、昔のことは独裁政権のせいで国民は専ら被害者という扱いらしく、確かに意に反して従軍した人々がいたなら気の毒だ。しかし、遺族感情を慮って死者の名誉を回復するまではいいとしても、島をわがものにしない限り死者は浮かばれない、というように取れる台詞が入っていたのは共感できるものではない。こんなことを繰り返してはならないと訴えるより、彼らの死を無駄にしてはならない(次はもっとうまくやる)というようなものではないか。少なくとも日本でいう反戦映画では全くなく、逆に国民を新たな戦争に駆り立てかねない映画になっている。 結果的には2010年代以降、現地政府がこの問題を蒸し返そうとしている政治的な動きを反映した国策映画かと思った。植民地主義を糾弾する体なら何をやってもいいことにはならない。自分としては毅然と対応したイギリスの立場を今も支持している。
[DVD(字幕)] 2点(2020-11-28 08:52:05)
128.  大阪少女 《ネタバレ》 
監督は本来バイオレンス映画を得意とするとのことで、DVDでも過激な映像が含まれている旨のテロップが最初に出る。場所はいわゆるディープな大阪ということらしく、屋外映像では主に西成区が映っていたように見える。山王2丁目あたりとすれば飛田新地に近く、あいりん地区からも遠くない。 物語としては、現地社会に適応しながら成長してきた少女が、祖母に任された家賃の徴収業務と、それに関わって起きたちょっとした出来事(現地では普通にある?)を通じて、社会性と人間性を向上させた話らしい。中学に入ってから1年後とすれば中学2年生ということになる。  最初のうちは主人公の過激な言動が小気味よかったが、次第にこれはやりすぎではないかと思うようになる。「今日から暴力は卒業です」と言っておいて特に変化がないように見えたのは、そもそも何をもって暴力というかの基準が違うということか。ただ人間のクズでもなく滞納もしない相手には、暴言だけで暴行はしないというくらいの違いはあったらしい。 相手構わず凄味をきかせるやり方は、本人がどうみても「お嬢ちゃん」だから通用していただけのことで、相手によってはかなり危なっかしい場面もあり、最後は祖母の人脈と人徳で守られたことを本人も思い知ったと思われる。それでも最後まで口が悪いままだったのは、これが本人のいわばベースラインだったのかも知れない。現地では本当にこれで普通なのか。 ちなみに劇中描写が現地事情をそのまま反映していると思うわけでもないが、もしかすると昔気質の極道の気風(「ゼニカネだけで動いたらあかん」)を解しない外来後発の勢力が波乱要因になることはあるのかと思った。人でなし連中をいきなり埋却処分したのは正直笑った。  全体としてはそれほど大感動というようなものでもなかったが、ただし主人公が、あまりに人情味がなさすぎたかと気にしていたところで、いきなり取り返しのつかない事態になってしまい、さすがに少しこたえたようだったのは若干泣かせる場面になっている。 そのほか単純に面白かったのは、「妄想ノーベル文学賞受賞作家の妄想の娘」(役名)がポルノ小説家のところにも出たことだった。意味は不明だが、個人の妄想が実体化して独立的に活動し始めたということか。それなら「ポルノ小説家の妄想女性」も実体化させればいいだろうがと思った。
[DVD(邦画)] 6点(2020-11-07 08:56:55)(良:1票)
129.  はらはらなのか。 《ネタバレ》 
監督の酒井麻衣という人は、映画と音楽のコラボレーションによる映画祭「MOOSIC LAB」に出品した「いいにおいのする映画」(2015)で各賞を受賞して注目された人物らしい。ちなみに同じ音楽祭の出品作としては、個人的に加藤綾佳監督「おんなのこきらい」(2014)、松本花奈監督「脱脱脱脱17」(2016)を見たことがある。 この映画はその映画祭と関係ないらしいが、やはり映画×音楽のコラボ風のようで複数のミュージシャンが出演・演奏している。また物語の中心になる劇中劇は、実際にこの映画の主演女優が2015年に主演した演劇とのことだが、その舞台の演出家もこの映画に脚本協力するとともに本人役で出演している。ちなみに主演女優もいわば本人役ということになるらしい。  内容としては役者の道を目指す少女の物語になっており、ポスタービジュアルの印象ではコメディかと思うが実は笑えない真剣ドラマである。ただ突然始まるミュージカル風の場面はコミカルで、また主人公の見ている幻影を現実に紛れ込ませるのがファンタジックではある。 解説によると子役から俳優へ移行する過程の話だそうで、演技することの意味を主人公が悟るのと、母親の不在を満たすのが最後に重なる展開だったらしい。子どもの頃なら妄想や願望でしかなかったものを、仮想的に実現する場として演劇を位置付けるようになったということか。ほかに個人的感覚としては、役者になるための基礎条件として、本人が役者になると頭から決めてかかっている必要があることが表現されているかと思った。 見ている側は12歳の少女でも役者志望でもなく、共感しにくい題材だったのは仕方ないが、結構深みのある映画ではあった。なおラストの場面が「心で見たい世界」を舞台の上で見るという意味だとすれば、いきなり異次元世界に入り込んだ印象だったのはわかりにくかった。  キャストとしては、主演女優は満13歳になった直後くらいの撮影だったようで、最初は心許ないかと思ったが実はそうでもなく、主人公の心の変化を表現できていたようで感心した。また松井玲奈という人は大人のおねえさん役で惹かれたが、13年前の場面も13歳くらいらしく可愛く見える。ほか先輩役の吉田凜音という人は、「女子の事件は大抵、トイレで起こるのだ。」(2015)と似たような服装で出るのでまたこれかと思わされるが、まだ若いのに顔に迫力があるのは特徴的だった。ギターで歌う場面もある。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-11-07 08:56:52)
130.  ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像 《ネタバレ》 
この監督の映画は3作目になる。美術商の映画としては、ほかに邦画の「嘘八百」(2017)と「文福茶釜」(2018)を見たことがあるが(両方とも関西の話)、それほどの殺伐感はこの映画にはない。ネット上のレビューを見ても評判のいい映画のようだったが、個人的には残念ながら同じように感じられなかった。 まず、老人と孫が出るからには世代間継承がテーマかとは思ったが、自分としてはその孫が全く信用できなかった。才覚があって行動力もあってモバイル機器が使えるにしても、それだけでは日本でいう転売ヤーのようになるだけではないか。このガキに後を任せたところで、うまくやれば1千万円台で売れる資産をゲットしたとしか思わないだろうが。 また、せっかくキリスト教の救世主が真顔で何か言いたげな様子を見せておきながら、「個人よりも全体」という言葉が結末に生かされないのは落胆した。自分のためより家族(子孫)のためというだけでは、富を一族で独占しようとする富豪や権力者と同じではないか。美術商という前提はあったにせよ、私利私欲を越えた公の価値が美術品にあるという認識に最後まで至らなかったのは非常に残念だ。 要は、例えば公共の美術館に匿名で寄付すればよかったわけで、店じまいを機に主人公が商売人の立場を捨てて、優れた芸術作品を公共の財産にしたというなら最後の仕事にふさわしい。それが主人公最後の自己変革となり、またその姿を見せれば孫の人格向上にも役立ったはずだが、そのようにできないのが商売人の性という意味なのか、あるいはそもそもフィンランドには公の観念がないということなのか。 ほか個別の点として、終盤の殴り込みはやりすぎだ。また死去は唐突だったが、「ヤコブへの手紙」(2009)ほどの必然性は感じられなかった。  [2021/2/20変更] この監督の映画だから、この国の映画だから誠意をもって見なければ、と思っていたのが馬鹿らしくなってきたのでやめにした。半端な感動を提供する薄っぺらいドラマだというのが正直な感想だったと書いておく。あるいは女性を苦しめる時代錯誤の老人はさっさと世を去れというメッセージとすれば文句はいえない。何にせよ点数は落とす。
[DVD(字幕)] 3点(2020-10-31 08:55:07)
131.  アイロ 北欧ラップランドの小さなトナカイ 《ネタバレ》 
トナカイ映画である。場所はラップランドだが、国としてはフィンランドのほかノルウェーも出ていたようで(フィヨルドが見える)、季節によって国境を跨ぐ移動だったらしい。トナカイのほかにも周囲に住む各種の動物を見せている。 ポスタービジュアルが安っぽく見えるので期待していなかったが、本編は映像が圧倒的に美しい。四季の自然景観は当然として、特に生き物の動態が印象的に撮られている。トナカイの群れが歩くのと並行して撮った場面は、個人的には船団に付き添って飛ぶ航空機からの映像のように感じられた。またオオカミが走る場面は、低空で侵入する軍用機の編隊のようで恐ろしげに見えた。なお日本には野生のオオカミがいないわけなので、代わりに自分としては「もののけ姫」(1997)を思い出した(牙を見せていた)。  制作にあたっては、一年くらいかけて現地の野生動物を撮りまくってから切り貼りしたのだろうと思うが、細切れの映像をつないで動物の表情を出しているのは巧妙な編集に見えた。なお主人公の若いトナカイが最初から最後まで同じ個体だったかはわからない。 ナレーションを入れてドラマのようのものを作るのは、あまり人の感情に寄せるとウソっぽくなって見ていられなくなるが、この映画では他の動物との友情関係などは少しやり過ぎに見えたものの、動物の生態に沿った部分はそれほど違和感がない。ホッキョクギツネの若いオスがずっと配偶者が得られず焦っていたのは、個体数が減っていることの反映のようだった。 オオカミ以外に危ない相手だったのはクズリという奴で、木の上から獲物を狙うのは本来の習性らしい。悪役らしく邪悪な顔をしてみせる場面もあったが(こっちを見ていた)、直後にユーモラスな行動をしたりして、特定の動物を悪者にしない配慮をみせていた。ちなみにクズリは和名だが英名は「ウルヴァリン」のようで、手(前足)に生えている爪も見えた。 ほかレミングが2回くらい出ていたが、擬人化もされず単なる食い物扱いなのは哀れだった。また人間は姿が見えなかったが(そもそも人口希薄だろうが)その存在が若干の圧迫感を出しており、森林伐採?の場面では、機械の全貌が見えずに火星人が攻めて来たような印象を出していた。こういうのもうまく作っている。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-10-31 08:55:05)
132.  オリ・マキの人生で最も幸せな日 《ネタバレ》 
オリ・マキという言葉は人名には見えないが、「オッリ」と書けばフィンランド人風であり、実際に皆さんオッリと発音している。またマキはカウリスマキのマキである。個人的に知らなかったが実在のボクサーとのことで、劇中の試合後も実績を出して名を残しており、コッコラのパン屋(Kokkolan leipuri)というのも本当のニックネームらしい。 今どき白黒映画だったのは意味不明だが、そのせいか登場人物の顔が印象的な映画になっている。また子どもらの演出がけっこう面白かった(激突!)。ほか思ったのは、フィンランド人にとってはサウナが最強の減量方法らしいことである。湖のほとりに小屋を建てるのが本来の形と思われる。  劇中の試合が当時どれほど期待を集めたかはわからないが、この映画では国威発揚というよりビジネスの面が強調されている。記録映画とか長身モデルとかスポンサーの機嫌取りとかで本来のペースを乱されるのが問題なのかと思っていたが、そこで唐突に「恋をしてる」というのが前面に出たので何だこれはと思ってしまう。 彼女とは最初からそれなりの関係ができていたようなので、今はとりあえず試合に集中すればいいだろうがこのバカがと思ったが、どうやら主人公としては絶対譲れない優先順位があったらしい。一番大事なことをまず押さえ、次に周囲の環境を整えて準備に注力し、その上で当日やることをやれば負けて悔いても悪びれないようで、試合後の撮影場面で見せたのが本来の顔ということらしかった。打ちのめされたのは興行主であって主人公ではないということだ。 なお凧の場面は、集中状態での適度な息抜き方法を心得ていたということか、あるいはプロポーズの結果を受けた喜びが少しはみ出してしまったのか。  人物について、主人公役と婚約者役は本物と同じボスニア湾岸のコッコラ市出身の役者らしいが、それが最優先のキャスティングとも思えない。主人公は低身長で衒いのない人柄で嫌味がなく、また婚約者も痩身美形ではないが愛嬌があって人柄が顔に出ている。終盤のバスの場面では、この人物が主人公を全肯定して根底を支える存在であり、主人公が現場を抜け出したのも、そうすることにそれだけの価値があったことを納得させられた。ちなみにエンドクレジットには「Old happy couple in harbor/Olli and Raija Mäki」と書いてあった。 物語として面白いともいえないが、結果的にじわっと来るタイプの映画だった(かなり来た)。正直主人公が羨ましい。
[インターネット(字幕)] 8点(2020-10-31 08:55:02)
133.  人面魚 THE DEVIL FISH 《ネタバレ》 
今どき人面魚とは、日本の配給会社も適当な題名を付けるものだと思ったら原題からして人面魚だった。副題の「紅衣小女孩外傳」は「紅い服の少女」というホラーシリーズの「外伝」の意味らしい。この映画でシリーズ3作目のようだが、「紅い服の少女」自体は関係ないのでスピンオフと表現した記事もあった。なお「紅い服の少女」も「人面魚」も現地に実際にある話のようで、うち人面魚に関しては、この映画で見た限り「おいてけ堀」を思わせるものがあったが、ただし焼魚になってから怪をなすのは日本と違う。 基本的な筋立てとしては、かつて善なる神の「虎爺」が封印した大魔神が現代に蘇ったため、主人公の道士が虎爺の力で退治する話になっている。封印の時期を1669年と特定した意味は不明だが、これは鄭成功が台湾最初の漢人政権を建てた時期に、いわば鎮定の一環として土着の魔物を排除したということかも知れない。ちなみに虎爺は「フーイエ」と振り仮名がついているが、日本人としては「とらじい」としか読めない。  ホラー映画としては伝統的怪談、心霊、エクソシズム、アクション、CGでのモンスターバトルといった多彩な要素が含まれている。ストーリーも二本立てのようで、複雑というかまとまりのない印象もあるが、いろいろ盛りだくさんな豪華娯楽大作といえなくはない。 ドラマの面では、家族関係の描写でやや感動的なところがある。特に子が親を思う心情が強調されており、単なる男女の愛でもなく、家族の愛が最後に勝つというのは日本人としては新鮮に感じた。 キャストに関しては、小学生の母親役(徐若瑄/Vivian Hsu)はもうそれなりの年齢だろうが、どんな顔をしていても可愛さが隠せないようでもある。また道士の妻も、超絶美形でもないが個人的に惹かれるものがあり、ラストで美男美女夫婦が揃った場面は何とも眩しく見えた(羨望)。その息子を演じた幼い子役が、感情を懸命に抑えようとしていた演技は泣かせるものがあった。   [2023/5/6追記] シリーズの1・2を見たので補足。2から10年遡った前日談で、内容的には当然つながった形で作ってある。字幕で「魔神」と書かれていたのは1・2の「魔神仔」のことだったらしい。 初見時には全体構造がわかりにくかったが、今回のビビアン・スーは2のシングルマザーに当たる主人公、地下室の少年が「紅い服の少女」に相当し、人面魚は人面蛾に対応するものとして整理できる。また2と同様、主人公のドラマと並行する形で道教寺院の関係者が出るが、今回は魔神と戦う道士一家のドラマに重点が移ったようで、それで主人公のドラマと二本立てに見えたらしい。家族がテーマというのはシリーズ共通のようだった。また主人公に関わる屋内のホラー描写も1・2より手が込んでいる。 日本では3が最初に公開されたので仕方ないが、やはり本来は1・2・3の順に見るべきものだったらしい。結果的にはシリーズ中でこれが最も充実して見えたが、登場人物としても個人的には道士の妻が3作中で最も好きだ。メイリン(美玲)という名前も可愛い。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-10-10 08:58:05)
134.  黒人魚 《ネタバレ》 
邦題は読み方に困るが、原題は「ルサールカ、死者たちの湖」である。 ルサールカとはロシア限定というよりスラブ系民族に広く伝わる水の精だそうで、例えばドヴォルザーク作曲の歌劇「ルサルカ」はチェコを想定して作られたと思われる。その歌劇でのルサルカはアンデルセンの「人魚姫」のような役回りで、それが英題のmermaidや邦題の「人魚」につながっているが、基本はこの映画のような邪悪な存在と思われているようである。 水の精といっても大昔からいたトロールとか河童とかトトロのようなものとも限らず、死者が化けるものという考え方もあるらしい。この映画に関しては、1853年(ニコライ1世の時代、クリミア戦争開戦の年)に死んだ若い女性がその正体ということになっていた。ちなみに魚の格好はしていない。  そのような設定から、ファンタジーホラーというよりは心霊ホラーの印象が強くなっている。湖だけでは舞台が狭まるためか、広く“水”に関わる場所で活動する設定にしたようだが、水と無関係なドッキリもあったのは意外で笑わされた。また櫛や合わせ鏡はロシアでもオカルト的な意味づけがなされているのかどうか。 ホラー演出の面では、意外に邦画ホラーの感覚そのままで見られる映画になっている。まだ始まらないうちからの予兆や不吉感、音や人影で何かが来ている気配を感じさせるといった場面があり、また真相を知る老人を訪ねてから全ての発端になった場所に突撃し、渾身の策が成功したと思ったらそうでもなくて延長戦に入る、といった展開にも馴染みがある。終盤になると普通にモンスターホラーのようになり、映像効果が安っぽいとか弱点の設定が安易だとかいうこともあったが、全体的には少し前の邦画ホラーを真面目に作り直した感じで結構いい印象だった。 個別の場面としては、姉が弟にした思い出話はそれほど怖くはなかったが、今ではもうわけのわからなくなった昔の記憶としてはいい雰囲気を出している。エンドロールの水死者のイラストも素朴で和んだ。ちなみにヒロインは可愛い感じで結構好きだが、ルサールカももっと可愛い顔で出てくればいいがと思った。  [追記] 自分としては単純なホラーとしてしか見なかったが、他のレビューサイトを見ると(人数が多いので全部読んでいないが)人間ドラマの面で非常に参考になる投稿があった。そのように深読みもできる映画だということだ。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-10-03 08:29:13)
135.  ゆれる人魚 《ネタバレ》 
1980年代のワルシャワの話だそうで、ソビエト連邦を中心とした社会主義体制の終わりが近くなり、ポーランド社会にも大きな変化が生じていた時期のはずである。その時代設定にどういう意味があるかよくわからなかったが、ワルシャワは地味なようでもそれなりに華やかな都会に見え、かろうじてスターリン時代からある「文化科学宮殿」が社会主義の名残に見えた(今もあるが)。 劇中人魚に関しては、原語ではシレーナsyrenaと言っていたようだが、これは古代ギリシャのセイレーン(シレーヌ、サイレン)に由来するもので、もとからの生業である歌を生かして人間社会に入り込んだ形になっている。少女のように見せていながら序盤でいきなり全裸になったのは驚いたが、穴がないならボカシも必要ないわけだ(ヘソもなかった)。下半身が突然に巨大化するのはトーキョーグールのようでもあり、またお手軽な手術で他人と上下を交換するなどかなり適当な感じだが、そこはダークファンタジーだから突っ込むまでもないと思っておく。 なおワルシャワに来たのはヴィスワ川を遡ったのだろうが、海水魚と淡水魚の区別がないのかは疑問点として残った。肺呼吸だと関係ないのか。  全体的な印象としては、まずは人魚姉妹が蠱惑的で、躊躇なく裸体をさらすのに目を引かれる(魚だが)。また前半部分では歌とダンスで聞かせる/見せる場面が結構あり、唐突にミュージカルが始まるのも可笑しい。この調子で最後まで歌って踊って楽しくやってもらえばいいと思っていたが、結果的にはそうでもなかった。 後半になるとグロい場面も多少あり、それはダークファンタジーだからいいとしても、後になるほど陰惨な雰囲気で気分が落ち込んでいく。アンデルセンの「人魚姫」がベースとすれば悲劇で当然なわけだが、見る側として人魚連中に共感できるわけでもなく、ドラマ的に心を打つものがないまま終わったのは残念だった。 個別の点としては、短い効果音をいろいろ入れていたのが面白い。また男を誘惑した場面で焦点が一瞬緩むところは印象的だった。姉妹は違うタイプの人材を並べた形で、個人的には妹(ズウォータZłota)の方に目が行くが、牙を出すと顔の形が変わって見えるのは残念だった。人を食っても何していても人魚は可愛くなければならないのではないか。
[インターネット(字幕)] 5点(2020-10-03 08:29:10)(良:1票)
136.  ウィッチクラフト 黒魔術の追跡者 《ネタバレ》 
映画紹介の通り「黒魔術VS人身売買組織」である。 売春目的の人身売買組織と政治家・役人が結託しているという設定で、映画的な誇張があるのだろうと思ったら、現実にこういう根深い問題が存在するとの報道もあって全く洒落にならない。娯楽映画なので社会批判が主目的ではないのだろうが、逆にそれが常態化しているのを普通に背景にした映画のようでもある。 撮影場所はブエノスアイレスに近いサン・アントニオ・デ・アレコという小都市で、エンドロールに自治体のロゴが出ていた。市長が人身売買に加担する映画などによく協力したものだと思うが、逆に堂々と名前を出すことで、うちはそういう所ではないとアピールしていたのかも知れない(信用できないが)。当然ながらこういう映画ができているということは、アルゼンチン社会にも良心は存在するはずだと思っておく。  主人公は黒魔術の使い手ながら、あまりに弱く痛快な場面もないのは娯楽映画としては厳しいが、最後に知恵と気合いで乗り切ったのは立派というしかない。母の力にはどんな悪人も敵わないということだ。 周辺住民には忌避されていても、当人としては心優しく非情になり切れない人物だったようで、そこが最大の弱点だったのかも知れない。ヤギはともかく人は殺していなかったが、最後の炎上だけは女神様の許諾か勧奨があったのか、あるいは女神様が直接手を下したということか。いちいち代償を前払いするのが痛々しく、最後の捧げ物はかなり気の毒だったが、それでも娘(及び他の少女たち)を救えないよりはるかにましだという点で、持っていてよかった能力であることは間違いない。 なお想像だが、かつて主人公が流産しかけたのを救ったのは祖母だったかも知れない。  登場人物では、主人公はけっこう可愛気のあるおっ母さんで、女優は1974年生まれだが劇中設定としては30代と思われる(推定例:17+17=34)。魔女の乗物としては自転車を愛用しており、小汚い格好ばかりでなく、パーティーにはそれなりの服装(場違い?)で行っていたので世間並みを心掛けていたらしい。またその娘が魔術の力量を示すために母親に呪いをかけていたのは笑った。確かに携帯電話は不要だ。 ほか自宅の設えが魔女っぽいのはいい感じだった。ギター入りのテーマ曲も心に染みる。
[インターネット(字幕)] 7点(2020-09-26 09:27:43)
137.  ウィッチ 《ネタバレ》 
アメリカ開拓時代の最初期に当たる17世紀という設定で、場所はニューイングランドとのことだがマサチューセッツを想定していたらしい。なお撮影場所はカナダのオンタリオ州とのことである。 エンディングの説明によれば、各種の記録に基づいて古い時代の魔女像を再現しようとした映画ということになる。時代設定からすると、先住民の社会で伝えられてきた魔物にヨーロッパ人が初めて遭遇したというような話かと思ったら全くそうではなく、出るのはヨーロッパ風の魔女である。イングランドから最初の移民が来た時点で現地在住の魔女が既にいたというのも変なので、いわばキリスト教徒(清教徒)と魔女が一緒に渡来したようなものだったと思うしかない。 監督インタビューによれば、主人公のモデルはエリザベス・ナップ(Elizabeth Knapp)という実在の人物だそうである。思春期の少女が悪霊に憑かれた話とすればありきたりなようだが、あるいは「セイラム魔女裁判」(1692~1693)のような事件の背景を表現した映画かも知れない。個人的には「魔女」(1922)の各論編という印象だった。  全体的には陰鬱で不穏な雰囲気の中で神経に障る出来事が起きていく展開で、ホラーとしては地味だが悪くない。魔女が出る場面は多くないが、妖艶な美女とか単なるババア(裸)とか夜会に集まった連中(裸)とかがいたようである。 物語的には宗教色が強いようでよくわからない。要は厳格な宗教で抑圧されていた少女が解放?された話かも知れないが、その辺は個人的に共感するものではない。部外者なりにいわせてもらうと、教義のようなもので固めた世界観は危機にかえって脆いというように見えた。母親のように、一神教を現世利益的に捉えるのは無理がある。また父親に関しては、旧約聖書の「ヨブ記」のように神の試練に耐えようとしたものの、それより一番大事なのはやはり家族だ、と思ってしまったことで罰せられたという意味なのか。最後に薪の山が崩れたのは物悲しく見えた。 ほかに哀れなのが健気な弟だった。姉をそういう目で見るなとは思うが、彼が罪人というなら人類など全て死滅した方がいい。  出演者に関しては、主演は可憐で個性的な美少女だが、裸になると少し肉付きがよすぎるように見えた(後姿)のは意外だった。また悪魔に欺かれて地獄に堕ちた子役の演技が印象的だった。
[DVD(字幕)] 7点(2020-09-26 09:27:39)
138.  幽鬼<OV> 《ネタバレ》 
もとは「妖恋歌は一陣の風に」という題名だったとのことで、「幽鬼」よりはイメージが広がる名前だがますます意味不明である。ちなみにドラマCDも出ていたらしい。 映画としてはよくある安手のホラーだが、全体構成がかなり特徴的である。芸能事務所のタレント売り出し企画によくあるオムニバスホラーのようだが、実際はオカルト雑誌の投稿の再現映像を並べた形にして、そのうち一本が本筋につながっていくので純粋オムニバスではない。なお芸能事務所のタレントとしては、藤江れいな(主演、公開当時はNMB48)、溝口恵さん(吉川妹役、2017年「人狼ゲーム ラヴァーズ」出演)、笹丘明里(吉川姉役)といった人々がイトーカンパニー所属というのを確認した。 以下、一応オムニバスとして個別に書いておく。  【霧の中の死人憑き】 実体験として語られているが、壊れたものがいつの間にか直っていたとか半端な後日談など、単に投稿者が見た夢の話と思って間違いない。不採用で当然だが、ちなみに共時性の話とも取れる(ずれた正夢、過去との決別)。 【おまじない】 中2女子の投稿ということになっている。いたいけな少女が「殺す」などと不穏なようでいて、ほのぼの感も出ているので嫌いでない。早々にガセ認定されたので笑った。 【アパートの怪】 その辺のものが次々倒れる/崩れるよう仕込んであるのは可笑しい。投稿者がニヤリと笑うのは、創作小話ならともかく実話の映像化としてはウソくさく、後日談も取ってつけた感がある。結果的に不採用。 【蛇女の姉妹】 これが本筋。最初は再現映像だが、取材に行ってからの部分は劇中現実になる。投稿文で読んでいた時の人物イメージと、実際に会った時の印象が全く違う(演者も違う)のは面白い。よくある“田舎の怖い話”のパターンのようだが、劇中ではあくまで現実であり、東京まで被害が拡大するので怖がるべきである。なお蛇女(妹)の造形は「蛇女の脅怖」(1966年英)を真似ている。 【ひとり舞台】本編でなく特典映像。本筋とは無関係に、同じ出版社の他部署の社員が語るサイドストーリーになっている。言うほど怖い話でもなく、同僚に突っ込まれて終わり。  以上、よくある安手のホラーだが楽しいところもあり、またオカルトライターのお仕事映画も兼ねている。オカルトなめんな、という気概をもって頑張ってもらいたい。
[DVD(邦画)] 5点(2020-09-12 10:23:22)
139.  いつまでも一緒に 《ネタバレ》 
邦題に関して、「いつまでも一緒に」は原題そのままだが、Amazonプライムビデオではなぜか「息を止めて」に変えてある。 リトアニアの映画だが、いかにもそれらしい風景を見せるわけではなく、普通にヨーロッパの都市部の話になっている。場所はカウナスでないこと以外はわからないが、橋の上にいた母子の背景に映っていたのは首都ヴィルニュスにある大天使聖ラファエル教会のようだった。なお屋根の崩落事故は、隣国ラトビアで2013年に起きたものの映像を使ったらしい。  予想の通り娯楽性は皆無で、何が起こっているか説明もないので見るのがつらい映画だが、大まかにいえば主人公である女性の心理を中心に、家族関係の行き詰まりと打開?を描写した映画になっている。 最初は夫に振り回される妻子が気の毒に見えたが、実は妻の方がよほど周囲を振り回すタイプだったらしい。夫はまだしも歩み寄ろうとする様子が見えた一方、妻の方は終盤に大事件のようなものが立て続けに起こってやっと思い知らされたのだと思われる(多分)。しかし夫婦とも別に悪人というわけではなく、また題名からすれば家族の解体が予定されているわけでもない。今回の件で夫婦とも少し考え直すところはあっただろうが、今後は何より娘がまともに成長することが望まれる。 なお劇中では、妻が理想と考えていた家庭像が断片的にいろいろ見えていたが、特に強くこだわったのは家族が一緒の時間を作ることだったようで、その決まりを自分で破ったとたんにバチが当たったと思えばいいか。もしかすると現地のキリスト教(カトリックか)との関係もあるかも知れないがわからない。夫はロシア正教なのか無宗教だったのか。  余談として、家族同士で「こんにちは」と言うのは他人行儀でさすがに変だったが、ここで言っていたLabasというのはそれほど改まった言葉ではないようで、仕事仲間に軽く声をかけるのにも使っていたほか、家族同士の「ただいま」「おかえりなさい」という字幕のところもこの言葉だった。要は家族が無言になるのを避けるため、いわば家庭内のあいさつ運動として、とりあえず声をかけ合う決まりだったのかも知れない。 そのほか登場人物として、ソーシャルワーカーの人はしっかりした職業人かつ心優しい人物だったようで、リトアニア社会の全部が殺伐とした雰囲気でないことはわかった。警察と福祉の連携もできていたと思っていいかどうか。
[インターネット(字幕)] 6点(2020-09-05 08:26:47)
140.  ナイトメアは欲情する 《ネタバレ》 
リトアニア映画である。研究者が話す英語以外はリトアニア語だったのだろうから、変な医学の実験がリトアニアの医療機関で行われたという設定だったらしい。物語的には正直よくわからない話で、個別の出来事を一つひとつ解釈していくのは難しいが、わかりそうなところだけ適当につなぐと次のようになる。 【ここから解釈】 女性に関しては、当初ただ寝ていたところに主人公が来て、「眠れる森の美女」のように目覚めさせたのが運命の出会いになったらしい。しばらくは相手が誰かもわからないまま過ごしていたが、やがて薬の作用で前の男を思い出し、その男を主人公がちゃんと殺したことで、昏睡に至った現実をしっかり受け止めたと思われる。主人公の献身によって人の心を取り戻し、主人公を恋人として受け入れた上で、ちゃんと現実世界で目覚めてから死んでいったというハッピーエンドかも知れない。 主人公の男は何を考えていたのか不明だが、女性の死期が近いことは初めからわかっており、それまでの間に、劇中で実際にやったことをやろうとしていたと思われる。研究者としての立場も恋人も捨てて、女性の魂を救うことに賭けたということか。あるいは自分が現実世界で得られなかった、心が直接つながる恋人を得る体験をしたのかも知れない。 【ここまで解釈】  ところで予告通りエロい場面は多少あったが(ボカシだらけだ)、観客が見るだけなのは当然として、もしかして主人公の男も性欲が亢進するばかりで充足していなかったのか(実験中に放出するとまずいので?)。物理的な行為を伴わない精神世界の性愛だったのかも知れないが、女性としてはこれで満足だったのかどうか。 またその精神世界の映像は結構面白い。女性の家は木材を積み上げた/崩れたような建物(障子窓のようなものがある)で、アートっぽい風景の中に変なグロいものが生成されているのがファンタジックな印象だった。また泳いでいる自覚はあるが周囲は見えていないとか、車で走っていた道がいつの間にか劇場の階段になり、その劇場で何を見たかはわからないがとにかく彼女と一緒にいた、といった、いかにも夢に出そうなことをまともに映像化していたのはよかった。 個人的には特に共感できたわけでもないが、妙な邦題からイメージされる軽薄なエロ映画では全くないので、少しいい点を付けておかなければ済まない。
[DVD(字幕)] 7点(2020-09-05 08:26:45)
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