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1.  残菊物語(1939) 《ネタバレ》 
何度目かの再見で、新たに気づかされるのは音響に対する作り手の意識の高さとその達成である音の豊かさ。 長門洋平氏の著作『映画音響論』での詳細な分析とユニークで斬新な解釈に触発されて見返したわけだが、 フレーム外から聞こえる物売りや行商人の掛け声、囃子など、その対比としての沈黙の用法・タイミングまでよく考え抜かれているのがよくわかる。  まるでヒロインの表情を見せまいとするようなフレームサイズ、構図、陰影。加藤幹郎氏を始めとして散々指摘されてきたことではあるが その分、森赫子の済んだ声音はより際立って美しい。  長門氏によるラストシーンの解釈に全面的に首肯するわけではないが、冒頭シーンとの対照という意味でも、「ありうべかざるものを、 ありうべきものとして」描いたとするそのユニークな解釈はとても興味深い指摘である。  十分に分析されつくしたかに見えても、さらなる味わいと解釈を許容する傑作の奥深さを思い知らされる。
[ブルーレイ(邦画)] 10点(2016-07-06 23:59:20)
2.  周遊する蒸気船
アン・シャーリーを連れ戻しに来た男たちを、「甥の嫁は渡さん。」と撃退し、 粗末な身なりの彼女に妹の形見のドレスをプレゼントするウィル・ロジャース。  口の悪い彼に反発していた彼女も、その一件を境にいっぺんに彼を大好きに なってしまう。  彼の右頬にキスし、もらったドレスを大事そうに抱きかかえる彼女の仕草の 何と可憐なことか。  その心変わりを大いに納得させる彼女の素直な瞳が美しい。  絞首刑判決となり護送されるジョン・マクガイアとの別れの際、 駅の丸柱に寄り掛かって悲しむ 彼女の左手の薬指にはめられた指輪をさりげなく映し出すカメラは、 その表情以上に彼女の心情を語る。  偉人の蝋人形を窯にくべていく、といったアナーキーな賑やかさの一方で ヒロインの心情を繊細に演出する細部の気遣いが尚のこと光る。  文句のない傑作だが、ダン・フォードの『ジョン・フォード伝』によると、 就任間もないダリル・ザナックが、すでに完成していた本作の「編集にハサミ を入れてテンポを速め、野放図な所作が見受けられるギャグシーンのあれこれ を切り捨てた」らしい。  確かに映画は展開が早く、グリフィス的救出と大団円後の 後日談などはわずかに2ショットだ。 現在の主流シネコン映画とは真逆の潔く鮮やかな〆具合の現行版も悪くないが、 本来のいわゆる「ディレクターズ・カット版」はどんなものだったのか。 興味はつきない。  「脇道にそれたり、道草を食って筋に関係ない何かに焦点を合せたり、そんな 類のことを軽くやるのが好きだった」(ナナリー・ジョンソン) それがJ・フォード作品の魅力なのだから。   
[DVD(字幕)] 10点(2014-09-06 15:33:49)
3.  十字路の夜
闇夜のカーチェイスが迫真だったジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』や 『最後の切り札』。そのノワールなアクションの原型が、ここにある。 なるほど、ベッケルは『十字路の夜』の制作主任兼助監督だったのだ。  ヘッドライトに照らされた夜の街路が、荒々しい前進移動によって生々しく 流れていく。さらに、運転席からの拳銃の発泡が閃光を放ち、緊迫感を煽る。  尋問シーンに幾度か挟まれるコップの水のショット、排水口のショット。 そして霧雨のそぼ降る泥濘んだ街路の質感は、『水の作家』によるトーキー初期作品 らしく、流水や足音の湿った音響によって一層強調される。 自身の初トーキーに水洗トイレ音を響かせたルノワールらしい拘りだ。  胸の傷をピエール・ルノワールに見せるヴィナ・ヴィンフリードの艶めかしさも堪らない。     
[インターネット(字幕)] 10点(2013-11-17 01:08:57)
4.  陽気な中尉さん
予想した展開を軽やかに裏切りつつ、納得のハッピーエンディングに収めてしまうシンプルな脚本の良さもさることながら、ストーリーそのものよりもその軽妙洒脱な映画的組み立て方こそがルビッチ作品の魅力だ。  時間経過を記す冒頭のランプや、王女の衣装の変化を簡潔に表すオーヴァーラップのスマートさ。 ミュージカルでありながら、屋敷内の会話を窓外から捉えたサイレントの1ショットの挿入によってアクセントをつけドラマに引き込んでいくテクニックの鮮やかさ。  階段の登り降りやドアの開閉が存分に駆使され、映画に様々なリズムを刻む。  そして、二人の女優の引き立て方が断然素晴らしい。  クローデット・コルベールと、ミリアム・ホプキンスが互いにビンタし合う後半の対決シーンからの流れは、特に二人の魅力が存分に引き出されている。  ハンカチーフを介して共感し、共にピアノを弾きデュエットし合う二人。  王女にファッションを指南すると、振り返ることなく別れを告げ去っていくコルベールの後姿のショット。  セクシーに変身したミリアム・ホプキンスが煙草をふかしながら艶やかにピアノ演奏し、モーリス・シュバリエに視線を投げるショット。  最高にカッコいい。 
[DVD(字幕)] 10点(2012-04-16 21:19:55)
5.  君と別れて
サイレントだが、割れる酒瓶・波打つ岩場・空き缶蹴りといった音を意識させるショットに溢れている。  蓄音機からの音楽に合わせて乱痴気騒ぎをしている部屋と、別室での静かな乱闘のカットバックも効果的に決まっている。  若い二人の乗る列車の揺れはゆるやかなリズムを感じさせ、波間に被さる字幕の音感は、昂ぶる情緒を一段とかきたてる。 それから、前半に登場する橋や、照菊(水久保澄子)の故郷である港町の坂の情景がそれぞれ素晴らしい。  絶妙の高低感を醸すカメラアングルで捉えられた段々の斜面。 その坂道の途中ですれ違う人々(ヨーヨーに夢中になる大人、ままごと遊びに興じる子供たち、子守りに勤しむ娘、花嫁など等)の点描も風俗描写に留まることなく画面を豊かに彩る。  そして要であるヒロインの健気な魅力。 橋の場面で見せる水久保澄子の振り向きと真っ直ぐな眼差しがひたすら美しい。  いつか『チョコレートガール』を見れることを祈る。
[CS・衛星(邦画)] 10点(2010-04-13 20:36:50)
6.  リリオム 《ネタバレ》 
自殺者として天国で裁きを受けるリリオム(シャルル・ボワイエ)。 彼が生前に妻ジュリー(マドレーヌ・オズレ―)を殴ったときの記録映像が 証拠として映し出される。  ドイツから亡命したフリッツ・ラングがフランスで撮ったファンタジー作品で、 表現主義的要素などは希薄だが、劇中のシーンが証拠映像として用いられるといった 趣向が「裁き」の主題系と共に渡米後の作品との繋がりも感じさせて面白い。  回転木馬上で出会う二人の、花一輪を巡る手のやりとりから、 リリオムがナイフを自分の胸に突き刺した瞬間、自分の胸に手をやるジュリーの手の動き、 そして運び込まれた瀕死の彼の手を優しく撫でる彼女の手の動きと、 相手への想いを語る手のアクションが全編通じてとても豊かだ。  ルノワ―ルが担当した音楽は、遊園地での陽気な歌の部分だろうか。  仲間だったリリオムの死を悼んで、その遊園地の面々が黙祷を捧げる静かなシーンや、 死んだ彼が夜空を昇天していく幻想的な特撮シーン、 ラストの二人の表情も美しい。  
[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-09-24 05:38:32)
7.  モダン・タイムス 《ネタバレ》 
映画のラスト。朝の「太陽を背に受け」、チャップリンとポーレット・ゴダードが画面手前に向かって歩き出す。 続くショットは、「太陽に向かって」一本道を歩いていく二人の後ろ姿となる。  前作『街の灯』のラストの切り返しショットにおける「バラの位置」の不整合と共に、様々に解釈される本作の終幕のモンタージュである。 完全主義のチャップリンの編集であり、共に重要なラストショットなのだから、 凡ミスであるわけは当然ない。  吉村英夫著『チャップリンを観る』では、『街の灯』での不整合を「ハッピーエンドとアンハッピーエンドの両義性」を暗示するものとして、また『モダン・タイムス』での不整合は「朝陽(=希望)に向かう二人」を表象するため不自然を承知でモンタージュさせたものと考察している。  また、江藤文夫著『チャップリンの仕事』ではラストの太陽光は実際は夕陽であり、時間を朝から夕方に一気に飛躍させた繋ぎによって、延々と続く二人の道行きの果てしなさを暗示するとしている。  いずれにしても、それらはショットの「含意」に関しての解釈である。  確かに、冒頭では「白い羊の群れ(=工場労働者)の中に一頭混じった黒い羊(チャップリン)」という意味を担った象徴的なショットも持ち込まれ、作品としてのメッセージ性も強い。 そして、次の『独裁者』ではさらに映画のメッセージ性が強まり、地球儀の風船と戯れる独裁者の図といった寓意の強度もまた際立ってくることとなる。  本来ならば、そうした「意味」よりもまず1ショットにおける具象の美を優先したものとみるべきではある。  つまり『街の灯』の切り返しショットにおいて白バラの位置が変わるのは、まずもってバージニア・チェリルの表情を最も引き立てる構図を創り出すためであり、『モダン・タイムス』のそれは、朝陽であろうが夕陽であろうが、とにかく二人が互いに手をとり明るい光に向かって歩きゆく後ろ姿と影が黒いシルエットとして一体化した画、その映画美こそが何よりの要件であったからと思いたい。  が、上のような解釈がそれなりの妥当性を帯びるのも、チャップリンの純粋な活劇に次第にメッセージ性が浸食していく時期のものであるからだ。  ともあれ、多様な解釈を可能にしているのも作品の豊かさの証しである。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2012-05-03 21:42:50)
8.  戦ふ兵隊
戦意高揚を目論む「撮らせる側」に対する「撮らされる側」の精一杯の抵抗と反骨が画面に滲む。  巧妙なレトリックで多義性を担保した字幕によって検閲を欺こうするも、やはり画面と被写体は作り手の思い入れや真情を如実に浮かび上がらせてしまう。  家を焼かれ、項垂れる中国農民。道端に残され、臥していく1頭の病馬。疲労し切った兵卒の眼差し。夜の野営地に寂しく響く驢馬の鳴き声。  明らかにやらせとわかる最前線の中隊本部の描写がふるっている。約10分間のフルショット・ロングテイク。同時録音らしい生々しさを醸しながら、どこか間の抜けた滑稽さをも纏う。  亀井監督の本作での演出意図に関する考察は、佐藤忠男の「日本映画の巨匠たちⅡ」などに詳しいが、付け加えるとするなら本作における行軍の構図取りもまた確信的なものだろう。  南京から漢口へと西進する日本軍がアニメーションの矢印で地図の左手方向に伸びるように示されるが、実際の行軍の画面は逆に右手方向へ向かうようにフレーミングされたものが多い。  田坂具隆監督の『土と兵隊』などが、一貫して左手方向への進軍となるよう画面作りしているのとは対照的だ。  ショットによっては、右方向へ行軍していた列が、(曲がり道のため)画面手前で左手に反転するかに見えるものもある。  これもまた日本軍の大陸での「左往右往」を文字通りに皮肉ったものと云えなくもない。  作中には、「(家に)帰りたい」と語る中国人捕虜のショットと字幕も登場するが、これが日本軍兵士の本心を暗に代弁させたものとするなら、この行軍のショットが示す方向性もまた、兵士たちの内なる思いを慮ったゆえのものだろう。     
[ビデオ(邦画)] 9点(2012-04-22 23:09:59)
9.  
オリジナル140分に対し、現存するのは巻頭・巻末部分を欠いた92分のフィルム。  ロングテイク主体でありショット数は250弱だが、その全てが素晴らしい。  出稼ぎにいく娘たちのシルエットが丘の稜線に小さく消えていくロングショットの美。 波打つ稲穂の揺れが拡がっていく緩やかな移動撮影。 斜面が活きた独特の農地の中を人物が走行するキアロスタミ的なジグザグ運動。 囃子のリズムに重なりながら、天秤棒を担いで水を運ぶ父娘を捉えるトラックバックの映画性。 風見章子が愛しげに掬い上げる精白米に注がれる光の眩さ。 そして、石臼や足踏み式脱穀機の生み出す土着的なリズム。  山本嘉一が座る囲炉裏端を捉えた屋内真上からの構図だけで醸し出されるただならない雰囲気。果たして傍の藁に引火し、一気に火の手が上がり家屋が炎に包まれる中を老人と子供が必死に這い逃れる姿を追う迫真のショットの苛烈な様。  各ショットの映画的充実ぶりは挙げ出せば限がないが、それは殊更な風俗描写や技巧の披歴ではなく、あくまで俳優と風土の素朴な佇まいと素朴な語り口の融合によってもたらされているものであり、生活風景の中のさりげない台詞ひとつひとつが人物描写として映画に厚みを出している。  フィルムの欠損と原作通りの徹底した茨城言葉の録音は、却って物語よりも言葉の意味よりも、映像と音の響きそれ自体の充実をより際立たせてくれており、作品の素晴らしさを損なうものではない。  
[ビデオ(邦画)] 9点(2012-03-17 20:20:58)
10.  怪人マブゼ博士(1933)
ドイツ公開バージョン。 怪しげな工場内を移動していくファーストショットと、そこに響く重い振動音からして尋常でない緊張感が画面を充たしている。  その序盤シーンをはじめ、窓やドアといった装置がその開閉だけでもサスペンス演出としてバラエティ豊かに機能しており、米独通じての空間・装置活用の傑出ぶりを見せ付ける。  多重露光によって浮かび上がるマブゼ博士(ルドルフ・クライン=ロッゲ)の禍々しい幻影と、その憑依表現の見事さ。  全篇にわたって画面に退廃的ムードを漂わせる煙草の紫煙。水流と火炎と投光機のライトによるスペクタクル。ヘッドライトに照らされる路面や木々の流れが素晴らしい、夜のカーチェイスのスピード感覚と、屋内・屋外含めて画面の装飾は凝りに凝っている。  「閉じたドア・カーテン」が仄めかす背後空間と、実体なき音声による煽動、そして暗く見通しの悪い夜の一本道を猛進する縦構図の疾走アクションに、時代の空気を読みたくもなる。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-08-21 14:42:07)
11.  ランジュ氏の犯罪 《ネタバレ》 
オープニングタイトル文字の背景ともなる中庭の石畳。その中庭空間を自由奔放に移動しながら多くの登場人物たちを活き活きと映し出していくジャン・バシュレのカメラが素晴らしい。屋内シーンなら窓外、屋外シーンならば窓内と、一つの画面の中には二つ以上の空間が常にあって重層的で豊かな世界を作り出す。出版社社長バタラ(ジュール・ベリー)と愛人(シルヴィア・バタイユ)の別れを列車の中から捉えたショットや、足を事故で骨折した青年が寝ている窓辺に、通りを挟んだ向かい側の窓から同僚に支えられて恋人がやってくるショット等が特に印象深い。特に後者などは暖かい陽光の感覚と、二人が寄り添う窓枠に座った犬がまた良い味を出していて幸福感は格別だ。続く自転車のシーンの開放的なロケーション撮影も清新な感覚に溢れている。そして本作品でのカメラワークの極め付けは、ランジュ氏(ルネ・ルフェーブル)が神父姿のバタラを追って階下に下っていくのを屋外から追う下降移動と戸口からのさらなるパンニングのショット。抜群の照明処理とも相俟って、観る側も息詰まる圧巻の場面である。寒風の吹く砂浜を男女が行くラストの切返しが暖かい印象を残す。
[DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2010-07-12 21:34:42)
12.  光に叛く者
ウォルター・ヒューストン扮する刑務所長の着任する場面と、仲間を裏切った密告者をボリス・カーロフが処刑する間に囚人たちが看守らの気を引きつける場面で、囚人たちが示威の喚声を上げるその響きが強烈に禍々しい。トーキー初期の音声の用法としても、相当なインパクトを持っただろう。主人公の青年を苛む製麻工場の単調労働の様や、新所長へに向ける憎悪の表情、密告者を暗殺するための「2.15」の暗号を連鎖させていく囚人たちの場面で用いられるオーヴァー・ラップも非常に視覚効果が高く、音声効果と共に緊迫感を煽る。特に、新任の刑務所長が彼に恨みを持つ囚人たちの間を堂々と進む場面、および2時09分から発動する暗殺シーンの数分間が圧巻。両場面共に、囚人たちの威嚇的な叫び声のみが所内中に響く中、抜群のショット連鎖で緊張感を高めている。役者も好演。ウォルター・ヒューストンも、フィリップス・ホームスも適役で、所長の娘役コンスタンス・カミングスも非常に初々しい。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-12-26 21:36:59)
13.  牝犬(1930)
『坊やに下剤を』に続く、ルノワールのトーキー第二作。ここでも夜の街路に響く靴音、酒場の喧騒、音楽、時計の時報など、聴覚を意識した演出が駆使されている。同時録音によって掬い取られた屋外実景の生活音と、さらに縦移動まで組み込んだ動的な撮影の効果もあって、生き生きした映画空間が形作られている。物語上もっとも緊張度の高まるクライマックスの場面は、撮影・録音・編集技術的にも圧巻というべき見せ場だ。特徴的なパンフォーカス。ミシェル・シモンとジャニー・マレーズの二者が相対する緊迫感。ナイフのショット。修羅場となる瞬間、不意に窓外の位置に切り替わるカメラ。アパート下での対位的なシャンソンの歌声。牧歌的な人だかりから静かに上昇するカメラの緊張感。再び、窓越しに捉えた部屋内のショット。その一連のショット繋ぎが非常に絶妙である。ラストは『素晴らしき放浪者』の予告ともいえようか。同じ原作でも、F・ラングによるノワール風のリメイク『スカーレット・ストリート』(これも傑作。)とは趣が異なり、悲喜劇の混交具合にいかにもルノワールらしい大らかさが顕れている。それぞれの映画作家の個性が楽しめるのは、原作の豊かさにもよるのだろう。
[DVD(字幕)] 9点(2009-09-27 20:04:30)
14.  まごころ(1939)
題材とも合致した、鈴木博の本領といえる軟らかな画調が滋味深い。  少女たちが泣きじゃくる校庭のベンチの上で揺れる木立、小川のせせらぎと川面の光の揺れ、風に揺れる畑のとうもろこしや小川に沿った並木道の道端に咲く野花など等。 郷愁に満ちた生活空間の風情はロケ地選びや画面構成の力量だけでなく、ソフトなタッチを活かした珠玉の撮影あってこそのものである。  二人の少女の画面映えも素晴らしい。(団扇から顔半分覗かせる加藤照子のショットが絶品。)  映画研究塾の成瀬論を応用するならば、「背負い歩き」、「振り返り」、「顔のふれあい」、「びっこ引き」といった豊かな具象的イメージがまず監督にあり、それらを導き出すものとして水浴中の怪我のエピソードが逆算的に設定されたのはまず間違いない。 その上で、親同士の再会という説話的流れも並行して違和感なく発展させてしまうのだから見事だ。  小川、児童、おんぶ、縦構図の一本道と、同時期の清水宏の画面と何気なしに響きあう点も感慨深い。
[映画館(邦画)] 9点(2009-07-20 19:00:02)
15.  限りなき舗道
ウエイトレス仲間である主人公の親友(香取千代子)は表情豊か。茶目っ気に満ちた身振りで枕やリンゴを放り投げ、拾った空っぽの財布を投げ捨て、部屋の中で軽やかに飛び跳ねる活発なアクションを担う。対照的な主人公(忍節子)は清楚で奥ゆかしく動作は控えめ。うつむく、振り向く、首をかしげる、とアクションは小さく慎ましい。自動車事故でベッドに横になった彼女はさらに身動きを制約されてしまうという具合だが、その中で健気に首を起こし親友たちの見舞いに応える小さな所作こそ優れて情感的なアクションとして際立つ。同時に、これらの小さな屈曲を主体とした半円的な身体運動の数々は、終盤の決意の場面で唯一用いられる彼女の自立的な表情への直線的なトラックアップの強度を一層引き立ててもいる。 ●この作品では成瀬映画おなじみのモチーフともいえる交通事故が二度も登場。後期の『ひき逃げ』以上に直截的な描写であるのが興味深い。 ●同じく特徴的である、スムーズな場面転換術も随所で効果を発揮。(デザートグラスからウイスキーグラスへ、手鏡から鏡台へ、花瓶の花から観葉植物へといったドラマ的な対象物同士によるつなぎの妙。ドアの多用。結婚後すぐの場面に登場する鳥かごのさりげない暗示性など。)
[CS・衛星(邦画)] 9点(2009-07-18 22:33:31)
16.  大自然の凱歌
最後のシークエンスなどは、「階段」からしてもウィリアム・ワイラーの担当場面だとわかるが、特に前半から中盤にかけての快調なテンポと演出はまさしくハワード・ホークス印といえる。ウォルター・ブレナンの飛びつき。「オーラ・リー」の合唱。エドワード・アーノルドの叩き下ろす豪快なパンチ。フランシス・ファーマーがみせる粋なマッチの擦り方。登場人物たちの織り成す視線劇の面白さ等など。その何れもが魅力的だ。撮影担当二者の布陣も凄いのだが、労働者をしっかりとフレームに納めながら森林伐採から材木搬出、切断加工までを捉えた冒頭の迫力あるロケ撮影はやはりグレッグ・トーランドだろうか。豪快な躍動感のみならず、巨木と労働者のスケール対比、そして人間の労働を明確に描出したロングショットが素晴らしい。冒頭の飯場、酒場の乱闘シーン、終盤のパーティのシーン等でも個々の人物に満遍なくフォーカスを当てた撮影により群衆場面の活気をさらに盛り上げ、一方ではレースのカーテンの薄い影が揺れる「女優フランシス」の横顔のソフトな美しさを一際艶やかに浮かび上がらせる繊細さはやはり、G・トーランドの真骨頂というべきか。
[DVD(字幕)] 9点(2009-01-02 20:46:46)
17.  赤西蠣太
優れた映画話法が満載であり、オーヴァーラップの使い方一つとっても洗練の極み。冒頭の小さな迷い猫が居つくまでを簡潔に示す繋ぎ。赤西の恋文書きの微笑ましい苦闘ぶりを紙くずの山によって示す繋ぎ。奥女中である小波からの返信の文面から二人の並ぶイメージショットへの繋ぎ。小波が赤西の来訪に喜び慌てる様と、衣類の散乱した部屋のショット、そこから客間で畏まっている赤西と小波たちの構図への繋ぎ。そしてさらに赤西の長居を示す三段階の繋ぎetc。これらの特長はそれぞれ単なる時間経過表現や、省略という機能にとどまらない。猫の場面ではその肥え太った貫禄ぶりがユーモアを醸し出すと共に赤西の面倒見の良さを、衣装をとっかえひっかえした後を示す部屋と畏まって正座する小波との対比では彼女の内面の動揺と喜びが描出される、といった具合に簡潔明瞭なキャラクター描写ともなり得ている。その上、類似した構図のショットを溶け合わせているので一瞬たりとも画面の安定と調和が崩れることがない。見事な画面連鎖である。
[映画館(邦画)] 9点(2008-12-14 18:13:52)
18.  虎鮫 《ネタバレ》 
殊更な表現をするわけでもないのに、リチャード・アーレンとジタ・ヨハンの出会いのシーンは後に彼らが心ならずも 惹かれ合い、エドワード・G・ロビンソンを裏切ってしまうことになるだろう予感を強く感じさせる。 さらには陽気なエドワード・G・ロビンソンの邪気の無い雄弁が哀れみを誘う。  波をかぶる船側で漁師たちがマグロを次々と釣り上げていく漁獲シーンの荒々しく、力強いショット。 そのマグロを船倉から籠で釣り揚げ、漁港から加工場へとコンベアーで運んでいくショットのドキュメンタルな迫力。 本筋そっちのけで、その瑞々しい労働シーンに魅入られ、撮り続けてしまったのだろう撮影クルーを想像して楽しくなる。  船長の風貌や、船上からのライフル射撃などのディティールはやはり後の『ジョーズ』にも受け継がれたのだろう。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2016-12-02 23:59:39)
19.  ジャン・ルノワールのトニ 《ネタバレ》 
『列車の到着』に始まり、列車の到着に終わる。 映画の中で語られた一つの事件も、これから幾度も繰り返されるであろう束の間の出来事の一つに過ぎない、と。 着いた駅から流れ出てくる外国人労働者たちの歩み。石切場の勾配、入り江、鉄橋、官能的な葡萄畑の風景、それら南仏の実景に 同時録音と思しき環境音が生々しく響き、そして労働者たちの歌が印象的に流れている。  中景、遠景を中心とした撮影で風土と人間の存在・動きをまるごと捉える。その引きのショットの距離感が絶妙である。 女が入水自殺を図ろうとボートを漕ぎ出す水辺のショット。逃走するトニが猟銃であっけなく射殺されるショット。  それらは対象を突き放すような、それだからこそ凄味と誠実を感じさせるカメラである。
[ビデオ(字幕)] 8点(2015-11-08 06:07:09)
20.  俺は善人だ
悪女と聖女の両面を演じさせて女優を売り出すパターンが 当時からあるが、これはその男優版である。 エドワード・G・ロビンソンが小心で実直なサラリーマンと 凶悪なギャングを巧みに演じ分ける。  双方がそれぞれの役を演じるシーンもあるので、計4パターンの芝居となるが、 善人役の愛嬌のある芝居が実に萌える。鏡への反射を使ったギャグや、 酒に酔って社長室から出てくる場面の陽気な振る舞いなどは傑作だ。  この後、その対照的な二人が同一ショット内で共演することになるのだが、 このツーショットがどのような仕掛けで撮られたものなのか。 その違和感のない画面つくりには様々な知恵や工夫が凝らされたのだろう。  様々な箇所でシーンの省略が効いていて、テンポもいい。 欲をいうなら、後半もっとジーン・アーサーの活躍が欲しかった。    
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2014-09-13 16:42:52)
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