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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1246
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 1970年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  ソイレント・グリーン 《ネタバレ》 
原作は読んだことがない。時代設定が2022年とのことで今年中に見るかと思っていた。 設定としては極端な人口増加と環境破壊と貧困化と社会の劣化が生じた世界になっている。現実の2022年に生きている者の感覚からすると、少なくとも先進国では人口を減らす方向のようで今どき人口爆発など考えられないと思ったが、しかし多数の難民・移民の流入などなら実際あっても変でないとはいえる。 劇中世界はいわゆるディストピアだが、「ホーム」にだけは利用者への配慮もあって人道的だった。自分なら色は青にするだろうが(落ち着く色)、その場になれば劇中人物のように暖色を選ぶ気になったりするかも知れないとも思った。楽に死ねる制度があるのは悪くないので劇中人物にも共感できたが、ありきたりな音楽や風景映像が煩わしく感じたので、もっと個人の好みに合った演出を期待したくなる。 そういうことを考えるのは自分がその年齢の方に近くなってきたからだが、しかし最近はより若い層でも生きづらさに疲れて、安楽死の権利に期待する風潮も出てきているように感じている(気のせいならいいが)。現実の2022年では人口の増減というよりも、個人の尊厳をもって生き続けられる社会の維持が課題になっているのではと思った。この点が最も現代に通じる問題提起になっていると感じる。 ほか雑談として、「ソイレントくず」をまとめて売っていたのは実際ありそうで笑った。人工食物の製造現場では特にグロい場面もなく、いきなり乾き物の製品ができていたが、日本人ならすり身にして練り物(蒲鉾など)を作ろうと考えるのではないか(考えないか)。何にせよ共食いはプリオン病が恐ろしいのでやめた方がいいというくらいの感覚が現実世界の人類にはある。 なおエンディングで音楽と風景映像を再現したのは皮肉な感じで結構だった。多幸感が出ている。  [2023/4/1追記] 積極的尊厳死の制度化など当面ないだろうと思っていたが、2022年のうちに邦画「PLAN 75」が公開され、また今年に入ってからはネット上で高齢者の集団自決を促した発言も話題になっていた。これでかえって人々の認知度が高まって、本当にその方向に世の中が動いていくのではと思ったりする。高齢者に限定するとエイジズムだと批判されるだろうが、この映画のようにあくまで自由意思ということにして、対象年齢も拡大しておけば(18歳以上など)世界正義に反しないかも知れない。 一方でこの映画の食物がそのまま実用化されることはないだろうが、食糧危機への対応という面ではすでに昆虫食が注目を集めている。またそれとは別に、人体の処理方法としては「堆肥葬」(Human composting/人間の堆肥化)というのが提案されていて、スウェーデンとアメリカの6州では合法化されているらしい。そのうちに、火葬でCO2を大量に排出する日本人は人類の敵だと指弾される世界になるかも知れない。 映画と現実の2022年は違うところも当然あるが、意外に似た雰囲気が出てきているのはものすごい先見性のある映画だったということか。ディストピアが実現するかどうかに関わらずどうせ自分は先に死ぬので、あとは残った人々の望むようにしてもらって結構だ。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-04-01 08:49:31)(良:1票)
2.  怪猫トルコ風呂 《ネタバレ》 
DVDの最初に「現在では不適当と思われる表現」があるとの警告が入るが、そもそも題名からして不適当である。映画の冒頭から、売春防止法の施行により昭和33年3月31日限りで吉原の遊郭が廃止され、その後は風俗店に転換していったという歴史的経過が描写されるが、後年さらに来日トルコ人からの抗議がもとで一斉に名前が変わったことまでは当然出ていない。  内容としては風俗営業をからめた独自色のある怪奇映画かと思っていたが、終盤で猫耳を立てた人型の化け猫が出現したのを見ると、伝統的な化け猫映画のバリエーションということかも知れない。 序盤からの出来事を劇中ネコがずっと見ていたが、悪人に対抗しようにもネコだけでは非力だったようで終盤で惨殺されてしまう(なんとネコの首が飛ぶ)。その直後に出た化け猫は、黒ネコだったはずが白装束なのは変だったが猫耳だけは黒かったので、これは死んだネコが殺された者の死体に乗り移って化け猫になったという意味か。あるいは人とネコの魂が一体になって悪人を成敗したのかも知れないが、それならラストの昇天時に人がネコを抱いている形にしてもらいたかった。 終盤の破滅に至る展開には緊迫感が一貫しておらず、劇中人物が次々に殺害されて2人だけになり、いつまた化け猫が襲って来るかわからない状況なのに「泡踊り」を始めたりするのは気が抜ける。結果的に何ともいえない映画だったが当時はこの程度でよかったのか。ちなみにエロい場面は特に目を引かなかった。  なお人の悪事をネコが見ている場面で、ネコの目から見た光景を映像化してみせていたのは悪くない。人の目で見るより明るさがあり、またモノクロームだったのは当時ネコには色が見えないと考えられていたからかも知れない。ほか人が倒れていた場所が白と黄の菊のある植え込みだったのは、すでに死んでいるのを一瞬でわからせる効果があった。この菊のほかに古井戸もそうだったが、これから何か起こる場所を予告的に一瞬映す場面があったのは当時の映画制作の一手法ということか。
[DVD(邦画)] 3点(2023-01-14 14:42:21)(笑:1票)
3.  サイレント・ランニング 《ネタバレ》 
時代は不明だが、アメリカン航空という会社がまだ存続している未来である。 設定としては地上の自然環境が全て失われてしまった世界のようで、これは昔の未来予想画で描かれていたように、地球全体が都市化されて地表が人工物で覆われたイメージと思われる。ただ2022年現在の感覚でいえば、今はやりのSDGsにも関連項目があるからにはそうなることは当面ない。 ファンタジックな印象のあるSFだが、見た目としては特に宇宙船のデザインが秀逸で、90年代に現実化した人工生態系「バイオスフィア2」を思わせる複数のドームが、軸線の周囲に別角度で設置されている(6個を6角形に)のがいい。こういうものは日本には作れない。 なお技術的な設定はわからないがエネルギー源は原子力だったのか。最後に設置した電球はいつまで保つのかと思うが、これは永遠だと思うのが観客に期待された鑑賞態度と思っておく。  主人公の思いとして、当初は自分が「森」を守る使命を負った特別な存在と思っていたが、結局は自分もその他人類と同類でしかないことを思い知らされたのではないか。同僚を死なせた罪悪感からか、苛立ってカートを暴走させて腐葉土?をぶちまけてしまったり、最後は大事な「森」の面倒さえ見なくなって荒らしてしまい、僚船から連絡があった時点では一瞬ほっとしたのではと思ったりする。またDroneと言われていた連中にとってもいい仲間とはいえず、主人公にとっての同僚3人と似たようなものだったかも知れない。そのような不完全な生物に「森」を任せられないというのは本人も自覚していたと思われる。 最終的な決断としては、地球緑化計画が実現不可能ならもう主人公の役目は終わっているが、次善の策として「森」を無期限で保存するために、いわば最後の責務として1号に後を託した形と思われる。主人公は海に流す瓶に例えていたが、本当に地球の生態系が完全に失われる間際になれば、こういう方舟的なものを残そうとする人間がいても変でないとは思った(共感可能)。 なお主人公の最後の行動には、同僚に対する贖罪の意味も当然あったと思われる。こうならなくて済むように、現実の地球では自然との共生に向けた努力が現に行われているわけである。結果的にはラピュタ風の終幕(こっちが先)と、今となっては古臭く聞こえるテーマ曲もけっこう心に染みたので悪い点はつけられない。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-09-03 10:03:12)
4.  M★A★S★H/マッシュ 《ネタバレ》 
ポリコレ絶対主義の現代でもまだこんな映画の存在が許されているからにはよほどの名画であるらしいが、しかし全編通じた悪ふざけのため製作意図をわかってやる気に全くならない。世評によれば反戦映画だそうなので、これが反戦の表現と受け取れる雰囲気が当時はあったのだろうと思っておく。それにしても手前勝手で傲慢な連中だ。
[DVD(字幕)] 2点(2022-07-02 09:07:12)
5.  チャイコフスキー 《ネタバレ》 
2022年2月にロシア軍がウクライナに侵攻して以降、3月には国内各地の演奏会でチャイコフスキーの「1812年」を中止する動きがあり、また4月にはチャイコフスキーの名を冠した国際コンクールが世界連盟から除名されたとの報道もあった。それぞれに妥当な対応だろうとは思うが、国際的な波乱の中では芸術文化も聖域にならない雰囲気は出ていた。チャイコフスキーはウクライナ・コサックの家系の出だから免罪されるという説もあったようだが、個別の曲はともかく作曲家自体の善悪を国で分けるものではないだろうとも思う。  そういう情勢のもと、いわば野次馬感覚でこの映画を見たが、いい加減な動機で見るには長い映画だった。基本的には伝記映画というのだろうが、その人物にあらかじめ関心のある人々が見るもののようで、基本的な説明が省かれているのはつらい。ちなみにソビエト時代の映画らしく革命運動に触れたところもある。 ドラマ的には主に主人公の半生と人物像、及びパトロンのフォン・メック夫人との関係性を整合的に描写しようとしていたようで、主人公と夫人が心を支え合う関係を表現するとともに、同性愛と言われた件についても微妙な説明をつけていたように見える。ほかの登場人物では召使いが誠実で賢明な好人物だった。 音楽面では実際の曲を使うほか、メロディ部分をアレンジした背景音楽も作っている。冒頭以降、交響曲第4番を主に夫人との関係で使い、また第6番は本人との関係で、精神的危機のときに第1楽章、人生の頂点で第3楽章、その後の終幕で第4楽章を使っていた(2楽章がない)。歌劇については手紙の件以降、歌と映像(白樺など)で「エフゲニー・オネーギン」の創作過程が表現されていたようで(多分)、歌詞がそのまま主人公の心情を語ったように思わせるところもある。終盤では、ホラー映画かと思ったら「スペードの女王」(多分)の一場面だったという趣向もあった。また気にしすぎかも知れないが、背景音の馬蹄の音が4番3楽章のピチカートに聞こえた。  なお主人公を貶めようとした男が偉そうに「時が評価を下すのです」と言う場面があったが、チャイコフスキーの音楽はその後のソビエト体制下でも封殺されることなく、今も世界で愛されているのは間違いない。個人的にはこの作曲家に特に強い思い入れはないが、若い頃は交響曲第5番に励まされることもあったように憶えている。今は「四季」Op.37aが好きだ。
[DVD(字幕)] 5点(2022-05-14 09:45:57)
6.  ひまわり(1970) 《ネタバレ》 
2022/2/24撮影の動画で、ウクライナ人の女性がロシア兵に対し、ヒマワリの種をポケットに入れておけ、と言ったのを見てこの映画を思い出した。 実際にヒマワリ畑の映像はウクライナで撮影したとのことだが、しかしこの映画自体はウクライナのことなど全く意識していない。字幕を見る限りは「ロシア」としか言っておらず、映像的にもモスクワ周辺が映っている場面が多かったらしい(ネット上のロケ地紹介記事によれば)。物語の設定上も、主人公の夫が「ドン河」で戦ったのだとすれば、現在のウクライナより東のロシア領の話だったかも知れない。現下のウクライナ情勢を受けて、今こそ見るべき映画として全国各地で上映する動きもあるようだが、ウクライナという国に注目して見ようとするとちょっとずれた印象を受ける恐れがある。ただ最低限「戦争反対!」とはいえそうだ。 ちなみにヒマワリは別にウクライナ原産でもなく、ロシア帝国時代の18世紀?に持ち込まれてから現在のロシアとウクライナに広まったとのことで、現時点でのネット上ではロシアの国花と書かれている記事もある。これをロシアではなくウクライナだけのシンボルとして位置付けるのは不自然であり、両国共通に親しまれている植物と思うのが妥当ではないか。今回の戦乱によって両国のヒマワリが分断され、ウクライナのヒマワリが国際的に公認されてロシアのヒマワリが否定されるとすれば変なことになる。国で分けるのではなく人々の連帯のシンボルにでもなればいいだろうが。  ドラマに関しては、基本的には共感しづらい人物が多く、どうも外国の映画は馴染めないものがあると思わされる。ロシア人妻が可憐に見えたのはよかったが、心が乱れてしまって子どもに当たっていたのはよろしくない。 主人公は冷戦下のソビエト連邦に入ったわけだが、現地のソビエト市民は平和で友好的でそれなりに満ち足りた暮らしをしているように見える。まるで社会主義の成功をアピールするPR映画のようでもあるが、それはそもそも合作映画なので当然としても、もともとイタリアは西側の中でもソビエト連邦と友好的だった関係もあるかとは思った。主人公をヒマワリ畑へ案内した役人は、親切そうに見えて実は監視役だったのではないかと皮肉を書いておく。 なおどうでもいいことだがイタリア語で蚊はzanzare(単数zanzara)というらしい。ロシア語は知らないがНе знаюだけはわかった。
[DVD(字幕)] 5点(2022-03-19 09:57:04)(良:2票)
7.  パンダ・コパンダ 雨ふりサーカスの巻 《ネタバレ》 
時間が短いので前作に続けて見た。新作なので新キャラを出さなくては済まないらしく、今回はサーカスを呼んで他の動物の出番も作ってある。ママ友同士でなめ合うのは悪くなかったが、自宅のネコとはやらない方が無難である。 ある程度の知能を持った(言葉を話す)生物をサーカスで使役するのでは、奴隷労働のような印象が出てしまうのでまずいことになる(というか家内労働のイメージか)。トラの子が人の言葉を解するのに母親が話さなかったのは、やはりケモノであるから檻に閉じ込めるのも自然と見せる都合があったからか。あるいは「魔女の宅急便」(1989)での魔女さんと黒ネコの関係のようなものかとも思ったが、それにしても前作の状況とは矛盾することになる。 そのように基本設定がいい加減な上に、いつまで経っても祖母が帰って来ないというのも限界があり、さすがにこの延長上でシリーズ化するのも厳しかったかも知れない。また今回はクライマックス部分が単純に笑っていられない状況で(大惨事の予感)、ラストにもそれほど意外性がなく、最後になんでみんなが盛り上がっているのかも納得できなかった。  なお今回目についたのは、家の周辺一帯を海のようにしてしまう非日常の演出であり、これは後の「千と千尋の神隠し」(2001)などの先駆けかとも思った。水の透明度が高く、水中から家と空を見上げる場面は当時としては斬新だったのではないか。手に持った食物に小魚がすかさず群がるなども後の映画で見たかも知れない。 また少し笑ったのは、子トラから来た手紙を「読んで読んで」とせがまれたがとても読めそうなものではなかったのを、パパが難なく読んでしまったことだった。確かに「助けて助けてトラ」くらいならわかるかも知れない。表意文字だ。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-05-01 08:50:39)
8.  パンダ・コパンダ 《ネタバレ》 
時代背景からいえば、第二次大戦後の国共内戦で大陸を追われた国民党勢力が、台湾島と附属島嶼だけの状態で国連安全保障理事会の常任理事国として「五大国」の扱いを受けていたが、1971年に諸国の思惑がらみで代表権を失って国連を去り、1972年には日本も国交を断絶した(来年で50年)。代わりに国交が生じた大陸側から記念としてパンダ2頭が送られて来て、1972年11月から上野動物園で公開が始まり大人気になったが、そのような情勢のもとでこのアニメが作られたことを今回再認識した。 明らかに国家戦略のために使われているにもかかわらず、パンダ自体は現在も絶対善のように思われているようだが、それはこの時代に形成された国民意識の影響かも知れない。国民一億総panda huggerということだ(言いすぎか)。  当時は自分も見たのかどうかわからないが、3つ下の従妹が見て大喜びして、歌の冒頭部分をやかましいほど繰り返し歌っていたことは憶えている。何が面白かったのか不明だが、部外者なりに考えると、主人公の少女が父親に甘える立場と、小さい子に甘えられる立場の両方を兼ねるのが豪華な設定だったかも知れない。 序盤の幸せな時間も長くは続かず(全体で30分しかない)、やがて大人社会からの脅威が及んで来て、最後は別れの寂しさを残す終幕だろうと予想していたら、意外にも奇想天外な結末だったのには驚かされた。完全に現実を度外視してでも、見ている子どもらの期待を裏切るまいとする制作姿勢だったらしい(感動的だ)。 そのようなことで、今回見てもそれほど悪くない映画だとは思った。なお主人公の少女が、昔のアニメにしては表情豊かで躍動感もあるのはさすがということか。得意の逆立ちをする時に、ちょっと溜めてから伸びる場面があったのは芸が細かい。
[インターネット(邦画)] 6点(2021-05-01 08:50:36)(良:1票)
9.  恐怖と戦慄の美女<TVM> 《ネタバレ》 
原題によれば恐怖の3部作である。邦題の美女とは3部作全てで主演しているカレン・ブラックという人のことで、原作は全て作家のリチャード・マシスン(地球最後の男/アイ・アム・レジェンドなど)である。 以下個別に書く。 【ジュリー】 外見は地味だが中身は違うと妄想するとか、隠されたものを自分は見抜けると思い上がってしっぺ返しをくらう話とすればわからなくはないが、ドラマとしての展開が唐突過ぎて説明不足である。序盤のわざとらしいチラ見せはいいとして、ほかに何か変な超能力でも使ったということなのか。アメリカ社会に隠れ住む魔物(witchか吸血鬼か)の魔力のせいだとすれば単純なヒトコワ系でもないのかも知れない。 【ミリセントとテレーズ】 オチが早いうちにわかってしまうが、結末に呪いが絡んで来るのが若干の工夫か。相手の持ち物を人形に入れて針を刺す、というのは日本でも親しまれている手法と思ったら、もとはブードゥーの魔術ということらしい。個人的には妹の容姿に嫌悪を催した(近場にいる実在の人物を思い出した)ので、妹を嫌う姉の気持ちはわかったとはいえる。ただし26歳というのは無理があるのではないか(演者は当時35歳)。 【アメリア】 呪いの人形が襲って来るだけの話で、最後がどうなるかは宣伝写真で思い切りネタバレしている。人形は顔にインパクトがあるが、骨董屋で発見したというには小奇麗な造形物だった。国内向け解説ではこれもブードゥーの呪いと書いてあるが、ズーニ族というのは実在のアメリカ先住民ではないか(民族差別だ)。ドラマ的には母娘の関係破綻というのはわかるとして、最後が何でこうなるかは不明だった。主人公は人形を気に入って何気に抱っこしたりしていたので、最初からそういう素質はあったらしい。  前の2つは最後のオチで勝負の小話だが、現世的な怖さだけでなく、超自然的な要素が微妙に入っているのが半端な感じだった。また最終話は「チャイルド・プレイ」という映画の元ネタかと噂になっているようで、これがこの3部作の最大の見所になっているらしい。 主演の人が地味だったり凶悪だったり様々な顔を見せるという企画だったようだが、個人的にはあまり好きになれない3部作だった。昔のTVドラマということもあるだろうが少々かったるい印象である。主演の人も外見的に好みでない。
[DVD(字幕)] 4点(2021-01-23 08:59:09)
10.  ファンタスティック・プラネット 《ネタバレ》 
最初のうちは嫌悪感が勝るが、見ているうちにこの世界の変な描写自体が最大の見所かという気はして来た。変な生物や変な現象を変なキャラクターが自然に受け入れている変な世界ができている。明瞭な地形のない平原に変なものが散在している風景は、自分としては諸星大二郎の異世界ファンタジーを思い出した。 特に変な生物描写にはストーリー上の必然性もなく力が入っていたようで、粘液を落とすとかハサミをガチガチするとかハエ叩きのようなのとか、危険そうでいて危険なのかわからないのが多いのは笑う。普通に他の動物を食うのもいたが、食虫植物のように見せておいて実は捕えて殺すだけなど、こんな連中で生態系など成り立つのかと思った。アニメながらも可愛いものは出て来ず、また死んでいく生物を可哀想と思うまでもなく、ただ無心に生きて死んでいくのは現実世界と同じだろうから、悪趣味に見えても特に悪気はないようでもある。 青い巨人も基本的に気色悪い連中で、最初に主人公を救ったのは一応可憐な少女だったのだろうが(ナウシカ?)、そのうち可愛く見えて来るかというとそれほどでもなかった。科学技術も奇想天外だが、人間絶滅作戦のためにいろいろ考案していた新兵器は、害虫駆除を目的としたものとしては大変よくわかる。ちなみに各種動植物のサイズを見ても、この世界の人間は本当に昆虫のような存在だったらしい。  物語としては、要はかつての植民地の住民をフランス人に置き換えた話ではないかと思った。最初は昆虫のように扱われていたが、やがて教育を受けた者が中心になって植民地支配を離れたという、実際の世界史的な流れを背景にした展開に見える。わりと素朴なヒューマニズムが背景のようでもあるが、逆に植民地時代には本当に住民を昆虫のように思っていたのか、と突っ込まれそうではある。その後も巨人と一緒に住む人間もいたとのことだったが、後々トラブルを生じないよう共存してもらいたい。 なお人が戦う代わりに「闘獣」に戦わせるのは人道的かと思ったが、結局人は殺されてしまい、残った獣までも殺されていた。生命あるものを全て大切に、という文明的な状態には至っていないらしい。
[ブルーレイ(字幕なし「原語」)] 6点(2020-12-05 08:29:49)
11.  成熟 《ネタバレ》 
昭和の怪獣映画「ガメラ」シリーズに携わった監督と脚本家が、大映の倒産直前に完成させた最後の映画とのことである。冒頭からテロップが出る通り山形県庄内地域のPR映画で、これほどあからさまなご当地映画が当時あったのかと思ったが、監督の評伝「ガメラ創世記 映画監督・湯浅憲明」によれば、県が中心になって商業映画を作るための資金を出したので大映側の負担はなかったらしい。 内容としては、田舎のPR映画には過ぎた豪華キャストによる青春純情ラブストーリーになっている。水産高校と農業高校の対立感情(ジェット団とシャーク団?)とか、漁家と農家の利害が一致しない(モンタギュー家とキャピュレット家?)とかいう障害はあるにせよ、全体的には緩い感じで笑わせるところもある。主演女優のオッパイは見られないが、主人公の乳首が黒いのは妊娠しているからだとシャワー室で指摘される場面があり、うち妊娠については当然ながら事実無根ということになっていたが、乳首が黒いことの方は否定されないで終わっていた(見えないので不明)。また初めてのキスで鼻が邪魔だったというのは笑った。菊池俊輔氏の音楽が当時の特撮TV番組のように聞こえるところもある。  当時の世相として興味深かったのは、外来種であるアメリカシロヒトリの大発生が全国的な問題になった時期らしいことである。劇中では高校生が公園地で桜の防除作業を大々的にやっていたが、実際は行政主体で本当にこういうことをやっていたと想像される。 方言に関しては、地元民の助言がなければ出て来なかったであろう表現(「んだなしや」など)も入っており、庄内方言の特徴を捉えようとしたといえなくはない。しかしこの地方では絶対使わない助詞が残っているほか、特にアクセントが考慮されていないのでそれらしく聞こえない。この映画に限ったことではないが、どうしても東京語の話者が勝手にイメージした田舎言葉がベースになるのは残念なことで、この点では「隠し剣 鬼の爪」(2004)の田畑智子さんを見習ってもらいたいところだが(30年も後の映画だが)、地元言葉を積極的に取り入れようとしていたのは努力賞である。なお伴淳三郎氏は同じ県内でも方言の系統が違う地域の出身者なので当てにならないが、「おっかねぞ」は少しよかった。  ほかキャストに関して、ヒロインの友人役の八並映子さんは、同年の「ガメラ対深海怪獣ジグラ」にも出ていたので知らない人ではないが、2017年に亡くなられたのだそうで少しショックだ。また若手芸者の千鳥(演・深沢裕子)がなかなか可愛い人で、ヒロインと同じ豊田地区の出身ということになっていた。美人の産地という設定らしい。
[DVD(邦画)] 5点(2020-01-01 09:20:45)
12.  でんきくらげ 《ネタバレ》 
昔から名前が気になっていたので興味本位で初めて見た。このシリーズは6作あるそうだが全部制覇しようという気は全くない。 内容としてはそれほど盛り上がるものでもなかったが、話はちゃんとできているので一応見られる映画にはなっている。結果的に主人公はどこまでものし上がるつもりがあるわけでもなく、母親を楽にさせて一緒に暮らすことが目標だったようで意外につつましい望みだが、これから一生それで済むのかはわからない。 主演女優はあまり馴染みがなかったが、「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」(1968)には出ていたので見たことがなくはない。不自然なまでにオッパイを隠す(一人で電話している時も隠す)割に時折乳首が見えたりして徹底しないのはどういう方針なのかと思ったが、単にチラ見せが尊いというだけのことか。昭和の女性にしては脚がきれいだと思わせるところはあった。 自分としては何を面白がればいいのかよくわからない映画だったので、とりあえず現時点での平均点をつけておく。  以下余談として、この時代には5万円というのがそれなりの金額だったと思わせる台詞があったが当時の感覚がわからない。消費者物価指数の推移からみて現在の1/3程度の物価水準だったと思えばいいか。歴史的事件としては、昭和28年の鶴田浩二襲撃事件に関連して5万円という金額が出て来るが、その頃と高度成長期でも金銭価値は違うだろうから、劇中で怖い人が5万円掴まされて納得していたのは扱いに差が出ていたと思われる。
[DVD(邦画)] 5点(2020-01-01 09:17:33)
13.  獄門島(1977) 《ネタバレ》 
ミステリーとしていいか悪いかは評価できないが、物語としては原作段階から納得できないものがあった。殺人の動機付けもそうだが、特にわざわざ見立ての手間をかけることの意義が感じられない。原作では楽屋ネタのようなことを書いて開き直っていたようだったが。 そういう原作由来の点は仕方ないとして、この映画では一部改変により動機の面で説得力を増しているといえなくはないが、四国八十八ヶ所など取ってつけた感もあり、時間的にも141分もあって最後まで見るのが正直つらくなる。最後に投身した人物が、見えない大きな力に動かされていた、と語っていたのが言い訳じみた感じに聞こえ、かえってこれは適当な翻案だと制作側も認めていたのではと思わされた。 ただ唯一、雀の五七五は極めて強引だがユニークな趣向で笑わされた。  出演者に関しては、男は見なくていいとして女優陣は多彩なようだが、個人的好みの関係もあってあまり心に残るものはない。重要人物の早苗さんという人は、原作ではあからさまに「かわいかった」と書いてあるので可愛くなければ困るわけだが、この頃の大原麗子という人は、可愛くないとは言わないがそれほどイメージ通りでもない。 また浅野ゆう子嬢は、当時の若手としては人気があったはずだが、この映画ではとんでもない役どころでかつあまり印象に残らない。この頃の姿なら同年の「惑星大戦争」(1977)、少し年増状態なら同じ監督の「八つ墓村」(1996)を見た方がいい(見なくてもいい)。ほかに坂口良子という人も出ているが、自分とは世代が違うので特に愛着を感じていないのと、劇中人物としては昭和(戦後)っぽいのであまり好きにはなれなかった。 結局、いい印象として最後に残ったのは雀の五七五だけだった。
[DVD(邦画)] 4点(2019-11-23 13:58:36)
14.  サンダカン八番娼館 望郷 《ネタバレ》 
原作を読んだが、北川サキ(仮名)という人物の人柄には心打たれるものがあった。恵まれたとは全くいえない人生を送り、最後は一人打ち捨てられたように暮らしていても、「いのちのあるものじゃけん」とネコを保護し、「軍ヶ浦のお大師様」に息子や孫や元同僚のことなどを祈る人物像が、原作者と一緒の写真の風貌からも偲ばれる。どんな境遇でもとにかくその場を生き抜いて、次代に生命をつないできた人々がいたからこそ今の日本もあり日本人も生きているのであって、その意味でもこの人物の人生は尊いものに感じられる。  その上で映画を見ると、よくあることだが原作との違いが気になった。原作での語りは淡々としたものだが、それは語り手が高齢だったからであって、若い娘ならもっと激しい心の動きがあっただろうという前提での再現物語とは取れるが、それにしても高齢者の感情表現が豊かすぎるのは違和感がある(いかにも役者)。またラストで号泣したのは映画の演出として悪いともいえないが、泣き顔まで見せていたのは過剰で慎みのない映画という印象だった。性犯罪常習者に襲われるとか村人の集団に糾弾されるとか、殊更に角を立てる展開で物語を動かそうとするのも映画だから仕方ないとすべきなのか。 素直に感心したのはネコだらけの家をちゃんと映像化していたことで、これは非常に和まされた。また主人公の最後の言葉が方言になっていたのは少し感動的だったが、これは原作者も相手によってそうする(そうなる)ことがあったらしい。伊福部昭氏の音楽に心を動かされるところもある。  そのほか社会派的な面として、おサキさんは昭和6年に娼館を出たので太平洋戦争は直接関係ないわけだが、映画では昭和天皇の即位と日本の軍艦の入港、貴族院議員の来訪、満州からの引揚時に財産と夫を失ったこと、さらに娼館のあった街が戦争で焼けて墓地も失われたことを挙げて、全ては大日本帝国のせいだとの印象に結び付けていた。これについては原作の続編「サンダカンの墓」からも材料を得ていたらしく、原作者も“からゆきさん”への思いと同時に、「日本民族のうちのひとりとして」、「祖国」が東南アジアにしてきたことへの複雑な感情が生じていたようだった。 なお素朴な疑問として、映画の時点で生活保護の制度はなかったのかと思うわけだが、原作によれば受給を勧める人もいたようで(月9,587円)、ただ仕送り(月4,000円)をしてくれる息子の立場を立ててあえて受給しなかったらしい。あるいはもしかすると公的扶助は受けないというこだわりもあったのかと思ったりはする。  キャストに関して、栗原小巻という人は日本人離れした洋風の女優だと思い込んでいたが(年齢差が大きいのであまり馴染みがない)、この映画では可愛く見えるところもあって少し意外だった。また高橋洋子という人が少女時代から満州に行く前までを切れ目なく演じており、好きになった男と相対する場面では非常に艶っぽく見えたが、しかしそういうのを当てにして行った観客はみな劇中の小間物屋扱いである。自分としては挨拶回りを拒まれた場面の表情が好きだ。
[DVD(邦画)] 6点(2019-10-12 10:25:46)
15.  樺太1945年夏 氷雪の門 《ネタバレ》 
DVDの冒頭で「表現の自由」を訴えるキャプションが出るが、これは1974年の公開時に、傲慢な軍事大国からのクレームがもとで上映が妨害されたことへの抗議の意思表示らしい。2019年に注目された「表現の不自由」と同様の問題ということになる。 内容は1945年にソ連軍が樺太に侵攻した際、真岡町の電話交換手が最後まで職場を守って自決した物語である。登場人物は若い女性が多いので、「お前をソ連の兵隊にくれてやるために今日まで育てて来たんじゃない」という台詞には観客誰しも共感して心配させられることになる(いいから早く逃げろ!)。ちなみに主人公の母親役の赤木春恵という役者は、実際に終戦後のハルビンでソ連兵からの難を逃れた経験があるらしい。 戦闘場面に関しては、戦車の撮影で自衛隊の協力を得たほか、敵海軍の砲撃で真岡の街並みが炎上するといった映像をミニチュア特撮で作っている(少し貧弱)。いわゆる反戦映画的な性格はそれほど強くない。  ところで最後のキャプションによると、劇中の電話交換手は「生きたかった」と思っていただろうとのことだったが、それをいうなら最初から迷わず職場放棄すればよかったではないか、ということになる。専門職の使命感が勝るのは立派ではあるが、若い女性が率先して生命を捨てる必要などは全くない。これを見た現代のわれわれが思うべきことは、何はどうでも自らの保全を最優先する判断が必要だということである。 また「いくさなき世界平和の確立を」というのがまた薄っぺらいメッセージであって、ここでの本当の教訓は、日本の国土に外国軍の侵攻を許してはならないということである。同盟国のはずのアメリカ軍でさえ、いれば住民に害をなすのであるから、その他の軍隊など寄せ付けない実力が絶対に必要だと思わなければならない。 この事件を後世に伝えたいとの思いには共感できるが、どうも素直に受け取れる物語にはなっていないと正直思った。時代の制約というのもあっただろうが。  なお真に憎むべきは当然ながら悪の帝国ソビエト連邦であって、冷酷で野蛮なソ連兵に民間人が無為に殺されていくのは耐えがたい。劇中の台詞にも出ていたが、樺太からの引揚船を撃沈し、生存者を銃撃して笑っていたという「三船殉難事件」に関わったソ連潜水艦2隻のうち、1隻(L-19)を沈めてやったのはせめてもの救いである。もう1隻(L-12)も沈めてやれればよかったが、そうならなかったのが忌々しい。 また腹立ちついでに書くと「勲八等」という言葉には反感を覚える。この人々が八等というなら一等はどれほどの上級国民がもらえるのか。人に格付けしようとする態度が気に食わない(※今は数字がつかなくなったらしい)。
[DVD(邦画)] 5点(2019-10-12 10:25:43)
16.  エイリアン 《ネタバレ》 
公開当時、“WARNING”ばかりを強調するテレビCMがやたら目について、どういう話か知らないまま映画館で見た。alienという言葉はこの映画以降に日本でもよく知られるようになったと思うが、自分としてはwarningもこの映画で初めて知った。憶えるべき英単語に含まれていなかったのか勉強不足だったのか。 実際見ると導入部がいきなり得体の知れない不安感から始まり、その後にいったんほっとさせてから、また緊張感を高めた上で最後に開放感を生じる構成になっており、これでホラーとは思わなかったがスリリングだったのは間違いない。ただ初見時には、エンディングに入ってからもこれで本当に終わりなのかと不安が残る気分だったが、それは結果的に2に送られた形になったらしい。 当時の感覚として斬新だと思ったのは、まずは国連宇宙軍とか惑星連邦とかではなく民間企業の所有する産業用の宇宙船が出て、化学工場のようなごつい設備がむき出しのまま宇宙を飛んでいたことで、内部に薄汚れたような暗い空間があるのも町工場じみて産業用らしい。また電子機器の稼働に付随する騒音が耳に残るのと、「ロボット」であるのに金属製の部分が見えない(白い液体がおぞましい)ことに素朴な驚きがあった。 そのほか何よりこれ以降、宇宙というのは夢のフロンティアとか希望の大洋とかいうよりも、何が出て来るかわからない怖いところ、というイメージが生じた気がする。侵略宇宙人のようなものなら昔からいたが、こんな得体の知れないのは初めて見た。  今回見て思ったこととして、コンピュータに文章で適当に問いかければそれなりの答えが返るというのが当時は安易な発想に思われたが、2019年の現在ではすでにそういう感じのものが実現しており(それも音声で)、ここは40年間の人類文明の進歩を実感した。 また宇宙船に愛玩動物を乗せていたのは乗員のメンタル対策として有効だろうと思った(ネズミ駆除用という話もあるようだが)。ネコ嫌いの乗員はいなかったのかとか放し飼い状態はさすがに運行に支障があるというような問題はあるが、とりあえずネコが最後まで生き残ったのはこの映画としてのささやかな良心を感じた。 現代と違ってエンドクレジットが延々と続くようなこともなく、ラストシーンの雰囲気を引き継いだ穏やかな音楽のまま終わっていたのはかなり好印象だった。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2019-06-22 23:21:04)(良:1票)
17.  血を吸う薔薇 《ネタバレ》 
少し間が開いているが、「血を吸う人形」(1970)と「血を吸う眼」(1971)に続くシリーズ第3作である。 今回の吸血鬼は前回のように家系に受け継がれるものでなく、「不死身の魔性の者」が約200年前(江戸時代)から時代を越えて生き続けてきたようで、小説のドラキュラに近いイメージになっている。ただし同じ外見でいると怪しまれるからか、別人の顔の皮を自分の顔に張り付けて姿を変えていくということらしい(わかりにくいが)。フランス文学の男もそういうことを言っていたが、もう少しスマートにできなかったかとは思う。 また前回同様に、日本で本物の吸血鬼を出すからには外人が発端でなければと思ったようで、台詞では「この先の漁港」に外人が漂着したと言っていた。しかし冒頭で出た駅が国鉄(当時)小海線の甲斐小泉駅で、学園の住所が長野県で、背景に八ヶ岳(多分)が見えている場所でさすがに漁港はないだろうと思った。 なお今回の顕著な特徴として、血を吸うときに毎度オッパイにかみつくというのは許しがたい習性である。全裸にされてしまう人もいたりして、今回はエロさが売りになっていたらしい。成人男子がそれ目当てで見るほどではないが小学生には見せられない。  物語としては寮付きの女子短期大学が舞台で、序盤で女子学生3人がテニスをしていたりしてそれなりのキャピキャピ感(※まだ死語ではない)を出している。しかし単なる賑やかしで出ていたわけでもなく、この中から後に正統派ヒロインと邪悪なヒロインが出るので重要人物ということになる。3人の中で、外見的に好きなタイプの人が邪悪な方に転じてしまうのは残念だった。 今回は地元の伝承という形で吸血鬼の誕生哀話が語られるなどの趣向もあり、途中まではそれなりに面白く見ていられたが、役割のよくわからない登場人物が多いなど納得のいかない点も結構ある。シリーズ恒例になった医師(演・田中邦衛)は、全体の擬洋風で世間離れした雰囲気を和風居酒屋などで中和していると思ったが、途中でいなくなってしまったのが拍子抜けだった。 ほか特に終盤の展開がかなりしつこく感じられ、日本を代表する吸血鬼役者の演技も、今回早くもマンネリ化したように思われた。最終的にはそれほど大満足ということもなく終わったのは残念だったかも知れない。
[DVD(邦画)] 5点(2018-08-25 17:22:26)
18.  呪いの館 血を吸う眼 《ネタバレ》 
「血を吸う人形」(1970)に続くシリーズ第2作である。個人的な記憶として、この映画が地元で上映されていたときに街中にあった立て看板を見て怖くなり、それ以来、この題名と岸田森氏の顔が忘れられなくなってしまったことがある。その時は当然見なかったが、その後のDVDの普及のおかげで、耐性ができてからの状態で見られたのは幸いだった。ちなみにDVDで予告編を見ていたら最後に「お待ちしています」とキャプションが出たのは笑った(行きたくない)。  内容としては第1作より本格的な吸血鬼映画になっており、最初に棺が送られて来たのがいかにもそれらしい。終盤で主人公男女が能登半島に出かけたのは小説「吸血鬼ドラキュラ」を真似たもののようで、つまり能登は日本のトランシルバニアということになる。東欧の伝承にある吸血鬼なら、家系に伝わるというより何らかの条件に合った個人が死後になるものだろうが、この映画では家系という要因と、死んでから蘇るという特性を組み合わせた形にしてある。また日本に西洋風の吸血鬼が出る理由に関しては、要は日本在住の外国人だったという適当な理由付けでごまかしている。 吸血鬼が好色というのは普通のことだろうが、この映画では何と5歳の少女に目をつけて、年頃になるまで待つならまだしも(それも執念深いが)5歳のままで「花嫁」というのがとんでもない幼女趣味で、こんなケダモノは早目に滅ぼしておかなければ駄目だと思わされる。この吸血鬼がクールな容貌ながら、終盤でステンドグラスか何かを破って出て来たところとか、断末魔のわめき声はものすごい迫力で唖然としてしまった。ここはさすがの岸田森氏といったところである。  そのほか姉妹間の確執を絡めたのは物語に一定の深みを加えており、またその姉妹の間で翻弄されそうな位置にいる男が極めて理性的で、一貫して恋人たる姉の方を信頼しているのは頼もしく見えた。この男が医師であり、ヒロインとともに吸血鬼退治に尽力する役割だったのも基本を押さえている。また鏡に写らなかったので気づいたのでなく鏡に写らなかったので気づかなかったとか、死んでいた男の手が机に張り付いていて半端に剥がれたといった細かい見どころもあった。 ちなみに劇中の台詞で、戦後にイギリスで吸血鬼が処刑されたと言っていたのはロンドンの吸血鬼として知られた事件だろうが、これは吸血鬼だから処刑されたのではなく、連続殺人犯だったから普通に死刑になっただけのようである。
[DVD(邦画)] 6点(2018-08-25 17:22:23)
19.  幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形 《ネタバレ》 
東宝の「血を吸う」シリーズの第1作である。この後、「血を吸う眼」(1971)、「血を吸う薔薇」(1974)と第3作まで続く。 古めかしい洋館に吸血鬼のようなものが出る古風な怪奇映画だが、吸血鬼映画のようでいて本物の吸血鬼は出て来ない。本来、吸血鬼というのは土葬が主流の欧米でこそ成り立つ話だろうが、この映画でもその点はわかった上で適当な理屈で埋めたことにしている。また最後はキリスト教に頼らないで滅ぼすためにどうするか考えたとのことで、結果的にはかなり無理のある展開になってしまっているが、日本で吸血鬼映画をやろうとするといろいろ困難が生じることはわかる。結局は吸血鬼でも何でもなくなっているが、腐敗なし、吸血なしの“不死者”の状態ではある。 ちなみに中盤で出た医師は、役者が特撮TV番組「ミラーマン」(1971-72)の博士役と同じだったこともあり、この人物がヴァン・ヘルシング教授の役どころなのかと期待したがそうでもなかった。しかし第2作、第3作でも医師が出るので、吸血鬼映画には医師の登場が必須と思われていたのかも知れない。  内容は、大人が見れば当然それほど怖いものではなく、中盤で役場職員が昔語りをしたところとか、終盤でヒロインが怯えてドタバタするなど笑わせるところもある。しかしクライマックスで相手が一瞬で距離をつめて来た場面は、劇場で見ればかなりドッキリだったろうと想像される。ここで衣服が切れていたのは芸が細かい。そのほか中盤で出ていた南方で死んだ兵隊の話は、本当に出征した誰か(この映画の関係者など)の体験談だったかのように聞こえて、かえってこういうのは少し背筋が寒かった。 またこの映画で注目されるのは女優陣である。松尾嘉代という人の若い頃(当時26~27歳くらいか)の姿は記憶になかったが、この映画を見るとかなり愛嬌のある人で、びっくりした顔など表情の変化に目を引かれるほか、当時の流行だろうがミニスカートだったのが何気に色っぽい。また小林夕岐子さんは意外に出番が少なかったが、美貌の吸血鬼顔に凄味があり、題名の「人形」とは主にこの人の容貌の形容と解される。ご本人もぜひやりたいとの意向だったと聞けば他人事ながら嬉しくなる(DVDのコメンタリーでも出演)。その母親役の女優(南風洋子)も、艶消ししたようでいながらそこはかとない色気を見せていた。
[DVD(邦画)] 5点(2018-08-25 17:22:20)
20.  オーメン(1976) 《ネタバレ》 
恐らく自分の世代では知らない者のない映画と思われる。6月6日生まれの人ならほとんどダミアン呼ばわりされた経験があるのではないか。 内容に関しては、監督本人も「傑作だ」と言っているのでそうなのだろうが、しかし1976年の時点でどれだけ革新的だったのか、今となってはよくわからないのが残念である。ストーリー展開とか個別の出来事とかに既視感があって驚きがないが、それは他の映画でさんざん流用されたからか、あるいは大昔にこの映画で見たのを何となく憶えていたからか。ちなみに棒が落ちて来るのは最近見た「富江 アンリミテッド」(2011)にもあったので(笑)、いまだにグローバルな影響を及ぼしているとは思われる。 ほか不吉感のあるメインテーマ(Ave Satani)に関しては、曲自体はわざわざ作らなくてもカルミナ・ブラーナのO Fortunaそのままでよかったのではと思ったりしたが、歌詞の方は悪魔の映画ならではの不穏な感じに作ったようである。  一方で、今になってみるとどうも穏健すぎる作りに見えて少々退屈である(首が飛んだのを見ておいて何だが)。悪魔の子があまり邪悪に見えないのは意外だったが、終盤の物理的脅威がイヌと岸田今日子似の乳母だけだったのも盛り上がりに欠ける。 また個人的に不足に思ったのは、善なる神の意思がほとんど感じられないことである。少しくらい救いがあってもいいではないか、という意味もあるが、そもそもアンチキリストというのは正統なキリスト教あってこその対立勢力だろうから、本体に存在感がなくてアンチだけというのも変な気がした。ちなみに吹き曝し感のある丘に建つ教会の門前で悪魔の子が暴れた時に、結果として結婚式に悪影響がなかったらしいのは幸いだった(外の男がドアを閉めたところで安心した)。ここは神の恩寵があったのか、制作側のささやかな良心ということか。 なお余談だが、メギド(ハルマゲドン)というのはエルサレムの南ではなく北にあるのではないか?? 確かに直線距離で90キロ(60 miles)くらいのようだが。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2017-12-22 00:01:57)
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