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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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101.  トゥモロー・ワールド
或る深夜。寝室から愛娘の泣き声が聞こえる。夜毎の夜泣きは楽ではないが、それは彼女が“生きている”ということの一つの「証明」のようにも思えて、とても安心する。 自分に子供が生まれ、明確な「恐怖」として感じるようになったことがある。 それは、幼い命が育たないということに対する恐怖だ。 日々のニュースの中では、毎日のように、何らかの理由であまりに短い“生”の時間を終えなければならなかった幼い命に関する事故や事件が伝えられる。 その度に、悲しみや憤りとともに、恐怖を感じる。  幼い生命が育たないということは、人類にとって、いや生物全体にとって、最大の恐怖なのだと思う。 このSF映画は、そういう人類という生物が直面するかもしれない絶対的な恐怖を壮絶に映し出している。  18年間、新生児が誕生していない近未来。 映画は、クライヴ・オーウェン演じる主人公が立ち寄ったコーヒーショップから出た直後に突如爆破されるシーンから始まる。 このファーストカットが驚くべきロングテイク(長回し)で映し出され、一気にこの映画の世界観の中に放り込まれた。  この映画ではとにかくロングテイクが多用されており、壮絶な襲撃や市街戦を描いたアクションシーンまでもが目を見まがう程の完璧なロングテイクで徹底的に描き出されている。 それにより観ている側は、この悲劇的な未来世界の中で問答無用に息づかせられ、荒涼とした世界の空気感と荒んだ人間たちの感情までもがひしひしと伝わってくる。  ストーリーの設定や展開は、よくある近未来世界を描いたその他の映画と変わりはない。 しかし、突き詰められた映像構造と、生命とそれが育つことの価値に対する真摯なスタンスにより、他にはないリアリティを生み出している。  一つの小さな生命を救うために数多くの生命が犠牲になっていくこと。それが何故正しいのか? この映画では何事においても明確な理由や答えは最後まで示されはしないが、現在の人類が今一度立ち返るべき根本的な価値観と在り方、それを考えるべき機会が示されていると思う。  幼い生命が育つという本来当たり前であるべき事象。それが成立するための条件が、「平和」ということだというのならば、やはりそれを願わずにはいられない。 「シャンティ シャンティ シャンティ」
[DVD(字幕)] 9点(2012-04-30 11:19:00)(良:2票)
102.  ブリッツ
雑多な映画だ。いや、はっきりと「雑」と言ってしまって良いだろう。  極めて粗暴ながら警察を「天職」だと言い切るジェイソン・ステイサム演じる主人公が、警察官ばかりを狙う連続殺人鬼を追う。 ストーリーとして、至極単純明快でありながら、実際どういう映画かと言われれば説明しづらい。 というか、説明なんて面倒だから、とりあず観て、文句なり賞賛なり勝手にのたまってくれと言いたくなる。  この何だか“掴みきれない”原因は、登場するキャラクターたちの言動とか生き方が、揃いも揃って場当たり的で計算しなさ過ぎていることだと思う。 正義も悪党も皆、ただただ己のやりたいように動いていくので、その言動に対する善悪の判断以前に、「え?それでいいの?」と戸惑いが先行してしまう。  そういう部分から端を発する映画全体に漂う“違和感”が、この映画のオリジナリティとも言え、最大の突っ込みどころであると同時に、最も面白い部分とも言える。  また荒っぽい主人公が正反対のゲイの上司と志を共有していく関係性や、狡猾なのかただのイカレ野郎なのか判別し難い殺人鬼など、それぞれの人間描写はなかなか個性的でユニークだった。  今や“アクション映画スター”という肩書きの世界的トップランナーであるジェイソン・ステイサムの最新作だけに、結構な大作なんだろうと鑑賞し始めたが、想像以上に英国内向けの限定的な作品だったと言える。  そのことが、肩すかしや戸惑いに繋がってしまうかどうかは微妙なところだが、たぶん多くの人の想定外に「変な映画」であることは間違いないと思う。
[DVD(字幕)] 6点(2012-04-30 10:49:51)
103.  アンノウン(2011) 《ネタバレ》 
殆ど予備知識無く鑑賞を始めたので、冒頭から滲み出ているサスペンスフルな空気感にすんなりと引き込まれ、二転三転する展開を堪能しながら最後まで楽しむことが出来たことは間違いない。 サスペンスアクションとして、サスペンスの緊張感とアクションの高揚感がバランス良く配置されており、鑑賞直後の満足感は当初の想定よりも随分と高かったと言える。  ただし、観賞後数分間でちょっと振り返ってみると、粗という粗がポロポロと出てきてしまうことは否めない。  よく考えると映画全編に渡って言えることだが、「実は一流の○○○」だったというには、そもそもの言動がずさん過ぎて陳腐だ。 まず目的のために徹底した偽りを謀るとはいえ、目的地への移動中に至るまでその偽りを貫く必要があるのだろうか。これは明らかに観客を欺くためだけの演出であり、人間描写上の必要性はないと思う。 そんでもって、空港のタクシー乗り場で最も重要な鞄を置き忘れるって、どんだけうっかり屋さんなんだという話だ。これも結局、ストーリーとしての一つの目的を設置するためだけの設定であり、極めて安直だ。 他にも、一流ならば乗り込んだ先の言語で世間話くらいは出来るようにしとけよ!とか、ふいの自動車事故とはいえ簡単に気を失い過ぎだろ!咄嗟に飛び降りるとかそれくらいしようよ!とか一流の組織のメンバーのくせいに素人の女の子にやられてどうすんだ!とかとか……、一度突っ込み出したら止まらなくなってきそうだが、とにかくよくよく考えると用意されていたオチに対して整合性が無さ過ぎる要素に溢れてしまっている。  ストーリーのアイデア自体は、オリジナリティが高いとは言い難いけれども充分に面白味に長けている。それが興味を最後まで持続させる最大の要因だとも思う。 しかし、このアイデアであれば、ラストの顛末でもっとどぎつく踏み込むことができたなら、数多の粗を振り切って余りある映画に仕上がっていたかもしれないなと思う。リーアム・ニーソンのクライマックスの表情は観る者を惑わせる緊張感が含まれていて良かったけれど……。  まあそこまで完璧なクオリティーを求めるべき類いの映画ではないと思うし、観ている間と観終わった瞬間に満足していたならそれで充分だと思う。  と同時に、画面から溢れ出る上質な色調と巧い俳優陣の演技によって、もの凄く質の高い映画に“見えるだけ”に、やはり残念に思う。
[DVD(字幕)] 6点(2012-04-15 19:19:23)(良:2票)
104.  ヒューゴの不思議な発明
映画の冒頭、主人公の少年を追ったカメラが縦横無尽に動き回りながら、パリの中心の巨大なターミナル内のめくるめくような舞台の“裏表”が映し出される。 この映像そのものが精密な機械仕掛けを表現しているようで、見ているだけで楽しく、「どうやって撮っているんだろう」とただただ惚れ惚れしてしまった。 「HUGO」というタイトルが映し出されるまでのその冒頭数分間の映像世界が、この映画の立ち位置と価値を如実に表していると思った。  その価値とは即ち、“夢を形にする”という「映画」が元来持ち続けた役割そのものだと思う。 この映画における最大の“映像的”な見せ場が、少年の夢だったという構成も、そのことを端的に表している要素だろう。  今年のアカデミー賞において本命争いを繰り広げた作品ではあるが、映画として“面白味”が大きいとは言えないと思う。 “子供向け”と言える程の娯楽性があるわけでもなければ、“大人向け”と言える程のドラマ性や人間描写の深みがあるわけでもない。 時に過剰に思える程に懐古主義的だし、その割に核となるテーマの描かれ方は中途半端に思えた。  ただし、世界中の多くの人たちと同様に映画が好きで好きでたまらない以上、僕にこの映画を無下に否定することなんてできるわけがなく、結局愛おしく思わずにはいられない。   この映画は、描かれる人物の物語をスクリーンに対して客観的に観て同調し感動するものではないのだと思う。 冒頭のシーンに誘われるままに、主人公の少年と共にあのターミナルの場所に立ち、彼らとともにこの映画の世界に存在するべき映画なのだと思った。  つまりは、結果的に面白く思おうが思わなかろうが、映画館の大スクリーンで観なければ意味がない映画で、全編に渡ってその効果があることが疑わしくとも、3Dで"体感”すべき映画だったのだろう。 この映画の存在を知った時から懐疑的だったマーティン・スコセッシが3Dで映画を撮らなければならなかった意味がようやく分かった気がする。  映画の内容にそぐわない邦題には、毎度のことながらほとほと呆れる。 ただこの映画が、「映画」という世にも不思議な発明を描いた作品であることは間違いなく、「面白い!」とは決して断言できないけれど、映画ファンとしては可愛らしくて思えて仕方なく、愛着を持たずにはいられない。 そういう不思議な映画だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2012-03-18 19:37:08)(良:1票)
105.  シャーロック・ホームズ(2009)
“シャーロック・ホームズ”の今更の映画化、しかも監督は、ガイ・リッチー。 正直、「なんだそりゃ」と、イメージのアンバランスさに戸惑ってしまった。 更に、主人公“シャーロック・ホームズ”を演じるのは、ハリウッドきっての問題児、ロバート・ダウニーJr.。 流石に“悪ノリ”し過ぎなんじゃないかと一抹の不安を保ちつつ、鑑賞に至る。  予想通り、“悪ノリ”し過ぎている。が、問答無用に”面白い”。  コナン・ドイルの世界的古典「シャーロック・ホームズ」と、ブリティッシュ・ギャング映画を得意とするガイ・リッチーのまさかの融合。 そこに生まれたのは、奇跡的なエンターテイメントだった。  “英国紳士”という世界的なイメージが定着しているシャーロック・ホームズというキャラクターを、180度転じた無頼漢に仕立て直した試みが、何と言っても面白い。 しかも、そこにロバート・ダウニーJr.を配した潔い抜群のキャスティングに脱帽だ。  実は今年に入って、ロバート・ダウニーJr.主演の「アイアンマン」を観たばかりで、立て続けて新たな造詣の”ヒーロー”を演じる彼の姿を見て、自らの”過ち”を糧にして新境地を切り開いた役者魂を感じずにはいられない。  混沌とする現代社会は、汚れのない真っ当なヒーローなんて真実味がなくて魅力を感じないのだと思う。 不潔でだらしなくて、多少強引に「正義」を貫く新たなヒーローの姿に、共感し喝采を送る時代なのだ。  ただし、「アイアンマン」と並び、これでヒーローシリーズの主役を張り続けるしかないロバート・ダウニーJr.には、ぐれぐれも真っ当に俳優業を続けてほしいものだ。
[映画館(字幕)] 8点(2012-03-17 16:45:52)
106.  ゴーストライター
ロマン・ポランスキー監督の“巨匠ぶり”に改めて感じ入ることができる映画であることは間違いない。が、敢えて今回は主演のユアン・マクレガーに言及したい。  意味の捉え方次第で善し悪しは変わってくるが、ユアン・マクレガーはスター俳優としては珍しいくらいに存在感が“軽い”。 あれほど特徴のある顔立ちをしていながら、どんな役柄においても必要以上の存在感を示さない。だから、どれほどの大バジェット映画の人気キャラクターを演じようとも、そのイメージが俳優としての彼自身に固執されず、どんな映画のどんな役柄で登場しても観客は一旦フラットな状態で彼の立ち振る舞いを追うことが出来るのだと思う。 だからこそ、映画の規模と演じるキャラクターの性質に関わらず、とりあえずフィットしてみせることが出来るのだと思う。  そんな特異な性質を持ったスター俳優にとって、今作の役所は特にハマリ役と言っていい。 “ゴーストライター”を生業とする主人公が、英国元首相の自叙伝の執筆に携わることから始まる“巻き込まれ型ミステリー”。 まず印象的なのは、主人公には役名が無いということだ。明確に実在する平凡なキャラクターとして登場するにも関わらず、名前がことごとく紹介されない。ある部分では明確に省かれ、ある部分では主人公自身がはぐらかし、ある部分では名前を覚えてもらっていないという設定で済まされる。  目の前の謎を盲目的に追い求めていく主人公の行動を中心に物語は進んでいくが、しばらくすると、名前が明示されないことも含め、彼のキャラクターがとても軽薄なものとして意識的に描かれていることが分かる。 巨匠が描き出す上質なミステリー調子の中で、徐々にストーリー以上に主人公の男の“存在性”そのものが静かに際立ってくる。  そうして導き出されるあまりに印象的で巧いラスト。 物語自体の衝撃や驚きだけに頼らず、卓越した映画術の巧さと、キャスティングの妙で紡ぎ出した洗練されたサスペンス映画の世界を堪能出来た。
[DVD(字幕)] 7点(2012-02-22 00:03:39)(良:1票)
107.  ドラゴン・タトゥーの女
決して「駄作」だとは思わない。しかし「傑作」と呼称するには明らかに何かが足りない。流れ始めたエンドロールを見据えながらそういう印象を覚えずにいられなかった。  まず期待に及ばなかったのは、ストーリーの顛末だ。 イントロダクションの段階では、斬新なミステリー展開を期待したが、実際繰り広げられたミステリーは想定外に古典的だった。そのありふれたプロットに、拍子抜けしてしまったことは否めない。 そして、仰々しくミステリーの風呂敷を広げた割には、明かされた「真相」は“ありきたり”の範疇を出ず、驚きに欠けていたと思う。  また、主人公二人を始めとするキャラクター描写にも物足りなさを感じた。 ダニエル・クレイグとルーニー・マーラの主人公コンビが醸し出す雰囲気は非常に良く、滲み出る二人の空気感だけで、言葉にならない期待感が膨らんだと言っても過言ではない。 彼らはとても“頑張っていた”と思う。ただそれが、そのまま「もの凄く良い演技」という印象には直結しなかった。 それはやはり、人間描写そのものの薄さにあると思う。彼らのバックボーンを含めた人物描写が希薄なので、行動原理に理解が及ばず、すんなりと感情移入出来なかったことが致命的だったと思う。 特にルーニー・マーラ演じるリスベットというキャラクターは、その風貌から言動まですべてがエキセントリックで印象的だったけれど、彼女が現在に至る経緯や成長過程があまりに明確にされないので、人間味を感じることが出来なかった。 ルーニー・マーラは、見事な役づくりとそれに伴うパフォーマンスを見せたと思うが、そういう人物描写の薄さからキャラクターとして「好き」になるには至らず、単なるエキセントリックガールに映ってしまったことは残念だ。  監督の卓越した映画術によって、全編通してしっかりと作られていることは分かる。しかし、何かしらの「特別感」がこの映画からは伝わってこなかった。  今作は三部作の原作の第一章であり、映画としても三部作構成で企画されている。今作で乗り切れなかった分、続編での挽回に期待したい。  それにしても、あの“モザイク”は無い。「20年前のAVかよ」と思わず突っ込みを入れたくなり、大いに興が冷めてしまった。無名女優が己の未来を切り開こうと、体を張って熱い演技を見せているのだから、そのあたりをちゃんと汲んだ映像処理をしてほしい……。
[映画館(字幕)] 5点(2012-02-14 11:17:53)(良:1票)
108.  ハンナ
まるで拷問器具のように見えるデンタルケアセットを几帳面に並べ、自らの歯間を血が出るほど磨き続けるCIAエージェント役のケイト・ブランシェットが怖い。 “追跡者”として珍しく悪役を演じる彼女のキャラクターはとても印象的で、劇中でも表現されるが「魔女」という比喩があまりに相応しい役所だった。   赤子の頃から凍てつく森の奥に閉じ込められ、ひたすらに殺人の術を叩き込まれてきた少女。彼女の存在の“解放”と、秘められた謎を追うストーリーは、正直ありきたりと言える。 ただ、ただモチーフとして用いられている「グリム童話」が示すように、映画世界そのものがある種の“寓話”として描かれており、垣間見える非現実感が独特の世界観を構築していたとは思う。 冒頭からどこか達観した主人公の少女のたたずまいや、概念的な台詞回しに引き込まれたことは間違いない。  そこに何かしらの“含み”を持った曲のあるキャラクターたちが息づき、印象的な世界観をさらに深めていったと思う。 また画面には、常に今この瞬間に凶弾が襲ってくるかもしれないという緊張感が溢れ、上質なサスペンススリラーが映し出されていた。  しかし、最終的には物足りなさが先行したままエンドクレジットが流れ始めてしまった。  結局、寓話的な曖昧さが全体を包み込んでしまい、ストーリーに説得力が無かった。 キャラクターそれぞれに魅力的な存在感は備わっていたが、彼らが抱える過去の葛藤や人間性の描写が中途半端なままで、つまるところ何がしたかったのかが伝わってこない。  ジェイソン・フレミングが父親役で登場する家族との交流も、何だか中途半端で、捕らえられた家族があの後どうなってしまったのかとても気になって仕方が無い。 そういったあらゆる部分での人間描写があまりに中途半端過ぎたと思う。  「心臓外しちゃった」という主人公の台詞を、オープニングとエンディングで絡ませた演出は格好良かったけれど、ストーリー自体に今ひとつ中身がないので、「結局、ソレやりたかっただけじゃね?」と本来生じて欲しかったカタルシスを感じられなかった。  あとほんの少し脚本に小気味良い工夫があれば、圧倒的に素晴らしいアクション映画になっていた可能性は大いにあるだけに、とても勿体ない。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-02-05 09:32:13)
109.  ショーン・オブ・ザ・デッド
エスプリの効いた思わずニヤリとしてしまうラストシーンを観て、「ゾンビ映画」は、詰まるところ“コメディ”なんだなと思い知った。  それは、この映画において、ゾンビ映画における定番的展開が、ほんの少しタイミングや視点を変えただけで可笑しさを連発させることに如実に表れている。 この根底に潜む“可笑しさ”を含めた娯楽性が、ゾンビ映画が世界中で愛される要因なのだろうと思った。  故に今作はゾンビ映画が苦手な者でも充分に楽しめる映画だと思うが、ゾンビ映画が好きな人ならもっと余計に楽しめる映画だと至極当たり前のことを思った。   そして、この映画がただ愉快なコメディ映画で終わっていないのは、映画の面白さが必ずしもゾンビ映画のパロディ的な部分のみによって構築されていないことだ。 ゾンビに汚染される前の日常風景のあちらこちらにもゾンビ映画的な“雰囲気”が表現されているように、普遍的な人間社会そのものに、実はゾンビが蔓延る世界以上の禍々しさが溢れているということをこの映画は伝えてくる。    駄目男の主人公は、突如として放り込まれたゾンビとの死闘を経て、大切な人を失い、同時に何か大切なものを得る……ように描かれる。 しかし、実際は行き着く生活に結局大差は無いというラストには、爽快感や痛快感と共に絶妙なブラックユーモアが溢れている。   “表裏”両面の笑いが散りばめられ、感動もあれば、それらを包括する哲学性すら感じる。色々な観点から楽しみがいのある素晴らしいコメディ映画だ。
[DVD(字幕)] 8点(2012-02-02 23:50:18)(良:1票)
110.  その土曜日、7時58分 《ネタバレ》 
「その土曜日、7時58分」この邦題も嫌いではないけれど、原題「Before the Devil Knows You're Dead」は、「悪魔があなたの死に気付く前に天国にあらんことを」というアイルランドの諺を引用しているらしい。 人生においてもはや“死に体”となった主人公を始めとする登場人物たちの様を如実に表したタイトルだと思う。  後戻りできない悪循環にはまった人生を好転させるため、“或る犯罪”を企てる兄弟。容易に思われた計画は思わぬ形で頓挫し、更に最悪な悪循環にはまっていく。 ドラマとして素晴らしい点は、描かれる「悲劇」が、必ずしもその犯罪に端を発しているわけではなく、主人公の兄弟をはじめとする彼らの家族が、そもそも孕んでいた屈折した関係性から生じているということ。  この家族は、決して心の底からお互いを憎んでいたわけではないけれど、長い年月の中で少しずつ鬱積し増幅した軋轢やコンプレックスが、後戻りできない悲劇を生んでしまった。 「家族」という最も身近で、最も微妙な人間関係を主軸に据えたサスペンスが、鈍く光る鋭利な刃物のようにゆっくりとそして確実に突き刺さってくるようだった。  ただでさえ深い面白味をもったストーリーを、時間軸をずらした構成で巧みに描き出し、サスペンスの緊張感と驚きを越えたその先に、濃密過ぎるほどの人間模様を映し出した演出は、まさに「巨匠」のそれだった。 長きに渡り、重厚な社会派ドラマを映画史に刻みつけてきたシドニー・ルメット、その遺作に相応しい映画だと思う。  ラスト、自らの手で悲劇の終止符を打たずにはいられなかった老いた父親が、一人光の中に消えていく。 その先に居たのは悪魔か天使か。その答えはあまりに分かりきっていて、悲し過ぎる。
[DVD(字幕)] 9点(2012-01-21 14:13:03)
111.  素晴らしき戦争
世に存在する「戦争映画」の全ては例外なく「反戦」を描いているだろう。 もちろんこの戦争映画もその例に漏れないが、これほどまでに高らかに「戦争」そのものを歌い上げ、それが巻き起こっている世界そのものを“テーマパーク”として表現しエンターテイメント化することで強烈に批判した映画は他になかろうと思う。  あたかもボードゲームに興じるように私利私欲を満たすために戦争を展開する上層部の人間たちの愚かさや、その駒のように盲目的に戦乱に巻き込まれ命果てていく民衆の虚しい様が、ミュージカルの中に盛り込まれその本質が露になってくる。 流行曲や賛美歌の替え歌の中で表現される「本音」の部分が、戦争におけるすべての愚かさをつまびらかにしていくようで印象的だった。  ある狙いを持ってのことだが、今作では第一次世界大戦の情勢が時に隠喩的に表現されるので、当時の世界情勢に詳しくない者にとっては正直分かり辛い部分も多く、退屈感に繋がってしまう要素も大いにある。 誰しもが映画として全編を通して楽しめる作品とは言えないが、明確で力強い「意思」をもって描き出された映画であることは間違いない。  監督のリチャード・アッテンボローは、今作が長編映画処女作らしいが、とてもじゃないが普通処女作で手にかけられる映画世界ではないだろうと、圧倒的な世界観に唖然とした。  ラストシーンでは、美しい緑の高原を文字通りに“埋め尽くす”無数の白い十字架の墓標が映し出される。 神々しいほどに静かで美しいシーンだけれど、そこにはこの映画でももっとも明確な“怒り”が表れていると思った。
[DVD(字幕)] 7点(2012-01-12 14:02:37)
112.  リトル・ランボーズ
“なにか”に触れ、自分のその先の人生をかけるくらいに熱狂する。それは、すべての“男の子”に与えられた「権利」だ。 その熱狂が、たとえ盲目的で何かしらの弊害を生んだとしても、熱狂したその瞬間こそが彼らにとっての「宝物」であり、生きていく中でその価値はきっと揺るがない。  生活環境が全く異なった11歳の少年二人が、「ランボー」で共鳴する。 主人公二人の共通項が詩人のアルチュール・ランボーのことであればひどく退屈な映画に思えるが、シルベスター・スタローンの「ランボー」であることが映画の面白さを引き立てる。  厳格な信仰の元で育ちあらゆる娯楽を禁じられた少年が、悪たれだが映画が好きな少年に引き込まれ、嗜好を爆発させていく様が愉快で解放感に溢れている。 個人的に、かつて映画製作を志していた時期があるので、少年たちが喜びを爆発させるように映画づくりに没頭する様を観ているだけで、この映画を否定することなどできなくなる。  少々意味不明な交換留学生のフランス人の存在感や、主人公たちそれぞれの境遇の中途半端さに対して、この映画が求める抑揚に乗り切れない部分もあった。 ただそういう難点を補ってあまりある“輝き”がある映画であることは間違いない。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-23 10:12:08)
113.  ファンタスティック Mr.FOX
こういうストップモーションアニメやクレイアニメを決して安直に子供に媚びるわけではなく、真っ当な大人も観られるコメディ映画に仕上げられることが、アメリカという国の多様性を最も分かりやすく表していると思う。 ジョージ・クルーニーやメリル・ストリープが声優としてメインを張るわけだから、その価値観が確立されていることは明らかで、“エンターテイメント”という要素でこの国にはやっぱり敵わないと思わずにはいられない。  映画は思ったよりも“真っすぐ”な親子の物語だった。 周囲への迷惑を顧みず功名心を貫き通してしまう父親と、彼に憧れ彼に認められていないことに傷つく息子の絆の物語。“人間”を完全な悪者に据えて、共闘する中で親子の絆を見出し深めていく。  ストーリーに特別な捻りがあるわけではないけれど、時に奇妙な動きを見せるストップモーションのキャラクターたちが総じて愛らしく、彼らの言動を観ているだけで充分な娯楽性は備わっていると言える。  楽しく、安心して観られて、子供の頃に観たなら、何度でも観たくなるだろうアニメ映画だったと思う。 そして、無性に“りんご酒”というものを飲んでみたくなる。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-19 15:10:51)
114.  ブローン・アパート 《ネタバレ》 
心の隙間を埋めるために入り込んでしまった情事の最中に、息子と夫をテロ事件により亡くした女。 彼女の喪失感と罪悪感を軸に隠された謎が暴かれるというイントロダクションだったが、実際に映し出された映画世界は随分と毛色が違っていたように思う。  真相を追うサスペンスはお飾り程度なもので、ストーリーの本質には関わってこない。 一人の女性の絶望と後悔を礎にして、たとえ無様で必ずしも道徳的でなかったとしても、愚かなテロ行為とそれに伴う悲劇から人間はしぶとく力強く立ち上がるのだ。ということをこの映画は描きたかったのだろうと思う。  サスペンスを期待した分、違和感は覚えたが、その切り口自体は興味深かったとは思う。 ただし、明らかに実際に起こったテロ事件からインスパイアされた印象は強く、主人公が“オサマ・ビンラディンへの手紙”という体で語るモノローグは少々あざとく感じた。  主人公の女性を演じたミシェル・ウィリアムズは美しく存在感のある演技を披露していたが、相手役のユアン・マクレガーはストーリー的にキャラクター性が薄く、別に彼を配役する必要はなかったように思えた。   誰しも、誰にも恥ずべきことなく真っ当に生きたいと思っている。 でも、なかなかそういうわけにもいかないことが多いのが人生だ。 その度に激しく後悔もするのだろうけれど、それでもしぶとく生きていくしかない。  映画自体の完成度や善し悪しはともかくとして、そういうことを感じた作品だった。
[DVD(字幕)] 5点(2011-10-07 17:20:41)
115.  ブラジルから来た少年
「2年半以内に、94人の65歳の男性を期日通りに殺害せよ」 と、ナチスの残党のマッドサイエンティストが命令する。 そこには壮大で恐るべき計画が秘密裏に進行しており、その陰謀を年老いたナチスハンターが追う。  非常に濃密な面白味を孕んだSF映画であり、サスペンス映画だったと思う。 余分に派手な演出を控えて、鈍く抑えた演出が殊更に見え隠れする恐怖とおぞましさを煽っている。  今でこそ“クローン”なんて題材は様々な作品で使い古されているけれど、1978年当時としてはとても前衛的で、ショッキングだったろうと思う。 今観ても、描かれる陰謀の真相が明らかになるシーンでは、身震いを覚える程の衝撃を感じたのだから、当時の観客にとっては尚更だったろう。 故に賛否両論も激しく、そのことが日本未公開の所以だったのかもしれない。  キャストにおいては、やはりグレゴリー・ペックの演技が圧倒的だった。 あらゆる名作で好漢を演じ続けてきた大スターが、よくもまあこれ程まで狂気的な科学者の役を引き受けたものだ、とまず思った。 そしてそのパフォーマンスは凄まじく、この俳優が本当にグレゴリー・ペックなのかと一瞬疑ってしまったほどだった。  原作の面白さに卓越した映画術が合致した完成度の高い「問題作」だと思う。  ラストシーン、残った“少年”の言葉と眼差しが、追い討ちをかけるようにおぞましい余韻を残す。 そう、94人分の可能性を携えて……。
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-23 02:21:52)
116.  127時間 《ネタバレ》 
映画を観終わり、映画館の外に出たとき、いつもと同じ風景が少し違って見えることがある。 歩く感触や呼吸の感覚までもが、映画を観る前と後では何か違うと感じる。 「映画を観る」ということは、人生における一つの“経験”であり、新たな経験を得たことで、自分自身の世界観に影響を及ぼす。 それが、良い映画を観れたことの最大の価値だと思う。  今日観た映画は、まさにその「価値」を与えてくれる作品だったと思う。  自身に対する少々過剰な自信から周囲の人間との関わりに執着してこなかった主人公。何もかもがウマくいくと信じて疑わなかった人生が一転、文字通りに奈落に落ち込んでいく。 突如としておとずれた人生の局面で、はじめて“自分”という人間を省みた主人公が辿り着いた心境。  この映画で描かれているものは、決して劇的なストーリーや人間模様ではない。 稀有な人生の局面に立たされた主人公に限らず、世界中のどの人間にとっても不可欠なことだったと思う。  人間として生きている自分自身の営みを客観視したとき、果たしてどれほどの人間が、その本質に揺らぎを覚えずにいられるか。 そういうことを、巧みな映画術でまっすぐに問いかけてくる。  題材自体はシンプルだ。冒険好きの男が絶体絶命の危機に陥り、奇蹟的に生還するという話だ。 重要なのは、その出来事自体に焦点を当てるのではなく、その危機の中で“生きる”人間の様々な感情を真っ正面から描き切っていることだ。 一つ間違えば極めて単調になってしまう映画世界を、監督は最高の映画術でつむぎ出し、主演俳優はその中で見事に息づいてみせた。   命を削り、大変な損失をして、「最悪」から抜け出した主人公が口にした言葉は、「Thank you…」という一言だった。  自分に巻き起こった全てのことが、自分に与えられるべき運命であったということを認め、ただひたすらに生き抜いた人間の脆さと強さに感動した。
[映画館(字幕)] 9点(2011-09-04 22:48:40)(良:3票)
117.  ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2
今年の年始にほとんど気まぐれで「ハリー・ポッター」シリーズの観ていなかった第3作から第6作を一気に観てしまい、その流れで最終作のパート1もDVDのレンタルが開始されるなり直ぐさま鑑賞した。 やっぱり、「好きな映画」とは言い難い映画シリーズだったけれど、これだけ作品を連ねるとそれなりに映画の世界観は深まってきたので、最終作パート2は同シリーズで初めて映画館で観てみようと考えていた。  おおかたの想定通りの大団円をつつがなく観終わり、世界的に人気シリーズのラストを観られたことに対する映画ファンとしての満足感を覚えつつ、「やっぱり好きな映画ではないな」という印象を改めて自分の中に認めた。  もうここまでシリーズ作が連なってしまえば、この映画に対する評価は、ファンか、ファンではないかということでそのまま二分化されるのだろうと思う。 映画として相対的に良いのか悪いのかなんてことは、もはやどうでもいいことなのだろうと思う。  そういう価値観を認めつつ、敢えてこの映画のファンでない者として言わせてもらうならば、もっと面白く見せる方法はいくらでもあるように思えてならない。  映画作品としては8作目にのぼり、魔法使いの世界観とキャラクター性は必然的に深まっている。 当然ながらこの最終作では、敵味方含めそれぞれのキャラクターの“顛末”が描かれる。 その描き方が極めて軽薄で盛り上がらない。 彼らそれぞれの生き様と死に様を、ベタに盛り上げて描くだけで、少なくともこの最終作のエンターテイメント性は“ファンでない者”をも引き込めるものになったと思う。  特に残念という気持ちもないが、勿体ないなあとは思った。
[映画館(字幕)] 6点(2011-08-30 16:27:43)(良:1票)
118.  ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1
世界的大人気のファンタジー大作シリーズも遂に最終章のPART1。 ここにきての、前編・後編に分けた映画化には露骨な商業主義を感じずにはいられないが、これほどまでに世界中で“売れる”コンテンツになってくると、それも致し方ないことだろうと逆に納得ができる。  今年(2011年)に入ってから、未見だった第三作目以降を立て続けに観て、各作品の面白さとつまらなさを随所に感じつつ、ここまでくるとラストが気になってくることは否めない状態になっていた。  最終章の前編だけあって、物語の核心に迫っていく中でシリアス度は高まっている。が、一方でファンタジー映画としての娯楽性はあまりに乏しかったと言える。 大盛り上がりを用意しているであろう「後編」への布石であることは理解出来るが、それでも一つの映画として公開している以上は、それなりの興奮を与えてほしいところだ。  シリアスな展開の中で、娯楽性を補うドラマ性が高まれば良かったのだが、主人公をはじめとするキャラクターたちの“苦悩”は、これまでのシリーズの中で繰り返されてきた要素が強く、感情移入出来る深みが無かった。「今更そんなことで悩むな」と、少々あきれてしまった。  ストーリー的にも、画的にも、今ひとつ“新しさ”がなかったことが、インパクトが薄れた最たる要因だろう。  さて、今夏公開の最終作で一体どんな大団円を見せてくれるのか。ファンではない分、客観的な興味が高まる。
[DVD(字幕)] 5点(2011-05-04 01:07:00)(良:1票)
119.  キック・アス
数ヶ月前、某ニュースサイトのトピックスで、今作に主演した御年13歳の女優が注目の的に挙げらていた。 記事に掲載されていた本人画像を見て、「これ、ほんとに13歳か?」と、あまりに魅惑的な表情に唖然としてしまった。  それが、この映画の“スーパーヒロイン”を演じたクロエ・グレース・モレッツだ。  撮影当時は11歳の彼女が、放送禁止用語を連発しながら、悪党を次々に“虐殺”していく。 極端な娯楽映画であることは重々認識していながら、ほんとうに久しぶりに、「これは教育的によくない映画だなあ」心底思いながら、終止ほくそ笑み続けた映画だった。  アメコミのヒーロー映画は大好きで、散々観てきた。きっと、この映画の製作陣も、アメコミが大好きで、数多のヒーロー映画を心からリスペクトしているのだろうと思う。 そういうことを踏まえて、敢えて言いたい。  「サイコーに面白いヒーロー映画だ!」と。   冴えないオタク学生が、マスターベーション的ヒーローと成ることからストーリーは転じ始める。 実際、その“テイスト”だけでも充分にコメディ映画としては面白い。 “彼=キック・アス”を単独の主役として貫き通したとしても、娯楽映画として確実に評価に値する作品に仕上がっていたことだろう。  ただ、この映画が一筋縄ではいかないのは、前述の“11歳のスーパーヒロイン”の存在に他ならない。 主人公“キック・アス”の存在が、クロエ・モレッツが演じる”ヒット・ガール”と、ニコラス・ケイジ演じる“ビッグ・ダディ”のコンビを引き立たせるための“前フリ”となった時点で、映画は劇的に加速していく。    そして、最終的にはしっかりと“主人公”を活躍させてくれるという、分かりきった“くすぐり”が、問答無用にテンションを高揚させてくれて、深夜にも関わらず、馬鹿笑いが止まらなかった……。  「バットマン」をはじめとする“ヒーロー映画”のパロディに端を発している映画であることは間違いないが、その範疇をひょいっと越えた、唯一無二の娯楽性を携えたオリジナリティ溢れる“ヒーロー映画”の誕生だと思う。   P.S. そして、13歳の時に出演した「レオン」で一躍スターダムにのし上がったナタリー・ポートマンが、アカデミー賞主演女優賞を受賞したこのタイミングだからこそ、 クロエ・グレース・モレッツの、女優としての将来性には期待せずにはいられない。
[ブルーレイ(字幕)] 9点(2011-03-20 01:23:50)(良:1票)
120.  英国王のスピーチ
巡り巡ってきた望まぬ「王座」に対して、主人公の英国王が、妻にすがり泣く。  吃音症に悩む内気な王が、風変わりな聴覚士の指導と友情により、困難に立ち向かっていく様を描いた映画であるが、個人的なこの映画のハイライトは、このシーンをはじめとする、王とその妻の「夫婦愛」だったように思う。 自分自身に自信が持てない夫を、明るく、行動的に支える妻。その妻を心から愛する英国王の情愛が、具体的な表現で描かれるわけではないけれど、画面から溢れるように伝わってくきて、それで涙が溢れた。  吃音症のためまともにスピーチが出来ない英国王。その改善にあたった風変わりな言語聴覚士。内気な英国王を支える妻。 プロットは王道的であり、ベタだ。ただ、この三者の様を一流の俳優がとてもとても丁寧に演じ、その演技の様を監督がこれまた丁寧に切り取っている。  英国王を演じたコリン・ファースは、気弱だが確固たる責任感と使命感に立ち向かう王の様を、言葉を発する唇の端々まで丁寧に演じていた。 ジェフリー・ラッシュは、相変わらずの独特の存在感が役に合致し、まさに「名優」による「名演」だったと思う。 個人的に最も良かったのは、やはり英国王の妻を演じたヘレナ・ボナム=カーターで、“コルセット・クイーン”の呼称にふさわしく英国貴婦人のたたずまいをベースに敷きながらも、快活で夫への愛に溢れた王妃を好演していた。 この3人の名優の演技を、新鋭の監督が独特の構図で巧みに映し出したと思う。  派手さや驚きはないが、だからこそ映画としてのクオリティー高さが滲み出るように伝わってくる作品だったと思う。 アカデミー賞の「本命」の一つしてふさわしい、良い映画だ。
[映画館(字幕)] 9点(2011-02-27 10:27:24)(良:2票)
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