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タイトル名 |
ソナチネ(1993) |
レビュワー |
パブロン中毒さん |
点数 |
7点 |
投稿日時 |
2006-07-17 14:57:52 |
変更日時 |
2006-07-17 14:57:52 |
レビュー内容 |
その昔。関内(横浜ね)のしょぼい映画館まで足を運んだのであった。 客はすごく少なかった。あと、鑑賞環境が悪く、終始場内の照明に悩まされた。 それでも見たかったんだなあ。 「その男」でしびれたテンポと意表をついた話運び、あいかわらずよかった。「殺すぞ」と抑揚なく言ったら次の場面ではとんでもないことに。いいなあこれ。 でもたぶん、私が喜ぶような上記の場面じゃなくて、キタノブルーとか絶賛された沖縄の浜で遊んでる(といえるのか)場面を一番撮りたかったんだと思うのだ。 仲間がどんどん欠けて(もちろん死んで)いくことに対する徹底した無感動、これが全編をつらぬく。究極のクールなんだけど、じゃ浜辺で仲良く「舞の海」とかいって遊んでる場面はなんなの、というミスマッチ。その描写とは逆に、観客は「ああ、こいつもあいつも死んじゃって、やばいじゃんどうするんだよ」とますます追い詰められた気持ちになる(たけしの狙い通り。)唸りますね。 つまり「俺らは世の中にも人生にも別に期待も希望も抱いていない」という大前提がないと成り立たないわけですね。「ああこいつが死んでショックで悲しいー。こいつにはぜひとも生きていて欲しかった」という感情表現がカケラも出てこないわけだから。 「期待も希望も持たずに最後は単独の出入りで終了」という、なんか非常につまらん話のように聞こえてしまうけれど、それを映画として成立させてしまう手腕。 胸の大きな姉ちゃんは本当に要らなかった。
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