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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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1881.  夜明け前(1953)
映画としてうまい作品ではなかったが、主題はクッキリと出た。インテリと革命との関係、その幻滅。百姓に「地主のおまえ様に本当のことを言うと思ってただかね」と言われるの。みずから荷役に出ても、足手まといになってしまう。それが自己満足だと自分で分かってしまうインテリの苦悩。日本文学はこうした、大衆になれないインテリを好んで凝視してきたが、大衆芸術と言われる映画も、最初は職人仕事だったのがだんだんインテリの領分になってしまい、同じ苦悩を文学をなぞりながら語り出す。「みんな俺を気違いと思ってくれるか」と淋しく笑う半蔵のあたり、滝沢修の見せどころ。滝沢が23歳の役をやってるときに、北林谷栄はもう村のばあさん役で、陽気に木曽節を踊っていた。
[映画館(邦画)] 6点(2008-12-11 12:09:37)
1882.  かつて、ノルマンディーで 《ネタバレ》 
この映画の成り立ちはけっこう複雑で、順を追って言うと、まず19世紀の昔にノルマンディーの農村で若者が家族を殺す事件が起こる→それを題材にしてミシェル・フーコーが本を書く→それを原作として30年前に、その事件の地元の人たちを使って映画が作られる→そのとき助監督だったニコラが、映画に登場した人たちを21世紀の現在再訪する、ってのがこの映画。振り返るメイキング映画というか、30年前の後始末映画というか。で、どういう作品になるのかというと、最初の殺人事件と、映画を製作するという田舎にとっての30年前の事件とが、奇妙な反復感によって重なって見えてくる。30年前に過去の文献を調べていた当時の製作者、その30年前の映画製作関連の文献資料を読んでいくこの映画の製作者、似たような手書きの文章の画面が反復され、鏡と鏡を合わせたように、人が芸術を創造し続けてきたそのつながりが一瞬垣間見えたような感動があった。元しろうと役者たちへのインタビューは、もっぱら明るい陽光のなかで楽しく語られるが、なかには娘が発狂したもの、動脈瘤の破裂で言葉が不自由になったもの、という歳月の影の部分もあり、そういうインタビューは室内になっている。行方不明になった主演男優がどうしているか、という謎が作品としての緊張になっていて、ついに彼が登場し人々と再会する場が、雨のせいもあり、変にドラマチックにならず、しっとりしていていい。
[DVD(字幕)] 6点(2008-12-09 12:17:18)
1883.  とんかつ大将 《ネタバレ》 
タイトルが活字でサッパリと出て、無音のままキャスティングも過ぎ、唐突にブレーキの音が轟く、というニクい導入。でも話の軸は、病院の悪徳弁護士と町医者との対立で、善悪が恥ずかしいぐらいにきれいに割り切れている。なにしろ病院を増築してキャバレーにするっていうんだから。そしてグレてた高橋貞二は佐野周二の説得ですぐ警察に自首し、徳大寺伸も子どもを手術で救われていい人に戻り、岡惚れしてる飲み屋の女将は津島恵子のために身をひく。実は財界の御曹司だった、ってあたりはもうついていけなかった。迫り来る火事の中での手術がポイントで、これで浄化され、悪徳弁護士は退散、盲目少女の目は見え、不良高橋は真人間になって戻ってくる、という大団円である。御都合主義もここまで来ると、いっそいさぎよく爽快である。
[映画館(邦画)] 6点(2008-12-07 12:13:20)
1884.  銀座二十四帖 《ネタバレ》 
まず多摩川の新田銀座というところから始めて、花の出荷で本家の銀座へ導くシャレた入り。堀がどんどん埋め立てられているころの変貌期銀座の記録にもなっている。森繁による社会学的ナレーションが面白い。そごうが建築中だったり、怪しい裏町がありまだヒロポンを売ってたりする。ここらへん戦後を引き摺っている(そもそも満洲時代に描かれた絵の作者探しというところで戦争とつながっている)が、明るいネオンはやがてくる60年代の予兆であり、そのネオンをバックに悪の支配者が死んでいくってのは、まさに55年という40年代と60年代の中間点らしい話だ。あふれるばかりの登場人物にちょっとアルトマンの味もある。
[映画館(邦画)] 6点(2008-12-03 12:09:04)
1885.  菊次郎の夏 《ネタバレ》 
この人は「母」よりも「男たちの遊び集団」にひかれてる。母のテーマを終えた後でも、ダラダラと男たちだけで遊び続ける。ヤクザや草野球も同じで、なんか暇そうな男たちの集団だった。監督はこういうのが好きなんだな、と思う。子どもに競輪を占わせるとこや、盲人のふりをして車を止めようとするとこなど、コント的に面白いところはあるが、どうも一本の作品として好きになれないのは、この人の映画では「自分らの集団」以外には迷惑をかけても平気ってとこがあって、小市民の私にはそこらへんがけっこう引っかかってしまうのだ。長距離トラックの運転手に無礼な口をきき撥ねつけられたからって、フロントガラス割ったり棒切れで殴ったりしなくてもいいであろう、彼は少なくとも労働してるんだぜ、と変に倫理的に見てしまう。いちおう後でやくざに殴られるからチャラになるという考えなのかな。
[映画館(邦画)] 6点(2008-11-30 12:03:11)(良:1票)
1886.  母べえ 《ネタバレ》 
浅野忠信がいい。どんな役でもこなしてきた人だが、でもだいたい何か複雑さを秘めて、一緒にいると気が休まらなさそうな人物が多かった。今回はその正反対の、一緒にいると気が休まりそうな人物で、それに合わせて演技の質感そのものも変えてしまっている。今まではヴァイオリンでいろんな曲を奏でてきたが、今回はヒョイとクラリネットに持ち替えて吹き出したような。愛を秘めたインテリって「寅」でもいろいろ出てきたし、その前の『愛の讃歌』の有島一郎など繰り返し描かれた無法松型モチーフで、監督が一番感情移入しやすいタイプなのだろう。「寅」のヒロシにも通じている。鶴瓶に「かなりデリカシーを欠いた発言でしたね」なんていうセリフ、どこかでヒロシが寅に言ってなかったか。で作品だが、正論を言えない時代のつらさを描くのに、「嫌な世の中になりましたな」といった正論発言で話を進めていくところがあって困る。相互監視社会の息苦しさは、ハナっから悪役の特高より、その相互監視する庶民の描写を徹底することでしか描けない。描写もあるが、ときどきはいるナマなセリフが、描写を説明で打ち消してしまう。かえって差し入れの本の書き込みを黙々と消しゴムで消す作業のあたりに時代を一番感じた。ラストは母べえの持続していた無念を言いたかったのはよく分かるのだが、それが愁嘆場のせいで取って付けた印象になってしまい、かえって最期の言葉を淡々とナレーションだけで伝えたほうが、ザックリ迫ったのではないかなあ。山田監督作品では、エンディングで時代を飛ばし、それがどうもうまく着地できないものが多い。コミカルな一挿話と思わせた山ちゃんのアップアップが、あとで厳粛に反復されるあたりのシナリオ構成は、ほんとにうまいのだけど。
[DVD(邦画)] 6点(2008-11-28 12:23:14)(良:1票)
1887.  ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 《ネタバレ》 
資本の論理と宗教の倫理がアメリカの二本の柱で、それが狂ったのが現在の状況、ってことを言ってる話なら納得できるけど、もひとつ焦点が分からない映画だった。主人公と狂信家、たしかにどちらも個性の強いキャラクターだが、モンスターって言うほどではなく、なんか二流なんだな。主人公も財を成したけど、けっきょく最後に勝ち残るのは、あのレストランで隣のテーブルにいたような都会的で垢抜けた連中のほうでしょ。宗教屋のほうも、財の蓄積に失敗して滅んでいく。どちらもコツコツやる庶民を最初から呑んでかかってくヤリ手なんだけど、モンスターとして抜きんでていくだけの力量はなかった。ニセの息子を作っても、ニセの弟に騙されてしまう。家族を求めても、うつろなシンメトリーが際立つ家だけが残る。それとも、私たちは二流だったというアメリカの反省の映画なのかな。よくわかんない。この監督の才能、アルトマンもどきのときも半信半疑だった、なんかありそうなんだけど、まだ私はつかみきれない。弦楽器のみの音楽(ときにバルトークのような、ときに湯浅譲二のような)はいい。
[DVD(字幕)] 6点(2008-11-22 12:08:43)
1888.  暗黒街の美女
これが清順初のワイド画面作品だそうだ。題名の“美女”というのは、ほかに出ないところをみると白木マリのことらしい。ときどき人物が奇妙な姿勢をとるのが、この監督らしさ。うずくまるとか、木にしがみつくとか。部屋の中央に張られた幕をペーパーナイフで切り裂き、そのまましゃがむ。こういった部屋の分割ってのも好みらしく、ラストのほうでは二部屋を見渡すカットあり。一方で芦田伸介、一方で高品格と白木マリ。あの幕は風呂場のガラスにも通じていくか。腕に“クラブ”や“スペード”のいれずみをして“ダイヤ”を奪い合うという洒落。
[映画館(邦画)] 6点(2008-11-06 12:09:23)
1889.  大番 《ネタバレ》 
昭和32年だと、まだ日本橋をはじめ戦前の昭和を描くドラマのロケが簡単にできたんだ。『男はつらいよ』以前の帝釈天の映像も見られる。宇和島の村の様子なども今では貴重な映像資料なんじゃないか。映画の原点て記録なんだ、とあらためて思う。・特別出演の原節子は、ほんとにラスト近くにちょっと歌舞伎座に姿を現わすだけなんだけど、ずっと主人公の憧れの人として、我々が抱いている原節子のイメージが全編に渡って生かされている。『地獄の黙示録』のM・ブランドが、ラストに出るだけで全体に存在感を示していたのと同じ。特別出演とはこうでなくてはいけない。・加東大介が歌舞伎で泣くシーン、彼がかつて歌舞伎界から追われた俳優であることを思うと、初主演作のこの映画で、しかも成金となった役どころでこういう場面があることに、ある種の感慨が湧いた。そういった雑多な感想の湧く、上京の汽車で始まり帰京の汽車で終わる映画。全四部作の一作目。
[映画館(邦画)] 6点(2008-11-04 12:12:35)
1890.  その名にちなんで 《ネタバレ》 
人が異文化に溶け込んでいくさまを、ビーカーの水にたらしたインクが拡がっていくのを観察するように見つめていく映画。アメリカに渡ってもベンガル人だけのつきあいで閉じていた母の世代。でも子の世代になると、金髪娘とつきあい、親の決めたベンガル生まれの妻の心はフランス人に流れ、妹はアメリカ人と結婚、とゆっくり拡散していく。アメリカの寒さに震えた親の世代に対し、子の世代はインドの暑さがこたえる。アメリカ‐インドを両極とする軸に、もうひとつロシア人作家の名が絡んでくるところが膨らみになっていて、血でなく精神の受け渡しが描かれる。自分のアイデンティティを、血や土地と関係のないよその国の昔の作家に求めてもいいんじゃないか、と思えば、なんとなく気持ちもほぐれていく。見ている間は、ちょっと話があちこちしてダラダラしてるかな、という印象だったが、終わってみれば、言うべきことを言い尽くしていたのかも知れない。
[DVD(字幕)] 6点(2008-11-03 12:12:27)
1891.  日本誕生
なんか吉例顔見世興行って感じで、キャスティングだけでもうワクワクさせる。こういうオールスターキャストの華やかさってのも映画興行には大事な要素だったと思うんだけど、無くなってしまったなあ。かえってテレビの大河ドラマにその残滓を見ることができる。タジカラオに朝潮を持ってくるようなサプライズも大事。ヤオヨロズの神々に、金語楼、エノケン、のり平、加東大介、小林桂樹だぜ。アマテラスの原節子は貫禄。ヤマトタケルは三船で哀れさに欠けるが、まあこの時代の東宝なら彼だろう(5年ズレてたら加山雄三になった!?)。製作サイドとしては時代の復古調への媚びの意味合いも持たせていたかも知れないが、そういう政治臭は感じられなく仕上がっている。すぐ群舞がはいるのも東宝の味わい。ヤマタノオロチのあたりは完全に怪獣映画のノリで、音楽も伊福部昭だ。ラストの天変地異は、なかなかの迫力である。フィルムセンターで上映された124分の短縮版での鑑賞、ちょうどよい長さであった。
[映画館(邦画)] 6点(2008-11-02 12:14:09)
1892.  once ダブリンの街角で 《ネタバレ》 
ミュージカルは至って好きなのだけど、普通の劇映画の中で登場人物が歌いだすとイライラさせられる。ここらへん微妙なのだが、なにか私の中で一線が引かれているらしい。ミュージカルは、その日常を歌によって何か別のものに更新してしまうのに、ストーリーの中に組み込まれた歌のシーンはそうなってくれず、人が気持ち良さそうに歌ってるのをこちらはただ傍観し、手持ちぶさたに歌い終わるのを待ってる気分になってしまう。というわけでちょっとその点はつらい映画でした。人生の一コマとしての男女の出会いと別れのスケッチとしては後味がいいし、主人公のお父さんもいいし、70年代っぽい手持ちカメラの効果も概ね良かったと思う(ただ5拍子の歌を録音しているときの、録音技師がしだいに気を引いていく演出は臭く、わざわざ手持ちカメラでリアルにやってる効果を削ぐ)。もうとっくに女が結婚しているって分かったと思ってたら、後の方で主人公が知って驚いてたのには驚いた。なんか重要なポイントを見落としてたのかなあ。
[DVD(字幕)] 6点(2008-10-30 12:12:57)(良:1票)
1893.  明治天皇と日露大戦争 《ネタバレ》 
新右翼の鈴木邦男によると、右翼の全国大会の時には、中島貞夫の『日本暗殺秘録』かこの映画がよく上映されるそうだ。盛り上がるんだろうなあ。敗戦後抑えられていた戦前の気分が爆発したような映画。負け戦の映画ばっかり作られていた50年代に、勝ち戦で景気をつけた作品で、ついでに共産ソ連の前身の国に勝った戦争ってのも右翼には嬉しいだろう。戦前の“伝説”をそのまま画にしていく。広瀬中佐は「杉野!」と叫び、天皇はもったいなくも大御心を悩まし粗末な食事をとり、乃木将軍は二子を失いながらも毅然として幾多の無駄な戦死の責めを免ぜられる。水師営の会見ではそのまま歌が流れ、日本海海戦では軍艦マーチが高鳴る。御製の詩吟まで付く。不潔感のないうるわしい戦争のイメージが延々と綴られていく。思えばこの映画の出自はけっこう複雑なのだ。戦後の右旋回の時期に、昭和前期に流布していた明治の戦争の説話を再現した作品なわけ。明治の戦争の記録としてでなく、昭和の屈折した精神史として、なかなか面白い記録になっている。こういう説話が昭和の戦争の時にもっぱら語られていた、ということを映像で再体験できる。馬鹿馬鹿しいと一方で思いつつも、時代がこの甘美さに満ちていたら、ちょっとフラッと行くかもなあ、と思わせるところもあった。これからも右傾化するだろう未来に備え、こんなの見て免疫つけといたほうがいいかも知れない。
[映画館(邦画)] 6点(2008-10-28 12:20:43)
1894.  クアトロ・ディアス 《ネタバレ》 
いかにも中産階級の坊っちゃんたちの革命ごっこのように始まる。射撃訓練など、部活のノリ。しかし抽象的だった“敵”がしだいに具体的となっていくにつれ、彼らも闘士の顔になっていく。一番ヤワそうなのが、筋金入りの革命家に憧れていくのもいい、話としてはさして発展してないが。周囲も描けていて、拷問者も単なるサディストではなく、そのことによって心にうつろを抱えていたりする。大使も、恐怖で失禁しトイレでさめざめと泣くシーンなどいい。どれも人間らしい人間なのに、政治がからむことで非情になっていく世界。「けっきょく君たちは軍事政権の対極のようでいて、よく似ている」って言葉が重い。
[映画館(字幕)] 6点(2008-10-27 12:05:21)
1895.  あの娘と自転車に乗って
東洋風の顔立ちで西洋風の髪の少女、それがごく自然に風景に溶け込んでいるキルギスタンの物語。じゅうたんや水に浮かぶお守り(?)や鳥などが、パッとカラーになる。この効果がいい。なにか土地の霊のようなものを刻印しているものに色が着いているような。まあ、カラーフィルム代の節約ってこともあるかもしれないけど。じゅうたんを巻いて何かしている、中に詰めて何かを作ってるのか洗ってるのか、そういう何かよく分からないとこが多いのだけど、分からなくっても、ただ風俗を見てるだけでけっこう楽しい。野の川での魚の追い出しとか、生活が自然と無理なく融合している。清水宏の世界みたい。ラストはカラーのあやとり、これは万国共通。
[映画館(字幕)] 6点(2008-10-23 12:10:03)
1896.  あんにょんキムチ
21歳にして韓国の血に目覚めた監督、「だからそれが何なのよ」と言う妹、「ま、韓国って、暗いやな」とつぶやく父親、この三者のズレのおかしさ。ナレーションを妹にさせたのが正解で、自身を対象化し、映画をキチキチに息苦しくさせなかった。一世の祖父像が、伯母などへのインタビューを通して、複雑になっていくところがドキュメンタリーとしての面白さ。墓には日本名前を刻まさせ、正月の儀式は断固韓国風、とその複雑さが一世が生きてきたナマナマしさのあかしなのだろう。死に目に眠くて会いに行かなかった監督に「哲明のバカヤロー」と言って死んでいった祖父、その記憶が映画の原点。おそらくかつての差別がひどかった頃だったらもっと輪郭のキリリとした社会に向けたドキュメンタリーになっただろうが、現代では自分の心の違和感に向かっていく。その分、ドキュメンタリーとしての切実さは薄れた。なんで旅行の時もうちの一族はわざわざキムチを持参するんだ? というような、内向きのボンヤリした違和感を軸にした新しいドキュメンタリー。「あんたキムチ撮ってんの?」と親戚のオバサンに呆れられても、カメラをキムチに向けていく。
[映画館(邦画)] 6点(2008-10-21 12:12:04)
1897.  河童のクゥと夏休み 《ネタバレ》 
前半は『小鹿物語』『E.T.』の路線で、まあそうだろな、という方向に進んでいく。クゥの語り口が、なんとなく渡世人を思わせるので(「おめえさまたちにゃ世話になった」)任侠路線的に進んでも面白いのじゃないか、と思っていると、一家がマスコミに振り回され出し、おっ、一宿一飯の恩義で暴れ出すぞ、と期待高まり、怒りによって烏を爆殺し、さあいよいよ大魔神に変身か、空は曇りだし竜神は舞い、…しかしそれまでであった。かわいいクゥはかわいいままで保護され続けるのであった。自然はあくまで危険のないものなのであった。物足りない。どうもドラマとしても展開に雑なところが散見され、すぐに家族共有の秘密になってしまったり、手紙一枚で箱詰めにして送っちゃったり、ギクシャク。それでいてコンビニの店員との視線のドラマはていねいに描き込んでいる。なんか惜しい。まあ“オッサン”のシーンでは嗚咽してしまったけどね。
[DVD(邦画)] 6点(2008-10-13 12:18:45)(良:1票)
1898.  ストレイト・ストーリー
自分の力で兄に会いに行く、ということが主人公にとっては重要で、それも「会う」よりも「行く」の方がより重要みたい。そのマッスグさ。このトラクターの遅さがよくて、一度カメラが空を仰いで戻ってきても、さして進んでいない。妊娠娘や自転車青年など若い人も出てくるが、老人の述懐を引き出すだけの役割り、この映画に出てくる他者は老人の対立物にはならない。この監督にしては意外と定型に収まってしまう。兄のもとへ向かうという熱が、もう少し彼に混乱を起こさせてもいいような気もするが、つまりこれが老いというものだ、と言っているのか。一週間に一度鹿を轢いてしまう女性のあたり、ちょっとリンチ臭が立ち込めかけた。
[映画館(字幕)] 6点(2008-10-12 12:08:21)
1899.  セキ☆ララ
民族のアイデンティティの不安なんて、本当に現在切実なテーマだろうか(と言ってしまってから、こちらの認識不足で傲慢な発言になっているかも知れぬ、という心配がつきまとうのだけど、とにかく言わせて)。たとえば仕事一筋の人間が、会社の倒産で味わうアイデンティティの危機のほうが、現在ではキツいような気がする。ヤクザやカルト宗教の信者など強固な集団に属したがる人が跡を絶たないってことは、アイデンティティの不安はもう十分世の中に瀰漫し、多様化してるってことだろう。そりゃ在日の人たちは税金払ってて選挙権がないとか、もっといろいろ日常生活でも問題はあるだろうし、それを無視する気はないが、なんか問題設定が先走っていて、カメラが後追いしているような気がした。ルーツ探索という設定、AV嬢の故郷への旅、あるいは中華街、あるいは一世の父が一階で眠る二世AV男優の部屋と、アイデンティティのよりどころを最初から方向づけしてしまっている。もちろんそれらを裏切って、あっけらかんとしている彼らの表情も、カメラは捉えているのだけど。現代が踏み込んでいるのは、アイデンティティという故郷を蹴飛ばして、自由を優先する結果生まれた都市の時代だ。その反動の民族主義も勃興しているが、もう歴史はこういう方向に進むしか道はないと思う。なんて力む種類の映画じゃないんだけどね。この作品で一番良かったのは、尾道の昼の盛り場の閑散とした光景、蹴飛ばされた故郷の、老いた親のようなたたずまいが、けっこうジーンときた。
[DVD(邦画)] 6点(2008-10-11 12:19:08)(良:1票)
1900.  洗濯機は俺にまかせろ 《ネタバレ》 
東京の商店街は西の練馬や中野にもあるのに、とかく東部が映画の舞台になりがちなのは、きっと土手があるからに違いない。葛飾区と言っても、寅さんの江戸川のほうではなく、荒川のほう。大売り出しの回覧板がまわってくる密度の高さがある一方、ちょっと行方不明になれる土手がある。土手はサックスの練習場にもなる。土手があるだけで、話も風景も広がりやすい。青春もの。洗濯機という機械自体、何か内側でウンウン唸っていて、時に煙を出したりして、青春っぽい、やや夢薄れて中古になったり。冨田靖子が酔っ払って帰ってきて、寝っころがって「牛乳、牛乳」とリズム付けて繰り返すとこと、菅井きんが「ここでポックリいけたらいいんですけどね」と言ったあと静かになってしまうとこが好き。
[映画館(邦画)] 6点(2008-10-06 12:10:02)
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