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パブロン中毒さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 914
性別 女性
ホームページ http://ameblo.jp/cluttered-talk/
自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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1.  真夜中の弥次さん喜多さん 《ネタバレ》 
でいでいでいでいっ。サンデーマンデーてやんでい。 面白いっ。 クドカンという人は外見が果てしなくショボイのであるが、やはり才能ある人の例に漏れず、己の見た目などに構わず余分なエネルギーを全部クリエイトに回しているタイプだったのだなあ、と再認識。 原作のマンガについては未読だが、傑作であるとの批評は目にしていた。 しかし、クドカンが脚本のみならずメガホンまで取らなければ、よくある陳腐な作品として忘れられていく凡作になったであろうまちがいなく。そのくらい、「俗」に流れずにシュールに笑わすのは難しいと思う。 長瀬については1%も期待していなかった私だが、冒頭から「てやんでい」の切れの良さに感心しきりとなる。おお、長瀬、悪くないかもよ。長瀬にこんなに突っ込みの素質があったとは意外だ。地蔵突っ込み、コダマ突っ込みなど、いずれも悪くない。 そして、なんと「明治天皇(ラストサムライ)」から「ホモで薬中の金髪」へと大変身を遂げた七之助。すでにその役柄の落差だけでいかにもシュール。 ジャニーズと歌舞伎がホモの恋人どうしで絡み合っているという、有り得ないシュールな光景はこの映画ならではなり。ヘタウマの絵や「おまえ」「おいら」「ゆかた」などの殴り書きもばっちり合っている。 私は、日本人はブラックな笑いを作るのが下手だと思っているけれど、クドカンについては全くそんなことはない。クドカンはすごい。これを見た松本仁志は嫉妬にかられて初メガホンを取ったのではないかと私は思う。まちがいなく松本のライバルは北野武ではなくてクドカンである。 「何がリアルか」「リアルには自分の思い込みが入っているのではないか」「思い込んだらそれは現実か」という深遠なテーマに沿って、次から次へと有名人が登場しては笑わす。これはこたえられない面白さだ。ぜひともクドカンのすごさを堪能してほしい。 ひとつ残念なのは、これだけ有名人を出しているのだから、バーテンはぜひともクドカンとも親交のある及川光博にしてほしかったところ。こういうチョイ役よくやってるのになあ。忙しかったのかなあ。 とにかく面白いです。イケてます。イチオシのギャグはナカムラ父の「夜でもアーサー」。
[CS・衛星(邦画)] 10点(2007-12-24 15:51:16)(良:2票)
2.  ヨコハマメリー 《ネタバレ》 
ドキュメンタリー映画というものは、途中でボツになり日の目を見ないことが多いらしいですね。だいたい理由は内輪モメであるが(森達也の下山事件とか)。この作品中にもボツ作品のことが出てくる。しかも、往時のメリーさんを撮った貴重なフィルムが行方不明とはどういうことやねん(怒)。 そういう意味で、これがきちんと映画に仕上がって、観客の目に触れたというのは奇跡である。 もちろん、戦後60年にわたる横浜の歴史を、証言者が生存しているうちに記録したという意味でも、非常に価値がある。作り手の執念を讃えたい。 永登元次郎をはじめとして、ここに出てくる伊勢崎町周辺の人々の「濃さ」といったら。全員ものすごく濃いのさ。 この「濃さ」というのは、「戦争に負けた」を肌身で経験し、成長してきた横浜の「アク」のようなものなのであろう。だいたい、肩書きが「元愚連隊」ってどうなのよ。思わず突っ込みを入れずにいられないじゃん。 それでまあ、私は小学校5年生からずっと横浜に住んでいる。(両親は流れ者ゆえ、横浜の戦後史を子供たちに教えることはなかった。) で、メリーさんを目撃したことも、当然ある。職場が関内だった時期もある。この映画に出てくる場所も、ほとんど自分の足で歩いた馴染みのとこばっかりだ(伊勢崎町通りから南側を除いて。そこはあんまり行ってはいけないとこなのだ)。 「メリーさん遭遇」というのは、職場の世間話のあいまに語られる、ほとんど「風景」のようなものだった。「男」説も、もちろんあった。高島屋のエレベーターのドアが開いたら、いきなりメリーさんが居た、という先輩もいた。 アート宝飾の前のベンチ、今はもうないけど、メリーさんはよくそこに居た。ディスクユニオンに中古品を漁りに行くとき、あっ今日は見ちゃった。って思った。 私は、今回コレを見て、仮説を立てた。メリーさんは肉体的にはやっぱり男性だろう。だって、生理用品と常時使用可のトイレを確保しないで、あんな着飾ったホームレスができますか? なぜ故郷を捨てて、女の成りをするようになったのか。それはつまり兵役逃れか、逃亡兵だったとしか考えられない。…単なる仮説だけど。 いろいろ言いたいことはあるが…とにかく、これは非常に貴重な記録である。老人ホームにおさまったメリーさんの姿を公表することの意味については、個人的には疑問が残る。と言っておく。
[DVD(邦画)] 10点(2007-06-22 20:40:18)
3.  東京裁判 《ネタバレ》 
点をつける作品じゃないけど。事実のみだし。私も母親と見に行きました。パンフの原題をいっしょうけんめい暗記しました。もう忘れた。思い出した。Military Tribunal For the Far Eastだったな。パンフには、俳優さんのごとくひとりひとりの顔写真および経歴アンド判決と受刑内容まで盛り込まれ、豪華であった。あのころは、子供が元気で学校行くだけで親は満足じゃなくて、さらなる教養をつけてやろうなどということを考える余裕があったように思うなあ。なんか他の方も親と行ってたりするみたいだし。東條が頭ポコンてやられるの、実際に見るとすごいよね。「げげー。実物ー」。ひたすら本で読むのみの「戦争」の実物が目の前に。このころ何を思ったか「大日本帝国」も見に行ったな。ウルトラマンタロウと夏目雅子が出てた。映画「東京裁判」にソ連と司法取引したとかしないとか近頃疑惑の瀬島龍三が出ていたかどうかわからず。もし出てたら、「あー、このとき妻子と会わせてもらってたわけね」なんていう臨場感もありだな。今これを子供に見せる親なんているのかな。戦後は遠くなりにけり。2000年近くも親から子へと怨念をつないで行ったユダヤ人とはなんたる違いか、単に宗教のある無しか。映像は100冊の本より雄弁。
[映画館(字幕)] 10点(2005-12-25 22:09:02)(良:1票)
4.  裸のランチ 《ネタバレ》 
10年以上前の初回視聴時の感想はずばり「退屈」であっため、2度と見ない作品リスト入りしていたのだが、見る側の経年変化というものも考慮し「CSでやっているならちょっと」と見始めて見事ハマる。 「クラッシュ」でも書いたけどこの監督さんの作品を楽しんで見るためには「コント」という前提で見るのが正しいのでは。「あんまりマジメに考えない」で「相当ブラックでグロテスクなコント」を見ている感覚で、作り手の意図した「笑わせどころ」にちゃんとはまっていってあげるのが、楽しく見るコツなのではないだろうか。 松本仁志のコントをスケールを拡大し芸術性を高めて高尚にしたもの…ということであんまり間違っていないと思います。もちろん、バロウズの原作というものがあり、映画であるので、私の見たところでは1箇所「意図的にコント世界をはずれて現実世界を注入した」ところがあって、「ところでそろそろキミの創作活動と麻薬常習との関連性について聞こうじゃないか」と友人が言うんですね。 こういうマジメなセリフが、爛れた妄想世界の中で突如として発言され、そして「無視される」という展開。バロウズが誰か他人から現実に言われた言葉であろう、そして「最も言われたくない」が「最も無視できない」言葉。ちゃんと入れてきてます。 作品全般に「んなアホな」と突っ込みたくなるシーンが満載で、ピーター・ウェラー演じるウィリアム・リーは「突っ込み」担当なのですが、クローネンバーグの演出により繊細に計算された「限りなくノーリアクションに近いリアクション」芸を展開することでボケを際立たせています。かなりギリギリの芸です。 ラストも大変練られたもので、文学的でありかつコントとして成立しているというやはりギリギリ芸。 「作家であることを証明してみろ」と言われて「んじゃ、気は進まないがウィリアムテルごっこだ」「なるほど、確かにおまえは作家」てな、完全コントでなおかつバロウズの抱いていた根本的問題や苦悩を落としどころに幕引きしてみせた。 「クラッシュ」でも書いたがクローネンバーグが大笑いするネタというのは一般人の顔がひきつるレベル。 ゆえに「天才は孤独」なのだが、本作はバロウズというクロを上回る変態じゃなくて天才とのコラボでどちらかというとクロの変態度が小さく見えるほどである。怪作。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2008-10-08 13:35:07)
5.  DISTANCE/ディスタンス 《ネタバレ》 
敦の視点でちょっとこのストーリーを眺めてみよう。 何を生業としていたかわからないが、お父さんとお母さんと兄弟が居て普通の家庭があった。なぜか父は百合の花が好きで、いつも玄関に飾っていた。 その家庭に異変が起こり、母は「私と結婚したこと後悔しているんでしょう。子供は可愛くないんですか。」(ここのセリフめっちゃ音が小さい)と父を責め、父は言い訳しながらも、ある日家を出て行く。その後敦は花屋で働き、同僚の夕子と付き合って川に遊びに行ったり、夜明けの街で深遠な会話を交わしたりする。が、弟に自殺されたトラウマをもつ夕子はよりによって父の作った宗教団体にハマって、出家したどころか、テロの実行犯となって、自決してしまう。敦の父も、追い詰められて自殺した。ショックを受けた敦は、庭で家族の写真を焼く。 その後敦は、教祖の息子としての罪悪感から、実行犯の親族と思われる病人を訪問したりしてせめてもの奉仕に励んでいたが、夕子への思慕が消えず、実行犯の気持ちなどを知りたいと思い加害者遺族と偽って、湖への墓参に同行することを思いつく。 過去の映像が群像劇風に入るのでわかりにくいが、この話は敦を中心に考えるとすっきり整理できる。というか、〝教祖の息子〟という主人公が最初に存在して、後から周辺の肉付けがされたストーリーなのだ。 〝その後のユダ〟としての坂田(浅野)の有り様は、なかなか興味深かった。エリートでもないのに実行犯に選ばれた理由は、「忠義心」が突出していたからでしか有り得ない。けれど、それは本物じゃなかった。そして、〝その後〟の人生においては、己の存在がいかに小さかったかということに弁明これ努める。彼は悪人にすらなれない。なんという、人間臭さだろう。ユダ本人を髣髴とさせるに充分だ。「人間とはこういうもの」是枝監督のつぶやきが伝わってくる。 百合の花は〝死んだ人の花〟である。百合は強烈に線香の香りがする。そんなものを常に玄関に飾るなんて奇妙だが、監督はそれを教団のシンボルとしている。最初から〝死〟を背負っていた団体だったという意味だと思う。 リアリティを追求したアドリブ風の撮り方は見づらかったが、そんな空気の中では比較的〝浮いていた〟夏川、寺島の存在が、最後まで見させてくれた。 社会問題と謎解きの両要素が盛り込まれ、映画としては大変面白かった。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2007-09-18 13:08:01)(良:1票)
6.  やわらかい生活 《ネタバレ》 
なぜ2名の方のレビューしかないのであろう。 さて、この映画の最も有益な鑑賞法を説明します。それは、ブスではなくても美人とはいえない女が、ウルトラかっこいい男に散々に奉仕させる様子を、自分に置き換えて満足感を味わうのです。(でもこれは、Mの方には向かないかも。) そういう意味で、優子役が寺島というのは、必然であった(決して美人であってはならない)。祥一役がトヨエツというのも、絶対条件であった。(見てるうちに、及川光博でもいいような気もしてきた。彼も40に近いし。でも演技力が足りないか。) 私は別にトヨエツのファンではないがー、本作では本当に彼を褒め称えるしかない。トヨエツってきっと役者バカなんだろう。 顔面が端正で、身長も高くスタイルも良い場合、暗めの2の線を演じるというのは、なんの驚きも与えない。流れる方に流れた、というだけだ。「LOFT」でもトヨエツの使い方はまさしくそれだった。なんの面白みもない。 本作では、トヨエツの魅力が余すところなく大爆発だ。 頭カラッポな地方のボンボンで九州弁をしゃべるトヨエツ。寺島の頭を洗ってやるトヨエツ。濡れた床を掃除するトヨエツ。寺島におかゆをよそってやるトヨエツ。腰に手を当ててトマトジュースを飲むトヨエツ。…こんなものが見られるとは思わなかった。非常に眼福な気がする。 これだこれだったんだよなー、「かっこよすぎる」男性の魅力の引き出し方って。 原作者が女性というだけで、監督も脚本も男性であるのに、トヨエツのかっこよさがあまりにもうまく引き出されているところを見ると、監督にはそっちの気もあるのでは、という気もする。べつにいいけど。 「お姫様抱っこ」といえばトヨエツ、ということになってしまったなあ。身長180cm以上の男優さんでないと、キマらないし。「LOFT」では中谷美紀を、安達祐実を、本作では寺島を。 私が今までトヨエツを無視してきたのは、「面白くない」「つまらない」が原因だったことに気付いた。考えてみれば、「面白い顔で面白いことを言う」よりも「端正な顔で面白いことを言う」方がいいに決まっているではないか。…とにかくこの映画はトヨエツ。しかし、純日本人であろうに、なんであんな日本人離れした体型なのかなあ。(内容のことが全然書けなくなっちゃった。)
[DVD(邦画)] 9点(2007-06-17 20:05:24)(良:2票)
7.  パッチギ! 《ネタバレ》 
北野武とか黒沢清の作品は「無国籍性」(外人が見てもけっこう楽しめる)があるのかもしれないが、「パッチギ」はもう、国内一本勝負。敬意を表します。間違っても外国で評価されることはないでしょうし、最初から狙ってないに違いない。今の若い奴は一回は見なさい。「そんなに日本がイヤなら来なければよかったじゃないですかー」とか言ってる子、実際に居るんだよ。「だから来たくて来たわけじゃないから」って言ってる私自身も情けないよ。井筒ものは初めてでしたが、感心しました。「問題解決のための暴力を持たない少年」が「別の方法」でなんとかしようと「他民族が祖国を慕う歌」をみんなの前で歌ってみせる。という、それだけならクサいストーリーなのですが。この康介少年の周りでは、ワーワーワーワー、皆が右往左往しているわけで、その中でぽつんと役立たずに見えた康介が、ラストで歌ってしまうことで意外な一石を投じるわけだ。歌にどれだけの力があるのか私には分からないし、「歌う」は「クサい」ことにはちがいない。「暴力がダメな男」康介にとっては、今の所これが自分にできることだったわけだ。井筒監督はケンカ上等だったらしいので、康介というのは「存在しなかったもう一人の自分」なのかもしれない。大人の男たちが情けなくて皆面白い。先生、オヤジ、笑えます。モトキの浪岡一喜が素晴らしい。オダギリが演技しているところをはじめて見たが、なんだかあやしいフェロモンが出ていた(でも坂崎幸之助だなんて美化しすぎ)。番長役の高岡蒼佑が、あまり雰囲気がなかったところが惜しい。ミスキャストと思う。朝高の番長がハンサムではダメ。
[DVD(吹替)] 9点(2006-01-18 18:00:29)(良:2票)
8.  陰陽師 《ネタバレ》 
これが成功したのはひとえに萬斎さんの美しさゆえでございます。愛しています。 どこがどう美しいかといいますと、もちろん顔が端正、首のライン、尋常でなく姿勢が良い、そして公家ぽい衣装がピタリと肌に吸い付いたように自然。ひとつひとつの所作がうっとりするほど美しいのでございます。そしてそして、あのバトルシーン、ああ、なんということでしょう、萬斎さんは殺陣のプロでもないのに踊っているように美しい。こんな殺陣の振り付けは初めて見たのでございます。特筆に価するのが、バックしながら袖を振りふり防御しているところ。これ、ものすごく難易度が高いと思うよ。 しかし真田はどうしょうもないねー。どうしたらいいんだこの学芸会状態。JAC時代から進歩してないように見えるが。私に脚本を書かせてくれたら、憤死した早良皇子を「パラダイム」風のドロドロ状態で御所の室内に座位で登場させ、まわりに同じような手下をおいて、皇子には一言もしゃべらせない。そんで手下に「いよいよ宮の即位の時がまいりましたぞ」とか言わせて、そんで萬斎さんと対決させるの。いかがでしょう~。 萬斎さん以外なら、及川光博でもいいかな。
[DVD(吹替)] 9点(2005-12-25 15:12:57)
9.  御法度 《ネタバレ》 
すばらしい。監督が体張っているだけのことはある。とにかく男ばっかり。松田龍平の妖しい美少年。彼は完全に集団の中で女の役割である。神田うのの花魁も、数秒だけ。つまり本物の女はこの作品の中で手の届かない霧のむこうに居て、まるでTVの中だけに存在するようなものなのだ。崔洋一の近藤にたけしの土方、ものすごい配役。二人が差し向かいに座るとまわりに異様な空気が。何かへんなものが生まれそうでとてもこわい。特に崔洋一の怪しさよ。セリフが少ないせいか。ところで、浅野忠信についてですが、一重まぶたに細目の三白眼で鼻筋が通っている、という場合は「おしょうゆ顔の美男」なわけですが、これと同じ顔に及川光博がいます。しかし二人はぜんぜん似ていない。浅野はブラピのように「美男の汚な作り」にはげんでいるわけですが、小奇麗にしたとしてもやっぱり似ていない。同じパーツを所持しながらなぜ?それは「唇の端がキュッと上がっているかどうか」の違いによるのでした。女の人もこれからは男性の顔について堂々とえげつなく批評しようではありませんか。えっそんなの私だけ?大島監督の時代物をもっと見たかったのに残念です。
[ビデオ(字幕)] 9点(2005-12-15 21:25:01)
10.  ブラック・レイン 《ネタバレ》 
ああ、優作は外人にまじっても全然負けておらんのう、とそれだけで涙ぐんでしまうこの作品。なんだか優作の母親か親戚のような気分で見てしまう日本人。このあと洋画に何本か出られたらほんとによかったのにねー。命を縮めても、出演した価値は充分あった。リドリーもダグラスもぶっとんだであろう、優作の演技。高倉健を忘れてたけど、今回は忘れてもよいくらいに、優作よし。ところで「指つめ」はリドリーのSごころにぴったりのネタだったんですね。ともあれ優作以上にハリウッドで大暴れできる俳優さんはもういないであろう。合掌。
[DVD(字幕)] 9点(2005-11-20 18:15:14)
11.  利休 《ネタバレ》 
1にリアル。2に美しい。勅使河原って、何かの家元?「美」である。 秀吉が顔を赤く塗って、金粉まではたいていたのは本当の話らしい。ものすごい顔だ。 救いのない話であるなあ。しかし、「偏屈」を「美」として撮ろうという発想はよい。 日本人が、宗教以外の信念で殉死するのは利休が最初かなあ。「わび」は宗教とはいえないように思う。死んでも曲げない。普通に考えたら「偏屈」。芸術家なら「自己の信念に殉じた」。 山口小夜子が怖すぎる。 
[ビデオ(吹替)] 9点(2005-11-09 22:09:32)
12.  魔界転生(1981) 《ネタバレ》 
映画館で2回続けて見た昔の自分。最近DVDでまた見た。 邦画では一番好きかもしれない。原作も読んだし。リメイクのお粗末さにくらべてこの充実感。当時は技術も進んでなくて、効果とか大変だったろうに。やっぱり映画は技術は「1番目」じゃないんだよね。20年前のほうが、役者さんもうすっぺらくない。みんな「何かありそう」な顔をしている。リメイク悲しかったなあ。個人的記念碑的作品。 追・↑ぶらきさんそのとおりです。切れてます。
[映画館(吹替)] 9点(2005-11-09 21:48:44)(良:2票)
13.  HANA-BI 《ネタバレ》 
よかったです。デビュー作のテーマが、洗練された形で再構成された感じがする。 「その男」からたけしの「身体性」には驚いていたが、また驚かされた。この人運動選手じゃないし、スタントマンでもないし、いったいどうやってそうなったのかしら。コントで培ったのかなあ。驚異の「身体性」である。キオスクにとびこんじゃえと思いついたら、とびこんじゃうのである。50代男性の何人が、これできるかなあ。先日、黒沢明と同じ道を行ってもだめだから、別のところから登るんだ、と言っていた。それを考えついたことがすごいよ。「身体性」も高いが、「IQ]も人の倍くらい高そうな人である。たぶん、同じようなのは本作で打ち止めであろう。観客も満足だし。石を入れたら痛いからやめてね。
[ビデオ(吹替)] 9点(2005-11-09 21:40:01)
14.  スパイ・ゲーム(2001) 《ネタバレ》 
すばらしい。ちゃんと映画になっている。やっぱりレッドフォードは安心。万年同じ髪型を何とかしてほしいけれど。ブラピはエラが張っているけれど、今回は許す。ブラピ出演作で唯一彼にシンクロできた。それまでは、「顔のことは言うな」という態度がありありで、「俺の演技だけみてくれ」とばかりに汚なづくりにはげんでいるように見えた。この作品では名実ともにレッドフォードの手のひらに乗せられて、肩の力が抜けたのではなかろうか。「顔がきれいでもべつに過剰に意識しなくたっていいんだ、だって往年の美男子といっしょだもん」的なリラックス感がうかがえる。ブラピのレッドフォードに対する熱い視線には、演技以上のものを感じる。よかったね、ブラピ。目線を変えたスパイ映画。「息子」的な役割を演じるブラピはリアリティあり。
[ビデオ(字幕)] 9点(2005-11-07 22:28:03)
15.  座頭市(2003) 《ネタバレ》 
おもしろい。「日本の貧乏」の描き方よし。ガダルカナルのコント場面よかったなあ。大楠道代の貧乏ぶりが、あまりにも自然であった。たけしは冒頭から殺陣が冴えててよし。TV放映の時に、セリフを思いっきり変更させられていたのが笑えた。あそこは、「このどめくらあ!」じゃないといけませんね。「めくら」「めくら」の連発。たけし、それの意味、よくわかったよ。
[DVD(吹替)] 9点(2005-11-07 20:41:58)
16.  運命の逆転 《ネタバレ》 
シュローダーはこの前後の時期にブコウスキーの家に張り付いてドキュメンタリーを撮っていたのではないですかね。 私は非常に興味があるのだが、オスカーも手にしたジェレミー・アイアンズのつかみどころのない演技、どこまで監督が芝居をつけたのでしょう。「ダメージ」とか思い出すと、アイアンズってそんな深みのある役者さんなのかなあという気がしてしかたない。ロン・シルバーのセカセカした演技と見事に対を成しているところから、私はシュローダーが全面的に関与していると考えたい。演出がとてもうまくいった例といえます。 ユダヤ人弁護士ダーショウィッツとイギリス貴族クラウスのぶつかりあいや、ほとんど戦慄してしまうような大富豪サニーの奇行などでひっぱり、結論は出ないもののなかなか見ごたえのあるサスペンスになっている。 現実と同じように、事実は解き明かされず、裏切り者の情報提供者を雇ったのが誰なのかも明かされない。全体のクラウスの行動から考えると、最終的にダーショウィッツが推理した説が最も彼の行動原理に適っているのかなあと思う。 結局クラウスは「サニーが自殺したくなるような状況」を次々に作って仕向けたということなのかもしれない。相手を葬るためには確実な方法ではないにもかかわらず、それも含めて「紳士のやり方」なのかも。 ひとつ文句を言うなら、グレン・クローズがどんなに優雅なしゃべり方をしてみても、どうしても上流婦人には見えないんだよなあ。…やっぱダナ・カランを着て他人の亭主と不倫をするサカサカしたキャリアウーマンが合っているよなあ。もしくはいじわるな魔女。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2010-04-14 21:39:17)
17.  阿弥陀堂だより 《ネタバレ》 
映画が料理だとすると、ここに使われた食材はすべてもともとが「生」「死」「癒し」なのである。「他のものが一切入っていない料理」という、ある意味珍品といえるかも、のメニュー。例えば、「憎しみ」「妬み」「嘘」「偽善」「怠慢」などはこの映画のどこを探しても出てこないでしょう。 ということで「いい人しか出てこない」というより、「3つの要素だけで作ってある」なのだ。 「仕事」というのは「他人の要求に応えることである」と言ったのは橋本治。そして、「他人の要求に応えすぎる」と、人は「消耗」する。たとえ他人の死を見取りすぎたという特殊な職業下でなくたって、「他人の要求に応えすぎる」のは不健康なことで、職業としてであっても「消耗」は避けられない。私はそれが身にしみてわかる。美智子先生の置かれた状況がよーーくわかる。 村に着いても、最初は発作も起こして「これで診察できるのかいな」という頼りなげだった美智子先生が、次第にキャリアウーマンぶりを取り戻してバリバリになっていくのがおもしろい。比べてダンナのほうは一貫して同じペース。いいかげん寺尾は見飽きたけれど、孝夫役は彼でなければならなかったというのはうなずける。 さてこの村の人々がいたずらに死を恐れず穏やかに生きているのは、梅さんの存在ゆえである。 死んだ経験のある人は誰もいないので皆「死」が怖いのだけれど、「限りなく死に近いところに生きる梅さん」の存在によって、人々の「死の恐怖」は緩和されることになる。昔の船旅に不可触の人柱を乗せたように、梅さんは「不吉なもの(死穢)を全部引き受けてくれる」身代わりのような存在だ。 よくできたシステムだと思うが、このような存在は昔は賤しまれていたのではないかと考えるのが妥当だ。最も卑なる聖=アンタッチャブル=有形無形に疎外(隔離)する、というのが日本の文化だ。 映画ではそんなことはみじんも描かれないが、私は「梅さん=アンタッチャブル」という意識で見たほうがいいと思う。それで初めて「なぜ一人であんな便所もないところに住んでいるのか」「なぜ家族の訪問が無いのか」「人が死んだ時しか村人が訪れないのはなぜ」などの疑問が解ける。 偉すぎるニョーボの亭主であるというのも実は努力と技術が居るのでバカにしたもんではなく、どんな男でもなれるというものではありませんね。たまにはこんな珍品も、の一作。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2008-06-30 13:48:28)(良:1票)
18.  きょうのできごと a day on the planet 《ネタバレ》 
最初のほうを見ていたらあまりにつまらなくて〝努力忍耐〟とひたすら念じながら先へ進む。すると、途中から面白くなってきた。3人が帰って、西山が暴れだすあたりから…。「おっこれは」と思っていると、正道は何気に当て逃げされるし、スキマ男はどんどん悲惨になるし、かわち君は性格面白いし、話の展開がやっとわかってきて、〝この映画〟の面白さ、もやっとわかった気がした。 確かに、この話の人間関係が全く把握できていない状態で、時間をシャッフルしたうえ、けいとがクダをまいている(卵の話は本当につまらない)ところとか、真紀が酔って他人の髪の毛を切っているところを見ても全然面白くないのに、そこらへんを長く見せすぎる…。2回目に見ればわかるけど、やっぱり女2人が酔っ払っているところは何度見てもあんまり面白くない。監督は、女どうしのシーンで笑いを取るのが下手だと思う。(男ばかりでモメているシーンは大変よいのに。) 小説の原作ものということだが、私はそれを知らずに見ていてまず「これはまさに少女漫画の間の取り方だ」と感じた。吉田秋生あたりが一番近いと思う。もしもこの映画を吉田に漫画化してもらったら、すごく自然な感じになると思う。正道のキャラなど、見た目も言動も本当に吉田秋生の漫画から抜け出してきたようだ。 で、この話は出てくる人間がほとんど「モラトリアムな奴」なのだ。自分で稼いでいる人間はチョイ役でしかない。働いているやつは、スキマ男だけだ。北村のサーファーだって、どうもマトモな勤め人らしくない。 そういう男も女もモラトリアムなやつらが、ある日集まって勝手気ままに騒ぐ。過ごす。それをダラダラとコミカルにさんざん見せたうえ、クジラが帰った海辺で終わる。クジラとは、何の意味だろう。 クジラと同じように身動きが取れなくなって、己の命を他人まかせにしなくてはならなかったのは誰か。違法な賭博喫茶で働くスキマ男だ。クジラはスキマ男だ。スキマ男は、中沢たちと違ってモラトリアムに生きていない。 世の中に出て、自分で食い扶持を稼いでいくということは、座礁した瀕死のクジラのようなもの…そんな大変なこと、できるだろうか。できればこのままいつまでも、京都の古民家という通好みのおしゃれスポットで、ダラダラとモラトリアムに仲間とじゃれていたい…。そういう気分を描写したのが本作だと思うなあ。やっぱり昔の吉田秋生の気分。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2007-10-23 19:47:36)
19.  美しい夜、残酷な朝 《ネタバレ》 
以前「THREE」というオムニバスを見た。韓国、香港、タイのホラー監督が競作していて、香港版はピーター・チャン監督で、香港版にはエラく感心した。しかし、3作品とも、それなりのクオリティを感じたし、どれがいいかは好みの問題と言えなくもない。 …しかし、この「美しい夜、残酷な朝」は…いかにも真ん中が低い印象がぬぐえないではないかあ。 私は三池という人はカタカナの「ゲージュツ」家だと思う。「ゲージュツ」の人は、自分にだけ分かればいいと思っている。「IZO」でもひどい目にあったし、もうこの人の作ったものは無視することにする。 で、やっぱり「餃子」です。これはよくまとまっているし、説明が少なく見せ方も凝っている割には、ストーリーが分かりやすい。またしても、競演で香港作品に軍配を挙げてしまうのだが、そう思ってしまうのだから仕方ない。 私は、香港映画で見る建物とかインテリアがけっこう好き。天井が高くて、洋風のハコモノに東西文化がセンスよくミックスされていて、かっこいいと思う。今回も、怪しい餃子女の部屋のインテリアなど、とても面白い。黒いオーガンジー風のカーテンを窓にかけるとか、日本だったらまずしない。 そしてこれはグロい。このグロさというのは、韓国映画「四人の食卓」を見た時と同じグロさである。 なんていうか…胎児経由カニバリズム系のグロさ…というのだろうか。 「美の追求」が「カニバリズム」に発展し、「近親相姦」をも踏み台にする…という、よくこれだけ濃いものを集めてまとめたというような陰惨な話だ。しかし、不思議に視聴後感はそんなに悪くない。 小物の使い方がうまいからだ。セピア色の写真立て、エキゾチックなインテリア、金満趣味の人妻の隙のないメイクとファッション、金満インテリアにぶちまけられたバラのポプリ。 これらの小道具と、例の「餃子」を違和感無く組み合わせ、観客を飽きさせず見せる。うまい。しかし、食前に見てはいけないのは言うまでもない。 「CUT」については、私には良さがよくわからない…「餃子」とは別のグロさで、SM系のグロとでもいうのか。下手の横好きながらピアノを弾くので、こういうシーンはあんまり見たくない。舞台チックな感じも好きじゃない。どっちかというと…(映画)関係者ウケを狙ったという気がしないでもない。やはり「餃子」である。8点は「餃子」のみの点数です。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2007-09-05 16:14:46)
20.  ゆれる 《ネタバレ》 
あまり期待せず見たのだが、なかなかどうして、見ごたえがあった。 この脚本・監督の西川さんという女性は、とても才能ある方だと思う。 この映画に説得力を持たせているのは、何よりも、稔と猛兄弟のそれぞれのキャラの描き方である。…非常にリアリティがある。「いるいる、こういう人」である。私はそこに、はっきりと「女性の視点」を感じた。 稔については、「キモい」を念頭に、女性から見て「どういう人がキモいか」を余すところ無く表現。そうそう、この髪型、その白い靴下、正座して洗濯物を畳む丸い背中、ぺこぺこ謝るその角度、どことなく女っぽいしゃべり方…キモい。 そして女たらしの猛。そうそう、この危ない感じ、ハンサムがわざと汚なづくりしている感じ、土足で女性の心にズカズカ入りこむこのずうずうしい感じ…いるよねー、こういう遊び人。女性の目から見て、「つい寝てしまう」ような男である。 しかし、これはオダギリジョーだからそう見えるのであって、そこらの男性が真似をすると容易に化けの皮がはがれて笑われる対象になるだけです。だから、真似してはいけない。 真木よう子とのラブシーンにも、すごくリアリティがありましたね。本当はそのつもりだったくせに、「私はそんなつもりじゃ…」とかいう顔をずっとしているところね。そのくせしっかり料理を食べさせてこっちのものにしようなんて、そうそう、こういう女っているよね。当然遊び人の猛はそんなこと読めてるから、食わずにヤリ逃げするわけだが。こういう女は女受けしないんだよな。 そしてまた、監督は智恵子を使って、非情なまでの女性の残酷さを描く。つまり、「好きな男」と「嫌いな男」に対するこの態度の違い、です。男性の皆さんは、身に詰まされて辛いかもしれない。 しかし、これが真実なんです。好きな男なら、避妊もしないで突然のHもOK、ヤリ逃げされても恨むどころか追いすがる、片や、嫌いな男には、指一本触られたくない。…本当に勝手なもんです、女って。 という、女性ならではの視点が、余すところ無く人物描写に生かされている。ある意味、男性にも女性にも勉強になる映画だ。 キモさを演じきった香川照之は、「地」という言葉すら浮かぶ。もし香川がどっちかというと「猛」的な男性だったとしたら、その演技力は大したものだ。 ラストの場面は、この兄弟の邂逅と見るべきと思う。希望を示して終わるラストは良い。
[DVD(邦画)] 8点(2007-06-17 19:58:41)(良:5票)
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