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421.  トリコロール/白の愛
ポーランドとフランスの二極。ポーランド人の夫はパリへ行ってインポになり、フランス人の妻はワルシャワで拘禁される。そういう「平等」。彼がやったのは復讐だったのかどうか。とにかくこの監督は東と西の「うまくいかなさ」ということをいつも心の底に置いている人で、双眼鏡で覗くこと・つまり「憧れること」でしか関係を持てないのではないか、といった諦観もうかがえる。冒頭、鳩に糞をかけられるのも、冷戦後の世界もそんなにいいものではないぞ、と言ってるよう。全体軽妙な味はあるものの、この時代ポーランドが抱いていた夢のはかなさと通底している。音楽はタンゴ。
[映画館(字幕)] 6点(2010-11-05 09:59:07)(良:1票)
422.  Wの悲劇
このころ映画評の重点が映像表現のほうに移ったので、鬱屈していたシナリオ作家が「どうだ」と凄んでみせたような作品。現実と劇とがこすれ合うシーンなんか、脚本書いててワクワクしたんじゃないか。ほかにも細かいとこはいっぱいあったけど、変に覚えてるのは、世良君と三田村君でちょいと揉め事があって次に稽古があって、三田村君が間を取ったのに薬師丸嬢がプロンプ入れてなじられる、なんてのがあった。こういうことあるんだろうな、とリアリティ感じました。役者ではやはり三田佳子。配役発表のときの「ハァ~イ」って感じから良かった。そして薬師丸嬢を部屋(死体で登場の仲谷昇)に呼び入れての長い独白が貫禄。非常識だと思いつつ言いくるめられていく感じは、長回しだから効く。主役おろしのいびりも怖い。蜷川さんまでオタオタする。薬師丸嬢に『イヴの総て』は似合わないと思ってたら、大女優に使われてしまう卵の話で、こういう設定ならアリだろう。石神井公園で将棋をさしていた世良君が歩み寄ると武蔵関公園になった、帝国劇場の中に入ると練馬文化センターになった、と至ってローカルな発見が当時の私のメモにある。 /1913/10・31追加 石神井公園・武蔵関公園の記憶は間違いないと思うが、練馬文化センターうんぬんの記述は30年ぶりに見てその根拠が思い出せず、怪しい
[映画館(邦画)] 8点(2013-07-06 09:51:53)(良:1票)
423.  白い風船
あくまでおつかいに出た少女の心理に寄り添いつつ話を進めていき、ラストでパッと三人称になる手際。ある意味では残酷だが、しかし少女の世界がパッと開けて、仕立て屋の徒弟やら兵士やら風船売りやら都会で独りぼっちで暮らしていた周囲の星々が輝き出す、という感じ。もしかすると彼らの対極にあるのは、家で怒鳴っている父親(とうとう姿を見せない)なのかもしれない。第三世界の映画というと「家族の愛」とか「地域の親和」とかのテーマを読み取りがちだが、「都会の孤独」だってやっぱりテーマになるのだ。大人の社会に触れる子ども。おばさんには愛想よかった仕立て屋が、子どもだけになると無視する。大人は大人の客とのケンカで頭がいっぱい。そして変なオジサンっぽい相手には用心しなくちゃいけないし。そういう緊張があって初めて、子どもたちがガムをくちゃくちゃやり、目を見かわし、なんとなく笑ってしまう、なんてスケッチが生きてくるわけだ。
[映画館(字幕)] 7点(2009-08-11 11:56:23)(良:1票)
424.  口裂け女
なんで今さら口裂け女かと思ったが、以前流行した親の世代と子の世代との30年の差を置くことで、親の子への虐待というモチーフを潜ませる深い企みがあったのだった。母の子である男教師と子の母である女教師との冒険を通し、ローレンツの動物行動学が、愛と攻撃とは同じ根を持つと指摘しているような、そういう母性の根源的な衝動の両面を探ろうとした意欲作なのである…って感じなのかな、とうっかり最初のうち思ってしまった私を笑ってくれ。だってこいつらへんなんだもん。男教師は己れの幻聴に導かれて車走り回ってるし、女教師は女を刺殺してその子を憐れんで、でも一緒に車で走り回ってる。こいつらの行動に確からしさの裏打ちが出来てないので、観客は置いてきぼりを食い、その間もドラマはただただ陰惨に進行する。もう途中で製作者が観客にどういう反応を期待しているのかすら分からなくなっちゃった。呆然とするにもけっこう体力がいるらしく、ラストでは疲れきってすっかりウツロ、サトエリに向かい「そうですか、ハイ、分かりました、どうもご苦労様でした」と弱々しく呟いて電源を切った。
[DVD(邦画)] 4点(2008-02-25 12:21:50)(良:1票)
425.  太陽を盗んだ男
国家が原爆を持つのを正当化できるのなら、どうして個人でそれを持ってはいけないのか、という問題。そして実際問題として知識の核拡散は防ぎようがなく、やがて汎核時代になっていくのは必然ではないか、という暗い予想が根底にあり、実際、世界はその後そのように動いている。この映画の面白さは大局的なテーマとは別に、犯人の孤独って問題もあること。主人公は趣味が高じて原爆を作っちゃうわけ。そして自分が手にした手段の大きさに驚いてから、それを確認するように「目的」を探していく。原爆という桁外れなものの存在が、犯人にとって困りものになる。原爆が手元にあることの利用法は、それを使ってはならず、それを持っていることを他者に知らしめることでしかない。自分が作れたという手応えも他者に確認してもらいたい。ここらへんに孤独が匂ってくる。文太は気づいて、この犯人は他人に触れてもらいたいんだ、と言っている。少しでも自分が関わった他人にべたついていく感じね(初めてディスク・ジョッキーに電話するとき、ひどくあがってしまっている)。こういう「他人知らず」の人間が“手段”を持つと、一人の女の命と引き換えに大量殺戮を無反省にやったり出来そうだ、という怖さもある。ちょっと後半だらだら。渋谷の場は切り詰められそう。
[映画館(邦画)] 7点(2012-06-24 09:41:18)(良:1票)
426.  二十四の瞳(1954)
木下恵介は、ちょっと離れて平行移動する二人を描くととてもよく(『野菊の如き君なりき』など)、それの絶唱とも言うべき最高の成果が、本作の修学旅行の場。食堂で働く松っちゃんを大石先生が訪ね、嬉しさと恥ずかしさが混ざったような松江が距離を置いてもじもじしている。大石先生が去るとたまらず飛び出したものの、旧友たちが先生へ走り寄ってくるのを見てサッと身を隠す。たまらないシーン。そして次にとぼとぼ歩く松江と、旧友たち・先生を乗せた船とが平行移動していく名場面になる。心象風景がそのまま抒情の極致となり、画としての構図もピタリと決まった。またチョイ役ながら、食堂の女将、蝿叩きを持った浪花千栄子が絶品なんだ。この映画の長さは、唱歌が流れるシーンで歌をたっぷり入れているので膨らんでいるところがあり、欠点と言えば欠点なんだけど、作品ごとに趣向を凝らす監督が本作では、唱歌が軍歌に勝利する歌合戦っていうような試みをしたと思われ、ロングを生かした画面もあいまって、そこにじっくりひたれる世界を作り上げている。木下恵介はコメディで最も才能を生かした監督だと思っているが、本作は抒情の作家としての代表作になった。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2011-04-12 09:46:14)(良:1票)
427.  ファンタスティック・プラネット
はっきり人間の視点から見た世界と支配者から見た世界とに、分かれるの。その支配者側から見た人間の群衆の動きなんか丁寧だった。まとまって動いたりなんかしない。大量殺戮シーンで球が人をくっつけていっちゃうのが怖かった。踏み潰すシーンとか。映画を見てるほうはその時々でどっちの側にも感情移入しちゃってる。ペット時代なんかはどっちかって言うと飼う側から見てたな。この設定、植民地の比喩と見ることも出来るけど、いろんなイメージに溺れる楽しみがこのアニメの核。だんだん引いていく議場の広さ。瞑想で体がマゼコゼになってしまうとこ。ホースがくねってるような大地で、雨が降ると各所が持ち上がるとこ。夜の発光。ネバネバのしずくを垂らす植物。そしてラストの像のダンス。まあよくいろいろ思いついたもんです。締めが物足りないって気もするけど。
[映画館(字幕)] 7点(2011-02-23 10:57:55)(良:1票)
428.  バンク・ジョブ 《ネタバレ》 
せっせとトンネル掘ってるまでは新鮮味なく既視感いっぱいだったが、無線が傍受されるあたりから面白くなる。ドラマ全体が活発に動き出す。警察のほうの救急車を使った罠も、ちょっとしたしくじりによって助かったり、などのくすぐりも楽しい。ごちゃごちゃもつれあった全体像が、だんだん整理されていき、立場上の善悪ではなく、別の倫理によって善玉と悪玉が左右にきれいに分かれていく。マフィアとコソ泥、法律の上では同類でも映画の世界では違うのだ。警察側も左右に分離し、善玉悪玉が再編成されていく。ここらへんの駅のシーンに向けた展開が醍醐味だった。ただしもっとカラッとしたトーンで押し切ってほしかったのに、後半いささか陰惨さが強まるのが、マフィアがらみだから仕方がないとしても、じめつく。
[DVD(字幕)] 6点(2009-08-17 11:56:15)(良:1票)
429.  休暇 《ネタバレ》 
西島秀俊が、観客にはどんな罪を犯したのかも分からず、抽象的なイケメンの死刑囚になってるところが、突っ込まれても仕方のないとこなんだけど、あくまで執行官のドラマなんだから、ってことなんでしょうなあ。たしかに「業務としての殺人」を体験するのが本作の焦点。それまでほとんど固定されていた構図が、近づいてくる執行官の足を移動で捉え、その後の粛々と進行していく「儀式」の圧迫感はかなりコタエる。そこで行なわれる殺人を出来るだけ無感情に進行させようとする儀式。唯一殺人の生臭さが生じそうな足のバタつきを押さえる係としての主人公。その殺人とひきかえに与えられた新婚旅行というドラマ設定も悪くはない。新しく被保護者となる絵を描く少年が死刑囚とダブらされていて、「抱き止めること」で両者が重ね合わされる。ただそこまでの緊張に比べ後の締めが緩く、音楽も安直で、もう一つエグる展開があるのかと思ってたら終わっちゃった。とは言え、大杉漣の「人の命をなんだと思ってるんだ」と小林薫の「所長だってこれで飯を食ってるんでしょうが」のやりとりは、死刑制度が存続している国の国民として、こちらも無関係に聞き過ごすわけにはいかなかった。
[DVD(邦画)] 6点(2009-08-13 12:01:31)(良:1票)
430.  蟻の兵隊 《ネタバレ》 
ドキュメンタリーでいいのは、予定調和をカメラが裏切っていくところ。元日本兵の奥村さんが中国を訪問し、初年兵教育の最終試験として初めて人を殺した場所を訪れた後で、生き残った中国人の家族と対面するシーンがある。おそらくカメラは、謝罪と赦しのようなところを撮れればいいと思っていたのだろう。ところが奥村さんは、そのとき国民党軍と八路軍との間で妥協があったのではないか、ということを厳しく問い詰めだす。奥村さんの中に急に皇軍がよみがえったような感じ。もちろん司令官に裏切られ一部隊ごと中国側に傭兵として渡されたことへの恨み・悔しさ・死んだ戦友への義務などのもろもろが芯にあるのだが、彼の主張の根に感じられるのは、我々は皇軍として戦ったということを確認したい、という念願なのだ。あそこで奥村さんという個人が、兵士の経歴ごと・60年という歳月ごとまざまざと立ち上がり、彼の悔しさがひしひしと迫った。枯れるとか諦観とかの対極で深く怒っている老人像が、こちらのステレオタイプを砕いていく。ドキュメンタリー映画を見て良かったと思う瞬間だ。そしてこの司令官の卑劣さ・上部ほど無責任になり生き残る体質が、軍隊の本質なんだなあと思う。終わりの方、靖国で小野田さんとやりあう場は、いささかこしらえ過ぎかとも思ったが、どちらも残留者でありながら、小野田さんは中野学校出のエリート中のエリート、奥村さんは赤紙で引っ張られた一兵士、という違いが出た。皇軍教育を叩き込まれた小野田さんがあの戦争を自信を持って肯定するのに対し、奥村さんは「私は戦争を知らないかもしれない」という境地に至る。この境地が大事だ。元自衛隊の田母神某と小野田さんてそっくりに見えるんだけど、軍のエリートって同じ単線的な思考をして同じ顔になるものなのか、彼らには「私は知らないかもしれない」という謙虚な・しかし思考の始まりには必須な境地は訪れっこないだろう。
[DVD(邦画)] 8点(2009-01-20 12:23:38)(良:1票)
431.  陸軍
ホンネとタテマエの微妙なせめぎあいを得意とする作家にとって、最終的にホンネが前に出てくるか、タテマエを押し通すかということは、さして重要でなかっただろう。そのせめぎあいを描くのが好きなので。子を思うホンネをじっと抑えて公に奉公する姿を美しいとしていた時代、「このようにみな公のために私情を捨てて頑張っているんだなあ、私も耐えねば」というメッセージになっており、反戦映画とまでは言えないだろう。笠智衆演じた人物なぞ、そのまま戦後に描けば青年を死に追いやった否定的人物となるわけで、そこらへん史料として観られる。「男の子は天子様の借り物」というタテマエを、最後はホンネを越えて主人公は肯定せざるを得なかったわけで、それを美しいと捉える視線はあり、システムを批判してはいない。ふと思ったんだけど、長回しが多いのは作家性の要請というより、フィルムを無駄に出来なかった当時の制約もあるのではないか。東野英治郎との頑固者同士のユーモア。真っ先に宮城へ参らなかったと叱る父、教科書を踏んだと叱る母。何も反戦映画だから名作と無理しなくても、タテマエの浸透していた当時の社会の記録としてこそ名作と呼びたい。
[映画館(邦画)] 7点(2013-01-25 10:10:38)(良:1票)
432.  ポリス・ストーリー/香港国際警察
この泥臭い騒々しさには、どうしても馴染みきれないものがあるのだが、格闘シーンには心底ホレボレする。どの国のアクション映画の格闘シーンより、香港では接近して争ってるように見えてしまう。ほとんど組体操、高度なダンスのよう。戦う者の間の空隙を、一生懸命手足で埋めているような感じ。たとえば日本のチャンバラがしばしば主人公一人の日本舞踊であるのに対し、あちらはちゃんと、格闘というものの複数性を生かしている。そのキビキビした直角的動き。ラストのデパートなんて、うっとり見とれてしまった。ただショーケースがあるものだから、どうしてもやたらガラスが割れることになり(そうい売り場を選んでる)、あのハデな粉砕感は音楽で言えばシンバルの一打ちなわけで、あんまりやりすぎると効果が薄れる。見せどころのふきぬけの落下を反復するのも逆効果。見せどころは一回こっきりで、あとは観た者の脳内で「すごかったなあ」と夢のように反復させるものだ(でもこの3回繰り返すサービス過剰ぶりに、きっと香港映画の中国料理的しつこさの濃ゆ~い味わいがあるんだろうな)。車の崖下りやバスでのぶら下がりなども見せ場だけれど、アトラクション気分が強く、かえって電話番しているときのコント的エピソードのほうにアクションの楽しみを感じた。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2010-12-02 10:18:38)(良:1票)
433.  ザ・タウン
アイリッシュマフィアは『ミラーズクロッシング』なんてのもあって、イタリアより体温の低そうなギャング世界が広がっている(どちらもカトリック国っての、関係あるのか)。『ミラーズ…』では、A・フィーニーがいかにもボスって感じだったが、善人の記憶が強いP・ポスルスウェイトがこちらでは酷薄な元締めを演じていて、イギリス系の役者は懐が深い。登場時間は短いのに彼の存在感が濃いので、主役のB・アフレックスが損。ハリウッド映画では主役はこうスッキリしていればいいというのかも知れないが、もうちょっと内側に屈折を感じさせるキャラクターであってほしい。血族の縁が・地域自体が、もう犯罪組織で固まっていて、日本ではやたら「絆」と持ち上げるが、こういう鬱陶しい拘束としてまず「絆」は存在していた。それへの抵抗ってことで、マフィアもの映画は普遍性を持つ。そういう至って正しい話なんだけど、主役がノッペリしていて、屈折は「そういう役をやってます」と外側にレッテルで貼られてるだけという印象だった。アクションシーンで、ときどき無音を挟むのが(モニター映像や、爆発音で耳がツーンとしたり)いい緊張を生む。凶暴な仲間ジェムの存在がいい。主人公が彼の刺青を恋人の目から手で隠す。最期、道に落ちていた紙コップの飲み残しを、ひとくち吸うこの世への訣別も忘れ難い。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2013-06-04 09:34:28)(良:1票)
434.  英国万歳!
フランス革命の前年、アメリカ独立のショックもまだ残っている英国で王が狂う。『バリー・リンドン』のラストで、これはジョージ三世の治世下の出来事である、と出たのは、狂った王の下というニュアンスを含んでいたのか。多くの狂人が王になりたがるわけだが、そもそも王は狂と近い。気でも狂わなければ“絶対”なんてやってられない。人間離れしなければならぬ王と、人間である王との葛藤。狂者になることで人間になれるのかと思ったら、やはり王位の椅子のような拘束椅子に座らせられてしまう。どっちにしろ椅子に拘束される存在。彼が王であることを逃れられるのは、「リア王」の台本読みで狂王を演じるとき、という皮肉に至る。やや理が先行する脚本で、映画として酔える種類の作品ではなかった。屋外シーンは美しい。
[映画館(字幕)] 6点(2009-03-04 12:09:41)(良:1票)
435.  不知火檢校 《ネタバレ》 
勝新のヌルヌルヌラヌラした感じが最高に発揮されている。子どものときから自分の盲目をネタに言いがかりをつける悪いヤツ。世間は征服する対象としてのみ存在している。障害者のピカレスクが凄味を持つのは、世間との対立感覚がより際立つからであろう。差別かもしれないが、でもここには世間の側が持つ疚しさも関わっているから、見ているこちらにもジャリジャリと引っかかってくるのだ。しかしけっきょく女の心は得られず、自分の罪を他に転嫁しようとした過去の仕掛けによってアシがついてしまうという設定が皮肉。冒頭が祭りの風景で、そこで少年の杉の市が小さな罪を犯すところから始まって、ラストも、祭りを蹴散らしてゆく検校の駕籠が捕縛されるという対比。世間からのつぶてが飛んでくる。まったくひどいヤツだが、ずっとこの映画を見ていた一観客としては、このつぶての一団に加わるほどの真っ白な正義感も湧いてこない。そこにこの映画の価値がある。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-23 12:11:24)(良:1票)
436.  (ハル)(1996)
インターネットの匿名世界は、トイレの落書き化したり誹謗中傷が渦巻きスラム化する、ってところに興味があったんだけど、これは本人同士が出会うまでの恋愛もの。映画の大半は字幕を読むことになるわけだが、サイレント映画とは違って、字の部分と映像の部分が拮抗してるわけ。心の部分と社会の部分と。どちらかというと写真や図表入りの小説の裏返しに近い。相手の姿かたちがないということの気安さが、しだいに手応えをほしくなる・見たくなる、って経過。そして『天国と地獄』的シーンを経て、抽象的だった会話の相手が「現実に存在してるんだ」という不思議な気分を味わうことになる。電光掲示の文字もしばしば挿入され、文字情報がしだいに表情を持つことの面白さを映像で見せようとした作品でもある。ラストで白黒になったのは、これから文字だけではすまない生身のヤヤコシイ世界に入っていかなければならないんだよ、ってことを言っているのだろうか。…と、これはまだ私がパソコンに触れてもいないころに観た映画の、当時の感想。こうして自分自身が匿名広場に参加することになるとは思ってもいなかった。
[映画館(邦画)] 7点(2009-10-28 11:59:48)(良:1票)
437.  ヘアスプレー(2007)
メタボメタボとヒステリックに叫ばれている中、でぶでぶした女の子がどこ吹く風とコロコロ踊ってるのを見るのは愉快である。でぶの人はだいたい主人公のドジで愉快な友人役と決まっていたものを、それを中心に持ってきただけで新鮮。そして60年代風音楽がカラフルに展開していく。キャスティングの妙。だってクリストファー・ウォーケンとジョン・トラボルタが仲良く夫婦愛を歌って踊るんだぜ。ミシェル・ファイファーの根性まがり女も楽しい。ただ、この作品ならこの曲と記憶されるような決定的ナンバーなり、ユニークな振り付けなりがないのがちょっと寂しい。デモのシーンなど、ここは大事なところだから真面目に演出しました、って感じだったが、ああいう場面こそ、もっとミュージカル的に盛り上げて、それでメッセージが濃く伝わるのではないか。とはいえラストのコンテスト会場シーンはたっぷりで満足。あの姿のトラボルタにダンスのキレを期待するのは酷だな。
[DVD(字幕)] 7点(2008-07-24 10:45:01)(良:1票)
438.  銀河鉄道の夜(1985)
猫にしたのが当時は賛否両論だった。子ども向けに迎合してる、って意見があったけど、猫にしたことによって無表情が自然になってる、と私は断然「賛」だった。人間だと無表情は中間的表情というより陰気なイメージになってしまうが、猫だとほんとにニュートラルな表情となり、それが少年の純な心にピッタリする。そして賢治の世界にふさわしい。原作のイメージが素晴らしいんだけど、映画もそれを膨らませている。丘へ上る道が銀河につながっていくところ。静かに繰り返されるレールのガタンガタンのリズム。冒頭を初め、全編を通して振り子のイメージが貫いている。待合い所のメトロノーム、新世界交響楽の駅にも大振り子。ときどき流れ過ぎる輝く正四面体がちょっとつまらないのと、リンゴの皮を剥くとどんどん蒸発していく原作のイメージがなかったのは残念。ジョバンニが自分だけ違う切符を持っているあたりから忍び寄ってくる不安、「どこまでも一緒だよね」と何度も確認するあたりから、もう泣けてしまう。ジョバンニには妹を失った賢治がいるし、カムパネルラには、貧しい農民になれない地主の息子の後ろめたさを抱いている賢治がいる。そういったもろもろを静かな暗さの中で反芻していた賢治は、本当にいいなとあらためて思う。永訣の夜としての銀河鉄道。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2012-08-22 10:04:56)(良:1票)
439.  十二人の怒れる男(1957)
アメリカ映画の好きな裁判ものだが、やる気のなかった国選弁護士の代わりに一人の陪審員が奮闘する法廷後の話になっていて、次第に覆っていく面白さは裁判ものの常道だが、「それで食ってる」弁護士でなく、本来ならチャッチャッと済ませてすぐ帰りたい「面倒ごと」に付き合わされてる一般人にしてあることで、「正義とは」というテーマがより際立った。そして意見を持つことの大変さ、それを表明することの大変さというテーマも浮き上がり、そっちのほうが本作のキモではないか。別に無罪を証明しなくてもいいんで、「有罪にするには合理的な疑いがある」って比較的低いハードルでも、11人の反対者の22の冷たい瞳に囲まれると、私だったら…と自信がなくなりそうな場。そういう逃げようと思えば逃げられる場で自分の少数意見を表明すること。こういう勇気を賞揚するのが、アメリカのいいところだ。おとぎ話とか、お涙頂戴とか、こういう場面で来そうな反発がいちいちいリアルで、観てるほうの心のなかで動く反対意見をちゃんと残りの11人が表明していく。議論の質を落とさない。そして少しずつ同調者が増えていく。ここも大事なところで、なぜかとりわけ日本では「ブレる」ということが、さも悪事のように言われがち。でもそれがなくては議論する意味がないわけで、反対意見に最大限想像力を働かせ、自分の意見と闘わせた上で、それでも意見を変えない・あるいは変える、というのは同質のことのはず。悪いことではない。日本の「ブレない政治家」ってのは、反対意見に耳を塞いでるだけで(ラスト近くのリー・J・コッブのように)、あとは「おとぎ話」「お涙頂戴」と切り捨てるのなんか、まったく映画と同じですな。というわけでアメリカ映画の最良の部分がここにある。室内劇でありながら夏の暑さを描いた映画としてすぐに思い出されるってのも凄いことだ。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-10-11 10:11:32)(良:1票)
440.  5時から7時までのクレオ
不吉な占いのとこのみがカラーで、あとは白黒。病気の検査結果を待つ女性新人歌手の2時間の物語。最初のうちは何でそんな辛気臭いのに付き合わなくちゃいけないんだ、と思ってたんだけど、この不安感が人生の凝縮された状態なんでしょうな。普通の町並みや普通に暮らしている他人たちが、とてもよそよそしく見えてきてしまう。これがロメールの『緑の光線』のように、ある男との出会いによって一つ脱皮できるまでのドラマ。不安が解消されるわけではなく、こうやって生きていくという決意に至るわけ。決意と言うとちょっと大袈裟になってしまうんだけど。それがドキュメントタッチで実物大と言うか、実感そのままみたいに伝わってくるのが、手法の勝利。夏至のパリって陽が長く、全然夕方の感じがない。少し露出過度気味のカメラが不安を通して見た街ってことなのか。あれで日本的な夕方だったら、情緒が出すぎてしまったところ。いちいち細かく時間経過が画面の下に表示される。
[映画館(字幕)] 7点(2013-11-16 09:57:11)(良:1票)

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