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コメント数 304
性別 男性
自己紹介 つたない文章力で自分なりのレビューを心がけます。映画館で観た作品は自然と評価が高くなりがちです。

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61.  ダークマン 《ネタバレ》 悪の組織に殺されかけて、痛みを感じぬ体を手に入れた。しかし腕力は常人なみで、変身に時間制限はあるけれど、そんな時には頭脳で応戦。ピンクの象さんが大好きで、少し短気な所もあるけれど、愛する女にゃめっぽう弱い。観た人からはちょっとした笑いをいただき、愛した女に別れを告げ、今日も人ごみに紛れ込む。その男の名は、闇のヒーローダークマン。かっこよすぎです。[DVD(字幕)] 8点(2008-01-27 17:22:46)

62.  わが谷は緑なりき 《ネタバレ》 何故だか知らないけど懐かしい気分になりました。同じような体験をしたとか、境遇が似ているわけでもない。でもすごく、懐かしく暖かかった。村中、みんなで歌って、みんなで悲しんで、みんなで喜び、みんなで非難する...悪い所があるから、良い所がものすごく輝いて、美しく見えるんですかね。そんな嫌な思い出も、いつかは笑える日が来るんでしょうか?少なくともヒューにとってはそうで、ラストシーンでもあったように、幸せに食卓を囲んでいた家族の姿こそが、彼の忘れられない思い出なのでしょう。そんな僕は、炭鉱で働くとヒューが言ったときのお父さんの悲しい顔が忘れられません。きっと父親にならないと、この気持ちは分からないんでしょうね。[DVD(字幕)] 8点(2007-03-08 00:56:49)

63.  最前線物語 《ネタバレ》 帰還を許されない兵士達が、最前線に留まりながら、空間と時間を滑走する物語。 彼らは、最小限の身振りで音もなく、時には踊りながら、異物(平穏な街にとっての兵士)を華麗に排除していく。それは殺人というより、掃除に近い感覚さえ抱かせる。 暴走する物語のスピードに振り落とされまいとするように、彼らは空間と時間を飛び越えて、ただ戦場を駆け抜ける。 彼らには安息の地も安らげる時間も、帰るべき場所も用意されてはいない。宴のカットが変われば、直ぐに次の戦場(最前線)に放り込まれてしまうのだから。 激動の戦争が終わり、敵兵を背負った老兵の顔には、それでもなお叙情性や徒労感の影はみられない。[DVD(字幕)] 7点(2017-10-23 18:49:29)《改行有》

64.  ノスタルジア 《ネタバレ》 過去の記憶や思い出は、言語や色彩を持たない映像の断片であり、現在は意味や原因を持たない事実と結果の連続なのかもしれない。 意志を持たない過去と現在を繋ぐ映像の持続の中で、観客はただ、ドメニコは焼身自殺を遂げることが出来るのかを、アンドレイはロウソクの炎を消さずに温泉の底を横断できるのかを、ラストの奥行きも高さもある画面にどのようにして雪を降らしているのかを考えながら、映画と自分の間で絶えず更新される現在を純粋に見守ればいい。 その楽しい時間が終わってしまえば、「映画を観た」という記憶は過去のものとなり、この文章を書いている間にも刻一刻と稀薄に断片化され、捏造されていくのだろう。 その時、思い出されるのは前述したような言語も色彩もない美しい映像の断片達であるのかもしれない。[DVD(字幕)] 7点(2017-10-14 22:36:46)《改行有》

65.  何者 《ネタバレ》 閉塞された空間に捉われ続ける若者たち。それはアパート、面接会場、大学の喫煙室、電車(さらには窓に映った拓人と瑞月は窓枠にも捉えられる)、タクシー、直接的描写はないが履歴書の証明写真など。 そんなあらゆる閉塞性の中で、ツイッターという特権的な立場から、他者を批評し俯瞰した視点を保つ事で、何者でもない自分のアイデンティティを何とか維持する拓人。 物語の終盤。他者を見ていた、批評していた者(拓人、映画の観客)が、見られる、批評される者になる瞬間。客観性が崩れる瞬間。抽象的なものが視覚化されていく。 それは劇場(演劇)となり、面接となり、ツイートを受け取る側のダイレクトな反応(理香)となる。 拓人のアイデンティティは崩壊し、面接の中で彼の本音が溢れ出す。 その時、それまで正面から客観的に拓人を捉えていたカメラは、彼の背中を押すような主観的なものとなり、拓人自身は閉塞されたビルから、光輝く解放的な外へと踏み出していく。[DVD(邦画)] 7点(2017-08-15 18:55:55)(良:1票) 《改行有》

66.  グロリア(1980) 《ネタバレ》 止まらないタクシーを銃声を媒介させる事で停車させてから、グロリアは空間と時間を自由に移動し、支配するようになる。 タクシー、バス、電車。それらは寸分の狂いもなくやってきて、彼女の為に機能する。 乗り物は彼女の特権的な空間となり、そこでは男たちの自由な動きは奪われる。 彼女は墓地に眠る故人をも移動させる。そして時にはカットが変われば、時間も空間も移動し既に行動は終わっている。 彼女を追う者も、そして映画すらが彼女を捕らえる事は出来ない。 真の強者であり自由な女の魅力がそこにはある。 ラストでフィルが電車にタクシーにすんなりと乗る時、フィルは彼女と同一化する。 墓地で祈る彼の前にはすでに距離は無い。 そして、ウェイトレスとのとりとめないやり取りの後ろで、ドラマが繰り広げられる時、映画は背景、遠近感を捨て、映画という枠を逸脱し、今までは背景となり得た黒人の大柄なタクシー運転手が、ホテルマンが、バーのマスターが、町の雑踏が緊張感を作り出し、世界は平面化する。 その時グロリアとフィル、そして観客には気の休まる場所も時間も存在しない。[DVD(字幕)] 7点(2017-03-25 02:22:29)《改行有》

67.  暗黒街の弾痕(1937) 《ネタバレ》 霧、夜という環境。そして貸車、車、牢獄、家、手配書、窓という矩形に囚われ続ける二人。 エディは霧を逃れながら脱獄し、ジョアンは家から離れ、車の窓を壊し、二人は何とか自分たちを捕らえる物から逃れようとする。 陽光が差し込む森で開け放たれた空が視界に現れる時、二人は固定された様々な環境や矩形から初めて解放される。 そして神父の言葉が、エディの笑顔がそこで表象される。 自分にはそれが幸福な結末であるとしか思えない。[DVD(字幕)] 7点(2017-03-20 20:44:42)《改行有》

68.  サバイバルファミリー(2017) 《ネタバレ》 極限の不自由の中で生まれる瑞々しい細部の数々。 文明の利器である、電灯が電車がパソコンが携帯電話がその他諸々が寂しく役目を終える。 その中で家族は分裂し、もがき苦しみながら、農村に辿り着く。 そこで図らずも繰り広げられる、始めての共同作業とも言える全員で一匹の豚を追うシーンは、滑稽でありながらも無邪気で微笑ましい。 家族が和解し、農夫との別れの後、ロングショットのブレないカメラが、始めて等間隔で父→兄→母→妹という調和のとれた順で収まる家族を捉え、それまでなかった音楽が鳴るシーンは美しい。 人を癒し生命をもたらす姿とは真逆な凶暴性を備えた、水の紛れもない一つの姿である川。そこで起こる出来事は、水の多面性に翻弄される家族の儚さと身体接触を介した絆の生起も映していた。 駅という概念を捨て、どこでも止まれる自由さ、そして機動性を備え逞しく滑走する蒸気機関車。 蒸気により疲れた人間を煤まみれにし、笑わせ癒す様は動物的な愛らしさ、身体性をもっている。その献身性は、愛玩動物である事を辞め本能を剥き出しにした犬との対比ともなる。 そしてトンネルを介した観客と家族の闇の共有や、列車の窓とスクリーンを介した家族と観客の視点の共有などの映画という構造を生かした見せ方も素晴らしい。[映画館(邦画)] 7点(2017-03-12 00:52:38)(良:1票) 《改行有》

69.  太陽(2015) 《ネタバレ》 目では見えているが、当事者の精神的断絶が視覚的空間の断絶に伝播する=生田宅での襖は開いているが、観客からはレイプの全貌が見えないシーン。 フェンスを隔てたキュリオの世界とノクスの世界の境界線。お互いが見えてはいるが、服装や所作、思考、価値観移動手段など全てが異質の物(父娘の別れのシーンに代表される)である事が分かる。 そして目では見えないが、当事者の精神的継続が視覚的空間の継続に伝播する=車のボンネットを隔てた鉄彦と富士太の関係性。 そういった相反するものの境界の曖昧性と価値の逆転を描いている。それは可視と不可視、光と闇、ノクスとキュリオ、自由と不自由であったり。 目を引くシーンも多い。冒頭の低い位置から捉えた駐在員殺害。視覚を制限し影をうまく使ったレイプ。対比として繰り返される生田母娘と鉄彦、富士太の構図。 そして終盤、奥寺姉弟が死亡するシーン。 長回しにより持続する時間の中で、近景(鉄彦と富士太)中景(生田親子)遠景(村人と克哉)による三つのドラマが同時に進行する。 画面的な多層性も去ることながら、キュリオとノクスの融解、ノクス同士の和解、ノクス同士の対立というように関係性もグラデーションになっていて意味の多層性も秘めている。 そしてその果てに起こる二つの肉体的な死、一つの父娘という関係の死。一つの友情の生。 争いと離散の果てに生まれた友情はどこへ向かうのだろうか。[DVD(邦画)] 7点(2017-02-11 11:19:09)《改行有》

70.  小人の饗宴 《ネタバレ》 自分は24時間テレビなどのチャリティー番組を観る事が出来ない。 直向きに何かに挑戦する障害者をどういう気持ちで観ていいか分からないから。 観たらきっと感動するであろう、差別と偏見に満ちた醜い自分を直視したくないから。 この映画では自分より弱い立場の物や動物、人間をひたすらいたぶる小人の姿があった。 心底醜く、不快な存在。視覚的にも、聴覚的にもただただ生理的に不快な描写の数々。 しかし皮肉にもそんな彼らを、偏見も差別もない健常者を観るのと変わらない平等な視点でそれぞれの個の人間として判断している、自分がいることに気づいた。 非難されるであろう、切り込んだテーマと内容を扱った作品を撮った監督には気概を感じた。[DVD(字幕)] 7点(2017-01-07 04:26:34)《改行有》

71.  ちはやふる 上の句 《ネタバレ》 前置きとして原作も下の句も未見です。 ちはやふるという映画、少なくともこの上の句に限って言えば、この映画は千早の物語ではなく、太一と机君の物語となっている。 千早という天真爛漫で太陽のように光り輝く存在に照らされ周りを回る衛星のような存在である太一。 才能、実力では新には及ばす、かるたに対する情熱、直向きさでは千早には及ばない。そして自分の思いも千早には届いていない。 心に常に揺らぎを持ち、悪く言えば芯がない不安定な存在。 しかしだからこそ、同じ様な悩みを抱える自分と重ね合わせ感情移入をしてしまう。そして彼が魅力的に思えてしまう。 机君の心情を誰よりも早く察知し、そこに寄り添えたのは、机君と同様に彼が揺らぐ存在であったからこそだろう。 そして彼らは、それぞれが抱える負の側面(太一は卑怯者である自分、机君は他者との関係を断絶し自分の殻に籠る自分)を超える。 その自分との戦いにこそ感動し、持たざる者の私は勇気づけられる。 持っている者、主人公の視点で進む青春映画が多い中、持たざる者に焦点を当て丁寧に精神的成長を描く物語は貴重であると思う。 かるた競技中の静と動、緊張感のある間の取り方もメリハリがあり素晴らしい。 下の句には太陽である千早の物語をどう描くかを期待したい[DVD(邦画)] 7点(2017-01-06 19:14:29)《改行有》

72.  ばかのハコ船 《ネタバレ》 夢はある。しかしそれに向かって、努力はしない。商才もない。人望もない。運もない。 冒頭と最後の実演販売に象徴されるように、変化もせず成長もする事はない。 あぜ道を歩く二人の姿のように、二人の人生はただただ平行線を辿る。むしろマンホールに落ち、強盗を示唆させるラストは下降線を描く人生を表す。 二人と対比されるように、着実に人生が上昇していくヴェロニカ。 夢を叶える舞台が都会ではなく田舎である点も心強く、たくましい。 田舎は夢に破れた者が帰って、安泰に暮らせるほど甘くはないし、そこでこそ叶えられる夢もある事を堂々と体現する。 若者の描写はジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」に近い感覚を感じた。[DVD(邦画)] 7点(2016-07-19 17:46:57)《改行有》

73.  ワイルド・アット・ハート 《ネタバレ》 ルーラが自分を苦しめた家族、呪詛的な母親の偏愛から、精神的にも肉体的にも逃げ出し新たな家庭を築く物語。 そしてセイラーにとっては、自分に内在する凶暴性(アメリカの銃社会がもつ危うさや男性性)と向き合い、決別にも近い自己反芻をする事で、家庭を持ち再生を遂げるという話。 ふたつの物語が行き詰まりを迎え、それぞれが自分を苦しめた呪いから身も心も脱却し結ばれるラスト。 あらゆる出来事が夢と現実の境界を失い、夢の中の安全な恐怖が日常を侵食する中で、紛れもない現実である二人のバストショットで終わるラスト。 それは多層的な意味合いの中で真に感動的な場面となる。[DVD(字幕)] 7点(2016-07-16 18:45:18)《改行有》

74.  ミツバチのささやき 《ネタバレ》 映画館で子供達が「フランケンシュタイン」を観るシーン。普通子供ならば、フランケンシュタインの姿に恐怖する事が想像できる。 しかし、この映画においての子供達の映画を観る眼差しは真剣である。そして、アナはイザベルに何故フランケンシュタインは少女を殺し、自死を遂げたのか尋ねる。 フランケンシュタインとは自らの実存を問い苦悩する存在であり、そんな彼にアナは恐怖ではなく本能的に思いを馳せ、境遇に共感をしていたのではないか。 小さな子供ですら、無意識のうちに実存を問わなければならない状況。子供が子供として生きられない世界。 それが置かれている状況を全て物語っている。 そして作品全編にまとわり続ける、死の匂い。日常と常に寄り添い続ける死。 ベッドで寝る母を執拗に捉え続ける長回しは、愛の不在と疲弊も映している。 戦場ではなく、日常を淡々と映すことで状況の異常性を映像で語り、何も語らない子供の目線は他の何よりも多くを語り身に迫る。[DVD(字幕)] 7点(2016-06-30 18:45:07)《改行有》

75.  クリーピー 偽りの隣人 《ネタバレ》 「CURE」の萩原聖人が癒しを与える者なら、今作の香川照之は破壊、不和をもたらす者。 目的の違いはあれど、思想としては共に自分の手を染めることなく殺人を犯す。「ダークナイト」におけるジョーカーのように、人間の弱み、悪意に付け込む悪魔として描かれる。 しかし、CUREと今作では殺人という結末に向かう過程が全く異なる。萩原聖人が使う武器が話術であるのに対して、香川照之は薬物という武器を使う。その武器の違いは、そのまま作品の質の差、恐怖の種類の違い、危うい魅力の差としても現れる。 それは香川照之を偶像化したくなかったからだろうか。あるいは犯罪者を類型化したくはなかったのか。 風、霧、カーテンなどの遮蔽物、明暗を使った恐怖演出。不意を突く銃殺場面。玄関(家と外を隔て、他人と自分の間に立ちはだかる壁)を巡っての攻防戦、人間関係の描写。シーンごとの長回し。大学構内での学生の動きや視線、画面を行き交う通行人への多層的な興味の惹きつけとその積み重ねから生まれる、違和感、不穏感。それらは今まで観てきた黒沢映画そのものだった。 だが今作には、人間や社会に内在しうる悪意、脆弱性を映し出す恐怖がない。少なくとも身に迫る説得力は感じなかった。[映画館(邦画)] 7点(2016-06-19 01:37:01)(良:1票) 《改行有》

76.  ナイトクローラー 《ネタバレ》 山で起きた事故の死体を動かし、移動しながら、カメラを構える場面。映像がドキュメンタリーからフィクションに変わる瞬間。物や映像を盗むものから、生み出すものに変わる瞬間。事件をただ外側から受容するものから、事件の内側に入っていく瞬間。 そこから撮ることが特権化し、被写体に対する優位性が、そして自意識が誇大化していく。 同時に反比例して倫理や道徳という人間味が欠落していく。 その臨界点で起こる最悪の結末。しかし、そこで生み出されたものは同時に美しい芸術であり、究極のプロフェッショナルが辿り着いた結末ともとれる。 そして間違いなく彼が一番輝いた時でもある。 魅力的な映像を撮る事、魅力的な何かを生み出す事の代償(大なり小なりあれど)から目を反らすことなく、最後まで真摯に向き合っていた。 そして、その代償も含めたものこそが観客が求めているものではないのか?と訴えかけるかのような、ラストの尋問室での主人公の監視カメラへの視線にゾッとした。[DVD(字幕)] 7点(2016-06-18 19:25:03)(良:1票) 《改行有》

77.  バクマン。 《ネタバレ》 漫画の映画化、映画の中の漫画という二つの大きな壁。 前者は、漫画の場面、台詞、設定をそのまま映画で表現してもうまくはいかない。映画は映像の連続で、漫画は絵の連続であるから、根本的な作りが違う。 決め絵の連続や台詞の多用は、映画にとっては過剰になってしまう。その漫画の主題や大切な場面をいかに映像の中で表現するかが重要であると、個人的には思う。 自分が今作で非常に重要だと感じたのは、亜豆という人物。 彼女は真城が苦しむ場面で、必ず出てきて彼を導く。彼女の登場場面では、幻想的な空間が作られる。それは、ライティングの効果であったり、テレビを通した姿であったり、白いカーテンを隔てる事であったり、漫画の中の彼女であったり。彼女は一人の女性というだけではなく、抽象化された希望の象徴であるともとれる。 それらの表現はまさしく映画的であり、主人公達の目的=物語の目的、に大きな推進力を与える。 そこには、ただ漫画を忠実に映画化するだけではない、映像表現の魅力が間違いなくある。 そして今作において、圧巻なのは映画の中の漫画表現。 漫画を描く事を文字通りアクションでみせる。そこでは、音(BGM、ペンの音)が絶妙に絡み合いグルーヴを生みだす事で、今まで見た事がない映像体験が繰り広げられる。 他にも、緊迫感と笑いが同居する連載会議、漫画家だけでないチームとしての漫画制作、漫画愛に溢れるエンディングと見所は尽きない。 漫画、そして映画、どちらにも真摯に向き合う事で、どちらも見事に共存している稀有な作品であると思う。[DVD(邦画)] 7点(2016-06-11 03:17:25)《改行有》

78.  ドイツ零年 《ネタバレ》 エドモンドの表情や行動からは、何も読み取ることは出来ない。カメラも何かを強調することなく、ただ出来事を映し続ける。そこにいるのは、子役でも子供でもない、一人の人間。 そして迎える自殺という結末。 観ている側に想像出来るのは、出来事の積み重ねがその結果を引き起こしたのではないか?と想像することだけ。 よく何かが起こると「あの人がそんな事をする人だとは、思わなかった」という言葉を聞く事がある。 本当のリアルというのはそういうものであり、第三者はいつも何かが起こった後から想像する事しか出来ないものかもしれない。[DVD(字幕)] 7点(2016-05-27 17:28:21)《改行有》

79.  海よりもまだ深く 《ネタバレ》 家族の変化、とりわけ父親像の変化。昔なら成り立っていた家族の形が現代では成り立たなくなっている。(それは不満はありながらも、死別するまで夫に添い遂げた樹木希林と阿部寛との別れを選んだ真木よう子の対比に象徴される) そして昔よりも、家庭を持たない個人を許容する事になった社会。 それらを、肯定も否定もすることなく、ただ今ある現実として描き続ける。 是枝監督の映画において「歩く」という行為は大きな意味を持つ。一人で歩くか、誰かと一緒に歩くか、またその時の相手との距離感、歩き方など。 それはそのまま人物の心情、状況、他者との関係性を表す。 今作においても、冒頭一人で歩いていた道を終盤息子と歩く阿部寛。それぞれのシーンのカットは同じアングルから捉えられる。遊具を見るショットも反復して映される。しかし、阿部寛の思いや視点は最初のそれとは全く変わっている。それは、子供の視点から親の視点への変化ともとれる。 食事のシーンにおいては、家族全員が椅子に座り、食卓を囲むシーンはない。ここにも家族の形の変化が見て取れる。そしてうどんを食べるシーンでは、阿部寛は真木よう子の方を向いているが、その反対はない。それは元夫婦の心の距離感、心の向きを表しているように見える。 そして自分なりの夢の形(宝くじ)を、息子に託す父親。 台風という不可逆的で否応なく巻き込まれ、いつの間にか過ぎ去っていくものを人生と置き換えるなら、嵐が過ぎ去った後は晴れるという考え方は、あまりにも都合がよすぎるのだろうか。[映画館(邦画)] 7点(2016-05-27 01:12:36)(良:3票) 《改行有》

80.  きみはいい子 《ネタバレ》 子供の障害に気づかず、ただ一人の人間として障害というフィルターを通すことなく、少年と接し続けた老婆。 それぞれの体験がシンクロし、母親同士が心の底から痛みを分かち合い、繋がりあえた瞬間。 いつも見ていた景色(鉄棒から見た時計)、そこで感じていた思いを同じ目線に立つことにより気付き、感じ、壁を乗り越えようとしてくれた先生。 それぞれの瞬間は突然訪れる。視点の移行、突然のフレームインからの予測の裏切りといった確かな映画的技術で、観ている側も登場人物と同様に文字通り虚をつかれる表現で、それぞれは提示される。 自分の内面に土足で踏み込まれ、心を鷲づかみされた感覚。でもそれは同時に、とても温かく優しく懐かしい感覚でもあった。[DVD(邦画)] 7点(2016-04-07 23:08:01)(良:1票) 《改行有》

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