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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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101.  ファンタスティック Mr.FOX
こういうストップモーションアニメやクレイアニメを決して安直に子供に媚びるわけではなく、真っ当な大人も観られるコメディ映画に仕上げられることが、アメリカという国の多様性を最も分かりやすく表していると思う。 ジョージ・クルーニーやメリル・ストリープが声優としてメインを張るわけだから、その価値観が確立されていることは明らかで、“エンターテイメント”という要素でこの国にはやっぱり敵わないと思わずにはいられない。  映画は思ったよりも“真っすぐ”な親子の物語だった。 周囲への迷惑を顧みず功名心を貫き通してしまう父親と、彼に憧れ彼に認められていないことに傷つく息子の絆の物語。“人間”を完全な悪者に据えて、共闘する中で親子の絆を見出し深めていく。  ストーリーに特別な捻りがあるわけではないけれど、時に奇妙な動きを見せるストップモーションのキャラクターたちが総じて愛らしく、彼らの言動を観ているだけで充分な娯楽性は備わっていると言える。  楽しく、安心して観られて、子供の頃に観たなら、何度でも観たくなるだろうアニメ映画だったと思う。 そして、無性に“りんご酒”というものを飲んでみたくなる。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-19 15:10:51)
102.  ブローン・アパート 《ネタバレ》 
心の隙間を埋めるために入り込んでしまった情事の最中に、息子と夫をテロ事件により亡くした女。 彼女の喪失感と罪悪感を軸に隠された謎が暴かれるというイントロダクションだったが、実際に映し出された映画世界は随分と毛色が違っていたように思う。  真相を追うサスペンスはお飾り程度なもので、ストーリーの本質には関わってこない。 一人の女性の絶望と後悔を礎にして、たとえ無様で必ずしも道徳的でなかったとしても、愚かなテロ行為とそれに伴う悲劇から人間はしぶとく力強く立ち上がるのだ。ということをこの映画は描きたかったのだろうと思う。  サスペンスを期待した分、違和感は覚えたが、その切り口自体は興味深かったとは思う。 ただし、明らかに実際に起こったテロ事件からインスパイアされた印象は強く、主人公が“オサマ・ビンラディンへの手紙”という体で語るモノローグは少々あざとく感じた。  主人公の女性を演じたミシェル・ウィリアムズは美しく存在感のある演技を披露していたが、相手役のユアン・マクレガーはストーリー的にキャラクター性が薄く、別に彼を配役する必要はなかったように思えた。   誰しも、誰にも恥ずべきことなく真っ当に生きたいと思っている。 でも、なかなかそういうわけにもいかないことが多いのが人生だ。 その度に激しく後悔もするのだろうけれど、それでもしぶとく生きていくしかない。  映画自体の完成度や善し悪しはともかくとして、そういうことを感じた作品だった。
[DVD(字幕)] 5点(2011-10-07 17:08:30)
103.  ブラジルから来た少年
「2年半以内に、94人の65歳の男性を期日通りに殺害せよ」 と、ナチスの残党のマッドサイエンティストが命令する。 そこには壮大で恐るべき計画が秘密裏に進行しており、その陰謀を年老いたナチスハンターが追う。  非常に濃密な面白味を孕んだSF映画であり、サスペンス映画だったと思う。 余分に派手な演出を控えて、鈍く抑えた演出が殊更に見え隠れする恐怖とおぞましさを煽っている。  今でこそ“クローン”なんて題材は様々な作品で使い古されているけれど、1978年当時としてはとても前衛的で、ショッキングだったろうと思う。 今観ても、描かれる陰謀の真相が明らかになるシーンでは、身震いを覚える程の衝撃を感じたのだから、当時の観客にとっては尚更だったろう。 故に賛否両論も激しく、そのことが日本未公開の所以だったのかもしれない。  キャストにおいては、やはりグレゴリー・ペックの演技が圧倒的だった。 あらゆる名作で好漢を演じ続けてきた大スターが、よくもまあこれ程まで狂気的な科学者の役を引き受けたものだ、とまず思った。 そしてそのパフォーマンスは凄まじく、この俳優が本当にグレゴリー・ペックなのかと一瞬疑ってしまったほどだった。  原作の面白さに卓越した映画術が合致した完成度の高い「問題作」だと思う。  ラストシーン、残った“少年”の言葉と眼差しが、追い討ちをかけるようにおぞましい余韻を残す。 そう、94人分の可能性を携えて……。
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-23 02:18:09)
104.  127時間 《ネタバレ》 
映画を観終わり、映画館の外に出たとき、いつもと同じ風景が少し違って見えることがある。 歩く感触や呼吸の感覚までもが、映画を観る前と後では何か違うと感じる。 「映画を観る」ということは、人生における一つの“経験”であり、新たな経験を得たことで、自分自身の世界観に影響を及ぼす。 それが、良い映画を観れたことの最大の価値だと思う。  今日観た映画は、まさにその「価値」を与えてくれる作品だったと思う。  自身に対する少々過剰な自信から周囲の人間との関わりに執着してこなかった主人公。何もかもがウマくいくと信じて疑わなかった人生が一転、文字通りに奈落に落ち込んでいく。 突如としておとずれた人生の局面で、はじめて“自分”という人間を省みた主人公が辿り着いた心境。  この映画で描かれているものは、決して劇的なストーリーや人間模様ではない。 稀有な人生の局面に立たされた主人公に限らず、世界中のどの人間にとっても不可欠なことだったと思う。  人間として生きている自分自身の営みを客観視したとき、果たしてどれほどの人間が、その本質に揺らぎを覚えずにいられるか。 そういうことを、巧みな映画術でまっすぐに問いかけてくる。  題材自体はシンプルだ。冒険好きの男が絶体絶命の危機に陥り、奇蹟的に生還するという話だ。 重要なのは、その出来事自体に焦点を当てるのではなく、その危機の中で“生きる”人間の様々な感情を真っ正面から描き切っていることだ。 一つ間違えば極めて単調になってしまう映画世界を、監督は最高の映画術でつむぎ出し、主演俳優はその中で見事に息づいてみせた。   命を削り、大変な損失をして、「最悪」から抜け出した主人公が口にした言葉は、「Thank you…」という一言だった。  自分に巻き起こった全てのことが、自分に与えられるべき運命であったということを認め、ただひたすらに生き抜いた人間の脆さと強さに感動した。
[映画館(字幕)] 9点(2011-09-04 22:48:40)(良:3票)
105.  ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2
今年の年始にほとんど気まぐれで「ハリー・ポッター」シリーズの観ていなかった第3作から第6作を一気に観てしまい、その流れで最終作のパート1もDVDのレンタルが開始されるなり直ぐさま鑑賞した。 やっぱり、「好きな映画」とは言い難い映画シリーズだったけれど、これだけ作品を連ねるとそれなりに映画の世界観は深まってきたので、最終作パート2は同シリーズで初めて映画館で観てみようと考えていた。  おおかたの想定通りの大団円をつつがなく観終わり、世界的に人気シリーズのラストを観られたことに対する映画ファンとしての満足感を覚えつつ、「やっぱり好きな映画ではないな」という印象を改めて自分の中に認めた。  もうここまでシリーズ作が連なってしまえば、この映画に対する評価は、ファンか、ファンではないかということでそのまま二分化されるのだろうと思う。 映画として相対的に良いのか悪いのかなんてことは、もはやどうでもいいことなのだろうと思う。  そういう価値観を認めつつ、敢えてこの映画のファンでない者として言わせてもらうならば、もっと面白く見せる方法はいくらでもあるように思えてならない。  映画作品としては8作目にのぼり、魔法使いの世界観とキャラクター性は必然的に深まっている。 当然ながらこの最終作では、敵味方含めそれぞれのキャラクターの“顛末”が描かれる。 その描き方が極めて軽薄で盛り上がらない。 彼らそれぞれの生き様と死に様を、ベタに盛り上げて描くだけで、少なくともこの最終作のエンターテイメント性は“ファンでない者”をも引き込めるものになったと思う。  特に残念という気持ちもないが、勿体ないなあとは思った。
[映画館(字幕)] 6点(2011-08-30 16:22:11)(良:1票)
106.  ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1
世界的大人気のファンタジー大作シリーズも遂に最終章のPART1。 ここにきての、前編・後編に分けた映画化には露骨な商業主義を感じずにはいられないが、これほどまでに世界中で“売れる”コンテンツになってくると、それも致し方ないことだろうと逆に納得ができる。  今年(2011年)に入ってから、未見だった第三作目以降を立て続けに観て、各作品の面白さとつまらなさを随所に感じつつ、ここまでくるとラストが気になってくることは否めない状態になっていた。  最終章の前編だけあって、物語の核心に迫っていく中でシリアス度は高まっている。が、一方でファンタジー映画としての娯楽性はあまりに乏しかったと言える。 大盛り上がりを用意しているであろう「後編」への布石であることは理解出来るが、それでも一つの映画として公開している以上は、それなりの興奮を与えてほしいところだ。  シリアスな展開の中で、娯楽性を補うドラマ性が高まれば良かったのだが、主人公をはじめとするキャラクターたちの“苦悩”は、これまでのシリーズの中で繰り返されてきた要素が強く、感情移入出来る深みが無かった。「今更そんなことで悩むな」と、少々あきれてしまった。  ストーリー的にも、画的にも、今ひとつ“新しさ”がなかったことが、インパクトが薄れた最たる要因だろう。  さて、今夏公開の最終作で一体どんな大団円を見せてくれるのか。ファンではない分、客観的な興味が高まる。
[DVD(字幕)] 5点(2011-05-04 01:07:00)(良:1票)
107.  キック・アス
数ヶ月前、某ニュースサイトのトピックスで、今作に主演した御年13歳の女優が注目の的に挙げらていた。 記事に掲載されていた本人画像を見て、「これ、ほんとに13歳か?」と、あまりに魅惑的な表情に唖然としてしまった。  それが、この映画の“スーパーヒロイン”を演じたクロエ・グレース・モレッツだ。  撮影当時は11歳の彼女が、放送禁止用語を連発しながら、悪党を次々に“虐殺”していく。 極端な娯楽映画であることは重々認識していながら、ほんとうに久しぶりに、「これは教育的によくない映画だなあ」心底思いながら、終止ほくそ笑み続けた映画だった。  アメコミのヒーロー映画は大好きで、散々観てきた。きっと、この映画の製作陣も、アメコミが大好きで、数多のヒーロー映画を心からリスペクトしているのだろうと思う。 そういうことを踏まえて、敢えて言いたい。  「サイコーに面白いヒーロー映画だ!」と。   冴えないオタク学生が、マスターベーション的ヒーローと成ることからストーリーは転じ始める。 実際、その“テイスト”だけでも充分にコメディ映画としては面白い。 “彼=キック・アス”を単独の主役として貫き通したとしても、娯楽映画として確実に評価に値する作品に仕上がっていたことだろう。  ただ、この映画が一筋縄ではいかないのは、前述の“11歳のスーパーヒロイン”の存在に他ならない。 主人公“キック・アス”の存在が、クロエ・モレッツが演じる”ヒット・ガール”と、ニコラス・ケイジ演じる“ビッグ・ダディ”のコンビを引き立たせるための“前フリ”となった時点で、映画は劇的に加速していく。    そして、最終的にはしっかりと“主人公”を活躍させてくれるという、分かりきった“くすぐり”が、問答無用にテンションを高揚させてくれて、深夜にも関わらず、馬鹿笑いが止まらなかった……。  「バットマン」をはじめとする“ヒーロー映画”のパロディに端を発している映画であることは間違いないが、その範疇をひょいっと越えた、唯一無二の娯楽性を携えたオリジナリティ溢れる“ヒーロー映画”の誕生だと思う。   P.S. そして、13歳の時に出演した「レオン」で一躍スターダムにのし上がったナタリー・ポートマンが、アカデミー賞主演女優賞を受賞したこのタイミングだからこそ、 クロエ・グレース・モレッツの、女優としての将来性には期待せずにはいられない。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2011-03-20 01:23:50)(良:1票)
108.  英国王のスピーチ
巡り巡ってきた望まぬ「王座」に対して、主人公の英国王が、妻にすがり泣く。  吃音症に悩む内気な王が、風変わりな聴覚士の指導と友情により、困難に立ち向かっていく様を描いた映画であるが、個人的なこの映画のハイライトは、このシーンをはじめとする、王とその妻の「夫婦愛」だったように思う。 自分自身に自信が持てない夫を、明るく、行動的に支える妻。その妻を心から愛する英国王の情愛が、具体的な表現で描かれるわけではないけれど、画面から溢れるように伝わってくきて、それで涙が溢れた。  吃音症のためまともにスピーチが出来ない英国王。その改善にあたった風変わりな言語聴覚士。内気な英国王を支える妻。 プロットは王道的であり、ベタだ。ただ、この三者の様を一流の俳優がとてもとても丁寧に演じ、その演技の様を監督がこれまた丁寧に切り取っている。  英国王を演じたコリン・ファースは、気弱だが確固たる責任感と使命感に立ち向かう王の様を、言葉を発する唇の端々まで丁寧に演じていた。 ジェフリー・ラッシュは、相変わらずの独特の存在感が役に合致し、まさに「名優」による「名演」だったと思う。 個人的に最も良かったのは、やはり英国王の妻を演じたヘレナ・ボナム=カーターで、“コルセット・クイーン”の呼称にふさわしく英国貴婦人のたたずまいをベースに敷きながらも、快活で夫への愛に溢れた王妃を好演していた。 この3人の名優の演技を、新鋭の監督が独特の構図で巧みに映し出したと思う。  派手さや驚きはないが、だからこそ映画としてのクオリティー高さが滲み出るように伝わってくる作品だったと思う。 アカデミー賞の「本命」の一つしてふさわしい、良い映画だ。
[映画館(字幕)] 9点(2011-02-27 10:25:05)(良:2票)
109.  ハリー・ポッターと謎のプリンス
最終章前の“つなぎ”的な要素がありありと伺えるシリーズ第6作目。 明らかに、前作「不死鳥の騎士団」の盛り上がりを一旦トーンダウンさせて、次の最終章まで引っ張りましたという感じが拭いきれず、特に原作未読でファンでない者とってみると、この章自体が「不要」と思えてしまった。  ラスボスであるヴォルデモード卿のバックボーンを描く過程は、物語全体において不可欠な要素だったと思う。 しかし、そこに毎度お馴染みの魔法学校でのほんわかエピソードや主要キャラクターらの恋模様が、必要以上に絡んでくるので、ストーリーの焦点がぼやけてしまっている。 敵方のディティールを描くのであれば、主人公らのエピソードなど脇に追いやって突き詰めていった方が、映画作品として締まったように思う。  まあしかし、ここまでくればもう最後まで観るしかない。 本当は一年くらいかけて過去のシリーズ作を観ていくつもりだったのだけれど、結局3日間で未見だった4作品を観尽くしてしまった。  残るは現在公開中の最終章のみ。ここまでの伏線や思惑が一体どう解消され、世界的人気シリーズを締めくくるのか。 こうなりゃこの勢いのまま劇場まで足を運ぼうか……。
[ブルーレイ(字幕)] 5点(2011-01-05 17:04:51)
110.  ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団
シリーズ第5作目にしてようやく「ハリー・ポッター」というエンターテイメントの面白味を味わえるようになった気がする。 この物語は、表面を何重にも“お子様向け”のファンタジーでコーティングした飴玉のようなもので、飽きるような甘ったるさを何層も溶かしていくと、やっと深い旨味に到達する。 そしてその旨味に達すると、前の甘さが懐かしく、大切なものだったということに気づかされる。  そんなわけで、物語全体が核心に向けて突き進んでいく5作目で初めて、全編通して鑑賞に堪える面白味を備えた映画作品として仕上がっていると思った。  主人公が両親の敵であり最大の敵であるラスボスに立ち向かっていこうとする様は描いた今作では、そのための礎となる自分自身の確固たる”居場所”と共に闘う“仲間”を見出していく。 そのくだりは極めてベタでストーリー展開として目新しさはないが、シリーズ4作目までの時に回りくどいほどの長い長い物語が伏線となり、ベタさを”王道的”とも言い換えられる説得力を備えていると思う。  世界的人気シリーズの面白味にようやく気づいた反面、やはりこのシリーズは”お子様向け”だと改めて思う。 それは、自分自身がきっちりと“お子様”の頃に、第1作目「賢者の石」を観て、自身の成長と共に各作品を観ていけていたなら、どの作品に対してもその時々に応じた面白味を感じることが出来たであろうと思うからだ。 
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2011-01-05 13:49:09)(良:1票)
111.  ハリー・ポッターと炎のゴブレット
シリーズ第四作目。それが児童文学である原作そのものの売りなのかもしれないけれど、魔法学校生活の中の”たわいもない”シーンが、まどろっこしくて眠気を誘う。 プロダクションが巨費を投じるイベント映画でもあるだろうから、これでもかと様々な要素を盛り込んで尺が長くなってしまうことも仕方がないのかもしれないが、特別にファンでない者からすれば、「もっとコンパクトにしてくれよ」と正直感じてしまう。(まあ、じゃあ観るなということになるだろうけれど……)  今作では、三大魔法学校の対抗戦という、この手の物語にはよくありそうな“つなぎ”の要素がメインに描かれるため、真に迫った緊張感が無いまま、映画が展開していく。 「これは前作に比べて、ずいぶんと“子供向け”の要素がぶり返してきているな~」と眠気に耐えながら、というか途中で睡眠を挟みながら、ようやくクライマックスを迎え、そこで映画のテンションは一転した。  “ラスボス”であろうヴォルデモード卿がついに復活し、いきなりハリー・ポッターと対峙する。 公開中の最新作の予告編で登場しているこの悪役の造詣を見て、その派手さの無い”気味悪さ”がいやに印象強く残っていた。 そして、今作のクライマックスでの登場シーンはせいぜい十数分程度だが、映画の雰囲気を一変する抜群の存在感を放っていた。エンドロールで初めて知ったのだが、演じているのがレイフ・ファインズだと知って、即座に納得した。  ストーリー自体にも明確な「死」が描かれるなどしており、「ハリー・ポッター」の物語全体が終幕に向けて転じていく様には興味を掻き立てられた。
[ブルーレイ(吹替)] 6点(2011-01-04 16:24:17)
112.  ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
2002年の「秘密の部屋」以来、実に8年ぶりに「ハリー・ポッター」の続編を観た。別に公開されている最終作を映画館に観に行こうと考えているわけでもなく、ただ正月の気まぐれだ。  第二作目までを観て、この作品がどう転んでも“お子様向け”であることを見せつけられたことが、8年間見向きもしてこなかった理由だった。 このシリーズ3作品目も、トータル的に見れば“お子様向け”であることは否めないし、児童文学の映画化である以上、そのことが悪いと評する理由はないと思う。  ただ、前2作品に比べると、監督が変わったこともあり、ダークな映像世界には雰囲気があったと思う。 まあゲイリー・オールドマンを副題にもなっている囚人役で登場させておいて、ベタベタなクリスマス映画に仕上げる方が逆に難しいかもしれないが。  こうなれば公開を控えている最終作も含めて、何とか今年中にシリーズ全作品観てみようとは思っている。
[ブルーレイ(字幕)] 5点(2011-01-03 20:21:20)
113.  オスロ国際空港/ダブル・ハイジャック
例によって往年のハリウッド映画に対する邦題のつけ方には、腑に落ちないものが多い。 原題は「The Terrorists」。大使を人質にとったテロリストが政府にテロリスト犯の釈放を要求し、軍人のショーン・コネリーがそれに対峙する。  「オスロ国際空港」まではまだいい。問題は副題。“ダブル・ハイジャック”って一体何のことを示しているのか?  大使館を占拠するテログループと、彼らを逃がすために仲間が企てた民間機の占拠という二場面構成でストーリーは展開していくが、だからと言って”ダブル~”というのは、大いに焦点がズレているように思う。  映画自体は、決して仰々しくない渋い展開が、ショーン・コネリーの渋さと相まって、いい雰囲気を醸し出す。 ただクライマックスの顛末があまりに力弱く、少々ぐだぐだな感じで事件が収拾してしまい、爽快感がまるでない。  オスロの凍てつく空気感と同様に、段々と寒々しさが増してくる映画だった。
[DVD(字幕)] 5点(2010-11-21 21:18:53)
114.  チャーリー
”チャーリー・チャップリン”、この固有名詞はもはや全世界の映画史に残る一つのアイコンであろう。 「波瀾万丈」という言葉がふさわしい彼の喜劇人、そして映画人としての長い人生を、ひとつの「映画」として表現する試みは、「必然」であったと同時に、物凄く高いハードルだったと思う。 145分間のこの映画で、チャップリンという男の人生の本質をくまなく描き切れているとは思わないし、それは到底無理な話だ。  ただ、想像以上に「面白い」映画だった。深夜0時過ぎに鑑賞を始めたが、まったく眠気を覚えなかったほどに。  その“面白味”の大部分は、ロバート・ダウニー・Jr.のパフォーマンスに尽きる。 チャップリンの人生を映画化するハードルの高さは、即ちチャップリンを演じる俳優に与えられる試練の大きさだろう。まともな俳優であれば、その仕事の困難さに尻込みしてしまうはずだと思う。  が、ロバート・ダウニー・Jr.という俳優は、イロイロな意味で、まともではない。  舞台コメディアンとして仕事を始めた10代から、スイスで晩年を迎えた80代まで、チャーリー・チャップリンという男の人生の様を見事に“体現”していた。  冒頭、白塗りのメイクを落としていくチャップリン、その瞳には吸い込まれるような闇が垣間見える。 そこには、世界一有名な喜劇王が抱え続けた“孤独”と“虚無”が描きつけられている。  伝記映画としてその展開にはやや野暮ったい部分もある。アンソニー・ホプキンスが、珍しくあまり個性の無い編集者役で登場するチャップリンの晩年シーンなどは、何度も挟み込む必要は無かったように思う。 それでも、ダン・エイクロイド、ケヴィン・クライン、ダイアン・レインら実力俳優に加え、若く瑞々しいミラ・ジョヴォヴィッチも脇に配し、キャスティング的にも映画ファンとして非常に楽しめる。  チャーリー・チャップリンの人生を描くということは、即ち往年のハリウッドの舞台裏と、当時のアメリカ社会の“闇”描くということでもあった。そういう意味で、この映画はとても多面的な面白さを備えている。  そして何よりも、この映画を観ると、本物の“チャップリン”が観たくなる。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2010-11-07 11:26:05)(良:1票)
115.  アガサ・クリスティー ミス・マープル3 復讐の女神<TVM> 《ネタバレ》 
ミステリーにおける“探偵”は、物語の真相を解き明かす先導者であり、同時に犯人を奈落の底に突き落とす”死神”でもあると思う。 謎の解明は即ち、殺人者に対する処刑宣告であり、その様は時に無慈悲で恐ろしい。  そういったミステリーの主人公の“正義漢”と表裏一体の“恐ろしさ”を、今作のミス・マープルからは如実に感じられた。まさに「復讐の女神」という主題にふさわしい。  古き友人の遺言に導かれるようにミステリーツアーに参加するミス・マープル。そこに集まるわけありの人物たち。 アガサ・クリスティー作品の大定番と言える舞台設定の中で、殺人が起こり、過ぎ去った殺人事件の真相が導き出される。 展開は極めて王道的だが、冒頭から感じられる禍々しさがストーリーの全編に溢れ、緊張感を増幅させる。  多くのミステリー作品で見られる顛末と同じく、真相を暴かれた殺人者は自ら命を絶つ。 その定番の展開を見る度に、みすみす死なすなよと思ってきたけれど、もはやそれはミステリーそのものの定石であり、避けられるものではないのだと感じてきた。  ミステリーにおいて、真相を解明する者は、同時に死刑宣告者であり、すべての主人公はその宿命を負っているのだ。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-10-20 14:38:27)
116.  名探偵ポワロ 鳩のなかの猫<TVM>
「最も原作に近いポワロ」と評される英国人俳優デヴィッド・スーシェが、エルキュール・ポワロを演じるテレビ映画。こういうレベルの高いテレビ映画をきちんと放映するNHKは、色々問題はあるのだろうが、流石だと思う。  名門女学園内で起こった殺人事件という設定を見て、「古畑任三郎」でも同じような話があったなーと思ったが、もちろんヒントを得たのは三谷幸喜だ。  女だらけの女学園で巻き起こる連続殺人において、容疑者も被害者もすべて勤務する女教師たちという設定が先ず面白い。 それぞれくせがあり、何やら秘密を抱えている女教師たちの人間模様を描いた序盤を観ているだけで、まだ殺人なんて起こっていないにも関わらず、ぞくぞくと恐ろしさを感じた。  ミステリーは、某国のクーデターまでを含みつつ意外な程に膨らんでいく。 ただそれが決してあざとく展開するわけではなく、あくまで学園内の人間関係をベースに、一つの殺人事件としてまとまっていく描写に、原作の上質さを垣間みた気がする。 
[CS・衛星(吹替)] 6点(2010-10-15 20:46:26)(良:1票)
117.  名探偵ポワロ マギンティ夫人は死んだ<TVM>
このひと月ほどの間で、「オリエント急行殺人事件」と「ナイル殺人事件」を続けて観た。 両作品とも、アガサ・クリスティが生み出した名探偵エルキュール・ポワロが登場するミステリー映画の秀作だった。  ただし、両作品共においてどうしても物足りない点があった。 それは、ポワロの存在感が“薄い”と感じたことだ。  「オリエント急行殺人事件」も「ナイル殺人事件」も原作はアガサ・クリスティのエルキュール・ポワロシリーズの代表作なのだろうと思う。 それだけ描かれる事件の内容には深い面白味があり、だからこそ映画化もされたのだろう。  ただ「事件」そのものがあまりに魅力に溢れている分、その場に居合わせた”名探偵”に魅力が感じられなかった。 “名探偵”は、起こってしまった事件の顛末を追うための”狂言回し”的な印象が強かった。  そして、二つの映画作品の“ポワロ”に魅力を感じられなかった最大の理由は、彼を演じる俳優がデヴィッド・スーシェでは無かったことだ。映画作品でポワロを演じたアルバート・フィニー、ピーター・ユスティノフという2人の名優の演技が悪かったというわけでは決してない。  が、テレビシリーズで「名探偵ポワロ」シリーズを見慣れていた者にとっては、英国人俳優デヴィッド・スーシェの演じるポワロこそがエルキュール・ポワロであり、更に言えば日本語吹替え版を担当し続けている熊倉一雄の声で、事件を解き明かしていく様にこそ、安心感にも似た爽快感を得られるのだ。  と、大部分が映画作品の評になってしまったが、相当久しぶりに観たデヴィッド・スーシェ版ポワロのテレビ映画に大変満足したという話。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2010-10-15 20:45:07)
118.  アガサ・クリスティー ミス・マープル3 ゼロ時間へ<TVM>
「ゼロ時間へ」という意味深なタイトル、そして冒頭で語られる「殺人事件」に対する哲学的な言い回しに、より深い視点からのミステリーが繰り広げるのかもしれないと期待したけれど、実際は極めて定番なミステリーだったと思う。  ミス・マープルが珍しく積極的に事件周辺を嗅ぎ回り、ラストでは真犯人に対して高圧的な姿勢で対峙する様が印象的。 ただその反面、アガサ・クリスティー特有の人間模様には、それほど深みがなく、ドラマ性は薄く感じられた。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2010-10-15 11:02:22)(良:1票)
119.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 シタフォードの謎<TVM>
猛吹雪が吹き荒れる中、山里深い小さなホテルで、次期首相候補の男が殺される。  当然、その小さなホテルに集っていた何やら怪しげな宿泊客らが容疑者となり、  ミス・マープルは例によって自身は殆ど捜査活動に動かないまま、人づてに聞いた情報のみで事件の真相を解き明かしていく。  アガサ・クリスティーの同シリーズも4作品目なので、ミス・マープルの独特の捜査手法にも慣れ、「定番」の流れを安心して見られるようになった。  現在の人間模様と、過ぎ去った人間模様が絡み合い始めたとき、事件の真相が見えてくる。  殺される首相候補の政治家をティモシー・ダルトンという俳優が演じていて、どこかで見たことがあるおっさんだな~と思っていたら、かつて「007」でジェームズ・ボンドを演じた俳優だった。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2010-10-15 11:01:27)
120.  アガサ・クリスティー ミス・マープル2 動く指<TVM>
アガサ・クリスティー原作の人気シリーズ「ミス・マープル」。そのテレビ映画シリーズを今回初めて続けて鑑賞し、今作が3作品目。 ようやくこのシリーズの特徴として、“ミス・マープル”は決して主人公ではないということに気づいた。  様々な人間模様の中から渦巻く謎と殺人事件。その「真相」を導き出すのは、“第三者”である謎解き好きの老婦人ではなく、その人間模様の中にどっぷりと息づく当事者であることが多いようだ。  一般的な名探偵ものとは一線を画し、名探偵役のミス・マープルは、節々で観察眼の鋭さを見せるものの、その立ち位置は、我々「鑑賞者」の目線に近い。 そのかわりに、物語の中で描かれる人間関係に密接な人物が事件を解いていくことで、よりドラマ性が深化し、ただのミステリーに留まらない情感を生み出していると思った。  イングランドの田舎町で出回る怪文書を軸に、閉鎖的環境ならではの人間関係の“ひずみ”とそれに伴う“殺人”を巧みに描き出した今作も、その例に漏れず、繊細な人間ドラマと上質なミステリーを同時に味わわせてくれる。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2010-10-15 11:00:16)
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