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561.  クリスマス・ストーリー 個性豊かな登場人物たちの意表をつく言動はもちろん、かなり脈絡なく挟み込まれるアイリス・イン、アウトといった繋ぎであったり、偏執的なまでの瞳へのズーミングであったり、BGMなのか室内音楽なのかすぐには判然としない音楽の用法であったりと、色々なレベルで予測不能なショットの流れと展開によって、150分を全く退屈させない。 カトリーヌ・ドヌーヴ、ジャン=ポール・ルシヨンら大御所を始めとしていずれの役者も素晴らしいが、とりわけドラマに波乱を呼び込む奇行気味のマチュー・アマルリックの存在感はそれ自体がサスペンスにあふれている。 クリスマスに集いあう一家。老若男女のキャラクターそれぞれが、好悪・愛憎を抱えたままならない人間として愛すべき存在感を放つ。 小芝居では出せない、役を生きる俳優自身の実在性を映像に載せていく演技指導の賜物だろう。 登場人物たちが浮かべる表層的な笑みや、痛烈な毒舌とは裏腹の声音にみる、アンヴィバレントな感情の計り知れなさ、奥深さ、凄み。 冬の花火の美しい煌き、深夜の静かで淡い雪、夜明けの静かな街の空ショットが印象的で、重量感がありながら後味が良い。 [映画館(字幕)] 7点(2010-12-28 00:16:10)《改行有》

562.  獣人雪男 《ネタバレ》 山あいの断崖から宝田明が吊るされるミニチュアの秘境の趣は、群がる鳥のアニメーションと共にどこか『キングコング』(1933)の髑髏島の一場面を彷彿させる。 特撮ショットは全体的に控えめだが、動物ブローカーの悪漢が崖から谷川へと投げ落とされる俯瞰ショットや、車両が転落するショットなど、高所感覚の演出も気合が入った見事な出来栄えだ。 かなり長身のスーツアクター演じたらしい獣人の厳かな威容、土着的な山村や洞穴の美術も力が入っている。 根岸明美の村娘の悲恋劇も絡み、『ゴジラ』(1954)とほぼ同一の主要スタッフ・キャストによる「神殺し」のドラマの悲劇性は、同年の『ゴジラの逆襲』より断然深い。ただし、回想形式による語り初めがサスペンスを弱めてしまっているのが残念なところ。 少数民族音楽に造詣の深い伊福部昭が音楽担当であったなら、というのは贅沢な望みか。[映画館(邦画)] 7点(2010-12-11 23:52:22)《改行有》

563.  レオニー 海辺の情景。それを窓辺で見つめる女性のシルエットが、屋内側から捉えられる。 映画は、部屋の奥側から明るい窓際あるいは縁側に向けたローポジションの構図が主体。 屋外背景のキーライトに対して、暗すぎず・明るすぎずの控え目な補助光によって、人物の表情や部屋の内装も逆光に潰れることなく、落ち着いたコントラストを作り出している。 そして障子や襖や丸窓のフレーム内フレームが、憧憬としての外の世界を対比的に切り取ってみせる。 一方で、随所に挿入されるイサム・ノグチらしき彫刻家(勅使河原三郎)の作業光景のショットでは、強い直射光によるハイコントラストが彼の顔半分を真白く浮かび上がらせ力強く印象的なイメージを形づくる。 いずれも黒澤組の照明・美術スタッフの技の冴えである。 CGの濫用は控え、実景主体で再現した20世紀初頭の風俗も非常に丁寧な仕事だ。 エミリー・モーティマー・中村獅童の主演二人のみならず、出番は少ないながら大地康雄・山野海ら脇役陣の芝居も充実している。 前半では時制の無駄な倒置などが冗長さを感じさせる一方、後半での親子関係の描き込みに不足が感じられてしまうのが難点か。 [映画館(邦画)] 7点(2010-12-09 22:08:50)《改行有》

564.  ナイト&デイ 前作でも気になるクロースアップ過多はスターへの配慮というのは勿論了解するにしても、場面展開の快調なテンポを相殺してしまうくらいの単調さ。(おまけにヒロインの魅力まで損ねている。) 特に上半身主体で行われる閉所内でのアクションはもっと寄り引き織り交ぜて撮って欲しいところ。 航空機内での格闘動作はかろうじて把握できるが、下半身を用いる羽交い絞め脱出術などはバストショットで撮ってもまるで芸が無い。だから、列車内でキャメロン・ディアスが殺し屋の拘束から逃れた瞬間に殺し屋の胸に深々と包丁が刺さるというアクションの流れもよくわからない。 その反面、視覚加工を加えたカーチェイスシーンなどは見事な出来になっている。 後方から接近してくるバイク~遮蔽物~宙を舞う無人のバイク~ボンネットに取り付いてくるトム・クルーズの笑顔、その絶妙のタイミングと外連味。 同じく、武器売人のアジトで手下が次々とロープで首を吊られていくショットのアクション感覚や、トム・クルーズの見事な走りと跳躍が活きる屋根伝いの逃走アクション。 そしてバイクチェイスから高架下へのダイブ~桟橋へのジャンプまで、一連の体当たり的アクション繋ぎのスピード感はクライマックスに相応しく爽快。 ドアミラーに映るジェット機、列車の窓に残った指文字の跡などの小技も楽しい。 [映画館(字幕)] 7点(2010-11-07 21:08:30)《改行有》

565.  瞳の奥の秘密 欠陥タイプライターとベッドで書き付けた紙片を結びつけていく件りは、ただただ非映画的「語呂合わせ」の為だけに要請された設定と行動に過ぎず、唐突で取ってつけたようなエピソードという印象しかない。 作者の意図が露わになりすぎている。本来、走り書きの行為に何らかの必然性(この場合なら、例えば「習慣性」)を付与することでそうした意図を巧妙に隠すのが演出者の手腕のはず。 また、時の流れの刻印を強調しつつ過度に用いられる対話シーンの単調な顔面アップは、ここぞというショットであるべき目のクロースアップの強度を薄めてはいないか。 といったいくつかの貶しどころはありながらも、ハリウッド映画的な娯楽性は豊かで面白い。 エレベーター内の静かな緊迫感。明度を落とした屋内照明の渋さや、窓外の木々のざわめきがかき立てる不穏感。妻を殺された夫の転居先を訪問する際の、家側からのカメラ移動といったホラー的感覚などはとても巧い。ドアの開閉を、サスペンスとロマンスのドラマ双方と絡ませた多様な用方も良し。 空撮から繋いでスタジアム内をアクロバティックに動き回る荒々しい手持ち撮影はルックの変貌が突出しすぎの感もあるが、やはり楽しい。 [映画館(字幕)] 7点(2010-10-16 16:58:37)《改行有》

566.  パリ20区、僕たちのクラス 《ネタバレ》 冒頭での教師同士の自己紹介などを除き、基本的に物語に関する背景や説明的描写は大幅に省略され、原題通りカメラは校舎の外へ出ることなく教師と生徒、あるいは教師同士のコミュニケーションをひたすら捉えていく。通俗的起承転結も大団円もなく、彼らの間では葛藤・摩擦・対立が次々と生起し、授業そのものが優れてサスペンスフルな劇となる。多国籍・多人種・多階級の社会を生きる生徒たちと教師による舌戦の丁々発止ぶりが非常に面白い。強かであったり、反抗的であったりと、個性豊かな生徒達の表情に現れるフィクションと写実のせめぎ合いが画面に緊張を漲らせ、非常に見応えがある。カメラは教室の全体像を収めることはなく主として発言者の横顔を大きく捉えるが、同時に周囲の生徒たちのリアクションも確りフレーム内に収めており、画面はフレーム外の世界と、共存者たちの存在を常に意識させる。極端に狭い校庭で、教師と生徒混合でサッカーに興じるラストの図はほとんど個人戦の様相だが、その雑然感が良い味を出している。 [映画館(字幕)] 7点(2010-07-21 20:27:04)《改行有》

567.  ヒーローショー 《ネタバレ》 ラジオから流れ出した軽快なエンディング曲『SOS』がドラマの哀切と一種の対位となり、効果を挙げる。その70年代の曲調が映画に陽性の余韻をもたらすかと思いきや、最後に再びラジオ音源へと戻ることでシビアな現実への回帰をダメ押しする。空疎感と厳しさと温かみが綯い交ぜとなった絶妙なバランス加減。または夜のアパート、後藤淳平とちすんが語り合う静かなシーンで、突然後藤の腹が鳴って二人は笑う。その悲喜の組み合わせが何とも言えぬ切ない情感と人間味をさらに引き立てる。『のど自慢』の秀逸なバリカンのシーンを思い起こさせるような、泣き笑いの結合の演出はいまだ健在だ。それは、各々の役者が独特な個性を体現し、ぶっきらぼうであったり所在なさげであったりという佇まい自体がこの作品によく嵌っている事にもよる。特に夜のシーンが多いが、その暗がりの中に浮かび上がる眼の光、顔の艶光、硬く強張る表情だけで以って画面に強度を与えている。[映画館(邦画)] 7点(2010-06-25 21:31:53)

568.  トロッコ 台湾の潤い豊かな緑の中をトロッコが走り出すと共に高鳴る叙情的なヴァイオリン音楽。川井郁子のノスタルジックな音色と、李屏賓の移動撮影の高揚感と、その融合の具合がとても絶妙で陶然となる。 トロッコの軌道上から縦移動で捉えられた、緩やかに流れいく情景ショットなどには侯孝賢礼賛が直截に現れている。 超微速のカメラの動きが醸す緩やかな時間の感覚。屋内に入り込んだ自然光が、床からの照り返しで人物の顔を浮かび上がらせるナチュラルな光の感覚。 昼の屋内でも、暗闇の空間が確りと活きている旧家屋建築の魅力。夜の食卓を照らし出す電球の灯の温かみと、ブルーがかった夜の庭の色調バランス。いずれも素晴らしい。 下手に父親の回想シーン等を持ち込まない慎ましさも好感度高いが、それらにしても、律儀に侯孝賢をなぞっている感があって、やはり既視感は否めない。 母親役の尾野真千子が役者的演技をしすぎの感があって、惜しい。 [映画館(邦画)] 7点(2010-06-13 17:39:42)《改行有》

569.  春との旅 《ネタバレ》 例によって、ゴーストタウンのごとく往来のまるで無い殺風景な地方の街路。『バッシング』でも、『愛の予感』でも、小林作品に登場する「北の辺境」は無機質で人間味を欠き、主人公らの殺伐とした心象の反映といった具合で一面的に捉えられる。それでもこの作品はオーソドックスな脚本の趣向によるものか、東北や道南地区(牧場シーン等)の生活感のある暖色系のロケーションや、徳永えりの羽織るジャケットの印象的な赤が作品に温かみをもたらしている。 『白夜』ほどではないにしろ、佐久間順平の音楽は心情説明的で少々押し付けがましいなど不満もあるが、祖父と孫娘のツー・ショットと歩行、食事、その様々なバリエーションと反復表現にはやはり妙味がある。序盤の拒絶の身振りから、旅館の二階と一階それぞれの窓から外を見る二人のショット、仙台の大通りのベンチで肩を寄せ合い眠る二人のショット、腕を組み牧場の坂を駆け下りていく二人のショット、そして冒頭と対になるラストの電車シーンへと、二人が横並びとなるシーンは触れ合いの所作とともに滋味と幸福感を醸していく。 また、味覚以上に活力としての食事が描かれるのもまた小林作品独特の味だ。ラーメンのスープ、コップの水も必ず飲み干させている所が良い。 その他、印象的な細部として、配膳する徳永の手付きをさりげなく見守る淡島千景の視線。一泊目の夜、旅館の風呂場で徳永が口ずさむ歌声の澄んだ響きなどが忘れ難い。[映画館(邦画)] 7点(2010-06-12 21:02:18)《改行有》

570.  女優ナナ(1926) 冒頭で梯子を登るナナを追う上昇移動を始め、従来の短縮版(98分)と比べ復元版(140分)ではかなり多様な移動ショットがみられる。屋敷内の調度品や天井画まで映る大広間のセットなど美術(クロード・オータン=ララ)の豪勢ぶりを示すロングショットも増え、いかにも大作といった感が増している。後半でカンカン踊りに湧くダンスホールのルノワール的な賑やかさも壮観だ。大半は舞台的な室内セットを中心としたフィクス主体の空間造形ながら、ドアや衝立の背後といった見えない空間で起こるドラマを用いて空間の奥行きと広がりを感じさせるのはさすが。そして、ナナ役:カトリーヌ・エスランが見せる高慢かつ淫靡な悪女イメージの強烈さも見所のひとつ。邪気と無邪気の同居する、滑稽なまでに憎々しい表情と身振りが天晴れだ。ただこの作品、屋外シーンが少ないのが残念なところ。撮影上の制約ではあるだろうが、競馬の場面も『獣人』や『カトリーヌ』の荒々しい疾走感に比べるとやはり物足りない。[DVD(字幕)] 7点(2010-05-27 20:47:47)

571.  武士道シックスティーン 《ネタバレ》 クライマックスのインターハイをあれだけ潔く省略したのに、一方で北乃きいの父親に関するエピソード等では台詞説明過多な印象があって、本来ならもっと脚本を削れたはずと不満は残る。とはいえ、この種の青春ものではないがしろにされがちな家族との関係描写を丁寧に描いている点は好印象だ。面付けの所作などのさりげないシーンも光る。そして、風。休部中の成海璃子が剣道場を覗く場面や、ベンチに横並びになる成海・北乃のツー・ショット、あるいは小高い丘の場面など、幾度と無く彼女らの背景で木々が風でさわさわと揺れる。それら要所要所で吹き抜ける涼やかな風が非常に印象的で、映画を心地よい感覚で満たしてくれる。小木茂光と成海の父娘が陽光の差し込む開け放たれた道場に並び座る和解の場面でも、木々の影が二人を癒すように繊細に揺れていて良い感じだ。階段の段差を用いたエピソードもまた、二人の関係と距離をうまく視覚化している。北乃の見上げた主観ショットともとれる、青空を背景としたラストショットの笑顔も気持ちいい。[映画館(邦画)] 7点(2010-05-16 19:28:43)

572.  女優と詩人 PCL移籍後のトーキー第二作目。夫婦喧嘩、隣近所の付き合い、二階住まいの下宿人といった後の作品でもお馴染みのモチーフにユーモラスな味付けがされている。序盤の凧上げシーンのギャグや、襖・引き戸の開閉のアクションだけで施される人物表現など台詞を省いたサイレントスタイルの面白味を残す一方、趣向を凝らしたトーキー演出(舞台俳優という設定を活かした台詞のギャグ・噂話・童謡のBGM・オフ空間の騒音など)も様々に試みられている。宇留木浩の朴訥でとぼけた感じの台詞廻しや、千葉早智子が夫を呼ぶ声のトーンの愛嬌。隣家の亭主役である三代目三遊亭金馬が童謡のレコードに合わせて踊る酔っ払い演技や、その妻役:戸田春子のお喋りっぷりなどそれぞれに愉快だ。ファーストシーンに呼応する同一構図の風景描写の後、勝手口から登場するのが今度は千葉早智子という洒落た結びが冴えている。彼女の台詞「もう少しよ~。」がまた非常に可愛らしい。[CS・衛星(邦画)] 7点(2010-05-15 19:26:04)

573.  禍福 後篇 入江たか子と竹久千恵子は互い同士の目撃・窃視を通した視線劇の中で、あるいは病に伏せる者を共に看病するという成瀬的モチーフの中で関係していくのが興味深い。その看病への布石として、かつ映画的アクセントとして遊園地を活用する巧さ。今川焼き店での店番のエピソードもさり気ないながら伏線として効果的だ。帰港する客船のショットや、築地ふ頭近辺の情景などはやはり作家としての水辺の光景へのこだわりか、これらも違和感なくドラマの中に納まり豊かなイメージを作り出している。技法的には、松竹蒲田のサイレント作品『夜ごとの夢』などの頃は濫用の気味もあった急激なトラックアップの技法を前後篇通してただ一箇所、ここぞの場面のみに抑えて無音と共に効果を挙げている。アクセントという意味では衣装も同様。洋裁店に従事しながらも一貫して和装を崩さなかった豊美(入江たか子)が、作品の最後に両篇通じ初めて洋装で登場する。これも、彼女の心機一転を視覚で語ってみせる作家の仕事だ。[CS・衛星(邦画)] 7点(2010-04-24 17:51:37)

574.  白い野獣 冒頭からそれとわかる伊福部昭の重厚な音楽が、娼婦の更生という題材にあわせさらに重々しい旋律で響く。一方で軽快なダンス音楽の挿入曲が、三浦光子と北林谷栄の取っ組み合いの場面などで対位的な用い方もされているのはやはり黒澤明『野良犬』(1949)の影響もあるのだろうか。ドラマの舞台は閉塞的な更生施設にほぼ限定されるが、ダンスやバレーボールや喧嘩などの動的なアクションや、ダンスのステップからミシンの足踏みへといったつなぎのテクニックが随所に活かされ、見所に事欠かない。わけても、視力を失っていく三浦光子が病室に横臥する場面のローキー画面は、玉井正夫の真骨頂といった感じでやはり素晴らしい。机上のランプの灯りを受け浮かび上がる彼女の顔に幻想的な川面の光と少女時代の姿がオーヴァーラップし、彼女自身の再生を思わせるように赤子の産声が響いてくる。夜明けの丘に立つ女性と木立のシルエット。この厳かなロングショットも良い。[CS・衛星(邦画)] 7点(2010-04-11 21:24:15)

575.  時をかける少女(2010) 2010年の母親が意識不明でありながら主人公の行動が暢気で悠長であったり、その使命自体に何の切迫感もないなど根本的な設定の欠陥も多い上、寄り画面の多さにも辟易するけれど、その役者たちの魅力的な表情は救いだ。 8mmキャメラを一心に覗く中尾明慶の眼差し。ラストの安田成美の美しいクロースアップと、シルエットとしての存在の石丸幹二との切り返し。そして喜怒哀楽の表情豊かな仲里依紗がなんとか映画を支える。何度か登場する、小さな炬燵を挟んでの主演二人のシーンも良い。菓子やラーメンの食事を交えながら二人の対話と沈黙を捉える長廻しが、あるいはお互い逆向きに足を伸ばし合う俯瞰ショットが、二人の微妙な距離感を醸し次第に湧き上がる情感を巧く掬い取っている。そして相合傘、おでん屋台、実験室の机での二人の横並びのショットが、彼女の最後の決断にそれなりの納得性を持たせていく。 70年代のアイテムやファッションやオマージュシーンを目一杯画面に散りばめながら、それをあくまで細部に留めさせるさりげなさも好ましい。別れの廊下のノスタルジックな光、父親と会う公園の風と木漏れ日、時を越える装置としてのフィルムに感応するヒロインの大粒の涙など忘れ難い。[映画館(邦画)] 7点(2010-03-14 20:24:40)《改行有》

576.  南極物語(1983) 空撮の多用とロングショットによって捉えられた神秘的な大陸のスケール感が圧巻。蔵原監督の日活での第一作『俺は待ってるぜ』に連なる無国籍アクションの最たるスケールだろう。狭い日本でなら不可能なカラフト犬の全力疾走の躍動感と獣性の美しさがロケーションと共に映える。人間側の傲慢かつ欺瞞的な同情やら憐憫やら愛護心などを他所に、人間の残した餌には手もつけず独力でアザラシを狩る犬たちの姿はまさに蔵原的ヒーローの体現だ。編集やBGMがいくら犬達の孤独や悲哀を演出しようが、犬たちの前にはカメラ(と人間)が常にある。ゆえに個々のショットには物語とは裏腹な犬たちの喜びと安心感が露呈しており、こうしたドラマとの逆説的なズレがあるから映画は面白い。[映画館(邦画)] 7点(2010-03-08 22:23:49)

577.  カティンの森 《ネタバレ》 パースを活かした縦構図が多用されるが、その突き当たりは移送列車の壁であったり、刑場と思しき地下へと続く階段の暗い闇であったり、濃い夜霧であったりと、見通しは悪く閉塞した空間が充満している。ファーストシーンの橋における右往左往の混乱状況もまたポーランド情勢そのものの縮図であるかのように遠景は展望を欠く。 そんな中、青年と娘が見晴らしの良い屋根の上に登る場面で一時の開放感が訪れる。1ショット挟まれる街の見晴らしが切ない。二人が交わす映画の約束とキスに、『灰とダイヤモンド』の青春像がよぎる。彼が既に前段で「記念写真」を撮るシーンをもつこともまたその後に待つ運命を予感させ、より切実で印象深い場面となっている。その他、日記が途切れ白紙となったページを風が繰るその虚無感。墓地に差す夕陽の淡い光線なども印象的だ。 映画のラスト。犠牲者の手に握られたロザリオと共に、パワーショベルの土に埋もれ、暗溶する画面にレクイエムが被る。地中の暗黒の視点と無音には、飽くまで「埋められる側」に立つアンジェイ・ワイダの矜持と同時に、語るべきことを語った、というような情念がある。 [映画館(字幕)] 7点(2010-02-19 19:40:26)《改行有》

578.  once ダブリンの街角で 《ネタバレ》 路上ライブを捉えるファーストシーンの手持ちカメラの揺れがいかにも即興風を装うのだけれど、次に窃盗男を追いかける場面では付近の店内に飛び込んでいく二人を捉えたかと思うと、次の瞬間にはカメラは二人が飛び出してくるであろう隣の出入り口の方を早くも向いてしまっている。案の定、手筈通りに二人が飛び出して来るのでその予定調和ぶりに一気に興ざめしてしまう。また、楽器店で男女が初めてデュエットする場面も受け容れ難い。カメラは不必要に動き回り、まるで二人の演奏の邪魔でもするかのように二人の直近まで寄りと引きを過剰に繰り返す。この無配慮に振り回されるカメラが煩わしい。といった具合に序盤は撮影面で不満が多いのだが、後半は次第に持ち直してくる。小品の趣ながら、中盤以降はクレーンを使ったショットも計3箇所あり、特にそれらが感情を伴った動きでいい味を出す。いずれも場所はヒロインのアパート前。まず、夜中に乾電池を買って戻る場面では、彼女の孤独感を表すかのようにカメラは上昇し、暗闇の中で彼女の小ささが強調されていく。そして歌っていた歌詞のように、カメラは上昇しながら行き場を失くす。対するラストシーンのクレーンは、ドアから出てくる笑顔のヒロインに俯瞰から真っ直ぐ躍動的に寄せていく。(さらにピアノへ)男の思いの軌跡のように。そして最後のショットは、思いを受け取った彼女のいる窓辺から外の世界への開放的な移動。二人の感応が、それぞれ三様のカメラの軌跡として表現されている。これらのクレーンの運動は美的だ。[映画館(字幕)] 7点(2010-02-15 22:16:17)

579.  2012(2009) 従来より、監督としてよりもプロデュースの才の際立つエメリッヒ作品。広く浅く、最大多数の国際市場に配慮した人種・世代・階級・業種の多様な配置は鉄則通り。出資出演協力の政・産・軍への律儀な配慮もぬかりない。よってドラマパートはひたすら無難かつ平板ながらも、米軍自体が街を破壊しまくる『GODZILLA』のような毒も随所で垣間見せてくれて面白い。あるいは、登場人物に感情移入させかけたところで即物的な死を与えてしまう意地悪い資質。地割れ・噴煙・津波との追っかけ(水平運動)と、ビル崩落・火山弾・絶壁・舷側のサスペンス(垂直運動)を組み合わせた縦横の活劇のひたすらな連打は、2001年に起きた「映画のような」事件(9.11)の映像とそれ以降の表現自粛に対する「映画」の挑戦でもあるかのようだ。『デイ・アフター・トゥモロー』(2004)の時点では「倒壊」を自主規制せざるを得なかったエメリッヒの本領発揮といえる。[映画館(字幕)] 7点(2009-12-16 19:15:03)

580.  スペル ヒロインが通勤する車の中で「round」「around」の発声練習をする登場場面は、農家出身でキャリア志向である真面目な彼女のさりげない人物描写でもあり、この後「開いた口」に執拗に襲い掛かる災いのささやかな予兆ともなり、さらにコイン・ボタン・ケーキ・円卓などの円形や様々な形で登場する「hole」、周回するキャメラといったモチーフにも遠く連関しているといえる。そうした何気ないながら一貫した細部もまた、メリハリのあるストーリーテリングに寄与している重要な要素だ。風やノイズ音、影やミラーを程よく用いた恐怖演出、等身大の女性像を造形するエピソード群とクロースアップ挿入の効果が生む彼女への感情同化作用のねらいも非常に手堅く、巧い。随所のコミカルな味付けも絶妙だ。(個人的に最も可笑しかったのは、あのスケープゴート(山羊)のとぼけた表情。)また、この映画でも列車の往来が世界を分断しているのが興味深い。 [映画館(字幕)] 7点(2009-11-21 22:37:52)《改行有》

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