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781.  キック・アス 《ネタバレ》 ネット配信される悲惨なリンチの画像に見入りつつ、もたれかかる女性を抱きとめ喜色満面となってしまう主人公の親友たち。その悲喜劇の組み合わせの不謹慎さ。 そして、満を持したマズルフラッシュが一閃し、周囲が闇に落ちる。 喜劇的な伏線が、復讐劇の重い感動に転化する瞬間のカタルシス。 犯人やトラップをあらかじめ観客に明かすことによってサスペンスを煽るヒッチコックの映画術のように、明瞭に配置された伏線が、救出劇のエモーションを高める。 暗闇の中に鋭く弾ける銃撃炎の激しい照り返しは、姿なき娘の怒りの表象となり、 彼女が装着した暗視スコープの主観画面は、機敏かつ冷徹な銃捌きを見せる手のアクションを以って怒りの強度を伝えるとともに、観客に同化を促さずに置かない。 映画は、クライマックスの銃撃戦・格闘戦のさなか、夜が明けていく窓外の光の推移も丹念に捉え続け、ラストで闇からようやく抜け出た少女を逆光の朝陽で包ませる。 そのビル屋上のツーショットが大変爽やかだ。 [映画館(字幕)] 8点(2011-01-22 00:21:00)《改行有》

782.  不戦勝 《ネタバレ》 ワンカットに複数のアクションを組み込む複雑な長回しは、現実時間への同調と演技・運動の持続による生々しさを獲得する一方で、撮り方次第で作り手の作為や計算を逆に露呈させかねない諸刃の剣でもある。 この作品でいえば、移動を交えた長回しのカット尻に、生卵投げや即興の似顔切り絵の大道芸といった難易度の高いパフォーマンスを配置している辺りに図らずして「段取り」の周到さを感じさせてしまう。 とはいえ、ここでは如何にも低予算的な作風と趣きゆえに、その意欲性と情熱と力強さが勝っていて好ましい。 ボクシングシーンの荒々しいファイトの長回しも勿論素晴らしいが、圧巻は何と言っても主人公(スコリモフスキ本人)の乗る列車をバイクが並走して追う驚嘆のショット。 彼が意を決して列車を飛び降りるまでの葛藤と煩悶が、俯瞰気味の絶妙なキャメラ位置と持続的なショットの時間によって生きてくる。[映画館(字幕)] 8点(2011-01-18 21:49:20)《改行有》

783.  アンストッパブル(2010) 画面を横切る線路の向こう側に佇む一人の少女の姿。それをかき消すような鉄塊の流れ、その巨大感、暴走感。 線路の手前側と向こう側が世界を分ける。列車の映画では馴染みのモチーフであり、この映画ではアクションと衝突のアクシデントは専ら暴走列車の進行方向左手側を中心に展開する。社会見学の児童らの乗る列車が危難を回避するのは右手側である。 何度も逆進方向である右後方を振り返るD・ワシントンと、クリス・パインの同一方向上の切り返しショット。二人の面構えがそれぞれ素晴らしい。 そして毎度馴染みのロケーション、「高架鉄橋」への拘りも空撮中心に気合が入っているし、背後から迫る列車と手前の踏切内の馬を組み合わせたショットの圧縮感などもいい。 視界を大きく遮る穀物の散乱の過剰ぶりと、連結部でのアクションの見え隠れ具合もサスペンスを一段高める演出として見事だ。 ただし、離れ合った登場人物達があっさり一堂に会してしまう大団円の記者会見は蛇足の感あり。それぞれが遠隔地同士のまま、シンプルに〆ていれば尚良い。[映画館(字幕)] 8点(2011-01-16 00:33:53)《改行有》

784.  天罰 ヒロインのキャラクターに聖女と悪女両面の魅力を盛り込むというのは旧来からハリウッド女優売り出しの戦略としてあるが、これはその男優版。 「邪」の顔を徹底的に見せ付けた上で、その最期に「聖」の側面を垣間見せることで逆転的に好感度が増す。後のギャング映画のアンチ・ヒーロー像を先取りしているともいえるだろう。 映画は両脚を切断された男を演じるロン・チェイニーの独壇場で、驚異的なアクションを見せる。 義足のまま椅子から床へ飛び降り、松葉杖で階段を上り、懸垂で壁をよじ登る。その過酷な熱演を全身フルショットで丹念に捉えるカメラの徹底ぶり。 役者の執念と、役柄の怨念がクロスしてその動作と表情には異様な迫力が満ちている。 帽子作りに関する伏線の回収が不徹底であったり、女性捜査員(エセル・グレイ・テリー)の恋愛感情の描写が不明瞭であったりというのはカットの問題か。[映画館(字幕)] 7点(2011-01-09 20:37:16)《改行有》

785.   現地ロケによる地道な長期取材に基づき、自然と人間を描出していくセミ・ドキュメンタリーの手法は、明らかに35年日本公開の『アラン』(ロバート・フラハティ)からくるものだ。 またニュース映画全盛時代の、いわゆる写実的表現を尊重する時流の反映でもあるに違いない。 ただしフラハティの撮った過酷な辺境とは違い、日本の風土ならではの四季折々の豊かな風物が、軟調のローキー画面とフェード・イン、アウト、オーヴァーラップといった緩やかな画面転換を主とする日本的な時間表現の中で抒情詩的な味わいも醸している。 特に感動的な子馬の出産場面は優しいローキー画面の賜物といえる。 その柔らかな黒は迫真性の追及であり、夜間の静けさと緊張感、喜び、厳粛さの表現であり、主役たる馬への誠実な配慮でもある。 また、スタッフの写実性追及の姿勢は劇伴音楽の抑制という面にも現れている。 父親が病に倒れる秋は木枯らしの風音、馬が病臥する冬は吹雪の轟音、子馬の生まれる春はわらべうたの歌声、子馬と別れる夏はひぐらしの鳴声や夏祭りのお囃子、そして全編にわたり印象的な方言の響きといった具合に、あくまで環境音の採り入れ方の妙味によって「自然」と「ドラマ」両者を相乗的に引き立てており、秀逸だ。[映画館(邦画)] 10点(2011-01-07 19:57:39)《改行有》

786.  驚異の透明人間 サーチライトに浮かび上がる秀逸なオープニングタイトルが即座に次の脱獄場面に連携する。 この脱獄のシークエンスがカットバックを含むわずか10カット足らず、時間にして1分弱の簡潔明瞭さ。極端な短さながら、サーチライトとマシンガンによる光と影のコントラストによってその印象度は強烈である。 カラーの時代ながらモノクロの選択が功を奏している。透明化が不完全で実体が現れてしまう場面の特殊撮影もまた、モノクロ効果と馴染んで違和感がない。その特撮もわずか数カット。 その効果を最大限に活かすために全編をモノクロに統一する映画人としての矜持。 フリッツ・ラング作品の美術担当によって培われただろう、ポイントを押さえたセット・小道具類へのこだわりと創意工夫が随所で見事に活きている。[DVD(字幕)] 8点(2011-01-07 19:55:25)《改行有》

787.  クリスマス・ストーリー 個性豊かな登場人物たちの意表をつく言動はもちろん、かなり脈絡なく挟み込まれるアイリス・イン、アウトといった繋ぎであったり、偏執的なまでの瞳へのズーミングであったり、BGMなのか室内音楽なのかすぐには判然としない音楽の用法であったりと、色々なレベルで予測不能なショットの流れと展開によって、150分を全く退屈させない。 カトリーヌ・ドヌーヴ、ジャン=ポール・ルシヨンら大御所を始めとしていずれの役者も素晴らしいが、とりわけドラマに波乱を呼び込む奇行気味のマチュー・アマルリックの存在感はそれ自体がサスペンスにあふれている。 クリスマスに集いあう一家。老若男女のキャラクターそれぞれが、好悪・愛憎を抱えたままならない人間として愛すべき存在感を放つ。 小芝居では出せない、役を生きる俳優自身の実在性を映像に載せていく演技指導の賜物だろう。 登場人物たちが浮かべる表層的な笑みや、痛烈な毒舌とは裏腹の声音にみる、アンヴィバレントな感情の計り知れなさ、奥深さ、凄み。 冬の花火の美しい煌き、深夜の静かで淡い雪、夜明けの静かな街の空ショットが印象的で、重量感がありながら後味が良い。 [映画館(字幕)] 7点(2010-12-28 00:35:12)《改行有》

788.  ビッグ・パレード 《ネタバレ》 トラックに乗って前線へと進軍していく米軍兵士(ジョン・ギルバート)を必死に追うフランスの村娘(ルネ・アドレー)。 ようやくお互いを見つけ抱き合う二人の背景をせわしないスピードで行軍していく兵士の流れ。その対比が、僅かな時間の中での切羽詰った別れのエモーションを最高潮に高める。 娘はトラック上の彼の足に必死にしがみつき、トラック後部のチェーンごと引きづられつつも追いすがる。その滑稽なまでに健気な姿は、逆に見る者の胸を熱くさせずにおかない。 トラックが走り去り、一本道に一人取り残される彼女を小さく捉えたロングショットの切ないまでのリリカルさ。 ラストの再会シーンで彼に走り寄っていく、その懸命な走りのアクションの素晴らしさ。二人に差す光の美しさ。 リリアン・ギッシュ自伝によると、『ラ・ボエーム』(1926)製作にあたっては本作のラッシュの一部を見て監督と主要キャストを選んだという。 一途な思いをひたすらアクションによって表現する女性像の素晴らしさは確かに両作品に共通だ。 同時に本作は戦争映画としても一級であり、映画後半を占める各戦闘シーンはスペクタクル・サスペンス・人間ドラマ三拍子揃って圧巻である。 狙撃兵の潜む林間を戦闘隊形で進軍する様が横移動と縦移動で捉えられる中、一人また一人と無機質に倒れていく兵士たち。その冷徹な感覚が、戦争の無情を印象づける。 照明弾が飛び交う夜の塹壕戦。若い敵兵にタバコを差し出すエピソードも忘れ難い。[DVD(字幕)] 10点(2010-12-26 21:39:02)《改行有》

789.  拳銃貸します 巻頭の借部屋で、寡黙なアラン・ラッドがトラウマである左手首を覗かせつつ拳銃の具合を確認するさりげない1ショットでその役柄を雄弁に語り占める。窓辺の子猫を気遣うトレンチコートの彼は、後のメルヴィルのノワール『サムライ』でカナリヤに餌をやるアラン・ドロンの孤独な姿へも連なっていく。 ロケーションが印象深い鉄橋での追跡シーンも両作品に共通だ。 クライマックスの銃撃戦の、貴重といって良いほどの素っ気無さ、スピード感。 ドアの開閉とその背後空間を遮る用法によって見る者に想像を促さずにおかない、見えないアクション演出がもたらす奥行き感。 夜の巨大なガス工場から、暗い排水口を伝って鉄道敷地内へと続く逃避行のスケール感。 さらに雷光、朝靄、蒸気が画面に彩を添える。 警察のサーチライトの光をかいくぐり、人質のヴェロニカ・レイクを伴って暗闇の操車場を逃走するアラン・ラッドは、まさに光と相容れない影を鮮烈かつナイーヴに体現してみせる。 ロバート・プレストンの希薄な存在感に比べ、劇中で見事なマジックを実演するヴェロニカ・レイクは妖しく魅力的だ。 [ビデオ(字幕)] 8点(2010-12-25 00:11:30)《改行有》

790.  神曲 1931年のサイレント作品『ドウロ河』から、今なお現役バリバリの監督。トーキー、カラー化のターニングポイントで多くの作家が淘汰されていく中、積極的にその技術推移に適応しつつ、作品を問い続ける強かさがここにある。 文学・哲学テクストをめぐる、際限のない対話と独白劇。マリア・ジョアン・ピアスのピアノ演奏。 言語、音楽、観念を肯定し貪欲に採り入れながらもなお映画を逸脱しないのは、それらを乗せる映像即ち視覚に対する意識の強度とセンス故に他ならない。 ピアノ曲は指という身体運動と共にあり、「神」と「罪」という主題は光と闇と色彩と共に、画面に定着される。巻末において登場人物たちが交し合う接吻という行為自体の感動的なさま。 ショットはただ1つの例外を除き、ほぼフィクス。舞台は2ショットを除いて精神病棟を出ることがないが、画面の奥行きと陰影の深みは圧倒的吸引力を持つ。 音、色、光に対する卓越したバランス感覚と、それらを映画へと総合していく意思が漲る。 そして、最後のショットと音がまさに映画を締めくくる。 [DVD(字幕)] 9点(2010-12-20 22:21:03)《改行有》

791.  SPACE BATTLESHIP ヤマト 設定の同時代的改変やら考証のおおらかさなどは、当然ながら映画としては欠陥でも何でもない。行動理由・動機・意義・目的を登場人物自身の台詞で易しく解説してしまう作風も従来の山崎作品通り、浪花節的な誇張芝居も照明の無頓着も相変わらずなら、落胆もしない。 売りであるVFXはどうか。主役たる戦艦のCGは単に精巧なメカニックとしてあるだけで状況説明に留まり、威風や雄姿や苦闘・悲壮を演出する工夫をことごとく欠く。技術だけで、見せ方の芸が無い。 爆撃機が空母から離艦する瞬間、重力で一瞬下に沈む。破損口から噴煙を引かせる。砲撃の威力を反動で表現する。旧作のそういった細部へのこだわりと確信的「嘘」が逆に絵に質量を与え、映画としてのリアルな感覚を実現していたことが理解できているのかどうか。 カウントダウンのさなか、敵機群が体当たりを仕掛けてくるのを艦を横転させて間一髪で回避しつつ、艦載機を収納しそのままワープに突入するという場面。最もケレン味溢れるべきアクションシーンの盛り上がりの無さ、淡白で平板なコンテに悲しくなる。黒木メイサの回収シーンも、爆煙からの登場シーンも然り。それこそ艦が「見得を切る」べき場面だろう。 時間と予算の制約の中でセットを組むのなら娯楽ルームではなく、機関室なり、ワッチ室なり、砲室なり、厨房なりの労働現場であって欲しい。前半の地下居住区で、『ターミネーター』の未来世界よろしく困窮した少年の姿を映すのなら尚更だ。艦内の労働の描写が圧倒的に不足しているから艦内実写と艦外CGを何度繋ごうが、結果として本来の主役である「艦」は生きてこない。 複雑な造型の宇宙戦艦が手書きトレースの丹念な動画によって生命感を得る、創意と気概溢れるオリジナルの感動はこの新作の映像からは得られない。 [映画館(邦画)] 3点(2010-12-18 01:03:44)《改行有》

792.  魔術師(1926) 《ネタバレ》 アリス・テリー(レックス・イングラム監督の妻)を苛む幻覚シーンは、ベンヤミン・クリステンセンの『魔女』(1921)の怪奇幻想イメージとも通じ合う鮮烈さ。フットライトの効果で不気味に浮かび上がるマッド・ドクター役:パウル・ヴェゲナーの形相がまた恐怖度満点である。 冒頭に登場する巨大な牧師の彫像のデザインと質感からして禍々しい。 さらに雨と稲光と炎、薬品から立ち上る過剰な蒸気、モンテカルロの村や崖上の「魔術師の塔」の佇まいと、怪奇ムードを煽るアイテムが目白押しだ。 『フランケンシュタイン』への影響も十分に納得性がある。 クライマックスは手術台の上で拘束されるアリス・テリーに迫る危機と、救助に向かうイワン・ペドロヴィッチらのクロスカッティング。 塔までの道中が少々もたついて、グリフィスの速度感と切迫感にはやはり及ばないが、格闘アクションはスピード感があり素晴らしい。 壁に突き刺さるメス。溶鉱炉の炎。燃え落ちる塔のロングショットが印象的だ。 [映画館(字幕)] 8点(2010-12-16 23:05:48)《改行有》

793.  獣人雪男 《ネタバレ》 山あいの断崖から宝田明が吊るされるミニチュアの秘境の趣は、群がる鳥のアニメーションと共にどこか『キングコング』(1933)の髑髏島の一場面を彷彿させる。 特撮ショットは全体的に控えめだが、動物ブローカーの悪漢が崖から谷川へと投げ落とされる俯瞰ショットや、車両が転落するショットなど、高所感覚の演出も気合が入った見事な出来栄えだ。 かなり長身のスーツアクター演じたらしい獣人の厳かな威容、土着的な山村や洞穴の美術も力が入っている。 根岸明美の村娘の悲恋劇も絡み、『ゴジラ』(1954)とほぼ同一の主要スタッフ・キャストによる「神殺し」のドラマの悲劇性は、同年の『ゴジラの逆襲』より断然深い。ただし、回想形式による語り初めがサスペンスを弱めてしまっているのが残念なところ。 少数民族音楽に造詣の深い伊福部昭が音楽担当であったなら、というのは贅沢な望みか。[映画館(邦画)] 7点(2010-12-12 00:05:40)《改行有》

794.  レオニー 海辺の情景。それを窓辺で見つめる女性のシルエットが、屋内側から捉えられる。 映画は、部屋の奥側から明るい窓際あるいは縁側に向けたローポジションの構図が主体。 屋外背景のキーライトに対して、暗すぎず・明るすぎずの控え目な補助光によって、人物の表情や部屋の内装も逆光に潰れることなく、落ち着いたコントラストを作り出している。 そして障子や襖や丸窓のフレーム内フレームが、憧憬としての外の世界を対比的に切り取ってみせる。 一方で、随所に挿入されるイサム・ノグチらしき彫刻家(勅使河原三郎)の作業光景のショットでは、強い直射光によるハイコントラストが彼の顔半分を真白く浮かび上がらせ力強く印象的なイメージを形づくる。 いずれも黒澤組の照明・美術スタッフの技の冴えである。 CGの濫用は控え、実景主体で再現した20世紀初頭の風俗も非常に丁寧な仕事だ。 エミリー・モーティマー・中村獅童の主演二人のみならず、出番は少ないながら大地康雄・山野海ら脇役陣の芝居も充実している。 前半では時制の無駄な倒置などが冗長さを感じさせる一方、後半での親子関係の描き込みに不足が感じられてしまうのが難点か。 [映画館(邦画)] 7点(2010-12-09 22:19:48)《改行有》

795.  クロッシング(2009) 冒頭の郊外路地のシークエンスから、車のテールランプや航空機の小さな灯が浮かび上がる非常に艶めかしい夜のルックを見せてくれる。続いて、男を射殺したイーサン・ホークの麻薬捜査官が逃げるように車から離れていくのを、塀に投影された彼自身の等身大の影が不気味に追い立てていくのもノワールスタイルの予告だ。 三者の中でも、とりわけ彼の全身が体現する切迫感、焦燥感が断然素晴らしい。 彼らがアパートの暗く狭い階段を降り、部屋間を移動していくのを、その背後からステディカムと思しきカメラが技巧を意識させない機械的円滑さで追いかける。踏み込み現場での激しい応酬も、無闇な編集に頼ることなく持続的なショット主体で事態の推移を冷然と捉えていくことで対位的に高いテンションが維持されている。 対象人物の心理的動揺や焦燥を表すのに、今時流行りのカメラの作為的な揺れなど必ずしも有効ではないことの反証である。 『バベル』や『クラッシュ』のような思わせぶりなメッセージ臭・テーマ臭は、即物的な死の描写によって際どく回避出来たという感じか。 [映画館(字幕)] 8点(2010-12-05 22:31:18)《改行有》

796.  行きずりの街 《ネタバレ》 物語の性質からして、この映画は必然的に過去の説明や謎解きを挟みながらの展開とならざるを得ない。 フラッシュバックの多用は当然ながら映画を停滞させがちなのだが、それを最小限のショットにとどめ、尚且つ仲村トオルの視線を用いて現在と過去を簡潔に繋いでいくカッティングによって時制の感覚を適度に混乱させながら、現在進行形を維持していく。 現在と過去を繋ぐ空間である小西真奈美のバーの廊下、および彼女のマンションの廊下は手前に黒、奥に明を配置したコントラスト豊かな縦構図と照明によって艶かしい。 さらに過去と現在が交錯しあうクライマックスの廃校の廊下もまた感動的だ。 走る現在の仲村トオルと、過去の小西真奈美の背中が幾度も切り返される。夕陽を背に振り返る現在の彼女にショットはつながり、その黒髪を逆光が美しく包む。現在の中で交じり合う二人の視線。 一連のスローモーションから、スリーショットのストップモーションまで、ドラマ的には訳の判らぬ迫力と情感で押し切られてしまう感じなのだが、それも良し。 木刀の意外性などは、いかにも東映チャンバラ的で実に面白い。 窪塚のコンビネーションパンチの切れ、仲村の剣戟の泥臭さと、クライマックスを担う男優陣の格闘アクションもそれぞれ個性的で良い。 [映画館(邦画)] 8点(2010-11-30 19:07:05)《改行有》

797.  442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍 ブルーレイ上映による解像度の高い画面が、元隊員たちの現在の平穏な暮らしぶりと小奇麗な身なりを色鮮やかに映し出す。 彼らが語る過酷な内容とのギャップや、現在の地形と重なり合うように編集挿入される当時のモノクロ映像との繋ぎが、隔世の感覚をさらに強めている。 442連隊への賞賛の念が窺える『二世部隊』(1951)でも省略されざるを得なかったと思しき、ローマ一番乗りをめぐる差別待遇。人間を殺す事の重み。約60年を経てようやく語られる彼らの言葉の響き、表情の深みに打たれる。 にも拘わらず、その元兵士達の言葉に被ってひっきりなしに感傷を煽る喜多郎の音楽タレ流しはナレーションの声音と併せてあまりに「声高」すぎる。 作り手は、彼らの表情・言葉の重み、強度をまるで信用していない。その複雑なはずの思いに対し、安いセンチメンタリズムで一方的に意味付けし、感傷メロディーで補強したがる。 だから、両国家・組織の棄民政策に対する批評性も大きく欠いている。 「反戦」を標榜していながら、情緒に寄りかかった作品こそいくらでも「非反戦」に逆利用され得る事に対し自戒が足りない。 [映画館(字幕)] 4点(2010-11-30 12:21:34)《改行有》

798.  ラ・ボエーム(1926) 《ネタバレ》 リリアン・ギッシュ自身が強くこだわったというパンクロフィルムの特性が活かされ、光の溢れるピクニックシーンから夜の暗い街路まで色調が豊かで幅広い。彼女の表情のクロースアップショットも艶やかで麗しい。 アパート隣室のジョン・ギルバートらに歓待された彼女が戸惑い、恥じらいつつも嬉しさが滲む表情の可憐さ。 彼らとの初めてのピクニックで無邪気に跳ね回り、踊り、アパートの窓をはさんで二人じゃれ合う身振りが伝える幸福感。 一転して、悲愴極まりない終幕では薄倖の死相が真に迫って痛ましい。 クライマックスでは荷車後部の鎖につかまり舗道を引きずられるという、キートン、J・チェン顔負けの過激なアクションまでも華奢な身体で演じきる。 全身映画女優の底知れない表現力にただ圧倒されるしかない。 [ビデオ(字幕)] 10点(2010-11-24 21:53:52)《改行有》

799.  ジャン・ルノワールの演技指導 楽屋裏のテーブルで向かい合った監督兼主演女優のジゼル・ブロンベルジェに対し、まずシナリオの台詞を棒読みすることを要求するルノワール。 曰く「感情を込めずに。」「電話帳を読むような感じで。」 相手を一心に見つめ、彼女の語りにわずかでも感傷のニュアンスを察知すれば即座に指摘し、やり直しを求める。 それは紋切り型の演技や経験則や先入観に囚われることなく、自分独自の表現を創造させるためだという。 その中で、「髪をかく仕草が良い。」とアドリブの所作を褒め、即興を取り入れつつ協同で演技を創り出していく。相手の無意識の小さな癖まで見抜く細やかな人間観察力、的確な助言による協同作業は、画家がモデルの魅力を最大限に引き出していくかのようでもあり、これがピエール=オーギュスト・ルノワール譲りの資質かと思わせる。 物語構成や主題を犠牲にしても、まず役者自身の人間的魅力を生き生きとフィルムに乗せることを第一義とするルノワールの映画術。 それが鮮やかに実践されていく様にただ魅入ってしまう。 最後のショットは、「エミリー」の役を生きるジゼル・ブロンベルジェの長台詞。 見届けたルノワールの台詞「tres bien」の温和な響きにその人柄が偲ばれる。 [DVD(字幕)] 9点(2010-11-22 19:34:56)《改行有》

800.  中共脱出 極東部劇でもあり、それぞれの役柄も全く違うが、『ラスト・シューティスト』で感動的に再共演することとなるジョン・ウェインとローレン・バコールのやり取りを観るだけでも感慨深い。 ロケーションは米国なのだろうが、生活感漂う河岸の光景にはアジア的風情が良く出ている。 中盤に登場する難破船群の朽ち果てた様、そしてそのそばで開始される砲撃戦もまた壮観で、『つばさ』の過激な着弾ショットにも引けをとらない危険な爆発シーンが続出する。キャストの至近距離で木材の破片が四散し、豪快に水柱が聳え立つ。そのただ中で、ボイラー室で葉巻を半分吹き飛ばされながら表情も変えず短くなった葉巻を平然と燻らせ続ける機関士の横顔のショットが渋い。 暴風雨のシークエンスで、「サウンド版無声映画」となるのも『つばさ』のW・A・ウェルマンらしいアクション演出。 脇役ながら、スースー役:ジョイ・キムが前半に見せる愛嬌、後半で聞かせる歌声が良い。 [ビデオ(字幕)] 6点(2010-11-20 18:13:51)《改行有》

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