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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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61.  シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション
ふいにレコメンド表示された「シティーハンター」のこのフランス実写版を、半ばザッピング感覚で鑑賞し始めた。 ところが想像以上に原作漫画に対して忠実で、クオリティの高い“実写化”に少々驚いた。 単行本を全巻揃えていて、北条司のイラスト集も保有していたくらいの原作ファンとしても、遠いフランスでの愛ある実写化に多幸感を覚えたと言っていい。  「シティーハンター」の漫画世界が孕む唯一無二のハードボイルド性までが完璧に表現しきれていたとは言えないが、それ以外の多くの要素、コメディ性、アクション性、そしてセクシー描写と“下ネタ”は、きっちりと再現されていたと思う。 一つの映画作品として傑作と言えるような見応えがあったとは言わないけれど、「シティーハンター」の1エピソードの映像化としては充分に及第点のクオリティだったと思えるし、率直に「シティーハンター」らしい世界観だと思えた。  本作オリジナルのストーリー展開の肝となるある要素についても、主人公冴羽獠の特性をよく理解した上で、現代のフランスで描き出されるに相応しい新しいアイデアによる“危機”をユニークに描いていると思った。  一方、せっかくのフランス人キャストなので、冴羽獠と槇村香のビジュアルが、もっとマンガ的にスタイルの良い美男美女だったならば更に高揚感は高まったかもしれないなと、一寸思う……。 と、思いきや、どうやら主演俳優のフィリップ・ラショーなる人物が、監督と脚本も務めているようで、紛れもなく「シティーハンター」及び主人公・冴羽獠に対する愛を持って演じ、この映画世界をクリエイトしてくれたようだ。 映画全体のテイストがコメディに振り切っていたことを考えると、主人公以外も含めてキャスティングされたフランス人俳優たちはよく頑張ってくれていると思い直した。  そして、お決まりのエピローグ描写からのエンドクレジットで流れる「Get Wild」。重ね重ねオリジナルに対する「愛」に感謝。
[インターネット(字幕)] 7点(2022-11-19 22:50:59)
62.  ハンターキラー 潜航せよ
昔、ある高校の同級生に好きな映画のジャンルを聞くと、「原子力潜水艦モノ」とピンポイントな返答が返ってきた。こちらとしては、“アクション映画”だとか、“ホラー映画”だとかの大別したジャンルを聞いたつもりだったので、一笑に付してしまったが、今思い返してみると、とても潔く、的を射た返答だと思える。  詰まるところ、“原潜モノ”というジャンルに区分けされる映画には、一定の娯楽性が担保されていて、大ハズレが少ない。 1981年生まれの自分の世代だと、ショーン・コネリーの「レッド・オクトーバーを追え」を皮切りに、ジーン・ハックマン、デンゼル・ワシントン競演の「クリムゾン・タイド」、そしてキャスリン・ビグロー監督の「K-19」などの骨太なエンターテイメントを孕んだハリウッド映画の印象が強い。 どの作品も、それぞれの時代背景を踏まえて、必然的な閉鎖空間の中で、艦長をはじめとする乗組員たちが選択と決断を迫られる様がスリリングであると共に、決死の覚悟で任務遂行を果たそうとする姿に極上のドラマを感じられる。  潜水艦内という空間には、物理的にも、状況的にも、そもそも緊張感や緊迫感が付随していることに加え、極めて限られた空間描写で済むという点において製作費的な負担も少なくて済むので、映画との相性が良いのだろうとも思う。 ただ状況設定が限定的な分、映画として描き出せるストーリーとしても限られていることも事実。“ネタ切れ”のためハリウッドでは長らく大作映画が作られてこなかった。  そんな中で満を持してのハリウッド産原子力潜水艦映画に対しては、“原潜モノ”ファンでなくとも、高揚感を覚えずにはいられなかった。 そして主人公の艦長役にはジェラルド・バトラー!こりゃあ暑苦しいまでの男のドラマを見せてくれるに違いないと身構えて鑑賞に至った。  まず言いたいのは、「これはしっかりと良い原子力潜水艦映画だ」ということ。 前述の定義にもれず、久しぶりに観た“原潜モノ”はやはり映画娯楽との相性が良く、全編通して存分に楽しむことができた。  ただこの映画には“想定外”の要素がいくつかあり、その点もより一層映画としての娯楽性を高めていたと思う。  まずは、ジェラルド・バトラー演じる主人公が思ったよりも「冷静」で、ちゃんと優れた艦長だったということ。 主人公のそのキャラ設定が想定外だったというのがおかしな話だが、昨今の彼の主演映画での無頼漢ぶりを見るにつけ、今作においても原潜艦長であるのをいいことに、常軌を逸した豪胆さで危機を弾き返すのだろうと高を括っていた。 しかし、今作の主人公は極めて冷静で、我慢強く、圧倒的な精神力の強さで絶体絶命の危機を回避してみせる。 驚くことに、彼がこの映画の中で、明確な“暴力”を行使することは直接的にも間接的にも只の一度も無く、ひたすらに我慢と、対話を繰り返す。(そういえば冒頭のハンティングシーンでも彼は鹿を殺していない) そのキャラクター描写は、この映画が描き出す危機に対する姿勢として極めて真っ当であり、映画としての魅力にも直結していると思う。  そしてもう一つ想定外だったのは、陸上の潜入作戦を描く“特殊部隊モノ”の要素がどーんと並行して展開されるということ。 下手を打てば、完全な蛇足ともなり得たその陸上シーンだが、これまた娯楽性が存外に高く、嬉しい“大盛り”だったことは間違いない。  原潜映画に限らず、過去の様々なミリタリー映画の要素を盛り合わせていると言えなくは無く、「傑作」とは言えないかもしれないが、はっきり言ってこれだけのものを食らわせてくれれば申し分は無い。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2019-10-26 21:18:03)
63.  オンリー・ゴッド
いやあ、ひさしぶりに変ッな映画だった。 明らかに屈折した「何か」を抱えつつ、バンコクの暗黒街を牛耳る兄弟。 わけも分からぬまま、狂気に取り憑かれたように暴挙に出た兄が、問答無用の制裁により惨殺される。 兄への偏愛に狂う母親に命じられるままに、復讐に駆り出される弟。 と、プロットだけを見ても、その偏執さは漂ってくるけれど、この映画は観客のその想定をも暴力的に壊してくる。  主人公の精神そのものを投影するかの如く、冒頭から各シーンの描写が倒錯する。 これは現実か?幻想か?自分が今観ているものは何なのか?まるで分からなくなる。 羅列されるシーンの一つ一つにおいても、描かれ方が“どうかしている”。 過激な暴力描写は嫌悪感を覚えるほどに凄惨で遠慮がない。 だがその反面、すべてのシーンに美しさを感じ、ときに恍惚としてしまうことも否定できない。  暴力の螺旋と、それに伴う罪と罰。 奇妙な“神”の如き存在を目の当たりにして、血塗られた両の腕を遂に差し出す主人公。 彼が迎えたラストにあったのは、絶望か、救済か。 一説によると、公開版のラストシーンの後に、主人公とヒロインが仲睦まじく“暮らす”シーンの撮影もされたらしいから、やはり彼は“血”によって宿命づけられた地獄から抜け出せたのだろう。  ただし、いかんせんそんなことは、この映画だけをフツーに観ていただけではまるでわからない。  偏執的な支配は、神によるものか、それとも悪魔によるものか。 おぞましくも美しい狂気と暴力の錯綜と混沌。 いくらそれっぽい言葉を並べ立てようとも、無意味だ。 いやあ、やっぱりわっけわかんねえ。  安易な「理解」など諦めて、奇妙な神の如く、無表情のカラオケに興じるべきかもしれない。
[インターネット(字幕)] 7点(2017-07-18 22:35:55)
64.  シェルブールの雨傘
色鮮やかな色彩世界が、徐々に色を抜かれ、ついには雪と夜のモノトーンに終着する。 若者たちの、熱く燃え上がった恋はあっけなく霧散した。 彼らのことを愚かだとは思わない。ただ若かっただけ。 すっかり大人になれば、そりゃ2年なんて瞬く間に過ぎ去り、心変わりの隙なんて生まれないだろう。 けれど、すべてが初めての体験の連続である濃ゆい時間を生きる若者たちにとって、未体験の2年を推し量る術などない。 それは、時代も、国も、関係なく、普遍的な若者たちの姿だ。  全編を歌唱で綴る完全なるミュージカル構成がやはり印象的。 そして、画面を彩る色彩が、そのまま主人公たちの心模様を映し出す。 今年のアカデミー賞を席巻した「ラ・ラ・ランド」が、今作の影響を多分に受けていることは明らかだった。 映画史においての一つのエポックメイキングとなった作品であることは間違いないと思える。 大女優カトリーヌ・ドヌーヴを生み出した作品でもあることも、そのことに拍車をかけている。  時代を越えて、この映画の主人公の若者たちは、大人たちをやきもきさせてきたことだろう。 しかし、人生を「選択」することこそが、若者たちの特権だということも、大人たちは知っている。 だからこそ、限られた華やかさと美しさに彩られたこの映画を、人々は心の中で愛し続けるのだろうと思う。  結果的に、若者たちは不幸になったわけではない。むしろ逆だろう。 恋の未成就をさめざめとしたハッピーエンドとして描き出したこの恋愛映画の在り方は、公開当時、歌唱や色彩の演出以上に、センセーショナルだっただろうな、と思う。
[インターネット(字幕)] 7点(2017-05-05 21:00:57)(良:1票)
65.  バイオハザード: ザ・ファイナル
感無量。臆面なく言わせてもらうならば、満足度は高い。 と言うと、真っ当な映画ファンとしては「馬鹿じゃないか」と思われるだろうが、実際そうなのだから致し方ない。  勿論、この映画単体を指して、エンターテイメント大作の傑作などとはお世辞にも言えるわけがない。 しかし、1997年の「フィフス・エレメント」からの主演女優ミラ・ジョヴォヴィッチの大ファンで、彼女のスーパーヒロイン女優としてのポジションを確立した2001年の「バイオハザード」から今作に至るまでのシリーズ全6作を「映画館」で観た“感染者”として、やはり「感無量」という言葉を使わざるを得ない。  前述の通り、今シリーズにおいては、とうの昔に“感染者”に成り下がっており、最新作に対する真っ当な「期待」などはとっくに無くなっていた。 それでも結果として映画館に足を運び続けた理由の大半は、ゾンビよろしく排他的な「惰性」と、主演女優の美貌を拝んでおかないとという慢性的な「欲情」に占められていたと思う。 そんな感じで、「ああやっぱりイマイチだったな……」だとか、「ああやっぱりジョヴォヴィッチはエロいな……」などと思いつつ、ゾンビのようにフラフラと劇場を後にし続けた。 極めて退廃的である。金も時間も無いのだからもっと良い映画を観ろよと我ながら思う。 だがしかし、その“退廃感”を味わうことこそが、このシリーズを観ることの目的となり、カタルシスにすらなっているように感じていた。  そうして期待感など毛頭なく臨んだシリーズ最終作。 “感染者”ならではの斜めからの視点、そして粘り強く観続けてきたファンとしての贔屓目は大いにあったろう。 「傑作」とは言わない。「佳作」とも言い切ることはできない。ただ、「良かった」と断言したい。  もはやシリーズ通じてのストーリーの整合性などは、端から無いものと高をくくっていたのだが、シリーズ最終作にして、ちゃんとストーリーの収拾をしてくれたと思う。 特に「Ⅲ」以降の迷走ぶりが甚だしかったアンブレラ社の陰謀の真意だったり、ずうっと曖昧で荒唐無稽だった主人公アリスの存在性とその意味が、曲がりなりにも明らかにされたことには、長年の胸のつっかえが取り除かれたようで、快感を覚えた。 当然ながら全く粗がないなんてことは言えるわけもないが、それでも破綻しまくっていた過去作を含んだストーリーの整合性を、ギリギリのところで再構築してみせたのではないかと思える。  また過去作に登場したアンデッドたちを再登場させたり、第一作の舞台となったアンブレラ社の地下研究所“ハイブ”を決着の場として設定するなど、シリーズファンに対してのサービスも嬉しかった。 そして、主人公アリスと共に、長年に渡りシリーズを支え続けた二人の悪役の最期も、非常に印象深かった。 特にアルバート・ウェスカーのラストの情けなさは、一会社員として無性に胸に迫るものがあった。 アイザックス博士の狂科学者と狂信者をミックスさせたラスボスぶりも、その始末のつけられ方も含めて良かったと思う。   と、概ね大満足に近いシリーズ最終作だったが、一つ大きすぎるマイナス要因がある。 それは過去作それぞれの優劣を決める最大のポイントともなっていた要素、即ち“エロティシズム”の有無だ。 第一作「バイオハザード」が成功した最大の要因は、勿論ミラ・ジョヴォヴィッチというスター性に溢れた女優がキャスティングされたことに尽きると思うが、それと同時に、主演女優によるエロティシズムが映画全編を通して全開だったことがあまりに大きい。 「バイオハザード」は、主人公アリスの“半裸”で始まり、魅惑的なコスチュームでアクションを繰り広げ、そして再び“半裸”で終幕したからこそ、唯一無二の娯楽大作として存在し得たのだと思っている。  ミラ・ジョヴォヴィッチが、撮影期間中に妊娠したことも多分に影響しているのだろうし、致し方ないことではあるのかもしれないが、今作において主人公アリスのセクシーカットが皆無だったことは、今シリーズ作に無くてはならない“エンターテイメント”の大いなる欠損だったと思う。 まあこれについては、何を隠そう今作の監督であるポール・W・S・アンダーソン自身が、ミラ・ジョヴォヴィッチの夫なわけだから、憤慨と嫉妬を込めて「ちゃんとしろよ……」と言いたい。  せめて、半裸とは言わないまでも、再び赤いドレスを身に纏ったアリスがコウモリのお化けと対峙するラストシーンで締められていたならば、この満足感は一気に振り切れたかもしれない。
[映画館(字幕)] 7点(2017-01-18 09:27:54)
66.  フライト・ゲーム 《ネタバレ》 
冒頭、主人公がウイスキーを紙コップに注ぎ歯ブラシでかき混ぜる。 この主人公の男が明らかにうらぶれていて、拭いがたい負い目を抱えて生きていることが一発で分かるオープニングだった。 その主人公を、リーアム・ニーソンがお馴染みの“困り顔”で演じているわけだから、それだけで“リーアム・ニーソン映画”としては太鼓判を押していいのかもしれない。  「シンドラーのリスト」「レ・ミゼラブル」「マイケル・コリンズ」など、かつては歴史大作や文芸大作を主戦場に渋く濃厚な存在感を示していたこの俳優が、“ジャンル映画”のスターとなって久しい。 彼の俳優としての立ち位置に対しては、映画ファンによってその是非が分かれるところだろうが、とはいえ実際ハマっている映画も多いので、「面白い」のであればそれが正義だと思う。  今作にしても、ジャンル映画としての存在価値は充分に発揮している。 ストーリー上の穴や粗など端から無視を決め込むか、それ有りきで楽しむべき立派な“リーアム・ニーソン映画”だ。  ストーリーテリングとしては、ヒッチコックの「バルカン超特急」に端を発する“誰も信じてくれない”系サスペンスで、舞台が航空機内とういこともあり、ジョディ・フォスターの「フライトプラン」にも酷似しているが、リーアム・ニーソンの近年持ち前の“危うさ”巧く機能しており、観客すらも彼に対して疑心暗鬼になってしまう。  ジュリアン・ムーアを初めとして、脇を固める俳優陣も地味に豪華で、主人公と観客の“疑心”を効果的に深めている。 結末を知った後で、オープニングの群像シーンを観てみると、それぞれにキャラクターにおいて細やかな演出がされていて、それはそれで面白かった。   それにしても、思わず口走ってしまった“一年間乗客無料サービス”の約束は果たされるのだろうか。反故にされた場合は、訴訟を起こす輩が一人くらいはいそうでコワい。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-07-15 23:27:55)
67.  スーサイド・ショップ
日常生活の中で自殺が“風景”として多発する極めて陰鬱とした社会。そんな中で「自殺用品専門店」を営む家族の物語。 フランス産ならではの陰湿でブラックなユーモアに溢れたアニメーションが印象的。  まず舞台作品の映画化かと思えるくらいに、ミュージカルと舞台的な演出のクオリティーの高さが光った。 きっとこの脚本と演出のまま舞台化しても成功は間違いないと思える。  自殺が蔓延する社会の中で、それを助長する商売を生業とする主人公家族の面々。 映画の序盤、彼らのキャラクター性は、悪魔的に、ある種のファンタジーとして描かれる。 しかし、そこに彼らの存在性を根本から否定する天使のような次男が生まれ、この家族の人間性があらわになる。 悪魔的な陽気さが、実のところ陰鬱とした世の中を生き抜くために彼らが選ばざるを得なかった手段だということが描き出され、このファミリーの悲しさが見えてくる。  映画の中盤、店主と自殺志願者のやりとり。  「この“面倒”にもう耐えられない」 「“面倒”とは?」 「人生さ」  自分はまだ30年余りしか生きていないが、このやりとりは身につまされる。 世界中の誰しもが、その“面倒”と葛藤をし続けていることだろう。 ただそれでも、“生き続ける”こと以上に意味深いことなどないと、この奇妙なアニメ映画は高らかに歌いあげる。 ストーリー展開は稚拙ではあったけれど、語り口そのものには好感が持てた。   店主の名前が「ミシマ」。自殺の方法にやけに“ハラキリ”を推奨し、日本刀を振り回すこのキャラクターのモデルは、完全に三島由紀夫だよな……。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-11-15 09:31:12)(良:1票)
68.  グランド・イリュージョン 《ネタバレ》 
ジェシー・アイゼンバーグが、冒頭から「ソーシャル・ネットワーク」よろしく早台詞をまくしたてる。 その時点で自分自身を含め健全な観客は、この映画の“ミスリード”に引っ掛かっていたのかもしれない。  “マジック”を描いた映画になかなか良作はない。 マジックというエンターテイメントは、鑑賞者の目の前で見せるからこそ驚きがあるわけで、映画というそもそもが“つくりもの”の世界の中でいくらびっくり仰天の奇術を見せたとて、驚ける筈がないからだ。  今作においても、主眼を“マジック”に置いている以上、その障壁は免れない。 実際、繰り広げられる数々のイリュージョンに対しても、「まあこれが実際に目の前で行われた凄いだろうね」と一歩引いた立ち位置で観ざるを得なかったことは確かだ。  ただ単に、映画世界の中で壮大なイリュージョンを繰り広げて「スゴイでしょ?」という作品であったならば、極めて駄作と言わざるを得なかったろうけれど、この映画の場合は、全編に渡るテンポの良さと、キャスティングの巧さで、そういったマイナス要素をカバーし、映画としての質を高められていると思う。  この映画の中では当然ながら数々のマジックシーンが描かれるが、マジックショーそのものの魅力は、冒頭の4人の路上マジシャンたちの登場シーンに集約されている。 彼らの鮮やかなマジックの手腕をいきなり見せつけられて、観客は「ああ、これからこいつらがとんでもないイリュージョンを見せるのだな」と強く認識させられる。 先に記した主演俳優の早い台詞回しも含めて、この“見せ方”が映画全体に効いている。  もちろん端からマジックの「タネ」もとい、映画の「オチ」を先取りしようと“ステージ”に対して斜めから映画を観たならば、わりとすぐにネタバレしてしまうかもしれない。 ただそういう観方は、マジックを観るにしても、映画を観るにしても、「無粋」というものだ。 勘ぐること自体は結構だと思うけど、娯楽として真っ当に楽しみたいのであれば、きちんと真っ正面から観て、気持ちよく騙されることも大切だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2013-11-02 00:09:34)(良:2票)
69.  裏切りのサーカス 《ネタバレ》 
ゲイリー・オールドマンの秘めた感情が読めない瞳が、眼鏡の奥で硝子玉のように鈍く光る。 彼が演じるスマイリーという男が、この物語の中で貫き通したものは一体なんだったのだろう。 それは正義だったのか、野心だったのか、それとも暗恨か、嫉妬か。 ラストカットで主人公が携えた微笑には、彼が抑え込んできた様々な感情が一瞬垣間見えたように思えた。  インフォメーションから伝わっていたようなストーリー的な難解さは実はない。 人と思惑が入り交じり、いかにも入り組んでいるように見えるが、最終的に解きほぐされた顛末は、呆気ない程に単純で驚きはなかった。このキャスティングで、“彼”が裏切り者では工夫がなさ過ぎると思った。 正直なところ、その呆気なさに対して満足度が高まり切らなかったことも事実。人物関係の説明描写が明らかに不足したまま固有名詞を並び立てる語り口は、ストーリーをただ無意味に難解じみさせているようで、サスペンスとしてアンフェアに感じた。 そのことが映画として必要な娯楽性の不足に直結していることは否めない。  ただし、“研ぎすまされた”という表現がまさに相応しい俳優の演技と、映像構築も含めた演出は、文句なしに際立っている。 さめざめしくも美しい陰影の濃い映像世界はこの物語に相応しく、そこに息づく俳優たちはそれぞれ最高のパフォーマンスを見せていたと思う。 特筆すべきは、やはり主演したゲイリー・オールドマンの素晴らしい存在感だろう。 一貫して感情を高ぶらせることのないこの映画の主人公は、彼のフィルモグラフィーの中でも最も「静的」なキャラクターだったのではないかと思う。 終始、淡々とした佇まいの中でも、決して平坦ではない、深い人物像を構築してみせたと思う。  ゲイリー・オールドマンは、今作でアカデミー主演男優賞も有力候補だったので是非穫ってほしかった。 そして、ナタリー・ポートマンもとい“マチルダ”から“スタンフィールド”へのオスカー授与シーンが見たかった!
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-11-24 10:36:58)(良:1票)
70.  恐怖の報酬(1953)
大量のニトログリセリンを荷台に積んで悪路を延々運転する主人公に、同乗する相棒が言う「2000ドルは運転の報酬だけではない、恐怖に対する報酬でもあるのだ」と。 それはまさにその通りで、後半の主人公は年老いて恐怖におののく相棒を罵倒し続け、「お荷物だ」と悪態をつくが、もし一人であれば到底この任務を全う出来る筈はなく、早々に逃げ出していたことだろう。 そういう極限状態の中で左右される人間の心理が、巧みな演出の中に盛り込まれた映画だったと思う。  有名な映画なので、タイトルはもちろん「ニトログリセリンを運ぶ」という大体のプロットも認知していた。 そのことも影響したのか、主人公たちが置かれている環境と人間関係をつぶさに描いた導入部分は、少々冗長に感じてしまい、「いつニトロが出てくるんだ?」と間延びしてしまった印象は否めない。 序盤の人間模様が不要だとは思わないが、このストーリーで約150分の尺はやはり長過ぎると思えた。 “オチ”をああするのであれば、もっとシンプルな構成にした方が、「恐怖」とそれに伴う人間の心理が際立ち、映画としての娯楽性が高まったのではないかと思う。  ただ、繰り返しに成るが、中盤以降の演出は極めて巧みだ。 度重なるハプニングがバランスよく配置され、ニトログリセリンを運搬するトラックを二台描き出すことにより、どちらがいつ危機を迎えるのかという緊張感が効果的に持続された。 決して主人公のみをヒーロー的に描き出すのではなく、運搬にあたる4人それぞれの人間性をしっかりと描き、彼らが陥っている生活環境と、非人道的ですらある危険任務に自ら身を捧げざるを得なかった状況が、ドラマの中にきちんと盛り込まれていた。  最大の危険を乗り越え、一服しようとした瞬間、フッと巻き煙草が飛び散る。的を得た非常に良い演出だったと思う。 大ラスの言葉の通りの“オチ”については賛否が分かれるところだろう。実際、思わず呆気にとられてしまった。 しかし、この作品がフランス映画あることを思い出すと、ある意味「真っ当」な顛末のようにも思えた。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-11-09 16:01:10)
71.  ホット・ファズ/俺たちスーパーポリスメン!
馬鹿馬鹿しいことを、しっかりとお金と労力をかけて覚悟をもって貫き通すこと。それが良いコメディ映画を生み出すための条件だと思う。 この作品の製作スタッフは、そういうことを誰よりも理解しているからこそ、世界中に受け入れられるコメディが作れるのだと思う。  エドガー・ライト監督&サイモン・ペッグ+ニック・フロストの主演コンビの「ショーン・オブ・ザ・デッド」、そして監督は異なるが同主演コンビの「宇宙人ポール」を既に観ていて、それぞれ映画ファンなら殊更に爆笑必至の素晴らしいコメディ映画の世界観を堪能していた。  前述の二作品がそれぞれ「ゾンビ映画」と「宇宙人映画」のパロディを存分に詰め込んだ作品だったのと同様に、今作の“対象”は、もちろん「刑事映画」。 「刑事映画」、その中でも特に“バディ映画”におけるベタと王道が、可笑しみと愛着をもって見事に散りばめられている。 中でも、「ハートブルー」をパロディの中心に据えていることが、非常に局地的なツボを突いていて良い。  この手の映画としては、120分という上映時間は正直「長い」と感じる。中盤において若干の中だるみ感を感じてしまったことは否めない。 しかし、ラストの怒濤のクライマックスは、そういうマイナス要素を吹き飛ばしてくれる。一見滅茶苦茶で何でもアリな展開に見えるけれど、それまでの人物描写が何気なくも人物それぞれの異質さを表しており、用意周到な伏線となっている。 だから、滅茶苦茶に見える展開にも妙に説得力があり、「娯楽」として見事に高まっている。  ついに最後にはモンスターパニック映画から東宝映画オマージュまで加わり、映画ファンのカタルシスを一気に高めてくれた。  充分満足できる映画であることは間違いない。が、"彼女”がケイト・ブランシェットだということに気がつけなかったことは、この大女優のファンとして情けない。
[DVD(字幕)] 7点(2012-09-17 22:35:09)
72.  おとなのけんか
ふつう、人と人とが険悪な雰囲気になっていく様を目の当たりにすると、関係のない自分自身も嫌な気持ちになり、その場から逃げ出したくなるものだ。 しかし、この映画ではまさにそういう「修羅場」に発展していくのだろう不穏な空気感を序盤から醸し出しているのに、笑えて仕方ながなかった。  それは、人間同士のそれぞれの感情を剥き出しにした衝突の醜さと滑稽さ、そして、人間というものは「見たくない」と体裁を整えているが、つまるところ“自分に関係のない修羅場”に対しては笑って見られて、娯楽性すら感じてしまうという根本的な愚かさを観客たちに突きつけているに他ならない。  原題の「Carnage」の意味はそのまんま「修羅場」。 しかし、「子供の喧嘩に親が出る」という言い回しが諺としてポピュラーな日本においては、「おとなのけんか」という邦題は非常に的確で、子供の喧嘩の後始末に当事者の両親同士が集まってどんどんいがみ合っていく様の愚かさは、「おとなのけんか」という揶揄的な表現が相応しい。  現代のハリウッドを代表する名俳優を揃え、全編をアパートの一室での会話劇のみで展開する79分間はコンパクトかつ濃密で、俳優たちの安定感と、ロマン・ポランスキーという名匠の“技”が光る映画として仕上がっている。  見て明らかなように原作は舞台劇で、それを彷彿とさせる少々過剰な感情表現や画面構成が印象的だった。 会話の展開によって4人それぞれの対立関係がくるくると変化していく構成は巧みで、単なる親同士の対立から、ステータスによる対立、男女の対立、個々人の価値観による対立へと移り変わっていく様には、様々な価値観と感情を持った人間同士が一つの環境の中で生きるということの難しさを如実に物語っているように思えた。  しかし、この手の会話劇として全編通すにあたっては、最後にもう一つ転回が欲しかったように思う。 結局全員がスコッチを飲んでアルコールでベロベロになってしまっては、導き出される結論がどうであれ説得力を欠いてしまう。  それでも名優たちのパフォーマンスが絶妙なので、充分に見応えのある質の高い会話劇であることは間違いないけれど。 ジョディ・フォスターは「老けたな~」という印象は拭えなかったけれど、ヒステリックな母親役がハマっていた。 そして、いまやケイト・ウィンスレットの演技にハズレは無い。
[DVD(字幕)] 7点(2012-07-15 11:17:03)(良:1票)
73.  ヒューゴの不思議な発明
映画の冒頭、主人公の少年を追ったカメラが縦横無尽に動き回りながら、パリの中心の巨大なターミナル内のめくるめくような舞台の“裏表”が映し出される。 この映像そのものが精密な機械仕掛けを表現しているようで、見ているだけで楽しく、「どうやって撮っているんだろう」とただただ惚れ惚れしてしまった。 「HUGO」というタイトルが映し出されるまでのその冒頭数分間の映像世界が、この映画の立ち位置と価値を如実に表していると思った。  その価値とは即ち、“夢を形にする”という「映画」が元来持ち続けた役割そのものだと思う。 この映画における最大の“映像的”な見せ場が、少年の夢だったという構成も、そのことを端的に表している要素だろう。  今年のアカデミー賞において本命争いを繰り広げた作品ではあるが、映画として“面白味”が大きいとは言えないと思う。 “子供向け”と言える程の娯楽性があるわけでもなければ、“大人向け”と言える程のドラマ性や人間描写の深みがあるわけでもない。 時に過剰に思える程に懐古主義的だし、その割に核となるテーマの描かれ方は中途半端に思えた。  ただし、世界中の多くの人たちと同様に映画が好きで好きでたまらない以上、僕にこの映画を無下に否定することなんてできるわけがなく、結局愛おしく思わずにはいられない。   この映画は、描かれる人物の物語をスクリーンに対して客観的に観て同調し感動するものではないのだと思う。 冒頭のシーンに誘われるままに、主人公の少年と共にあのターミナルの場所に立ち、彼らとともにこの映画の世界に存在するべき映画なのだと思った。  つまりは、結果的に面白く思おうが思わなかろうが、映画館の大スクリーンで観なければ意味がない映画で、全編に渡ってその効果があることが疑わしくとも、3Dで"体感”すべき映画だったのだろう。 この映画の存在を知った時から懐疑的だったマーティン・スコセッシが3Dで映画を撮らなければならなかった意味がようやく分かった気がする。  映画の内容にそぐわない邦題には、毎度のことながらほとほと呆れる。 ただこの映画が、「映画」という世にも不思議な発明を描いた作品であることは間違いなく、「面白い!」とは決して断言できないけれど、映画ファンとしては可愛らしくて思えて仕方なく、愛着を持たずにはいられない。 そういう不思議な映画だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2012-03-17 16:44:51)(良:1票)
74.  ゴーストライター
ロマン・ポランスキー監督の“巨匠ぶり”に改めて感じ入ることができる映画であることは間違いない。が、敢えて今回は主演のユアン・マクレガーに言及したい。  意味の捉え方次第で善し悪しは変わってくるが、ユアン・マクレガーはスター俳優としては珍しいくらいに存在感が“軽い”。 あれほど特徴のある顔立ちをしていながら、どんな役柄においても必要以上の存在感を示さない。だから、どれほどの大バジェット映画の人気キャラクターを演じようとも、そのイメージが俳優としての彼自身に固執されず、どんな映画のどんな役柄で登場しても観客は一旦フラットな状態で彼の立ち振る舞いを追うことが出来るのだと思う。 だからこそ、映画の規模と演じるキャラクターの性質に関わらず、とりあえずフィットしてみせることが出来るのだと思う。  そんな特異な性質を持ったスター俳優にとって、今作の役所は特にハマリ役と言っていい。 “ゴーストライター”を生業とする主人公が、英国元首相の自叙伝の執筆に携わることから始まる“巻き込まれ型ミステリー”。 まず印象的なのは、主人公には役名が無いということだ。明確に実在する平凡なキャラクターとして登場するにも関わらず、名前がことごとく紹介されない。ある部分では明確に省かれ、ある部分では主人公自身がはぐらかし、ある部分では名前を覚えてもらっていないという設定で済まされる。  目の前の謎を盲目的に追い求めていく主人公の行動を中心に物語は進んでいくが、しばらくすると、名前が明示されないことも含め、彼のキャラクターがとても軽薄なものとして意識的に描かれていることが分かる。 巨匠が描き出す上質なミステリー調子の中で、徐々にストーリー以上に主人公の男の“存在性”そのものが静かに際立ってくる。  そうして導き出されるあまりに印象的で巧いラスト。 物語自体の衝撃や驚きだけに頼らず、卓越した映画術の巧さと、キャスティングの妙で紡ぎ出した洗練されたサスペンス映画の世界を堪能出来た。
[DVD(字幕)] 7点(2012-02-21 16:32:29)(良:1票)
75.  トランスポーター2
“B級”というテイストが、これほど主人公そのもののキャラクターに反映されている映画も珍しい。 ジェイソン・ステイサム演じる主人公は、これ見よがしに男気に溢れたヒーロー然としているが、何を置いても彼自身に“粗”があり過ぎる! 前作に引き続き、己に課した“ルール”をおおよそプロフェッショナルとは思えないほど容易に覆し、それがまんまとピンチに繋がっている。 ただし、その主人公の隙だらけのスタンスこそが、2作目にしてこの映画シリーズの確固たる“味わい”となっている。だから問題なし。  前作同様、ストーリーや諸々の設定の粗探しをしたって始まらない。何故なら、“粗”しかないんだから粗探しにならない。 奇しくも、あるウィルスパニックを描いた映画を観た後に今作を観たので、登場する細菌兵器の設定の浅はかさが問答無用に際立った。 しかし、この映画にとってそんなディティールへの配慮はすぐに意味をなさなくなる。 この映画は観客に対して、ひたすらに繰り広げられる“大馬鹿アクション”に乗れないのなら、潔く下車して頂こうという気概に溢れている。  その「乗車基準」を持ち合わせていたならば、ジェイソン・ステイサムが織りなす香港アクションを彷彿とさせる格闘シーンを楽しみ、ミラ・ジョボヴィッチ風のキレた女殺し屋のエロさを堪能し、まったく科学者に見えないジェイソン・フレミングのチンピラぶりに突っ込みを入れながら、秀逸なB級アクションの世界に浸れるだろう。  爆弾が仕掛けられた愛車から飛び降りるのではなく、ジャンプした車体を捻らせて空中のフックで爆弾を削り落とすという「判断」を受け入れられるかどうか。 この映画の“敷居”は意外と高いかもしれない……。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-02-15 16:42:40)(笑:1票) (良:1票)
76.  リトル・ランボーズ
“なにか”に触れ、自分のその先の人生をかけるくらいに熱狂する。それは、すべての“男の子”に与えられた「権利」だ。 その熱狂が、たとえ盲目的で何かしらの弊害を生んだとしても、熱狂したその瞬間こそが彼らにとっての「宝物」であり、生きていく中でその価値はきっと揺るがない。  生活環境が全く異なった11歳の少年二人が、「ランボー」で共鳴する。 主人公二人の共通項が詩人のアルチュール・ランボーのことであればひどく退屈な映画に思えるが、シルベスター・スタローンの「ランボー」であることが映画の面白さを引き立てる。  厳格な信仰の元で育ちあらゆる娯楽を禁じられた少年が、悪たれだが映画が好きな少年に引き込まれ、嗜好を爆発させていく様が愉快で解放感に溢れている。 個人的に、かつて映画製作を志していた時期があるので、少年たちが喜びを爆発させるように映画づくりに没頭する様を観ているだけで、この映画を否定することなどできなくなる。  少々意味不明な交換留学生のフランス人の存在感や、主人公たちそれぞれの境遇の中途半端さに対して、この映画が求める抑揚に乗り切れない部分もあった。 ただそういう難点を補ってあまりある“輝き”がある映画であることは間違いない。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-23 10:12:08)
77.  オーケストラ!
「音楽」に造詣が深いわけではなく、指揮者の違いによるオーケストラの善し悪しなんて、正直分からない。 だけれど、「音楽」という表現には、“幸福”と“狂気”がそれぞれ平等に混在し、携わる人間の人生を導き、支配するということを、この映画は意外な程に深く物語る。  落ちぶれた元・天才指揮者が、かつての楽団のメンバーを寄せ集めて、紆余曲折のコメディ展開を繰り広げながら、爽快感溢れるラストに結する映画だろう……と、思っていた。  映画の“表面的”なニュアンスは、概ねそれに相違ないのだけれど、ストーリーの核心と描き出すテーマの本質は、想像以上に深いところまで踏み込んでいく。  旧ソ連の政治的背景の中で抑圧された主人公たちのバックボーン、現在の生活の中の鬱積と矛盾。そして、「音楽」そのものの本質的な光と闇。 ベタなサクセスストーリーと見せて、映し出された物語と人々の言動には、決して一筋縄ではいかない“思い”の混沌が見え隠れする。  ただ、そういった様々な側面の複雑な問題も、すべてひっくるめて吸収してしまうエネルギーが、「音楽」にはあって、それを表現することの素晴らしさを改めて訴えてくる。  そもそもの設定や展開には大いに強引でチープな部分も多いけど、そんなことどうもよく思わせてくれる「魅力」が色々なところに詰まった映画だと思った。
[DVD(字幕)] 7点(2010-11-27 02:38:36)
78.  96時間 《ネタバレ》 
元CIAの父親が、人身売買組織にさらわれた愛娘を救出するために、死闘を繰り広げるというストーリー。 ストーリー設定にそれ以上の膨らみはなく、設定だけをみれば何ともチープな映画である。 リーアム・ニーソンが体を張って繰り広げるアクションシーンは、それなりにスタイリッシュに表現されているが、アクション映画として特筆するほどのものではない。  9割以上の要素は、はっきり言って「凡庸」に尽きる。 ただし、残りの1割の要素が、この映画のオリジナリティをある意味”強引”に高めている。  それは即ち、「娘を溺愛する父親の容赦なさ」だ。  娘をさらった悪党に対して、電話口できっぱり「処刑宣告」をしたかと思えば、カリフォルニアから海を越え数時間後には事件が発生したパリへ。 単身で悪の組織本体に乗り込み、暴れまわり、ほぼ壊滅状態に追い込む。 更には、古い友人らしいフランス当局の幹部の自宅に“お邪魔”し、実は悪と通じていたその友人の妻の腕を問答無用に撃ち抜き、情報提供を強制する始末。  とにかく娘の救出に対して「障害」となるものは、何であろうと蹴散らし、悪党は容赦なく残虐なまでに皆殺しにしていく。  映画の冒頭、主人公は別れた妻から、その神経質な性格に対して「異常だ」と苦言を呈される。 その時は主人公に対して同情が生まれたが、映画が展開していくにつれ、「ああ、確かにこの父親は異常だ」と納得させれるほどに、主人公の行動力は常軌を逸している。  主人公のその尋常でない怒りっぷりは、“唖然”を通り越し、感じたことのない爽快感に繋がっていく。 その尋常でなさが、絶体絶命の愛娘のピンチを非常識に救っていく。  決して物語としてクオリティの高い映画ではないが、この“容赦なさ”は評価に値する。劇中何度も「親父怖え~」と呟いてしまった。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2010-09-18 15:40:58)(良:2票)
79.  ボーン・アルティメイタム
“ジェイソン・ボーン”シリーズ最終作(一応)。昨日、6年越しに第二作目を観て、いてもたってもいられなくなって、今作のレンタルに走った。  このスパイ・アクション映画シリーズの変わった特徴は、“ストーリーに面白味はそれほどない”ということだ。 記憶を無くした主人公が謎に包まれた自らの“アイデンティティ”を取り戻そうとするというのが、このシリーズの根本的なプロットで、この手の映画の場合、出来る限りストーリー展開に凝って、ドンデン返し的なラストを用意するというのが常だ。 が、この映画においては、そういうストーリー的に機知に富んだ工夫はほとんどない。  用意された一つの「謎」。即ち、「ジェイソン・ボーンとは何者なのか?」ということを、主人公自らがひたすらに追い求めるということが、この映画シリーズの揺るがないスタンスで、その中で生じる「逃亡」と「追走」それらのみで構成される。 それは、アクション映画として、非常に潔く、故にとても洗練された作品へと消化した要因だと思う。  仰々しい爆発シーンや、劇的なストーリーテリングに頼らず、生身の人間が体現出来得るリアリティを前提としたアクションシーンを繰り広げることにより、このシリーズは独特の緊迫感と疾走感を併せ持った迫力に溢れたアクション映画として確立することが出来たのだと思う。   ただし、もう続編は必要ない。それはこの三部作を評価するからこそ生まれる大多数の意見だろう。
[DVD(字幕)] 7点(2010-04-09 01:16:25)(良:1票)
80.  TOKYO!
「TOKYO」という都市は、世界から見ても(世界から見ると特に)奇異な場所なんだと思う。 僕自身、あの街に数年間住んでみて、そういうことは常々感じた。 もちろん、日本の首都だし、何でもあるし、決して住みにくいところではない。 ただ、曲がりなりにも世界を代表する「国際都市」というにしては、あまりに完成されていないというか、一つの“スタイル”に定まることがない。  このオムニバス作品で、3人の世界の映画監督が描き出したものは、まさにそういった変化し続けるTOKYOという“モノ”の姿だったと思う。  オムニバス映画というものが、割と好きな方だ。なので、こういう企画を聞く度に、期待は膨らむ。ただ、それに相反して、結果的に一つの「映画」として面白い作品は少ない。  しかし、この「映画」はとてもよく出来ていたと思う。 TOKYOという奇異な都市を、世界が誇る3人の奇異な映画監督に撮らせるという企画自体が、そもそも奇異で面白い。 それぞれが物凄く個性的な世界観を描き出すので、フツーなら各作品を繋ぎ止めることは難しく、オムニバス映画としてまとめることは不可能に近いことだったと思う。  それを繋ぎ止めた要因こそが、TOKYOという都市であった。  ミシェル・ゴンドリーの哲学性に溢れたファンタジーも、レオス・カラックスの文字通り爆発的な変態映画も、ポン・ジュノの情感と根本的な力強さに満ちた精神世界も、すべてを「許容」する。 それこそが、TOKYO。
[DVD(邦画)] 7点(2010-01-10 15:49:27)
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