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201.  八月のクリスマス(1998)
いわゆる難病ものではなく、病状でドラマを動かしてはいない。そもそも病名すら与えられてなく、特殊な悲しみにならなくしてある。焦点は死の準備のほうだ。主人公は去る者として社会を眺めてるんだけど、それが無責任になるわけでもなく、写真師として記憶の記録係を粛々とこなしながら、去った後の準備を進めている。その人生との距離感がいつも主人公をニコニコさせているのだろうか。老父にビデオの要領を教えるところが泣かせた(リメイクした日本版ではDVDになってた)。あとは野となれ山となれ、でなく、たつ鳥あとを濁さず、のほう。娘の、年上の“おじさん”に対する興味・からかいが恋に移ろっていく感じがなかなかよく、主人公も、禁じられた恋なんだ、と歯を食いしばるのではなく、人生への感謝になっていく。そう、これは人生への感謝を描いた映画。
[映画館(字幕)] 7点(2008-11-23 12:41:59)(良:1票)
202.  一年の九日
『野獣たちのバラード』の監督。原子物理学者が放射線に汚染されつつ戦う姿に感動せよ、というのがおそらく当時のソ連の公式の見方。それを越えた味わいとして、興奮の瞬間とそのあとの倦怠、ってのがある。実験の高揚、秒読みとオシログラフ、しかしそれも繰り返されていくうちに、日常の背景音になってしまう。ラジオを聞きつつ、タバコをくゆらしつつ。結婚もそう。放射線を浴びてることを知って、ある種の献身的高揚から結婚するリョーリャ。その高揚も、しだいに日常の中に溶けていってしまう。どんな興奮も倦怠に移ろっていってしまう。あっさりとしたセットの空白が印象的。研究所と対比されるのが、いかにもロシア的な田舎で雲がすごい。ラスト近く、病みながら研究所へ歩き出すシーン、ここにあるのは倦怠の対極の充実。驚いて立ち止まる仲間たちを、後退移動で眺めつつカメラは上昇していく。科学における悲観論と楽観論の戦い、と見るか。あるいは大衆論もあるか(「馬鹿は間違わない」でしたっけ?)。とにかくソ連の映画は言いたいことを率直に言えない環境で作られてるから、味わいも複雑になる。これを観たときは「チェルノブイリを知ってから見ると複雑」とノートしているが、フクシマを知った今、見直してみたい。
[映画館(字幕)] 7点(2011-08-12 09:51:06)(良:1票)
203.  金色の嘘
ヒロイン、シャーロット(ユマ・サーマン)は“なにも企んでません”といったキョトンとした顔のときに、かえってすごく怪しく見える。ヘンリー・ジェイムズの世界って、いつもアメリカとヨーロッパがお互いを探り合っているような関係が底にあり、本作でもイタリア男に代表されるヨーロッパがアメリカを手玉にとってるようでもあり、真実手玉にとったのはアメリカの父娘だったようでもあり、結局したたかだったのは誰でしょう、ってナゾナゾみたくなる。ヨーロッパを発つときに精一杯の見得を切る弱さもあれば、新聞に載る写真では生き生きと輝いている強さもあって、何重もの屈折が仕組まれているよう。企みを秘めた社交って設定、あっちの人は好きね。
[映画館(字幕)] 6点(2008-06-28 12:13:09)(良:1票)
204.  奇跡(1955) 《ネタバレ》 
ほとんど室内劇として進んできて、常に窓は室内から外に向いていたのに、医者の車を見送るシーンで、カメラは窓の外から父と三男を捉える。なにか今までと違う緊張が生まれたところで、室内にヨハネスが歩いてきて不吉なことを言う。壁を這っていく車の光。するとドアから、ミゲルが現われインゲの死を告げる。ここからラストまでは、ずっと石のように硬質な時間が続き、この充実した手応えは滅多に味わえるものではなかった。葬儀の場、人々はより確かな自分の立ち位置を求めるかのように、ゆっくり室内を経巡る。隠されたルールに基づいているかのような、確固とした移動。中央に動かないインゲが、最も安定した姿勢で横たわっている。人々の移動の果てに、ヨハネスと幼子の導きによって奇跡が訪れ、インゲとミゲルが支えあって立つ。一人で横たわっている姿勢ほど安定はしていないが、二人の生者としての安定した姿。キリスト者でない私が、この後段で心を震わされた理由をなんとか言葉にしようとすると、こんなことになるだろうか。この映画、初めて観たときは、ヨハネスの言葉に捉われ過ぎ、キリスト教に無知な者だからキチンと味わえなかった、と思わされてしまった。まして1930年代のデンマークの田舎における宗派対立なんか、理解できるはずもないし。でもこれは、愛と死と聖なるものをめぐる普遍性を持った映画だったのであり、この後段の、時間が石と化したあの固さを体験すれば、特定の宗教と関係なく、「味わえた」と言ってもいいのではないか、という気になっている。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-01-02 14:55:35)(良:1票)
205.  遠雷(1981)
農協の場で現われかける問題、農政批判を、「土着の力強さ」というようなことでねじ伏せてしまった感がなくもないのだが、主人公のタイプの新鮮さに希望を託しているのだろう。フワフワしているような、しっかりしているような、その柔軟性。今までの映画の類型だと、「フワフワ」は完全にグレちゃってチンピラになってしまい、「しっかり」のほうは“なんとか青年団”的にコチコチになってしまう。その二つのタイプを止揚してるというか、とにかく一人格のなかに同居させている。そこに希望の可能性を信じようとしている。昔も今も、農が基本だとか何とか言いながら、映画はもっぱら都会を中心に描いてきて、農業を描くとなると社会派的な主張があるものだけに限られてきた感がある。そういった流れの中で、本作はなんらかの主張より前に存在するナマの「農家の青年」というものを見せてくれた。後半が面白かった。選挙及び選挙違反などに、こんなもんだろうなあ、というリアリティがあったし、ビンで鯉を獲る工夫や、七尾伶子と原泉の愚痴の言い合いも楽しい。ただ時々若き永島君が、陰にこもったヤラシー目つきするのはいただけなかった。もっとあっけらかんとしてほしいところ。
[映画館(邦画)] 7点(2009-12-25 12:02:21)(良:1票)
206.  ピアノ・レッスン 《ネタバレ》 
ピアノは決して解放じゃないのよね。人の世と別の世界への解放であって、閉じた場所での安息ってことか。ピアノは言葉の代わりにはならない。ベインズがエイダにとってピアノが重要であることを直感で知るのは、彼が文字を読めないことと関係があるんだろう。ピアノは彼女の安息の閉じた箱なのに、それを取り戻すレッスンのために彼女が開かれていってしまうあたりが話の中心。音楽は鍵盤を指が触れて生まれるもの、その鍵盤がまず取り外され現実の愛へとかわり、その代償に指も取り外されるわけ。とにかく海辺のピアノという情景が優れており、ジャングルの濃密な空気はあまり感じられなかった。浜辺で娘が踊るとこがいい。あの娘は単なる通訳じゃなく、同志のようでもあり、また批判者にもなり。
[映画館(字幕)] 6点(2011-03-08 12:21:06)(良:1票)
207.  チェイサー (2008) 《ネタバレ》 
前半は夜のドラマ、夜の街よりも夜の住宅地のほうが怖いのだった。街はとりあえず公共の顔をして門を開いているが、住宅地にあるのは閉じたドアと壁、中には家族の笑顔もあるだろうが、おぞましい世界も潜んでいる。そのおぞましいものがときおり路地に抜け出し、追跡が始まる。閉じた家から開いた都市へつなげている路地が、迷路のように延びている。追うのが走るのに似合わない太り気味の中年男、ってところに迫力があり、それがこの映画のすべて。配下のちらし配り男(リアリティあり)も走る。主人公は女を危地に至らしめた贖罪で執念を燃やすのだが、さらに子どもに母親を取戻すという要件も加わる。それで説得力は膨らんだかも知れないが、ドラマの輪郭はやや緩くなってしまったような。この手の犯人の気味悪さもちょっと型が出来つつあって、新鮮味を出すのが難しくなってきている(という社会も困ったものですが)。警察の対応が無能すぎないか。
[DVD(字幕)] 6点(2010-02-06 12:01:45)(良:1票)
208.  クレイジー・ハート 《ネタバレ》 
破滅型の話かと最初は思ってしまった。時代遅れのアル中のカントリー歌手で、なにしろ車の長旅から出てきて、小便を捨てるシーンからという登場の仕方。「それでも歌に殉じて滅んでいく」っていう芸術没頭型の破滅へ向かう話だな、と思っていたら、そうでもなく破滅しないの。かつての後輩の前座をやるか、ってマネージャーの電話に、イエスと答える。恋人の愛を取り戻すために、禁酒会にも参加する。かっこいい破滅より、じたばた生きるほうを選択していく。そこにけっこう心動かされてしまった。恋人との会話の中で「子どもを失ったら生きていけないわ」というようなことを言われて「でも実際は生きていけるんだ」と言った。それでも生きていく、と言うとなんか力こぶを込めたようなイメージになってしまうが、人生に勝ったとか負けたとかいう基準の外に広々とした世界があるんだ、ということを本人が見せてくれた。ある種の柔軟さ。もちろん当人は傷だらけだが、悲壮ではない。破滅に飛び込まないで生き続けていく主人公を肯定的に描いて、気持ちのいいラストだった。
[DVD(字幕)] 7点(2011-04-28 10:03:50)(良:1票)
209.  ボーン・スプレマシー 《ネタバレ》 
製作会議では以下のような会話が交わされたのではないか。「今回は一匹狼を前面に出しましょう」「だとマリーが邪魔になるなあ」「開始早々殺しちゃえばいいんですよ、すると復讐のドラマにもなりますから」「でもボーン自身殺し屋みたいなもんだろ、正義の復讐って言ってもなあ」「それなら釣り合いを取って、彼の贖罪の旅を重ねればいいでしょ」「なるほど、深みっぽくなるなあ」「舞台はどうする」「前回が女連れの花のパリでしたから、もっと寒色系の街がいいですな、いかにも女っけに乏しい都市、ベルリンとかモスクワとか」「あ、それ両方いただき」「じゃあ冒頭でマリーに消えてもらうのは、反対に暑い街ですね、インドのゴアあたり行っちゃいますか」「ヤマちゃん、今日冴えてるねえ」、…などといった感じであったろう。アレキサンダー広場のシーンは、もっと面白くできそうだったが、その禁欲的なところがこのシリーズの魅力なのか、とも思わせられてしまう。それなりにドキドキした。カーチェイスっていつもはだいたい退屈するものだが、今回のモスクワはけっこう引き込まれた。こちらの車にパトカーが横からぶつかってくるのを車内から捉えたところの、驚きの効果と迫力。それと望遠で覗きながらのパメラとの電話、ああいうシーンはドキドキさせる、「ニッキーならあんたの隣に立っている」。黒澤の『天国と地獄』で、捜査員一同がパッと窓の視野から隠れて身を伏せる名場面を思い出した。見えない相手と耳元の声とのギャップから来るスリル。
[DVD(吹替)] 7点(2010-08-03 10:07:35)(良:1票)
210.  風と共に去りぬ
前半あんなに面白いのに後半急にしぼむのが気になって、原作読んでみましたよ。そしたら原作がそもそもそうなんだな。前半ではスカーレットやバトラーが「個人」として実に生き生き描かれているのに、後半では「我々南部人」の物語に埋没してしまっている。それも典型的な歴史修正主義のレベルで、困ったもんです。驚いたのは、なんとなく曖昧にボカされていた部分が、原作でははっきりKKK団として登場していることで、これは『国民の創生』の時代ならともかく、30年代後半ではそのままKKKを善玉として映画化できないわなあ。そういう苦慮による屈折が映画の後半の不自由さを招いていたよう。あとで黒人俳優にオスカーを贈ったのも、何らかの配慮が働いたのかもしれない。それにしてもこういう反動的と言ってもいい原作をモダニズムの時代に発表できたアメリカの懐の深さは、皮肉でなく立派(原作出版は30年代半ばで、たとえば推理小説を古い邸宅から都会に引きずり出したエラリー・クイーンの『Xの悲劇』のほうが古典なの。時代関係で言うと、幕末を舞台にした「鞍馬天狗」がモダニズムの時代に書かれていた日本と似ている。だからこのフィルムも、国民古典文学の映画化じゃなくて、ちょっと前のベストセラーの映画化ってわけだった)。やがて敗戦国となる同時代日本の、予言的な映画として見ると興味深いです。
[DVD(字幕)] 7点(2011-11-28 09:54:14)(良:1票)
211.  パーマネント野ばら 《ネタバレ》 
いろいろ男女問題を抱えた町の人々をおとなしいヒロインが観察していく、って設定かと思っていたら、彼女が一番問題を抱えてたってことがだんだん分かってくる話。あけすけに感情を披瀝する風土のなかでの、秘めた一途な恋が明らかになってくる。映画観終わってみると、その設定だけに寄りかかってて、あとの描写が少し雑だった気もするが(男を引っ掛けるオバサンや電柱倒すオトーサン)、一応まとまったものを観たという気分にはなる。高知県というと『祭りの準備』を思い出すが、あれでもなんか男たちはぶらぶらしてた(原田芳雄が絶品だったなあ)、そういう風土なんだ。そして女たちはパーマ屋で「教育上問題のある」談話をしている。漁師町の風土。男も女も、大人も子どもも、みんなよく怪我をする。活発な風土というか、暴力的風土。車で突っ込んだり車から飛び降りたり。頭より体が先に動く風土。そういう風土の中で、ヒロインのみ、じっと頭だけで過去の恋に沈澱している。子どもを母親に任せたまま「恋人」とトンネルで会ってたり、ただ一人、風土に反してしっとりとした恋愛に生きている。その痛々しさがしだいに分かってくるあたりが味わい。子どもが走り寄ったラストで、彼女は夢のような恋愛から、母親としての自覚に目覚めるのか。この荒々しい風土のなかで生きていけるかなあ。
[DVD(邦画)] 6点(2011-07-18 13:03:06)(良:1票)
212.  燃えつきた地図
この映画の興味の一つは、『座頭市』の勝新太郎と『男はつらいよ』の渥美清という二大プログラムピクチャースターが安部公房の世界でどう動いたか、というところにあったが、率直な感想を言えば「失敗」の一言。どちらも天才的な役者だが、合わない世界というものはあり、これはどうにも合ってない。どちらも粘着型の演技で、またそれが魅力なのだけど、公房が描きたかったのはそういうものを取り去った世界なのだろう。彼らの味わいであった余分な情緒が、ここでは邪魔になる。『影武者』のときのように仲代達矢に変更されていたら、このケースではそっちのほうが良かったかも知れないし、同じ喜劇役者なら渥美よりフランキー堺のほうが合ってたかも知れない。ヌードスタジオで渥美と長山藍子が語るシーンは、テレビ版「男はつらいよ」のトラとさくらが会ってる気分。キャスティングでは市原悦子のミステリアスぶりが一番良かった。鏡像とかコップ越しの渥美とか凝った映像が、今見ると薄っぺらに見える。砂の変化する表情をあれだけ新鮮に捉えた監督だったが、都市を描くと意外と陳腐になってしまった。ただこの時代の変貌する東京とその近郊の記録としては価値が残る。公房は、公式には出来映えに満足している文章を宣伝用に残してるけど、全集に収録されたドナルド・キーン宛て私信では不満たらたらだった。4本続いた作家と監督の蜜月はこれを最後に終わる(だが公房は監督の次回作『サマー・ソルジャー』は評価していた)。都市の響きをアレンジしたタイトル曲は武満には珍しいが、そのなかから古曲が浮かんでくるあたりがあの人のタッチ。
[映画館(邦画)] 6点(2009-06-03 12:08:34)(良:1票)
213.  レンブラントの夜警 《ネタバレ》 
何かを読み取りたくなる演劇的な絵画、それを演劇的な映画を撮る監督が題材にしたとなると興味を引くが、なんか相殺し合ってしまったという印象。ベッド・テーブル・棺などの水平線が強調される画面で、その無機質な構造を破るように、馬や牛や鶏やらが闖入してくる。しかしそれらもあくまでも舞台の上を賑やかにするという雰囲気で、映画そのものをスリリングにはしてくれてない。安定した舞台で、小さなまとまりのある陰謀劇を鑑賞した気分。「夜警」についてどんな研究がされているのか知らないが、あの絵の面白さは読み取りきれない物語をいくらでも紡ぎ出してくるところで、市民の裏面話(事故に見せかけた殺人、孤児院を装った売春宿と、演じることの二重性はあるけど)で閉じてしまうだけでは勿体ない気がした。ましてレンブラントが推理劇の主人公のように告発したりするのは興を削ぐ。俗な欲求から生まれた集団肖像画が、後世まで興味を引き続ける偉大な絵画となる、という芸術の不思議さに大きく展開していく前に、この推理ドラマは小さく閉じてしまったように見えた。
[DVD(吹替)] 6点(2009-03-26 12:00:27)(良:1票)
214.  儀式 《ネタバレ》 
美しさの点では大島作品でも一二を争う。どこかヒンヤリしてるのが、いかにも儀式の美しさ。テルミチは滅びることによって佐藤慶の桜田家に抵抗したわけ。でもそんな「大敵」なのだろうか。たとえ大敵であっても、大敵として扱うことによって、さらにこちらの無力感を増幅させてるってことはなかったのか。「大敵」として扱うよりは、無視する・それができなければ見ないふりする、って手のほうが有効で、実は抵抗している者も深層では桜田家的なものが好きで、だから大物の敵として見たがっているんじゃないか。敗北の歌をこう美しく歌っていいのかなあ、という思いが残った。もちろんそれをこそ描いた映画なのだ、と大島さん言うだろうけど、ちょっと河原崎君ウジウジしすぎる。映画表現としても、否定すべき儀式をかくまで壮麗に描いてしまう心性と、どこか通じ合ってしまっている気がし、またこの陶酔的敗北主義って、戦後の反体制運動にずっと流れていたような気もし、そういったあれこれが点検できた作品として、私には大変面白かった。地中の弟の声を聞き取ることによってだけかろうじてアイデンティティが確保できるまで、「儀式」に追い詰められている。あの図柄はいいね、土俵ぎわで儀式と対抗している姿勢。耳を澄ますって行為自体が美しい(『ラスト・エンペラー』にもあったなあ)。あとは無人のお色直しのシーンの滑稽な悲痛さ。「ロシア兵は親切だっただろ」とさかんに聞く小松方正の共産党員。そして歌合戦。大島的なものが詰まっている。
[映画館(邦画)] 8点(2010-06-09 12:06:41)(良:1票)
215.  once ダブリンの街角で 《ネタバレ》 
ミュージカルは至って好きなのだけど、普通の劇映画の中で登場人物が歌いだすとイライラさせられる。ここらへん微妙なのだが、なにか私の中で一線が引かれているらしい。ミュージカルは、その日常を歌によって何か別のものに更新してしまうのに、ストーリーの中に組み込まれた歌のシーンはそうなってくれず、人が気持ち良さそうに歌ってるのをこちらはただ傍観し、手持ちぶさたに歌い終わるのを待ってる気分になってしまう。というわけでちょっとその点はつらい映画でした。人生の一コマとしての男女の出会いと別れのスケッチとしては後味がいいし、主人公のお父さんもいいし、70年代っぽい手持ちカメラの効果も概ね良かったと思う(ただ5拍子の歌を録音しているときの、録音技師がしだいに気を引いていく演出は臭く、わざわざ手持ちカメラでリアルにやってる効果を削ぐ)。もうとっくに女が結婚しているって分かったと思ってたら、後の方で主人公が知って驚いてたのには驚いた。なんか重要なポイントを見落としてたのかなあ。
[DVD(字幕)] 6点(2008-10-30 12:12:57)(良:1票)
216.  太陽のない街
ちょっとでも弱音を吐こうとすると、すぐ裏切り分子的に見て、採決もせず団旗を奪い、意気揚々と前進していくらスト、これは困る。「今ここで敗れたら、今までの犠牲者たちは浮かばれない」っていうの勇ましいけど、戦争後半での日本軍の考えそのものでもあるわけで、指導者にこういうのがいると迷惑するんです。原作はプロレタリア文学の古典だが読んでなく、作品の発想の責任がどこにあるのかは分からないけど、少なくともこの映画を作った人々は戦争後半の異常な「勇ましさへの熱狂」が国民の中にあったことを知ってるわけで、それを承知の上で「軍の興奮はけしからんけど、労働運動の興奮は正しいんだ」と思ってるんだったら、救いようがない(そうか、ソ連の水爆はきれいという発想につながってるな)。どんどん勇ましい考えのほうへ熱狂し興奮していくシステムをこそ突いてほしいのに、すぐ敗北主義とか裏切りとかいう言葉で捻じ伏せられちゃう。そりゃね、資本や官権の悪辣さはひどかっただろうが、こういう展開で描かれると「それならもう何度も聞いた」ってつい思っちゃう。もっと争議団内のゴタゴタやスト破りする人たちの苦衷こそが、新鮮なテーマだったはずなのに…、と不満を募らせたが、昭和もまだ20年代なら仕方ないか?
[映画館(邦画)] 5点(2013-03-31 09:30:30)(良:1票)
217.  ミリキタニの猫
これアメリカ人にとってはテーマがクッキリしている。かつての日系人収容と現在9・11後のアラブ人排撃とが重なって、問題提起になっている。でもアメリカ外の人間として見ると、人間ドラマとしてさらに映画の濃さが増した。けっこう厄介なジーサンなのよね、このミリキタニ画伯。監督(リンダ・ハッテンドーフ:若い女性)の部屋に居候させてもらってるのに、ペンがもうないぞ、なんて威張ってる。アメリカに怒られないようにということを絶えず外交の基本にしてきた戦後の日本政府の対極のような態度で、うらやましいとは思いつつ、同胞として監督に、すんません、という気持ちに時々なってしまった。かつて収容所に送られた彼はアメリカ政府に裏切られたという怒りを持ち、あらゆる公的な保護を拒絶して路上生活していたのだが、その怒りに支えられていたようなところもあって、単純ではない。次第に過去のそういった呪縛から解かれ人柄が丸くなっていく経過が人間ドキュメントとしての芯で、そこが面白かった。撮影は01年の1月から始まっていて、さりげなく貿易センタービルが映っているカットがあったりするのが、記録の強み。画伯、「北国の春」はどこで覚えたんだろう?
[DVD(字幕)] 6点(2009-02-13 12:15:51)(良:1票)
218.  アバター(2009) 《ネタバレ》 
水面や波のCGなんか随分うまくなってるなあと感心したけど、ナヴィの世界が人間世界に切り替わるときの質感の違いは、やはり気になる。同一地平で起こっている出来事という共通感が得られなかった。CGの進化は、どうしてもアナログ的な実写からは遠ざかる方向にあるようだ。だからそれを生かす筋立てならいいのだろうが、この話の場合どうだっただろうか。その質感の違いは、車椅子の人間が元気に動き回れる夢としてのナヴィの世界として一番感じられ、自然保護テーマの物語としては、加害者側と被害者側がうまく噛み合ってくれなかった。そしてアメリカ映画の原型のような話の展開、無邪気なのは分かるけど、悪意がないからといってすんなり受け入れるわけにもいかない。インディアンが蜂起するとしても、その中心にWASPを置かないと落ち着けない大前提がある。それでラストでは主人公は敗北の側からスルリと抜け出してしまう。また、竹槍で近代兵器に対抗しようとし最後は神頼みで敗れていった歴史を持つ国の住民としては、あの展開はかなり鼻白む。エイワの神が助けに来た! って言われても、なかなか神風は簡単に吹いてくれないことを、あなたの国にいやというほど教え込まれたもので、理想を描いたオハナシだよとは思っても「なんだかなあ」である。住民たちの祈りのシーンは東宝にやらせてほしかった。ああやってただ祈ることに関しては、ハリウッドより年季が入っている。宙に浮く岩山って、すでにパン兄弟の『リサイクル』で目にしてるけど、あっちはただ浮いてただけで登ってはいなかったな。
[DVD(吹替)] 6点(2010-07-20 11:04:48)(良:1票)
219.  未知への飛行 《ネタバレ》 
核兵器の悲惨を描くのではなく、その「恐怖の均衡」という発想の狂気を描く。この均衡が崩れかけたとき、全面核戦争を回避するためにはどういう「最少の犠牲」が必要になるのか。丹念に不信の構造を見せつけられると、ラストの大統領の決断が突飛でなく、いやメチャクチャ突飛なんだけどこうする以外証明できないんじゃないか、と思わせられる、そこのところが怖い。大局的な世界にひたっていると、ニューヨークという大都会でも、全体を救うための「小さな犠牲」になってしまう。この恐ろしさ。その「最少の犠牲」の大きさに、核の均衡という発想の狂気、そもそもの核兵器を所持しないと不安でいられないところまで来てしまった軍事力に頼る人類の病理、がはっきり感じられた。戦争が終わると国家はいつも「犠牲者は平和への尊い礎です」と黙祷するだけで、その「礎」は戦争が繰り返されるたびに大きくなっていった。そしてこの映画ではニューヨークという都市がそうなる。なんかツインタワービル跡地のモニュメントを皮肉に予言したような映画でもあるな。冒頭にW・マッソーの教授がちらっと見せた黒い心、利益とか権力とかを別にして純粋に核戦争を望む心が存在するということのリアリティ、これはあまり突っ込まれてはいなかったけど大事なテーマで、これを観たときはまだ存在しいていなかったが、オウム真理教なんかを予告してたんじゃないか。
[映画館(字幕)] 8点(2012-05-01 09:50:32)(良:1票)
220.  ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女
硬質な肌触り、それでひんやりしている。とりわけヒロインのアナイスとジューンの凝視。相手を見抜いてやろうという凝視と、そう簡単に理解されないわよ、と気を張っているために見返す凝視でもあるか。自分の輪郭を絶対侵させまいとする誇りのようでもあり、傷ましくもある。とにかく日本にはない視線。この視線のドラマの迫力が強烈で、ジューンなど「尽くしたのに捨てられる哀れな女」という新派的な弱い存在になりかねないところなのに、彼女が残った二人を裁いているドラマでもあった。彼女、その後社会奉仕の仕事に入ったそう。この閉じた人々の物語で、世の中が姿を垣間見せるのは、ドイツのラジオとこの社会奉仕のナレーションのとこだけ。社会が確実にこの人々を閉じ込めつつある中で、ジューンだけは主体的に社会との関係を回復していく。音楽や映画が同時代の動向を示している。登場する人々がみな毅然としている。駄目な旦那でさえも。
[映画館(字幕)] 8点(2014-01-09 09:23:22)(良:1票)

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