1.昨年に続き、クレヨンしんちゃん映画を我が子と、友人父子らと連れ立って鑑賞。
昨年の「爆盛!カンフーボーイズ〜拉麺大乱〜」は、想定を大いに超えた素晴らしい作品だった。
このアニメならではの“おバカ”コメディを全面に繰り広げつつも、しんちゃんをはじめとする子どもたちの目線を通じて「正義」という概念のこの世界でのあり方を問うという、物凄くクオリティーの高いストーリーテリングに感嘆した。
そんなわけで昨年よりも鑑賞前の期待値が上がった今作も、“クレしん映画”ならではの「時代」を映すテーマ性は盛り込まれていたと思う。
今作のテーマは、母親であり、妻であり、一人の女性である“みさえ”によるずばり「女性讃歌」だ。
数年遅れのハネムーンの地で、母親であることの苦闘、妻であることの葛藤、それらをひっくるめて一女性としての強さと弱さを等しく全面に押出しながら、アドベンチャーを繰り広げる“みさえ”の姿が眩しく、愛おしい。
今作においては、主人公であるしんのすけは、めずらしく子どもらしいポジションにおさまっており、みさえとひろしの父母の活躍に振り切った構成も中々潔い。
それはまさに、この映画を子を連れて鑑賞しているであろうすべての母親たちにスポットライトを当てるべく用意されたストーリー展開だった。
この映画の焦点とその意図はよく理解できる。ただし、“クレしん映画”としてちゃんと面白かったかというと、少々疑問は残る。
個人的には、「母親」や「女性」といったターゲットに対する焦点の当て方が、少しあざとすぎたんじゃないかと思える。
主人公・野原しんのすけの存在感が“大人しく”見えたことに顕著に表れているように、「子ども」の存在をもう少し意義深く描き出すべきだったのではないかと思う。
「クレヨンしんちゃん」の主人公は、当然ながらしのすけである。
今作でも彼はいつものようにおバカに暴れまわってくれてはいるが、どこかその言動にいつものような“熱さ”を感じなかった。
“クレしん映画”の過去作をいくつも観ているわけではないので、どうしても前年との比較になってしまうが、声優の交代も少なからず影響しているのではないかと思う。声色的に違和感はあまり無かったが、この国民的キャラクターが内包する根本的な「熱量」を、まだ新しい声優は表現し切れていないのかもしれない。
まあとはいえ、僕の横で子どもたちはちゃんと笑い、ちゃんと泣いていたようなので、変な言いがかりをつけるべきではないのかもしれないが。