《改行表示》 13.ネタバレ 原作小説は昭和13年発刊。劇中の舞台設定は明治30年。実に100年以上前のお話です。当然ながら常識や価値観は現代日本と異なります。とはいえ「時代劇」と呼ぶほどかけ離れてもいません。まだ当時から地続きにあるのが現代です。ゆえに(私を含む)年配者の口からは「あの頃は良かった」「古き良き」といった感想が漏れがち。顕著な例が芝居小屋の一件です。松五郎は親分さんに詫びを入れた事で騒動を不問とされています。今では考えられない決着でしょう。でもこれが心地良いのです。理由は明快。私たちが幼い頃最初に叩き込まれた「悪いことをしたらごめんなさい」に他ならないから。もちろん言われた方は「もういいよ」許すのがお約束です。超基本的な対人ルールが厳密に適応されている点が心地よく感じる所以かと。逆に言えば、現代日本では謝ったくらいでは許されない厳しい社会になったとも言えます。とはいえ当時の価値観を無条件に肯定したり、現代を簡単に否定したりするのも違います。あくまで「あの頃はあの頃」「今は今」です。 決して成就しない恋に一生を捧げた松五郎。最期は野垂れ死に。現代で置き換えるならアイドルにガチ恋の挙げ句、勝手に失恋して引きこもりになったオタクってところでしょうか。どちらも憐れには違いありませんが、受ける印象はまるで違います。前者が「切ない」後者は「アホか」です。この違いはまさに時代の価値観に紐付くもの。当時の価値観に照らし合わせれば、松五郎の生き方を否定する者等いないでしょう。もちろん傍から見れば奥様以外の誰かと所帯を持つ方が幸せだったと思いますが、夫を亡くした奥様を支え続けた松五郎は讃えられて然るべき。でも、あまりに不器用で報われぬ献身に胸が締め付けられる訳です。一方、現代の引きこもりオタク君の場合はどうでしょう。同情心など一切湧きませんよね。ただのアホです。当時と現代の社会背景で大きく異なるのは、人生の選択肢の数、教育の質と量、そして多様な幸せのかたち。極論すれば、あの時代の松五郎にはあの生き方しか出来なかった(考えられなかった)ということ。如何に現代の私たちが恵まれていることか。ですから「あの頃は良かった」はピンポイント事例に対する心証に過ぎず多分に思い違いであり、客観的に、あるいは総合的に考えれば今の世の中の方が良いに決まっています。少なくとも今を生きる私たちは「そう言わなければいけない」義務があると考えます。でなきゃ、ご先祖様に申し訳ない。 最後に。「松五郎にはあの生き方しか出来なかった」と書きましたが、もし奥様が松五郎を頼らなければ話は変わります。それこそ奥様が再婚話を受け入れてさえいれば松五郎は自由になれた訳で、野垂れ死ぬ事も無かったかもしれません。奥様が松五郎の好意を利用したのは間違いなく、そういう意味で奥様は罪深い。ただし一人息子を育てるために必死だった奥様の「母としての強かさ」を責めるのも酷な話です。当時の社会情勢を考えれば尚更のこと。やはり今の世の中の方がいいですよ。 【目隠シスト】さん [インターネット(邦画)] 8点(2025-05-29 01:13:48) ★《新規》★
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《改行表示》 12.ネタバレ ずっと観たかったんだよね。 三船敏郎の松五郎は、喧嘩っ早いけど、非を認めたらすぱっと謝る。気持ちいいくらい謝る。 笠智衆演じる親分さんが場を収めるくだりは、観ていてほんとに気持ちよかった。 ちょっとやりすぎだけどね。 縁あって少年を助けたことで、吉岡一家との付き合いが始まるのだけど、車引きが無学で世間様から軽く見られている描写は、今見るとかなり切ない。松五郎から見たら、吉岡の奥さんは決して手を出せないお姫様みたいに見えただろうなあ。 年老いた松五郎が、久しぶりに会った同業者に身を固めろと言われるあたりから、やっと松五郎が奥さんを意識し始めるシーンが入るんだけど、もう少しそれを匂わせるシーンがあっても良かったんじゃないかな。「ひとりぼっちで寂しい」なんてセリフがあるけど、松五郎がそれを聞いてどう思ってるかなんてカット、ほぼないんだよね。 どうやったって手の届かない恋だからって、あんまりストイック過ぎるよなあと思いながら、三船敏郎の漢っぷりを観てた。 そしてラスト。 なんだよ、やっぱり親分さん出るんじゃねえかよ。ずるいよ。こういう役やらせたらこの人にかなう人いないんだから。 車引きで奥さんと息子名義の貯金五百円って、どれだけ奥さんに惚れてたんだよ。 切ないなあ。 手だって一度も触れてないんだぜ。 これが漢気なんだろうけど、つらいなあ男って。 いや、いい映画。
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11.阪妻を見た後、再度三船を見る。(最初に見たのは何年も前) ほとんど同じ内容なのに阪妻よりずいぶんわかりやすい。三船の方が少々荒くれだがその方が原作に近いのかも。小倉祇園太鼓のシーンは実に鮮やかだし、終盤の松五郎の思いも十分伝わってくる。しかし阪妻より作りすぎかも・・・。 【ESPERANZA】さん [DVD(邦画)] 8点(2012-10-24 21:04:18)
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10.松五郎と吉岡の奥さんとの関係って要するに、ヨハネス・ブラームスとクララ・シューマンみたいなもんですな(笑)。とは言っても、不器用なところ以外は、全く違うキャラクターですが。こういう「武骨で豪快で気風が良くて、でも奥手」というキャラは、本当に憎めない(これでモテモテだったら、許せない)。内容的には、短いエピソードの積み重ねで、いわばオムニバスと言ってもいいくらいのもの、しかも長い映画ではないので、その点、やや軽い印象はあるのですが。でもそれを補うのが、若き日から年老いるまでの松五郎を全身で演じ切った三船敏郎で、流れる歳月を実によく表現しています。そしてまた、映画において、「主人公の内面」なんて実はどうでもよいということ、そんなものを表現するのが役者の仕事ではない、ということ。「内面」が宿るのは、登場人物の中ではなくて、映画そのものの中であることが、よくわかります。撮影も見事ですね、時代を表現する屋外の光景もいいですが、屋内シーンのセット撮影は、何だか、空気が澄んで感じられるような。 【鱗歌】さん [CS・衛星(邦画)] 8点(2012-06-17 10:23:39)
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《改行表示》 9.ネタバレ 無償の愛を、今見ても全く色あせていない美しい映像(特に松五郎が行き倒れる間際の映像の素晴らしさはまさに日本の美という感じで非常に印象的でした)で描いた哀しくも素晴らしい映画でした。 松五郎の粗野でありながら純粋な姿は本当に心を打ちますね。 【TM】さん [DVD(邦画)] 8点(2008-01-31 18:19:54)
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《改行表示》 8.思いがけず泣いてしまった。美しくて、優しくて、そして残酷だ。 ところで、この映画と「ニュー・シネマ・パラダイス」の類似性を誰か指摘しているのだろうか?この作品を見て、個人的にトルナトーレ監督はこの「無法松の一生」にインスパイアされたと確信したんだが。 【トマシーノ】さん [DVD(字幕)] 8点(2007-11-22 12:05:11)
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7.あまたの映画の中でも名大関級の傑作ではありますが、さすがに双葉山・大鵬の大横綱級の阪妻版には及ばず。 【丹羽飄逸】さん [CS・衛星(邦画)] 8点(2007-01-02 00:26:50)
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6.よく九州出身の上司が酒の席で歌っていた。色々な恋愛があるんだろうが、純粋で己の立場をわきまえた日本的な美的センスが感じられる。三船の演技は秀逸ですね。確かに、松の気持ちを考えずいいように使っていた未亡人を、現代の我々としては若干不満に感じるところですが、当時としては、夫を早く亡くして再婚もせず気丈に生きていく上では当然で、彼女を責めるわけにはいかないだろうな。貯金通帳は泣かせる。泣き崩れる彼女の涙に、松の気持ちも報われたと思うべきだろう。 【パセリセージ】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2005-12-23 23:55:39)
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5.「無法松の一生」と言うとどういう訳か?この三船敏郎主演によるリメイク版しかレンタル屋さんにはない。初めて観た当時、これは面白い。良い映画だと思った。しかし、後にオリジナルの方、阪妻主演の方を観てしまったら、申し訳ないが、絶対に阪妻の松の方が素晴らしい。良い映画ではあるんです。でも、こればかりは仕方がありません。余りにも阪妻の方のが素晴らしく、凄すぎるためにオリジナルには勝てず。それでも今の日本映画の多くの作品に比べたら圧倒的に上ではある。それだけオリジナルの出来が素晴らし過ぎるのだ! 【青観】さん [DVD(邦画)] 8点(2005-07-03 17:53:33)
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《改行表示》 4.祭りの太鼓はすばらしい。太鼓の醍醐味が味わえた。 松五郎の晴れ舞台。ここに何故、吉岡の奥さんが居合わせないのか? この男(松五郎)の心情は痛いほど理解できるが、現代の若者にはいかに・・・ 学生の頃、高峰秀子が大好きであった。恋心か否かは今では判らない 今ではそこまで感じないが・・・ 【ご自由さん】さん 8点(2004-06-19 20:10:57)
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《改行表示》 3.素直に感動しました。 こういう作品が日本にあったことは誇りです。 【ぴよ】さん 8点(2003-12-11 00:22:34)
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2.昔むかしに観た50のオジです。(こればっか)いい映画です。観れる機会が、ないかもしれないが、努めて観て欲しい。自分も含めて今の日本人が、忘れている美しい日本人が描かれているよ。忠義、純愛はどこへ行った!ラストシーンでオジは号泣したよ。書いてたら、もう一度観たくなってきたな。 【すぎさ】さん 8点(2003-06-16 22:44:09)
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1. このセルフ・リメイク版も名作なんだけど…矢張り1943年のオリジナル版には残念ながら遠く及ばない。阪東妻三郎の豪快で奔放な松五郎を観た後では如何に三船が熱演しようと所詮二番煎じの域に止まる。ただ、オリジナル版は戦時中の検閲カットに加え、GHQからのカットも加わってズタボロにされたものなので、コレ(58年版)なくしてはカットされた箇所も分からない有様なのも又事実。どちらも名匠・稲垣浩が同じカット割りで監督しているのが大きかった。監督も二度の検閲カットが余程無念だったのだろう。小津安二郎監督の悪口を言うつもりはないが、彼の戦前・戦中の監督作が殆ど無事だったのは、ぶっちゃけた話フィルムが擦り切れるまでロングランされる程の人気作ではなかったため、松竹大船の倉庫に保管されて埃を被っていたお陰。これも又皮肉な事実。「名作」って何だろう? 【へちょちょ】さん 8点(2003-01-19 22:52:44)
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