41. 16ブロック
《ネタバレ》 ブルースはかなり役作りに励んだと見た。減量+老けメイクで左肩を上げて足を引き摺る。いつものマッチョなイメージを吹き飛ばした。しかし。 ブルースの役作りには感心するが、ひとつ、大きな違和感というか、疑問がある。黒人をバカにしているのか? 脚本を書いたのは白人男性である。エディの強烈なナマりは、いったいどういうつもりか。モスの勝手な役作りというものなのか? ものすごくおおざっぱに言ってしまうと、これは「過去の罪を懺悔して、善人に戻った〝良い白人〟が、〝悪い白人〟と戦って、黒人にお情けを施す」というストーリーではないかあ。 だから、バカにしているのか? 黒人は、〝お情け〟にすがって生きるのを喜ばなければならないような、「第二の人種」だと思っているのか?じゃ、エディが日本人だったとしたら、みなさん、こんな映画見て屈辱を感じませんか? ここのところの思想には、ものすごく無神経な差別を感じる。もち、モーズリー役が有色人種の刑事だったら、そういうことにはならないのだが。もしくは、エディには裏があって、モーズリーがまんまとダマされる、とか。 それを置いといていうと、バスジャックの場面やマンションの部屋番号のくだりなど、モーズリーが知恵者であることをあらわす場面はそれなりに面白い。しかし、モースの悪役ぶりが、あまりにも類型的でなあ。あと、ラスト裁判所の場面はかなり情けないものがあるが(有り得ない…)、バースデーケーキの場面で多少救われた感がある。 [DVD(字幕)] 5点(2007-05-05 20:05:56)(良:1票) |
42. ザ・ダーク(2005)
《ネタバレ》 けっこう時間を忘れて見入ってしまった。 悪くないと思う。久々に、ぞくぞくとした寒気を覚えた映画だ。(もしかすると発熱のせいかも) タイトルどおり、この映画は「闇」による怖さを出そうとしている。その試みは、私に限っては、かなり有効であったと思う。 例によってネタバレしますのでご注意。 原作ものだそうだが、簡単に言ってしまえば「ペットセメタリー崖バージョン」とも言えるので、二番煎じの感はある。あるが、そこはアンダーソン、映画としてある程度以上の質を保ちながら、主人公アデルを「行ったり来たりさせ」ることで、モノマネ感を和らげる。アデルがエブリス親子にいたぶられる場面では、「過去」と「事実」と「非事実」と「願望」が混沌とし、額から血をたらした鬼気迫るアデルがダメ母ぶりを懺悔しながら「Give me a secound chance!」と絶叫し、作品中のテンションが最高潮になる。そう、このへん、ホラーというより心理サスペンスぽいのだ。 これを「あざとい」と感じる人は、面白くないだろう。 が、私はけっこう好き。なにより、「ヒストリーオブバイレンス」のマリア・ベロ、この人は私にストレスを与えない。 この作品はマリア・ベロのプロモーションと言えるくらいに、ドロドロびしょびしょの彼女が全編出ずっぱるのだが、こんなに長いこと見せられてもストレスを感じない女優さんはあまり居ない。 まず、誰もが認める美人顔でありながら、色気がゼロ。これは、シャロン・ストーンとか、キム・ベイシンガーなどのブロンド美人の系統だ。この人たちは、わかりやすーい美人であり、そして色気は無いという共通点をもつ。よって、女性に好かれる。(マリア・ベロの色気の無さは、同系統の中でもちょっと驚異的ではある。) やはり長時間の視聴に耐えるには、美人でなくてはいけない。デブでもいけない。あんまり女っぽくてもいけない。…マリア・ベロは長時間映っているのに適した女優さんだなあ。 ともあれ、話題になっていないわりには、良いと思います。子役(サラのほう)は雰囲気があって良い。ウェールズ男のデイビッドもそれらしい。ショーン・ビーンの良さは私にはよく分からない。ごめんなさい。 [DVD(字幕)] 7点(2007-05-01 21:37:31) |
43. アンビリーバブル
《ネタバレ》 ホアキンは出すぎではないだろうか。一時のニコール・キッドマンに感じたような「見飽きた」感がそろそろ湧いてくる。 売れっ子ホアキンにしてみれば箸休め的な参加とも思われるこの作品、余裕の表情で語るホアキンに比べ、クレア・デインズはかなり消化不良でストレスがたまっているように見うけられた。不条理には向かない女優さんかもしれない。 しかし、見るほうにしたってこれを消化するなどということはほとんど無理。消化など考えずに「雰囲気」だけ味わうのが無難である。 監督・脚本のヴィンターベアが飛行機で世界中を飛び回るという地に足の着かない生活を送るうちに、このアイディアを思いついたという。 それは何かというと「この世界が自明のものではなくなるのではないかという漠然とした不安」であり、それを映像化したということだ。「不条理」である。 「孤独になると心臓が悪くなって死ぬ」も「7月に雪」も「ウガンダで人が飛ぶ」も「妻のそっくりさんが3人出現」も、それ自体に大した意味があるわけではなく、すべて「漠然とした不安」の現実化なのである。しつこいようだが不条理なんである。 がここに、「不条理」と「退屈」は紙一重である、という危険がある。 例えばスコセッシの「アフターアワーズ」では、「不条理」を描いて「退屈」を遠ざけるに足る「芸」が凝らされていたと思う。「不条理」を描くには「だからなんなの」と観客に言わせない「芸」を必要とする。 残念ながら、「雰囲気」は充分出した本作だが「芸」があったとは言えない。 「スケート」という要素にしても、「なぜスケートでなければならないのか」を観客に納得させるだけのものがなく、「単なる思いつき、監督の趣味」の範疇を出ない。 「孤独になると心臓が悪くなって」の部分などは、それこそ邦画「回路」のパクリとしか思えぬ。 「回路」のテーマは「生きてる人間は助け合え」で、本作の場合は「愛こそすべて」。…似たり寄ったりである。 全体としては、「回路ヴィンターベアバージョン」といっていい作品である。が、やはり経験不足ということなのか、資質の問題か、己の思いつきを適当に散りばめたのみ、という結果。おしゃれな店などで、バックグラウンドに流しておくにはいいかも、という程度。「不条理」から「退屈」を遠ざけるには、この監督さんには荷が重過ぎた。 [DVD(字幕)] 5点(2007-03-10 00:01:21)(良:1票) |
44. M:i:III
《ネタバレ》 かなりよろしくない。ちょっと驚いてしまうほどに。 トム・クルーズの出演作であるから、それなりのクオリティを期待してしまうのだが。 脚本が無茶苦茶すぎる。 トム自身のオーラで保たすのも無理なくらいに、全編これ茶番としかいえない。 「3」でのイーサンは、「弾のほうがよけてくれる」状態でありほとんど無敵になってしまっていて、荒唐無稽なアクションをすんなりこなされても、なんの感動も覚えぬ。 また、ここにきての「トムのオーラ」についても、若干の疑問が残る。ちょっと顔を直してはいるようだが、どうも焦点が合っていないような、浮世離れした感じがする。「コラテラル」では確かに感じた「お宝感」に欠ける。 監督が凡庸にすぎる。「減点をもらわないように」というポリシーで撮ったように思える。 フィリップ・シーモア・ホフマンも、「最も凶悪な犯罪者」とわざわざ言われないとわからないくらいに地味。ミスキャストと思う。フィッシュバーンにしても、「なんで出たのか」と思うくらいに存在感が薄い。極めつけは、黒幕というのがあんな情けないヘタレキャラのうえ、おおむねバレている。…どこをどうしたら良くなるとかいうレベルを超えたダメさである。 それにしても、「2」で仲良くなったアジア系の女とは別れたのかイーサンよ。だいたい、自ら育てたブロンド美人から、栗色の髪の女(しかもブス)に乗り換えるって、それはあんまりにもあからさまではないか。ここの設定に「私生活」まったく関係ないとは言えないでしょうが。 「3」のイーサンは「1」の時の毒と色気を併せ持つイーサンとは別物。「3」のイーサンとは、トム・クルーズの私生活から発生したものとしか思えぬ。「1」のイーサンなら、平凡な女と平凡な幸せなんて、有り得ない。 [DVD(字幕)] 3点(2007-02-12 21:32:24)(良:1票) |
45. アメリカ,家族のいる風景
《ネタバレ》 私にはつまらなかったです。 単に面白くないというだけでなく、サム・シェパード(主演・脚本)とベンダースコンビに対して、「私にこんなもの見せるな」という嫌悪感を感じたのだった。だったら見なければいいのだけれども。商業映画として公開された以上は、想定外の〝彼らの価値観〟を見せられてしまったことについて、言わねばならぬと思うことがある。 もう、ストーリーなんてものはあんまりにもくだらないのでどうでもいいのだが、「自分の知らない間に何人子供が生まれていた」とか「たとえ一度も会ったことがなくても、血がつながっていれば何かを感じるはず」だとか、つまんない男性の幻想を2時間もの映画にしてしまうことも、大御所のオジサン2人が顔を寄せて考えたとは思えぬあまりにも幼稚な発想だなあ。まさか本気で言ってるんじゃないよなあ。 それから、作り手が「目に見えぬ家族の絆というもの」を持ち上げたいばかりにこれでもかと「物質否定」を繰り返し見せること、これが私には耐えられない。 なにも「家族の絆」を強調したいからって、「モノなんかどうでもいいんだ。モノに意味なんかなにもない。モノなんかこうしてしまえ!」という描写に走るのはあまりにも芸がないうえに短絡的。 〝モノ〟に罪はありません。ハワードにしろアールにしろ、物を粗末にしすぎます。食べ物だって、おいしくいただかなければかわいそうです。お母さんが用意してくれた朝食くらい、素直にいただきなさいよ。お母さんが、大切に磨いて乗っている車は、もっと大事に乗りなさいよ。ゴミをそこらへんにポイするのはいけませんよ、ハワード。それに、たまにはシャワーを浴びて体をきれいにしなさい。 人様に借りているアパートの窓ガラスを、故意に割ったりしてはいけませんよ、アール。そのうえ、窓から家具を放ったりしては、よその人にケガをさせるかもしれないから危ないでしょう。それに、まだ使えるものを、わざわざ壊したりしてはいけません。モノは、使われるために誰かが作ってくれたものなんだから。それに、あなただけの道ではないのだから、自分で散らかしたら、ちゃんと片付けなさい。………と、私の言いたいことは生活指導の先生のようになってしまい、そうか、ハワードもアールも中学生並みの精神年齢ということなんだなあ、などと思う。 シェパードとベンダースコンビには日本のこの言葉を知ってほしい。〝もったいない〟 [DVD(字幕)] 0点(2006-11-29 12:49:18)(良:3票) |
46. レッド・ドラゴン(2002)
《ネタバレ》 盲目の女性となら、お付き合いができるかもしれない。という犯人の思いつきとそれを行動に移してしまうところ、面白いと思いました。 正直言って、エドワード・ノートンのFBIとレクターのやりとりなんてどうでもいいんです。それよりも、盲目のリーバとフランシスの交際模様のほうがよっぽどスリルがあってドキドキさせられる。 リーバってのは、目は見えないけれど、もてるんですよ。 もしかしたら、〝見えないから〟なのかもしれない。だって、毎朝鏡を見ることがないもの。「今朝はいつもに増してまぶたが腫れぼったい」「ああ、こんなところにもシミが」「こんなに毛穴が広がっていたっけ」などという悩みとは無縁なのだもの。こんなに自信があって自由奔放にふるまえるというのは、盲目であるがゆえの特権といえるかもしれない。 また、彼女のように見えるものに惑わされない女性がフランシスを選んだという事実も、重要な意味があると思う。 これは猟奇殺人をしないではいられなかった変態のフランシスが、盲目のリーバに出会って癒され、二人でどこかへ旅立っていく、という話にしてもよかったのになあ。 もちろん罪の重さを考えると、途中でフランシスが車にはねられて死ぬとか失明するとか下半身不随になるくらいのことがなければ、収まりがつかないけれど。 …ラストのプチどんでんなんか全然なくてもよくて、そのくらいにこの映画はリーバとフランシスのラブストーリーとしての出来が突出して優れている、と思うのでした。 [DVD(字幕)] 7点(2006-11-23 20:51:27)(良:2票) |
47. ウォーク・ザ・ライン/君につづく道
《ネタバレ》 〝アイデンティティー〟の見事な出来に期待のマンゴールド監督だが、残念なことに、主役の二人がミスキャストだったと思う。 存在感のある兄貴に死なれた不出来な弟、ということで、実生活でもリバーに死なれたホアキンを配した、というあたりの理由は分からないでもない。 が、ホアキンはすでに顔にも首にもでっぷり感があらわれている堂々の中年男、また、ジョニーというヤサ男にはそぐわない厚みのあるマッチョ系なのであった。 ジョニーというキャラは、子供の頃から〝マジメに労働すること〟に興味のない奴なのですね。こういう性格は一生変わらないみたいです。〝汗水たらして働くこと〟とか〝家賃や公共料金の支払い〟については、「自分とは関係ない役割」と無根拠に思いこんでいる男です。 良くいえば、〝夢を食って生きている〟かもしれないが、実際は単なる〝社会不適応者〟でしかありません。身近に居たら、かなりの迷惑。〝王子〟に生まれついたわけでもないのに、こういう人って、時々いますよね。たいがい、家族や友人に面倒を見てもらって、一生を終えるタイプです。ジョニーにはたまたま音楽の才能があったから、それだけでは終わらなかったというわけだが。 こういう危なげのあるキャラクターを演じるには、ホアキンは〝しっかり者〟に見えすぎる。彼自身の性格は、ジョニーとはあまり似ていないんでしょう。 リース・ウィザースプーンのジューンは、〝明るすぎる〟〝清潔すぎる〟〝屈託が無さすぎる〟。 赤ん坊のころから舞台裏で育ったという彼女、ショービジネスの世界しか知らなくて、2×で、子供をほったらかしてツアーに出ているうえに出演者のジョニーとデキてしまう彼女。 どうです、リースが演じているからこそ、清潔そうに見えますが、彼女のやっていることは、いわゆる「すれっからし」以外の何者でもない。実際のジューンは、もっと〝ヤバそうな女〟であるはずだ。 そもそもジョニーのような男は、女性を守って生きていくタイプではなくて、落合信子さんのような年上のたくましい女性に〝いい子いい子〟してもらいながら、やっと人生が送れるタイプ。ヴィヴィアンのように「あんたは私を幸せにする義務がある!」と主張するような依存心の強いタイプとは合わないのです。 だから、ジューンというのが〝落合夫人〟のような女性だったら、ジョニーが惚れ込む理由にも説得力があるのだがなあ、と思うのでした。 [DVD(字幕)] 6点(2006-11-19 13:07:20) |
48. ブギーマン(2005)
《ネタバレ》 終始うっすら笑ってしまいました。 この子があんまりにも怖がりなもんで。 疎遠だった母親が死んで、久しぶりに帰郷する、というパターンは「ライディングザブレット」を思わせます。作り手はキングとか好きなんでしょうね。 これそんなに悪くないです。B級にしたらマトモな仕上がりだと思う。(ラストのドタバタを除いて) 同じスティーブン・ケイの「デッドマン・コーリング」と比べても、こちらのほうがよいと思います。 終盤までの出来が悪くなかっただけに、ラストがお約束のCG一本締めに終わってしまったのが残念だが、そこに至るまでのティム君がひたすらビビって暮らしている様子なんかは、けっこういいと思います。 主演の俳優さんも、いいですね。若い頃の太川陽介に似ているのだが。自然でさわやかな嫌みのない演技だと思います。有名じゃなくても、このくらいできる子がいるのは喜ばしいですね。って、なんだか「ギミーヘブン」の安藤のあまりのひどさと比べるとレベルの差に悲しくなってくるけどね。ちなみにケイト役の子は、シガニー・ウィーバー似ですね。(しっかりエラも張っているし) しかし男の子の怖がりって、どうしてこんなに笑ってしまうのかしら。 [DVD(字幕)] 7点(2006-11-17 21:48:13) |
49. ナイロビの蜂
《ネタバレ》 志の高い、作り手の側の意気込みが伝わってくる作品である。決して駄作なのではない。 しかしなあ。個人的にはいただけない。 原作モノだそうだが、この作品は、映画として楽しむことが困難なほど「政治的メッセージ」を強烈に発しており、引き裂かれた夫婦の物語としての完成度よりも、そちらを優先しすぎている。アフリカに対するあまりにも強い思い入れにより、旗色を鮮明にしすぎている。 この作品は、映画として完成させるならやはり「夫婦愛」の物語でなければならない。 ところがこの作品の人物設定はとっても強引。そもそもテッサという人物設定に無理があるのだ。 レイチェル・ワイズ。この人はまじめすぎる。 役者の仕事とは、「脚本に書いてあるとおりに演じること」と信じているようだ。 その結果、できあがったキャラクターはどこにも存在しないようなけったいな女性となってしまう。本作のテッサもしかり。脚本どおりの役者などというのは、アニメのキャラクターと一緒ではないか。それなら実写で撮る意味などない。 人間には2種類あって、〝自分の幸せを追求する人〟と〝人類愛に燃える人〟に分かれる。 もちろん後者はわずかな数しか存在していないため、通常は生きている間は「変人」と言われる。彼らは〝人類愛〟以外のことはすべてゴミにしか見えないようにふるまうからだ。テッサはこれであるといいたいのだろう。 イラクで拉致された遠山さん、彼女もその1人である。ところが、解放後の彼女はどうだったか。「またイラクに戻ってくる」と泣きながら口にした彼女。もちろん誰の目から見ても「強がり」である。現実には〝人類愛〟の人にも当然恐怖はあり、超人ではなかったことを知らしめた。 一方レイチェル・ワイズのテッサは、「ニューオーリンズ・トライアル」の時と同じく「目的のためには手段を選ばない恐いもの知らずのスーパーウーマン」になってしまった。だいたいがジャスティンをたらしこんで強引に結婚したのも自分の目的のための計算ずくということでしょ。後追い自殺するほど「夫婦の絆」とか思いつめているのはまぬけなジャスティンだけ。だってこの女は「手段を選ばない」タイプの「人類愛」の人だということになっているんですよ。遠山さんを知る私たちにはリアリティなど全く無い。「そんなすごい女の人ほんとうにいるのかなあ~」という呑気な感想しか浮かばない。いただけない。 [DVD(字幕)] 5点(2006-11-12 23:46:36)(良:1票) |
50. ジャケット
《ネタバレ》 ジェニファー・ジェイソン・リーだったのか! なんということでしょう。彼女もすでに堂々のシワ女優の仲間入り。「マシニスト」のときよりさらに老けていた。「アニバーサリーの夜」は遠くなりにけり…。 ちょっと気になるのが取ってつけたような湾岸戦争ですね。全然テーマと関係ないでしょう。なんのつもりだか。要らない要らない。 「またしても〝ジェイコブ〟か?」とも取れるような出だしでしたが、方向性は「バタフライエフェクト」でした。エイドリアン・ブロディを使ったことで、「バタフライ」のような軽さは皆無となり、どこまでもいつまでも画面を暗くする結果となりました。いやほんとに、写っているだけでこんなに画面が暗くなる俳優さんもめずらしい。こういう俳優さんはほんとうは使いにくいでしょう。しかしまあ、今回のような話にはギリギリの線でマッチしていたのである。かなりのギリギリだが。キーラ・ナイトレイとのラブシーンはかなり無理があったと思うけれども。 いやべつに、これがマット・ディロンであろうが、サル顔のコリン・ファレルであろうが、この役じたいは誰がやってもそれなりになってしまう役どころだと思う。ということは逆に、誰を使うかによって、全く違った味わいになるということだろう。 そこに果てしなく暗いエイドリアン・ブロディ。この世の不幸を一身に背負ったかのようなその顔面。枯れ木のような肉体。(実は脱ぐとマッチョだったりするところもエグイ気がする。) この顔が最強の武器になることもあるという、不思議な効果を生んだ作品といえます。死体安置所のボックスが世界一似合う男と認めよう、ブロディよ。 脚本としては、荒れた生活をしているジャッキーを先に見せまくったことで、ラストの健康そうなジャッキーが生きてくる、という古典的ながらの決め技を褒めておきます。まあ、そのへんがこの映画の技のすべてとも言えるかも。 それにしてもママさんはぜひお疲れ顔のデボラ・カーラ・アンガーにしてほしかったところだ。残念。 [DVD(字幕)] 7点(2006-11-04 00:12:32)(良:1票) |
51. グッド・ガール
《ネタバレ》 ジェニファー・アニストンにジェイク・ギレンホール、今ならジャストでホットなキャストである。 警備員役で出演もしているという脚本家のマイク・ホワイト、この人は非常に微妙な感覚を持った逸材と思いました。 この話は徹底して「ジャッジ」することを避けています。演出もしかり。にもかかわらず、題名にも現れているように、実は〝いいことと悪いこと〟についての話なのである。「あらら」と観客が眉をひそめるようなシーンが次々に出てくるわけだが、「ジャッジ」を無視してどんどん次の展開が続く。普通の人の日常を綴った脚本であるのに、なかなかうまいと思う。 「断らない女」ジャスティン。なぜ彼女は「NO」と言いきれないのか。避妊も要求せずに不倫するわ、脅されれば仕方がないから夫の友人とも寝てしまう。彼女は「断れない」のか「断らない」のか。ここが重要です。 ジャスティンは自分の人生が失敗したと思い込んでいる。つまらない。ツイてない。子供もできない。神様は不当であるという被害者意識もある。だって私はそんなに頭も悪くないし、まだババアでもないし、結婚のために大学まで諦めたのに。それに見合うものを与えられていない。 というわけで、他人の要求に応じても応じなくても、どっちでも大して変わりはない、それで人生がどう変わるわけでもない、と思った彼女は「いいことか悪いことか」を判断するのをやめてしまったのです。倫理的な思考を停止した。だから、「断らない」のだ。どうでもいいので、無責任に「断らない」をやっているうちに、どんどん大変なことになっていく。 戦争もなく、飢えてもいない、夫婦共に健康で、ちょっとバカだけどやさしい夫がいて、住む家があって、自分の仕事がある、これが幸せと思えないところにジャスティンの問題がある。ホールデン(トム)にしても、住む所も仕事もすべて親がかり、食うに困らないモラトリアム青年、どこがどう不幸だというのか。だけど、彼は「死んでしまいたい」くらい不幸だと思っている。 つまり「不幸」とは、「不幸だ」と思っている人のことなのだ。見る者ひとりひとりが、ふと「自分はそんなに〝不幸せ〟だろうか」と振り返る。この作品はそのことを教えてくれ(ようとしてい)る。(淡々とした演出は、説教くささを消す効果がある)…どちらかというと、少し人生に揉まれた後の大人向けの作品と思う。 [DVD(字幕)] 8点(2006-10-28 22:15:50) |
52. 隠された記憶
《ネタバレ》 うううん。 どうなっているんだ。 頭がこんがらかって大変だ。 てことはー、あいつがあいつに頼んで団地の部屋で父ちゃんには知られず隠し撮りしてたってこと?てことは、自分の父ちゃんが団地に行く日を感づいていたわけ? そんであいつはテープを撮って渡していただけってこと? てことはあいつは父ちゃんに会ってもらって一言でも謝って欲しくて、それでやったのよね。 ビノシュがピエールとカフェで話していた内容が全然分からない。 カフェの会話だけでもせめて英語ならと、字幕の解読に挑もうとしたら日本語字幕しかないし。奥さんていったい誰の奥さんよ。日本語字幕の人!ほんとにあの訳でいいんですか。責任とってよね。 この映画は、ラストの実家の庭のシーンが最もインパクトがありますね。 あんな遠景からワンカットで、音楽もなにもなく、すごい映像だね。こんなのあんまり見たことないな。間違いなく車の中で、手足を縛っているよね。「縛っているな」というのを「見せずに」、観客の想像力だけで表現してしまう、ハリウッドの監督なら間違いなく車内の手足のカットを手ブレで見せるだろう。 またここのシーンは、人種・階級間の力関係、「彼らは何をしてきたか」を固有の登場人物を超えて普遍的なものとして表現している。そこんとこが、すごーい。うまーい。 「何も覚えていない」から「俺は何もしていない」になり、「俺のせいじゃない」になり、「俺は悪くない」になるという、まるで犯罪者の尋問のようなジョルジュの情けなさよ。どうです、この徹底的にずるくて弱い一人の40男の姿。 やましさのあるジョルジュに比べ、アルジェリア人のの表情の穏やかなこと。たった一言、「あの時は悪かったな」とどうして言えないの。ジョルジュの愚かさがとても悲しい。たぶん、その一言で相手の心は少しは癒されたと思うのです。確かに俺にとってかけがえのない、たったひとつの天国へのハシゴを蹴落としたのはお前だ、でもほんの子供だったんだし、お互いの立場もいろいろあったしな。もう40年も前のことだ。そう思ってくれたかもしれないのに。 同じ「子供の頃の悪事によるやましさ」を描いた「ファイナルカット」を思い出しますが、もちろんあんな駄作とは雲泥の違いだ。やはり映画とはどこまでも〝人間をどう描くか〟なのでしょうか。 「衝撃のラスト」のとこは、一回早送りで見てみると分かりやすいです。 [DVD(字幕)] 8点(2006-10-07 22:42:37)(良:1票) |
53. ジャーヘッド
《ネタバレ》 あああああうっとーしー! こんなハンパな戦争ものなんてアリなのか。 しかもなんつー冗長な編集だ。 志願しました。派兵されました。ずっと待機させられてヒマで頭もおかしくなりそうでしたが、4日間だけ実戦に参加し、俺も立派に海兵隊員、あのときの仲間との体験は一生忘れられません。行かなかったヤツには絶対わからないっすよ。終わり。この内容をなんで2時間もかけて見せるー! 「フルメタルジャケット」と「ブラックホークダウン」の100分の1も面白くない。 亡父が「またアメリカが戦争をやっとらあ。それで何年後かにまた映画をつくって儲けるんじゃ。」と言っていたが。そのくらいの〝意味〟しか持たないこの作品。 果てしなく無意味だ。 このごろレンタルすると何本かに1本必ずサースガードが出ているんだよなあ。何に出ていてもホモくさいのだが、これからも男ニコール・キッドマンとなって本数稼ぎに出まくるのだろうか。 [DVD(字幕)] 3点(2006-09-26 22:36:35) |
54. クラッシュ(2004)
「25時」でも出てきた「アメリカにおける人種」の問題。 これは白人監督による場所を替えての(LA)お話だ。スケールも韓国人からペルシャ人までと大きい。 この映画では人々は「人種間の憎悪」を解決するためにすーぐ銃を用いることを考える。 「怖い気に入らない憎たらしい」→「じゃ銃だな」。 「銃」を用意しないサンドラ・ブロックのような人は恐怖と不安でノイローゼになるしかない。 アメリカは白人がネイティブアメリカンを追い出して(殺して)住み着いた国であるのに、そこに自分達より後に別の人種が入ってくると、「俺たちよりいい思いをしなければお前らがここに居ることに目をつぶろう」というレベルから基本的に少しも進歩しないのだ。 これはよその国の自分に関係ない出来事ではない。 留学生を装って日本に出稼ぎにくる中国人、ダンサーだと言って売春する東南アジア人、薬物を売買するイラン人、日本語も話せずブラジルから出稼ぎに来て2~3年で帰ってしまう日系3世。日本の安全を守りにきたはずなのに、現金も持たず(超低収入)街に出てきてナンパをしたり悪さをする基地の米兵。 もちろん普通の無害な外人もいるだろう。しかし、「無害かどうか判断のしにくい」外人に対して、「どうぞ私の家のとなりに家を建ててください。」とか、「私の店のとなりに店を出してください」とか「私の所有するマンションを借りてください」とか「どうぞ私よりたくさん稼いでください」と言える人が何人いますか。 上記の白人と同じでしょう。「俺たちよりいい思いをしなければ目をつぶっていてやるよ。」 これが「人間」の真実の姿だと私は思う。普通の人間はもともとそんなに立派ではないんだ。 この作品を見る限りポール・ハギスの考えもおそらく同じだと思う。 「立派じゃないので、避けないでぶつかれ。触れ合え。避けるともっともっと相手が怖くなるだけだ。」と彼は言いいたいらしい。 「日本ではここまでひどいことは起こらないわ。銃が無いから。」?それでは、福岡の4人殺しとか、ペルー人の女児殺しとか、世田谷一家殺人事件はなぜ起きたのか? それでも、ポール・ハギスの言うように、「怖がって避けてばかりいないで触れ合え」ますか? 脅かしているようだが普通の日本人もあの検事の妻のように、不安とイライラに苛まれる日は近い。たぶん「銃のあるよその国の出来事」として見るのでは甘い。 [DVD(字幕)] 7点(2006-09-24 23:09:21)(良:2票) |
55. ニコラス・ケイジの ウェザーマン
《ネタバレ》 ううむ。つかみどころのない作品です。 強いて言えば「アメリカンビューティ」もどきというところでしょうか。 デイビッドというのは現実を直視できない男なんです。認めたくない事実に直面すると、見なかったことにするか、すぐ都合のいいように曲げて話してしまう。そういうところが、奥さんに嫌われたわけですね。 だいたい離婚しているうえに、前妻には新しい彼氏もできているのに、まだ「やり直せる」とか思っている。どういうバカでしょう。 娘の肥満問題にいっさい触れないとか、タバコを発見しても見なかったことにするとか、他人にものをぶつけられても深く考えず忘れようとするとか、その場しのぎで生きている。とにかく「考えない」。ものごとを解決しようとしない。 たまりかねた父は死ぬ前にとにかく「前妻のことだけはあきらめろ」と言い置いて死にますね。 ところがラストのパレードでのモノローグでデイビッドは「僕の家族は別の男と暮らしている」とまだ言っている。だからもうあんたの奥さんではないんだって。 年に25万ドル稼ぐだけでもアメリカではすごい金持ちであるのに、100万ドルになってしまって、それでも不幸なこの男。妻に捨てられ、息子は薬物中毒から更生中、娘は肥満児で不良予備軍、なんかすごく皮肉だな。 [DVD(字幕)] 5点(2006-09-18 19:30:11)(良:1票) |
56. ゴスフォード・パーク
殺人ミステリーにひねりを加えたやつが撮りたかった、という監督。 殺人ミステリーには全然なっていないけれど、なんとも重厚なできあがりとなった。 殺人ミステリーでなければなんなのかいえば、もちろん重厚さをかもし出すモトとなったザ・階級社会なのだった。 ご丁寧にエンドロールのキャストまで、主人と使用人が別になっているというこの凝りよう。 このところ「オーメン」は見るわ「エニグマ」は見るわ井形慶子は読むわでどうにもイギリスづいているのですが。 実は第1次大戦が終わって第2次世界大戦が始まるまでの間のイギリスの不労階級と使用人の織り成す生活というのは、私にとってはどうにも懐かしいものなのであった。もちろん自分がそうだったからではなく、ミス・マープルとかエルキュール・ポワロの読みすぎのためである。 アルトマンという人はほんとにパーティが好きなのね。ごちゃごちゃ人を集めて撮るのがいいわけですね。「ウェディング」ではそれほど使用人に重きが置かれている感じはしなかったですが。 ここでは「上」と「下」に水と油のように分かれている階級生活が余すところなく描かれる。 手練のアルトマンは、もちろん階級社会の「是非」を問うような無粋な目線で撮ってはいないが、なくても話が成立するのに意識して「不安定要素」を入れている。小金持ちの「平民」の娘と結婚した貴族のカップル、役者修行であることを隠して使用人のふりをしたアメリカ人、ディナーをサーブしているときに思わず旦那様をかばって対等の口をきいてしまったエルシー。わざと「水と油」の境界が揺らいでいるところを見せる。階級生活を営む人々にとってはさぞかし「地震」のようなものであろう。 全然ミステリーでないまま「階級生活はかくあるのかすげーなー」「井形慶子の言うとおり、塗りすぎてドアにヒビ割れがしているな」「貴族は女と金のことしか考えてないのかやっぱり」などと思っているうちになんとなく終わってしまう。そしてそして。 ああジェレミー・ノーザムの弾き語りのすばらしいこと!どうやらクリストファー・ノーザムという人の手が入っているらしいのだが、なんというタレントフルな家族なのかしら。またエンディングの歌のすばらしいことといったら。これがイギリスの田園風景にかぶるわけですからもう、ダメ押しされたようなもの。KO負けです。こんな芸まであったとはノーザム、顔だけじゃない。 [DVD(字幕)] 8点(2006-09-09 23:17:56) |
57. エニグマ
《ネタバレ》 これはなかなか質の高い力作だ。ミック・ジャガー入魂のプロデュース作品だけのことはある。「いっとき話題になって消えていくより残る作品を」という彼の言のとおりだ。 悪い女にだまされて滅入っているうぶな数学者、という超プライベートなつかみから入って、話が全世界的に放射線状に広がっていく感じはストーリーづくりとしては面白い。 また、戦時中の隠された解読基地というドンパチやっていない場所で、どのように「戦争」を描くのか、ということにも細かな配慮がされている。例えばケロイドだらけの元海軍の片目の情報員、受信基地の女性兵士の発言(自分達の役割は意味の分からない暗号を受信して伝えるだけで戦っていることになるのか)、カチンの森でのドイツ軍による発掘作業、など。戦争映画の棚にあるのに、誰一人血を流して死ぬ場面を写さず、戦争の裏側を描く。ひとつの試みだ。 ヘスターという新しい女性像を登場させて、「女の頭脳が男より劣っているなんてことはない」なんてこの時代に言わせてしまう。彼女は現代でも堂々通用する女性であり、「守られるだけじゃイヤ。あたしだって何かやれるわよ!」というパンチの効いたたくましい女なのだ。このヘスターのキャラが効いていて、基地内での男ばっかの政治的な人間関係でげんなりした女性客をシラッとさせずつかんでいく。しかもブリジョン並みの豊満ボディに変身したケイト・ウィンスレットはなかなか可愛く(甲乙つけがたい)、なおかつ女性の嫉妬心も煽らない、グッドなキャラである。ケイトはいつもこれくらい太っていてもよいのでは。 そしてジェレミー・ノーザムの嫌らしさといったら見逃せない。まんま50年前の映画から抜け出たようなそのクラシックな容姿、イギリス紳士は常に身だしなみをかっこよく、そしてやることはえげつなく。いいですねー、ノーザム。俳優さんとしては、古典的な容貌が邪魔して使いにくそうだが。私はディカプリオだのブラピだのと受けを狙った顔立ちよりこういう正統派のハンサムを見ると、なにか「感動」に近いものを感じるなあ。生き残っていた絶滅保護動物を見るような。 あ、ダグレイ・スコットのアスリート並みの全力疾走は一見の価値あり。早回しか?というほどのド迫力だ。数学者にしてあの徒競走走り、デキる。 [DVD(字幕)] 9点(2006-08-27 21:48:03)(良:1票) |
58. 愛についてのキンゼイ・レポート
《ネタバレ》 …。…。これは失敗だ。 と思う理由それは、まずリーアム・ニーソンとローラ・リネイという俳優としては地味な二人組を中心に据えたこと。ほんとうに画面に華が無いのよね。サースガードが入ると少しは毒気がしてマシにはなるが、彼一人ではとてもじゃないがもたない。「エミリー・ローズ」でも思ったけど、ローラ・リネイは悪くないけど主役を張る女優さんではないと思う。彼女の一挙一頭足に目が釘付けになりますか? それにリーアム・ニーソンのつまらなさ。この人も主役を張る人ではない。しかもキンゼイという稀代の変人を演じるにはあまりにも「フツー」っぽい。もっともっともっと変な人だったと思うのよ、本物は。見てくれだけのことでなく。 そんな「フツー」っぽい二人組に無理して「乱交」だの「絶頂ウォッチング」だのさせるから、見てるほうは「いくらなんでも」とついていけなさを感じざるを得ない。 それと、同性間の性交だのスワッピングだの家族の異常な団欒風景だのの描き方がすごく意地悪だったと思う。これは映画をつくってる人間が、キンゼイの行動のうち、こういった部分を理解も受容もできていないがかといって批判もできないというものすごく中途半端な状態であることをあらわしている。キンゼイ先生は墓の下でどう思っているだろうか。 あまり関係ないが、故中島らも先生は「アマリタ・パンセリナ」の中でこんなことを言っていた。 「必要なのは受容と同化」「観察でも研究でもなく受容と同化」なんと深みのあるお言葉。もちろんこれは各種嗜好品について語っているのであるが。私はキンゼイの異常な行動を見るに、この言葉を思い出してしまうのです。そこのところを単に、「あーあ、学者センセイは世間知らずで変な方向へ突っ走っちゃうからなあ」っていうふうに撮ってたのがこの作品だと思う。だから、キンゼイに対する理解が足りないまま、キンゼイの行動のみを羅列しただけみたいになっちゃって、彼に失礼じゃないかあ? …キンゼイという上ネタを料理したというのに映画としてはやっぱり失敗だ。 [DVD(字幕)] 4点(2006-08-05 23:40:32) |
59. 二重誘拐
《ネタバレ》 ふむふむ。わりと洗練されたつくりだ。余計な描写の省き方とかカットのつなぎかたもうまい。 登場人物も少ないし、オチがいっこしかないし、邦題がひどいということで、皆様の怒りをかっているようですね。 「山小屋がない」つーのが最大のオチ(言っちゃった)だけど、まあこれも予想はついてしまうよね。だから、そーゆーことでだまされたい人は、怒って当然です。 他の方のレビューにもあるように、「対照的な2人のおじさんの人生の比較」が重要マターではあります。が、それ以上に「あちらの男性にとっての妻の位置なり意味」の重要性が主題となっていた。 ウェインがなんとかアーノルドを懐柔するために必死に話しかけるその内容は、「妻」関係の話。どうやらあちらの男性にとって「妻」とは「山の神」以上の精神的な「聖域」であり、己の「良心」の宿るところ、であるみたいなのです。最も「痛いところ」であり相手との関係を深めるカギなんですね。 そして結果的にこれは「効いて」いた。アーノルドはウェインの手紙を見てはじめて己の妻のことを現実的に考える。それが後の行動につながったわけです。ウェインは殺されたとはいえある意味「勝利」を得たとも言える。(彼の言ってた貧乏だったお父さんのように) 「THE CLEARING」の意味を考えてみましたけど、「清算」か「手形」かなあ。 タイトルにこれをもってきたということは、犯人にとっての「清算」は、せしめた「100ドル紙幣」であり、これを使うことで、わざとつかまる方向へ仕向けたこと?ウェインにとっての「清算」は、浮気を続けて裏切っていた「妻への感謝状」? それにしても画面上のレッドフォードの存在感てすごいですね。なんか、ものすごくオーラ出てます(すでにフェロモンの段階を超えていて掃除機のように吸い込まれそう。) ウィレム・デフォーは、インテリをやってもはまるし、こういう無教養でアブな犯罪者もぴったりくるというめずらしい役者さんですね。 この映画、「勝ち組」「負け組」という視点で見た場合には、「勝っているやつはやはりそれなりの人格者であって、負けてるやつが暴力で脅したところで最終的にはかなわない」と語っているようにも見えますね。まあ、デフォーだって彼自身はセレブだからそういう意味では現実味は欠けるが。 [DVD(字幕)] 7点(2006-07-22 00:57:34)(良:1票) |
60. クローン・オブ・エイダ
《ネタバレ》 この監督さんのことは全く知らないし、1回目視聴後はエイダがティルダ・スウィントンだということすら気付かなかった。これはもしかして、何回見ても、エイダとの交信が可能になった仕組みはわからないようになっているのでは?ラストで子供にエイダの記憶が移植されていることが判明するが、その理由も。私の貧しい想像では、どうにかしてエイダのDNAを手に入れて、その並列を打ちこんだあげく、自分のDNA情報をなんらかの形で組み合わせたのか?もうそれは他のレビュワーさんにおまかせしたい。 ともかく死んだ人間の情報を集めて「育てゲー」をやってるようなものと思おう。このエイダが次から次へとものすごい哲学的な深いことを言うんだわ。とくに終盤。いちいちポーズにして「今の言葉の意味は…」とかみしめてから、次のセリフに行かないとついていけないくらいだわ。これはたぶんかなりフェミニズムな映画で、エイダを「全く新しい女性像」として描いている。男や子供になんら価値を感じず「他のもの(研究)」に取り付かれている女性。エイダが「名を残す」ことをしきりと希望するのは、逆に「女が名を残せない透明人間のような存在」であったことを言っている。つまりはエイダの生きた時代、女とは子孫製造マシーンであり、歩く「内助の功」であった。エイダは「透明人間」でなく「人間」として成功したかった。男と同じ肉体的時間的条件で研究がしたかった。才能ある女性なら当然思うことだ。でもできなかった。けれどラストで「自分の人生には不満足だけど死んでいく」ことを選ぶ。 「死があるからこそ生きることはすばらしい」この言葉、よくよく考えても分からないほど深い。エイダがもしもこの作品の通りの女性だったとしたなら、生まれるのが100年以上早すぎたということだ。いつの時代も、早く生まれすぎた人間は一生苦しんで生きる。その人生は本人にとっては「悲劇」そのものだが、他人からは「天才」または「変人」と呼ばれる。 ティルダのビクトリア朝的な美しさ、入魂の演技は文句無しだが、主役の女優さんのカギ鼻にどうしてもなじめなかったので彼女に感情移入できなかった。ショートカットにしてからなおさらコワい。魔女顔だと思う。 [DVD(字幕)] 8点(2006-05-16 22:43:27) |