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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  哀れなるものたち
嗚呼、とんでもない映画だった。  ひと月ほど前に、映画館内に貼られた特大ポスターを目にした瞬間から「予感」はあった。 何か得体のしれないものが見られそうな予感。何か特別な映画体験が生まれそうな予感。 大写しにされた主演女優の、怒りとも、悲しみとも、憂いとも、感情が掴みきれないその眼差しが、そういう予感を生んでいた。  チラホラとアカデミー賞関連のノミネート情報は見聞きしつつも、本作の作品世界についてはほとんど情報を入れずに、公開日翌日の鑑賞に至った。 朝から原因不明の頭痛が続いていて、その日の鑑賞をぎりぎりまで逡巡したけれど、体調が万全でないことで、逆に映画世界に没入できるとも思い、赴いた。  正直、もっと楽観的にファンタジックな映画世界を想像していたものだから、モノクロームで映し出された序盤の展開から面食らってしまった。 ゴシックホラーを彷彿とさせる怪奇とグロテスクは、想定していた“ライン”を嘲笑うかのように超えていき、油断をすると一気に置いてけぼりを食らうところだった。  今思えば、この序盤のモノクローム展開の中で、惜しげもなくトップレスを披露する主演女優エマ・ストーンに対して、「さすがアカデミー賞女優、体を張っているな」などと上から目線の称賛を送っていた自分は、あまりも幼稚で愚かだったと思う……。  死んだ母親の体に脳を埋め込まれて「生」を得た主人公ベラは、狭く、色の無い世界を抜け出して、人生という冒険に踏み出す。そして、「性」の目覚めとともに、その世界は過剰なまでの彩色と造形で彩られていく。 世界は綺羅びやかではあるけれど、その本質は決して美しくない。それは、「良識ある社会」のルールやあり方が、まったくもって美しくないからに他ならない。  綺羅びやかに彩られた醜い世界、そしてそこに巣食う“哀れなるものたち”  それはまさしく、呪いたくなるくらいにおぞましくて、哀しいこの現実世界と人間たちの本質だろう。 けれども、何よりも自分自身の“成長”に対して純真無垢で迷いのないベラは、それらすべてを受け入れ、自分の価値観に昇華していく。 タブーとされる行為も発言も、性別や職業、生まれた環境に対するレッテルも、希望も絶望も、薄っぺらな「良識」を盾にして拒否することなく、先ず全身で受け入れ、自分自身の「言葉」を紡いでいく。  主人公ベラのキャラクター造形は、すべてにおいて奇々怪々だけれど、その生き様は極めて“フェア”であり、昨今の耳ざわりの良さだけで乱用されているものとは一線を画す真の意味での“ジェンダーレス”を象徴する存在だった。 怪奇とグロ、ありとあらゆる禁忌が入り交じる本作の混沌とした映画世界が、ベラの達観した眼差しと共に、極めてフラットで高尚な地点へ着地していることが、そのことを雄弁に物語っていると思えた。   すべてを曝け出して、人間の本質をその身一つで体現してみせたエマ・ストーンは、授賞式を前にして二度目のオスカーに相応しいと確信した。 久しぶりに“緑色の超人”以外のキャラクターで卓越した演技を見せたマーク・ラファロも流石。プレイボーイの放蕩者を、その凋落ぶりも含めて見事に演じきっていたと思う。 古き父性の象徴であり、“怪物”の生みの親として、作中もっとも破滅的な人生観を披露するマッド・ドクターを演じたウィレム・デフォーの存在感も素晴らしかった。  時に「4mm」という超超広角レンズで写し取られた映像世界は、非現実的でありながら、この世界のすべてを文字通り広い視野で余すことなく映し出しているようでもあり、類まれな没入感を得られる。 その映画世界のすべてをクリエイトしたヨルゴス・ランティモス監督の圧倒的な世界観には、終始驚愕だった。   ふと“ジャケ買い”したアルバムが、想定外に強烈なパンクで、問答無用に脳味噌をかき混ぜられ、ほじくり返された感じ。(いや、本当に文字通りの映画なのだが) 奇想天外で、際限なくおぞましい映画世界ではあったが、不思議なくらいに拒絶感はなく、愛さずにはいられない。そして、これがこの世界の「理」だと言われてしまえば、確かにそうだと納得せざる得ない。  エンドロールを見送りながら、様々な感情と感覚が入り混じり、とてもじゃないが脳と心の整理がつかなかったけれど、朝から続いていたはずの頭痛は、きれいさっぱり消え去っていた。
[映画館(字幕)] 10点(2024-01-27 23:36:23)
2.  アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル
“トーニャ・ハーディング”が、テレビカメラ越しに、やや諦観しているような真っ直ぐな眼差しで、軽薄な「大衆」に向けて、「あなた」という呼びかけと共に、静かな怒りと諦めをぶつける。 「あなた」というのは、まさに自分自身のことだと思えた。  1994年のリレハンメル五輪のあの冬、僕は13歳からそこらだったと思うが、トーニャ・ハーディングが途中で演技を止めて、審判席に詰め寄る光景をよく覚えている。 そして、僕は確かに、彼女のその様を、「往生際の悪い女だ」と、好奇と侮蔑を携えて見ていたことも、よく覚えている。 年端もいかない“ガキ”だったとはいえ、断片的に伝え聞いていたのであろうワイドショーの情報と、衛星中継の一寸の光景だけで、そういった底意地の悪い感情を抱いてしまったことは、恥ずべきことだったと思う。 結局、何が「真実」かなんてことは分からないけれど、自分も含めた大衆の無責任さは痛感せざるを得ない。  それにしても、一流アスリートとオリンピックを巻き込んだあの一連のスキャンダル事件を、このような形で、スポーツ映画としても、一人の女性像を描き出す作品としても成立させ、見事な傑作として完成させてみせたことには驚かされた。  マーティン・スコセッシの犯罪映画のようでもあり、デヴィッド・フィンチャーの実録映画のようでもあり、最新の撮影技術を駆使した確固たるスポーツ映画でもある今作は、極めて芳醇な多様性を孕んでいて、最初から最後まで決して飽くことがない。 二十数年前のスキャンダルを知っていても、知らなくても、面白みを堪能できる作品に仕上がっていることは、虚偽と真相、フィクションとノンフィクションの境界を描く今作が、大成功を収めていることの表れだろう。  演者で特筆すべきは、やはりなんと言ってもマーゴット・ロビー。 どこまでも愚かであり、どこまでも不憫な実在の女性像を見事に表現しきっている。そして、間違いなく世界トップクラスのフィギュアスケーターだったトーニャ・ハーディングを演じるにあたってのアスリートとしてのアクションも、極めて高い説得力と共に体現していたと思う。  ラストシーン、スケート界から追放された主人公は、ボクシングのリング上で、アッパーカットを浴び宙を舞う。 その様をかつての“トリプルアクセル”と重ねて映し出すという「残酷」の後、リングに打ち付けられた彼女は再びこちらを見つめてくる。 この映画は、無責任な好奇の目に晒され続けた彼女が、それを浴びせ続けたこちら側を終始見つめ返す作品だった。
[DVD(字幕)] 9点(2018-11-23 23:52:48)(良:2票)
3.  アバウト・タイム 愛おしい時間について
とても愛らしい映画だった。この映画が多くの映画ファンに愛されている理由がよく分かる。  タイムリープ能力を有した主人公のラブストーリーといえば、傑作「バタフライ・エフェクト」だったり、クリストファー・リーブの「ある日どこかで」だったり、今作同様レイチェル・マクアダムスがヒロインの「きみがぼくを見つけた日」など、古今東西多々あり、個人的に好きなジャンルでもある。 それらの多くは、主人公たちの悲恋の切なさや美しさを、練り込まれたストーリーテリングの中で描き出すが、今作はそういうジャンル性の中において一風変わっている。 “変わっている”というよりは、想定外に“どストレート”なストーリー展開が逆に特徴的に感じたのだと思う。  この手の映画の多くは、“タイムトラベル”とういアイデアをどう活かして、独創的なストーリーを紡ぎ出すかに注力するものだが、この映画において、“タイムトラベル”という要素は、一つの小道具に過ぎない。 ストーリーの妙ではなく、あくまでも主人公が織りなす恋愛模様、家族模様、それらすべてをひっくるめた人生模様の素晴らしさをストレートに、真っ当に描き出すことを最優先にしている。 そこに映画作品としての新しさや、特筆する発見はないけれど、てらうことなく、人を愛することの素晴らしさ、家族を持つことの素晴らしさを真っ直ぐに伝えてくれるからこそ、この映画はあまりに愛おしいのだと思える。  ふいにタイムリープ能力を得た主人公は、ひたすらに誰かを愛することに没頭し、文字通り時間を駆け巡る。 そして、人生と、それを司る「時間」という概念に対するひとつの真理にたどり着く。 それは、「綺麗事」などと片付けてしまうには、あまりに勿体ない僕たちの人生に備わっている「価値」だ。  秋深まる深夜、映画を観終え、清々しく床に就く。 思わず、すでに眠っている妻にキスをし、娘を抱きしめ、息子の頭を撫でてやりたくなる。 明日はみんなで、ごはんを食べよう。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2018-10-21 17:39:11)(良:1票)
4.  アナイアレイション -全滅領域-
美しく、そして残酷な、“未知との遭遇”。 映画全編に渡る得体の知れない恐怖感と、「世界」と「世界」の狭間を描き出したビジュアルの美意識自体は、決して嫌いじゃなかった。 幻想的で、芸術的、そして観念的なアプローチによるSF的な解釈は、興味をそそられた。 けれど、映画の中の“調査隊”が謎と恐怖に包み込まれた真相に突き進む程、ストーリー的な推進力は緩慢になり、残念ながら面白味も霧散していくようだった。  詰まるところ、「SF」として物語を紡ぐには、それを語り切るに相応しいストーリーテリング力が欠如していたのだと思う。 理解し難く、“答え”そのものを観る側に委ねるタイプのSF映画は多々あるし、それはそれで大好物だけれども、この映画の場合は、秘められているのであろう“哲学性”が巧く表現できているとは言えず、展開の稚拙さや唐突さが雑音となり、それがどんどん大きくなったまま終幕してしまった。  ナタリー・ポートマン演じる主人公が、オープニングからエンディングに至るまで、ひたすらに「わからない」を繰り返すばかりでは、流石にストーリーそのものを放り投げすぎじゃないか。 そう思わせてしまった時点で、この映画の目指した“試み”は失敗しているのだと思う。 プロットやストーリーにおけるアイデアそのものは、過去のSFスリラーでも幾度も描かれている類のものなので、この映画が描いている顛末は何となく理解できる。しかし、観客にそれを腑に落ちさせなければ、それは単なる自己満足的な絵空事に過ぎない。  「エクスマキナ」で一躍気鋭監督となったアレックス・ガーランドの最新作であり、キャストも一流どころを揃えているにも関わらず、劇場公開が難航し、一転してNetflix公開となったこの映画の辿った道程の「理由」が、何となく見えてくる。  予算面含めて、もう少し製作環境が整っていたならば、それこそSF映画の新たな傑作になり得ていた可能性も感じるだけに、SF映画ファンとしては至極残念だ。
[インターネット(字幕)] 4点(2018-06-04 17:25:00)
5.  アサシン クリード 《ネタバレ》 
出張中、深夜。新宿某映画館の大スクリーンに流れるエンドロールを見ながら、「ああ、久しぶりにまあまあ酷い映画を観たなあ」と思った。 どんなに目を伏せても、耳をふさいでも、ついつい溢れかえっている映画評を見聞きしてしまう昨今だったが、幸か不幸か今作においては殆ど事前情報を入れることなく、“マイケル・ファスベンダー主演”という認識だけ携えて鑑賞に至った。 個人的には、このところ極端な酷評に値する映画を劇場で観ることがなかったので、逆に安堵感すら覚えてしまった。  というわけで、人気ビデオゲームの映画化であるということすら鑑賞後に知った始末。(コミックの映画化だとばかり思っていた) 何が悪いコレが駄目と列挙するのも辟易するが、取り敢えず主人公の存在意義が「媒体」という要素に終始し、キャラクターとしての魅力を全く感じないことが根本的な問題だと思う。 勿論、ビデオゲーム作品内では、「媒体」としての主人公キャラにプレイヤーが“シンクロ”してミッションクリアを目指していくわけなのだろうけれど、ビデオゲームの映画化ってそういうことじゃないだろうと思うし、娯楽としてあまりに“下手っぴ”だと感じずにはいられなかった。  原作ゲームの概要を見てみると、“暗殺者”である主人公が潜入し極秘裏にミッションを遂行していく設定が最大の魅力らしいのに、この映画化においては皆無と言っていいほど「潜入感」が希薄なことも、著しく面白味に欠けている要因の一つだろうと思う。 「マトリックス」なり、「ミッション:8ミニッツ」なり、同様のゲーム的感覚を活かした傑作はいくらでもあるのだから、原作ゲームの醍醐味を反映できなかったことは、完全に製作陣の実力不足、いや怠慢だろう。  主人公をはじめとするすべての登場人物たちの行動原理もまったくもって理解不能。 映画内だけで通用する固有名詞と専門用語を羅列するばかりで、本質的な人間描写に整合性がなく、はっきり言って善玉と悪玉の区別すらつきづらい。安直に「厨二病的」と片付けるには、厨二病に失礼だ。   主演のマイケル・ファスベンダーとマリオン・コティヤールは、この監督の前作にも出演していたらしいが、今作を選択したことで彼らの出演が叶わなかった映画企画があることを思うと、非常に勿体無い。 両者とも、現在のハリウッドにおけるトップ・オブ・トップの油の乗り切ったスター俳優なのだから、作品選びの責任の重さを自覚してほしい。 あきらかに“そのつもり”のようだが、勿論シリーズ化には断固反対である。   冒頭で、“鷲”の安っぽいCGをこれ見よがしに見せられた時点で嫌な予感はした。 ああ、やっぱり各方面で激賞されている韓国映画を観に行けばよかったと、項垂れてながら宿に向かう深夜の新宿。
[映画館(字幕)] 2点(2017-03-16 08:47:37)(良:1票)
6.  あなたを抱きしめる日まで
赦すことの苦悩。赦さないことの苦悩。赦されることの苦悩。赦されないことの苦悩。 人生は時に残酷で、一つの“赦し”にまつわるすべての人々が、どの決断をしたとしても、苦悩に苛まれることがしばしばある。 果たして、真の意味で正しい人間、真の意味で強い人間は、自分の人生を通していずれの“赦し”を導き出すのか。   この映画には、様々な“ミスリード”が含まれていて、巧い。 実話を元にした感動物語風にイントロダクションをしておいて、実は非常に辛辣で罪深いこの世界の闇が描きつけられる。 そして、重いテーマ性に対して身構えてみたならば、紡ぎだされる語り口は極めて軽妙でユーモラス。 御年80歳の大女優ジュディ・デンチのコメディエンヌぶりに、心が鷲掴みにされる。  原題は「Philomena」。ジュディ・デンチ演じる愛すべき主人公の名前である。 原題が指し示す通り、この映画は主人公“フィロミナ”の人間的な魅力に魅了されるべき作品だと思う。  暗く悲しい時代の中で、生き別れになった母と子。50年の年月を経て、ついに母は子を探す旅に出る。 実話とはいえ、もっと安易に感動物語に仕上げることも出来たろうし、悲しい時代が犯した罪を掘り進めて、もっと暗く重い社会派ドラマに仕上げることも出来ただろう。 カトリック教会の渦巻く闇だとか、レーガン政権下のエイズ患者への仕打ちなど、暗に示されている題材は多々ある。 しかし、この映画はそういうありきたりで安直なシフトを認めなかった。 主人公のキャラクターを魅力的に描き出し、コメディとして仕上げた巧さと勇気に賞賛を送りたい。  もう一人の主人公であるジャーナリストは、ふとしたきっかけで出会った貧しい老婦人のことを、“無知で心が弱い人たち”と決めてかかる。 だが、彼女と旅をしていく中で、ほんとうに含蓄が深く心が強い人間が誰であるかを知っていく。 それは、浅はかな固定概念を払拭する旅路でもあった。   主人公“フィロミナ”が辿り着いた「真実」は決して喜ばしいことではなかった。 それでも彼女は揺るがない。相手を赦し、すべてを受け入れる。 それは、何よりも最初に先ず自分自身の罪を認め、そして苦悩と共にそれを赦してきた彼女だからこそ導き出すことができた“答え”だったように思えた。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-04-29 01:04:23)
7.  悪の法則 《ネタバレ》 
ラストシーン、或る人物が「お腹がすいた」と一言発し、暗転、この映画は終焉する。 その瞳は、愉悦を覚えているようにも見えるし、欲望を満たすことを続けなければこの「世界」では生き続けられないということを、この映画に登場する誰よりも“正確”に理解している人間故の深く暗い悲哀に溢れているようにも見えた。  非常に哲学的で、極めて奇妙な映画であることは間違いない。 豪華キャスト勢揃いによる麻薬取引を軸にした“犯罪エンターテイメント”と高を括って観てしまうと、虚をつかれることは避けられないだろう。  マイケル・ファスベンダー演じる主人公が、終始ただ「カウンセラー(弁護士)」と呼称されることに表れている通り、この映画ではキャラクターのバックグラウンドに踏み込むような描写は一切無い。 それどころか、彼らがどういう経緯と理由で「悪」に手を染めているのかということも明確にならないし、描き出されるストーリーの“顛末”においても、「誰がどうしたからどうなった」という、普通の娯楽映画であれば当然ある筈の「事の真相」も抜け落ちている。  もちろんそれは描き手の明確な意図によるものであり、この映画で真に描き出したいことが、表面的にショッキングなバイオレンス描写やセックス描写などではなく、善悪の境界すらも超越した、彼らが生きる「世界」の本質的な「仕組み」の話であることに他ならない。  それはまさに、野うさぎを本能的に追うチーターの姿と何ら変わりない。  「捕食者」と「被食者」というたった二つの立場しか許されないピラミッドの縮図と、その真理だ。 そこには慈悲もなければ、憎しみすらない。ただどちらかが生きるために、どちらかが死ぬという極めてシンプルな「法則」があるだけ。  そのあまりに意欲的で野心的な映画世界を、「最新作」として送り出す大巨星リドリー・スコットの映画監督しての意識の“若々しさ”と“雄々しさ”には、毎度のことながら感服せずにはいられない。 映画作品としてのクオリティーを鑑みればそんじょそこらの映画監督が撮れる作品でないことは明らかだが、御歳76歳の大巨匠が描き出すような類いの作品ではないこともまた然り。 「衰え知らず」とは、まさにこの人のためにある言葉だと言っていい。  とても誤解されやすいタイプの映画だとは思うが、だからこそ、含まれた「真意」に対しての戦慄は殊更に際立つ。
[映画館(字幕)] 9点(2013-12-08 22:47:11)(良:1票)
8.  アタック・ザ・ブロック
漆黒の闇の中で蛍光色に光るエイリアンの牙、真っ黒なフードを被った少年ギャングの目、両者は互いにメタファーとして対峙し、“襲う者”と“襲われる者”が突如として入れ替わり立ち替わる。 ヒップホップに彩られたSFとバイオレンスとコメディの中で痛烈な社会風刺が差し込まれる。 この英国産のエンターテイメント映画は、ポップカルチャーの体裁を示しつつ、想像以上にハードで、それに伴うカタルシスに溢れた映画に仕上がっている。  少年ギャングが巣食う団地にエイリアンが襲来してきて決死の攻防を繰り広げるというプロットだけを聞くと、とても気軽に楽しめる類いの娯楽映画のように思う。 実際、この映画は表面的にはそういう方向性でプロモーションされているが、そもそもの発端となる舞台設定、ストーリー展開、そして映画の到達点は、非常に根深い社会問題に根ざしていて、予想外に深い感慨を観客に訴えてくる。  英国の社会問題となっている低所得者層の不遇。そこからある意味必然的に派生している暴力と犯罪。 文字通り“降って湧いた”凶暴なエイリアンとの攻防の中で、少年たちは、暴力と明確な「死」に曝される。そのプロセスにおいて、自らが置かれた社会環境の問題性と、自らが犯してきた罪の深さを知っていく。  前述の通り、この映画は表面的には敢えてライトに作られている。上映時間も88分と短く、映画内の時間経過も、事態の異常性のわりにはほんの2~3時間程度の出来事として描かれる。 そういったコンパクトさこそが、この映画で描かれていることが社会の「縮図」であるということの明確な意思表示のように思える。  この映画の製作スタッフは、自らが楽しみながら、あらゆる人々にとって楽しい映画を作り、同時に大きな付加価値を付けることに成功している。見事。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-03-11 11:12:22)
9.  アドレナリン(2006)
何か知らんが、アドレナリンを出し続けなければ心臓が停止するという毒薬を注入された男が、己の生命と復讐をかけ、他人の命と迷惑なんて顧みず街中を走り回るという映画。 馬鹿馬鹿しいにも程があると言わざるを得ないストーリーだが、それでもかろうじてエンターテイメントとして成立させている。 そして、この馬鹿馬鹿しさをまかり通せるのは、今はこの男しかいないだろう。  ジェイソン・ステイサムが、表現通りに“アドレナリン分泌しっ放し”の主人公を、“いつも通り”の存在感で体現してみせる。この映画のエンターテイメント性は、もうその存在感に頼りっぱなしと言っていい。  90%以上は「くだらない」と一笑に付してしまって良い映画だが、困ったことに主演俳優の存在性を盾にして、どうしたって印象に残ってしまうシーンが所々で映し出され、時に大笑いしてしまい、時にウルッときてしまうものだから、尚更始末が悪い。  公然○○○シーンや、まさかのラストシーンでの愛の告白からの衝撃のラストカット。 本当にこの映画を作った方々の頭はどうかしてしまってるんじゃないかと思ってしまう。主演俳優も含めて……。  そしてッ、このラストで続編があるってんだから、いよいよどうかしてるぜ!
[CS・衛星(字幕)] 6点(2012-06-07 15:33:20)(良:1票)
10.  アンノウン(2011) 《ネタバレ》 
殆ど予備知識無く鑑賞を始めたので、冒頭から滲み出ているサスペンスフルな空気感にすんなりと引き込まれ、二転三転する展開を堪能しながら最後まで楽しむことが出来たことは間違いない。 サスペンスアクションとして、サスペンスの緊張感とアクションの高揚感がバランス良く配置されており、鑑賞直後の満足感は当初の想定よりも随分と高かったと言える。  ただし、観賞後数分間でちょっと振り返ってみると、粗という粗がポロポロと出てきてしまうことは否めない。  よく考えると映画全編に渡って言えることだが、「実は一流の○○○」だったというには、そもそもの言動がずさん過ぎて陳腐だ。 まず目的のために徹底した偽りを謀るとはいえ、目的地への移動中に至るまでその偽りを貫く必要があるのだろうか。これは明らかに観客を欺くためだけの演出であり、人間描写上の必要性はないと思う。 そんでもって、空港のタクシー乗り場で最も重要な鞄を置き忘れるって、どんだけうっかり屋さんなんだという話だ。これも結局、ストーリーとしての一つの目的を設置するためだけの設定であり、極めて安直だ。 他にも、一流ならば乗り込んだ先の言語で世間話くらいは出来るようにしとけよ!とか、ふいの自動車事故とはいえ簡単に気を失い過ぎだろ!咄嗟に飛び降りるとかそれくらいしようよ!とか一流の組織のメンバーのくせいに素人の女の子にやられてどうすんだ!とかとか……、一度突っ込み出したら止まらなくなってきそうだが、とにかくよくよく考えると用意されていたオチに対して整合性が無さ過ぎる要素に溢れてしまっている。  ストーリーのアイデア自体は、オリジナリティが高いとは言い難いけれども充分に面白味に長けている。それが興味を最後まで持続させる最大の要因だとも思う。 しかし、このアイデアであれば、ラストの顛末でもっとどぎつく踏み込むことができたなら、数多の粗を振り切って余りある映画に仕上がっていたかもしれないなと思う。リーアム・ニーソンのクライマックスの表情は観る者を惑わせる緊張感が含まれていて良かったけれど……。  まあそこまで完璧なクオリティーを求めるべき類いの映画ではないと思うし、観ている間と観終わった瞬間に満足していたならそれで充分だと思う。  と同時に、画面から溢れ出る上質な色調と巧い俳優陣の演技によって、もの凄く質の高い映画に“見えるだけ”に、やはり残念に思う。
[DVD(字幕)] 6点(2012-02-26 02:14:25)(良:2票)
11.  アガサ・クリスティー ミス・マープル3 復讐の女神<TVM> 《ネタバレ》 
ミステリーにおける“探偵”は、物語の真相を解き明かす先導者であり、同時に犯人を奈落の底に突き落とす”死神”でもあると思う。 謎の解明は即ち、殺人者に対する処刑宣告であり、その様は時に無慈悲で恐ろしい。  そういったミステリーの主人公の“正義漢”と表裏一体の“恐ろしさ”を、今作のミス・マープルからは如実に感じられた。まさに「復讐の女神」という主題にふさわしい。  古き友人の遺言に導かれるようにミステリーツアーに参加するミス・マープル。そこに集まるわけありの人物たち。 アガサ・クリスティー作品の大定番と言える舞台設定の中で、殺人が起こり、過ぎ去った殺人事件の真相が導き出される。 展開は極めて王道的だが、冒頭から感じられる禍々しさがストーリーの全編に溢れ、緊張感を増幅させる。  多くのミステリー作品で見られる顛末と同じく、真相を暴かれた殺人者は自ら命を絶つ。 その定番の展開を見る度に、みすみす死なすなよと思ってきたけれど、もはやそれはミステリーそのものの定石であり、避けられるものではないのだと感じてきた。  ミステリーにおいて、真相を解明する者は、同時に死刑宣告者であり、すべての主人公はその宿命を負っているのだ。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-10-20 14:38:27)
12.  アガサ・クリスティー ミス・マープル3 ゼロ時間へ<TVM>
「ゼロ時間へ」という意味深なタイトル、そして冒頭で語られる「殺人事件」に対する哲学的な言い回しに、より深い視点からのミステリーが繰り広げるのかもしれないと期待したけれど、実際は極めて定番なミステリーだったと思う。  ミス・マープルが珍しく積極的に事件周辺を嗅ぎ回り、ラストでは真犯人に対して高圧的な姿勢で対峙する様が印象的。 ただその反面、アガサ・クリスティー特有の人間模様には、それほど深みがなく、ドラマ性は薄く感じられた。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2010-10-15 11:02:22)(良:1票)
13.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 シタフォードの謎<TVM>
猛吹雪が吹き荒れる中、山里深い小さなホテルで、次期首相候補の男が殺される。  当然、その小さなホテルに集っていた何やら怪しげな宿泊客らが容疑者となり、  ミス・マープルは例によって自身は殆ど捜査活動に動かないまま、人づてに聞いた情報のみで事件の真相を解き明かしていく。  アガサ・クリスティーの同シリーズも4作品目なので、ミス・マープルの独特の捜査手法にも慣れ、「定番」の流れを安心して見られるようになった。  現在の人間模様と、過ぎ去った人間模様が絡み合い始めたとき、事件の真相が見えてくる。  殺される首相候補の政治家をティモシー・ダルトンという俳優が演じていて、どこかで見たことがあるおっさんだな~と思っていたら、かつて「007」でジェームズ・ボンドを演じた俳優だった。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2010-10-15 11:01:27)
14.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 動く指<TVM>
アガサ・クリスティー原作の人気シリーズ「ミス・マープル」。そのテレビ映画シリーズを今回初めて続けて鑑賞し、今作が3作品目。 ようやくこのシリーズの特徴として、“ミス・マープル”は決して主人公ではないということに気づいた。  様々な人間模様の中から渦巻く謎と殺人事件。その「真相」を導き出すのは、“第三者”である謎解き好きの老婦人ではなく、その人間模様の中にどっぷりと息づく当事者であることが多いようだ。  一般的な名探偵ものとは一線を画し、名探偵役のミス・マープルは、節々で観察眼の鋭さを見せるものの、その立ち位置は、我々「鑑賞者」の目線に近い。 そのかわりに、物語の中で描かれる人間関係に密接な人物が事件を解いていくことで、よりドラマ性が深化し、ただのミステリーに留まらない情感を生み出していると思った。  イングランドの田舎町で出回る怪文書を軸に、閉鎖的環境ならではの人間関係の“ひずみ”とそれに伴う“殺人”を巧みに描き出した今作も、その例に漏れず、繊細な人間ドラマと上質なミステリーを同時に味わわせてくれる。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-10-15 11:00:16)
15.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 親指のうずき<TVM> 《ネタバレ》 
突然死した叔母、消えた老婦人、時を越えた殺人事件……。 アガサ・クリスティらしいミステリーをミス・マープルが解き明かしていく。  浮上する「謎」の実像がなかなか見えないので、全編通して“ふわふわ”した感じてストーリーは進んでいく。 ミス・マープルと行動を共にするタペンス婦人がアル中だったりするので、余計に事件の真相が現実と妄想の狭間で見え隠れする。 それはミステリーの特徴として良いのだけれど、キーマンとなる人物の存在や見せ方もぼんやりと曖昧なので、ストーリー自体が追いづらい印象を受けた。導き出された真相と真犯人にも強引さと整合性の欠如を感じた。  独特の人間模様にはドラマ性があり、ミステリーとしての面白味は充分あるのだけれど、謎に対する真相に深みは無かったように思う。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2010-10-15 10:59:17)(良:1票)
16.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 スリーピング・マーダー<TVM>
アガサ・クリスティの「ミス・マープル」シリーズの映像作品を初めて観た。 謎を解き明かす主人公が地味な老婦人ということで、それほど興味はそそられず恐る恐る観始めたが、冒頭から繰り広げられる上質なミステリアスに途端に引き込まれた。  婚約を機にインドからイングランドへ移ってきたヒロインが、何かに導かれるように訪れた売り家にて、養生時に見た「殺人」の記憶が突然蘇ったことから、それまで眠っていた事件が目覚める。 ヒロインと事件にまつわる人々が入れ替わり立ち替わりし、複雑な人間模様があらわれてくるくだりは、アガサ・クリスティらしいストーリーテリングで、事件の真相と並行して導き出される隠された人間ドラマが秀逸だった。  ソフィア・マイルズが演じたヒロインが、蘇る記憶に苦悩しながらもアグレッシブに過去の人間関係を辿っていくので、ミス・マープルの存在性が薄く感じてしまったことは如何なものかと思う。 が、一つのミステリー作品としての完成度は極めて高く、オールドイングランドを舞台に洗練された文体の世界観を堪能できた。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-10-05 13:00:01)
17.  アバター(2009)
流行りの3D映画を初めて観た。 その「初体験」がジェームズ・キャメロンの12年ぶりの新作で、本当に良かったと思う。  革新的な映像を見せる映画に対して、“未経験の映像体験”なんてキャッチコピーはよく使われるが、今まで観たどの映画よりも、この映画こそその常套句にふさわしい。 まさに、「観た」というよりは、「体験した」という表現の方がぴったりとくる。   正直、危惧の方が大きかった。 「タイタニック」以降、音沙汰なかった巨匠が、12年ぶりに挑んだ最新作は流行りの3D映画。 個人的に、3D映画に対しては、最新技術に頼った安直さが伺えて興味がなかった。映画の「本質」をぼかしているように思えたからだ。 大々的に広告はしているけれど、ただただ資金と時間を浪費した“超駄作”に仕上がっているのではなかろうか。と、不安を抱えたまま劇場へ入った。 初めての3Dグラスは、非常にかけ心地が悪く(眼鏡をかけているので尚更…)、上映前に益々萎えてきた。  しかし、本編が始まるにつれ、危惧とか不安とかそういうものは一蹴された。 それ以上に、今ここにある自分の日常的な存在自体が、どこか遠くに吹き飛ばされる感覚を、終始覚えた。 冒頭から間もなくして、すっかり映画世界に引き込まれた。  “引き込まれた”という表現を映画の感想で多々使ってきたけれど、今作ほどその表現にふさわしい映画はないと思う。 まさに「体感」。出演者の息づかいをスクリーン越しに感じるのではなく、自分自身が彼らと共に息づいているような感覚。それは紛れもない未体験ゾーンだった。   素晴らしい映画によくありがちなことだが、この映画は、うまく形容する言葉が見つからない。  『未開の惑星を侵略する地球人、スパイとして先住民族の中に送り込まれた主人公、やがて主人公は愚行から目覚め先住民と共に地球人の侵略に立ち向かう。』  と、プロットをただ言葉にするとあまりにありふれている。 が、そこに加えられた“光”と“音”によって、圧倒的な価値が生まれる。 それこそが「映画」そのもののマジックであると思う。  3Dという新たな映画表現によって見せ付けられたのは、そういう根本的な映画娯楽の魅力と、 12年ぶりに復活したエンターテイメント映画の大巨星の、絶対的な“瞬き”であった。  “ゼロ”からの圧倒的な「創造」。そのすべてが、凄い。物凄い。
[映画館(字幕)] 10点(2009-12-26 02:06:09)(良:1票)
18.  アース
2008年一発目の鑑賞作品は、“地球”そのものをストレートに映し出したネイチャー・ドキュメンタリー。 昨年末から公開された予告編の圧倒的な映像を見て、「これはスクリーンで見なければならない」と心に決めていた。  今、立っているこの地球の美しさと壮大さ。それは、地球上に生きる誰もが、知るべき、“知られざる世界”だと思った。 すべての人間が、この実態を知れば、きっとこの惑星はもっと豊かさに溢れるのではないか。  この惑星に生存する幾多の生物、その誰のためでもなく、人類自らのために、この惑星の豊かさを保っていかなければならないと思う。
[映画館(吹替)] 7点(2008-01-14 14:00:47)
19.  アイズ ワイド シャット
“性への渇望”これほどまでに映画のテーマとして難しいものを、徹底して描ききっていることに驚く。スタンリー・キューブリックという一つの伝説に終焉にふさわしい芸術品だと思う。甘く危険な裸体美の羅列の中で、まさに真の意味合いを持つ“仮面夫婦”を表現してみせたトム・クルーズとニコール・キッドマンも凄い。この作品の後、二人は実際に結婚生活を解消してしまうわけだが、少なからずこの映画の出演が影響したことは間違いないと思う。そして、この映画がそういう“危険”をはらんでいることを俳優夫婦は分かっていたのだろう。それでも敢えて、この映画に挑み、演じきった。それは、彼らの真の俳優としての本能が抑え切れなかった“衝動”によるものだったのではないか。「たとえ私生活に多大な影響があるとしても、この映画を避けて通るわけにはいかない」という、彼らの共通意識が、ある種の固い絆の中で生まれたのだと思う。結果、彼らは別れたが、各々が俳優としての凄まじいほどの飛躍を見せていることは言うまでもない。キューブリック、クルーズ、キッドマン、3人が選んだ運命、映画人としての業が、危険に混ざり合い、美しさと醜さを併せ持った特異な映画として昇華したのだと思う。
9点(2004-11-29 02:59:52)
20.  アンダーワールド(2003)
「マトリックス」の誕生以後、同作を真似たスタイリッシュな映像を売りにするアクション映画は量産され続けいる。今作においてもその例の範疇であり、「ヴァンパイアが暗躍する世界」というもはや若干新鮮味に欠けるジャンルも手伝って、“オリジナル性”という部分においては難があることは否めない。しかしながら、「パクリだろうが二番煎じだろうがお構いなし!」と開き直れるほどのクオリティをこの映画は備えている。何と言ってもその映像美が素晴らしい。タイトル通りに全編通して光の当たらない世界を描きながらも、闇に紛れることなく徹底的にスタイリッシュに展開される美しい映像世界に舌を巻く。その闇の美の中に、クールでドライな美貌を湛えたケイト・ベッキンセールの存在が映え、非常に質の高い映画世界へと昇華されている。クライマックスにかけてますます重要になってくる“人間の男”のキャラクター性が全編通すと弱すぎるという感は残るが、単純な勧善懲悪の構図では終わらないストーリーにも満足感は高い。続編も充分に期待が持てる。
8点(2004-09-10 00:46:54)
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