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あにやん‍🌈さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2524
性別
ホームページ http://coco.to/author/aniyan_otakoji
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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241.  映画 暗殺教室 《ネタバレ》 
 面白かったです。でも、それはもうひたすら設定の面白さ、原作未読ですが、多分原作自体の持つ面白さ。   「月を破壊し、地球をも破壊しようとしている謎の生物が何故か落ちこぼれクラスの担任になる」  そのぶっ飛んだ設定だけで楽しめます。しかもバカだけど生徒思いの良い先生。途中『HK/変態仮面』みたいに単なるネタ集状態になっちゃいますが、それもまた楽しく。   でも映画としては結構シンドいデキな部分もあって。  クライマックスでの脱出のシチュエーションを抜く事で説明すべき事を放棄しちゃってます。  鉄塔での戦いでの、いかにも後からCGをハメ込む事を前提として演技してます、ってぎこちなさは手描きアニメとの合成で制約の多かった『メリー・ポピンズ』や『ロジャー・ラビット』の昔よりもずっと未熟。  結局「続く」になるラストも投げっぱなし感がハンパないですし。  生徒達の家庭なんかどうなってるのよ?とか、殺せんせーの存在が国家レベル以外の外部の誰にも気付かれないってあり得る?とか、まあ、そこら辺は割り切って見る部分だとして、もう少しキャラにリアルに生きてる感が欲しかったかな。   結局、マンガを読む代わりにお金払って映画にして見せて貰いました、みたいなモノで、でもまあ最近すっかりマンガ読む気力が無くなってる(アレも気力よね)私には便利なシロモノでした、みたいな?  それが今の邦画の最大の問題点だとも思うんですけどもさ。マンガの映画化ばっかりだもんねぇ。じゃないと商売にならないっていう。
[映画館(邦画)] 6点(2015-05-21 21:26:46)
242.  百日紅 ~Miss HOKUSAI~ 《ネタバレ》 
 「アニメで江戸の空気をどこまで感じ取れるのか」というのがこの作品の要だったのではないかと思います。いかに観客の感覚を刺激し、そこに江戸を感じさせられるか。五感のうち、映画ですから視覚と聴覚にはダイレクトに訴えかける事ができますが、触覚や嗅覚、味覚をも映像と音で刺激できないか、みたいな、そんな挑戦的な表現。今や誰も直接知る事のできない江戸の空気、その再現。   お栄の目の見えない妹は、そのための重要な存在。彼女が「見えない事によって観客が見る」数々の事柄は五感を刺激するような作りになっています。おこしの味、トンボの羽音、橋を行き交う人々の足音、川の水の感触、雪の冷たさ。彼女が得た感覚がいかに観客の記憶を引き出し、そこに江戸という感覚世界を構築できるか、という。   物語はエピソードがお団子状態で繋がっていて、ハッキリと区切られている訳ではありませんがオムニバス状態。ゆえに映画としてのまとまりには欠けますが、数々の人と風景に彩られた、北斎とお栄が過ごした江戸の時間はとても魅力的に映りました。もっとずっとそこで過ごしていたいような、そんな世界。   日頃、アニメーションの可能性について考えるのですが、日本のアニメには、お約束や記号的表現、自ら制限を課したような表現の縛りが世界を狭くしてしまっている作品が多々見られます。  最初から限られた表現の中で何ができるのかではなく、目的の世界をいかに表現するか、その表現法を柔軟に模索している作品、そういう作品が評価されてゆく状況になれば良いのですが。この作品は、そんな摸索が感じられる一編でした。   日本橋のシネコンという、作品にぴったりと合った恵まれたロケーションで見たので、ついでにお江戸散策と洒落込みましょうと、映画が終わった後に日本橋を眺めて、それから銀座線に乗って浅草に出て、雷門から仲見世を通って浅草寺にお参りし、吾妻橋を渡って隅田川を眺めて。映画の中に漂っていた匂いを感じ取る事は難しかったのですが、江戸という街はこの世界から消えたのではなく、形を変えながら今に続いている、その時間の流れをしっかと感じ取る事ができた、有意義なひとときでした。
[映画館(邦画)] 9点(2015-05-13 23:05:21)
243.  脳内ポイズンベリー 《ネタバレ》 
 内と外とを描いた映画なのですが、どうも映画そのものの作られ方も、その面白さも内と外とで分れてしまっているようで。   ほぼ密室状態の脳内会議の世界は大変に面白いです。個性がぶつかりあって繰り広げられる、テンポある対話劇はキャラも魅力的ですし、笑わせてくれます。  だけど現実世界の物語は退屈。その凡庸さゆえ脳内を描くためのお膳立て程度の存在感、にしてはダラダラと長い気がしてしまって。大騒ぎな脳内と、それとは真逆な、抑圧されたようないちこの実際の行動とのギャップが楽しみどころなのですが、現実側の数々のシチュエーションは単調で同じところをグルグルするばかり。早乙女のキャラはかなり早期に提示される訳で、そこから発展的とは言えない苦悩や葛藤がずーっと続いてゆくのは、脳内頼りだとは言え、見ていてちょっとシンドいです。  一方でいちこが作家として成功するあたりから、シンパシーが薄くなってゆくような、描いている世界が狭まっていくような感覚があって、石橋が硬直状態になるのも手伝って、更にシンドくなってゆく感じで。   それに、脳内のセット撮影は冴えているのですが、ロケ映像はあまりパッとしない感じで。東横線沿線を舞台にした映画で、中目黒で生まれ育った私には、一体それのどこが中目黒駅よ?ってツッコんじゃう状態はともかく、新丸子も元住吉も、更に東京国際フォーラムも江の島すらも、ロケーションを活かした映画になっていなくて、そういう環境描写は不要なのかえ?と。いちこがインドア派でアウトドアに対しては空疎なイメージしか持っていない事の表れ、とかいうのならば判らなくもないのですが。でも、ラストの振り返らずに進むいちこの姿にも、解放感が表れている、という感じでもなかったですしねぇ。   あと、舞台挨拶で監督がラストシーンは観客の想像に任せる作りと仰ってましたが、だとすると本屋の越智のカットは不要なんじゃないでしょうか。あれがモンタージュとして余計な機能を果たしちゃってると思うんですが。   脳内の方が圧倒的に面白いのですが、脳内だけでは絶対に成立しないという構造、そこがこの映画の弱点でしょうか。もう少し恋愛以外の事でも脳内メンバーが機能していてくれたら良かったのかな。
[映画館(邦画)] 6点(2015-05-13 22:02:18)(良:1票)
244.  名探偵コナン 業火の向日葵 《ネタバレ》 
 「高校生がちっこい子供にさせられちゃうような世界で果たしてミステリーは成立するの? そんな奇想天外な世界ならば別に魔法使いや宇宙人が殺人事件の犯人でもいいんじゃないの?」  土曜の夕方にテレビでダラーっと見る程度な『コナン』に抱く疑問。その疑問に映画版は何らかの解答を与えてくれたのでしょうか?   違和感、ズレ。映画を見ながらずっと抱き続けた感覚。作品内の独自ルールが多数存在する事で、常識からの大きなズレが生じています。  それは現実より弱々しい設定の現実的存在と、超人的キャラとの都合のいいルールによってのみ成立する世界。  エンジンを4発搭載したジェット機が、その1つを停止させただけで飛行、着陸が極端に困難になる事は、現実ではありません(ドアが飛んだ直後の方がよっぽど危険、ですよね?)。  ホテルの一室を減圧させるためには気密室化が必要ですから、ひと目で他の部屋との違いが判る筈です。  液体を導火線にして施設全体を延焼させてしまう、非常電源でスプリンクラーが作動しない建造物は、まず建築許可が下りないかと思います。  そんな脆弱な世界の中でキャラは超人となります。  コナンは高所から落下してもドラえもんの如き秘密道具で墜落死を防げますし、キッドは収納式のハングライダーを広げて空を飛べます。蘭は備わった怪力を発揮して危機を脱します。  「主人公は死なない」(by浜村淳)としても、これではサスペンスもへったくれもありませんし、ミステリーも成立しません。  実際、キッドはメチャクチャな能力でメチャクチャ怪しい行動を取りながら真犯人は別にいますよ(みんな最初から判ってる事ですが)、というミスリードにもならないミスリードで引っ掻き回してみせますが、なんでもありなので真犯人など、どうとでもなります。キッドの回りくどい行動も、取って付けたような、それはアリなのか?というレベルの真犯人の動機も、いや、真犯人の存在すらもこの映画では重要ではありません。   ゴッホの「ひまわり」を題材にお馴染みなキャラの見せ場を連ねただけの映画。設定も物語も、後付けする形で無理矢理こじつけていきました、という感じ。この映画では大金持ちが金にものを言わせまくった、という設定で世界が成立していますが、そこに批判なんて存在しません。そんな金持ちが実際にはいる訳がない、というのが前提になっているからなのでしょうね。   つまり、広義でのミステリーは成立しません、というのが本当のところだったのですね。この世界だけで閉じた(形骸化された)ミステリーのみが成立しています、って。魔法使いや宇宙人は出てこないけれど、みんな、ほぼそれに近い存在っていう。それこそを楽しんでる人にわざわざケチをつける気は毛頭ありませんが、一本の映画としてはあまりにツラいわ、コレ。
[映画館(邦画)] 2点(2015-05-13 21:07:48)(良:2票)
245.  映画 ビリギャル 《ネタバレ》 
 有村架純ってこんなに可愛かったっけ?って。『女子ーズ』や『ストロボ・エッジ』ではそこまでじゃなくって、じゃあ、その2作の撮り方が下手だったのかな?とも思うんですけど、とりあえずこの映画は彼女の可愛さだけで半分勝っちゃってるようなもので。その魅力だけで映画を楽しむ推進力になりますもんね。   物語はダメな女子高生が頑張って慶應大学に合格する話(ここでは省略されちゃってるサブタイトルが付いてますが、その時点でネタバレしてます)、でも、宣伝展開から受けるイメージよりも実際の映画はヘヴィな話で。  主人公には複雑な家庭環境があって、息子だけを偏愛する父親と、二人の娘に愛情をかけ、身を粉にして働く母親と。父親と断絶し、母親の溺愛によってダメっぷりを発揮するヒロインと、父親の期待に押し潰されそうな弟と。バラバラに壊れそうな危うい家族の姿を描いた映画としての側面が強かったりします。  また、ヒロインは学校の教師からはクズ扱いされ、ただ友人達との時間だけが生きがい。  そんなヒロインが進学塾に行き、生徒に理解を示す真面目でひたむきな講師との出会いによって変化してゆく、その講師とのコミュニケーションは軽妙で楽しく、幾つもの対比構造の中で輝きを放つパートとなっています。ここら辺、計算されているなぁ、って感じで。   前記の通り、有村嬢が大きな魅力を放っていたのですが、吉田羊もとても印象に残る母親を演じていて、幾つもの感動を誘います。   講師の言説は理想論に過ぎる感もありますし、いい人なイコン伊藤淳史を起用しているあたりからも、あまりに善悪のイメージを描き分けし過ぎていて、やや鼻白む面が無きにしもあらずですが(このあたり原作本をヨイショし過ぎって感じ?)、ここまでしょーもなく生きてきた私から見たら、大人が子供の可能性を潰しちゃいけないのも、子供が目標を持って頑張るのも、全く正しい事だと思うのでした。   ネタ映画のように思えて、実はとても真っ当な青春映画なのでした。
[映画館(邦画)] 8点(2015-05-05 20:57:55)(良:1票)
246.  王妃の館 《ネタバレ》 
 基本はドタバタコメディの群像劇ですが、ツアー客やツアコンのキャラを作り過ぎていて、笑うというよりはヒクわ、って感じ。  キャラ一人一人に与えられた設定やファッションにあまり必然性が感じられないのですよね。平行するように描かれる小説世界と綿密にシンクロするようなキャラやエピソードがあるというのならば判りますが、それがあるのかどうか、と言われると殆どあるようには思えない状態で。  オーバーアクションが笑いに繋がる、みたいな単細胞的な演出で、ウソくさいキャラがドタバタと混乱しているばかり。  登場人物を整理して描くのがあまり上手くないなぁ、と。    それでも田中麗奈、吹石一恵、安達祐実と女優はみんな魅力的に撮れていて、一方男優の方は何やらいい加減なビジュアルって感じがして、なんか監督に意識の差があるのかいな、みたいな感じがしないでもなく。   映画としてのまとまりに欠いていて、何をとっかかりにして映画を見進めてゆけばいいのかを掴み兼ねる状態で、相当キビシい出来の作品。   と、ここまでは映画そのものの話。ここからは個人的な趣味の話で。  最近、宝塚が好きで、去年はフランス絡みの舞台だと星組の『太陽王』や宙組『ベルサイユのばら』を見まして。今年の雪組『ルパン三世』もマリー・アントワネットネタでしたし、来月には月組の『1789 バスティーユの恋人たち』もあって。  で、そんな私ですから、この映画に出てくるキーワード「太陽王」「ブルボン朝」「ベルサイユ宮殿」に反応しない訳もなく、右京と共にその世界に想いを馳せ、深く気持ちが入っていって。小説のエピソード自体はフィクションですが、ルイ14世の人物像を考えると、いかにもありそうな切ない話で。  小説部分でのフランス人を全員日本人が演じている事も宝塚を見慣れていれば、ねぇ。  更にシネスコ画面に広がるベルサイユ宮殿やパリの街並に心囚われ、デキの悪い映画なのに、随分と堪能してしまったっていうのが正直なところ。困った作品ではありました。
[映画館(邦画)] 5点(2015-05-05 19:43:58)
247.  THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦 《ネタバレ》 
 前のアニメシリーズとかマンガとか映画とか、昔のヤツは大体見てるハズですが、何しろ昔なもので。最近の実写のヤツはスターチャンネルでやってるのをチラチラと見た程度。これは、その続きなのでしょうけれど、むしろ映画の『2』の実写リメイクみたいな感じ。   良くも悪くも、まごう事なき押井守作品で(バセットハウンドもちゃんと出てきますし)、あのごちゃごちゃ長々とゴタクを並べるあたりは健在です。だけどまあ、実写でやるとダサいつーか、たちまちハリボテ感が出るというか。  今にして思えばアニメ版『2』は、製作された1993年より後に起こった地下鉄サリン事件や9.11、一連のテロを予期し警鐘を鳴らすような鋭い作品であったと思いますが、今作はいまだにそれと同じところをグルグルしている感じで、ある意味、悪い形で時代にシンクロしたのかな?って。口だけ、頭だけで実際の行動には反映されないネット民と同水準まで降りてきましたよ、みたいな。  筧さんと高島さんに色々と負わせ過ぎている気がします。生身の人間にあの押井節を長々と演じさせるのは見てる方がシンドいです。無機的アニメキャラに無機的に語らせるのならいいのですが。   で、そういうゴタクを並べてるシーン以外(いや、ゴタクを並べてるシーンが半分超くらいあるのですが)は面白かったです。実物大イングラムがラウレンティス版『キングコング』を思い出したりしたのはご愛嬌、ハンパなバジェットゆえに、CG丸出しなのも、舞台が限定されるために映画全体の動きが鈍くリズムが悪い感じなのも仕方ないとして(いや、モンクばっかりですが)、特車二課が頑張ってます、って画はやっぱりアガります。   ただ、やっぱり一見さんお断りなんですよね。『パトレイバー』知らない人がこれいきなり見て楽しめるか?って言ったら無理。私だって色々登場するキーワードを、必死に「なんだっけ~なんだっけ~」って思い出しながら見てましたし。ゴタク並べシーン長いんで楽しいロボットアクション映画を期待しちゃうと肩透かしもいいところですし(せっかくのイングラムが動くクライマックスだって、1つのアクションを引っ張り過ぎ)。   押井ブランドの知名度と興行予測、そこから得られるバジェットを考えると、ここら辺が限界なんだろうねぇ、って感じですね。
[映画館(邦画)] 5点(2015-05-04 21:24:32)
248.  恋するヴァンパイア 《ネタバレ》 
 これはある意味凄い映画で。   良かったところはみなとみらいの夜景がキレイなところ。でも、残念ながら実景の方がずっとキレイです。   残りは全てツッコミどころ。いいとか悪いとか以前の話。  何故台湾から話が始まるのか、どうして陽光に当たっても平気なのか(歳を取る薬で何故か陽光だけは平気になる、銀とニンニクはダメ)、そもそもヴァンパイアの基本設定がどこまで適応されているのか、何故個人個人で全く違った能力を持っているのか、ヒロインの怪力が全く物語に活かされないのは何故か、何故山下公園で海眺めていれば都合良く人がやってくるのか、何故ヴァンパイアである事を隠しながら経営するパン屋の名前がBAN PANYAで吸血鬼デザインのバンパンダパンをウリにするのか、何故悪のヴァンパイアの部下が韓国のお金持ちなのか、そして何故ヤツはいきなりいい人になっちゃうのか、何故突如カンフー映画なのか、台湾の自殺未遂娘がマンガ好きでマンガ家を目指していてパン屋でバイトしてヒロインの正体をさっさと知ってしまう事の設定の意味はなんなのか、大塚寧々のニンニク砲に意味が一切無かったのは何故なのか、敵ボスは簡単に倒されてしまうけど部下はどこへ行った、何故わざわざラストが二段オチなのか、そんなツッコミどころのみで構成されていて、それはそれで楽しいです。流れに必然は全くなくて「この世界ではそういうもの」という特殊ルールで作られているので、それを呑み込むのに苦労し続ける状態で、ひたすら苦笑しながらスクリーンを見つめる、そんな映画。   子役の演技がぎくしゃくぎくしゃくしてるわぁ、って思ったら大人になった二人の演技もぎくしゃくぎくしゃくしていたり、ハイキー多用でのライティングに激しく失敗していたり(大塚寧々が異様に老け顔に映っちゃったり、ラストシーンのヒロインのPANDAって書いてある白いシャツの反射が上唇を白ーく染めて、口になんか付いてますよ?みたいな)、もうワチャワチャになりながら撮られた映画、みたいな感じ。   コレは闇鍋みたいなモンです。日本映画界の実情が生み出した闇鍋。和・中・韓をベースにした味で、具が全部スイーツ。そのスイーツの中にたまに美味しく感じるモノがあったりするのですが、それ褒めてもねぇ。  まあ、珍品とでも言えばいいのかしらねぇ。
[映画館(邦画)] 2点(2015-05-04 14:26:44)
249.  寄生獣 完結編 《ネタバレ》 
 テーマやメッセージは良かったと思います。人間こそが力で全てを支配する、恐ろしい、地球に寄生する害獣ではないのか?という視点と、人間だからこそ他者に対する愛情、優しさを持ち得る、という視点。そのどちらの極に作用するのもエゴイズムであるという点では同じ。映画を見ていて人間という生物について考えさせられました。   だけど、その描き方がなんだか音痴な気がして。  構成が悪いのか、物語がちゃんした流れになっていないように思いました。寄生生物の侵略が広がるのかと思いきや、内紛で尻すぼみな感じになってゆきますし、ラストは蛇足感が漂います。  寄生生物と人間と、どちらが本当の化け物だっていうの?っていう、その皮肉とも言える対比があんまり上手くいっていないような気がするんですよね。染谷くんが中立な立場と言うよりは優柔不断でどっちつかずでフラフラしているように見えるからでしょうか。   あと、テクニック的に問題がある箇所があって。  市役所の看板を何故ああも何度も何度も見せなければならなかったのでしょう? 一度見せたらそれで判る画作りを出来ていない状態。  それから昭和臭漂う濡れ場の恥ずかしさ。翌朝の画なんか、なんかのパロディ?みたいな、それ、フツーは絶対撮りたくない画じゃないかなぁ?とか思ったり。  パロディと言えば『ターミネーター』『2』からの影響があまりにあからさまなのも気になりました。   そんな中、深津絵里は良かったです。人間を理解しようとし、最後には母として散ってゆく不自然な生物、その儚さ、脆さを上手く表現していました。   前作の正義と悪が闘うアクションもの的な判りやすさから一転して、今作では一体どちらが悪魔なのか?何が正しいのか?を問う内容になったら、力量不足が目立ってしまいました、という感じ。   っていうか、ラストで刃物男と喉を切られた男の存在が全く無かったかのように二人で完結しちゃってるのですが、あれは一体何? そんな事してる場合?って不安で仕方なかったんですが。実はあそこで二人とも死んでて、お空に昇っていったのでした、とか解釈しちゃうよ?
[映画館(邦画)] 6点(2015-05-01 22:33:56)
250.  ワイルド・スピード/SKY MISSION 《ネタバレ》 
 「ポール・ウォーカーの死がなければ、ラストの感動も無いから作品の評価も変わる」とすれば、それはポールに対して非常に失礼なワケで、だからあくまで映画は映画として。   5作目が頂点で、あとはまたちょっと下降線辿ってるかなぁ、という気がします。  CGを多用する事で(そもそも最初からCGに頼る事を前提としたプロットになっている事で)画から説得力が欠けてしまっているのは4作目のクライマックス同様。  細かい事はどうでもいい娯楽大作と言っても、脚本の穴は大き過ぎ。見せ場の終わりがエピソードの終わり、だけど車ごと降下してラムジーを救出した後、どうやってあの国から脱出できたの? ビルからビルに飛んだ後、散り散りになっていたメンバー全員どうやって外に出られたの? 結局、見せ場を乱暴に繋いでるばかりなんですよね。  そういう雑な作りだから「仲間ではなく家族だ」とか言ってるわりにハンの死の扱いは軽いですし、せっかくのカート・ラッセルやトニー・ジャーにしても、物語に重要な作用をしておらず勿体ない状態。マイケル・ベイの映画みたいな大味さではあります。「クルマ・おっぱい・お尻・キャットファイト!」みたいな中学生レベルの稚気もマイケル・ベイっぽいですが。  そういうガキっぽさと、ヘンに深刻ぶったドラマと、ビッグバジェットの超大作化とが不協和音を奏でている感じですが、それこそが『ワイルド・スピード』の魅力なのかもしれません。予算タップリな分、見せ場もタップリですし。   ディーゼルは相変わらずの大根ですが、5作目から参戦のドウェインと、今回の悪役ステイサムとで3大ハゲ・アンサンブルを奏でているところはステキ。ドウェインがガトリング銃を手にする画なんて「待ってました!」って感じで。   シリーズを重ねるごとに、どんどんクルマへの拘りが薄くなってしまって(だからこそ空を飛ばそうって発想になるのでしょうけれど)、そこは不満かな。もう少し走りのサスペンスを見せて欲しいところで。今回は徹底して飛翔・落下・破壊で構成されていて、だけどそれはクルマが持つ基本性能と、それが醸す魅力とは全く別のものですからねぇ。   あれこれ文句書きましたが、元々「んなアホな」ってツッコミ入れながら楽しむタイプの映画なので、できればこれからも楽しませて欲しいな、と思います。
[映画館(字幕)] 7点(2015-04-30 20:54:52)(良:1票)
251.  クレヨンしんちゃん オラの引っ越し物語 サボテン大襲撃 《ネタバレ》 
 『クレしん』で泣かせに走るのはあまり好きじゃないので、今回はそれが冒頭部分だけに集中していたのがまだ良かったかな、と。   舞台がメキシコに移ってからは完全に野原一家と現地のキャラ達で独立した物語になって、従来にも増してハッキリとした作品の形が見えます。ズバリ、王道モンスターパニック映画。『トレマーズ』とか『ジョーズ』とか『フィースト』とか『ミスト』とかのノリ。『クレしん』でアレやりました、っていう。  なのでそういう映画好きとしては大変面白く、だけど一方で群像劇となった事でしんのすけが大勢の中の一人になってしまった事や、怪物撃退、退治のシチュエーションが(小ネタを除くと)真っ当だったりと、『クレしん』としての面白さは結構スポイルされている気がして、ちょっとジレンマを感じたり。もう少しナンセンスでも良かったかな?とも思うんですが、結構ホンキです。   今作オリジナルのキャラ達は皆個性的。っていうか果たしてこのキャラは要るのかな?みたいなのは大体さっさと怪物に食われます(笑)  でも、そんなにはドラマ作ってないんですよね。スマホちゃんにしろ、レインボー仮面にしろ、村長にしろ、性格はハッキリしていても、そういうキャラとなった背景は見えてきません。全体的には多少冗漫な印象があったので(籠城場所を移動したり何度も外に出たり入ったりで、水増しエピソードが無きにしもあらず)、どうせならばその時間をドラマに費やすか、さもなければもう少し刈り込めたのではないかと。  一方、今回は敵が世界征服を狙う組織とかではなくて怪物ですから、敵側のサムい歌やギャグが無かった分、安心。アレ、毎回、なんで入れるかなぁ?って感じで。   原作者の逝去によって『クレしん』の基本設定にはもう新たに手を加える事はできないでしょうから、あとはどれだけ物語のバリエーションで魅せるかになってきていると思います。今回はそんなにハズしてない感じで面白く見られました。
[映画館(邦画)] 7点(2015-04-27 23:14:21)(良:2票)
252.  ドラゴンボールZ 復活の「F」 《ネタバレ》 
 先週、今週と近場に2か所、立て続けにIMAXアリのシネコンができまして、早速オープン初日にチェック、という感じで。だけど両館ともIMAX上映作品が一緒で、そのうち『ワイルドスピード』は先週見ちゃってるので、仕方なく今週のチェックはこれまでほぼ自分の中に存在が無い『ドラゴンボール』で。記憶はペンギン村に行ったあたりまでで止まってますよ。   いやもう本当につまらなくて、一体何を楽しめばいいのか困ってしまいました。  なんとなくキャラくらいは知っているんですけれど、作品世界の独自ルールがエスカレートし過ぎちゃってて、そのルールにいきなり触れる人間としては呆れるしかないんですよね。  死人が簡単に生き返る世界で、瀕死状態から一発で回復できるアイテムがあって、自分の力だけで星を破壊しちゃえるくらいで、空飛べて、時間を戻して物事を無かった事にできて。強くなる事だけに全ての価値があるように感じられて、お気軽に描かれる「神」が俗物で。もはや血なんか通ってなくたってその知名度のみで存在は確立しちゃえるんですよ、というキャラ達。地球を大事にって言いつつ戦闘で自然環境を破壊しまくるヒーロー達。地球の一大事だけど描かれるのは悟空周辺ほんの数人のみ。  だから、誰が何をどうしようが、全てが絵空事で、どうとでもなるんですよね。どうにでもできちゃう世界ではドラマも成立しません。っていうか、そもそもドラマらしいドラマもなく、ひたすらどつきあいを繰り返すだけな映画ですが。   上映時間が短い上に、ストーリーもごく単純、なのにもったいつけたタメが映画のテンポを悪くしています。悟空がフリーザの前に到達するまでに一体どんだけ引っ張るのよ?みたいな。  作画はテレビアニメレベルで、3Dはなんのためにあるのか判らない程度の効果、もうIMAXである事の必然は皆無。   そう、これはもう誰もが知ってる『ドラゴンボール』の新作アニメ、知らない人間に対する配慮なんか一切してられません、って作品。そもそもこんな国民的アニメを知らないやつがいるのか? いたとしてわざわざ映画見にきたりするのか?って。ええ、ここにいるわけですが。  完全に独立した一本の映画としても面白い、そういう作り方は、まあ、できないんでしょうねぇ。その妥協点があまりに低すぎる感じで、古いアニメおたくとしては、そういうのを認めたくはないのでした。
[映画館(邦画)] 1点(2015-04-22 22:47:22)
253.  ソロモンの偽証 後篇・裁判 《ネタバレ》 
 結局、前後編に分けた意味は(商売上の理由以外には)感じられなかったなぁ、と。分けた事で生じた弊害ばかりが目立つ状態で。   2時間半近くに及ぶ後篇、だけど間延びして密度が無くダラけた印象。表情をアップで捉え「泣くまで待とうホトトギス」とばかりに観客を巻き込んでその時を待つみたいな、そんなショットが何度も何度も。   前作のホラータッチは今回登場しません。つまり、前篇でバケモノのように描いた生徒を今回はドラマティックに描く事で、そのギャップで感動させようという安い手。だけどそれも流れがあって初めて有効になる訳で、前後篇で分断されてしまっていては、雰囲気が違うという印象を与えるばかりで無効です。   柏木が死の当日に受けた電話、ああいうのは前篇から描いておくべきだと思います。一本の作品の流れの中でならば位置として正しいとしても、二本に分けた後篇で唐突に出てきてそれが話の主軸になるというのではミステリーとしてフェアではありません。   中学生、そして親たちそれぞれが抱えた痛みや罪の意識、それを役者さん達は上手く表現していたと思います。でも、他人を批判しながら自らはあくまで傍観者を気取り、常に自分を外側に置く、ネット上に沢山いる中二病の代表のような柏木は、あくまで魂を与えられていないんですよね。そこに罪の意識を抱く他のキャラと明確に線を引く事でテーマを強調している訳ですが、それが結局は人間ではなく化け物となっていた柏木という存在のせいで生まれた悲劇のように見えてしまって。それではいけない筈ですよね?【追記:思ったんですが、最初から柏木を象徴的に描いていればそれは回避できたのかもしれません。柏木のビジュアルは死体のみで、あとは会話だけに登場する形にして】   これだけの尺を費やしながら、各人の心の流れが散漫に感じられたのは、エピソードが整理されていなかったため、そして前後編に分けてイメージが分断されたためではないかと思います。前後編ひとまとめに見せるイベントならともかく、観客が間にどれだけ他のものに触れるのか、その点について考慮されていない印象が強い映画ではありました。
[映画館(邦画)] 5点(2015-04-13 22:24:47)(良:1票)
254.  エイプリルフールズ 《ネタバレ》 
 決してつまらない訳ではなかった、長所と言えばそれくらいでしょうかねぇ。   ポスターの絵柄にモロに表れているように、『ラブ・アクチュアリー』とか『ニューイヤーズ・イブ』とか『バレンタインデー』の邦画版をやりたかったんでしょうね。幾つものドラマが同時進行で描かれ、それぞれが繋がってゆく、っていう。  だけどこの映画には、構成や繋がり方にそれらの映画ほどの感心させる技巧は感じられません。元々の基本となる各ドラマに無理があるために、繋がりもまた無理を重ねているだけのように思えて。   タイトルを挙げた映画達と違って、この映画は最初に現実的ではないバカ映画ノリ、どちらかと言えば『ハングオーバー!』だとか『メリーに首ったけ』だとかに近い感覚のドタバタ演技、エピソードを重ねてゆきます。そこからシリアスなドラマを生み出そうとしているのがおかしな気がして。登場人物の誰もが「お笑い用に作られたキャラ」に見え、言動に全く説得力が無いので、そこで感情移入して泣いて下さいと言われても、心を重ねてゆける部分がなかなか見当たらないという。   それでも散らばったエピソードをどんどん畳み掛けてサッと〆てみせれば、面白いモノを見たって感覚も生まれたかもしれません。ところがこの映画、大体のエピソードの繋がりが見えてからが長い長い。実質的にはエピローグな部分に延々30分くらい。何度も何度もクドクドと各エピソードの行く末を念押ししまくって、ここで映画の流れが崩壊してしまいます。感動させよう、盛り上げようとタメまくって無駄なカットと時間を重ねて映画の価値を下げるという、日本映画の悪いクセがここで存分に発揮されちゃっててゲンナリ。10分以内で描きましょうよ。   あと、水商売、風俗を差別的に、人間の中でも下位のものとして描いているのが気になりました。そこで働く人々にも心はあるのです。   次々繰り出されるバカな小ネタを楽しむ映画としての価値はあったので、下手に感動ノリに走らない方が良かったんじゃないかと思います。大体、ここで描かれる感動ネタそのものはどれも古典的過ぎちゃってて。  大勢のスターが演じるバカキャラ、この映画の価値はそこにだけあったんじゃないかと。つーか、この映画、みんなそんなに嘘ついてなくない?
[映画館(邦画)] 5点(2015-04-07 22:53:14)
255.  繕い裁つ人 《ネタバレ》 
 坂を上がってヒロインの店に行く描写が繰り返され、それはまるで天上の、別の次元へと至る道のようで。ヒロイン自身が店と自分を別世界のものとして気取っていたりもしますし。   だけどその対比は殆ど無効。何故なら映画そのものが現実から遠く離れたぬるい、温室の中の世界としてしか成立していませんから、そこに描かれる現実っぽい問題も、ありそうな苦悩も嘘くさい絵空事にしか見えてきません。絵空事であるならば、絵空事として閉じてしまった方がまだマシなんじゃないか?と。   ヒロインの店に足繁く通い、一日の大半をのんびりとそこで過ごす大丸百貨店のバイヤー・・・大丸百貨店って随分ラクな仕事ができちゃうんですねぇ、と。わざわざ固有名詞まで出して描く事なのでしょうか?   年に一度の夜会に集う排他的とも言える人々、自分のスタイルを貫く事の苦悩、影響されて「改心」してゆく女学生達・・・それぞれに自己完結しまくる登場人物達。  そして最大の問題はその自己完結から生じた価値観を他者にまで押し付ける、その姿勢。その人、この映画だけ、この世界だけで完結すればそれでいいのでは? ステキなドレスに囲まれた温室ワールド、そこに酔えればそれでいいのでは? 何故押し付けてしまうのでしょう?  私にはそれが無自覚な優しい暴力のようにすら思えてしまい、気持ちの悪い映画という印象でした。私にとってこれはある意味ホラー映画。
[映画館(邦画)] 3点(2015-04-06 21:49:25)(良:1票)
256.  花とアリス殺人事件 《ネタバレ》 
 アリスと花がそこにいる、そこに生きてます。  走って、笑って、踊って、泣いて。   彼女達の時間は無駄だらけ。目的はあっても遠回り、脇道に逸れて、後戻りして、結局は自分達の力でなんとかなった訳でもなくて。それでも、大切でかけがえのないその時間。  その「無駄」を拾ってゆくのがロトスコープによるアニメーション。仕草、動作に生まれる「無駄な動き」は記号化、様式化を拒絶してキャラクターに命を与えます。  もちろん、蒼井優、鈴木杏の「声の存在感」も重要で。これもまたアニメ的記号化、様式化された声優的表現とは全く別の在り方。   アニメーションになる事で『花とアリス』のガチャガチャした印象に比べるとかなりすっきり純化されています。大勢のカメオ出演によってお祭り映画と化していた前作の賑やかさは消え、花とアリスの物語としての純度がぐっと向上して。そして岩井俊二的味わいも幾分スポイルされている気もしますが、私としてはそれは肯定的に捉えてます。  一方で人や場所、エピソードなど『花とアリス』と繋がっている部分はちゃんと存在していて楽しめます。ちょっとアリスも花もキャラが違う感じもしますけど。   真っ白な無から全ての世界を創造してゆくアニメーションは本来、自由なものです。こういう自由なアニメ映画がもっともっと作られていいと思うんです。そして海外の色々なアニメ作品ももっともっと公開されていいと。今の日本のアニメ事情はどうも狭苦しく息苦しくて。
[映画館(邦画)] 10点(2015-03-15 23:39:25)
257.  ストロボ・エッジ 《ネタバレ》 
 移動の映画。  歩く、走る、そしてよくコケる。仁菜子は常に移動しています。それを受け止めたり一緒に歩いたり走ったりする蓮と拓海。頻出する電車も含めて、その移動は揺れ動きながら進んでゆく登場人物の姿を象徴しています。  海辺の蓮と麻由香は「道」の無い行きどまり、その先の別れを暗示して。   そんな移動と静止、そしてマルチ画面、クレーンを使った長回しや画面全体が白く飛ぶレベルのオーバーな露出等、技巧に走りまくった画作りをしている映画なのですが、あまり上手くいっていません。  同じ原作者の『アオハライド』同様、青臭くて恥ずかしい物語。それぞれがそれぞれの事を思う事ですれ違ってゆく物語、それは『アオハライド』と一緒なのですが、でも『アオハライド』と違って、それを映画へと昇華しきれていない感じなんですよね。テクニックで飾り立てれば誤魔化せる、みたいな印象。そうでなくて、そのキャラクターの「心」をちゃんと画で表さないとダメなんじゃないかなぁ、と。   そういう意味では麻由香役の佐藤ありさ以外みんなミスキャスト気味な気がしてしまって。福士蒼汰くんは相変わらず薄べったい演技をしてる感じですし、有村架純嬢は表情に乏しく、山田、黒島の両氏はビジュアル的にあまりこの作品に相応しい感じがせず、まあ、こういうのって結局は最初に俳優ありき、プロダクションの力ありきで企画されてゆくモノなので、そういう仕方ない、残念な感じになってゆくのだなぁ、と。  役者さん達がもっとバーン!と魅力を放っていたならば、多少のアラなんか(多少ではない気もしますが)なんとかなっちゃってたと思うのですが。   少女マンガ原作の映画は一定数の需要があるがゆえにこうしてコンスタントに作られてゆくのでしょうけれど、その精神は小手先のテクニックで表現できるものではないと思います。原作をきちんと咀嚼できているかどうか、そのあたりが鍵になるんじゃないかなぁ。
[映画館(邦画)] 5点(2015-03-15 23:12:41)(良:1票)
258.  幕が上がる 《ネタバレ》 
※おっさん、もう誰がももクロやらAKBやらHKTやら判らんって状態ですが、お嬢様方、大変良かったと思います。真っ直ぐな青春映画をキラキラと輝かせて。  「演技の中で演技をする演技」という難題を見事にこなしていて。   問題はやっぱり本広演出ですねぇ。  まずカメラワーク。ドリーで横移動、回り込みを繰り返しますが、その効果がちゃんと出てないです。そのゆっくりとしたカメラの移動に込められた意味、みんなの中の時が流れてゆく感覚を表現しているのかな?とは思うのですが、移動の意味を次のフィックスで打消しちゃうような、移動と静止との関連性が希薄。   そしてなんと言っても内輪ネタ。本広作品なのだから、内輪ネタは必須とばかりに無理矢理入れ込んで、それが明らかに雑音になっています。っていうか、どこかでカエル急便や『スタートレック』のコスプレ男が出てくるんじゃないかと最後までドキドキしてました。監督、観客のそういう不安をわざわざこの映画に持ち込ませたかったの?   あと、ヒロインのモノローグは彼女の視点を表現するためにあって良いものだと思いましたが、先生が演技をするシーンは映像で十分に語れた筈です。あそこは彼女のモノローグがジャマをしてしまっていた、演技って何よ?っていう※   と、以上がレビュー用にメモってた文章。ツイッター見るとラジオで宇多丸さん、大体そんなような事をお話しされたみたいですね。んー。後出しになっちゃうし。   足りてない部分を書いておきますと、黒木華さんが見事でした。弱々しい印象のあるこの人の「強い役」というのがなかなか。   横移動はHFRで撮って映写すれば良かったかもしれませんね。フレーム数が多くなれば被写体が安定して煩わしさは軽減するでしょ? 繋ぎの悪さはいかんともしがたいですが。   監督は、ただ素材を活かすための演出に徹するべきだと思いました。二人だけの駅のシーンでの幻想的な雰囲気なんか良かったのですが、犬のオシッコみたいに作品内に自分のマーキングをせねば気が済まないっていうのは、もうやめた方がいいんじゃないかと。   そんな感じです。
[映画館(邦画)] 7点(2015-03-08 00:36:33)
259.  味園ユニバース 《ネタバレ》 
 なんかハッキリしない映画。いや、判りやすいマンガ的、記号的なセンを避けているんでしょうけれど。   作品世界も登場人物も曖昧で、脇キャラに至るまでボンヤリした描写で、全てが「そういうリアリズム」を逆に意識しまくったような作りに思えてしまって。  赤犬の面々にしてもこの映画の中では「最初からそういう存在」という描かれ方をしているだけで、何の魅力も語ってはいませんから、そこにこの映画ならではの価値を見出す事ができないんですよね。   そしてそれは主役であるポチ男も。渋谷すばるはその危なさを見事に表現しています。でも、その危なさは結局のところ最初から最後まで変化する事なく、そのキャラはそもそも彼が元から持ってるものなんじゃないの?って気がしないでもなく。  「クズがただクズです」  内容はそれだけなんですよね。記憶喪失から過去の自分を思い出して、じゃあそこからクズなりのオトシマエを付けるかっていうと、この映画はそこも目指さない。  大きな変化がありそうなクライマックスでの超展開なんて、あれ、こちらは脳内で行間を埋められませんし。あそこ以降は実は夢です幻覚ですくらいに認識した方がいいのか?って感じですが、それにしては描写があくまで三人称状態ですしねぇ。   「味園ユニバース」である事の意味も感じられず、つまり地域性に対するこだわりなんかも意図的に回避しているように思えて、じゃあ、この映画は結局何がしたいんだ?っていう。  状況の、意識の、ほんのちょっとした微妙な変化を感じ取ってくださいね~、って感じ?   個人的にはこの素材で、もう全く違った表現法で見たかった気がします。意識して挫く、はぐらかす、寸止め、みたいなのが繰り返され続けるの、タマ子にならいいのですが、ポチ男にはキツいわ。
[映画館(邦画)] 5点(2015-02-27 23:50:25)
260.  ソロモンの偽証 前篇・事件 《ネタバレ》 
 んー、これ、一本にできませんでしたか~?   前篇って、本当に前側部分だけ。起承転結の起承部分だけ。なので何も解決せず、とっ散らかったまんま終了。一本の映画として語れるモノになってません。とにかく後篇を見ないと話にならない状態で、このサイトの禁止事項「途中で寝た」ってのとあんまり変わんないレベル。コレだけにフルプライス払うのはどうなんだろう?と。まあ、試写でタダ見しておいてアレですが。   まず、なかなか気持ちが乗ってゆかないんですよね。中学生達にしろ大人達にしろ存在が自然とは程遠くて作られたキャラという印象で。正直、かなりヘンなキャラいっぱい。森田芳光監督の『模倣犯』も同じような印象を抱きましたが、宮部みゆき作品って大体こんな?  それに、演出にホラーっぽい箇所が結構あって、中学生をバケモノみたいに描いていたりして、そういう描き方は違うんじゃない?と思うのですが、それは後篇のための何らかの意味ある表現だって事なんでしょうかねぇ。これ一作でそれを判断できるレベルにないって時点で一本の映画として満足のいく状態に到達できていないわけですが。   役者さん達はいいです。特に生徒役のコ達は個性的で。ただ前記の通り、ヘンな味付けがされている役が多いために、勿体ないなぁ、って感じがして。妙なテンションやホラー演技が過剰に加味される事でこことは違うどこかの人々を見ているような感覚になります。   学校や警察、マスコミに不信感を抱き、傷ついた中学生達が自分を納得させるために裁判で真実を追求しようとするあたりから映画はやっと面白味を見せ始めますが、そう、『後篇・裁判』とあるようにここからが本題というところで終わりますね。   どうも狙いどころがハッキリとしない、思わせぶりなばかりの2時間、後篇が前提となり過ぎていて、単純にシナリオを真ん中で切っただけなんじゃ?みたいな印象を持ちました。続編で「なるほど!」と膝を打つ事になればいいのですが。
[試写会(邦画)] 5点(2015-02-24 00:23:09)(良:1票)
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